インヤンガイに『悪魔』と呼ばれる暴霊がいる。 その暴霊は、契約者の願いを一つ叶える代わりに、極めて残忍な形で命を奪っていくのだという。「まるでホンモノの悪魔みたいね」「だろ?」 その情報を得たメアリベルとテリガン・ウルグナズは、依頼人の元へと向かった。「助けてくれ……頼む……!」 広い室内の、一目で高級とわかるベッドの上で、男は咽ぶように懇願した。 顔は青白く、目は落ち窪み、その下には濃い隈が浮き出ている。 空気の薄い場所にいるかのように呼吸は荒く、明らかに健康な状態ではなかった。 それは、恐怖に取り憑かれているという事ばかりではないだろう。既に悪魔の力の影響が出始めているのだ。「出来心で悪魔と契約しちゃうなんて、おばかさんね。ミスタ」 メアリベルはそう言って、部屋の中を見回す。その動きと一緒に、長い赤毛もふわりと動いた。 この立派な屋敷と本人の印象が全く釣り合っていないのを見ると、命の代償として富を所望したというところだろうか。 屋敷の規模を考えれば、恐らく使用人も大勢居ただろうが、悪魔の噂を聞きつけ、皆逃げてしまったのかもしれない。「だって……あいつは、ぜった、絶対大丈夫だって……!」 息も絶え絶えな男へと、テリガンは言う。「ま、それが常套手段ってヤツだろうよ。そーじゃねェ悪魔もいるだろーけどさ」 彼は帽子の下の黒い耳をぴくりと動かし、壁際に置かれていた年代物の柱時計を見た。時刻は夜の十時を回っている。 悪魔が男から『報酬』を受け取りに来るのは、ちょうど日付が変わる頃とのことだった。「なんとか……なんとかしてください……! おね、おねがい、お願いします……」 涙を流し、ベッドからずり落ちんばかりにして頭を下げる男へと、彼は視線を戻す。「ひとつだけ、悪魔を追い払う方法がある」 その言葉に、男ははっと顔を上げた。「なあにそれ」 メアリベルも初耳の話だったので、彼女は可愛らしく小首を傾げる。「そいつの本当の名前を呼ぶんだ」 本当の名前を呼ばれれば、悪魔は力を失うという。「ますます悪魔っぽいのね」「だな。んで、あんたも心当たり……は、あるワケないか」 男は震えながら、何度も首を振っている。 そんなに大事な秘密を、悪魔が簡単に明かす訳はないだろう。 二人は、考えを巡らせる。 ◇ 時計の鐘が、零時を告げた。 メアリベルとテリガンは、静かにその時を待つ。 あれから屋敷の中を調べて回ったが、悪魔の本当の名前に関係のありそうなものは見つからなかった。 男にはパニックに陥られても困るので、部屋にあったクローゼットの中に潜ませ、目と耳を塞いで静かにしているように言い渡してある。 やがて、部屋の気温が一気に下がったかのように肌寒くなり、空気が揺らいだ。 そして、今は誰もいないベッドの枕元に、白い煙状のものが現れる。 それは一旦広がってから収束し、人のような形を取り始めた。『汝らは誰だ?』 その人型の煙から、仰々しい言葉が紡がれる。 太く、迫力はあるが抑揚には欠け、感情のあまり伝わってこない声だった。「代理人ってトコかな」『代理人? 我の邪魔をすると申すか』 テリガンがおどけたように言うと、悪魔の声に少し苛立ちが混じったようにも感じられる。「あんたにとっては邪魔かもしれねェけどな。こっちも依頼を受けたんでね」 白い煙の周囲には、水晶球のような物が浮かび、ゆっくりと漂っていた。 二人が会話をしている間にメアリベルが数えてみたところ、四十六個ある。 目を凝らすと、透明な球の中に時折、人間の苦悶の表情が青白く浮かんでいるように見えた。『我が契約をしたのは汝らではない』「だからその身元は今、オイラたちが預かってるってワケ」『下らん理屈を』「あんたの本当の名前」 その言葉が放たれた瞬間、それまで悠然としていた白い煙が大きく揺れたのを、二人とも見逃さない。「やっぱ、恐いみてェだな」 鼻を鳴らしたテリガンに、けれども具体的な策はないと思ったのか、煙は次第に落ち着きを取り戻していく。『ふん、どの道、汝らには知る由もなかろう』「だから、名前の当てっこをしましょうって言ってるの。そのためには、ヒントをくれなきゃ」 それまで黙って成り行きを見守っていたメアリベルが、歌うように言った。『何故、我が汝らにその様な物を与えてやらねばならぬのだ』「契約した当人には、謎解きに挑戦する権利があるんだろ? オイラたちは代理人だから、代わりに挑戦するってだけさ」 テリガンが言って肩を竦めれば、メアリベルはくすくすと笑う。「恐いの? 悪魔なんてすごい名前で呼ばれてるのに、とっても臆病なのね、ミスタ。『臆病な悪魔』っていう歌を作ってみんなに披露しようかしら?」 そうして彼女は、美しい声でメロディーを口ずさみ始めた。コミカルな曲調は、およそこの場にそぐわない。 そこまで言われては引けないと感じたのだろう。悪魔は尊大な態度で言葉を返した。『口の減らぬ奴等よの』 それから悪魔は煙の一部を腕のように伸ばし、周囲の水晶球の一つに触れる。 すると、幾人もの人間の呻き声が重なったような、耳障りな音が発せられた。『まあ、少し戯れてからというのも悪くあるまい』 悪魔はそれから、部屋を揺るがすような力強い声で告げる。『我は、【果たせぬ夢】ではない!【骨摘む天】でもなければ【血を見る回路】でもない!【声もなき部屋】だということもなく、【夜更けに差す日】でもない!【恐れし祝詞】ということもまた、ない!』 そして悪魔は静かに続けた。『さて、我は誰だ?』 メアリベルとテリガンは、悪魔の本当の名を当てる謎解きへと挑む。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>メアリベル(ctbv7210)テリガン・ウルグナズ(cdnb2275)=========
メアリベルとテリガンは、煙の姿をした悪魔を見る。それは不規則に揺らぎながら、二人の視線を受け止めた。 静かな室内には、柱時計の振り子が発する規則的な音が響いている。 (本当の名前当て、か。オイラ、こーいう謎解き苦手なんだよなー) そう思いながらテリガンは爪の先で頬を搔いたが、表情に出すことはしない。 もっと他にヒントになりそうものがないかどうか、もう一度注意深く視線を部屋中に向け、考えを巡らせた。 そして少し迷った後、毛足の長い絨毯の上へと、そっと片足を出してみる。 ちらりと悪魔のほうを窺うが、何も言ってくる様子はないので、そのままゆっくりと歩みを進めた。 部屋の中には金の燭台、騎士の像、精密な絵柄の壷、動物の毛皮など、特に目的もなく買い集めたような統一感の感じられない調度品が飾られている。豪勢な邸宅というよりは、さながら展示テーマの決まっていない博物館のようだ。 それらを引っくり返したり、細かい部分に注目してみたりするが、先ほどと同様、めぼしい収穫はない。 悪魔が動く様子も、特に見られなかった。 好きにしろということなのかもしれないが、ここにはヒントとなるものはないということの表れなのかもしれない。 白い煙の周囲を巡る四十六個の水晶は、あからさまに解への道筋を示しているように思える。 だが、それがどこへ繋がっているのかとなると、中々わからなかった。 テリガンは腕を組み、ヒゲを揺らしながら、水晶の一つ一つへ視線を移して行く。 中に浮かんでいるように見える顔は、今まで奪ってきた魂の、なれの果てなのだろうか。 死霊術。煙――形を持たない姿。 だとするなら――いや。 「ビフロン?」 テリガンが口にするかどうか迷っている間に、メアリベルの可愛らしい声が、その名を告げていた。 「ソロモンの軍団の46番目、ミスタは墓の上に蝋燭の火を燈すもの、ビフロン?」 ビフロンスとも呼ばれるその悪魔は、ソロモン七十二柱、四十六位の存在であり、死霊術とも関連付けられることがある。 また、召喚時の姿は不明とも言われていることから、煙という姿であるのも、相応しいといえるのかもしれない。 だが、白い煙は今までのように少し揺らいだだけで、それ以上、何事も起こる気配はなかった。 どうやら、それは正解ではないようだ。 「それなら、こういうのはどう? ミスタの周りの水晶球が万物の基となる元素を表してるなら――」 彼女は漂う水晶球を指差し、弾いて音楽を奏でるかのように動かした。 「名前は46番目の元素、パラジウム。女神アテナの別名だそうよ」 眼前の悪魔は女神という印象からは程遠いが、形にとらわれず、変幻自在である場合もあるだろう。 あの煙が晴れれば、美しい姿と声を持つ者が控えているのかもしれない。 だが、今回も悪魔は、ただ黙っていた。 反応をすることで、何がしかのヒントになることを怖れているのかもしれない。 メアリベルは煙を再びじっと見つめ、やがて疲れたように目をぱちぱちと瞬かせた。 「正直むずかしくって、メアリ全然わかんない。もっと簡単な謎かけにしてほしいわ」 彼女は小さくため息をつき、ぶつぶつと呟きながら部屋の中を歩いて、壁や調度品を眺め始める。 「果たせぬ夢、骨摘む天、血を見る回路、声もなき部屋、夜更けに差す日、恐れし祝詞……」 テリガンは目を閉じ、先ほど聞いた言葉の羅列を思い出しながら、一つ一つ口にしてみた。 それは水晶球と並び、謎解きのヒントとなっていると思われるものだ。 「血を見る回路といえば血管が思い浮かぶけど……夜更けに射す日は何かしら?」 メアリベルは宝石で出来たチェス盤をいじりながら、テリガンの言葉を拾う。 どれも意味ありげな言葉ではあるが、全く意味がない言葉のようにも思えた。 「……これはオイラの上司の話なんだけどな」 ふと思い出したことがあり、テリガンは話題を変える。 行き詰った時は、別のことを考えてみるのも一つの手だろう。そこから解答へのひらめきが得られることだってある。 彼は白い煙の方を窺いながらも、あくまでメアリベルに向かって話すという態度で続けた。 「オイラの上司も、本当の名前を呼ばれると弱体化する性質持ちだった。誰にも呼ばれちゃいけない本当の名、そんな名前を自分が記憶し続けるにはどうすればいいか――」 「その人は、どうしたの?」 そこで言葉を切った彼に、メアリベルはダイヤモンドで出来たクイーンを盤の上に転がすと、話の先を促した。 「オイラの上司の答えは、自分の名を歌にして歌う、だった。――ま、その歌をうっかりニンゲンに聴かれちゃって、次の日に殺されちゃったけど」 「まあ、うっかりさんね」 肩を竦めたテリガンに、メアリベルはくすくすと笑う。 テリガンは今度は悪魔の方へと、試すような視線を投げかけた。 「アンタの謎かけ、『あーではない、こーではない』ばっかだったけどさ、実は自分の名前、なぞかけの中に組み込んでたりしてない? オイラたち、謎解きを受ける権利は貰っても、アンタがその謎掛けで嘘を言わないとは聞いてないしさ」 『我は嘘など言っておらぬ。我は、その何れでもない』 しかし悪魔は、それはきっぱりと否定した。 何かがあれば、先ほどのように煙が大きく揺らぐこともあるかもしれないと思ったのだが、そういうことも見られない。 「でも、名前っぽくはないよな」 では、名前以外の何か、なのだろうか。 何かが掴めそうで掴めない感覚がもどかしく、すっきりとしない。 その間にも、時間は、刻一刻と過ぎていく。 『もう終いで良いのだな』 そして、悪魔がついにその言葉を口にした。 ふと柱時計に目を向けたメアリベルは、急いでそちらへと向かう。悪魔が出現した際、時計が鳴ったことを思い出したのだ。 でも、大きな柱時計の側面や裏を覗き、扉を開いてみても、やはりこれといって変わった所は見当たらない。 ゆらゆらと揺れる振り子も、答えを教えてくれることはなかった。 「ああ、もう全然わかんない!」 だが、一つの考えは閃いた。 「目には目を、歯には歯を、悪魔には悪魔を、よ。――Hickory, dickory, dock、おいでなさいな時計さん!」 歌う彼女の声に、長い眠りから覚めたかのように、目の前の柱時計が大きく震える。 それは軋み、裂け、弾けるような音を立てながら、見る間に巨大化していった。 針は捻じ曲がり、文字盤はあらぬ方向へと飛び出し、振り子は鋭く凶悪な刃へと変貌していく。 「ミスタの首を斬り落としてあげる。さあ、断頭台にお上りなさい」 マザーグースから召喚された柱時計のお化けは、さながら死刑執行人のように厳かに、けれども迅速に、煙の悪魔へと向かった。 悪魔はその場を動けずに、されるがまま、妖しく光るギロチンの餌食となる。 けれどもその刃は、煙で出来た首を斬りはしたものの、落とすことは叶わなかった。 筋のようについた傷も、周囲の煙によって立ち所に塞がってしまう。 『小娘が。小賢しい真似をする』 「反則? ズル? わかってるわ。でもしょうがない、わからないんだもの」 吐き捨てるように言った悪魔へと、メアリベルは悪びれる風もなく答える。 せめて時間稼ぎになればいいと思って行ったことだったが、それも難しいようだ。 テリガンの方を見ると、彼も困ったような顔でこちらを見ている。 打つ手は尽きたようだった。 「ほんというとメアリ、依頼人のミスタが殺されようがどうなろうがどうでもいいの。引きとめてごめんなさいね。ミスタ名無しの悪魔」 可愛い殺人鬼は、そう言って蠱惑的な微笑みを見せる。 不死身の彼女にとって、死とは怖れの対象ではない。そして、自らの欲望の為に悪魔と契約したのは、男自身だ。 「そ、そんな! ――助け、助けてくれるって!」 依頼人の男が、クローゼットの中から叫ぶ。 緊張に耐え切れなくなり、途中から話を聞いていたのかもしれない。 鍵はかかっていないはずだったが、扉はぴったりと閉まり、男がいくら暴れても開かないようだった。 「いつかミスタの名前を当てる人が現れるかしら? そうなるといいわね」 『何故だ』 「だって、誰にも名前を呼んでもらえないって寂しいもの。メアリもずっと、ずうっと自分の唄を探し求めているから」 メアリベルにとって、忘れ去られていくということは、死よりも寂しく、恐ろしいことだった。 だからこそ名前を呼ばれることのない悪魔は、本当はとても寂しいのではないだろうかと思ったのだ。 『面白い事を申すのだな、小娘』 それを聞き、悪魔は笑う。 彼にとっては真実の名を知られ、呼ばれるということは、自らの力を失うということである。 それは耐え難いことであり、寂しいということなど考えたこともなかった。 だからこそ、こうやって違う価値観を率直にぶつけられることは、彼にとっては新鮮でもあり、面白い体験でもあった。 悪魔の笑いは、尚も止まらない。 その笑い声は風となり、煙を少しずつ吹き飛ばしていく。 そのうち幾本もの角を生やした巨大な獣の頭部と、大きく裂けた口からむき出しになった凶暴な牙が露になった。 その瞬間、控えていた柱時計のお化けが振り子のギロチンを閃かせ、その首を斬り落とす。 悪魔の首は大きな音を立てて床へと転がり、赤い絨毯を深々と沈ませた。 首はそのままぐるりと回転すると、様子を見守っていた二人へと、ぎょろりとした大きな目を剥き、ニヤリと笑って見せる。 生首の口から発せられる笑い声は、先ほどよりもずっと大きくなり、部屋を暴風のように吹き荒らし始めた。 チェス盤と駒は飛び散り、毛皮は吹き飛び、壷は砕け、像は倒れて壊れ、燭台はばらばらになる。 二人は足を踏ん張り、姿勢を低くして、それに耐えた。 嵐が収まった後、荒れ放題となった部屋の中に、あの悪魔の姿はすでになくなっていた。 背後からした物音に、メアリベルとテリガンは振り返る。 すると二人の視線の先でクローゼットの扉が開き、中からは男の体が転がり出て来た。それは、床へと仰向けに落ちて動かなくなる。 悪魔は笑いすぎて、少し手元でも狂ったのだろうか。 意外にも、安らかな顔をしていた。
このライターへメールを送る