ええ、セリア・アディンセルはわたくしです。 確かに、リウミエラ神殿都市にて、光の神殿の巫女を務めておりました。 あなたがたが病を鎮めてくださったのね、感謝いたします。プレナ・ノーチェの慈悲……いにしえの聖女の見出した偉大な薬草と、まさか終焉に選んだこの地で相見えることとなろうとは、思ってもみなかったわ。 それで、テオドール・アンスランさんとレヴィ・エルウッドさんと仰ったかしら。ここへは何のご用で? ――ああ、そうなの。 あなたが、バルタザールさんの。 ええ、鋼の竜について知りたいと訪ねておいでになったわ、神殿都市へ。 いいえ、わたくしは見ていないの。 ただ……話は少しそれるけれど、あなたがたは大渇水をご存知かしら? 三十三年前にリウミエラで起きた天変地異よ。――ふふ、そうね、まだあなたがたのご両親すら出会っておられなかったかもしれない頃の話だから。 あの時のことは、今でも昨日のように思い出せるわ。 異常な高温と旱魃で周辺の水が干上がってしまって、農作物や家畜のみならず住民にまで被害が出たの。わたくしの末の弟も、熱射病と脱水症状からくる衰弱で亡くなったわ。 いいえ、大丈夫よ、ありがとう。 とても苦しい出来事だったけれど、わたくしたちは、あなたがたと同じように案じ、癒そうとしてくださったかたに恵まれていたものだから。 ……やさしいのね。あなたがたが、何の見返りも求めず、我が身を惜しむよりもただ命の喪われることを哀しんであの『遺跡』へ行ってくださったこと、こうしてみると納得できるわ。 話を戻すとね、バルタザールさんは、その大渇水のときに鋼の竜を見たのですって。そして、大渇水が収束した時期と、その鋼の竜が現れた時期がまったく同じだったから、その関連を調べにおいでになったの。何か知らないかと、とても熱心に尋ねられたわ。 先ほども申しあげたように、わたくし、竜は見ていないのよ。 だから、どこまで関連があるかは判らないのだけれど、わたくしと上位神官さまだけが知っていることがあるのもまた、事実なの。 ――あなたがたは、この小さな村を救ってくださった。 あれが伝染病であったなら、あなたがたも危険にさらされていたかもしれないのに、その可能性を想定しながらも、村民の命を尊んでくださった。 わたくしはそれに報いねば。 何よりも、そうね、わたくしは、あなたがたの中に『彼』を見たの。 絶望的な状況下においても諦めず、護りたいという強い意志で前を向く『彼』と同じ光を。 だから……お話ししましょう、あの日の真実を。 それが、あなたがたの行く道に光をもたらすものと信じて。 * * * わたくしが上位神官さまに呼ばれたのは、大渇水で末弟が亡くなった半月ほどあとだったわ。 わたくしは当時十八歳、常ならばもう誰かに嫁いでいてもおかしくない年ごろではあったけれど、魔力の高さから巫女に選ばれて神に仕えていた。だからこそのあの出会いだったとしたら、わたくしはすべての運命に感謝しなくてはならないのかもしれないわね。 上位神官さまは、ひとりの旅人をわたくしに紹介されたの。 異国の、特殊な力を持つ旅人だという彼は、ベルシュと名乗ったわ。 上位神官さまは、今回の大渇水は地中に埋もれた古代遺跡が原因で、ほうっておけば辺り一帯が壊滅しかねないと仰ったわ。それを阻止するためにも、旅人と行動をともにし、遺跡内部にある装置を停止させるよう要請された。 古代文明が残したいにしえの装置は、魔力によって動くものが大半であることはご存知かしら? わたくしは、当時の巫女の中ではもっとも魔力が高いひとりだったから、任務は適任だと思ったの。何より、我が身を惜しんで他の巫女たちを危険な目に遭わせるわけにもいかないでしょう。そんな不甲斐ない姉の姿を、今は亡き弟には見せられないでしょう? だから、わたくしはベルシュさんといっしょに地下へもぐったの。この大渇水を収束させられれば、それは弟への慰めにもなると思ったから。 あなたがたは闇の翼の民だから、地下の快適さはご存知ね? 夏場のひんやりとした心地よさ、冬のじんわりとした温かさは。 ――だけどね、その地下遺跡は、ちっとも快適じゃなかったのよ。 きれいな、白いすべすべした大理石でできた、昔はとても美しかったのだろうと思える遺跡だったわ。居住空間はないのに、ひどく広い造りだったことから考えると、古代の叡智が凝縮されたさまざまな装置を集めた施設だったのだろう、というのがベルシュさんの言だったわね。 そういった装置は過剰な熱を嫌うから、施設は熱を逃しやすい造りになっていたはずで、しかもそれは長く地中に埋もれていたのに、地下遺跡内部はひどく暑かったの。 あなたがたは、シャルール地方の大炎季をご存知かしら? ええ、そう、二ヶ月も三ヶ月も酷暑が続く、世界でもっとも厳しいと定評のある乾季のこと。わたくし、向こうの神殿の要請でしばらく滞在したことがあるのだけれど、それと同じか、もっとひどいか、そのくらいの暑さだったわ。 ベルシュさんはそれを、装置の暴走のせいだろうと仰った。 自分があなたを護るから、あなたは装置の停止に専念してくれ、とも。 ええ、そうね、神殿に携わるものは、特に神官や巫女は、古代文明の遺跡と共鳴してそれらを操るすべを身に着けているから。古代遺跡の暴走を抑えることもまた、わたくしたちの責務ですものね。 ベルシュさんは、そうね、テオドールさんより少し年上くらいだったかしら。 背が高くて、手練れの気配を滲ませていて、でも、とてもやさしい眼をした人だったわ。 暑くて暗くて、砂と石くれに覆われた、決して安全とは言えない道だったけれど、彼といっしょに歩いているときは、わたくし、不安も恐怖も感じなかったの。ふふ、そうね、もしかしたらあれが初恋というものだったのかもしれないわ。 装置そのものは、遺跡の奥で見つかったの。 巨大な鍵盤楽器のようにも見える、不思議な形状のものでね、傍に人間の子どもくらいの、大きな大理石塊が転がっていたわ。その少し前に地震があって、――ええ、天井から落ちた石が装置を直撃して、その衝撃で起動してしまったということだったのでしょう。そして、長らく放置されていたそれはどこかが壊れていて、制御が難しくなったということなのでしょう。 幸い、制御機能自体は失われていなかったから、わたくしはすぐに『仕事』に取りかかったの。意識をつなぎ、自分の魔力で装置を満たしてひとつになるのよ。『共鳴』というのだけれど、そうすることで、装置を自在に動かせるようになるの。 つながってみて、すぐに判ったわ。 あれは、古代の人々が天候を制御するのに使っていた装置だった。地震の影響で起動した際、『晴れ』の状態だったのね。そこに、長年の調整不足が重なって、あんな、すさまじいまでの旱魃が引き起こされたのだわ。 何をどうすれば防げたのか、もっと早く気づいていれば喪わずに済んだものがあったのか、そのときは自分の無力を嘆きもしたけれど、なによりもここで装置を止めなければさらに多くの人々に私と同じ哀しみを味わわせることになってしまう。 そう思って、わたくしは懸命に『入力』を続けたわ。 操縦者の練った魔力を回路に浸透させ、誤作動を修正するための指示を打ち込む作業なのだけれど、それはかなりの集中と消耗を強いたわ。当時のわたくしは経験も浅かったから、それはそれは必死だった。 ――その時、あれが姿を現したの。 あなたがたはきっと、ゴーレムをご存知ね。 そう、あの、大人の二倍ほどの背丈もある、石や金属でできた。 古代遺跡の番人として、今でも活動している個体もあるくらいだから、冒険者さんたちには馴染み深い存在でもあるのかしら。 ともかく、そのゴーレムが、きっとこの施設を護っていて、装置と同じく長い調整不足のためにどこか壊れてしまっていたのね。本来は正しく人間を認識して、決してわたくしたちを攻撃するような存在ではないのに、そのゴーレムは警告さえ発することなく襲いかかってきた。 装置とつながったままのわたくしに逃げるすべはないし、戦いにも精通してはいないわ。わたくしひとりだったら、どうすることも出来なかったでしょう。 けれどね、わたくしは何も悲観してはいなかったのよ。 ベルシュさんが、あなたは何も心配せず装置の停止に専念してくれと言ってくださったから。この神殿都市を不毛の地にはさせないと、これ以上誰も喪わせないと約束してくださったから。 剣一本で石づくりのゴーレムと渡り合うなんてそんな馬鹿な、とあなたがたは思うかしら? わたくしも最初は危険すぎると思ったわ。わたくしのことはいいから逃げてと言おうとも。 だけど、――そうね、そのあとのこと、彼とゴーレムの戦いは、まるで美しい舞のような残影を伴ってわたくしの中に残っているわ。 わたくしは装置に停止を命じる『入力』を続けながら、息を殺して彼の戦いを見つめていたの。 彼は自分が傷つくことを少しも恐れていなかった。 恐れのない人は、敵の懐に飛び込むことすら躊躇わないのね。その大胆さはゴーレムの隙をつき、むしろ彼自身を安全にさえしていたわ。ゴーレムは、あんなに大きな姿をして、決して鈍重ではなかったけれど、まるで体重などないかのように跳ぶ彼にその手を届かせることは出来なかった。 わたくしは、装置に魔力が充満して、少しずつ少しずつ、緩慢に、蝸牛の歩みのようにゆっくりと、正常を取り戻した装置が穏やかに停止してゆくのを感じながら、彼がゴーレムを絶妙の力加減で転倒させて、一時的に機能を停止させるのを見ていたわ。 ――そう、彼はゴーレムを破壊しなかったの。 装置が正常に戻ればゴーレムの不備も解消される、すべてが元通りになったとき、番人が失われていては好ましくない、と。 壊さずに戦うには力の加減が必要で、それは自分の身を危険にさらすことでもあるのに、彼はそんなところにまで気配りをして、しかもそれを見事にやってのけたのよ。 わたくしはそれを感嘆とともに見届けた。 そう、それでね、装置の暴走は無事に収束したのだけれど、完全に停止する一瞬前、これまでに溜め込んだ膨大な力を一気に放出してしまったの。――ああ、物理的な破壊力はなかったから、怪我人は出なかったのだけれど。光の、柱がね、地下遺跡全体を包み込む規模で地上にも出現してしまって。 神殿としては、余計な混乱を防ぐためにも、すべてを秘密裏に済ませるつもりだったのが、何もかも知らぬ存ぜぬで押し通すことは難しくなってしまったのね。けれど、ベルシュさんのことはおおっぴらに出来ない事情があったようで、結果、わたくしの、セリア・アディンセルの力で大渇水の原因が取り除かれたと大々的に発表するに至ったの。 もちろん、ベルシュさんに関する言及はいっさいなし。公文書にも残されず、わたくしをはじめとした関係者はかの旅人に関するすべてを語ることを禁じられた。それはまたベルシュさん自身の希望でもあったから、わたくしは今までそれを護って来たわ。 事件の直後と、その数年後、テオドールさんのお父さま、バルタザールさんが神殿へ見えて、真相と事情を尋ねられたけど、わたくしは禁を破れなかった。上位神官さまも黙秘を貫かれたと聞くわ。お父さまに、セリアが謝っていたとお伝えになって。 ――ええ、そう。 これが、あなたのお父さまが欲された『真相』。 わたくしの知る、真実よ。 * * * 語り終えたセリア・アディンセルが、ふたりを見つめて微笑む。 「わたくしがこのことをお話しするのは、あなたがたが初めてよ」 セリアは、ぴんと背筋の伸びた、美しい女性だった。 美しく賢明に年を重ねたものだけが持ち得る、光がにじみ出るように静かな理知と、年月にも侵せない高潔さが彼女にはあった。 「……俺たちに話そうと思われたのは」 「村を助けていただいたから、というのもあるけれど、なぜかしら……わたくし、おふたりとあの日のベルシュさんが重なるの」 「それは……」 「あなたがたも、ベルシュさんも、自分よりもひとのことを優先して、しかも、そうでなければ自分が自分でなくなってしまうのだと、胸を張れるでしょう。ひとの命は容易く喪われてしまうもので、それは自分のものも他人のものもかわりない。自分の命を惜しむことを誰ひとりとして咎められないけれど、だからこそ、自己愛を超えて他者に命をかけられる、あなたがたのようなひとたちにわたくしは敬意を表します」 テオドール・アンスランは、隣のレヴィ・エルウッドと顔を見合わせた。 レヴィからはどこか大人びた微笑みが返る。 「あとは、わたくしのわがまま、かしら」 「わがまま、ですか?」 「ええ。なぜなのか判らないけれど、あの事件のあと、わたくしと上位神官さま以外の全員が、ベルシュさんのことを忘れてしまっていたのよ。それはきっと、ベルシュさん自身の望むところでもあったのだろうけれど、彼の偉業……彼が示してくれた美しい心が、この世界のどこからもなくなってしまうことが、わたくしは哀しいの」 同時に、あれから三十数年が経ち、自分もずいぶん年を取ったこと、この先どれだけ生きられるのか判らないが、彼の残した足跡を――彼が都市のために尽くしてくれた事実を後世に残したいのだともセリアは語った。 「禁を破ることにためらいがないわけではなかったけれど、あなたがたとお会いしてみて気持ちが固まったわ。あのひとと鋼の竜に何かしらの関係があるのだとしたら、ぜひ解き明かしてほしいとも思うもの」 青い香りの立ちのぼる茶をふたりのカップに注ぎながら、セリアはどこか楽しげに微笑んでみせる。 「だから、テオドールさん、レヴィさん。今の心を忘れないでね。命を貴び、生きる喜びを謳う、その心を」 テオドールは居住まいを正し、 「お父さまの悲願のために、なんて、素敵なことだわ。バルタザールさんとはほんの少しお話しただけだけれど、きっと素晴らしいお父さまなのでしょうね。父と息子の約束に、神々の祝福がありますように。おふたりの行く道に、希望と喜びがありますように」 光の巫女が垂れる言祝ぎと、 「そして、もしも願えるなら、もしもあなたがたがどこかでベルシュさんと逢うことがあったなら、彼に伝えて。セリアが、とてもとても感謝していたと。今でもあなたの思いによって生かされていると」 恋心の告白にも似たそれに、頭を下げる。 レヴィもまた、テオドールに倣った。 「……約束する。あなたが禁を犯してまで語ってくださったその真実を、無駄にはしない」 セリアに罰がくだされるのかどうかは判らない。 ベルシュという異邦人、旅人自身が望んでいたところから鑑みるに、別の事情もあるのだろうと想像できる。 しかしながら、ふたりのためにセリアが禁を破ったこと自体に変わりはない。 「テオにいさん」 「ああ」 「僕たちもまた、セリアさんに報いなければ。よりいっそう、自分自身を高めることと、鋼の竜を見つけ出すことで」 「――……そうだな」 テオドールは、拳を握り、うなずく。 セリアは銀の鈴を転がすような軽やかさで、期待しているわ、と笑った。 「旅を、冒険を続けよう。その中に、新しい道と答えがある、そんな気がする」 父の記憶に焼きついた鋼の竜と、その竜との何かしらのかかわりを感じさせる異邦人。 何もかもが判ったわけではなかったが、確かな進展もあった。 テオドールはそれを素直に、真摯に喜び、次なる進展のためにまた努力しようと誓うのだった。 冒険者としての鍛錬を続け、向上に努めた彼らが覚醒し、ロストナンバーとなって、0世界のターミナルにてベルルシュカーラ・プロメッサと出会うのは、ここからさらに先のお話である。
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