窓の外はどこまでもつづく虚無の空間「ディラックの空」。 ロストレイルは今日も幾多の世界群の間を走行している。 世界司書が指ししめす予言にもとづき、今日はヴォロス、明日はブルーインブルー……。大勢のコンダクターが暮らす壱番世界には定期便も運行される。冒険旅行の依頼がなくとも、私費で旅するものもいるようだ。「本日は、ロストレイルにご乗車いただき、ありがとうございます」 車内販売のワゴンが通路を行く。 乗り合わせた乗客たちは、しばしの旅の時間を、思い思いの方法で過ごしているようだった。●ご案内このソロシナリオでは「ロストレイル車中の場面」が描写されます。便宜上、0世界のシナリオとなっていますが、舞台はディラックの空を走行中のロストレイル車内です。冒険旅行の行き帰りなど、走行中のロストレイル内のワンシーンをお楽しみ下さい。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・ロストレイル車内でどんなふうに過ごすかなどを書いて下さい。どこへ行く途中・行った帰りなのか、考えてみるのもいいかもしれません。!注意!このソロシナリオでは、ディラックの落とし子に遭遇するなど、ロストレイルの走行に支障をきたすような特殊な事件は起こりません。
ロストレイルはディラックの空を駆けていた。 ざわざわとした声と何とはなしに緊張した空気が、どの車両にも満ちている。このロストレイルの行き先は、「比翼迷界・フライジング」。ひとつの扉を開く為に、たくさんのロストナンバーたちが集まった。 吉備サクラも、その中の一人だ。 ただし、彼女は全ての人から離れるようにして縮こまっている。四人掛けのボックス席に一人、頬杖を付いて窓の外を見ているふりをしている。ディラックの空の幻想的な揺らめきも、オウルフォームのセクタン・ゆりりんの視界も、サクラの視界には映っていない。 彼女の目に映っているのは、白い羽。白い白い、鷺の羽。 もう、この姿では居なくなってしまった人の、羽。 ——どうしてあの時、あの人は私に、この羽をくれたんだろう。 サクラには、彼の真意がまったくわからない。 幾ら考えても、その理由がわからない。今も。 彼は黒い迷鳥になってしまった。彼はそれを予感していたのだろうか。 そして、もしこの羽を渡した理由が、迷鳥になる前の自分を覚えていて欲しかったという理由ならば。 「この羽を持つべき人は、私じゃない」 ぽつりと声にならない声で呟く。 彼女の喉は、未だ声として音を発することはできない。だからその音は、まるで立て付けの悪い窓に吹き付けた隙間風のようだった。 サクラはほんの少しだけ自分の発した音に眼を伏せ、思う。 ——この羽は、持つべき人に渡さなきゃいけない。 ふとサクラは窓の外に目をやった。 思い出すのは、去年の十一月。一ヶ月間、ターミナルに足止めされて、壱番世界に帰れなかったときのことだ。 両親が心配しているだろうな、と思いながら、サクラは将来のことをずっと考えていた。 サクラは、インヤンガイの水が合った。水が合うと、思った。恋愛が破綻しても、インヤンガイで暮らしたいと思った。 いつか必ず壱番世界を捨てるなら、今きちんと決断するしかないと思った。 そう思ったから、決断をした、のに。 自分は何をしたのだろうか。何を決断したというのだろうか。 自分を無心で愛してくれた人を、手酷い形で捨ててしまった。 それだけが事実で、それだけが解っている。 ——あれ以降、正しい決断を自分は出来たことがあっただろうか? 自問するまでもない。 一年。あの時から、一年が経った今まで。 あれ以降、正しい決断が出来た記憶など、サクラには無い。 俯けば、手に真っ白な鷺の羽が目に映る。 ……私はいつも、間違ってばかりだ。 失意も失敗も全部自分の決断で、だから自分がきちんと負わなければいけないものだと思っていた。他人に負わせるなんて論外で、絶対そんなことしないようにしようと思っていた。 その筈なのに…… 自分の決断の結果は、自分が背負っていく? 自分の決断の結果を、他人に背負わせないように? 自分だけのことじゃないのに? 自分だけで背負えると思っていた? その結果、今、どうなった? 白い羽がぼやける。肩にゆりりんが降り立つ。 サクラは羽を握りしめ、抱きしめ、声にならない嗚咽を漏らす。隙間風のような音が情けなくて悲しくて苛立ちにも似た思いが募ってまた涙が滲む。 ——ごめんなさい…… 私は本当に生きる価値がない人間だ。 ロストレイルが速度を落として行く。 涙でぼやけたまま、フライジングが近付く。
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