はぁあああ。 まるで魂が抜けるような、大きなため息がギィロ・デュノスの口から吐き出された。 「ど、どうした」 「はぁ」 「なぁ」 「ふぅ」 「病気か、おい」 「ちがうよ」 いつも元気いっぱいで、食べることと悪戯が大好きなギィロらしくない。 今朝は、ターミナルでも人気のカフェへとここ最近の戦争やらといった気詰まりな気分から少しでも明るくしようと外に誘った同居人のハウエルは硬直した。 重々しくもどこか憂いに満ちた、そう、まるで恋をしているような嘆息。 季節は春。 まだ幼い邪竜もとうとうその方向で大人への階段を登りだしてしまったのか……保護者であるハウエルは生まれた世界では森の一族であるエルフで、旅好きでいろんな国を巡り、ドラゴンたちのためにいくつかの品も手掛けて生活していたら覚醒してターミナルで暮らしていたが一人ぼっちで困り果てていたギィロをほっておけず、引き取って楽しく生活していたのだが、あぁ子供の成長は早い。 ど、ドラゴンの思春期ってどうやって対応してやればいいんだ!(コンマ000.1秒でそこまで考えた) 「かっこよかったなぁ」 「は?」 「……あ、あの翼、あの噛みつき、かっこよかった!」 「ぎ、ギィロ、なんのことを」 「おれ!」 がたっと椅子をひいてギィロは立ち上がる。 「あいつと仲良くなりたい!」 「まてまて。まーったく話が見えない!」 「あいつだよ、あいつ! 雪みたいに真っ白で、すごくこわい目で、睨まれたら心臓がぎゅうっと締め付けたみたいでさ、止まっちまうかと思った。すげーすげーつよかったんだぁ!」 話していて思い出したらしくギィロの目ははじめて星を見た子供のようにきらきらと輝く。 「それって……あの戦いのときのことか?」 「そうだよ!」 壱番世界での大々的な戦いの際、ギィロは力の限り戦ったが召喚術などを使用した援護が主だった。だが彼は単身で敵に挑みかかり、その喉笛に噛みつき、大剣を振り回して戦うその姿は味方ならば頼もしく、敵ならば恐れるほどの圧倒的な強さを持っていた。 「ドラゴンで凶悪?」 「確か、ゾルスって言ってた!」 「ゾル? ……あー、もしかしてゾルスフェバート? ターミナルでもかなり大きな分類にはいるから有名なやつだろう?」 ギィロは眼玉が零れ落ちるほどに見開いて身を乗り出した。 「知ってたの! じゃあさ、ゾルスの家とかわかる?」 「住処にしてるチェンバーなら」 「おしえて!」 ギィロの熱意に押されるようにハウエルは教えてくれたチェンバーは幸いにもここから走っていけば五分とかからない。 そうなるとギィロのなかの会いたい気持ちはヒートアップする。 「おれ、行ってくる!」 「待て、待て待て。飯は食べていけよ!」 猛進するギィロの首根っこをハウエルは掴んで、椅子に座らせた。ギィロがむすっと子どもとはいえ凶悪な牙を見せて唸るが ぐきゅきゅきゅゅゅゆゆるるるるる おなかはとっても素直に空腹に情けなく鳴いた。 「う」 「あのな、ギィロ。朝を抜くと、ゾルスみたいに大きくなれないぞ」 「ほんとうかよ! 食べる! で、すげーでかくなる!」 ギィロは両手で自分の顔と同じくらいあるふっくらとしたパンにレタス、トマト、ベーコンが挟まれた大きなサンドイッチにかじりついた。 「もぐもぐっ。なぁなぁ朝、いっぱい食べたら、おれもあれくらいでっかなくなれるかな?」 「きっとな」 同居人はそのとき、対ギィロをいいくるめ言葉を見つけたとほくそ笑んだのは言うまでもない。 おなかが満たされたギィロは早速"氷凶の飛竜" ゾルスフェバートの住処に駆けだした。 尋ねるならばノートで事前に連絡をいれるのが礼儀など、はやく憧れのゾルスフェバートと会って、仲良くなりたいという一心のギィロの頭に浮かぶはずもなかった。 ゾルスフェバートのいるのは雪山のチェンバー。 ギィロが訪れた時間帯は幸いにも雪は止んでいたので登るだけならなんら困ることはない。真っ白い世界にギィロは目を輝かせた。足を出してさくっと雪を踏みしめて進んだあとすぐに振り返った。真っ白い雪に自分の足跡が点々とついているのには悪戯心がくすぐられる。 「おもしれーっ! あっだめだ!」 つい目的を忘れて遊びそうになるのにギィロはあわてて自制すると山上を見上げて、よしっと気合いをいれてさくさくと進みだした。 雪しかないなだらかな坂道を登り切って、ようやくたどり着いたのはごつごつの灰黒色の大きな岩の洞窟。奥から、ひゅう、ひゅうと風か、はたまた彼の吐息らしい音が聞こえてくるのにギィロは立ち尽くした。 今更だが、ここまで勢いで来てしまったことを後悔して洞窟の暗闇に怯える自分がいた。 「う、ううん、ううん! 男は当たって砕けろだよな!」 深呼吸をして自分を励ますとキッと闇を睨みつけてずんずんと大股で進んだ。 外の寒さから考えれないほどに洞窟のなかはあたたかいのにギィロは不思議そうに目を瞬かせる。 「ちっともさむくねーや、へー、これなら住みやすいなって、あ!」 少し進むと闇のなかでも目をひく白、いや、灰色を見つけた。 洞窟のなかで器用に体をおりまげて丸まっているゾルスフェバートは目を閉じて規制正しい呼吸を繰り返していた。 ギィロがそろそろと近づいていくと、ぴくっと瞼が動き、ゆっくりと開かれた。 何もかも食べてしまいそうな玲瓏な三日月型の瞳はあきらかに不機嫌な色をたたえていた。 「あ、あの、おはよう! おれ、ギィロっていうんだ。覚えてるか? 同じ戦いに一緒に出て」 「……グルッ」 低い声がギィロの肌をなまあたたかく舐め、心臓には氷をあてたような怖気を感じた。 「グルルルッ」 白い牙が口角から現れて、ギィロを震え上がった。 「何でそんな不機嫌なんだよ? どこか具合悪いのか?」 内心びくびく震えながらギィロはゾルスフェバートの顔を覗き込んだ。 ふっとゾルスフェバートが黙ったのにギィロはもしかしたら本当に体調が悪いのかと不安でそろそろと近づいた。 目の前までギィロが誘いのってきたのにゾルスフェバートはくわっと口を開けて吠えた。 大気がぴりぴりと震え、強風が生まれる。 ギィロの小さな体は空中に容易く浮いて飛ばされてしまった。何かにしがみつこうとしたが、ゾルスフェバートの口から見える牙に怯えて体が動かない。 「うわーん! そんなに怒んなくても良いじゃんかー! なんだよー!」 吹き飛ばされて隅っこにおいやられたギィロは涙目で言い返す。すると、ゾルスフェバートの目が剣のように細めらるとギィロは喉に冷たい刃あてられたように恐怖で固まった。 「グルルルっ!」 唸り声は明らかに怒気を孕み、今にも襲い掛かりそうな気配すら漂う険悪さがあった。 「うっ」 ギィロはまだ九歳の子どもである。 「うっわああああん」 泣いてその場から逃げだしても仕方のないことだ。 ぐす、ぐす。う、ううっ。 男たるもの容易く泣いたりしない――日頃から同居人に言われていたし、自分は誇り高い邪竜の子だと自負していたギィロだが、今はうつむき、尻尾は力なく地面つけてずるずるとひきずっていた。いくら我慢しようとしても涙は誘惑色の瞳から溢れるのに両手で一生懸命拭いながら家へのドアを開けた。 「う、うりえーーんっ!」 「ぎ、ギィロ、どうした、泣いたりして!」 いつも元気いっぱいに笑顔のギィロの珍しい泣き面に奥で仕事をしていたハウエルは手をとめると、慌てて駆け寄った。 「ほらほら、鼻水出てるぞ。ちーんしろ、ちーん」 「う。ちーん」 顔を乱暴にぬぐわれてギィロはしゃくりあけながら、次第に落ち着きを取り戻した。 ハウエルはギィロを椅子に座らせてあたたかなミルクを与えて前に屈み視線を合わせて彼が話すのを待った。 「おれ、きらわれた。ゾルスに、威嚇されたんだ。吼えられて、睨まれて!」 「なにかしたのか?」 ふるふるとギィロは首を横に振って、恐怖に満ちた邂逅のことを余さず語った。 「うーん、それって」 「おれ、なにがいけなかったんだ! 教えてくれ!」 「いや、ギィロが悪いというか、ただたんに腹が減ってたんじゃないのか、それ」 「えっ、え?」 ゾルスフェバートがワイルドかつ野性的な人物であるというのは、ターミナルが樹海になった際にあまりにも空腹すぎてワーム狩りに出かけた揚句、さる蜘蛛娘とともに腹を下して医務室に運ばれた一件から有名であった。 あんな見た目からして食べ物じゃないだろう、みたいなワームすら食べるほどの食い意地が張っているのにチェンバーは雪山では朝早くからまともな食べ物もないだろうと推測される。 「はらが、そっか、おなかすいてたからいらいらするよなぁ。おれ、すごく悪いタイミングに会いにいっちゃったんだ……なぁ、仲直りする方法ないかな? 食べ物をもっていけば喜ぶかな? けど、けどおれ、なにが好きかしらないぜ。パイとか? それとも野菜とか?」 「ああいうタイプは生肉で良いんじゃないのか?」 「そっか!」 ぱぁと光がさしたような笑顔でギィロは飲み終え空っぽのコップをテーブルに置いて立ち上がるとキッチンに猛ダッシュした。 「おい、ギィロ!」 食庫にある肉という肉を積み重ね、天井に届きそうなほどの肉の山を両手にギィロはきらきらと目を輝かせる。 「これもらっていいか? いいよな? これからいっぱい手伝いするからさ!」 「……せめて、袋にいれていけよ」 呆れた声でつっこんだ。 ギィロが再び出かけようとしたのにせめて昼は食べていけという同居人がとろとろのカレーで誘惑するのにあっさり敗北し、きっちりと二回もおかわりしておなかを満腹にしてから出かけていった。 その背中にはいっぱいの生肉のはいった袋が背負われている。 「今度こそ!」 勢いよくチェンバーに行くと、今度は迷うことなく洞窟前にきたギィロは足を止めた。 「……いきなり吠えられたりしないよな」 朝の不機嫌を考えると、今度は威嚇どころでは済まないかもしれない。 問答無用で頭からがぶり――なんて可能性もないわけではない。 ぶるっと寒さとは関係ない震えが走ったのに首を横に振った。 「う、ううん! 大丈夫だ。今回はプレゼントもあるんだしな」 鼻息荒くギィロは自分自身に言い聞かせると、恐怖を振り払って洞窟のなかにずんずんと進んだ。 やはり、ゾルスフェバートは身を丸めて眠っていたが今度はすぐに目を開けて、首を億劫げに起こした。 くんくんと鼻をうごかしたあと目を細めてギィロをじっと凝視する。 「っ」 かちんこちんにギィロはかたまりつつも、そろそろと袋を差し出した。 そこから現れたピンク色の新鮮な生肉にゾルスフェバートは目をカッ! 見開く目にもとまらぬ速さで飛びついた。 「ニク、クウ!」 「え、わっ」 先ほどまでの剣呑な雰囲気はなんだったのかと思うほど嬉しげに尻尾を振って食べるのは小さな子どもが遊んでいるような無邪気さがあった。 両手で骨を掴んで、肉をかぷり。 「おいしい?」 「ウマイ!」 「よかったぁ」 ギィロは同居人に心から感謝した。 ゾルスフェバートが食べるのをギィロは眺め、大胆にもその横に腰かけた。ゾルスフェバートは食べるのに夢中で気にする風もない。 「おれ、ギィロっていうんだ。おまえのこと知ってるぜ、ゾルスフェバートだろう? 戦ってる姿、おれ、すげーって思ったんだ」 「オレサマ、ツヨイ!」 「うん。おまえが強いのはホントだよな。どうしてそんな強いんだ?」 「ツヨイカラ!」 「ふーん、よくわかんねーけど、まぁいっか!」 にっとギィロは笑った。 ゾルスフェバートは生肉をすべて食べ終えると満足のげっぷをしてようやくギィロを見た。 「オマエ、チイサイ」 「そのうちでっかくなるんだぞ!」 「オマエ、コブン!」 ゾルスフェバートにしてみれば生肉をもってきた、自分よりも小さなおしゃべりな竜は敵ではないが、仲間という感覚もない、子分がぴったりな相手だ。 「え? おれが子分かよー?」 むぅと反論したがギィロはにぃと口元に悪戯ぽい笑みを浮かべてまんざらでもない。はじめに威嚇されたのを思えば、子分でも格段に親しくなれた。 「触ってもいいか?」 「ン」 ごつごつの鍛え上げられた身体にぺたぺたと触れ、翼にも触れるとくすぐったいらしく尻尾が大きく振われるのにギィロは尻尾があたらないように器用に逃げ回った。そうしているとそれがスリリングな遊びに変わり、ギィロは楽しくて笑い転げた。 「なぁなぁ、おれ、おまえの上にのってみたい」 「コブン、ウエ、ノラナイ」 「えーって、う、うわぁ!」 ゾルスフェバートの尻尾がギィロの股に入り、軽く持ち上げる。驚いてギィロはしがみついたが、すぐに面白くてきゃきゃと笑った。 ゾルスフェバートは目を細めて、ギィロが喜ぶのを眺めた。 親分と子分関係が見事に成立してから数日後。 ギィロはハウエルの手元をじっと見つめていた。鋭い針が布をちくちくと動く。 「ほら、やってみな」 「おう!」 本当は自分でやりたがったが、糸と針は思わぬ強敵だった。見かねたハウエルがほとんどはやってしまったが、最後だけはさせてほしいとお願いしたのだ。 ちく。 針を通し終えたのにギィロは歓びに声をあげた。 「できたー! おれ、おれが最後はやったんだ」 「うんうん、ギィロがな」 糸がほどけないように結ぶ作業を終えてハウエルが差し出してくれた布を広げてギィロは眼を輝かせる。 それはギィロがつけているトラベルギアのバンダナ、それと同じ柄の腰につけている前掛け同じものとは色違いで夜空のように紺碧に白い氷をイメージした柄の首に巻くバンダナと腰につける前掛け。 ギィロからゾルスフェバートへのプレゼントだ。 せっかく仲良くなったなら――親分と子分でも! ――その証がほしいとハウエルにおねだりしたのだ。 もともとハウエルはドラゴン向けの布製品の装飾品職人なのだから出来るだろうと思ったのだ。 柄をまずこうしたいとギィロは提案すると、さすがにそれほど大きな布がないと言われて諦めかけたがギィロは必死に考えて、端に丈夫な紐をつけて後ろでとめられる作りにしたのは自分と同様に身に着けてほしいからギィロが無理をいってお願いしたのだ。 「ありがとうな! 行ってくる」 ここ数日、毎日会いに行くのが日課となっているゾルスフェバートのもとにギィロは飛ぶようにかけて行った。 「ゾルス親分! これー!」 「グル? ソレナンダ?」 「おれとお揃いだぜ!」 ゾルスフェバードは不思議そうに首を傾げる。 「つけてくれよ!」 無言で首をおろすのはつけてもいいという許可だ。 さすがにギィロ一人では手が届かないので闇の妖精たちを呼びだして首にはバンダナ、腰に前掛けをつけた。ギィロはそろそろと後ろに下がってゾルスフェバートの姿を満足げに見つめた。 「コレデオレ、ツヨイナルカ?」 「おう! おれとのつながりの証だ!」 ゾルスフェバートは不思議そうに首と腰の布を手で軽くひっぱったあとギィロを見た。 「えへへ、お揃いだぜ!」 ギィロはにこにこと笑っていると、突然と首を掴まれたと思うとぽいっと乱暴に投げられてゾルスフェバートの頭上に乗せられた。 「え、なんだよ! いきなり!」 「ソト、イク、ツヨイノ、ミセル!」 「へ? ……おう! 今日もいい天気だぜ!」
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