クリエイター玉響(weph3172)
管理番号1351-26214 オファー日2013-11-24(日) 23:30

オファーPC 由良 久秀(cfvw5302)ツーリスト 男 32歳 写真家/殺人鬼
ゲストPC1 ムジカ・アンジェロ(cfbd6806) コンダクター 男 35歳 ミュージシャン

<ノベル>

 車窓から青い光が差し込んでいる。
 すっかり馴染みとなってしまった紺碧の海を遥か下方に見ながら、臙脂色の車体が空を駆け登る。心地よいと言っていいほどの僅かな振動が席から伝わる。
 乗客もまばらな車両でボックス席の一つを占有し、私は読み差しの文庫本の栞を紐解いた。仕事も依頼も厄介な同行者も――無惨な死体もない一人旅の帰り道、得難い平穏に身を浸す。それが長く続かないことも知らずに。
 不意に微風がそよぐ。
「……此処、座っても?」
 凪いだ水面に僅かな波を立たせる声が落ちる。
 私は顔を上げるよりも先に、「勝手にしろ」と答えていた。
 聴く者の鼓膜に違和感なく溶け込んでいく声は、随分と耳に馴染んでしまった友人のものに相違なかったから。
 声の主は斜め上方でくすりと笑み、ボックス席の窓側に座る私の対角線上に腰を降ろした。視線を落としたままの私の視界に、ワインレッドのジーンズに包まれた長い脚が入り込む。
「少しくらいは驚いてくれよ」
「あんたが偶然を装う時は必ず何かがある」
 つまらなさそうに唇を尖らせたような声が聞こえて、私は苛立ちに眉を顰めた。インヤンガイのホテル、壱番世界の豪華列車、ターミナルの地下書庫――いつだって私は彼の掌の上で躍らされてきた。こちらが幾ら警戒を見せようと、鮮やかにその上を行く。だからこれくらいの態度は赦されるだろう、と私は手の中の文庫本に目を向け続けた。
「珍しいな、由良が推理小説なんて」
 何を読んでいるのかと探ろうとした視線が煩わしく、僅かに背表紙を見えるように傾けてやればそんないらえが返る。壱番世界で名の通った作家の書だ、彼は題名だけでその細部まで思い返す事が出来るらしい。
「子供の頃はよく読んでいた」
「ああ、造詣が深いのはよく知っている。だが実際に読む姿は見た事がなくて」
「悪いか」
「いや? 親近感のようなものかな」
 飄と笑った男を鼻であしらい、私はそれ以上応えるつもりなどないことを態度で示した。この男とは話題を続けていたくない。
 車窓の外を一瞥する。光のひび割れ砕けた、不穏な闇が渦巻いている。真理に目覚め、野心に狂った詩人が“空”と称したその空間は、私の目には深海に見えて仕方がなかった。差し込む僅かな光を砕いて咀嚼する、命の栄えない場所に。
 変わり映えのしない景色の中、私は小説の最後の頁を捲る。壱番世界で戯れに手に入れた本は、私がかつて住んでいた世界の者と同じ作家、同じ題名でありながら、私の記憶とは異なる結末を迎えた。こんな小さな場所にまで異世界の違和を感じ取り、私は眉間に皺を寄せる。ささくれ立つような不愉快さを振り払うため、煙草を一本取り出した。
「――そう云えば、今回の旅で気になる殺人事件の話を仕入れたんだ」
 それを待っていたかのように、或いは何かを思い出したようにムジカが口を開いた。私の反応がないのも意に介さず、まるで舞台役者の口上のように言葉を重ねる。
「避暑地として有名な島だ。ジャンクヘヴンからそれほど遠くないのも人気の一つなんだろう」
 聴きながら、私は推理小説の続きを追うような素振りのまま、その情景を脳裏に思い描いた。地中海のような気候を有するブルーインブルーには、そういったリゾート地が多い。
「現場はその島に立つホテル。被害者の名はリタ・ロジャーズ。友人と旅行に来ていた資産家の娘だそうだ」
 常ならば探偵の立場にある者の口から構築されていく舞台。私は彼の隣で、そのホテルのロビーに佇むような錯覚に囚われた。生温さを孕んだ潮風が、列車の窓から吹き込む。
「旅行に満足していたらしい娘は、しかし数日後突如として自室で首を吊った」
「自殺か」
 唐突に私が相槌を挟んだ事にも鷹揚と頷いて、彼は手品師のように両手を広げる。私は誘導されるように顔を上げた。肩を竦めるムジカ・アンジェロの、サングラスの奥に隠された楽しげな瞳が目に入る。スモークの向こうで、緑灰が煌めいている。
「当時はそう処理されたらしいな、唯一の鍵は部屋の中にあった上にドアチェーンまで掛けられていた。随分と厳重だ」
「旅先では当然の対応だろう」
「自殺するつもりなのに?」
 私の適当な反論にも食いついてくるムジカは、私の反応を楽しんでいるようでもあり、また戯れに言葉を返しているだけのようでもあった。どちらにせよ迷いがない。こいつがこういう態度を取る時は厄介だ、と顔を顰め、私は取り出した煙草に火をつけた。
「夜中に突然気が変わったのかもしれない」
「――まあいい。娘の遺体が発見されたのは翌日の朝。朝食の時間を過ぎても出てこない彼女を気にかけて、友人たちが彼女の部屋まで迎えに行ったんだ」
 寝坊した友人を起こしにその部屋まで足を向ける。
 それ自体はごくごく普通の、旅行者たちの朝の光景だ。彼もそこには違和感を持たなかったようで、説明を進める。
「娘の隣の部屋には異国の旅行者が泊っていたが、友人たちの声を聞きつけて彼も部屋の外に出てきたらしい。そして彼の言うには、深夜に妙な物音を聞いた、と」
「妙な物音、ね」
 推理小説の常套句だが、まったく具体性を書いていると私は感じる。金属音か、家具の落ちる音か、生々しい撲殺音か、実際に聴いていたのであれば判りそうなものだが。
「そんな曖昧な表現でも、友人たちの疑念を煽るには充分だったようだな。だが鍵穴から覗いても奥が視えない。何かがつっかえていたらしく、突き落してもう一度覗くと――部屋の中央で何かが揺れていた」
 ムジカはそこで口を閉ざし、一瞬の間を置いた。まるで聴き手に情景を想像する隙を与えるように。吟遊詩人か何かか、と批判したくなるのを堪え、私は極力反応を返さずにいた。
「一人が慌ててフロントへ行き、従業員にマスターキーを持ってこさせた。だが鍵を開けると、今度はドアチェーンが引っ掛かる」
 長い指先が、簡単に事件の様子を追う。ドアを開けようとして何かに引っかかる仕種、パフォーマーにでもなれるんじゃないのか、とその濃やかな演技を心中で感嘆するでもなく揶揄していると、ムジカは何が楽しいのかふっと息を吐いた。視線が交錯する。
「困惑する従業員の傍で、旅行者の男が横から手を伸ばし、ドアチェーンを一気に引きちぎった。――そして五人は室内へと駆け込み、首吊り死体と対面したと言う訳だ」
「成程な」
 ムジカの口上が一段落した頃合いで、私は紫煙を吐き、一服着く。
 推理小説ではありきたりだが、実際に出くわしてみれば自殺として処理されるだろう展開だ。何しろ、他殺を疑う根拠がない。
 だが、私と視線を合わせた男は、酷く楽しそうに瞳を輝かせていた。――こういう時の彼は、実に厭な貌をする。
「もし、彼女が自殺ではなかったとしたら? どう思う、由良」
「知るか」
 私は反射的に応えていた。ムジカの気まぐれには付き合わないに限る。どうせ、私がどんな対応をしたところで彼の意志が変わることなどないのだから。
「付き合ってられん。こんな誰の目にも明白な自殺にまでケチをつけるのか、あんたは」
「当然だ。これは誰の目にも明白な殺人だからな」
 揶揄めかした挑発に飄々と乗ってくる男を睥睨すれば、肩を竦められた。サングラスの奥の緑灰色が、ふと細められる。
「まず、鍵穴に差さっていたものは娘の部屋の鍵だった」
「鍵穴を塞げるのなんて限られてくるだろう。それがどうした」
 紫煙がボックス席の上方で蟠る。それを見上げ、また新たな煙を吐き出しながら、私は半ば諦めに似た思いで男の口上に付き合う。推理小説は栞を挟む事も忘れ、乱雑に閉じてしまった。
「問題は何でそんな所に放置されていたか、ということだ。……普通、鍵を差しっぱなしにしていく人間なんていないだろう。鍵をかけたらきちんと引き抜いて、机の上にでも置いておくさ」
 あんただったらどうする、と水を差し向けられ、私は苦虫を噛み潰す。適当な反論が思いつかないまま煙草を吹かしていると、ムジカはそれを肯定と取ったのか先へと進んだ。
「――では、どうしてそんな所に鍵が放置してあったのか? 意図があったのではなく、そこにしか置く事が出来なかったんだと、おれは思う」
 意味深な物言いはこの男の十八番だ。惑わされては、踏み込んではならない。私は努めて煙草を深く吸い込むと、応(いら)えの代わりに紫煙として吐き出した。
「実際にそのホテルにも泊まってみたよ。格調高いホテルだから、鍵の形もまた凝っていた。頭の部分に紐を通せるような穴が空いていた」
 聴きながら、私はその鍵の容を思い浮かべる。骨董品めいた美しい意匠の鍵は、絡みつく蔦のような流線型の紋様をしている事だろう。
「犯人は部屋側の鍵穴に鍵を差し、頭の部分に糸を通したまま外へ出て扉を閉めた。糸を繰れば鍵が回転し、部屋は施錠される」
「現実的じゃないな」
「ああ。如何にも推理小説的な陳腐なトリックだ」
 揶揄をあっさりと肯定する。私は僅かに眉を上げて、ムジカを見た。飄々と、涼しげな笑みが私を――その向こうの窓を見ている。
「試してみたが、古くなっていたからか鍵は簡単に回った。扉の下に隙間が空いていて、糸を回収する事も容易かった」
「……暇人め」
 思わず唾棄するような言葉が零れて、ムジカはからからと笑った。間違いない。この悪趣味な男は私の反応さえも楽しんでいる。確信と共に、胸の奥に鉛のような重みが落ちるのを感じた。
「現場は当時の状況そのままになっていて、そこも見させてもらったんだけど」
「他にすることはなかったのか」
 抵抗のように言葉が喉を衝いて出るが、無駄に終わるだろう事は判りきっていた。気まぐれの旅行程度であれば、本来の目的よりも自身の好奇心を優先する。その性は捉え所がなく、だからこそ誰にも止めることができない。
「クローゼットの影に割れたドアチェーンの欠片が入り込んでいた」
 そう言って、懐から取り出したのは黒光りする金属の破片。――持ち帰ってきたのか。
「盗んできたのか」
 驚きが喉を遡り、一層酷い表現に摩り替わる。心外だな、と泥棒だか素人探偵だか判らない男はわらう。
 開いた口が塞がらない。自殺として片づけられた事件だ、さして問題にはならないのだろうが、だからと言って証拠品を勝手に持ち去るか?
 私の舌打ちを愉しそうに歓迎し、ムジカは破片を口づけるように己の貌の近くへと寄せた。
「この破片、断面が僅かに黄ばんでいるんだ」
「黄ばみ?」
「そう。何かが盛り上がるように付着している。これは恐らく……瞬間接着剤かな」
 ――足下で大きな音が立つ。
 ムジカの長い指が落ちた何かを拾い上げ、私の顔を下から覗き込んだ。
「由良、本が落ちたぞ」
 名を呼ばれ、我に返る。
 差し出された小説を引ったくり、舌打ちと共に落とさぬよう鞄に放り込んだ。礼を言うのも癪だ。原因はこの男なのだから。鼓膜の隅で、何かがこびりついて離れない。
「旅行者の男が割る前から、ドアチェーンは掛けられてなんかいなかったんだ。犯人によって廊下から接着剤で繋がれていただけで」
「……馬鹿馬鹿しい。ブルーインブルーで瞬間接着剤だと?」
 口を開き、途端に背筋を襲う違和感。悪寒にも似たソレは、他ならぬ目の前の男への虞だろう。
 誘導されている。直感的にそう感じた。異物への違和感、異世界の介入への嫌悪を抱く私であればこう言う他ないように、巧みに話の流れを整えている。
 私の返答に、ムジカは期待通りとでもいうかのようににこやかに微笑んだ。
「そう。本来ならその世界にある筈の無い物。当時はこの変色もなく、見逃されていたようだけど――数か月経った今だからこそ、真実はこうしておれの前に現れてくれた」
 ほう、と唇へ寄せた破片に息を吐く。得難く、繊細な芸術品にするかのように、恭しい手つきで再び仕舞い込んだ。
「ドアチェーンを割ったのは旅行者の男だったな。彼はチェーンの割れに気づかれてはならないと、気が急いてしまったんだ。……つまりその男が犯人ということになる」
 私の反応を待ち侘びているようで、しかしこちらになど目も呉れない。判り切っているとでも言いたげに。
「この破片を見つけて、おれはようやく現場に残された二つの違和感に意味のある答えへ辿り着けたんだ」
「……二つ?」
「そう。二重の密室と、残されなかった遺書」
 胡乱げな問いにも頷き、素人探偵は言葉を続けた。
 遺書が残されなかっただけで他殺を疑ったのか、と続けて問おうとした私を遮って、人差し指を天へ向ける。
「もちろん遺書がなかっただけで他殺を疑ったりはしないさ。それも判断材料の一つだけど。……瞬間接着剤を持ち込めるような人間と言えば、異文化の者だろう。つまりはロストナンバーだ」
 穏やかな緑灰の視線が、私の頭上へと注がれているのが厭なほどに理解できる。
 不意に、鼓膜の隅に燻り続けていた違和感が、容を取った。羽音にも似たノイズが耳の奥で鳴る。小さくとも不快で、こびり付いて引き剥がせないソレは何かの象徴のように思えてならなかった。
「ロストナンバーは現地の言葉を理解できる。だが、書いた文字も本当に正しい言語になるのか? 犯人はそれを恐れたんだな」
 列車の乗車券により、言語を矯正される旅人。理解の及ばない化物により存在を保証される流人。私達旅人は、薄氷よりも、水泡よりも脆い立場にある。俺が書いた文字と、この娘が書いた文字は果たして本当に一致するのか――犯人が抱いたという不安に絶対の解を出せる者は我々の中には存在しない。
「知らない筈の言語で、出合ったばかりの異性の筆跡を真似る。――それが出来なかったから、犯人は密室を重ねてしまったんだ。ひとつでは弱い、他殺の可能性を残してはならないと。それがあの厳重すぎるセキュリティの理由だ」
 堅実さを選んだはずが、仇になったな。
 言外に、そう追及されている気分になる。またひとつ、鉛を飲み下した。
「……なんて、ね」
 ムジカはそう軽やかに言ってのけ、両掌を上へ返した。まるで、これで推理は終いだと言わんばかりに。私は返す言葉を喪い、ただ無感情を装った目で彼を睨む事しか出来なかった。羽音が酷く鳴る。
「煙草、いいのか」
 言われて見下ろせば、手の中の煙草が酷く短くなっていた。シガレットケースで乱雑にそれを揉み消している間に、ムジカはまだ言葉を重ねて来る。止めろと言って止まるものでもない。
「先程推理小説的なんて言ったが、おれは犯人はまさしくミステリに造詣の深い人間だと思うよ」
 心中の鉛が熱を持つ。唐突に燃え出したそれはゆっくりと融けて、厭な臭いが肺を充たしていく。それらを逃がすために、私は二本目の煙草に火を点けた。
「根拠は」
「恐らくは咄嗟の犯行だったんだろう。なのに、こんな手の込んだトリックを思いつくなんて」
 陳腐と言ったり手が込んでいると言ったり、発言が一致しない。否、それが一致するただ一つの解が『推理小説に馴染みの深い人間の犯行』だと言いたいのだろうか。私はそれには応えず、ただ紫煙をくゆらせ続けた。
「それと、その旅行者は謎の機械を手にしていたらしいけれど……蛇足かな、今では。彼が誰なのか、おれたちにはもう判らないんだから」
 ――白々しい、と心中で毒づく。羽音が鼓膜を埋め尽くし、肺にまで侵蝕しているようだ。
 窓の外は未だ、ひび割れた深海の光景を映し出している。
 硝子を開ければ、ひと一人は容易く通す事の出来そうな窓だ。その外に放逐された人間がどうなるのか、私は知らない。知らない方が好都合だとも思う。
 煙草を口許に中て、表情を隠す。
 出来る限り自然に見える仕種で、背後に視線を遣った。桃色の髪の添乗員が乗客の一人と雑談に興じている姿が見える。今しばらくは車両から立ち去る気配は見せない。此方の会話が途切れてようやく耳に届き始めた、その姦しい声音が、いつぞやの娘の笑い声を思い起こさせる。喧しい。耳の奥で鳴る羽音のようだ。噫、あの時もこんな気分だったのだろう。
「……ところで、由良」
 声に応えて視線を戻せば、スモークの向こうの緑灰と交錯した。舌打ちをまた一つ。男は私が何を確認したかも、気が付いているようだった。その足許には膨張したマゼンタのセクタン。窓の向こうの景色が変わる。錬金術師の空が停滞した青空に代わる。
 鳴り続けていた羽音が止む。私を苛む鉛色の火が、唐突に温度を失くした。
 ――吐き気がするほどに完璧な布陣だ。どうやら俺は、またこの男の罠に嵌められたらしい。
「どうして犯行時間が夜中だと知っていたんだ?」
「……死ね」
 だから、これくらいは言っても許される筈だ。

 <了>

クリエイターコメント二名様、オファーありがとうございました!
そしてぎりぎりまでお待たせしてしまい、申し訳ありません。

どんな形で書かせていただこうか悩んだ挙句、非常にシンプルな構成になってしまいました。PL様方のお望みの雰囲気が描けていましたら幸いです。
また、ノベルのタイトルと、被害者の名前はちょっとしたお遊びです。直接の関係はありませんのでご安心を。

今回は素敵な物語をお任せいただき、ありがとうございました。
それでは、御縁がありましたらまた違う物語をお聞かせくださいませ。


……え、ネタバレ? さて、何のことでしょう。
公開日時2013-12-26(木) 22:10

 

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