世界図書館の一画に、「司書室棟」がある。 その名のとおり、「司書室」が並んでいる棟である。 ……それはそれとして。 司書だってたまには、司書室以外の場所に出向くこともある。 そこで報告書を書くこともあれば『導きの書』を開くこともある。 今日、クリスタル・パレスの一角にいるのは、朗報を聞いたからだ。 ……どうやら「彼ら」は助かったらしい、と。 フライジングに駆けつけたロストナンバーもいると聞くけれど。 司書はただ、ここで待つだけだ。 そして、傾聴するだけだ。 旅人たちの、想いを。 嬉しさを隠す様子もなく、赤茶色の尻尾がご機嫌に揺れている。あんまり激しく振り過ぎて、毛むくじゃらの尻が半ば浮く。お座りした椅子から転げ落ちそうになって、クロハナは前肢を踏み代える。後肢も慌て気味に踏み代える。 何にもなかったかのように澄ました顔で高い吹き抜けの店内を見回す。鉄骨と硝子の天井から流れ込む眩しい光に黒い眼を細め、ついでにくしゃみする。店内に満ちる緑と花の香りに黒い鼻をひこひこと動かし、観葉植物の林を飛び交う色とりどりの鳥たちの囀りに三角耳をぴんと立てる。 椅子の背もたれの隙間からふかふか揺れる尻尾を垂らし、堪えきれずにわふんと笑う。「良かったよかった。嬉しい。とてもとても、嬉しい!」 大人しく賢く椅子にお座りして待っていようとして、失敗する。椅子から飛び降る。堪えきれない嬉しさを、とりあえずその場で自分の尻尾を追いかけてぐるぐる回ることで表現する。かつかつかつかつ、石張りの床を犬の司書の爪が叩く。「だから贅沢する! ノンホモ低温殺菌牛乳大瓶一本蓋付き! ください!」 走り回る肢を止め、犬は一息に吠えた。言葉にして吐き出した息を大きく吸い込み、その場に行儀良くお座りする。 大騒ぎなんかしてませんよ、とでも言いたげなきょとんとした眼であなたを仰ぐ。「一緒に飲む? 一緒に飲も?」 そうして、笑う。「おはなしを、聞かせてください」====●ご案内このシナリオは、世界司書クロハナがクリスタル・パレスにいる場に同席したというシチュエーションが描かれます。司書と参加者の会話が中心になります。プレイングでは、・カフェを訪れた理由・司書に話したいこと・司書に対するあなたの印象や感情などを書いていただくとよいでしょう。字数に余裕があれば「ご自身の想いや今後の動向について」を話してみるのもよいかもしれません。【出張クリスタル・パレス】【クリスタル・パレスにて】【出張版とろとろ?】は、ほぼ同時期の出来事ですが、短期間に移動なさった、ということで、PCさんの参加制限はありません。整合性につきましては、PLさんのほうでゆるーくご調整ください。※このシナリオはロストレイル13号出発前の出来事として扱います(搭乗者の方も参加できます)。====
足元にお座りして仰いで来る赤茶色の犬に、白燐は白の顔布を微かに揺らして顔を俯かせる。おはなしおはなし、と魔法の呪文のように繰り返して尻尾を振り続ける犬の前にひょいとしゃがみこむ。 構ってくれそうな雰囲気を感じ取り、犬の司書は顔中で笑う。尻尾を振り回し、白燐の狩衣の膝に三角耳の頭を押し付ける。 「なるほど、お前がクロハナか」 「はい! わたしがクロハナです!」 黒い眼を瞬かせ元気に名乗ってから、クロハナは不思議そうに首を傾げた。 「会ったこと、ある?」 お顔を見せて、とばかり、クロハナは単眼模様を描いた白の顔布に黒い鼻を近づける。 「ない?」 顔布に濡れた鼻先で触れられ、白燐はちょっとたじろぐ。 「すてきな耳。この耳、会えば忘れないけど、……」 顔布からひょこりと飛び出した狐のかたちした耳を間近にまじまじと見られ、思わず身を引く。それでも、犬にねだられるがまま、顔布を取る。 「わたし、忘れた?」 「ああ、いや、青燐と黄燐から聞いていた」 雪雲の色した肩より少し長めの髪が、白雪の狩衣に滑る。琥珀金の色した眼が、微かな笑みを含んで細くなる。 「桜の木の下、迷子が集まる場所に、犬の司書がいたと」 どこか詩を吟ずるように言葉を声にする。 「さくら」 犬の司書は白梅鼠色の髪から飛び出す、柔らかな狐の毛に覆われた耳を黒眼で追いながら呟く。記憶を辿って、不意にぴょんと四足で跳ねる。 「ハナミ!」 そう、と白燐は細い顎を引く。 「もう随分と前だが」 それとも、年齢を重ねることの叶わない司書にすれば、数年などほんの僅かの間に過ぎないのだろうか。 (どうだろうな) 老いを知らないと言うことに関しては、ロストナンバーとなるよりも前からそうだった。それでも、重なって行く年月は大切に思う。一日の重みを、一年の重みを、確かに感じることは出来ているように思う。たとえ、いつか忘れてしまうとしても。 「まいごの青燐、ぽくぽく黄燐」 花見の記憶と共に楽しかった気持ちも思い出したのか、犬の司書はしきりに尻尾を振り回す。 「そう、ぽくぽく」 白燐は金の眼を淡く細める。出身世界を同じくする蒲公英色の髪と瞳持つ少女は、自身の背を高く見せたいのかどうか、歩く度ぽくぽくと特徴的な音のする木履をよく履いていた。 そういえば元の世界の統治領でも『ぽくぽく様』と呼ばれていたな、と思い出す。 外した顔布を袂に仕舞いつつ立ち上がる。犬の司書は軽い足取りでテーブルの傍に寄り、椅子に飛び乗る。お座りの格好で、白燐に向かいの椅子にどうぞと期待いっぱいの眼で勧める。 「ありがとう」 狩衣の裾を慣れた仕種で捌いて椅子に掛け、向かい合って座る。衣の裾から、耳と同じ色したふかふかの尻尾が覗く。 「しっぽ!」 「ああ」 顔を輝かせるクロハナに、尻尾を揺らせて見せる。 「父親が狐獣人なんだ」 母親が人で、だから白燐は人と獣人、ふたつの種族の特徴を持つ。 「きつね?」 「犬や猫の獣人も居るぞ」 白燐は目前に座る犬の司書を見遣る。どこからどう見ても、紛れもなく正真正銘の犬。 「なにぶん、俺たちの世界には『喋る犬』がいなかったのでな。珍しいと話してくれた」 「わたし、珍しい?」 喋る犬は黒い眼をきらきらさせて何となく誇らしげに胸を張る。白燐は生真面目な顔で頷く。 もっとも、自分の世界より放逐され、このターミナルに住まう内に様々の世界の様々の人々を眼にしている。司書たちの中には、目前の犬だけでなく、イタチの姿をしたものや大型の猫の姿をしたものが居ることも、今では知っている。それでも、 「このカフェに来たのも、司書がいると聞いたからだ」 青燐や黄燐が言っていた犬の司書には一度会ってみたかった。白燐は白い頬を和らげる。 「だから、一緒出来て嬉しいぞ?」 端正な顔を僅かにしか崩さない白燐の感情を一手に引き受けて、尻尾が機嫌良く揺れる。 頃良くギャルソンが銀盆に牛乳大瓶とコップと深皿を載せて傍らに立った。白燐の前にはコップ、クロハナの前には深皿。 「お待たせいたしました、ノンホモ低温殺菌牛乳――」 「蓋つき?」 「もちろん」 犬の横槍にも動じず、テーブルの真中に牛乳瓶を置く。 「蓋は、あけないでください」 「はい」 テーブルに両前肢を置き、お行儀悪く身を乗り出して獲物を前にした獣の眼をする犬に、鳥の翼持つギャルソンは分かるか分からないか、ほんの微かに怯えた。それでも、 「では、ごゆっくりお過ごし下さい」 きちんと教育の行き届いた従業員は丁寧に一礼して離れる。 「蓋なんてどうするんだ」 「蓋、とてもおいしい!」 クロハナは牛乳の大瓶を両方の前肢で器用に抱え込み、頑丈そうな黒い爪で蓋を覆うナイロンシートを引き剥がす。涎を垂らしそうな必死な眼つきで瓶の口にぴったり嵌った紙の蓋に触れようとして、やめる。誰かに叱られたかのようにぱちぱちと瞬き、正面に座る白燐をどこか恐る恐る、そうっと見上げる。 「蓋、あげる」 ナイロンシートを剥がしたのと同じに器用に紙蓋をそっと引き、宝物を差し出す子供の眼で蓋の内側を白燐に向けて差し出す。 白燐が不審げにちらりと首を傾げて見せると、クロハナは蓋の内側にうっすら付着したクリームを示してみせた。 「みんなにはないしょ。ここ、とてもおいしい」 大切な秘密を打ち明けるように声を潜める。 「白燐、わたしに会いに来てくれた。うれしい。これあげる」 白燐は思わず優しい笑みを零す。 「それはクロハナのものだ」 「ほんと?」 「本当だ」 クロハナは千切れんばかりに尻尾を振り回す。紙蓋の縁を握り締める前肢から牛乳瓶が落ちそうになる。 「落ちるぞ」 テーブル越しに手を伸ばし、牛乳瓶を掴む。そのまま持ち上げる。蓋のクリームを舐め取るのに必死なクロハナの深皿に牛乳を注いでやる。 「白燐も! 白燐も牛乳どうぞ!」 「ああ、ありがとう」 自分のカップにも牛乳を注ぎ、クロハナの期待に副うて一口。 「うまいな」 「ね!」 濃い甘みと舌に残る滑らかさに唇を笑ませれば、犬は何故か得意げに笑った。 この犬の司書は幾つなのだろう、と思う。 身体つきからすれば成犬なのだろうが、言葉遣いはどこか幼い。幼さは性格にも拠るのだろうが。 「俺の出身世界には五人の長が居てな」 白燐の『おはなし』の気配に、犬の司書は牛乳の皿に突っ込んでいた鼻先を上げる。黒い眼と赤茶色の耳を、真直ぐに白燐へと向ける。 「何の因果か全員が全員ターミナルを訪れてしまっているのだが」 知っているか、と問えば、犬の司書は肉球の片手を挙げた。 「白燐と、青燐と、黄燐と、……」 指折り数えているつもりなのか、人のようには動かない前肢がにぎにぎする。 「黒燐と赤燐」 「知っているのか」 「うううん、かんにんぐ」 悪びれもせず笑う犬の司書の、椅子にお座りする足元に『導きの書』が納まっている。本の間に挟まれた妙に分厚いメモ帳は、どうやら手書きの旅客者名簿らしい。司書本人にしか読めなさそうな下手な文字で、日々増えているだろうロストナンバーたちの名と特徴が書き込まれている。 「リベルに見つかれば、あんちょこ没収の上おやつぬきの刑。秘密ひみつ」 「ああ」 鼻の頭に皺を寄せ、犬の司書は大真面目に頭を下げる。クロハナにつられ、白燐も神妙な顔で律儀に約束する。そうして、ふと金色の眼を細める。 「誰が一番年下だと思う?」 問われ、クロハナは白燐を見詰める。見た目からすれば白燐は壮年の頃と思われる白燐を見ながら、花見の日に見た青燐と黄燐の顔を思い出す。青燐は白燐と同年代だろうか。黄燐は十に届くか届かないかの程に見えた。 視線を下に落としてあんちょこを覗き見る。黒燐は十歳、赤燐は二十三歳、そう書き込んである。 「黄燐?」 「俺が一番年下なのだそうだ」 カンニング犬は首を傾げて白燐を見る。 「黄燐の統治年数と、俺の年齢が、」 宙に『=』の記号を書いてみせる白燐をじっと見る。 「この記号で表せるそうだ」 見ているうちに頭がこんがらがってきたのか、なんだか情けない表情をし始める。 「ちなみに、俺は青燐の年齢を知らん」 「同じくらい、違うの?」 犬は三角耳から煙を吐き出しそうなほど悩める顔をしている。白燐は首を横に振る。 「というより、」 怖い話をするように囁く。 「あいつと比べるのが間違っている」 「青燐、たくさん、年上?」 「ああ、たくさん年上だ。意外か?」 「あたま、ぐるぐる」 眼もぐるぐる白黒させるクロハナの深皿に牛乳のお代わりを注いでやりながら、白燐は苦笑いする。 「見た目的には二番目に年いってるのだが」 「うん、おとな白燐」 クロハナは注いでくれた牛乳を飲んでとりあえず混乱を治める。 「天人は、こういうことがよく起こる」 「天人?」 「種族みたいなものだ」 「白燐の世界は、種族、たくさん?」 どうだろう、と白燐は狐の耳を傾ける。 母がそうである天人、容姿端麗で長命な夢人、生血を糧とする夜人、父が種族である獣人、コンダクターたちとよく似る昼人。 壱番世界のように一種の人々に占められてはいないが、自身の世界を見失ってこの方、様々の世界を見聞きし、様々の人々と言葉を交わしてきた。 「数え切れないほどではないが、何種族かは居るな」 「白燐は、なに?」 何の含みもなく放たれたクロハナの問いに、白燐の狐の尻尾がほんの少し元気をなくす。 「俺は、」 母と父の種族は違う。母は天人、父は狐の獣人。五つの都に五つの種族が住まうあの世界で、混血は珍しくはあったが禁忌ではなかった。 それでも、十三の年まで白燐は『天人』ではなく『獣人』として見られていた。 それは混血児としても稀にしか見られない耳と尻尾のせいでもあったし、母がそうである『金行天人』としての力の発現が通常よりも遅延していたせいでもあった。 西都を守護する金行天人の子として生まれ、けれど獣人の血が混ざっているが為に天人とは成れない、 「半端者だったさ」 低く、白燐は呟く。犬の耳で呟きを捉え、悲しげに瞬く司書に、白燐は殊更明るく笑って見せる。 「父が狐の獣人で、母が天人だったからな。種族間に争いはなかったが、多少の区別はあった」 それは例えば力の違いであったり、寿命の違いであったり。 十三の年で、他の天人たちよりも遅れて金行天人としての力の発現を見せて後、白燐は母と同じ天人として生きることを求められ、天人として生きることを決めた。 決断して後、母より天人としての教育を受け、守護天人の為の教育機関に通い直した。金行天人として修行を重ねに重ねて、 「今はれっきとした天人として認められてはいるが」 西都の守護天人の長となった。 天人として認められるまでの苦労も、認められる為に重ねた努力も、一片も口には出さず、白燐は狐の尻尾をふわりと揺らす。 「まあ、獣人でも良かったとは思う」 けれど、この身に流れる獣人の血を、父の血を、厭うてはいない。口にしたことはないが、――父は、誇りだった。 父も母も、彼岸へ旅立ってもう随分と経つ。 「……そうしたら、今の出会いはなかったかもしれんな」 獣人の寿命は総じて天人よりも短いが常。 金行天人の力が発現せず、獣人のままであったならば。 金行天人と成らず、『白燐』の地位に就くこともなかったならば。 そうであったならば、自分の世界から放逐されることは無かっただろう。ターミナルに居を構え、様々の世界に足を運ぶことも、様々の人々と言葉交わすことも無かっただろう。 得難い経験を得た。この先、見失った自身の世界を再び見出せるのかも未だ分かりはしないが、それでも。 「会えた。おはなし、できた。良かった!」 クロハナが全身で楽しげに笑う。 「ああ」 白燐は小さく顎を引く。 それでも、様々の世界を巡る旅人となってしまったことに後悔はない。様々の人に出会い話ができることは、 「良いものだ」 感情を多く滲ませない顔を助けるように、ふさふさの狐尻尾が心底嬉しそうに揺れる。白燐の尻尾と同じに、クロハナは尻尾をぶんぶん振り回す。 「白燐、もっとおはなし、しよう! ノンホモ低温殺菌牛乳大瓶一本蓋付き、おかわりー!」 終
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