窓の外はどこまでもつづく虚無の空間「ディラックの空」。 ロストレイルは今日も幾多の世界群の間を走行している。 世界司書が指ししめす予言にもとづき、今日はヴォロス、明日はブルーインブルー……。大勢のコンダクターが暮らす壱番世界には定期便も運行される。冒険旅行の依頼がなくとも、私費で旅するものもいるようだ。「本日は、ロストレイルにご乗車いただき、ありがとうございます」 車内販売のワゴンが通路を行く。 乗り合わせた乗客たちは、しばしの旅の時間を、思い思いの方法で過ごしているようだった。●ご案内このソロシナリオでは「ロストレイル車中の場面」が描写されます。便宜上、0世界のシナリオとなっていますが、舞台はディラックの空を走行中のロストレイル車内です。冒険旅行の行き帰りなど、走行中のロストレイル内のワンシーンをお楽しみ下さい。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・ロストレイル車内でどんなふうに過ごすかなどを書いて下さい。どこへ行く途中・行った帰りなのか、考えてみるのもいいかもしれません。!注意!このソロシナリオでは、ディラックの落とし子に遭遇するなど、ロストレイルの走行に支障をきたすような特殊な事件は起こりません。
ロストレイルはディラックの空を駆けていた。 ジューンは窓に額を付け、じっとその何も無い空を眺めている。 ふと目を転じれば、ロストレイルのレールが走る先から作られ、そして消えていくのが見える。 「どこまでも行けるようで、どこにも行けない……そんな気がします」 ぽつりと呟き、ジューンは再びディラックの空へと視線を転じる。 少なくともこのロストレイルは、ジューンが最も行きたい場所へは連れて行ってくれないのだ……そう思い、人間のようなため息を零した。 私は、セブンズゲートのアンドロイドです。 セブンズゲートとは、外宇宙航路の入り口に存在する、スペースコロニー兼ステーションのことです。そのセブンズゲートが自己所有するアンドロイドの1体、それが私……ジューンです。 厳格なアンドロイド規制法に基づき製作された、純正のアンドロイド。人間との違いが一目で分かるように、人間の遺伝子では有り得ない色――私の場合は髪の毛、瞳ともにピンク色ですね――で製作されます。 これらのアンドロイドは、コロニーの安全を図ることが第一の職務ですが、常には人間の教育係――ナニー(乳母)として存在しています。人間の子どもたちと関わるのですから、エネルギーになるからといって何でも口にできるわけではありません。情操教育に悪いですからね。エネルギーは人間の飲食物のみを口腔摂取し、呼吸と瞬きも常時行うように設定してあります。 非常時にはコロニー建材や電源なども兼ねられるよう、肌の下にはびっしりと機械が詰まっており、そのために私の重量は外見の7倍近くあります。椅子に座れば壊れてしまう可能性が高いため、そういった場合には座っているように見える角度で足腰を固定します。 このように人間として振るまい、様々な規制を受けながら、私たちアンドロイドはセブンズゲートのために存在していました。 そのような存在がセブンズゲートを離れるようなことがまさか起こり得るなんて、なぜ思考することができたでしょう? ジューンはぼんやりとディラックの空を見つめ続ける。 知識でしか知らなかった、惑星での生活。 他星系や異銀河の住人似た、多様な生命体との関わり。 ロストナンバーになってからというもの、データとしてしか知らなかった事を自ら体験できた事は多い。またそれは、貴重であるとも言える。 しかし、とジューンは思う。 知識としてしか知らなかったとしても、例え経験することがなかったとしても、セブンズゲートでナニーをしていた時の方が、自分は幸せであったと。 セブンズゲートのアンドロイドの駆動期間は120年です。その長大な時間を正常に稼働し続けるために、20年ごとにオーバーホールすることが義務づけられています。それでもナニーとして多くの子どもたちと触れ合い、笑い合い、そして成長していく姿を見ることは、職務ではありましたが個人的にも嬉しい出来事だったのです。それはもしかしたら、プログラムされているものかもしれませんけれども。 私がロストナンバーとして<覚醒>した時、ラルとユーナは大人になろうとしている子どもでした。だからきっと、私の記憶が世界から消えるまで、私の事を覚えていてくれると思います。 けれど、ニアのようなまだ幼い子どもたちは、1年以上前に消えてしまったナニー……私のことなど覚えては居ないでしょう、消失の運命とは関係なく。 それはとても寂しいように思います。本当なら、大人になるまで見守り続けたはずなのですから。 ジューンはロストナンバーになった頃を思い出す。 同じような時期に、同じくロストナンバーとなった人々と友誼を結び、死に別れ、知人であった人を殺して、迎えにいった小さな双子と同居を始めて―― ――1年。 その年月は、なんて短く、なんて長いことだろうか。 私は今、とある依頼で保護した双子のロストナンバーと共に暮らしています。彼女らはいつか元居た世界へ帰るだろうと、そう思っています。 けれど、私は……世界群の中心で何かが見つかったとしても――それが私の世界へ帰る方法だったとしても――帰ることは、多分、無いでしょう。 私はアンドロイドです。マシンと言い換えても良いですが。マシンの思考方法に、原因を究明せずに放置するという選択肢は、存在しないのです。 なぜロストナンバーというものが発生するのか。 なぜ<覚醒>するとディアスポラ現象に見舞われるのか。 多重構造の世界群には、なぜプラスとマイナスがあるのか。 そもそも<真理>とは、なぜ隠されているのか―― これらの答えは、どこに行けば見つかるでしょう。それが見つかるまでに、どれだけの歳月が掛かることでしょう。駆動期間の間にその答えを見つけることが、果たして可能でしょうか。 答えは“NO”のような気もします。私よりも遥かに長い時間を使って、未だに世界の知識を喰らい続けているチャイ=ブレが、その答えのような気がします。 しかしそれでも、私はきっと帰れません。 例え何らかの障害が発生して記憶を無くし、どういう方法でかセブンズゲートへと戻ったとしても、私はセブンズゲートを統べるマザーコンピューターの害にしかなり得ません。そうであると、わかっています。 ――私は帰りたいと思っています。 けれど、帰れない自分も知っています。 だから、私は待ち続けます。 新たな情報が出現すれば、それだけ選択肢は増え、変わってゆきますから。 それまでは…… そこまで思考した時、ふいに肩を叩かれた。ジューンは窓から額を離す。 「着きましたか? はい、少し人間風の思考遊びをしておりました。ご心配なく」 にっこりと微笑んで首を傾けると、ピンク色のフワフワとした髪が優雅に揺れる。立ち上がれば、裾が広がった膝丈のスカートがふんわりと四方へ広がった。 優雅に見える完璧な一礼をして、ジューンはロストレイルの昇降口に立つ。 「行って参ります」
このライターへメールを送る