ターミナルの昼下がり。 空は変化を見せないが、それでもどこかのどかな雰囲気が漂う時間だった。 ゼシカ・ホーエンハイムは、『Pandora』と書かれた看板を見上げ、持って来た絵本を抱え直すと、古書店の扉をくぐる。「いらっしゃいませ。――あら、ゼシカちゃん、こんにちは」「こんにちは」 店主のティアラ・アレンが、読んでいた本から視線を移し、にっこりと笑顔を見せる。ゼシカもはにかむように笑んで、頭をぺこりと下げた。 本棚の間を進んで行くと、本が持つ独特の香りに包まれる。「それ、絵本?」 ゼシカが大事そうに抱えていた本に気づき、ティアラが尋ねて来た。ゼシカはこくっと頷く。「ゼシね、こないだパリにおでかけして、沢山ご本を買ってきたの」「へぇ、それは素敵ね! その本もその時の?」「うん」 ゼシカはまた頷き、それからどうやって説明しようかと考えた末、絵本をティアラへと差し出した。 彼女は渡された本を見る。 "Le Passeport bleu ciel"――『空色のパスポート』というタイトルだ。 色あせた表紙には、小さなパスポートの絵が描かれている。 物語の内容はこうだ。 優しく泣き虫な幼い娘は、生き別れになった父と会いたいと、毎日神に祈っていた。 そしてある朝目覚めた時、枕元に空色のパスポートが置いてあるのを発見する。それは、様々な世界へと行くことを可能にするパスポートだった。 そのパスポートを使い、娘は父を探すために旅に出る。 最初に訪れたのは竜の姿をした者たちが住む緑豊かな世界、次に世界中が氷で覆われた世界、増築と改築を繰り返して迷路のようになった都市の世界、そして、思いが形になる世界。 娘は今まで過ごしてきた毎日や、旅をしてきた世界、わずかしかない父への手がかりを思い出し、実際に形となったそれらを見ながら、歩みを進めていく。 ――そこで、急に話が終わっていた。「最後のページだけないの。なくなっちゃってるの」 ゼシカの言う通り、肝心のページが落丁してしまっているようだ。「本屋さんなら知ってるかもしれないと思って……それで、ご相談に来たの」 主人公の娘は、無事父親と再会できたのか、この物語が、果たしてハッピーエンドだったのか、それともバッドエンドだったのか。 どのようなものであったとしても、ゼシカは結末が知りたかった。 ティアラは本をじっくり見る。 作者の名前も、出版社の名前にも覚えがない。自費出版か何かだったのだろうか。「うーん……」「もし知らなくてもいい。ゼシと一緒に考えてほしいの。このお話の結末を考えて、絵本を完成させてほしいの」 悩む自分に向けられたゼシカの優しさに微笑み、ティアラは考えを巡らせる。もしかしたら覚えていないだけで、どこかに情報があるかもしれない。「ちょっと調べてくるから待っててね。店の本は自由に見てていいから」 そうして彼女は店の奥へと向かう。 それから店の在庫や取り引きのあった本、個人的に今までに読んだ本のリストも調べてみるが、やはり絵本の情報は見当たらない。そもそも、見たり読んだことがある本であれば、微かな記憶でもあるはずだ。 本好きの彼女は数多くの本を読んでいるが、自分の趣味や仕入れのために違う世界に行ったり、『Pandora』に本が持ち込まれるたびに、世の中にはこんなにも沢山の本があるのだと新鮮な驚きに包まれる。 そっとゼシカの様子を窺うと、彼女は落ちつかない様子で本棚の前をうろうろし、本を出したと思えば、また棚に戻したりしていた。あまり待たせてしまうのも可哀想だ。 どうしようかと迷っていると、背後からにゃぁぁ、と間延びした声がかかった。「あ、リルデ。どうしたの?」 唐突に現れた猫のリルデの前には、小さな銀色の瓶が置かれている。「ああ、その手があるか」 少し考えてから、ティアラは再び売り場の方へと向かった。「ごめんなさい。わからなかった」「……そう」 ティアラが謝ると、ゼシカは少し残念そうな顔をしたが、すぐに笑顔を見せる。「頑張って調べてくれたんだから、仕方ないわ」「ありがとう」 ティアラはゼシカに微笑んで、それから預かった本と、銀色の小瓶を掲げた。「それで、一つ案があるんだけれど……本の世界に行ってみない?」「ご本の世界?」 ゼシカは目をぱちぱちとさせる。「ええ、最後のページがなくても、本の中の世界に行けば、結末がわかるかもしれないわ。どうなったのか、私たちで確かめに行かない?」 最初は失敗続きだった本の世界に入ることが出来るようになる魔法は、儀式を補助する魔法薬の開発により、成功率が飛躍的にアップした。 だが、100%というわけではないし、流石に持ち主であるゼシカの承諾を得ずに、勝手に魔法をかけるわけにはいかない。「でも、魔法が成功するとは限らない。失敗したら、大切な本が、変な本になっちゃうかもしれないわ。だから、さっきゼシカちゃんが言ってたみたいに、二人で一緒に結末を考えるっていうのもいいかなって思うの。ゼシカちゃんはどっちがいい?」=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ティアラ・アレン(cytz1563)ゼシカ・ホーエンハイム(cahu8675)=========
「ゼシ、本屋さんとご本の中に行ってみる。本屋さんの魔法はきっと大丈夫よ。ゼシも上手く行くようにお祈りするわ」 ゼシカはそう言って、ティアラを見る。 本の中に行って、直接結末を確かめたいと思った。 そして、主人公のセタという女の子に頑張ってと伝えたい。自分と同じように父を探す彼女を、応援したいと思っていた。 「うん、ありがとう。多分……いえ、きっと成功すると思う」 ティアラは微笑んで頷き、魔法の儀式の準備を始める。 ◇ 「……よし、成功ね」 ティアラは本を確認して、ほっとしたように言った。 ゼシカには、どうなると成功なのかはよくわからなかったが、ティアラの安心した顔を見ているうちに実感が湧いてきて、同じように胸をなでおろす。 「上手くいってよかったわ」 「ゼシカちゃんのお祈りのおかげね」 ティアラは笑顔で言うと、片手を差し出した。 「じゃあ、早速出発しましょう。女の子の旅が終わったら、自動的に私たちもここに戻ってくることになるわ」 ゼシカはその手に自分の手を重ねる。 そしてティアラは、もう片方の手で開いた絵本のページに触れた。 ◇ ◇ ◇ 目の中に、光が差し込んでくる。 上を見上げると、青い空に大きな太陽が浮かんでいた。 ゼシカとティアラは、明るい緑色の草原に立っていた。色とりどりの花も咲き、丸みを帯びた木も生えている。いかにも絵本の中の世界といった雰囲気だ。 「ここは最後の『思いが形になる世界』みたいね」 ティアラはあたりを見回して言う。 「女の子はどこにいるのかしら?」 ゼシカが呟いた時、ちょうど草を踏みしめる音が聞こえてきて、二人は急いで近くの木の後ろへと隠れた。 「お父さん、どこにいるの……?」 きょろきょろとあたりを見ながら、疲れたような足取りで歩いてくる女の子、あれがセタだろう。 彼女はふと立ち止まり、虚空を見た。 三つ編みにした赤茶色の髪が、不安げに揺れている。 === 「あんたは捨てられたんだよ」 セタはご近所のメアリーおばさんが言ったことを思い出します。セタはぜったいにちがうと思ったけれど、もしかしたらおばさんの言うことが正しいかもしれないのです。 「わたし、本当に捨てられたのかな」 セタはお父さんにずっと会いたいと思ってお祈りしていました。でも、お父さんのほうからセタに会いに来ることも、手紙が送られてくることもありませんでした。 ずっといろんな世界を旅してきても、お父さんはちっとも見つかりません。 そのとき、とつぜん草むらから音がして、男の人が出てきました。その人はとてもこわい顔をして、セタのことをにらんでいます。 写真にうつっていたときの顔とはまったくちがいましたが、お父さんでした。 お父さんは言います。 「そうだよ。お父さんはお前を捨てたんだ」 それを聞いてセタは悲しくて悲しくて、そこから動けなくなってしまいました。 === 「違うのに……あの人は、あの子のパパじゃないわ」 ゼシカが呆然と立ちすくんでいるセタを見て呟く。セタの前に現れた男は、意地の悪い目を彼女に向けていた。 「ええ、不安が形になっちゃったのね」 ティアラも頷き、二人の様子に目をやる。 セタの顔からはどんどん気力が失われ、やがて目からは大粒の涙がこぼれ出した。 「本当に、それはあなたのパパなの?」 ゼシカはそれを見ていられずに、思わず木の陰から飛び出していた。 === 「ほんとうに、それはあなたのパパなの?」 セタが顔をあげると、そこにはセタと同じくらいの年頃の女の子が立っていました。きれいな青い目と、金の髪をしています。 不思議な女の子は言いました。 「ここは、想いがカタチになる世界なのよ。こわいことを想ったら、それがカタチになっちゃうんだわ。パパのこと、あなたが信じてあげなきゃ」 その子の言うとおりだと、セタは思いました。 これまで旅してきた世界でも、お父さんがセタのことをずっと気にかけていたということを知ることができました。 それに、出会ったたくさんの人たちが、セタを応援してくれました。 「わたしは、お父さんを信じるわ!」 セタがはっきりと言うと、こわい顔をしたお父さんのすがたは、あっという間にどこかへと消えてしまいます。 「これね、けさ摘んだ四つ葉のクローバー。あなたにあげる。願いがかなうおまじないよ」 「ありがとう」 セタはお礼を言って、四つ葉のクローバーを受け取ります。 この不思議な女の子も、きっとセタをはげますために、神さまがつかわしてくださったのだと思いました。 そうするとしぼんでしまったと思っていた勇気がまたわいてきて、ほんとうのお父さんをきっと見つけられると思えるようになってくるのです。 振り返ると、もうあの女の子はいませんでした。 === 「想いがカタチになる世界……」 再び元気を取り戻し、歩いていくセタを木の陰から見守りながら、もしかしたら、ここでならば父に会えるかもしれないと、ゼシカは思った。 「ねえ本屋さん、聞いてくれる? ……ゼシね、こないだパパと会ったの」 この前起きた出来事を思い出し、彼女は目を伏せる。 「でも、パパはゼシのことがわからなくて、自分の子供は奥さんと一緒に死んじゃったって言って、炎の中に消えていったわ。その時はゼシ泣いてばっかりで、いちばん大事なことが言えなかった」 後悔しても、もうその時は返ってこない。 父を探して旅をしてきて、ずっと待ち望んだ瞬間のはずだったのに。 「そうだったの……」 俯いているゼシカを見て、ティアラも悲しそうに言った。 そして少し考えるようにしてから、今度は一転、明るい声を出す。 「じゃあ、一緒にイメージしましょう!」 その声音に引っ張られるかのように、ゼシカも顔を上げ、ティアラを見た。 「ゼシカちゃんのお父さんをイメージして、会って、大事なこと伝えよう?」 そう言って片目を瞑る彼女に、ゼシカの表情も綻ぶ。 二人は頷き合うと、目を閉じた。 「えっと……パパは虹の橋の先で待ってるのよ」 美しい虹の橋。それは、希望を与えてくれるような気がする。 「OK、虹の橋ね」 二人は橋が現れることを強くイメージした。 しっかり二人を向こう側へ渡してくれる、絵本に出てくるような虹の橋。 「出てきたわ!」 イメージの中に没頭していると、ティアラの嬉しそうな声が聞こえ、ゼシカははっと目を開ける。 目の前には七色に光る道が、優しい曲線を描いて遠くへと伸びていた。 「この先に、パパがいるわ」 ゼシカは自分に言い聞かせるかのように言う。期待する気持ちと恐さが混じりあって、気持ちは揺らいだ。 その彼女の手を、そっと温もりが包む。 「私も手伝うわ。ゼシカちゃんのお父さんは、この先にいる」 「うん、きっといるわ」 二人は手をつなぎ、虹の橋へと一歩を踏み出す。 足の裏に伝わる感触は柔らかく、でも歩くのに不安は感じさせない、心地良いものだった。橋の上からは牧歌的な風景が一望でき、穏やかな気持ちにさせる。 「あっ」 ゼシカはその中に、セタとその父が抱きあっている姿を見つけた。 温かいものが胸へと広がり、自然と笑みがこぼれた。 ゼシカの一歩一歩も、より力強いものとなっていく。 橋の先には、小さな礼拝堂があった。 中には誰もおらず、虹をかたどったステンドグラスを通った七色の光が、堂内に美しい模様を落としている。 ――否。 瞬きをしたその僅かな間に、祭壇の前で祈る牧師の姿が現れていた。 とても、懐かしく感じる背中。 ゼシカの心臓は跳ね、体に緊張が走った。 「……パパ」 勇気を出し、その言葉を発する。 ゆらりとこちらに向けられたその顔に、かつて拒絶されたことが思い出されて、ゼシカはぎゅっと身を硬くした。 でも、自分自身がセタに言ったことを思い出し、視線を前に向ける。 自分が、信じなければ。 優しい魔法使いも言っていた。あの時は、よく見えなかっただけだと。 ゼシカは無意識のうちに走り出していた。父へと向かって。 躓いて、それでも堪えて、ようやく黒いガウンが目の前に迫って来ると、夢中でしがみつくようにして抱きついた。 指先にぎゅっと力を込め、そのまま思いを吐き出す。 「ゼシ、生きてるんだよ。ママから命をもらって、元気に生きてるの」 生きて、そしてセタと同じように、父を探して色々な世界を旅してきた。 体が震える。次の言葉が中々口から出てきてくれない。 「……だからパパ、帰ってきて」 それでも、思い切って言葉をガウンにぶつけた。 「哀しいのや……寂しいの、終わりにして……おうちで一緒に暮らそう」 胸が苦しくて、泣かないように頑張ったのに涙がぼろぼろとこぼれて、声は途切れ途切れになったけれど、それでも、気持ちをきちんと伝えることが出来た。 その時、手の感触が急に失われた気がして、ゼシカは戸惑いながら指を動かす。その指の動きが、父の服を通して見えた。 はっとして顔を上げると、父の体は光り輝き、少しずつ砂のような小さな粒となり、宙へと漂い始めているところだった。 父だけではない。虹のステンドグラスも、祭壇も、礼拝堂も、光る砂となってこぼれていく。 セタの旅が終わり、物語が完結したのだ。 ゼシカは涙に濡れてにじむ目を、眩い輝きに細めながら、父の顔を探す。 「パパ!」 よくは見えなかった。でも、そこに確かにいるのがわかった。 「過去を……なげかないで、未来をつむいでって、ママが言ってたの! パパに伝えてって」 ゼシカには少し難しい言葉だったけれど、一面に広がるシロツメクサの花畑で母が言ったことを思い出しながら一生懸命伝える。 「ママは、パパのお嫁さんになれて幸せだったって言ってたわ!」 母が見せた満面の笑みがよみがえる。それは絶対に本心だと思った。 「ゼシ、ママとお約束したの! パパをきっと助けるって!」 今きっと父がいる、とっても暗くて、冷たく、寂しいところから、うんと頑張って引き上げてあげたかった。 「だって、ゼシはパパとママの娘だもの! ゼシ、ママのことも、パパのことも、大好き!」 光の奔流に、父の姿も溶けていく。 「大好きよ!」 一瞬だけ見えたその顔は――優しく微笑んでいるような気がした。 きらきら。きらきら。 光の粒たちは、踊って、輪になって、弾けて、消えていく。 そして――世界はぱたりと閉じた。 ◇ ◇ ◇ 気がつくとそこは、『Pandora』の店内だった。リルデがお帰りというように、にゃぁぁと鳴く。 ゼシカは彼の灰色の毛を撫でてから、自らの小さな手を見た。 その手には、父にしがみついた時の感触がまだ残っている。 本の中の世界の、夢のような、本当のような出来事だったけれど、それでも、想いは父に届いているような気がしていた。 それに、次に会えた時はきっと、同じことを伝えられる。 ゼシカはいつの間にか増えている、絵本の最後のページを眺めた。 === セタは不思議な女の子からもらった四つ葉のクローバーをしっかりと握って、もう一度お父さんのことを思いながら歩きました。 すると今度は、悲しそうな顔をして座っている男の人と出会いました。 今度こそ、セタのお父さんでした。 「お父さん!」 セタはすぐに駆けよって、お父さんに言いました。 「わたし、セタよ! ずっとお父さんに会いたかったの」 お父さんは信じられないような顔でセタを見ます。 「本当にセタなのか?」 うなずいたセタを見て、お父さんは涙を流し、セタを抱きしめました。 「ごめんよ。お父さんはずっとこわい夢を見ていて、ここから動けなかったんだ」 「わかるわ。わたしもこわい顔をしたお父さんや、おばさんを見たもの」 セタの目からも涙があふれてきます。 二人はしばらく抱き合って、泣き続けました。 やがて、だんだんと笑顔がもどってきます。 「見て、お父さん、虹だわ!」 空にはきれいなきれいな虹がかかり、まるで二人をお祝いしているかのようです。 そして、空色のパスポートがかがやきはじめ、世界を包みこみます。 気がつくと二人は、元の世界と帰ってきていました。 セタとお父さんの新しい毎日が、これからはじまるのです。 ===
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