報告書を読み、リベルはまたひとつため息をついた。 以前の、四人のロストナンバーがチームを組み、相手のチーム四人に対し、四つの闘技場で実戦訓練を戦い抜く『流転肆廻闘輪』の時ほどの焦りは、彼女にはない。 前回の結果を見る限り、戦闘を行ったことでむしろ友情が深まったというケースが報告されており、拳を交えての友情の芽生えはないと無下に却下する事もできなくなっていた。 この報告書によると、今度は八人でチームを組み、2対2のバトルを四回繰り広げるのだという。「景品でも用意しろとおっしゃいますか?」 そう呟いて書類を端から端まで眺めるが、闘技場の申請理由がつらつらと書かれているだけで、おかしな部分は認められない。 だが、彼女の指針ではあまり頻繁にロストナンバー同士の戦闘を推進したくはなかった。 だけどそれでも。 生真面目さ故に極力反対したいと思っているリベルは、その生真面目さ故に不備のない書類には判子を押さざるをえない。 しばらく書類を睨みつけた結果、リベルは闘技場でのイベント開催許可を求める書類に、自らの判子を押印することとなった。========= 世界図書館の禁忌封印名物だという八戦車輪大獄。 石造りの廊下を歩く六人は無言のままである。 この闘技場のどこかで、相手のチームの六人もまた、次の闘場を目指して進んでいるのだろう。 ほんの数分の距離であるにも関わらず、いつまでも続くかと思う程に長く感じる道のりを経て、行き着いた先では閉ざされた第二の獄の扉が現れる。 第一の獄を担当する世界司書、灯緒の話によれば、この先に次の闘場が待っているという。 第一の獄ではすでに試合が始まっているらしく、時折、後方の闘場から歓声があがっていた。 応援の声はこれからバトルをはじめる闘士にも伝わり、炎のように背中にまとわりつき、気分を掻き立てる。 古めかしい扉は軽く押した程度で、意外にもあっさりと開いた。 だが、何よりも戦いの舞台が参加者の目を引く。 室内とは思えない程の密生した熱帯の木々。 むせかえる程の青々しい空気。 じっとりと肌にまとわりつく生々しい空気。 そこはまるで、ジャングルの様だった。 「皆さーん。ここまでお疲れ様でしたぁ」 闘技場を包む緊迫感を見事に切り裂いて、女性の暢気な声が聞こえる。 見上げると黒い服をまとい、黒いマフラーを装着し、あまつさえサングラスまでかけた女性の世界司書。 その名を知るものはいないことになっているが「無名の司書」といえば彼女を指すため、そういう名前だと認識してしまえば、それほど困らない。 あるいは外見から「黒いおねーさん」とか。 だが、彼女の性格上、闘技場でロストナンバー同士の対戦を勤めるというのはあまり向いていない気がした。 その視線の意味を察したのだろう。無名の司書はぱたぱたと手を振った。「あ、あのね。本当は他の世界司書さんが担当するはずだったのよね。で、でもね、連絡員が懸命の努力をしたのにうまく捕まえられなくてね、あれよあれよとゆーまに期日が来ちゃって、でもそんなに早く連絡も取れてなくて、そりゃ連絡しようと思ってたのだけど移動中に新しいお店ができてて、そりゃ世界司書としてご挨拶くらいしなきゃいけないかなって入ったら、お酒を勧めてもらっちゃって、好意を無にするわけにもいかないし、少しだけいただいてみて、気がついたら次の朝までどころか次の深夜まで楽しい時間を過ごしちゃって、そういえば連絡しないとなーってその世界司書さんも思ったんだけど、そういうのって不可抗力じゃない? で、おとなしく白状したのよね。というのもアリッサたんに聞いた話だけれど、桜の木を切り倒した上、犯行声明を出したら、正直でえらいって言うことで大統領にしてもらった人がいるらしいじゃない? でも、リュカオスさんったら「じゃあお前が担当してくれ」と平気な顔でいうのよ! ……というわけで、ケガしないでね。それではルールを説明します」 ※) ・戦場はジャングルです。 ・武器の使用、能力の使用を認めます。 ・相手はジャングルの中に潜み、あなたを狙ってきます。あなたもうまくジャングルの地形を利用して戦ってください。 ・形式はタッグマッチです。タッチ交代制ではなく、双方の選手二名ずつ、合計四人が同時にバトルします。 ・双方の選手二名、合計四名のうち、誰か一人が戦闘不能になった時点で勝負終了とします。 「つまり、舞台がジャングルの模擬戦か」 誰かが呟いた言葉に、無名の司書が指差して「正解! ぴんぽ~ん!」と応じた。 熱帯の植物が生い茂り、数メートル先に何かが潜んでいたとしても分からない。 逆に、自分が相手に接近したとしても、うまくやれば気付かれないだろう。 それとも木々をすべてなぎ払っていくか? ごくり、と誰かが固唾を呑んだ。 「では世界図書館 禁忌封印名物 八戦車輪大獄 第二の獄はここ、室内に誂えたジャングルの中での戦闘訓練です。私、無名の司書が立会人を務めます。スポーツマンシップにのっとり、正々堂々と、訓練してくれなきゃいやですよ。それでは第二の獄、……はじめ!」
第二の獄が始まった。 とは言え、最初はお互いの位置も把握していない。 目の前には鬱蒼とした森が広がっているだけである。 森林にあって一際、気分よく深呼吸をしたのはアコナイト。 「ふふ、今回は2対2の演習なのね……2対……あれ? ……3?」 蔦をふるふると動かして、ひぃふぅみぃ、と人数を数える。 前提としてお互いの位置は把握できていないはずだったが、森林の木々を味方につける事のできるアコナイトにとっては索敵程度は造作もない。 敵側にいるのは二人。 やけに素早くジャングルの木々を掻い潜って移動する気配。 そして、――こちらはかなり小さい気配。 試合が始まった時には、青年と男装の麗人の二人がいたはずだ。 対して自分ともう一人、どうやら今回の仲間らしい。 が。 なにやらぎゃあぎゃあと賑やかな声がしていた。 「こんなに豊かな自然があるだなんて……」 「すごい。こんなにすごい世界があるんだ!」 「木が一杯。いや、木だけではなく鳥の声も虫の音も、小川のせせらぎまで聞こえてる!」 「故郷のみんなが見たらどういうだろうか」 見た目は確かに一人。 だが、よぉく見ると一つの個体の肩にもうヒトツの頭のような何かが乗っていた。 頭のようなソレは、肩に止まった鳥のように鎮座する。 しかし、それはどこから見ても普通の人間の胴体と、普通の人間の頭部と腕であったために、結果、会話している姿はどこからどう見ても独り言だった。 つっこみ役のいない二人(仮)の会話は延々と続いている。 戦闘はすでに始まっているため、敵に自分の位置を知らせるだけじゃないかと考えるが、考えようによってはアコナイトから集中がそれるとも言える。 幸い、ジャングルの木々に教えてもらえた敵二名の位置は、アコナイトの仲間であるところのモンスターを捕捉し、回り込んでいるようだ。 「俺たちはいつだって生き延びてきた。こんな魔法のような世界だって生き延びてみせる。生き抜くことこそが俺たちの生きる目的なのだから」 「とりあえずはここにいる3体の生き物を捕食してから脱出することを考えよう…」 「腹が減っては戦は出来ぬだ」 「またお得意のご高説ですか」 「なんだと!? 戦闘の時くらいイヤミ抜きでやれねぇのか」 ――やがて。 アコナイトは一人で怒鳴り散らす妖しい人にしか見えないロスとレイルの二人(仮)を放置することを決める。 「……まあいいわ……気にしない事にする。多いっぽいのはこっちだし」 とは言え、味方とのコミュニケーションは難しそうだし、さて、どうしたものかと辺りを眺めまわすアコナイトの目に、ジャングルの木々の上、さりげなく設置されたモニターには巨大なキッチンでどたばたと戦っている別のチームの姿が見えた。 数々の調味料の中に調味料を見つけ、にやりと微笑む。 彼女の『研究』を実戦で使ういい機会かも知れない。 「ねー? 無名の司書さん。この闘技場のジャングルから出たら反則なのかしらー?」 アコナイトが空に向けて言葉を投げてみる。 数秒の沈黙の後、スピーカーを通した声が聞こえてきた。 「え? え? いえ、そんなルールはなかったんじゃないかしら。でも、ジャングルのどこに出口があるかわからないし、ややこしいから、せめて決着はここでして欲しいなーなんて」 はぁい、とアコナイトは微笑んだ。 同時に蔦を張り巡らせ、ジャングルの木々に問いかける。 たっぷり二十秒ほどの沈黙を経て、アコナイトは木々の中に溶け込むように分け入った。 腰から竹筒を取り出し、キャップ代わりのコルクを抜く。 中の液体を一口飲むと、テオドールは傍らのチェキータにも竹筒を差し出した。 うにゃあ? と、ばかりにチェキータは首をかしげる。 彼女は姿を猫に変化させており、欠伸をひとつすると、ふんふんと鼻を鳴らして竹筒の匂いを嗅いだ。 これは? と、首をかしげて問う。 「俺の作った常備薬だ。毒を効かなくする……って程じゃないが、代謝を高めて効果時間を短くする効果がある。相手は毒を使う相手がいるみたいだからな。飲みな」 「にゃー」 ぺろっと舌を出し。 竹筒の先についた雫を舐め。 そのまま、ぞわわっと全身の毛を逆立てる。 ぶっとく膨らせた尻尾と共にフシャーっと威嚇し、テオドールを睨みつけた。 効果があるのは理解した。 苦いのは仕方ないのも理解した。 だが。 仕方ないとは言え、猫の本能が苦味を嫌う。 それはもうどうしようもない。だって、猫だし。 「分かった分かった。無理に飲めとは言わないって」 「うにゃー」 「で、作戦だけど。手分けして挟み撃ちを考えたんだ。で、連絡はエアメールで……」 にゃー、ともう一声。 尻尾が左右にふりふりと揺れた。 手は胴元でそろえられており、きちんとした姿勢のいいポーズを醸し出している。 「……うん、猫だもんな。ペン、握れないよな。……ええと、分かった。俺一人で戦う覚悟をするから、危なくないように隠れてろ」 隠れろ、と言われたものの、チェキータはするりとテオドールの肩に乗る。 うなーと鳴いて、行動開始、と告げた。 やれやれ、と微笑み、テオドールはまず足元の雑草を掴むと強く結んだ。 「こうしておくと、足をひっかけやすくなるんだ。相手が普通の人間型じゃなかったら、どれだけ通じるかわからないけどな。あんただって猫の目線から見たらこんなの引っかからないだろ?」 「すぅ」 「肩で寝られた!?」 テオドールの肩に覆いかぶさるように惰眠を貪る猫を落とさないように抱え、テオドールは手早く足元の草を結んでいく。 穴を掘り木々と葉で隠す。 経験上、戦闘中に使う罠であれば丁寧にカモフラージュする必要はない。 むしろ混戦の最中、どこに仕掛けたか自分でも分からなくなる方が遥かに怖い。 ひとつのポイントに十個程度の罠を仕掛けると、十数メートルの間隔を空け、次のポイントに罠の設置をはじめる。 冒険者の心得として、派手に立ち回るため無闇につっこむよりも地味な作業が後々効いてくる事をテオドールは理解していた。 さらに次のポイント。ついでにもうひとつ。 最後に泥を手ですくうと思い切りよく自分の顔へとなすりつけた。 木の葉や草を適当にむしると握りつぶし、その液体も体にすりつける。 「別に完全に見えなくなる必要はないんだ。ほんの少しでも背景に溶け込んで、ほんの少しだけ見えにくくする。一瞬でも相手がこちらを見失ってくれれば、その一瞬で勝機が見える。……これで、よし。さて、あんたも……」 「うにゃーーー!!!!!」 チェキータは暴れた。 思い切り暴れる。 スゲー暴れる。 白い毛皮に泥なんかぬらせてたまるものかー! 泥を猫の毛皮に塗ったくろうとした瞬間、チェキータは危険を察知して目覚め、思い切り腕を振り回した。 伸ばした爪がテオドールの腕にぺしぺしと赤い線を刻む。 「痛っ、痛いっ!? 暴れるなっ、分かった! 分かったから! やらないから!」 「ふーっ、ふーっ」 「でも、こんなジャングルだと、お前、目立つだろう」 テオドールの言葉は正しい。 緑と茶色の積み重なったジャングルにおいて、白銀の毛並みは異様に目立つ。 今もぺろぺろと毛繕いをして光沢を増しているから、なおさらだ。 うにゃー、と鳴いたチェキータは首をかしげ、次に尻尾をブンと振る。 ぱちん、と何かがはじけたような音がして、思わず振り向いたテオドールの視界には真っ白に凍りついた水たまり。 さらに、どんどんとチェキータの尻尾が振るとジャングルのあちこちで同じように炸裂音が響き、緑と茶色のコントラストに白銀の水玉を織り込んだ。 「あー、なるほど。確かにこれなら」 うんうんと頷く。 チェキータの白い毛皮は目立つが、同じような感じで白く目立つ場所を作ってやれば、狙い撃ちにはされにくいだろう。 納得したテオドールではあったのだが。なんとゆーか、こう。戦う前からすっごい疲れた二人だった。 「おい」 木の上で、生首ことロスが声をあげた。 「あんだよ」 木の下で、首なしゾンビことレイルが応じる。 二人(仮)がケンカをしたのは先ほどの事。 「貴重な訓練をお前なんかと受けることになるとはな」「それはこっちのセリフだ」「フン。能無しの脳無しが俺なしでやっていけるのか?」「うるせえ、口だけの野郎の出る幕じゃねぇんだ」「おいおい、戦いが頭脳なしで勝てると思うなよ」「ああああ! 金輪際お前と一緒には戦わん!」「フン、後から泣いて謝るんだろ」「誰がそんなまねを!」「お前みたいなお荷物を運んでいられるか!今日こそはキレたぜ!」「いいさ!置いていくがいい!うすのろの肩に乗るよりは木の蔦に絡まっている方がマシってものだ!」 ……などなどと口論が過ぎた結果、レイルに思い切り放り投げられた生首、つまりロスの方は木の枝に引っかかり、レイルはレイルで結局、ロスの視界の周辺をうろうろすることになっていた。 「お前のようなグズに教えてやるのも癪だが、対戦相手がこちらを発見したようだぞ」 「ふん。お前などいなくても一人で戦ってくれるわ」 首無しの体が、どこから発音したかはさておき、そう豪語した瞬間に。 さくっと肩口に短剣が刺さった。 ぷしゅっと吹きだした血を慌てて押さえ、止血する。 おろおろするレイルに、ロスが冷徹な声をあげる。 「ウスノロが。私の言う事を聞かないからそうなるんだ」 「先に言うべきことがあるだろう!」 「馬鹿に垂れてやるほど私の言葉は安くない。ほら、本命が来るぞ」 木の上から眺めているロスには、肩にチェキータを乗せたテオドールが樹の上から一直線に駆け込んだ。 レイルの足元に着地し、しゃがんだ姿勢のまま、地面スレスレの位置を水平に蹴る。 ――「跳べ! レイル」 跳躍で避けられた水面蹴りの次は、余勢を駆って回し蹴りへと繋げる。 ――「次はしゃがめ、ぐずぐずするな」 が、非常なタイミングで避けられたため、テオドールの足が地面の泥ですべる。 ――「ほら、反撃チャンスだ」 レイルが何かを振り下ろすような仕草をした後、テオドールの頭部にごいんと鈍い衝撃が走った。 ――「バカ! 一撃で仕留めないでどうする!」 衝撃を殺しきれず、視界がぼやけたテオドールに、再びレイルが何かを振り下ろす動作を行った。 ――「後ろだ。おい!」 がしゃぁん、と何かが割れる音がした。 地面にきらきらと光る破片が散らばった事で、ガラスのようなものを叩き壊したのだと理解する。 にゃあ。 鳴き声がひとつ。 チェキータが氷の盾を張り、レイルの攻撃を受け止める。 当然、氷は砕けるが衝撃は殺せた。 同時にテオドールは数歩の距離を跳躍して、身構えなおす。 ――「まったく、千載一遇のチャンスを不意にするとは。アドバイスの甲斐もないやつだ」 「ロス、てめぇ! さっきから頭の上でごっちゃごっちゃごっちゃごっちゃと、やかましいぞ!」 ――「ところで仲間のアコナイト君はどこへ行ったんだ?」 生首、ロスが首を器用にかしげた瞬間に。 いつのまにやら豹のように巨大化したチェキータが渾身の体当たりをかます。 ぐげっ、となんだか面白い音が肺から漏れると、レイルが吹き飛んだ。 ――「ふん。ほら見ろ。私がアドバイスしてやらなきゃそのザマじゃないか」 レイルを体当たりで吹き飛ばしたチェキータはすぐに体を猫のサイズに縮め、木々の中へと逃げ込む。 ぴくぴくと痙攣するレイルの姿に、ロスは「まったく情けないやつだ」とため息を漏らした。 これでトドメだ、とテオドールが短剣を構える。 相変わらず痙攣して動けないレイルに刃先をつきつけようとして、彼の背筋にぞくっと悪寒が走った。 己の本能に逆らわず、テオドールはとどめのチャンスを一瞬で捨て、付近の木へと飛び上がった。 「お・ま・た・せー♪」 繭のような蔦の籠からアコナイトの姿が出てくる。 魅惑的な女性の姿は彼女の本体ではなく、蔦こそが本体であるが、とは言え、人間型の顔は散々にアピールする。 「やぁアコナイト君。どこへ行っていたのかな。ああ、君がいない間に私の情けない相棒はご覧の有様だが気にすることはないよ」 「大変ねぇ。そろそろ私も混ぜてくれるかしら?」 アコナイトが腕を広げると、樹海の木々から鋭い蔦が飛び出てきた。 太い幹を幾重にも巻き、テオドールの、チェキータの、ついでにロスとレイルにも蔦が襲い掛かる。 咄嗟に飛び上がったテオドールの足に、チェキータがまとわりつき、その足の表面を凍結させた。 一瞬の後、凍った体表を蔦がかすめる。 凍結し、硬くなったテオドールの足は蔦を弾き返した。 「なるほど、凍らせれば毒の蔦も刺さらない。……あの、でも霜焼けしてひりひり痛い」 にゃあ。 テオドールの分も、と言わんばかりに四方八方から『肌を刺す毒』を秘めた蔦がチェキータへと迫る。 ぐるぐると取り囲まれ、チェキータの頭から尻尾まで蔦が覆い尽くした。 数秒、あちゃあ、と頭を抑えるテオドールの目の前で、蔦がぱらりと落ちる。 中にはチェキータ型の氷の彫刻。 もとい、氷付けになった本猫が、蔦から解放され地面へと着地する。 「うんうん。あたしの蔦をそーゆーふぅに防いだ相手ははじめてよ。あ、そこの人? そこらへんの木に、この『肌を刺す毒』の蔦が巻いてあるから触らないでね」 ――「だ、そうだ。おい、いつまで寝てるんだ。このでくの坊」 木の上から呼びかけるロスの声に、レイルは慌てて立ち上がる。 首無し死体が立ち上がったように見え、テオドールは「0世界は広いなぁ」と苦笑した。 「さぁて、随分待たせちゃったみたいだし? そろそろあたしの出番よね」 アコナイトが手を伸ばすと、その手の先に蔦が伸び、蔦から蕾がほころび、蕾から小さな果実を結んで、彼女の手に落ちた。 その果実にぱぱっとコショウを散らす。 ふと、どこからかスピーカーの声がした。 顔をあげるとモニターの向こうで赤ら顔のコックがこちらを睨みつけている。 『――おい花女ァ、其処に居るんだろ!?』 勝負の最中なのにねー、とアコナイトは髪をかきあげて流し目を送る。 が、相手は色気を一切を無視して怒鳴りつけていた。 「オレの料理の邪魔してんじゃねェよ、胡椒返せっての!」 『あらぁ? ちゃんと「借りるわねー」って言ってから借りたわよ? 後で返すわね』 アコナイトが言い放った直後。画面に何かが近づいたと思ったら不意に暗転し、モニターの映像が途切れた。 その黒い画面へウィンクひとつ。 コショウを散らした果実を口に含み、アコナイトはうっすらと微笑んだ。 「前の時にはまだ実験中だったのだけど、今回は『コレ』を使わせてもらうわね」 赤い果実を飲み込むと、アコナイトの体は蔦の山へと沈み込む。 「この果実に込めた毒の効果はロートスメイアの幻覚毒を応用し不安感や恐怖の無視! 副作用は体表を数万匹のヤマアラシに這い回られるような激痛! そこで毒ウミウシの麻痺毒を調整し体表の無痛化を行うの、そのための副作用として肉体の筋肉が侵食されるけれど、さらに夜叉露サンプルの超肉体強化効果を抽出・増加! 絶えられない部分は高タンパクの強制補給で補う! その他もろもろ、次々に出る副作用を解析し順次中和する! その他にも色々混ぜた気がするけどえーっと忘れた! 自分自身を毒することで単純戦闘力を劇的に上げる私の薬毒解析と精製能力の結晶、名付けて『甘露な劇薬』よ!」 徐々にテンションがあがっているのだろう。 アコナイトの体が赤みが刺し、声は非常なテンションを帯びる。 「この状態なら、さっきの『肌を刺す毒』なんてのも!」 ぶうんっ、と音がした。 テオドールの背中に太い蔦があたり、さらに激痛を与える毒が皮膚へと刷り込まれる。 「うわあああああああっ!!」 あまりの痛みに地面を転げまわるテオドールの体に、さらに蔦が迫る。 刺さるその直前に、衝撃。 テオドールの体が空に舞い、地面へと叩きつけられる。 がはっ、と肺から息を搾り出した所で、蔦に絡まれた豹型のチェキータが悶えている姿が見える。 蔦から逃がすため、体当たりで逃がしてくれたらしい。 その代償として『肌を刺す毒』が全身を侵し、ひたすらに『痛み』を与える拷問を受けている。 激痛を受けるチェキータの喉から悲鳴にも似た咆哮があがった。 その姿にロスは「怖っ……」と呟き、レイルはただおろおろとしている。 ふふふ、とアコナイトは笑みを浮かべた。 微笑はやがて、爆笑のような声に変わる。 「あはははははっ!! すごい! さすがあたし! これだけの数の毒を使えば三人まとめて相手しても、負けっこないのよ!」 ――「三人と言うのは、テオドール君とチェキータ君と、レイルのことだろうな」 「あなたも含まれてるわよぉ? おほほほほ!! この毒を使ってる間は頭脳がマヌケになるけど、この際どうでもいいの! 数も長さも力も増えた蔓で森ごと蹂躙してあげるわ! そういえば私はこんな樹に頼る必要なんてない最強の花だし! こうなった私を倒す事なんて不可能よ! 勝っても負けても5分経過すると大爆発して勝手に自滅する事を知らないあなた達にはね!!」 アコナイトの全力の爆笑が木々の海をひたすらに揺らす。 そして、その次の行動は、――当然のように。 「5分、逃げるぞ!」 テオドールの合図にあわせ、チェキータとついでに、ロスを小脇に抱えたレイルも走り出す。 樹海すべてがアコナイトの手中にあるようだった。 彼女の笑い声が四方八方から響く中。 ひたすらに走る。走る。 緑に溢れた木々が紫や青に染まり、酸っぱい香りまで漂ってくる。 不意にレイルの体がべちっと地面に伏せた。 足元の草がきつく結んであったらしい。 「せっかくの自然を罠にかえるなんて……、もったいない」とはロスの談。 「まぁ、敵チームを引っ掛けるっていう目的は達成されたかな。おっと、それどころじゃない。逃げるぞ!」 やがて。 追いつかれ、包囲され。 にゃあ、と猫が鳴いた後で。 紫の蔦が組みあげたフェンスのような柵に阻まれて、逃げ場をなくした時。 頭を抉るような無限の共鳴が響くアコナイトの笑い声を割り。 スピーカーから少年の声が響いた。 ジャングルの隅に設置されたモニターからは随分とボロボロな呉藍の顔。 『猫ぉ! ……と、テオぉ!』 言ってみれば、怪物に囲まれたこの状況でのモニターメッセージはある意味、まぬけである。 映し出された青髪の青年は、それはそれで、ぼろぼろだ。 『あははっ、モニターで見えてんぜぇ? すっげぇなぁ、森全部が敵ってかぁ? 山で荒波々木(アラハバキ)を敵に回すよーなモンだよなぁ。あははっ、無理無理。勝てねぇ勝てねぇ。なんか言ってやりてーけど、ちょっと思いつかないんだ。なぁなぁ、それ、もし勝てたらさ、どうやって逆転したか教えてくれねぇか? 大丈夫かどーかわからないけど、俺もこんだけボロボロの状態からどうやって逆転したか後で話すぜ。……なーんて、まだ考える所だけども、な!』 モニターの向こうで歓声が聞こえる。 どうやら発言者が何らかのアクションを起こしたらしい。 「にゃあ」 一声鳴いて。 おっと違ったとばかりにチェキータは首を振り、体を人型に変える。 同時に、自らの能力で生み出した吹雪をまとい、全身を薄氷で覆った。 「それだけボロボロの仲間に応援されると、さすがににゃあにゃあ鳴いていられないな」 男装の麗人の姿に変じたチェキータは端整な顔立ちに薄い笑みを浮かべる。 その横で、テオドールも短剣を抜きふぅと息をついた。 「確かに、せっかくの多様な技を持つ者と闘い己を磨くチャンスだ。……訓練としての許容範囲内で全力を尽くす。それが対戦相手の化け物達への礼儀でもある」 ――「おい、レイル。あのガキ、なんだか私達を化け物呼ばわりしていないか」 「失礼なガキだ」 ぶつくさ呟くロスとレイルを差し置いて。 テオドールとチェキータは蔦へ向かい走り出した。 そして。 ちゅどん と、派手な音がジャングルを揺るがした。 火炎の爆発ではない。 最初の一発は熟した果実が地面に落ち、その衝撃で果実が爆発した音だった。 確認する間に二度目の爆発が起きる。そして三度目、四度目。 あちこちで蔦が爆散し、やたらめったらに実った果実が手榴弾もかくやの勢いで破裂を繰り返す。 おーっほっほっほっほっ! と、アコナイトの哄笑は止まないものの、爆発のたびに「ひぎっ!?」とか「あひゃはっ!?」と言った悲鳴らしきものも聞こえる。 爆発の余波で飛ばされたのか、ひゅるるる、とロスの顔が大空の彼方へ吹き飛ばされ、レイルがあたふたとそれを追いかける。 かくて。 まるで空襲を受けているかのような爆音が響き渡ったジャングルへレイルが戻ってきた時、最初に目についたのは目をぐるぐると回して倒れている黒尽くめの世界司書だった。 「きゅぅー……」と口で言っているあたり、まだまだ余裕があるかも知れない。 ともあれ。 「おい、レイル。倒れている貴婦人を目の前にしてぼーっとしているなんて正気か? ほら、助けおこせよ」 「分かってるよ。ごちゃごちゃいうなよ。おい、司書さん。大丈夫か?」 助け起こされ、ぺちぺちと頬を叩かれた衝撃で無名の司書が目を覚ます。 「あ、あら、これは。あらやだ。助けられてるなんて、えっ、これもしかして運命? そういえばオミクジの恋愛運悪くなかったし。あらあらあらあらあらららららー。ご自分の戦闘中に助けていただけるなんて、もしかしてむめっち愛されてたりするのかしらって、きゃあきゃあ! 分かりました、愛は首無しの化け物さんとも育めるのねー!」 頬に朱を刺して騒ぎ始めた無名の司書を、とりあえず放置することにしてロスは周囲を見渡す。 きゅう、と目を回して倒れている猫型のチェキータ。 テオドールは意識を保っているものの、深手を負ったらしく蹲っている。 で、爆発の張本人たる頭脳がマヌケになっていたアコナイトはと言うと、これまた隅っこでびくびくと痙攣している。 思い切り巨大化した反動からか「お、抑えていた副作用が一気に……」とか呟いているが、これは気にしない事にする。 「おい、無名の姉ちゃん。この勝負、どーするんだよ?」 「はぁい! ええと、誰かが戦闘不能になったら終わりっていうルールなので、今、動けないのはチェキータさんとアコナイトさん。と、いうわけで、この勝負。引き分けでーす!」 「と、いうわけで引き分けか。勝てなかったのは残念だが、良い鍛錬になった。ありがとう」 テオドールは真摯に感謝の証として頭を下げる。 「こちらこそ。このウスノロが役に立てず申し訳ない」 「おいロス。誰がウスノロだ」 「この場にウスノロはお前しかいない」 「あんだと、コラ!?」 再びケンカを始めた二人(仮)にテオドールは苦笑する。 振り返り、仲間だったチェキータに挨拶しようとして。 さっきまでそこに倒れていた白いもふもふの猫がいなくなっている事に気がつく。 おかしいなと目をやると、白い毛皮を血に染めたチェキータが、何故か忍び足で逃げようとしていた。 「どこへ行くんだ?」 びくぅっ! と白い毛皮が跳ねる。 跳ねた勢いで猫から豹へ、豹から人へ。 人の姿になり「こ、こんなものは舐めていれば治るんだ! あの医務室はもういやだー!」と叫び、再び猫へ。 ケガをしているわりには元気そうに走り出したチェキータの後ろ姿に「ありがとうな」とテオドールは軽く手を振った。 「で、最後の一人だが」 紫色の樹液的なものを蔦や体からどくどくと流しつつ「くるくるぴー」とか口にしてるアコナイトに近寄り、そっとタオルを差し出した。 「あらー、助かるわー」 「さっきも言ったが、いい鍛錬になった。そろそろあちこちで決着がついている頃だ。動けないなら医務室へ運ぶが、どうする?」 「医務室って、さっきあの猫ちゃんがものすっごい嫌がってたトコよねぇ」 うーん、と考え込み、やめとくわーと微笑んだアコナイトの姿からは、どうやら酷い後遺症は見て取れない。 もっともたまに言動が不確かな受け答えをするので、頭脳がマヌケになるほうの副作用はまだ続いているのだろう。 だが、まぁ、致命傷や急を要する重傷もなさそうで、ほっと一息をつく。 テオドールが解毒薬を勧めてみたものの「自分で解毒できるわー」と断られたので、竹筒を引っ込めた。 「あ、そうだ。良かったらさっきの薬品の作り方教えてくれるか?」 「いいわよー。まず、根っこの第二枝あたりでちょっと酸っぱくて苦目の土の水分を吸い上げてー」 「……ええと、人間にできる方法で頼む」 それはわかんないわー、と答えたアコナイトはうふふふと笑った。 「ところで、こんなに自然豊かな場所があるのなら、永住したい。可能だろうか」 きりっとロスが言い放つ。 彼と彼の相棒の背後で。 勝負の終わった舞台、つまり今回のコロッセオの仕掛けは無慈悲にも撤収されはじめた。
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