「そういえば、ハロウィンだな」「……今年は物騒な催しは却下だ。一切認めん」 神楽・プリギエーラのつぶやきに、世界司書兼パティシエ兼料理人、贖之森 火城が音速で駄目出しをする。 彩音茶房『エル・エウレカ』。 訪れれば、いつも心を込めた茶と菓子、酒と料理が出される和み空間だが、いかんせん辺鄙な場所にあり、ロストナンバーたちには隠れ家的カフェとして認識されている。 ターミナル全体が夜に包まれ、あちこちでハロウィンの催しが行われた去年も、男性諸氏にとっては(一部女性も含む)阿鼻叫喚の大騒ぎを含みつつ、最終的にはハロウィンにちなんだお茶と菓子でほっこりとしたパーティが営まれた。 しかし、阿鼻叫喚の部分があまりにもアレだったものだから、火城も必死だ。「物騒とは失礼な」「あの後、妙な騒ぎを起こすなとリベル・セヴァンに締め上げられた俺とシオンの身にもなれ」「そんな些細なことは気にするな。だいたい、皆楽しんでいたじゃないか」「どう考えても些細じゃない。どうも俺とお前の認識にはかなりのずれがあるようだ」 見かけによらず押しに弱い火城は、このままなし崩しに騒ぎに巻き込まれる予感ですでに諦観の域に達しかけていたわけだが、しかし、常に火城の周辺で災厄をばらまいてくれる諸悪の根源は、「まあそう心配するな、今回はごくごく普通に皆で集まって、平穏かつ和やかに食事やティータイムに興じようというだけだ」 案外まともそうなことを口にした。「……まあ、それなら、ここを使っても……?」 そうなると、火城としても是と言わざるを得ない。 ――が、無論、『平穏』『和やか』『まとも』の部分が裏切られるのは当然のことでもあるのだった。 *「……で、なんでせっかくのオフなのに連れて来られてんの、おれ」「パーティ! ハロウィンパーティ! すてきなのです、すてき!」 ごくごく当然のように巻き込まれ、本日オフのシオン・ユングは――しかも心地よい眠りをむさぼっているところを無理やり起こされて引っ張って来られたらしい――まだ意識がはっきりしていないというか事態を把握しきれていない様子だった。 反対に、つぶらな眼がかわいいと評判のわんこ司書、クロハナはハロウィンパーティという言葉に興奮することしきりだ。四足でテーブル付近を駆け回り、ちぎれるほどしっぽを振っている。「えーと、要するに『エル・エウレカ』でハロウィンパーティやるから手伝え、みたいな流れか……?」 どうにか状況の把握に努めるシオンの傍らで、「ハロウィンにはヒトならざるモノが跋扈するため、それらに気づかれないよう自分たちも仮装をするのだと聞いた」「ああうん、それはそうみたいだな。仮装してティーパーティならまあ、アリだろ」「さらに、食い物もおどろおどろしく血まみれにすることがハロウィンの流儀らしい、と」「ああう……んん!? いやいやいや、どこ情報よそれ、」「万聖節を真紅に染め上げる……何とも背徳的で耽美じゃないか」 明らかに一般的ではないハロウィンパーティの計画がとつとつと語られる。「いや、ちょ、待て、そんなとこで背徳とか耽美とか追及すんな。そういう妙な騒ぎは困るっていうか去年リベル姐さんの前で小一時間正座させられた俺と火城の身にもなれっていうか、」 一瞬、昨年の悪夢というか足の痺れまでがよみがえり、思わず顔色をなくすシオンだったが、「そんなわけでトマトソースを準備した」「えっ」「わたしは苺ソースもいいと思うのです! 辛いものが好きなら、スイート・チリソースも!」「えっ。……あ、そういうことか」 大体の趣旨を理解してほっと息を吐いた。 要するに、赤系統のソースを使って、菓子や料理をハロウィンの装いにしようということであるらしい。「まあ、そういうのだったら面白いんじゃね? トマトソースと苺ソースの合う食い物つーたらオムレツとかパンケーキ辺りか?」「そうだな、ちょうど都合のいいことに、ゲールハルトがミラクルエッグなる猛烈に美味な玉子を百ばかり手に入れたそうだから、皆に玉子を使った料理をつくってもらうのも楽しいかもしれない」「ミラクルエッグてすげぇ名前だな。どんだけ美味いんだそれ」「味もさることながら、食べると小さな奇跡が起きることから名づけられたらしい」「へえ、ちょっとしたお楽しみってとこか。じゃあ、そんな感じで募集――は、あんたのことだからかけてんのか、もう」「もちろん。ゲールハルトももうじき来るはずなんだが……遅いな」「え……なんかあったのか」 その時、なぜか嫌な予感がしたシオンだったが、この連中とかかわっている限り『嫌な予感』が予想の斜め89度上を行くことはある意味自明の理でもあり、後日遠い眼でその時のことを回想している彼の姿が目撃されたという。 *「困ったことになった」 呼びかけに応じて集まった人々を前に、重々しい口調で神楽が切り出す。「今回のメインとでもいうべき玉子を持って帰るはずだったゲールハルトが」 あまりの重々しさに、まさか何か事故にとか、最近頻発している旅団関係の事件に巻き込まれたのかとか、深刻な事態を想像した参加者たちは、「……魔女衣装をけなされたとかで拗ねたらしく、玉子ごと岩屋にこもって出て来なくなった」 突っ込みどころが満載過ぎる『困ったこと』に、各自エア裏拳を炸裂させる作業に勤しむしかなくなるのだった。「なんであの衣装のまんま……」「? ハロウィンで魔女衣装と言えば正装だろう?」「あー。それでけなされた? つーか、単純に全力で突っ込まれただけなんじゃねーのそれ」「ていうかなんで岩屋……」「いや、都合よくそのあたりに」「ちくしょう、チェンバー万歳!」 誰かが二度目のエア裏拳を放つ中、「ということでミッションをひとつ追加だ」 すでに疲労感のにじむ声音で火城が概要を説明する。「慰めるなり説得するなり籠絡するなりして、岩屋とやらにこもったゲールハルトから玉子を奪取してきてくれ。もうこの際だから力ずくでも構わないが、あいつは腕も立つからどうなるかは正直俺にも判らない。それに、気持ちが高ぶっているだろうから、例のあれを食らう確率はかなり上がると思う」「んで、無事に帰れたら、つーか無事じゃなくても戻ってきたら各自で玉子をメインにした料理な。赤系統のソースが合うやつ。菓子でもいいぜ。まあ、料理苦手でもなんとかなるだろうけどさ。あ、リクエストとかあったら聞くからな?」「わたしも! わたしもお手伝いするのです! おいしい料理、赤くてきれいなお菓子も、楽しみ!」 同じく声に若干の疲れがうかがえるシオンと、全身全霊で期待感を表現するクロハナ。 できれば平和なお茶会に参加するだけにとどめたいのが人情というものだが、どうやら状況がそれを許してはくれないらしい。 そんなわけで、「とりあえず、……その、健闘を祈る」 どこか投げやりな火城に見送られ、各自、ため息をつきつつ、ある種の危険を伴う『戦い』へと赴く羽目になるのだった。
1.あれやこれやで来ちゃった人々 見上げる先にはそびえ立つ岩屋。 雄々しく荘厳な、美しいと表現して過言ではないチェンバーだったが、今のこの状況においてその美しさは何の役にも立たない。 それどころか、がっちりと閉ざされたその向こう側に、魔女ッ娘衣装に身を包んだおっさんが閉じこもっているのかと思うと脱力感ばかりがこみ上げる。しかも、下手をしたらそこに突入してミラクルエッグなる今回の主役をゲットして来なくてはならないとなるとなおさらだ。 ――何せ、このおっさん、気持ちが昂ると万人を魔女ッ娘化させてしまうビームを放つというはた迷惑な体質なのだ。 しかも当人は本物の魔女で、その血に誇りを持っており、魔女ッ娘化した(させられた)男性諸氏の心痛が理解できないと来た。 ところ狭しと展開される突っ込みどころに、普通のハロウィンパーティに参加するつもりだったはずが巻き込まれてここにきてしまった人々からはぽろぽろとため息や愚痴がこぼれる。 はあああああ、と盛大に息を吐き出すのは、端麗な和柄のパーカーとスリムなジーンズに身を包んだ青年だ。名を晦という彼は、稲荷神の血統を継ぐ狐の一族である。狐耳に尻尾で狼男ならぬ狐男の仮装……と見せかけて、どちらも自前だ。 彼の持つ、神秘的かつ独特の雰囲気と、眦に入った朱が、エキゾティックな美を醸し出している……が、 「パーティて聞いて来たっちゅーのに、なんでわしは岩屋の前におるんやろ」 きりっと引き締まった凛々しい口から発せられるのはツッコミばかりだ。 「ちゅーかコレどないせぇ言うねん……あれか、故事に則って岩屋戸の前で三日三晩舞でもやれ言うんか! 出てくんの太陽神どころか女装したおっさんやないか! 欠片も嬉しないわ! そもそもええ歳こいたおっさんが女装貶されたくらいで拗ねんなやほんまじゃまくさいわああぁ!」 ボケのひとつも取りこぼすまいとでもいうように、頭をかきむしらんばかりの勢いで岩屋をだすだすと叩く晦の傍らでは、黒いとんがり帽子、少し裾を引きずる程度の黒ローブという仮装をした福増 在利が、 「僕もハロウィンパーティって聞いて来たはずなんですけど、なんだか嫌な予感が……」 微妙極まりない表情で岩屋を見上げ、アンニュイなため息をついている。 「えっとその、うん。人のことですからとやかくは言いませんけど、もうちょっと自分に合う服を選ぶべきじゃないかと……いや、実際にはまだ目にしたこともないんですけどね? ゴスロリワンピース姿の四十路のおじさんとか、言葉にしただけでアウトのにおいがぷんぷんしますよね?」 良識人かつ苦労人の在利からは、ごくごく常識的なツッコミが発せられるものの、残念ながら勢いに難があり、 「ハロウィンパーティを華々しく開催するのです。ゼロはそこで、師匠に最近の魔法訓練の成果を見てもらうのです」 魔女ッ娘という障害など欠片も意に介さない――当人は窮極の美少女ゆえ違和感もない――シーアールシー ゼロや、 「おお、おぬしはかような鍛錬をしておるのかえ。かわゆい外見をしておるが、探究心と胆力を持つようじゃ」 「お褒めの言葉、ありがとうなのです。逸儀さんは魔女になりに来たのです?」 「ふむ、美しい我が魔女になったとて似合うばかりで面白くもなさそうじゃがの。何、美味いモノを食える機会は逃さぬ主義での」 楽しげに眼を細めた逸儀・ノ=ハイネ、 「正装なら問題ないはずなのに……なぜだ? 貶した人には別の好みがあったのか? 耳飾りか何か足りなかったのか? なんにせよ、人の大切なものを貶すのはよくない。これはその貶した者を探し出してプチッと懲らしめるしか……」 リアルすぎる返り血つき、というマミーの仮装をしたナウラ――プチッて何すんねんその音めっちゃ怖いわ!? というツッコミが晦から飛んだ――、 「……ゲールハルトさんの心痛を一刻も早く癒さなくては」 真面目に、真摯に、懸命に、真正面からゲールハルトを案じているテオドール・アンスランなどの面子には、緑蛇竜人の薬師のツッコミが届くことはないのだった。 「そういえば、ゼロは仮装をしておらぬのだな?」 常日頃から外連味あふれる衣装ゆえ、いつもとは違う格好を……と、西部劇に出てきそうなガンマンの出で立ちをした逸儀が言うと、ゼロはこくりとうなずいた。 「パーティが進めば皆魔女ッ娘服になると思うので普段着なのです」 「やめてその予言っぽい台詞!? 口に出したら本当になっちゃいそうだから!?」 「予言ではないのです。自明の理というものなのです。……怜生さんもここに来たのはそのためではないのですか? きっと、似合うと思うのです」 「似合いたくねぇっつーかたとえ似合ったとしてもピクリとも嬉しくねえぇ……!」 普段は周囲を翻弄する立ち位置にありながら、今回は全身全霊でツッコミに回るしかなさそうな桐島 怜生が悲鳴交じりの裏拳を放つ。 その肩を、相沢 優がぽんと叩いた。 振り返れば、くせのない爽やかな顔には、諦観めいた笑みが浮かんでいる。 ハートのジャックの仮装が似合っているだけになおさら虚しい。 「ゼロはたぶん本気で似合うと思ってるから」 「ゼロは優さんも似合うと思うのです」 「矛先こっち来た!? いやうん、出来れば俺もあんまり似合いたくないかなあって……まあいいや。最初から飛ばしすぎたらこないだのシオンさんみたいにツッコミ過労死する。いや死んでないけど」 「まあでも、俺よりは優のほうが似合うだろうな。ってことでいざってときは盾よろしくぅ!」 「ははは、いやだなあ怜生さん、盾にされそうになった瞬間羽交い絞めにし返してもろともに食らうに決まってるじゃないか」 「最初から相討ち狙い!? やばい、目が本気だ……!」 「当然です。最初から最後まで、徹頭徹尾ツッコミしかないこの状況で他にどうしろと。……っていうか、うん、まず突っ込むべきは、ミラクルエッグと料理につられてつい参加しちゃった自分に、なんだけどね……」 フッとニヒルに笑んでみせ、優は岩屋を見上げた。 「とりあえず、どうしましょうかね、これ。玉子を手に入れないと何も始められないわけだし」 非常に美味で、小さな奇跡をもたらすと言われるミラクルエッグに興味がないと言えば嘘になる。それを使った料理や菓子で、皆と楽しいひとときを過ごせるとなるとなおさらだ。 「確かに、ミラクルエッグは見てみたいしなあ」 「わしは酒が飲めればそれでいいがのぅ。しかしまあ、うまいつまみがあれば酒が進むのも道理。どうにかして手に入れるしかなかろうのぅ」 方法を模索する優の傍らで、がっはっはと豪快に笑ったのはドワーフ族の重戦士、ギルバルド・ガイアグランデ・アーデルハイドだった。ドワーフらしいといえばいいのか、鉄板をふんだんに使用したゴーレムの仮装をしている。 「しかしまぁ、魔女化光線か。噂には聞くが……はた迷惑なやつじゃ。というか、百個もの玉子を持ったままなのかよ……」 楽しい催しを堪能できればそれでいいというギルバルトだが、そのためにはどうしても危険を冒さねばならないわけだ。 「さて、どうやってやつを引っ張り出すかのぅ?」 「岩屋に隠れてるってことは、相手からこちらの様子はまったく判らないってことですよね? となる、とやっぱり興味を引いて顔を出しちゃうような音を出すべきだと思うんですよねー。視覚が効かないなら聴覚で釣るしかないっていうか」 在利の言葉に大きくうなずいて、 「師匠、聞いてくださいなのです! ゼロは寿限無のフルネームを刻んだ砂粒の創造に成功したのです。次は般若心経を刻んだ砂粒を作るのです。いつの日にか世界群の全書籍をひとつの砂粒に刻むことを目指して歩み続けるのです! そのために、師匠にまた指導をお願いしたいのです!」 ゼロが岩屋を叩きながらゲールハルトを呼ばわる。 感覚の鋭いものには、彼女の呼びかけに応えるようなタイミングで、なにかがごそごそと動く音が聞こえたかもしれない。 しかし、それ以上、それ以外のことは起きず、 「ふむ……面白そうじゃのぅ」 くすくす笑った逸儀が、 「ゲートハルトと言うたかえ? 我とあーそーぼー。……ふむ、ダメっぽいの」 冗談っぽく呼びかけてみても、反応はなかった。 「つつがなくパーティを執り行おうと思ったら、早めにゲールハルトさんに出てきてもらわないとまずいよなあ」 「まあ、そうかもな。百個以上の玉子だろ? ケーキとか焼く場合、時間もかかるだろうし。拡声器とか持ってきて熱烈にアピールしてみるか?」 ああでもないこうでもないと議論する――何せ、性急すぎる行動には巨大な犠牲が伴う――優と怜生に、 「……あのさ」 長袍と狐面で、去年同様適当に仮装した鰍が疲れたように声を上げる。 「どうしました、鰍さん」 「ん、どした、かじかじさん」 「あー、怜生君はあとで体育館裏に来なさい。いや、すげー根本的なこと言うけど、別にイースターでもないんだから、玉子なしでもパーティって開けねぇ?」 「えっ」 「えっ」 「えっ何その『今初めて気づきました』みたいな驚愕の顔」 「いや……セオリーをぶち破るかじかじさんは勇者だな、って。それこのミッションの意味丸無視じゃね?」 「丸無視してでも護らなきゃいけないものが男にはあるだろ」 「うわ超真顔。確かにそうですけど、でも俺、ミラクルエッグには興味があるんですよね。どんな色やかたちをしてるんだろ? とか。味はどんなのかとか、どんな料理が一番合うのかとか、奇跡ってどんなのかとか」 「あー……まあ、それは、な」 触らぬ魔女に祟りなし。 切なくなるような至言ではあるが、今回に限って言えば、触れなければほしいものは手に入らないのだ。 「なんだ、鰍は食べてみたくないのか? ひと口で笑みがこぼれ、ふた口で幸いのなんたるかを知り、三口目に奇跡を引き起こすと言われるミラクルエッグに興味はないと?」 成り行きを見守っている風情の神楽に言われ、更に心が揺らぐ。 「いやまあそりゃ……歪や真遠歌にも食わせてやりたいかも、とかは思うけど」 「んじゃかじかじさんに任すわ。よろしくぅ!」 「待て待て青少年、ちょっと何言ってんのかお兄さん判んねぇわ?」 「ちょ、いたたたたたっ、人の頭鷲掴みにすんのやめて……暴力反対!?」 「暴力じゃない、無言の主張だ。ミラクルエッグがほしいのは万人共通として、同じ危機に直面すべきってのも共通だよな? 自分だけ安全圏とかなしだよな?」 爽やかにすべてを押し付けようとする怜生の後頭部を締め上げつつ、鰍は意思疎通を図る。 玉子はほしい。しかし、出来れば魔女にはかかわりたくないしビームを食らいたくもない。 「みんな、このジレンマを抱えて生きていくんだ……そうだろう?」 「ずいぶん話が大きゅうなったのぅ。じゃが、まあ、ビームとやらを喰らいたくないものもおるじゃろうし、協力しあうしかなかろうな。我なぞむしろ似合いすぎてしまうゆえ、ビームを喰らうときには筋骨たくましい巨漢にでも変化すべきやもしれぬ」 飄々とした逸儀に、神楽と同じ確信犯愉快犯的なにおいを感じつつ、鰍は岩屋を見上げる。 「しかしまあ、どんな天照だよ……これで出て来るのが綺麗な女神様ならまだもう少しモチベーションもテンションも上がるのに」 「ゼロは師匠が出てきてくれるならいついかなる状況でも最大級までテンションを上げられるのです」 「ゼロはいい子だな……」 深々とため息をつき、ゼロの頭をなでてから、 「やっぱ、天の磐戸作戦しかないか……?」 ゲールハルトの気を惹いて出て来させるしかないだろうと結論付けた鰍の後方で、 「え、男性の魔女ッ娘はないのか!? 普通は女の子がやるもの!? そ、それは……いや、でもやっぱり貶すのはよくない、うん」 魔女ッ娘にもハロウィンにも馴染みのないナウラが、驚愕の新事実に叫び声を上げている。 この子もええ子やわぁなどとなぜか関西弁でほっこりする鰍である。 2.思惑それぞれ 「獣が恐れる火を克服して人間は進化し成長した。ならば、かのビームを克服して、俺はさらなる成長を遂げてみせる……!」 拳をぐっと握り、怜生は高らかに宣言した。 三角耳とふさふさ尻尾装備の、狼男の紛争は、黙っていれば男前、の怜生にはよく似合っていたが、言っていることは正直誰にとっても嬉しくない内容で、そばにいた晦が面倒くさそうな表情をする。 「ほな好きなだけビーム浴びてきたらええやないか。そのうち慣れて、新たな道に目覚めるかもしれん」 「あ、そういう新世界の扉を開くのは却下です」 「はぁ!? ほんまじゃまくさいやっちゃなわれも」 「あ、どうも、よく言われます。いやあ、照れるなぁ」 「言うとくけどいっこも褒めてへんぞ」 「えっ!?」 どこまで本気なのか判らないやり取りを繰り広げるふたりの傍らを行き過ぎ、ゼロが岩屋へと歩み寄る。 万人に窮極の美少女と認識されるのに誰ひとりとして心を動かされも魅了されもしないという不条理な外見の少女であるが、銀色の大きな眼がまっすぐに岩屋を見つめる様などは、確かに美しかった。 「師匠、聞こえますか。ゼロは師匠を説得するのです」 こつこつと岩屋を叩き、ゼロは言葉を重ねる。 「ターミナルにはまったく異なる法則の世界で育まれた多様な文化が集まっているのです。その中には綺麗な魔女ッ娘服が何等かの重大な禁忌に近いような文化もあると思うのです。玉子料理を作り、けなした相手にご馳走するというのはどうでしょう? これは相手に、師匠のみならず魔女の懐の広さを見せつけることにもなりますし、美味な食物を分かち合うのは友好の表現として多くの世界で有効とされているのです。玉子が相手の禁忌でなければ、岩屋に篭るより有意義だと思われるのです」 窮極の地味美少女から発せられる、冷静で理論的、かつ真摯な言葉の数々。 ゼロの、普段の天然っぷりを知る人々からも感じ入った声が上がり、彼女の無意識ボケに全ツッコミを入れる気満々だった優も微笑んでゼロの肩をたたいた。 ? といった表情で自分を見上げてくるゼロに笑みを向け、優もまた岩屋に向かって話しかける。 「ゼロの言うとおりですよ、ゲールハルトさん、そこに閉じこもってたって仕方ないですよ。何があったのか話してくれたら、俺たちもいっしょに怒ったり哀しんだり出来るかもしれない。せっかくのハロウィンじゃないですか、パーティで皆といっしょに楽しい思い出をつくりましょう、ね?」 「ゼロもそう思うのです。師匠といっしょにハロウィンパーティを華々しく開催したいのです」 うんうんと大きくうなずくゼロ。 それが見えているわけでもないだろうが、岩屋の向こう側で何やら物音が聞こえる。羆の咆哮を髣髴とさせるうめき声が聞こえたような気もするが、誰も聞きたくなかったのでスルーした。 「ええと……」 ひとまず反応があったことは確かなので、畳み掛けるように在利が話しかける。 「あの、衣装を変だとか言われたようですけど、その人の感性がおかしかっただけかもしれませんし? ここは今たくさんの人いますから、判断基準も公正だろうと思います。だから、ちょっと姿を見せてくれませんか? 僕たちで本当に変か……じゃなくて、似合っているかどうか確かめますので」 視覚で引っ張り出すことが不可能なら聴覚に訴えかけるしかない。となると、ゲールハルトがつい出てきてしまいそうな言葉を重ねて自発的に岩屋を開けさせるのがベストだろう。 ――という考えからの上記の言葉に、 「なあ在利、それ、全身全霊で突っ込むしかなかったらどないすんねん……おっさん今度こそ引きこもって出てけぇへんなるぞ」 「えっ……それは、ええと、頑張って似合ってるって言いたいです。いや、言います」 「めっちゃ決死の顔しとるやないかい」 晦からは一連のツッコミが飛ぶ次第である。 ナウラはというと、魔女とは女子がなるもので、魔女の衣装を身に着けた四十路の男性はマイノリティだと聞かされて少々動揺していたが、文化や伝統としては尊重されるべきという思いから口を開いた。 「その……私は魔女のことをよく知らないし、ブルグヴィンケルさんのことをすべて理解しているわけでもないけれど、大切なものを貶されれば哀しくなるのは当然だというのは判る」 自分に当てはめてみれば、あの懐かしい探偵社の人々を、己の世界には存在しないものだからと馬鹿にされたとしたらナウラは哀しくなるだろうし、理解を示さない相手に失望もするだろう。 それと同じことだ。 相手と自分は違うのだという観点で、相手の身になった理解と共感なしに、お互いに判り合うことなど出来るはずもない。 「だが、魔女自体を否定されたのではないと私は思う。大丈夫だよ、あなたの誇りを踏みにじろうとしたわけではない。……それに、魔女があなたにとっての誇りであるのなら、気にすることはないんじゃないかな。素敵と言うひとたちも、寂しく感じるかも知れない」 ナウラは穏やかに微笑み、言葉を重ねた。 「ブルグヴィンケルさん、あなたも楽しみにしていたはずだ。皆と料理を作ってパーティをしよう、きっと哀しいことも忘れられる」 ナウラの呼びかけに、岩屋の向こうでまた物音がする。 何かを削るような、ごりごりという音が聞こえてきて、何名かが首をかしげた。 「ゲールハルトさん、俺は『エル・エウレカ』が好きだ。レヴィにハロウィンの贈り物をしたいんだが、やはりあそこの品を贈りたい」 朽葉色の狩衣と袴、萌黄の単を身に着け、狐の耳と尾で妖狐の仮装をしたテオドールが静かに声をかける。 「あんたに、いっしょに選んでもらいたいんだ。だから、出てきてくれないか」 テオドールは、ゲールハルトとの付き合いがもっとも長いロストナンバーのひとりだ。覚醒し暴走しかけていたゲールハルトを保護し、世界図書館へと迎えたメンバーなのだ。 それゆえ、テオドールは、ゲールハルトの人柄をよく知っている。 世界の違いから、テオドールやほかのロストナンバーたちが破天荒と思う行動も多いが、根本は真摯で誠実だし、人も好い。生真面目で愛情深い男なのだろうとも思う。 それゆえ、彼の誇りの根本である魔女の装束が、ゲールハルトの、魔女の血を大切に思う気持ちの象徴であることも理解できるし、尊重するべきだろうとも思っている。 「なあ、あんたにとっての魔女装束がどれほど大切なものなのか理解しているものは決して少なくないよ、ゲールハルトさん。俺もそのひとりだ……あんたは自信を持っていいと思う」 こつこつ、と軽く岩屋を叩き、 「みんな、あんたのことを心配してるし、待っている。パーティをするんだろう、早く準備をしなくては」 穏やかな、同時に明るい声で呼ばわると、向こう側からなぜかドッギャアアァン、という音源不明の音が響き、常識人の面々が思わずびくっとなる。 「あれ、何の音なんでしょう……僕、聞いたことないんですけど。ていうか、中で何が行われてるのか気になります」 「うん……何をどうしたら出る音なのかも判らないあたりがさすがゲールハルトさん」 「あ、そこはさすがっていう認識なんですね、優さん」 「在利さんも付き合いが深まればそうなると思うよ」 「えー、そんな深まり方あんまり嬉しくないっていうか……」 しかし、岩屋が開く様子はない。 「うーん、まだ足りないのかなー?」 小首をかしげる優の傍らで、晦がまたしてもはあああああと盛大なため息をつく。 「おう、ゲールハルトいうたか」 こつん、と岩屋を叩き、 「われはなんで魔女衣装着とんねん。人に褒められるためか? 違うやろ。その衣装はわれが魔女やっちゅう証やろ。自分の根本そのものなんやろ。なら、人が言うことなんぞ気にする必要ない、自分の着とるもんに誇り持ったればええねん」 嘆息交じりに、しかし確かに気遣いと励ましを込めて言葉を紡ぐ。 が、 「いうとくけどな、わしなんか、おかんに着たくもない服無理矢理着せられるんやで。なんやねん、ペット用って。小型犬サイズって。チワワみたいで可愛いとかなんやねん、ありえへんやろ」 せつない記憶を呼び起こされたのか、途中から説得が愚痴にシフトしてゆく。 「どうせわしなんぞ何百年経ってもチビのまんまって言いたいんか畜生ッ!」 更に、何かが高まってきたらしく、しまいには岩屋に額をごつごつぶつけ始めた晦を、後ろから鰍が羽交い絞めにする。 「ちょちょちょ、さすがにあんたの頭のほうが砕けるからそれ!」 「ほっといてくれ、どうせわしなんかチワワや、いやミニチュアピンシャーかポメラニアンかスピッツか豆柴か、とにかくちっこくて悪かったなああああああァ!」 「犬種詳しいなオイ!?」 小さくても生気にあふれてて可愛いよねそのへん、などと言いかけて事態を悪化しかねないことに気づき口をつぐむ。どうどう、と背中を叩いて晦を落ち着かせつつ、鰍はポケットからきれいに包装された焼き菓子を取り出し、岩屋に向かって声をかけた。 「今日はどんな衣装なんだ? 見せてくれよ」 努めて優しく話しかけ、返答を待っていると、我に返ったか落ち着いたらしい晦が鰍の手元をじっと見ていた。 「……その菓子はなんやねん」 「え、火城につくってもらった。においに釣られて出てこないかなーって」 「向こう側までにおいて届くもんなんか?」 「さあ……どうだろ。まあでも、とにかく穏便に誘い出す方針ってことで。岩屋に鍵がついてたら開錠出来たんだけどなー」 鰍がフゥと息を吐くと、ごごごごごごごご、という妙な地鳴りが周囲を揺るがせ、またしてもツッコミ常識人たちをびくりとさせる。 「……中で何が行われているんだろう。ハロウィンの儀式?」 「そうかもしれないのです。ハロウィンには悪魔カボチャ王を召喚して、からし入り激辛パイを授けてもらう習わしと聞いたのです。師匠はもしかしたらそのために……?」 「悪魔カボチャ王……ハロウィンにはそんな偉大な存在が……!」 「ゼロと師匠は、一年前にも彼を召喚すべく死力を尽くした仲なのです。あの時の情熱の迸り、ゼロは今でもよく覚えているのです」 「そうなのか! ハロウィンにはそんなドラマティックな出来事もあるのか。これは、ますますパーティが楽しみだ」 少々誇らしげなゼロと、ハロウィンのなんたるかを知らないため、すべて素直に信じて驚愕の声を上げるナウラに思い切り突っ込みたいと鰍が両手をわきわきさせるより早く、 「まったく、まだるっこしいのぅ。ならばいっそ、力ずくで行くとしようではないか。それは戦士の流儀にも適う」 ギルバルドがゴッドハンド具現化魔法で黄金の巨大な手を出現させ、のしのしと岩屋へ歩み寄ろうとしたので、常識人およびツッコミ数名、さまざまな液体を顔のあちこちから噴いた。 「ちょ、落ち着いてそこのドワーフさん!?」 「心配するな、この上もなく落ち着いておるわい」 立ちはだかる怜生をぐいぐい押しつつギルバルドが胸を張る。 「その落ち着き、ダメ、絶対! もっと別方向に落ち着いて!? 力尽くとか滅びに向かって爆走している以外の何ものでもないだろ!?」 怜生に助太刀して、いっしょにギルバルドを押しとどめつつ、鰍がどうにか思いとどまらせようとするが、ドワーフの重戦士は首をかしげるばかりだ。 「だが、他にどんな手があるというのだ? こうなれば拳と拳で語らうしかあるまい」 「いやまぁそれはそうなんだけどさ……それとこれとは話が別っていうか……」 「こらこら押し負けるな怜生! ビーム喰らってもいいの!?」 大事なのはそこだ。 というか、そこ以外にはない。 「むう……」 さすがのギルバルドも、例のアレを喰らうのはありがたくないらしく、低いうなり声を上げて黄金の手を消した。 「しかし、ギルバルドの物言いももっともじゃ。いかようにしてゲールハルトを岩屋から誘い出し、穏便に玉子を手に入れる?」 逸儀が至極もっともなことを言い――ちなみにこの妖狐は一連のやり取りをくすくす笑いながら傍観していた――、ツッコミ役の面々は口をへの字にせざるを得ない。 と、 「さっき晦も言ってたけど、もう、こうなったら天岩戸作戦しかないだろ」 怜生がぽんと手を叩き、持参したミュージックプレイヤーを掲げてみせた。 「ほう、それはどういった内容の作戦なのじゃ? 面白そうなら我も乗るわえ」 「日本の神話から来てるんだけど、岩戸の奥に隠れた女神様を、楽しそうな音楽とか笑い声で誘い出すんだ。女神様がちょっとだけ岩戸を開けたら、力持ちが一気に開けて連れ出す、っていう」 「ほほう、それは楽しそうじゃの」 「……まあ出てくんの女装したオッサンやけどな」 「やめて、心が折れるからやめて!」 「まあ俺も最終的にはそれしかないとは思うんだけど、この作戦、誰が岩屋を開く役やんの? そこそこ力がないと難しいよな?」 「そうなると、見た目の判断で申し訳ないけど……俺とか怜生さんとか鰍さんとか晦さんとかギルバルドさんとかテオドールさんとか?」 「私も力仕事は得意だ、出来ることがあれば言ってくれ」 「そうか、それは心強い。……でも、それって要するに、ビームを浴びる可能性が高い、最初の犠牲者候補ってことだよな? ああ、言い出しっぺの怜生がやるなら問題ないんだけど。っていうかその方向で調整しようか」 「かじかじさん、ちょっと体育館裏で話し合おうか、拳で」 「ああ、いつでも受けて立つぜ……怜生にあの扉を開かせてやる」 「いやいやそんな、滅相もない。かじかじさんのほうがお似合いですよ、よっ、憎いね男前!」 ニヒルで獰猛な笑みを浮かべて拳を握る怜生、ハードボイルな笑みで応える鰍。男前ふたりがやると絵にはなるが、争いの内容は、要するにどちらが先に魔女ッ娘化するかの押し付け合いである。 「ふたりとも、今はそんな喧嘩してる場合じゃ……いやこれ喧嘩じゃないのかな。要約すると自分はやりたくありません、ってことですし」 「何という的確な把握。在利って天才?」 「お褒めの言葉をありが……あんまり嬉しくないですよねー」 ぐだぐだな空気が生暖かく流れる。 「……でも、ホント、パーティのことを考えたら、そろそろ決めないと、」 優が言いかけたときだった。 唐突に、ごおん、という重々しい音が響き、 「師匠」 「ゲールハルトさん」 先ほどから岩屋をじっと見守っていたゼロとテオドールが小さく名を呼ばわった。 「え……えええ!?」 振り向いた怜生の声が裏返る。 「いや、ちょ、そ……」 いつの間にか、岩屋は大きく開け放たれていた。 それだけならまだいい。 魔女ッ娘衣装の四十路おっさんが雄々しく佇んでいるのもまだ予想の範囲内――できればあまり予想したくなかったが――だ。 しかし。 「なるほど、師匠は先ほどからそれをつくっていたのですね。さすがは師匠なのです」 そこに立っていたのが、膝上20cmの魔女ッ娘ゴスロリワンピース(衣替えでもあったのか、黒とショッキングピンクを基調にした眼に痛いカラーリングだった)に均整のとれた筋骨隆々たる身体を包み、直径1メートルを超える巨大カボチャのランタン――異様にリアルな彫刻がしてあるうえ、何故か口元から血が垂れている――を五つばかり抱えて仁王立ちしたオッサンとなると、また少しビジュアル的な意味での覚悟が違ってくる。 脚や腕の無駄毛の処理がしてあることに気づいてしまうと、いろいろなものがへし折れそうだ。 「うわあ……想像してたよりアウトっぽ……いやいや、大丈夫大丈夫、行けます、うん」 半ば必死の、在利のつぶやきと、 「こないに嬉しない予想の裏切られかたって久しぶりやわホンマ。いやー、猛烈に眼に沁みるわコレ……」 いっそ晴れやかですらある晦の声が、むなしくチェンバーの片隅に響く。 3.涙なしには語れない(しかし結局通常運転) 姿を現したゲールハルトは、ひどく穏やかな表情をしていた。 そこだけ見ればすごい男前なんだけどなー残念すぎるわーと鰍がけだるげなため息をつく中、 「……私は幸せ者だ」 重低音の美声が、穏やかに言葉を紡ぐ。 「こんなにも、至らぬ私を気遣い、励ましてくれる人々がいるのだから」 「師匠……」 ゼロが美しい眼差しでゲールハルトを見つめ、微笑んだ。 「ゼロ殿の言葉、我が胸に沁みた。他のかたがたの思いやりもだ。――御礼を申し上げる」 「いいえ。ゼロは弟子として当然のことをしたまでなのです」 師弟のやわらかいやり取りに、正直、全員がホッとしていた。 この分なら、穏便に玉子を手に入れて戻れそうだと思ったからだ。 ――が、しかし。 もちろんそのまま終わるはずなどなく。 「ご迷惑をおかけいたした。手間を取らせて申し訳ない……かくなるうえは、ハロウィンパーティを素晴らしきものにすることで恩をお返しする所存だ。では、ミラクルエッグを『エル・エウレカ』に」 「ああ、そのためにランタンをつくったんですね。夢に見そうなくらいリアルだけど、万聖節の意義から考えれば大きな問題でもないか」 よし無傷でミッションコンプリート! と、優と鰍、晦と在利が拳を握ったりホッと胸をなでおろしたりする中、ゲールハルトにつかつかと歩み寄ったのは怜生だった。 「ん? 怜生、いったい何を……」 いぶかしげな鰍の言葉も聞こえているのかいないのか、ゲールハルトの目の前で立ち止まった怜生は、 「バカっ!」 叫ぶや否や、ゲールハルトの頬を思い切り張った。 ズッギャアアアアンンン、という、明らかに人体を叩いた効果音としてはおかしい音が響き渡り、常識人たちがまたしてもびくっとなる。 「ちょ、ナニやってんの怜生!?」 「怜生さん!? ていうか今の音は何!?」 「せっかく丸ぅ収まりそうやのに何やっとんねん!?」 ツッコミ御三家、鰍・優・晦の裏拳が炸裂する。 ゲールハルト本人は、叩かれたダメージなど微塵もなく、ただ不思議そうに怜生を見つめていた。 「怜生殿……?」 「目を覚ませ! 魔女の正装だって言うなら、他人から何と言われようとも恥じるな! そうやって拗ねるから、お前自身も魔女の正装を恥じていると言わせる隙を与えているんだ! 誰に何を言われようとも、堂々と雄々しく魔女らしく仁王立ちでもして見せ付けてやればいいだろう!!」 当人も仁王立ちでまくしたてる。 「――――俺はごめんだけどな!」 「そこ言わんかったらええ話で済んだのにな……」 「つか、確かに正論っちゃ正論だけどなんで今あえてそれを言う!? どう考えてもフラグ立ててるっていうか、押しちゃいけないスイッチを押しまくってるだろ!?」 拳を握りしめ、ぷるぷる震えだしたゲールハルトに危険なものを感じ、鰍は思わず怜生の胸ぐらをつかみ上げた。 が、危機的状況の先駆けとなったお騒がせ大学生は、 「あれ……俺はいったい何を……?」 きょとんとした表情で周囲をきょろきょろと見回している体たらくだ。 「いったいも何も、とんでもないことやらかしてるよ怜生さん。何、え、なんかあったの……!?」 「いや、なんか、悪魔カボチャ王ってやつに話しかけられたと思ったら意識が……あれ?」 「ちょ、誰と会話してたの怜生さん! 俺たち、そんなヒト見てないぞ……!?」 「いや、え、『お前はネタ師としての道を突き進む運命なのだ』とか言われてさ、何のことって思ってたら……え?」 「脳内のお友達と会話されても俺たち挨拶出来ねぇから!」 ハロウィンマジックとでも言うべきなのか、単なるターミナルの日常茶飯事なのか、怜生が怜生たるゆえんに過ぎないのか、周辺は一時騒然とする。 そこへ、 「あの、あれって不味くないですかね……僕、話に聞いただけなので詳しく知っているわけじゃないんですけど、なんというか、嫌な予感しかしないんですが……」 「同感。つーかこれほんまに危機的状況ちゃうのんか」 在利と晦が交互に指差す。 「いよいよ師匠の独壇場なのです」 そこへかぶさるのは心なしか楽しげなゼロの言葉、 「もしかして、これがハロウィンの醍醐味とかそういうものなのか? 何が起きるんだろう、楽しみだ」 「そうじゃな、さぞや美しいあだ花が咲き乱れることであろうよ」 どんな地獄が繰り広げられるか、実際を知らないナウラは感心することしきり、逸儀のほうは確信犯的にくすくす笑っている。 「え……」 振り向けば、視線の先には、腕の筋肉が盛り上がるほどに拳を握り締め、顔を真っ赤にしたゲールハルト。 「不肖ゲールハルト……」 明らかに臨界点突破五秒前。 「ちょ、不味……」 危険を察知した面々が顔をひきつらせて身を翻そうとするものの、時すでに遅し、である。 「感激致したッ!!」 くわっと見開かれる緑の双眸。 ちなみに、そのときゲールハルトの目の前にいたのは怜生、鰍。 その奥に晦、優、在利。 ゼロとナウラ、逸儀が横一列で、テオドールとギルバルドはその奥に立っていた。 「この歓喜の迸り……もはや止められぬ!」 「止めて、そこは誠心誠意止めて!?」 そこから放たれようとする例のアレに、 「ちょ、え、待っ……」 顔を引き攣らせた鰍がとっさに怜生を引き寄せ、その背後に隠れる。 しかし、盾にされた怜生はというと落ち着いたもので、 「ふふふ、なぜ今日の俺が落ち着いていられるかって? ――教えてやろう、てれれれん、大きめの鏡ー!」 どこかで聞いたことのあるようなメロディとともに、画板サイズの大きな鏡を取り出し、前に掲げてみせた。 「え、それホントに大丈夫なのか!?」 「うむ、ノープロブレムかつカインパブリームである!」 「それ同じ意味イィ!」 「まあそれはさておき、ビームならこの鏡で跳ね返せるはず! なぜなら俺は前回その被害に遭ったからだ!」 数か月前のお茶会で繰り広げられたもろもろを思い起こしつつ、怜生は鏡を手に身構える。あの時、某氏が跳ね返したビームの巻き添えになり、怜生は魔女ッ娘レオナちゃんとしての行動を余儀なくされたのだ。 だとすれば、今回はその経験を活かすことで危機を乗り越えればいい。 まさに、人間とは困難を克服することで成長してゆく生き物なのだから。 「すべての困難を乗り越えて、俺は更に強くなってみせる……!」 やたら男前の顔で宣言する怜生、その背後で、なんとなく嫌な予感がぬぐえない鰍。――無論、鰍の予感が的中するなどということは、むしろ運命の紡ぎだす予定調和と言って過言ではなく、 「怜生殿の熱き想い……不肖ゲールハルト、感服致したッ!」 感激のあまり頬を上気させ、目を潤ませたおっさんの眼から、純白のビームが迸る。 ごばっ。 「よし来……ええぇ!?」 跳ね返す気満々だった怜生の声が盛大に裏返った。 ――何せ、ゲールハルトから放たれたビームの直径、実に2.5メートル。 言葉にするなら『ごんぶと』だろうか。 無論、鏡でどうこう出来るレベルではない。 それどころか、 「これビームってか波動砲じゃねーのオオオオオオォ!?」 もろともにビームに飲み込まれ、鰍から抗議めいた断末魔の悲鳴が上がる。 その背後にいた、晦、優、在利もしかりだ。 晦もまたアレ対策として鏡を持参していたが、ごんぶとビームの前には何もかもが無力だった。 「眼ェからその太さのビームが出る意味とか意義を説明せぇやあああああ!」 悲鳴代わりのツッコミが炸裂し、 「ああうん、とっさに身を隠すとか……無理、ですよね……」 諦観に満ち満ちた在利の独語と、 「まあこうなると思ってたよ……気にしない、考えない、顧みない! って、抗も言ってただろ……頑張れ自分、平常心平常心! そう、現実を直視しちゃダメ、優花……って誰が優花だ!?」 優が自己ツッコミを繰り返す中、白光に包み込まれた三人が、美々しいゴスロリワンピース姿の魔女ッ娘へとジョブチェンジさせられるまでわずかに数秒。 「在利さん、とてもよくお似合いなのです。在利さんは、実は女の子だったのですか?」 ゼロからまったく悪意のない問いが飛び、 「生まれてこのかた、男子以外の性別だったことはないです……」 その場にうずくまり、顔を覆ってさめざめと泣く在利に――誰の眼から見ても似合っているという事実を知れば、もっと落ち込むかもしれない――さらなる追い打ちをかけている。 「おかんに着せられるのみならず、こないなとこでまで……ッ」 赤地に黒の、蝶と桜が描かれた華やかな和ゴス衣装に強制お着替えさせられ、ただでさえ普段からペット用の可愛いフリフリ服で屈辱を受けている晦のテンションは駄々下がりだ。 「わ……」 「どうしたんだ、晦さん。なんか、眼がマジ、」 「われを殺してわしも死ぬうううう! 覚悟せぇやああああああ!」 ものすごい涙目で、トラベルギアの太刀に手をかけ、引き抜こうとする晦改め晦日果(みそか)ちゃんを、後ろから優が羽交い絞めにした。 「ちょちょちょ、待って待って、さすがにそれはまずいから! ホントに赤に染まっちゃうから、このハロウィン!」 「離せ、離してくれ! 後生や、せめて一太刀なりと報いてから死なせてくれ……これがわしなりのケジメのつけかたなんや……!」 「落ち着いて、そんなケジメつけないでー!?」 布も仕立ても質のいい、ゴシック&ロリータとはかくあるべき、といった印象のワンピース姿の青少年ふたりがもみ合う様は、ビジュアル的に言っても相当なハイインパクトぶりだが、当人たちは必死である。 「うわー……こ、これは、その……」 一方、少し離れた位置にいたおかげで難を逃れていたナウラは、どう表現すればいいのか判らないあだ花たちの打ちひしがれっぷりに、思い切り挙動不審に陥っていた。 「何を口にしてもまずいことにしかならない気がする……!」 幼いながら聡明なナウラには判っていた。 余計な口出しは(ある種の)死を招く、と。 「ええと、ええと……そうだ、きんもくはちん! こうなったら、もう、これを実践するしか……!」 「動揺のあまり文字位置が変わってるよナウラ! 漢字を当てはめて意味を想像すると生暖かい笑みが浮かぶよ!」 必死で晦をなだめつつ、優がツッコミを飛ばす。 八面六臂の大活躍とはこういうことを言うのかもしれない。 そこへ、追い打ちをかけるように、 「師匠! 今日の光線はいつにも増して素晴らしいのです! 師匠の、魔女に対する尊崇の念と誇り、そしてたゆまぬ努力を、ゼロは見習いたいと思うのです!」 悪気0かつ死刑宣告度100%の賛辞がゼロから飛び、 「なんと……ッ!」 感涙にむせんだゲールハルトがぐるんと振り向く。 ――ごんぶとビームを射出したままで。 視線の先には、ゼロとナウラと逸儀、その背後にギルバルトとテオドール。 直径2.5メートルのビームで薙ぎ払われたにひとしいわけだから、当然全員が飲み込まれることになり、 「……ッ!?」 声なき悲鳴があちこちから上がる。 光が収まってみれば、そこには、艶やかにして美々しいあだ花たちが棒切れのように突っ立っているのだった。 もちろん、ゼロや逸儀などは違和感もなく、むしろその美しさを引き立てるばかりだが、妖力をまとわせた扇で打ち払う心算でいた逸儀は若干不本意そうだ。ビームは扇で弾き飛ばされるどころか、むしろ妖力に引き寄せられるようにして逸儀を包み込んだのだった。 「……むう、妖力では跳ね返せぬのか、これは。なるほど、親和性の問題か……勉強になったのぅ」 しかし、すぐに気を取り直し、 「しかし皆美しいのぅ。我などかすんでしまいそうじゃ!」 『ゲールハルトの機嫌を直すため』という名目で、笑いをかみ殺しつつ皆を全力で褒めたたえる逸儀だった。 その傍らで、明るいオレンジ色のゴスロリ魔女ッ娘姿に変身させられてしまったナウラが、かくかくとした動きで必死に葛藤と戦っている。 「ワァーフリフリダー」 ナウラはつくられた生命なので、厳密に言えば性別というものとは無縁だし、外見はどちらかというと少女っぽいが、思考そのものは少年寄りである。よって、今回のこの変身は、全力でアウトと言わざるを得ない。 の、だが、 「でも……あれ、うん……悪くないっていうか、ちょっとときめいた、……いやいやいや、ウワアーイフリフリフワフワスースーダアー」 ゲールハルトへの申し訳なさ、とんでもねー衣装を身に着けさせられた羞恥心、目覚めかけた何か、戦士としての矜持などにもみくちゃにされた、ナウラもとい菜宇美さんの動揺や半壊ぶりは同情するに余りある。 「ウフフ、タノシイナァー、ワタシキレイ? ……村山に見られたら死ぬ……前に、やつを殺す……!」 お花畑に意識を遊ばせたのち、はっと我に返っておそろしくシリアスな男前顔になるナウラ。某鷲型怪人氏にはとんだとばっちりだが、ナウラ自身は必死の大真面目である。 「な、なんじゃこりゃあああああ!!」 辺りを震わせる雄叫びは、ギルバルド改めギル子さんのものだった。 仮装用衣装の鉄板をミラーコーティングすることで魔女化光線に備えていたギルバルドだったが、残念ながら直径2.5メートルというごんぶとビームの前に『受け止めて跳ね返す』作戦は無力だった。 そんなわけで、髭の筋骨たくましいドワーフが、膝上20cmのフリフリフワフワなゴシック&ロリータのワンピースをまとった新ジャンルが誕生したわけだが、当然、線の細い癖のない顔立ちの面々が着るのとはまた違い、おそろしく目に沁みる。 中には正視できず視線をさまよわせているものもいたほどだ。 「お……」 「お、がどうしたのじゃ、ギルバルド……ではのぉてギル子さんや」 「逸儀さんそれ追い打ちー!」 「おおおおおお」 しばし泳いでいた視線が、半分涙目でゲールハルトをにらむ。 慟哭かと思いきや、 「おのれ貴様、今すぐ滅殺してくれるわあああああ!!」 怒りと羞恥と衝撃で真っ赤になった顔で、ギアのハルバートを引っ掴み、ゲールハルトへ襲いかかろうとするギルバルドだったが、 「落ち着くんだ、ギルバルドさん」 静かな、穏やかな声が響き、しなやかで力強い手が彼のハルバードをそっと押さえた。 「テオドー……じゃなくて、テオドラさん!」 「逆と違うんかそれ」 「ごめん今のは俺も素だった!」 優と晦が繰り広げる一連のやり取りの傍ら、静かな金眼がギル子さんとゲールハルトを交互に見やる。 テオドラさんことテオドールは、正直、残念ながら、魔女衣装が猛烈に似合っていた。男性だということは判るのに、なぜか違和感は皆無、妙なフィット感があって、優が思わず源氏名のほうを呼んでしまったのも頷けるというものだ。 そんなわけで、今日のテオドラさんも美しかった。 衣装は万聖節仕様らしく、黒を基調とした生地に橙と紫で装飾が入れられている。すらりとした長い脚を包む、編み上げブーツが妖艶なほど似合っていて、ツッコミ面子を含む皆が「ああうん、これはアリだな」とごくごく自然に納得してしまったのだった。 もうすでに何度この被害に遭っているかも判らないテオドラさんの落ち着きたるや堂に入ったもので、 「大丈夫、心配することはない。これはひとつの事象に過ぎず、永遠に続くものでもないのだから。まずは落ち着くことが肝要だ」 穏やかに、理知的に諭されて、頭に血がのぼって今にも突撃していきそうだったギルバルドすらはっと我に返った。 「ふむ……まあ、そうかもしれぬ。急いてはことを仕損じる、とも言うからのぅ」 ――が、 「そう……この試練を乗り越えさえすれば、あの鮮やかなショッキングピンクの楽園へ辿り着くことが出来るんだ。求道者として、それを目指さないわけにはいかないだろう……?」 などと、どこか遠くを見つめながら、どこまでも真顔でテオドラさんが言い出した辺りで、一見冷静だが思考がずれていることに気づく面々である。 「現実逃避というやつかのぅ。心配するでない、おぬしは充分に美しいぞ、テオドラよ」 「あんまり追い打ちかけないであげて、逸儀さん!?」 「何、優、おぬしも美しいゆえそう羨むでない」 「そんなジェラシーが俺の中に存在するなんて断固として認めねぇえ……!」 そこへ、 「そうだ」 絶賛現実逃避中のテオドラさんがぽんと手を打ち、 「どこにでも魔女を敬うものはいるのだという証を見せようと思っていたんだった。魔女を讃える歌と舞で、知人の少女が教えてくれたんだが……」 そう言って、スタイリッシュに立ちポーズを取った辺りで何かしらの嫌な予感が皆の脳裏をよぎる。 が、 「……よければ、皆も一緒に」 真面目な、真剣な顔で言われた途端、顔面から地面にめり込んで打ちひしがれていた最初の被害者、怜生と鰍が弾かれたように立ち上がり、 「え、あれ、身体が勝手に……」 「いや、ちょ、待って、なんでなんで!? 嫌な予感しかしないんだけど、身体の自由が利かない!?」 不可解な言葉を漏らしつつ、テオドラさんの両隣に並ぶ。 「……身体が勝手に動くのだが、これは何の呪いだ? これも試練というやつなのか……?」 「悪魔カボチャ王さんの思し召しでしたか……では、ゼロもご一緒するのです」 事態が飲み込めていないギルバルド、特に疑問を抱く様子もないゼロが更に並ぶと、怜生が持ち込んでいたミュージックプレイヤーから、ポップでキュートな音楽が流れだした。 「俺あんな曲入れた覚えないんだけど……!?」 怜生が驚愕に目を剥く間にも、前奏が終わる。たたん、とパーカッションが軽快なリズムを刻むと同時に、テオドールの腕がくるりと回り、長い脚がたぁん、とステップを踏んだ。 「ちょおお身体が勝手に引っ張られるんですけどー!?」 顔を引き攣らせた怜生、すでに魂を飛ばしていると思しき鰍、苦虫を噛み潰した顔のギルバルド、穏やかな微笑みすら浮かべたゼロがそれに倣い、唐突に、『魔女を讃える歌とダンス発表会』が、踊り手の意志をほぼ無視して開催される。 フェティッシュで美しい衣装の裾を翻し、動きの速い、可愛らしくもスタイリッシュなダンスが繰り広げられ、 「……俺、あんまりアニメとか詳しくはないんだけど」 ぽつり、と壱番世界の現代っ子、優がこぼす。 「あれって、日曜日の朝八時くらいからやってる、『キューティ☆ウィッチーズ』の主題曲とダンスだよな……?」 「詳しいのじゃな、優」 「ああうん、友達の妹が夢中で、よく踊ってんの見かけるから。うわー、巧いなテオドールさん。初見っぽい他メンツがなんで踊れるのか疑問だけど、口にするのも怖いからもうスルーしておこう」 まさにテオドールの知人の少女がこの魔女ッ娘アニメに夢中で、会うたびに踊りを見せられるため、それを誤解して覚えたのだという事実には気づかぬまでも、大体の事情は察して優が口をつぐむ。 その間にも、リズミカルでポップ、キュートだが激しい魔女ッ娘ダンスは続いている。正直、美少女魔女ッ娘たちがやる分にはなんの問題もなくとも、女装した男性諸氏のビジュアルだとそのギャップがすさまじい。 とはいえ、ぴったりと息が合い、指先にまで意識が行き届いた動きは確かに感嘆に値するもので、 「……素敵だ……!」 ナウラが目を輝かせ、 「これ、男性が、っていう現実さえなければ結構感動出来たかも、ですよね……」 在利が呆然と見つめ、 「巻き込まれんで済んだし、もうなんやそれでええわ……」 晦は半笑いで拍手を送っている。 身体能力の高さゆえ、息も乱さず踊るテオドールは美しい。 ――本人がその賛辞をどう受け止めるかはさておき。 「おお……なんという美しい舞。このような舞を目に出来るとは、何たる幸せか……!」 感動のあまりその場で男泣きに泣くおっさんの姿が見られたり見られなかったりしたという噂だが、すでに全員疲れ果てていて、記憶は定かではないそうだ。 4.しあわせ味のたまご 「みんな、すてき! とってもすてき!」 まさにほうほうのていで『エル・エウレカ』に戻った人々は、悪気一切なし、純度100%、のクロハナの賛辞に二度三度轟沈し、もふもふわんこさんに抱きつくことでどうにか正気を保つこととなった。 当然ながら全員まだ魔女ッ娘衣装のままである。 最新の研究(という名の、被害者からの報告)で、最短で一時間はかかることが判っているため、ほとんど諦めの境地に近い。 そして、店内にいたほうが被害は小さい。 「おお、お帰……うん、お疲れ。その、気を落とさず」 飾り付けやテーブルのセッティングに精を出していたシオンは眼を泳がせ、火城は無言のまま思い切り眼をそらした。 「ちょっ、そこまであからさまだとさすがにショックでかいわ!?」 一回逝って突き抜けることでどうにか平常心を保った怜生ですら眼を剥く中、 「何ッ、ネズミは食材にないと申すのか……!?」 別の意味でショックを受けているのは、ネズミの丸揚げが大好物、という逸儀だった。 「すまん、ニーズの問題であまり一般的でない食材は置いていない」 「そういうの、売ってる店も少ないしなあ」 火城とシオンに交互に言われ、落胆した逸儀だったが、気を取り直すのも早い。 「まあ、ならば仕方あるまい、他の料理を楽しむとしようぞ」 こだわったところで辛気臭いだけ、と、式であり本来は己の尾でもある三匹の小狐たちを童子に変化させ、料理を手伝わせる。揚げ物が大好きな逸儀としては、スコッチエッグをつくるしかない、ということになる。 「あるじ様、挽肉と薬味の具合はどのように?」 「塩気はこのくらいでよろしいですか、あるじ様」 「あるじ様、油の加減はいかがいたしましょうか?」 「うむ、よきにはからえ。しかしまァ……美しい玉子じゃ。奇跡と称される理由も判る気がするのぅ」 逸儀の、白く美しい手が、きらきらと輝くミラクルエッグを取り上げ、厨房の明かりにかざす。 殻は白金の細工、白身は水晶の流動、白身は色濃い琥珀。 殻を割る音は金の鈴のようで、火を通すと白身は処女雪の色に、黄身は混じりけのない黄金の色になる。加熱すると立ちのぼる、どこか懐かしい芳香に、誰もが穏やかな――そう、自分が魔女ッ娘衣装を着ているという事実を忘れさせてくれるような――気持ちにさせられた。 「確かに、食べるのがもったいないくらいですよね」 在利が玉子を手に取り、ボウルに割り入れる。 「僕につくれるのは、プリンとスクランブルエッグくらいでしょうかね。湯煎方式でつくろうかな」 生クリームを入れて、直接火にかけるのではなく湯煎にすることで、滑らかで優しい舌触りを楽しむことが出来るのだ。 楽しげに調理を始めた在利の傍らでは、 「ゼロが初めて食べたものは、ターミナルに来た時にご馳走になったプリンなのです。在利さんと同じく、ゼロもこの玉子でプリンを作るのです。赤色? ハバネロペーストではダメなのです?」 「待ってゼロ、それそのままだと分類:パーティのネタ、になっちゃうから! 下手すると死人が出るから!」 「……では、お料理男子の優さんにご指導をお願いするのです」 お揃いのエプロンをまとったゼロと優が、ゼロリクエストのプリンを筆頭に、優主導で様々な料理をつくり上げていく。 「やっぱり、玉子っていったらオムレツだよな。玉子の滑らかな美味しさを楽しめるし、何よりトマトソースで飾ればあっという間にハロウィン仕様に!」 そのほか、優がゼロとともにつくりあげたのは、トマトソースつきポテトコロッケ、南瓜の二ョッキのトマトクリームソース、ふわふわ玉子のトマトスープ、苺シロップと生クリームのシフォンケーキ、ガトーショコラの苺ソースがけなどなど。 「ええ匂いやな……腹減ってきたわ。これで、ビームの効果さえ切れればな……」 晦はせっせと稲荷寿司をつくりながらもまだダメージを引きずっている。 手際よく、甘辛く煮た具材を酢飯と混ぜ、甘辛く煮た揚げに詰め込み、仕上げに梅肉をあしらいつつも、魂が若干はみ出していることは明白だ。 「あ、なあなあ火城、この玉子、ふたつ三つもらって帰ってもいいか? 弟たちにも食わせてやりたいんだよな」 「ん、ああ、構わない。ついでに、去年と同じくハロウィンスイーツを持って帰るといい。今年もいい出来だ」 「おっマジで? やったー、来てよかったー!」 弟愛のほうが勝り(通常運転)、玉子や菓子をゲットできた喜びが魔女化の衝撃を上回っている(通常運転)鰍とは対照的である。 「われは前向きでええのぉ……」 はああああ、と盛大な溜息をつく晦の横では、ナウラが南瓜のプリンとシュークリームの仕込みに一生懸命だ。 裏ごしした南瓜をプリン生地と混ぜ、隠し味にラムを少々、湯気の上がった蒸し器に入れて準備は完了。シュークリームのほうは、生地の焼けるのをオーブンに任せた後、カスタードと生クリーム、それから南瓜クリームをつくった。 「これを詰めたら完成……と」 「そのクリームうまそうだなー。俺はシンプルなのしか思いつかなかったんだけど」 「怜生さんのはまどれーぬというやつか。かたちが可愛いし、素朴でいい匂いだ」 「そうそう、由緒正しいマドレーヌは貝型で焼くのが正しいんだぜ。巡礼者が食器代わりにホタテの貝殻を持ち歩いたことに由来してるんだってさ」 「へえ……何にでも、興味深い由来が存在するんだな。勉強になった」 その隣のテオドールはというと、刺激的で激しいダンスの疲労も見せず、慣れた手つきで料理の仕込みに勤しんでいる。 彼も、オムライスと南瓜のプリンを選択していた。 冒険者として培われた手際のよさで仕上げたら、そこにケチャップやベリーソースで万聖節風の――例えば、蝙蝠やジャック・オ・ランタンや魔女の――絵や、Trick or Treatの文字などをあしらう。 その横では、本領発揮とばかりに火城が薄焼き玉子の茶巾寿司やだしまき玉子、スペアリブと茹で玉子のマーマレード煮、ポーチドエッグの赤パプリカソース添え、サラダ、デザートのシンプルなカステラなどを手早く仕上げていく。 皆が手際よく料理を進めた結果、パーティの準備は早々に整った。 「あー、ハラ減った!」 乾杯の音頭も高らかに、波打つ黄金のエールや真っ赤な葡萄酒、未成年は瑞々しいベリーのソーダやジンジャーエールを干し、歓声とともに料理の攻略にとりかかる。 そのころには魔女化ビームの効果も切れ、精神的な平安も戻ってきていた。 おかげで、全員、玉子の美味さを心から堪能することが出来た。 「おお、これは美味じゃのぅ。まろやかで濃厚、どこか蠱惑的じゃ。かようなものならば毎日でも食したいものよな。……気に入りの料理が増える、それを奇跡と申すも楽しきことよ」 スクランブルエッグをひと匙口に入れて逸儀がにっこり笑い、 「逸儀のスコッチエッグ、肉と玉子のバランスが絶妙で美味いな。スパイスの配合がうまいってこと? これも歪と真遠歌に食わせてやりてぇなー」 鰍は舌鼓を打ちつつも通常運転で、 「玉子料理ってなんだかホッとしますよね。僕はやっぱりオムレツが好きだな」 「私もだ! トマトソースがかかっているとさっぱりして、かかっていないと濃厚なのも楽しい」 在利とナウラが微笑みあい、 「がっはっは、酒が進むのぅ! エールとポテトコロッケの実に合うことよ!」 ギルバルドは豪快にジョッキを傾けつつ熱々のコロッケに齧りつき、 「俺は晦のつくった稲荷寿司というのが好きだな。どこか懐かしい味だ」 テオドールは目を細めて甘辛い寿司を味わっている。 そんな中、 「奇跡なのです! 悪魔カボチャ王さんが颯爽と現れ、激辛からし入りパイを置いて爽やかに去っていったのです!」 「ちょ、ゼロ、どんな幻との邂逅を果たして……って、ホントにからしパイがあるー!?」 「なるほどなのです、師匠はやはり、岩屋の中で彼を召喚していたのですね。偉大なる悪魔カボチャ王の心憎い演出にゼロは深く感じ入る次第なのです」 「どこからどこまでが本当なのか俺にはもう判らない……!」 ミラクルエッグの効果なのか定かではない、 「おおッ!?」 「ん、どした晦、狐姿になって」 「こ、これは、ちょお成長したんと違うか!? なんや大きゅうなったような……」 「えー……増えたの毛だけじゃね?」 「!?」 「あ、判った、冬毛仕様なんだ、これ。うわー、もふもふだな。……触ってもいいか?」 「や……」 「や?」 「やかましいわ鰍のアホオオオオォ!!」 「何ゆえ蹴る!? とんだとばっちりだ!?」 小さな奇跡がちらほらと見られるようになり、ナウラなどは誰も入れた覚えのない、『心を癒す指輪』をプリンの中から見出してたいそう喜んでいた。 しかし、もっとも壮観だったのは怜生だろう。 彼は、魔女化が解け、ホッと胸を撫で下ろしていたのだが、 「はー、マジで助かった。あのままじゃ家にも帰れねぇとこだったもんなー」 言いつつナウラ特製シュークリームを食べた途端、再び魔女ッ娘姿に返り咲くこととなって、その場で硬直した。 「えっ……これ、どういう……」 「おお、素晴らしい奇跡じゃのぅ、よぉ似合っておる」 裾の短さと露出度が二割増し、ピンク度も二割増し。 「こ……」 パワーアップしている、と言うべきなのだろうか、これは。 「こんなミラクルいらねえぇー!」 そんな、血涙混じりの絶叫が響く中、なんやかやで楽しくにぎやかな時間は、つつがなく過ぎて行くのだった。 ちなみに、ギルバルドは帰宅途中に銀色の小銭を拾い、テオドールは帰り道に通りすがった雑貨屋にて、故郷で使っていた気に入りのマグカップと寸分違わぬものを見つけたそうだが、それが『小さな奇跡』の一環であったかどうかは、読者諸氏のご想像にお任せする。 もうひとつ言うと、怜生の魔女化は三日三晩解けなかったそうだ。
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