クリエイター阿瀬 春(wxft9376)
管理番号1147-25444 オファー日2013-09-02(月) 16:23

オファーPC 碧(cyab3196)ツーリスト 女 21歳 准士官

<ノベル>

 体を温かく包んでいた水が流れ出て行く。手足を伸ばせば柔らかく触れた壁が、そうする度に大好きな声を響かせてくれた壁が萎む。外側から絞られるように、押し潰されるように縮む。柔らかな壁の外側から聞こえていた大好きな声が、どうしてだろう、今はとても苦しげに呻いている。
 外側から聞こえる声が一際大きく唸る。体を護っていた筈の壁が、体を潰さんばかりに迫る。楽に出来ていた呼吸がいつの間にか出来なくなっている。手足をどれだけすくめても、頭や背中をどれだけ丸めても、もう此処に居場所は無い。
 赤く暗く、安心してたゆたうことの出来るこの場所に、丸くなっていることはもう、できない。
 温かな水が頭上で渦を巻く。渦の流れに合わせ、体を、頭を、渾身の力で旋回させる。外側の声が悲痛な響きを帯びる。
 けれど、その響きの中に歓喜が混ざっている気がするのは何故だろう。
 ぞり。縮まる柔らかな壁が、何かに抉られる。壁を抉った感覚が、背中の辺りから首筋へと伝わる。あまり心地良くはない感覚に、全身が粟立つ。
 傷付いた壁から、熱い液体が奔流となって溢れる。外に出る狭い道を潜る為、胸の前で縮めた手足に熱い液体が触れる。慣れ親しんだ温かく甘い水とは違い、熱い液体は苦く辛かった。苦い液体が鼻腔を、口内を満たす。苦しい。体内で何かが大きく膨らむ。どんどんどん。体の内側が激しく脈打つ。
 苦しかった。怖かった。やっぱりここから出たくない。出たくないのに、熱くて苦い液体を噴出させながら、柔らかな壁が体を押し出す。壁から続く狭く暗い道に体を押し込む。
 温かな水と熱い液体に体が滑る。暗い道が熱を持ってうねる。滑り落ちて行く身体の、けれど腰の辺りにだけ、強い抵抗がある。腰の皮膚を破って生えた鋭い骨が、狭い隧道の柔らかな壁を深く抉る。傷付いた壁が熱い血を噴き出す。
「大丈夫」
 外側から、大好きな声がした。苦しげに喘ぎながら、呻きながら、声は微笑む。
「だいじょうぶ、だから」
 声に誘い出される。狭い道を脱け出した瞬間、冷たい光が眼を射た。温かな暗闇に何百日と居た眼に、外の世界の光は眩しすぎた。温かく甘い羊水に満たされていた肺に、外の世界の水は冷たく苦すぎた。
 噴き出す血と共、母胎から産まれ出る。


 深い海の色した瞳を見開く。
 息が詰まっていたような気がして、大きく息を吐き出す。薄暗い視界の中、薄い胸が上下する。
 固い寝台に投げ出していた両の腕を持ち上げる。冷たい掌を、更に冷たい頬に押し当てる。
 ――最初の記憶は、深海の世界で生れ落ちた記憶。
 赤く暗い視界を覚えている。
 世界に己を産み落とした母の最期の声を覚えている。
『だいじょうぶだから、産まれておいで』
 その言葉を遺言に、母は死んだ。
 己を冷たい海の底に産み落としてすぐ、母は白く柔らかな身体から赤い血を尾のように引き、深海に沈んだ。海の闇に呑み込まれる母の姿を、外の世界に産まれ出たばかりの眼で見た。
 海に還る母と共に深海へ沈もうとする赤子を抱きとめたのは、海中を駆ける強靭な翼と強固な鱗に覆われた身体持つ、竜。
 竜は、闇に満ちる深海を白く照らす不思議な光の珠を幾つも従えていた。
 硬い皮に覆われた手で嬰児を優しく抱き締め、深海の冷たい水の中を泳ぎながら、竜は沈み行く母を優しい眼で見送る。
『見なさい、良き【戦士】だ』
 竜の手が、背の『翼』を慈しむように撫でたのを覚えている。
 母の子宮を、産道を傷つけ死に至らしめた、背の皮膚を破り突出した肋骨の一部。
『母と同じ、美しき碧の瞳持つ【戦士】よ』
 竜は、母の命と引き換えに深海の世界に産まれ出た、ヒトの姿と翼の萌芽持つ赤子に、
『碧よ』
 海の色の名を与えてくれた。
 ――幼い頃は、深海の世界が全てだった。一族が全てだった。
 碧は瞳を瞬く。暗い視界に写るのは、低く暗い、独房の天井。
 どの器官よりも鋭敏な背の翅が、冷温と湿気を感じ取る。気温も湿度も、上官に反抗的な態度を取った罰に叩き込まれた何時間か前とそう変わっては居ない。
 独房が設けられているのは、幾重にも隔壁の重なる深海域建造物の外殻近くに当たる。深海の冷気が染み出す独房は、ヒト種にとって過酷な環境なのだろうが、深海に棲まう一族であった碧にしてみれば、苦痛を感じることはない。
 冷気渦巻く独房に近付くヒト種の気配は無い。
 碧は瞳を閉ざす。
 息を吐き出し、転寝の間に見ていた幼い頃の夢の残滓を脳裏に探る。


 薄い皮膚に覆われた柔らかな手足とヒトに似た身体持つ『母』たち。
 強靭な皮膜の翼と鱗に覆われた竜の身体持ち、非常な長寿と呪術的な力と叡智を誇る『父』たち。
 父母の身体特徴併せ持ちながら、生殖能力を持たず、けれど戦闘能力と回復力に特に優れ、種族を守る意識を高く持つ『戦士』たち。
 『戦士』たちは、けれど長じるにつれて身体が異型化する。脳を始めとする神経系さえ変容し、自我を失う。獣の如き存在となる。
 『父』たちの呪術的な力で異型化を抑えることは出来たが、それでも、――
「俺を糧とせよ、碧」
 そう言い放ち、齢重ねた【戦士】が赤紫の水泡で膨れ上がった両の腕を深海の空へと掲げる。
 竜の身体持つ数人の『父』たちが【戦士】を囲み、異型化を抑制させる為の呪を唱え続けている。けれど【戦士】の覚悟を受け、『父』らは呪の種類を変える。
 【戦士】の魂の安寧を祈るものとなる。
 碧は兄のように慕い尊敬する【戦士】へと真直ぐな眼差しを向ける。『父』らの背中越しに見える【戦士】を見詰める。
 深海の闇の世界を、『父』らが数多従える不思議の光の珠が白く照らし出す。白く眩い光が、【戦士】の姿を浮き上がらせる。
 美しかった翅が捩れ節くれ立っている。皮膜には赤い瘤が痛々しく脈打っている。鍛え上げた筋肉に鎧われた身には、【戦士】が持たぬはずの鱗が生え、蛆のように揺らいで彼の身を苛んでいる。
 【戦士】の最期の言葉を一言も逃さぬよう、碧は白砂埋める水底に在っても障り無く行える呼吸を詰める。耳を澄ませる。
 深海の郷には時折、何処からともなく異形のものが襲い来る。不定形な青黒い塊に棘の触手持つもの、幾つもの赤黒い目玉から血色の槍を放つ巨大魚のかたちをしたもの。自己の意志さえ持たず、ただ破壊と殺戮を繰り返す異形の海の獣から、故郷を、『父母』たちを守ることが、【戦士】の役目。
 仲間の【戦士】たちと力を合わせ、襲い来る幾多の異形のものたちを倒してはきた。けれどそれは年上の【戦士】たちの背に護られ、手助けされてのこと。
 碧は掌をきつく拳にする。
 未だ幼い【戦士】である碧は、異型化を遂げた【戦士】を倒して一人前の【戦士】と認められる。前線に立つことを許される。
 呪の環から、【戦士】が身をよじって脱け出す。最後の優しい一瞥を碧にくれる。
 【戦士】たちが異型化を遂げる場所は故郷よりそう遠くない海溝の上と決まっている。深く蒼い水に占められた水底よりも更に深い、博識の『父』らでさえも底を知らぬ海溝は、『約束の地』と呼ばれる。
 数多の『母』らが『約束の地』の空を泳ぎ、【戦士】たちを産み、死に逝く身を沈める。異型化を遂げ、仲間の手によって葬られた数多の【戦士】たちもまた沈んで逝く。
 深海の水圧下、暗く蒼い海水を震わせ【戦士】が吼える。
 抑え込まれていた異型化は、それ故に爆発的に進んだ。
 翅が、身体が、見る間にその形を崩し、赤紫に膨らむ。鱗状の皮膚が身体の膨張に耐え切れず、海中に弾け飛ぶ。体液とも粘液ともつかない赤黒い液体が水中に悪夢のように広がる。
「勇猛なる【戦士】に眠りを」
 『父』の一人が厳かに告げる声と共、碧は水の宙を駆ける。


 ――cancer
 全身を異型化させ、自己を喪失した海の生物をヒトはそう呼ぶ。
 癌。
 己と違うものを忌み嫌い排除しようとするヒト共らしい名付けだと、碧は白い眉間に深い皺を刻む。顔に押し当てた掌がきつい拳となる。
『だいじょうぶだから』
 耳の奥で、母の優しい声が繰り返す。
(……だいじょうぶ)
 碧は深海の瞳を薄く開く。
 背の翅が気圧の変化を感じとる。独房への気密扉が開かれ、ヒトが近づいてくる。ヒトの吐く生温い呼気が、深海に似た冷涼たる空気を汚す。
「出ろ、リュウの女」
 今現在の上官である男に独房の扉の外から命じられ、碧は横たわっていた固い寝台から身を起こす。視線を上げれば、吐き気のするほど厭うヒトの男が生温い白い息を撒き散らして立っている。
「返事をしろ」
 怒鳴りつけられ、碧は立ち上がる。ヒトの男が扉を開けると同時、上官の襟首を掴む。
「その名で呼ぶな」
 顔を引き攣らせる上官に向け、低く吐き捨てる。
「ヒトめ」


「ヒトめ」
 『父』の一人が苦々しげに呻く。ヒトが放った魚雷を受け、骨が見えるまで無惨に爆ぜた鱗や肉が真新しい血肉で埋まって行く。首と胴が切り離されて漸く活動を停止させる【戦士】たちには及ばないが、『父』たちの身にも高い再生能力が備わっている。
 傷付いた『父』の身を支えて深海を進みながら、【戦士】である碧は唇を噛む。
「ヒトの目的は何だったのでしょうか」
 郷より離れた『約束の地』に突如鉄の船が現れた。鉄の船より、鉄の衣纏った奇妙な者たちが『約束の地』に降り立とうとした。
 ヒトが『約束の地』を穢そうとしている、と『父』らは浮き足立った。海の獣たちよりも厄介なものだ、と『父』らは言い、碧たちを引き連れ鉄の船の元へと急いだ。
 『父』らと碧たちが鉄の船の傍に立った瞬間、鉄の船から無数の鉄の砲弾が、光の尾を引く奇妙な閃光が放たれた。
 不意の砲弾に身を砕かれ、閃光に焼かれ、『父』らが、【戦士】たちが肉や骨の欠片や血を撒き散らし、――結果、『父』らを傷付けられた碧たちは怒り狂った。砲弾と閃光飛び交う水中を、歴戦の【戦士】たちは舞うように駆け、鉄衣纏うたヒトの首を、鉄衣ごと素手で捻じ切った。砲弾を掴み、鉄の船に突っ込む【戦士】さえ居た。
 己が放った砲弾を逆に受け、鉄の船が暗い水中に赤い火を噴く。爆炎に巻かれても、砲弾の欠片に身を削られても、【戦士】の身はほとんど瞬時に治癒する。
 深海の水圧内を不器用な仕種で逃げ惑う鉄衣のヒト達に、舞い飛ぶように碧が突っ込む。無造作に払う腕が、鉄衣を凹ませる。脆い硝子部分を砕けば、鉄衣に護られていなければ深海では生きられないヒトは短い時間をもがき苦しみ、呆気なく死んだ。ヒトが混乱気味に水中銃を放つも、水中を自在に駆ける碧たちには当たらない。
 ヒトとの争いが一方的な殺戮になりかけた時、現れたのと同じように鉄の船は唐突に深海より浮上して消えた。
 『父』らに追撃を止められた碧たちは傷付いた『父』らを援けながら凱旋の帰路に着き、
「郷が……!」
 破壊されつくした郷を囲む数十隻もの鉄の船を見た。
 鉄衣のヒトに囚われた『母』らを、抵抗出来ぬほど負傷した『父』らを、郷護っていた【戦士】たちの死体を、見た。


 ――以降の、碧の記憶は酷く曖昧だ。


 『父』の立派な翼に、白衣を纏うたヒト共の手が掛けられる。
「やめろ!」
 飛び掛ろうとして、背後から羽交い絞めにされた。
「黙れ、リュウの女」
 一族を捕らえたヒトは、一族をリュウと呼んだ。碧は碧と呼ばれること無く、唯、リュウの女と呼ばれた。
 非力なヒトの手を振り解くことなど碧にとっては容易かったが、『父』の穏かな眼に見詰められ、身に渦巻く憤怒を押さえ込む。
 水草でも刈るように、ヒト共が『父』の翼を切り剥がす。
 『父』らは誇りの為に戦うのではなく、『母』らを、我が子らを救う為、屈した。
 リュウの成長した雄の骨は丈夫で、深海に於ける建材として優秀とされた。為に、身を搾取されながら、深海探査に駆り出された。
 リュウの雌だけが、ほとんど無敵とも言えるリュウの仔を産めた。為に、何処とも知れぬヒト共の領域に囚われた。
 肋骨が一部変形した奇妙な翅を背に持つリュウの仔らは、親の身と、肉体の異型化を抑制する術を人質に、ヒトに使役される事を余儀なくされた。
「大丈夫だ、碧」
 背から血を噴出しながら、『父』が強く強く笑う。
「生き残れ。但し、弱きを守れ」


 碧を碧と名付けてくれた、――父と会ったのは、それが最後。
 それからを、唯、戦い続けることで、父との約束通り『生き残って』いる。


クリエイターコメント お待たせいたしました。
 プライベートノベルを、お届けいたします。
 たぶん、『生き残って』いるだけの話中の現在では、幼い頃の記憶の方が鮮明で大事なのではないかな、と思ってみたりしたのですが、……如何でしたでしょうか。
 少しでもお楽しみ頂けましたら幸いです。

 おはなし、ありがとうございました。
 またいつかお会いできましたら嬉しいです。
公開日時2013-09-12(木) 21:50

 

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