木曽義仲公と、塚をならべたい。 旅の途中、生きた時代の違う武将に対して、芭蕉はそう言い、弟子たちによって、その願いは叶えられた。 * * 梅雨明け宣言も出ぬうちに、夏の日射しが強くなったある日。 ロストレイル獅子座号は、神奈川県のとある地域の、みどり深い山麓に停車した。 この一帯は、室町時代より、歴史の裏側でちからを振るった蓮見沢家の所有する土地である。早稲が丈を伸ばす豊かな水田と、丁重に耕された畑が交互につらなる風景は、旧き良き時代の日本とは、おそらくはこうであったのだろうと思わせる、聖なる結界が張られたかのような静謐さだ。 そのさらに奥に、蓮見沢邸はある。 獅子座号から降り立ったロバート・エルトダウンは、二千坪になんなんとする書院造りの屋敷の門をくぐった。 友人である蓮見沢理比古と、その従者、虚空の招待を受けての、来訪である。 気の早い蝉が、鳴き始めた午後だった。 * *「俺はあなたと話がしたい。あなたが伝えたくて伝えられなかったことや、好きなものや、大切なもののことを」「あんたに伝えなきゃって思ってるんだ、メガリスの、最期の言葉や想いを。今でもあいつが、あんたの幸せや平安を祈ってることを」 ダイアナの『猫』は、彼の金属の肉体をすり抜けて、メガリスの魂を喰いちぎり、引き裂いた。 虚空が彼のそばに駆けつけたとき、その金属さえも細切れになり、飛び散っていた。かろうじて、水滴のかたちの小さな固まりをひとつ見つけ、ふところに仕舞ったのだ。 いつか「あるじ」に、渡すために。 そして、涙に似た形見は、虚空がロバートを医務室に見舞ったときに、渡すべきあるじの手におさまっていた。 * *「ありがとう、理比古。虚空」 来客用の広大な座敷に通され、虚空が腕を振るった、心づくしの旬の料理が運ばれるのもそこそこに、ロバートは頭を下げた。「実はあの後、父のもとを、何年――いや、何十年ぶりかに訪れたのだよ」 いっさいの異分子を拒み、外部の浅薄な干渉を何よりも忌み嫌う「ネモの湖畔」。エイドリアン・エルトダウンと、内縁の妻、マリー・セヴェールの小宇宙。「用件はたったひとつ。『メガリスの形見を、エルトダウン家の墓地に埋葬したい』ということだったのだけれども」「……お父さんは何て?」 配慮深い声音で、理比古は問う。「おまえがそうしたいなら、と」「許可が出たんだ。良かった」「ひどく怒られたけれどね。父に」 ――僕に万一のことがあったら、メガリスの隣に墓を建ててくれるとありがたい。 そう言ったロバートに、エイドリアンは、こう返したと言う。 ――たとえ仮定でも、そんなことは言うな。私たちより先に死ぬなど、許さない。 私は、おまえと志を同じくはできない。私たちは、おまえとは暮らせない。 今までも、これからも。 だが。 覚えておくがいい。 どんな愚かしい失敗をしようとも。どんな動揺におまえが囚われ、生真面目なロストナンバーたちがおまえを責めたとしても。 そんなことは、どうだっていい。 おまえはいつだって、私の自慢の息子だ。 * *「まさか、そんなことを言われるとは思わなかったので、なんというか、その」 唇を引き結び、ロバートは額を押さえる。「僕は知っている。知っているんだ。そもそも父が『ネモの湖畔』へ義母とともに閉じこもるに至ったのは、悪気はないけれども詮索好きなロストナンバーたちの、無邪気な善意からくる干渉に、少しずつ少しずつ傷ついていったからなのだと」 僕だって、父と義母を護りたい。 それにはおそらく、仲の悪い親子として、一定の距離を置くのが良いのだろうと思って――そう思って。 わずかに声が震えているだけで、泣いてはいない。いないが。「ロバートさん」 理比古は、その肩に手を置く。「あなたが無事で、ほんとうに良かった」 蝉が鳴いている。 哭けない男の代わりにとでも言うように。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>蓮見沢 理比古(cuup5491)虚空(cudz6872)ロバート・エルトダウン(crpw7774)=========
:-:+:-蝉時雨 私は、よく――わかっているよ。 一族の恥だと、口ではいいながら、あらゆる矢面におまえが立ち、おまえが全部背負ってくれていたことを。 * * 広い客間を風が吹き抜けた。 ふだんは障子と襖で間仕切りされている部屋を開け放ち、外気を取り入れたのだ。 庭を彩る葛の花を揺らし、フウセンカズラが織りなす緑のカーテンを通り抜けた夏の風は、程よい温度で客間にそよぐ。畳の香りが心地よい。 「成る程。日本家屋は、温暖・湿潤な風土によくマッチしている。この建物は最たるものだね。よくぞ現代まで維持管理できたものだ。蓮見沢家歴代当主に敬意を表する」 「旧い家で、外断熱や内断熱とは無縁なんだけどね。自然の風が入るから、エアコンとかもあまりつけないようにしてるんだ」 「エアコンなんぞいらんだろう。扇風機もいらん。風が吹かないときは俺がアヤを団扇で扇いでるしな」 「……」 「どうしたロバート!? 風が足りないか? 扇ごうか? ちょっと待て団扇取ってくる」 「……それには及ばない」 無垢材を浮き造りで仕上げた、どっしりした座卓は、木目がはっきりと浮かび上がり、美しい。 そのうえには、地場ものの夏野菜や山菜、鮎や岩魚をふんだんに使った料理がところ狭しと並べられている。 虚空が手早く炭火で焼いた、色鮮やかな野菜の焼き浸しを、達者な箸使いでロバートは口に含む。 「随分と鮮烈だ。虚空の素材を扱う手際は、どこのシェフにもひけを取らない」 「この辺りはまだ農業がしっかり息づいてるから、野菜はどれも味が濃くて特別美味いんだ」 「友達が来るんだ、って言ったら、近所のひとたちが持ってきてくれたんだよ」 理比古はにこにこと、童顔を笑みくずし、嬉しそうに言う。近隣のひとびとは、未だに理比古を「坊ちゃん」と呼ぶらしい。 「これは……、山菜なのかい? 花の天ぷらとは、珍しいね」 言いながら、薄紅いろの天ぷらに柚子塩をつける。 「ああ、庭に植えてある葛の花を使ってみた。あと、これは、そこらへんに生えてたスベリヒユ。さっと茹でて醤油をたらして鰹節をふりかけるだけで十分美味い。こっちは、そこらへんに生えてた露草。お浸しにしたんで、ポン酢で」 ヤマノイモの若い葉、アオビユの芽、ヤマミズ、シラネセンキュウ、イワタバコ。 いろんな食材がそこらへんに自生しているんだね、と、ロバートは感心しながら箸を進める。 「旬のものって、命をいただいている、って感じがするよね」 理比古も、いつもどおり虚空に世話を焼かれながら、見かけに寄らぬ健啖ぶりを披露している。 「友達が来てくれるのは『家族』が側にいてくれるのと同じくらい嬉しい」 ふっと、そんなことを言いながらも、鮎の塩焼き、鮎の山椒煮、稚鮎の唐揚げ、鮎の「背ごし」、岩魚の姿造り、岩魚の薫製などなどを、すがすがしい勢いで平らげていく。 「この『背ごし』美味しいね。そんなに骨も固くないし、ほどよく脂ものってて」 「たくさんもらったから、まだ鮎、あるんだよな。どうすっかな」 わずかの間考えていた虚空は、すぐに結論を出す。 「アヤはまだまだ食べるだろうし、雑炊にすっかな」 あっさり言った虚空に、ロバートが思わず身構える。 「この鮎を? そんな贅沢な」 「ロバートさんに贅沢って言われるなんて、すごいね虚空」 理比古がくすくす笑い、ほどなくして―― 鮎の雑炊に、野生のミツバが刻んで散らされた。 「さぁて。こっちの小ぶりの若鮎はどうしてくれよう」 「この大きさだと、骨酒にできないかな。今、日本酒何があったっけ?」 「獺祭と澤乃井と黒龍と十四代くらいかな」 「じゃ、少しずつ、全種類で」 「……そんな贅沢な」 骨酒を堪能したあと、普通に日本酒を薦められ、ロバートは頷いたのだが。 虚空は、不可思議なことを言った。 「飲み方はどうする? 『雪冷え』か『花冷え』か『涼冷え』か」 「じゃあ、今日は『雪冷え』で」 にこりと自然に、理比古は答えた。 「ロバートはどうする?」 「……? すまないが、きみたちが何を言っているのかわかりかねる。冷酒として飲むのであれば、そのバリエーションはひとつしかないのでは?」 「そうなんだが、その温度を聞いてんだよ。『雪冷え』は5℃前後、『花冷え』は10℃前後。『涼冷え』は15℃前後」 「……虚空。まさかきみは、いつもいつも理比古が食事をするごとに、そんな料亭なみの微調整を行っているのではないだろうね?」 「いや、さすがにそれはない。今日は客人がいるから配慮してんだよ」 「……そうか。それはそうだろうね。申し訳なかった。気を使わせてしまって」 「まぁな。ふだんは、これの他に『常温(室温)』『日向燗(30℃前後)』『人肌燗(35℃前後)』『ぬる燗(40℃前後)』『上燗(45℃前後)』『熱燗(50℃前後)』『飛びきり燗(55℃以上)』ってバリエーションがあるんだけどな」 「……」 「俺の過保護っぷりに、あんまりあんたをドン引きさせるのもどうかと思って、控えめにしてみたんだよ」 「……」 「どうしたロバート。控えめ設定じゃないほうが良かったか?」 「『フローズン(0℃以下)』っていうバリエーションもあるよ。夏はやっぱり冷たいお酒が美味しいよね」 「……。わかった。大変よくわかったので、もう説明は結構」 :-:+:-Choux à la crèmeの記憶 シュークリームはいくつ焼けばいいと思う? * * 涼しげな音を立て、小川が流れている。澄み切った川面に、きらきらと午後の陽が反射し、ついと、魚影が横切る。イワナかアマゴだね、とは理比古の弁だ。 敷地を案内しようと理比古が提案し、三人は蓮見沢邸のまわりを散策していた。 「ここの川は水をそのまま飲めるくらい綺麗なんだ。皆が大事にして守って来たから」 「飲んでも?」 「どうぞ」 腰を落とし、ロバートは両手で水を掬い上げる。 しかし、すぐには飲まずに、手の中の水に顔を映したまま、黙り込む。 「ロバートさん?」 「ごく昔、家族でピクニックに行ったことがあってね。ちょうど、こんな川が流れていた」 「そうなんだ。よく家族で出かけたりしたの?」 「いや、ごくまれなことだったので覚えているんだがね。義母は当初から感情が不安定な女性で、いつも僕と衝突していた。けれどたまたま、その日は気分が良かったらしく、自分でサンドイッチをつくり、シュークリームを焼いていて……、こんな話は退屈かな?」 いや、と、理比古はかぶりを振る。 「もっと聞きたい。それってロバートさんが肩の力を抜いてるってことかなって思うし」 「いつぞや言ってた、おふくろさんの気まぐれシュークリームの話だな。たしか、味は……」 苦笑する虚空に、 「それはもう」 ロバートは顔をしかめ、胸を押さえる。 「サンドイッチもシュークリームも凄まじい代物だった。そもそもサンドイッチなど単に材料を揃えてバゲットに挟んだだけというのに、いったいどんな技を使ったらあんな有様になるのやら。シュークリームと来た日には、どんな禁断の錬成術を使って薄力粉とカスタードクリームに手を加えたものか。人類が到達してはいけない領域に、歌姫マリー・セヴェールは足を踏み入れていた」 たとえて言うなら、と、ロバートはしばし考えたが、すぐにあきらめたふうに首を振る。 「だめだ。とても比喩が思いつかない」 「で、親父さんと弟さんの反応は?」 「父は何も言わずに黙々と食べていた。無表情だったが、額にうっすら汗が浮かんでいるのがおかしかった。幼い弟は大喜びで、美味しい美味しい、ミステリアスな味だね、とそれは嬉しそうに平らげていた。不憫ではあったが、少し、この子の味覚と将来が心配になった」 「あんたも黙って食べたのか?」 「冗談じゃない。こんなものを人類が食べられるものか、よくこれだけ不味いものを作れるな、と怒ったら、何ですって殺すわよ! と、逆襲された。わざわざ殺さなくても、このシュークリームをひとくち食べれば天に召される、と返したら、口の中におもむろにシュークリームを突っ込まれた。……あのときは、本当に、死ぬかと思った」 「そうか。楽しかったんだね」 「いささか物騒過ぎるやりとりだったがね」 ……しかし、もう、彼女が僕に殺意を向けてくれることさえ、なくなったけれど。 薔薇のかたちの傷痕を見下ろしながらのロバートの呟きを、理比古も虚空も、聞こえないふりをした。 「よし、デザートにシュークリームを焼くか。そんなに想い出の味なら、おふくろさんのミステリアス・クッキングに挑戦してみっかな」 「頼むからあんなものを再現しないでくれ」 ロバートがぼやき、理比古が笑う。 :-:+:-Reliance そうしなければ、あの方を守れない。あの方の壱番世界も守れない。 * * 陽がしずみ、空が満天の星で埋め尽くされるまで、彼らはずっと川面にいた。 ちらほらと、淡雪が舞うように、蛍が飛んでいる。 もう蝉の声は聞こえない。リ、リリ、と、震えて鳴くのは鈴虫か。 「俺は本当なら当主になるはずじゃなかった。なりたいと思ったこともなかった」 星空を、理比古は見上げる。 「だけど、そういう――そうだね、全部の流れが、こうしてロバートさんを我が家に招くことに繋がっていたのなら、俺はそれに感謝しなきゃって思うんだよね」 もっとも、理比古が当主にならないということは、義兄が存命である、ということだから、その場合、自分は生きていなかったかもしれないとは思いながら。 松尾芭蕉は、かねてからの願い通り、『朝日将軍』木曾義仲のそばで眠りにつくことができた。 だが、もし、江戸に住んでいた芭蕉が、旅に出なかったら。 もし、芭蕉が没した場所が、義仲寺のある大津に搬送可能な、大阪でなかったら。 もし、大阪に、師匠の願いを叶えようとした門人たちがいなかったら。 ひとつでも要素が欠けたなら、それは、実現しなかったはずなのだ。 「ありがとう」 理比古は、ロバートに向き直る。 「ロバートさんが骨を折ってくれたから守られたものが確実にある。お父さんの二番煎じになるけど、だからこそ、あなたのどんな失敗も、とても尊いものだと思う」 「理比古」 「お父さんと心が通って良かったね。家族の距離感はそれぞれだけど、あなたが確かに大切に思われていることが解って、俺は嬉しく思う」 「俺は親に必要とされねぇ子どもだったから、ちょっと羨ましいかな。でも、それ以上によかったなって思うけども」 「虚空」 「メガリスは最期まであんたを案じてたぜ。あんたに傷ついてほしくない、何もかも背負ってほしくない、幸せでいてほしい……、って思っていたんだろう」 「……」 「あんたは幸せになりゃいいし、自分の感情に正直でありゃいいと思う。あんたが楽しくやることが、あいつへの一番の餞じゃねぇの?」 「……そんなことが」 許されるだろうか、と、ロバートの声がくぐもる。 「ロバートさん。泣きたいときは、胸くらい貸すよ?」 「……それには及ばない」 微笑む理比古から顔を背け、口元を手で覆う。 「なあ、ロバート。前に、『かざはな亭』で、言ったよな?」 ――俺も、あんたに信じられたいと思う。何があっても、あんたを信じたいと思う。 たとえあんたをひどいやつだと、ターミナルの誰もが罵ったとしても。 「俺はアヤのしのびで、それ以外の生き方は出来ねぇが、身体を張ってあんたを護るくらいはわけもねぇ。あんたに何かありゃすぐにだって飛んでいく、これは俺自身の意志で、誓いだ」 「きみは――きみたちは」 ため息のような声。 少し、僕を、甘やかし過ぎる。 「ロバートさんはいつも何かに堪えてるけど、こういう時くらい泣いてもいいと思うよ?」 「いや……、その、僕にも見栄というものがあってだね」 狼狽しながら弟の口癖をなぞるロバートの肩を、虚空が掴んだ。 「じれってぇな。アヤが胸貸すっていってんだろうが」 ぐいと、理比古の胸に押し付ける。 慈母のごとく抱擁し、促すように、理比古はロバートの背中を叩いた。 「メガリスさんの形見も、涙のかたちだったね」 ほんの一瞬、漏れた嗚咽は、すぐに虫の声にかき消された。 ――Fin.
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