男は革張りのシートに腰掛け、そのまま背もたれに自身の体重を預ける。長い黒髪を後頭部の辺りでまとめ、真っ黒い具足と赤い陣羽織を纏ったその男は、険しい表情で周囲に視線を巡らせた。 広いフローリング床の部屋には高価そうな調度品が幾つも並んでいる。その出入り口にはこの家の主とその家族が放心したように力無く座り込んでいる。傍らには、銀の羽衣のような薄生地のドレスに銀の腰まで届く長髪が美しい女の後ろ姿があった。「しつけぇぞ、そいつらは後で戻してやるっつってんだろ?」「でも、謝罪は必要デス」 どこか固さのある女の声。その言葉に、男は不機嫌そうに鼻を鳴らす。落ち着きなく抜き身の刀を弄びつつ、目の前の機械を見つめる彼のもとに、謝罪を終えた女が戻ってくる。男の隣に立った女の姿は、やはり美しい。しかし美女というよりは精巧な人形というのが相応しいだろう。彼女の緑の双眸はガラス玉のように真直ぐに単調に光を返し、無機質に白く光沢のある肌には可動部分の継ぎ目がくっきりと見えていた。「景辰サン、お待たせしましタ」「……リーベ、『壺中天』ってのはそれのことか」 女がその問いを肯定すると、男は刀を納めて壺型の送受信機を手にとり、その形状を確かめるように回し見る。その一方で、女は自身の懐からまっ白い端子を取り出すと本体のコンピュータに差し込み、その場でじっと座りこんで動かなくなった。「どれくらいかかんだ?」「景辰サンが欠伸をする前には終わりマスよ」 一瞥もせずに彼女が応えるのを、男はつまらなそうに眺める。ちらりと、相変わらず放置されている家人達に視線を送ると、いつのまにか彼らの背には毛布がかけられていた。「気がひけんなら、留守番してりゃいいじゃねぇか」 それは彼女に向けてというよりは、思ったことをそのまま口にだしたような調子だった。 女は、やはりじっと身動きをすることなく言葉を返す。「貴方は放っておくト何をするか分からないノデ」 男の眉間に深く皺がよった。拗ねた子供のように顔を背けると、男は「そいつぁどういう意味だよ」などとぶつくさぼやく。「景辰サン、始めましょウ」 男が拗ねている間に自分の仕事を終えたらしい。女は男の前に立つと彼の手から送受信機をとりあげ、丁寧にそっと彼の頭に被せる。それを受け、男は座り直し姿勢を正すと、先程までの不機嫌さはどこへやら、楽しげに嗤ってみせた。「ああ。やるぞ、リーベ」* * *「インヤンガイで、一般人が急に暴徒化する事例が増えとる」 世界司書・湯木はジョッキに注いだアイスココアを飲み干すと、集合したロストナンバー達にそう切り出した。「インヤンガイのことじゃけ、暴力沙汰自体は珍しない。じゃが、ここのとこ、それらしい前触れもなく本人の性格も関係なしに豹変しよるっちゅうことが各地で頻発しとるらしい。暴徒化した奴は今のとこどいつも捕まっとるが、一日に発生しゆう人数は右肩上がりじゃ」 視線は机上の導きの書に落としたまま、二杯目のココアをジョッキに注ぐ。ココアはまだまだ大量にあるらしく、大きな水筒が彼の机の周りに幾つも並んでいた。「原因はもう分かっとる」 注ぎ終わったココアに口をつけぬまま、ジョッキから手を離した。導きの書を手にとり、あるページを開いたままロストナンバー達に差し出す。そこには、広い荒野が描かれていた。竹を紐で縛り繋いだ柵が幾つも設置されており、川を挟んだ向こう側は丘になっているようだ。その丘の方にも柵があり、その向こうに、幾本もの黒い幟旗、幾頭もの黒い馬、幾人もの黒い兵、それらが黒い塊のように何かを待ちかまえていた。「壺中天じゃ。『烈火戦武』っちゅうサイト、おかしなった奴は皆直前までそこにアクセスしとった」 壺中天とはインヤンガイで開発された、バーチャルリアリティを利用したインターネットである。使用者はネット上にあるサイトを仮想現実空間として体感することができるのだ。「このサイトはもともと人気があっての。プレイヤーが兵を率いて、戦をシミュレーションできるっちゅう内容らしい」 湯木は導きの書を閉じ、机の上に置く。それから、ココアの入ったジョッキを手に取った。「じゃが、さっき見せたステージは本来存在しない」 ある日、先程のステージが出現するようになり、そこを利用した者が、直後突然暴れ出すのだという。過去にも暴霊によって壺中天で事件が起こることはあった。しかしそれらはいずれも利用者が壺中天に閉じ込められるといった現象であり、アクセス後に現実世界で影響が出たことはなかったはずだ。「インヤンガイにロストナンバー、二名確認しとる。おそらく、世界樹旅団の連中じゃ」 導きの書から読みとれた情報により、その二人のロストナンバーがこの件に関与しているのは間違いない。「一人が烈火戦武のこのステージに潜伏しとる。もう一人は、外部からサイトにアクセスして細工しとるようじゃの。ルールを、自分達の都合いいように改造しとる」 烈火戦武では、ゲームの設定上ツーリストの能力やセクタンの力は使用できない。しかし、ステージに居座っている旅団のロストナンバーはその制限の影響を受けていないようだ。「現実での二人のロストナンバーの居場所は分からん。サイトにアクセスして止めるしか手段はなぁじゃろ」 喋り続けて喉が乾いたというように、湯木はジョッキを口につけ、ココアを一気に飲み干す。「油断禁物。気ぃつけての」* * * インヤンガイに到着した一行は現地の探偵から烈火戦武のルールについてまとめたメモを受け取り、共に端末を手配しているに店に向かった。================================================================一、自身の武器を剣、槍、弓、火筒の中から選択する。二、参加者は将としてそれぞれ一隊(五十人前後)を率いる。自身が率いる兵の種類は選択可能。 (歩兵、騎馬兵、弓兵、鉄砲隊)三、参加者は二軍に別れ戦う。一軍につき五隊で編成する。四、全ての将が敗走した時点で敗北。 最後が一対一の相打ちの場合、一秒でも先に敗走した側の敗北。================================================================ 店に到着するとメモの内容を確かめながら、それぞれ席に座って壺型の送受信機を装着する。 そして、ロストナンバー達は仮想の戦場へと、敵の支配する舞台上へと、招かれた。* * *『景辰サン。ロストナンバーでス。『世界図書館』の』 真っ黒い兵団が居並ぶ荒野に、どこからともなく女の声が響いた。それは天からの声のようでもあり、耳元で囁いているような声でもある。「そうか。来やがったんだな。面白ぇ。面白ぇじゃねぇか。邪魔すんじゃねぇぞ、リーベ」 黒馬に跨ったまま、男は丘を降りた先、川向うに現れた敵軍を見やる。その表情に浮かぶのは好戦的でもあり、退屈を紛らわす遊び相手を見つけて喜ぶような笑みでもあった。
ロード画面を抜けると、ロストナンバー達の目前には事前に見せられた導きの書のとおりの景色が広がっていた。後方では各々が選択した装備の兵卒が五十人ずつ整列して指示を待っている。 「あ、あれ? えっと……コタロさんは?」 人数が一人足りていないことに気がついたハーミットはやや慌てた様子で彼の姿を探した。 「おかしいな、席にはついてたはずだろ」 「えー、何いきなり敵の妨害来ちゃってんの?」 ハーミットの両側に着いていたロキことMarcello・Kirschと小竹卓也も周囲に彼を見つけられないかと首を振る。するとしばらくして、冷泉律の左側に渦中の人物が現れた。 「ムラタナさん、何かあったんですか?」 すぐさま律が声をかけると、コタロ・ムラタナは居たたまれない様子で小さく応えた。 「……申し訳、ない。き、機械というものは、苦手で」 曰く、触っただけで機械を破壊できる程度には機械音痴であるコタロはログインにひどく手間取っていたようだ。ここに至るまでに送受信機を三台も犠牲にしまったらしい。 「そ、そうですか。……大丈夫だろうか、この後」 ぼそりと本音を漏らしてしまったのを咳払いで繕いつつ、律は改めて左右に居並ぶ仲間達に視線を巡らせた。 「先に話したとおり、俺は騎馬隊でなるべくこちらが有利になるように動きます。敵がゲームに変な干渉をしないうちに、将五人をしとめましょう」 彼らはログイン前にお互い挨拶を交わしてから、それぞれどのような行動をとるか話し合いを済ませていた。 律の装備は刀。兵は騎馬を選択している。遊撃部隊としての機動力を重視したらしく、実のところ話し合いを提案したのも味方の動向に自身が対応しやすくする狙いもあったようだ。 「それは同意ー。地形変えたり川に鰐放したりいきなり敵増量パワーアップ! も、ありえないわけじゃないし? 今回はゲームって言っても、戦争に卑怯とは言えないしね」 卓也の後ろに控えるのは槍を持った歩兵達だった。彼も得物は槍を選んでいる。 「ま、なんにせよ勝利目指して頑張りましょかね。旅団関係なく」 接近戦を重視した兵を選んだのは律と卓也の二名だ。ロキとコタロは弓兵を、ハーミットは鉄砲隊を率いることにしたらしい。自身の装備としては、ロキは槍、ハーミットは刀、コタロはボーガン型の弓を携えている。 参加者全員が騎乗を選択したようで、五人ともが馬の上から荒野の先に小さく見える黒い敵兵の姿を捉えていた。 「そうだよな。でも、ゲームでの勝負か……不利な状況のはずなのに闘志が湧いてくるのは、ゲーマーとしての性かな?」 ロキは緊張しながらもどこか高揚した様子だった。その左側ではハーミットが普段使用しているトラベルギアとの感触の違いを確かめるように柄を触っている。 「わたし、この手のゲームはやったことないのよね……ロキさんはゲーマーなんだっけ。コタロさんも軍人なのよね、やっぱりこういうことは慣れてるでしょ」 話を振られると、コタロは元々どこか沈み気味だった表情をさらに曇らせ、俯く。目線を泳がせつつ、小さく応えた。 「いや、じ、自分は、……慣れてなどは、ない」 「そうなの? あ、それって指示を受ける側だったってことかしら?」 コタロがそれを肯定すると、ハーミットは「そっか、軍人って聞いて早とちりしちゃったわ」とはにかむ。それに対してもまた逡巡しながら曖昧に応えると、コタロは口元を覆うマフラーを左手で引っ張り上げ、整え直した。それと同時に、重い溜息がマフラーの中に漏れる。 彼の心中にあったのは後悔の念だった。手当たり次第に依頼を受けるのは不味かった、そんな気持ちが彼の胸をずっしりと重く沈める。 人と関わるのが苦手な自分が、兵を率いて命令を出すなど出来ようはずがない。自分の性分は自分でよく分かっているのだ。 ちらりと、また川向こうの丘に居並ぶ黒い敵軍を見やる。思い出されるのは、覚醒前。彼女と共に、戦場に立った日々のこと。そしてまた、彼の口からいっそう重い溜息が吐き出される。 「……彼女のように、出来ないのなら。……自分のやり方でやるしかない……」 自信を奮い立たせるように、それでいながら、決して誰にもそれが聞かれぬように、小さく、小さく。そっと言葉を紡いだ。依頼はすでに受けて、もうここに立っている。やらなければ。そして彼はまたマフラーを整え直した。 そのとき、彼らの目前に「十」という巨大な白文字が浮かんだ。空中にあって、形を「九」、「八」と次々変えていくのを見て、彼らは各々体勢を整える。 「いよいよゲームスタートってとこ?」 卓也は問うように言葉尻を上げたが、手綱を握り直し前方を真っ直ぐ見据える様は間違いなく合戦の開始を確信しているようだった。 実際、彼の台詞に応えるものはいない。それぞれが、開始を逃さぬよう数字の減少を見つめている。 そして。 「遊戯開始」 戦場に鳴り響くホラ貝の音を聞きながら、彼らは一斉に手綱を引いた。 丘から敵の騎馬隊が砂埃をたてつつ塊となって向かってくるのを気にしながら、ロキは川の沿岸へ向け前進を開始した。ステージを二つに分割するように流れる川は深さこそ大したことはないが、幅は四、五メートル程ある。騎馬の多い敵軍がこちらに仕掛けるには、川を渡るしかない。 「ロキさん、援護がっつりお願いしまっす」 「了解。……問題は、どれくらい突っ込んでくるかだな」 川を渡る際に隙ができるとはいえ、規模が大きければ凌ぎきれない可能性もある。接近を許せば遠距離装備の多いこちらが不利だ。 それに騎馬を主体とした敵の方が移動力では勝っている。川岸に布陣するならば急ぐ必要があった。 「出だしでハーミットの鉄砲隊がどれだけ抑えてくれるか……はじめの勝負所だな」 彼らがそうしている間にも、多数の馬の嘶きや蹄鉄が地面を抉る地鳴りは徐々に、しかし確実に大きくなってきていた。 ハーミット率いる鉄砲隊がなんとか川を射程範囲に納められる位置にまで到着し陣形を整える頃、黒い騎馬隊はもう丘を降りきり、あと何十秒もかからぬ間に川を渡りだそうとしていた。 「見たところ数は三隊分くらいかしら。ずいぶんと長方形というか、縦長の陣形みたいだけど」 「狭い範囲に兵を集中させて、強行突破を狙っているんだ。完全に抑えきるのはやっぱり相当辛いだろうね」 発射のタイミングを計りつつ敵の様子を伺っていたハーミットの呟きに、近くで待機していた律が応える。彼の言葉を裏付けるように、迫る騎馬隊は一糸も乱れる様子もなく真っ直ぐに、目前の敵だけを捉えているようだった。 それでも、せめて卓也とロキが川岸に到着するまでは保たせなければ、頼まれた甲斐がないというものだ。 馬が水をかき分ける音が聞こえ始める。鉄砲隊に構えをさせつつ、ハーミットはちらりと、移動中の卓也とロキの部隊に視線を送った。彼らが川岸に着くにはもう少しかかりそうだ。しかし、それもそう長い時間にはならないだろう。出鼻を挫いてやれれば充分だ。 ハーミットは深く息を吸うと、表情を引き締める。敵のひきつけはもう充分だろうか。こんな経験などこれまで一度だってありはしなかったのだから、タイミングを完璧に計ることなどできようはずもない。自信など持ちようもないのだ。敵はもう川の中央辺りまで来ている。 焦りは禁物と頭で分かっていても、ここで今後の優劣が決まると思うと焦燥感を拭いさることはできない。 「大丈夫……わたしはもう、変わったんだから」 自身を落ち着かせるように、ゆっくりと息を吐く。もう充分だ。完璧でなくてもいい。ここで、自分が、敵を沈める。それさえ分かっていればいい。空になった肺に、再び酸素を送る。なるべく多く、この声が間違いなく届くように。そして、ハーミットは叫んだ。 「打てーッ!!」 号令から幾瞬とかからず、火薬の爆発する音が何十丁分も荒野に響きわたった。 放たれた幾つもの銃弾は、川を渡る騎馬兵達を瞬く間に貫き、馬の叫声、人の呻きと共に彼らを崩す。馬と人が倒れ落ちる水音をゆっくりと眺める間もなく、ハーミットは次の号令を出した。 「二隊目、構えて!」 始めに発砲した兵が後退し、まだ発砲を行っていない兵が前進する。二隊に分けられた兵達が、敵兵に川を渡る間を与えぬよう彼らを狙っていた。 丘の上、騎乗したまま、男は二度目の轟音を聞いていた。あちらの二部隊はそろそろ川岸に到着しようというところだろう。 「なかなか上手くやるじゃねぇか」 そうは呟くものの、男に焦りはない。銃弾を免れた騎馬の一部はもう川を渡りきっている。後ろに控えている鉄砲、騎馬、弓の部隊がどれほどやれるのか。それを想像するのも面白い、といった様子だ。 「このままでも、充分か。いや、でも……せっかくだ」 男は楽しげに、悪戯っぽく嗤った。同時に、じわり、と男の周囲に赤い霧が滲み出す。霧は男を中心に拡がり、ゆっくりと戦場を侵食していった。 「もう少し、遊ぼうぜ」 そして、男はようやく自身の部隊にも指示を出すのだった。 「よっし、ついに到着。兵士の皆さーん、三人一組で騎馬を仕留めろ!」 川岸に到着した卓也の部隊はすぐさま戦闘を開始した。槍を携えた兵たちは彼が指示したとおり、三対一となるように騎馬の前に立ちふさがり、川岸から敵を突いては落とす。他の騎兵に駆け付けられて辛いところは卓也が助けに入り、着実に敵兵の数を減らしていく。 しかしそれでも何体かの騎馬は卓也の兵達の隙を突いて抜きさってしまう。何しろ、彼の部隊に対して敵が多すぎるのだ。 「まあ、後はロキさんや後ろの皆さんに期待ってとこか」 卓也の奮った槍は馬上の敵の脇腹を殴り、川の中へと叩き落とす。川に落ちた敵兵はすかさず他の兵士が槍で突き殺していく。抜かれた数はまだ想定の範囲内だ。卓也はまた別の騎兵に向かって槍を突きだした。 そのとき、彼の視界に薄らと赤い煙が映る。途端、得体のしれない苛立ちが卓也の中で立ち込めていく。 「何? 視界妨害とかいうチートか何か? ……チートは犯罪! ばれなければいい? デスヨネー」 軽くおどけてはみたものの、その不快感はどうにも誤魔化しようがない。自然、敵を狩る槍の扱いも乱暴さが露になっていく。 一応口元を片手で押さえてはみるものの、すでに幾らかは吸ってしまっていた。今のところ体調に変化がないということは、毒ガスではないということか。 『離せ、離せ離せ離せェエエッ』 もう一人、敵兵を殴り落としたときに聞こえたその声は、どこから、誰があげたものなのか。卓也は視線を巡らせる。 『取り押さえろッ! あの外道を捕えろッ』 そう叫んだのは、あの馬上の敵兵だろうか。誰かは分からない。そう思ったのはただの勘でしかない。 押さえ込まれたのは、女だ。あんな女が、こんなところにいただろうか。川の中、男達に捕らえられた女の周囲は血の色だった。首のない死体、あるいは頭だけの死体が、ゆっくりと流されていく。女の手は、取り押さえられてもなお、刃をきつく握りしめていた。 『あいつだッ! あいつがッ! あいつが私の夫を、子を殺したんだッ! 殺してやるッ殺してやる殺してやるッ!!』 女が睨むのは自身を押さえる男共よりはるか先。先にいるのは誰だ。卓也はいつのまにか、そこにいる者を探し始めていた。女の叫びが、その声が、耳に届く度に彼の腹の中で燃えるような感情がぐるぐると渦巻く。 『黙れ、この残虐な畜生めがッ! その罪、今ここで裁いてやろうッ』 女はなおも叫ぶ。自身が睨む先にいるはずの者への怨嗟を。嘆きを。叫ぶ。しかしその叫びも、彼女の首に振り下ろされた刃が、骨を抉る音が、血飛沫の音が、全てかき消していく。 女の睨んだ先はどこだ。あの丘を進む黒い軍団か。卓也は槍を強く握り、目前の敵の顔を殴るように突き込んだ。 槍を引き抜き、敵の体が川に落ちる水音を聞く。女の死体は見当たらない。首のない死体も、首だけの死体も、どこにもない。ただ、自分達が倒した敵ややられた味方の血の色は残っている。 「……大丈夫。冷静だ。怒りに身を任せちゃ勝てん。まず、勝つこと優先。分かってる」 自身を落ち着かせるように、今見たものの正体が何だったのか、思考する。外部から干渉してるとかいう旅団ロストナンバーが情報操作でも行ったのかもしれない。いや、ならこの赤い霧を出すのになんの意味があるというのか。 冷静さを保とうと理性に訴えかけても、自身の内側を燃やすように強烈な感情が消えることはない。むしろ、視界の赤が濃くなればなるほどに、それは自身の思考をかき消そうとしてくる。まるで赤い霧がこの怒りを、卓也の中に流しこんでいるようだ。 そして次に彼の前に現れたのは、他の兵とは明らかに異なる兵装の大男だった。 「こいつが、敵将か!」 大男は正面から卓也に迫り、刀を突きだした。卓也は咄嗟に体を捻り、なんとかぎりぎりでそれを避ける。馬を右に走らせて敵将と距離を開け、首の辺りを狙って槍を突きだす。それは刀で弾かれるが、そのやりとりの間に背後に回っていた槍兵の援護が敵将を捉える。大きく体を仰け反らした隙に、卓也の槍は今度こそ敵を貫いた。 卓也より後ろに陣を構えたロキは、槍の攻めを免れた騎兵達を狙っていた。彼の弓兵達は接近を許す前に敵兵を次々射抜き、あっという間に骸の数を増やしていく。 「ロキさん、加勢するわ!」 川岸に卓也とロキが到達した後、ハーミットはすぐに彼らの元へと向かっていた。同じ位置から敵を狙うと味方を巻き込みかねない。ならば川岸を超えてきた騎馬を横っ腹から打ち落とそうと考えたのだ。 「助かるよ。律達は大丈夫か?」 「ええ。律さんとコタロさん二人の部隊で、接近してくる敵兵を抑えてくれてるわ」 そうか、と頷き、ロキは正面に向き直る。赤い霧は、もう自分達が立っているところも覆ってきていた。 「この赤い霧、敵の能力かしら」 「たぶん、そうだろうね。体調の変化は?」 ハーミットは左右に首を振る。 「でも、……不愉快ね。ひたすら」 「同感だ。理由もなく、苛々させられる。ゲーム参加者が暴徒化したのと、関係があるのかもしれない」 「何が目的で、そんなことをしたのかしら……理解できないわね」 ハーミットの言葉に同意しようとしたとき、ロキの目には見覚えのある顔が映っていた。 見覚えはあるが、覚えていたいとは欠片も思っていなかった。自分に期待を寄せる目、期待にそぐわぬと見下す目、将来の保身のために媚びる目、その目をするのは自身の保護者であったり、親戚であったり、未来の商売相手とやらであったり、先生であったり、あの頃自分が知っていた大人達であった。 『貴方はキルシュの跡取りよ。もっと自分の行動に責任を持ちなさい。キルシュの名を汚すようなことなどもっての他だわ』 『キルシュ公の御子息殿だけあって、さすがに俊秀でおられますな。今後とも宜しくお願い致しますよ』 『あれでキルシュ家の当主になろうっていうんだ。冗談じゃない』 『貴方はキルシュ一族の、百年ぶりの正当な跡取り息子です。誰よりも上を目指さなければならない人間なんですよ』 「煩い」 ぎり、と。ロキは歯軋りをする。目の前は赤い。赤い中に、一族の跡取り息子をあらゆる理由で囲う大人達が立っていた。その目は見開き、瞬きもせず、ただ一人をジッと見つめる。幾つもの目が、ロキを囲い、見つめていた。 やがてその中の一人が、口を開く。言葉を紡ぐ。彼が聴きたくない言葉を。 『 』 ハーミットは両の目を片手で押さえ、ひたすら何も見ないようにと顔を背けていた。戦いの最中にやるべき行動でないのは分かっている。しかしそれでも、今自分の目に映るものを受け入れたくはなかった。 見てたまるものか。あの頃のことなど、思いだしたくもない。何も見たくない。あんな記憶など、すべて消し去ってしまいたいくらいだった。 あんな、みじめな頃の自分の姿など。見たいなどと思うはずがない。あの頃の自分は死んだ。あの頃の自分はもういない。もう自分は、あの頃の自分ではない。あの頃の自分など、いらない。自分はもう、あの頃の自分など捨てたのだから。捨てたのなら、先程見えたアレが、自分であるはずがない。 ハーミットはもう一度、両目に添えていた手をほんの少しだけずらし見た。目の前に立つ少年を。しかし再度見てもやはり、それはあの頃の自分で間違いなかった。 自分が立っている。見たくもないあの頃の姿で、虚ろにハーミットを見つめて立っていた。 その口が、ゆっくりと動く。聴きたくない言葉を紡ぐ。ハーミットが最も嫌う言葉を。 『 』 赤い霧の中、二人の名前が立ち込める。その声は、それぞれの耳にしか届かない。しかしその音は、二人の感情を確実に揺さぶり、かきたてる。 『Kirsch』『Kirsch』『Kirsch』『Kirsch』『Kirsch』『Kirsch』『Kirsch』 『章人』『晴香』『章人』『晴香』『章人』『晴香』『章人』『晴香』 ロキは手元の槍を握りしめ、自身を囲う者すべてを睨む。睨みつける。そうして吐き出す言葉は震えていた。震わせる感情は、霧の色と同じ、炎のように彼の思考を焼いていく。 「俺はもう……『キルシュの御曹司』じゃねえ……ッ」 ハーミットもまた刀を抜き、自分を呼ぶ自分を殺気の篭った目で見つめる。そこに、ある女性を真似、演じ続ける彼はいなかった。 「僕はもう章人でもないし、晴香じゃない……!」 赤い。赤い霧の中。二人の思考もまた、赤く、赤く、染まっていく。敵兵は二人がそうしている間にも、川を越えて二人の部隊に迫っていた。その中には、敵の将らしい姿もある。しかし、今の二人に馬の走る音など聞くに値しないものだった。 そして、二人の叫びは重なる。 「「その名で……ッ! 呼ぶなぁぁあああああああッ!」」 手綱が強く引かれ、二人の馬が嘶き両脚を上げる。そして、主の意思を察し、迫りくる騎兵どもに向かって突進した。 ロキの槍は敵の頭を殴り、敵の首を貫く。彼の目が定めるは敵将の姿。仕留めるべき敵をしっかりと捉えていた。あれの首を取る。それで、この戦は終わりに近づく。 槍に力を入れ直す。首を狙え。それで確実に仕留められるはずだ。近くでは、ハーミットが刀を振るう音と、気合いを込める声が聞こえている。その声に滲むのはやはり怒りか。 ロキは敵将に猛然と迫る。敵もこちらに気づき、刀を構え直す。刃先が届くまで、あと二メートル。一メートル。ロキは槍を引く。 高い金属音が響く。首を狙った一撃目は避けられた。そして、槍を引き直す間を待たずして、敵はさらにロキの元へ接近する。懐に入られては槍の不利だ。ロキは手綱を操り、馬を右に大きく避けさせ、直進してくる敵と距離を測る。向き直り、再びロキに迫ろうとする敵将の目前を、弓が掠めた。今は後方に居並ぶ、ロキの部隊が放ったものだ。 「ロキさんッ!」 ハーミットがいつもより幾らか低い声色でロキを呼んだ。ハーミットもまた、剣道と我流を合わせた剣術によって敵を討ちとってはいるが、敵の数はやはり不利を生んでいる。背後からなんとか彼らを避け、放たれる弓と銃が遠回りに二人を助けていた。 「大丈夫。……あの頃には、戻りたくない。だから……」 脳裏に蘇る呼び声。それをかき消すように首を振り、もう一度、敵将を見つめ直す。 「こいつらを倒して、無事に帰るッ!!」 馬が鳴く。ロキは敵の首だけを見ていた。恐れなどは理性と共に怒りの炎に捨ててしまえばいい。敵を倒す。それだけ分かれば充分だ。 敵との距離が縮まっていく。煌めいたのは敵が構えた刀か。その刃はまた、ロキの突きだす槍の動きを追っている。ロキは、咄嗟に槍を横に振った。槍が予想しない方向へ外れたことに、敵将は一瞬動きを鈍らせる。そして、ロキは敵将の体を槍の柄で殴りつけた。 「そこだッ!!」 バランスを大きく崩した敵将の首を、ロキの槍が貫く。その数秒後には、鎧を纏った敵将が地面に落ちる、固く重い音が聞こえた。 コタロは赤い霧が拡がっていく中、崩れつつあるロキやハーミットの部隊のもとに向かいつつ、丘を下る敵の一群を見た。先に攻めてきたのは三隊、残る部隊は二。これ以上突撃してくる敵が増えると、最前線が卓也の部隊のみなのはさすがに厳しい。故に先程、律の部隊はコタロにロキとハーミットの部隊の援護を任せて卓也の部隊の元へ向かったのだ。 敵の動きがひどく統制のとれているところを見ると、あちらは旅団のロストナンバーが中心となって指示を出しているのかもしれない。それならそのロストナンバーを抑えることができれば。律の移動はそういった意図もあるらしいことが伺えた。ということは、卓也の部隊と共にあの接近しつつある二隊に向け進軍するつもりなのだろうか。なら、先の三隊はもう潰しきらなければ、辛いかもしれない。 しかし先程から、嫌な記憶が頭の中をチラついてそれ以上の思考を妨げようとしてくる。見せないでくれ、とコタロは呻く。だが、それはどんなに拒もうと彼の思考を押しのけて現れる。実際の視覚に反映されるはずなどないのにも関わらず、彼の目の前に現れる。 倒れる人。人。人。人。血が滲み、滴り、流れ、拡がる。倒れている人の顔を、コタロはいずれも知っていた。かつて共に戦った者だ。知っていて当然だった。誰一人として動かず、呻かず、立ち上がらない。そんな中にただ、自分はただ、そこに立っていた。 違う。今自分はそこになど立っていないはずなのだ。しかし、そこで、コタロは「彼女」を見ていた。倒れる人の群の先に、「彼女」を見ていた。 見せないでくれ、コタロはまた呻き俯く。渦巻く感情は燃え上がることなく燻り、彼の心をただじりじりと苛み、焦げつかせる。触れれば痛みを伴う熱と、どこまでも深く沈んでいく重さと、いつまでも開放を認めぬ堅牢さを持った感情が、彼を捕らえていた。 コタロはロキとハーミットの部隊を抜き、奮戦していた二人に後退を頼んでいった。終わらせなければ。苦痛ばかりの精神のまま、その意志だけが彼を動かしている。 味方も崩れつつあったが、敵もこちらの攻撃で大きく崩れかけている。敵将は進行中の二隊分と、こちらに向かってくる一人だ。コタロはこちらに迫る敵将をボーガンで狙い打った。 敵将は部下を連れ、こちらに向かって猛進してきている。弓は接近されれば不利となるだろう。しかし、それでもコタロの隊は後退の素振りを見せず、迫る敵を狙った。矢は当たらない。距離は、瞬く間に縮まっていく。敵将は刀を手に、コタロの首を狙っていた。コタロは自身が跨る馬の手綱を強く引き、嘶きを響かせる。 その直後、戦場にいた者達が聞いたのは大量の銃声だった。銃弾は誘いこまれた敵将と、彼の部下達、そしてコタロ自身の隊をも無慈悲に貫いていく。後退を要請すると共に、コタロがハーミットに頼んだことだった。敵将は間違いなく馬上から崩れ、後ろに倒れていく。 「……指揮官としては、……最低だ」 そう呟くコタロは、敵と味方の倒れるその様を、じっと見ていた。見つめて、なおも自身の心が焦げついていくのを感じながら。彼もまた、馬上から崩れ落ちた。 荒野を駆ける騎馬隊の戦闘を走る律の視界は、やはり赤い。その先に違う「赤」を見た気がして、律の視線は反射的にそちらに引き寄せられる。 濡れたような赤い色。血の色なら戦場ならあって当然だろう。しかしその色を纏うのが誰か、律はすでに気づいてしまっていた。 『律』 その声は間違いなく、彼の幼馴染であり親友である男のものだ。そもそも声を確かめるまでもなく、そこにいる男の姿はどう見ても律の知るやたら賑やかなあの男でしかありえない。 しかしそこにあるのは、いつもの自由さがゲージを飛び越えていったような彼ではなかった。そもそもその姿が律の目にとまる切欠になったのは、血の色が、彼の体を染めていたからなのだ。蹲るその背を貫く刀が、彼の尋常ならぬ状態を物語っていた。 あいつが、ここにいるはずがない。理性はそう訴える。しかし、親友が血塗れになっているのを、どう見ぬふりをしろというのか。まして、かつて誰より近しい人達を亡くした律に、どう平静を保てというのか。 男の体はぐらりと揺れ、そのまま地面に横たわる。倒れる最中、律は彼の虚ろな目に自分の姿が映ったような気がした。その瞬間。律の中の困惑と衝撃と怒りと、それ以外の全ての感情が、ふつりと途絶える。 そして、彼の操る馬が一際大きく叫び鳴き、その脚を速めた。 律は戦場を真直ぐに突き進む。接近する敵の騎兵は、襲いかかろうとする前に律の手によって切り捨てられていく。その動作に躊躇いなどは欠片もなく、それどころか、敵の存在を彼が意識しているかどうかさえ、定かではなかった。 敵軍をかきわけ、律の部隊はついに川を越えた先に並び立つ黒い騎馬隊の中に、他の兵や将とも異なる甲冑と陣羽織の男の姿を捉えていた。 空の思考のまま。律はその男に刀の切っ先を向け、速度を緩めることなく突進する。しかしその刃は男に届く前に、立ちはだかった彼の部隊の一人を貫き、止められた。 「怒るなよ、少年。刃が曇るぜ」 敵の体から刀を引き抜く律に、男は話しかける。その口調は敵に対するにはあまり緊張感の篭らぬ調子だった。 それから男はゆっくりと、息を吸う仕草を見せる。ゆっくりと、深く。すると、それまで戦場を染めていた「赤」がその色を徐々に薄めていった。 「――!」 視界から「赤」が消えゆくほどに、奇妙な速度で律の思考は回復していく。余韻さえ微塵も残さず、戦場に立ちこめていた「怒り」は消失していった。 「面白ぇだろ。挨拶代わりに見せてやったんだぜ。楽しかったか?」 律は自身の感情を無理矢理操作されたような気持ち悪さを抑え、なんとか平静を取り戻そうとただ無言で男を睨む。 「冷泉さん、そっち大丈夫?」 後ろから律を呼んだのは、卓也だった。問いを投げた彼自身、怪我を多く負っているようであったが。 「……小竹さんは?」 「まー、なんとか。敵将も一人討ちとれたし?」 「で、そいつどーする? 二人で一気に責めるとかしてみっかね」と卓也が続けたのに対し、律は落ち着きを取り戻した表情で首を振った。 「少し、話したいことがある」 「ふーん? じゃ、俺は奥のもう一隊でも相手しようか」 卓也は残っている自分の隊を連れ、移動し始める。男の部隊はそんな卓也を攻撃する素振りを見せず、「話」とやらが始まるのを待っているようだった。 「やるなら、敵将一人を潰しに行った方がいい」 「おーけー分かってる。もう自分もあんま余裕ないんで」 卓也を見送ると、律はなるべく隙を見せぬよう体勢を整え直し、男に向かってゆっくり口を開く。 「俺は、冷泉律だ。……おまえは?」 男は何も答えない。相手に応える気がないと判断すると、律は続いて言葉を紡いだ。 「おまえに、一騎打ちを申し込みたい。もし、俺がおまえに一撃与えられたら、俺の質問に答えてくれ」 律の台詞に、男は一瞬驚いたように目を開いた。それからひどく、ひどく愉快なものを見つけたように、口の両端を吊り上げる。 「応じてやる義理があると思うか?」 「武道を修める者なら、応じるべきだ」 男は今度こそ声に出して笑う。ひどく愉快そうな笑いだった。 「リーベ、脇差を寄越せ」 『はい。分かりましタ』 女の声がどこかから聞こえたかと思うと、やや短めの刀が一振り、男の手元に現れる。 「ご希望とあらば、お前の分も出してやるぜ?」 「いや、結構だ」 男は馬から飛び降りると、刀を片手に一振りずつ抜いてみせる。律はそれに倣い、馬を降りると刀を持ち直した。 「俺の名は蔦木景辰だ。よろしくな、冷泉律」 「……」 景辰は自軍を後退させる。双方ともに得物を構え、息を殺して相手の動きを伺う。 先に踏み込んだのは景辰だった。刃が煌めき、律の首筋を狙う。律は咄嗟にそれを刀で受け、弾く。そこへさらにその隙を突いて、二本目の刀が律を襲った。律はすぐさま後退し、間合いから離脱する。そこで刀を下に構え、再度の接近と共に斬り上げた。だがそれは太刀で叩き落とされ、今度は脇差が肩を狙いくりだされる。律は素早く伏せてそれをやりすごすと、刀を引き間合いを取りなおした。 隙がない。律自身、幼い頃から武術の鍛錬を怠らず、それに見合うだけの実力は備えている。だからこそ、敵の実力も伺えるのだ。景辰もまた実力のある武芸者だが、それ以上に、実戦に慣れている。 「一撃、それで充分……!」 律は仕掛ける。狙うのは左肩、刀を引く。相手の懐まで、一気に距離を詰める。しかし刀を突きだす前に、景辰は横に避けた。同時に、右手の太刀が律の左肩に向けて振り下ろされる。律はそれを、避けなかった。その代わり律の持った刀の先は、――鎧の隙間を縫って、景辰の大腿部に届く。 そこで聞こえたのは、予想外の音だった。律が耳にしたのは高い金属音で、律の太刀に伝わった感触もまた、肉の裂けるそれではなかった。 律の一撃を受けて裂けた景辰の袴の大腿部には、銀色の物体が覗いている。それが何かを確かめる前に、律は上からの衝撃で地面に叩き伏せられた。 「面白ぇ動きだったぜ、冷泉律。俺が義足じゃなきゃ、首をとったのはお前だった」 景辰の声がすると、律を抑えつける力が緩くなった。律が痛む左肩を押さえながら立り上がる。 「賭けはお前の勝ちだ」 「で、何が聞きたい? 女の好みか?」 「いや。旅団は何のために、こんなことをする? 住民を暴徒化するのに、なんの意味があるんだ」 律の質問に、それまで楽しげだった景辰は表情を一気につまらなさそうなものに変わった。 「それか。……リーベは何つってたっけ。ちょーさ……ち、ちひつ? ……おい、リーベ!!」 『地質調査、デス。今後の旅団の活動方針に関わるものですヨ』 すかさず答えた女の声に、律は眉根を寄せる。 「地質……? どういうことだ」 「さあな。俺はやれって言われたことをやってるだけだ。それが何のためなんざ、興味ねぇよ」 景辰が答え終わるや否や、突如戦場が爆発のような音と共に大きく揺れた。 「今のは!?」 「お、おい! リーベ! なんの騒ぎだ!?」 驚いたのは律だけではなかった。他所で交戦中のロキやハーミット、卓也もまた驚きのあまり動きを止め、敵である景辰さえも慌てている。突然の出来事に、戦場にいる全員が戦いを中断させていた。 『シ、システムエラーでス、景辰サン。原因ハ不明。これ以上のアクセスは危険デス。退き上げまショウ』 「な……!?」 二人の会話を聞く間にも、再び戦場全体が震動し始める。まともに立ってもいられないほどの揺れの中、景辰の姿が空間に吸い込まれるように消えていく。 「ちょ、何起こってんのコレ!?」 「早くログアウトしよう!!」 「え、ええ!」 「いったい、何が起こってるっていうんだ……!」 壺中天を備えた店の中で意識を取り戻したロストナンバー達が真っ先に気がついたのは、何かが焦げたような謎の異臭だった。白い煙が店内に漂っており、その根源を辿った先では、コタロがひどく動揺した様子で座っていた。 「え、ええっと、……コタロさん?」 「……申し訳、ない……」 気まずい沈黙の中、ロキは事前に敵のアクセス経路を調べさせていた自分のロボセクタンを見やる。 「ヘルブリンディ、大丈夫か?」 ヘルブリンディは先程から怯えた様子でロキの足の影に隠れていた。よく見ると、ハーミットのロジャーも主の足元に隠れてカタカタ震えている。 「ま、まぁ……とにかくこれで当分、旅団もサイトにアクセスできず万事解決ーってことで……いいんじゃね」 「……いいんだろうか」 ロボセクタンに恐れられるクラスのコタロの機械音痴ぶりに、一同はある種の感心を覚えつつあった。 【完】
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