★精霊は語る「突然だが、壱番世界には比翼連理という諺があるそうだね。 寄り添い合って飛ぶ片翼の鴉、絡まり合って一つになった枝……転じて、仲睦まじい男女の様子をさす。 ヴォロスのとある森に一本の大樹がある。 この樹には哀しい伝説があって……」 語るのはイルファーン。その玲瓏なる声で歌うように続けるのは哀しい話。「大昔、身分差と種族の違い故引き裂かれた男女がいた。 誰にも祝福されず理解されず、将来を悲観した二人は、幾度となく逢瀬を重ねた樹の枝で首を吊って心中した。 二人の運命を憐れんだ樹が身の内に骸を取り込んで、やがてその樹は奇怪にねじくれた大樹となった」 聞くのはリーリス・キャロン、ニワトコ、七代・ヨソギの三人。三人は黙って話の続きを待っている。「非業の死を遂げた恋人達の呪いか、大樹の内に取り込まれた竜刻のせいかわからないけど、以来、森に踏み込んだ者の身に不可思議な現象が起きるようになった。 即ち、人のカタチをした樹に変えられてしまうんだ。 それだけじゃなく、この森ではある幻覚を見るらしい。 その幻覚というのは……辛い恋を経験した人間、愛する人と生き別れ死に別れた人間の心を慰撫して抉るようなもの。 愛する人の幻に誘われ、抱擁を許したが最期、その躰は樹に変わってしまうんだ。 幻覚の対象は恋人や伴侶に限らず、家族や友人の場合もあるそうだけど……」 現にこうしている今も、森に迷い込んだ人間が幻惑され、最愛の人と再会できた恍惚に溺れながら奇怪にねじくれた樹へと変わっていってる。 その樹の中にある竜刻を回収し、持ち帰るのが司書から提示された今回の依頼だ。「……ふぅ~ん。そうね、リーリスすっごく興味があるわ。誰が出てくるかしら……それとも誰も出て来ないかしら」 可愛らしく首を傾げたのはリーリス。「……すごく悲しいお話だね。ひとが樹に変わる、っていうのも、気になるね……」 樹木ならではの思いがあるのだろう、ニワトコ。「祝福されなかった恋人、ですかぁ……悲しい話ですよねぇ。ボクでも、何かお役に立てますかねぇ……ボク、幽霊さんの事は全然分からないですけどぉ……それでも、何かの助けになってあげたいのですよぉ」 しゅんとしつつも力になりたいと申し出るヨソギ。「皆、ありがとう。それじゃあ行こうか」 恋人たちの、気にされた人達の、或いは竜刻の――見せる光景に打ち克って、竜刻を回収するべくロストナンバー達は旅立っていく。 *-*-*★不気味な森の中で そこは森だった。 だがただの森ではない。そこここに人型を模した様な樹があるのだ。 否、話によればそれは人型を模したものではない。人そのものが樹に変わったものだ。 竜刻が伝説の二人の思いに共鳴したのかは定かではないが、この森に足を踏み入れた者は、生き別れ死に別れた愛する相手の幻影を見る事になる。 幻影とはわかっているものの、振り払には強い意思が必要だろう。 また、該当する相手が全くいない者は何を見るのだろうか……それは判明していない。なにせその森から生還したという者が一人もいないのだから。 それでは誰がそんな噂を流したのか? 噂の出処など常に知れぬものである。 帰り来ぬ人達わ見て、だれかがそうであると想像したものが噂となったのかもしれない。 果たしてロストナンバー達は、無事に森の中心にある樹へとたどり着けるのだろうか。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>イルファーン(ccvn5011)リーリス・キャロン(chse2070)ニワトコ(cauv4259)七代・ヨソギ(czfe5498)=========
そこは静かな森だった。 人の寄り付かなくなった森は、動植物の気配しかせず静かだ。葉擦れの音が耳に響く。 この森には『境界線』がある。四人のロストナンバー達はその『境界線』の前で立ち止まっていた。 『境界線』といっても本当に線が引かれているわけではない。 線引きとなるのは――特殊な形をした木である。 「これが例の、人が木に変化したってやつね」 リーリス・キャロンが興味深そうに、数メートル奥の人型をした木を見つめる。ともすれば好奇心のまま進み出そうなその小さな身体を、イルファーンの手が制した。 「危ないよ。ここから先に入る時は、覚悟をして進まなくては」 「きゃー、リーリス怖い」 怪しまれないように怖がってみせるリーリスだったが、実は自分の前に誰が出てくるか、ちょっと期待している。 「覚悟……」 「覚悟……うん」 ぽつり呟いた七代・ヨソギと意を決したように頷いたニワトコ。二人が思い浮かべたのは、誰の姿か。 「ここで立ち止まっていても何も解決しない。覚悟ができたなら、行こうか?」 イルファーンの美しすぎるその表情が引き締まる。頷きあって、四人は一歩ずつ『境界線』を超えて行った。 *-*-* 耳に響くは啼き声の様な風の音。 身体の隙間という隙間から染みこむような、悲しい声。 足元の大地を揺らすような怨嗟。 木々の葉から滴るような悲哀。 どうして、どうしてわたしたちは――それは最初の恋人達の嘆きなのか。 響き渡る、響き渡る――。 *-*-* 静かな静かな森の中だった。仲間達と歩いていたはずなのに、いつの間にか草を踏みしめる音は自分一人のものとなっていた。 意識に靄がかかったようになり、頭の中が荒らされて、奥の奥にあった何かに触れられるような感覚。 悲しげなメロディは風穴を通る風の音か、はたまた樹の中の二人の怨嗟か。 しかしイルファーンはそんな音に耳を傾けている余裕はなかった。 目の前に現れた人物に、五感のすべてを持っていかれたような気がしていたからだ。 「……スレイマン?」 見間違えるはずなどないのに、けれども絶対にもう会えぬ相手だとわかっていたからか、口をついてでたのは確認の言葉。 彼はイルファーンの先代の契約者だ。 思い出すのは覚醒する前、故郷での出来事。 スレイマンと主従の契約を交わしたイルファーンは、彼と百年旅をした。 山を越え谷を越え砂漠をさすらい、世界の根源の真理を求め、放浪し続けた。 そんな放浪の日々……けれどもイルファーンは幸福だった。 彼は孤独から救い出してくれた恩人。 イルファーンに生きる赦しを与えてくれた、初めての友人だったのだから。 けれども幸せは、ある日突然崩れた。 イルファーンの魂の片割れ、アシュラフに見つかってしまったのだ。 こうなってしまっては、巻き起こるのはイルファーンを巡った壮絶な戦い……。 スレイマンはイルファーンを庇い、逃がすために犠牲になった。 『生き延びろ、イルファーン』 (僕のせいで彼は死んだ。殺してしまった) イルファーンはスレイマンの幻影の前で跪いた。 *-*-* (いそがないと……!) ニワトコは何故か走っていた。 周囲の木々は炎に照らしだされ、赤く染まっている。今、ニワトコが走っている道だけが無事なようだった。 「夢幻の……霞子さんっ!!」 二人だけの時に呼ぶ大切な名前を読んで、彼女を探す。 さっきまで手を繋いでいたはずなのに、彼女とはぐれてしまった。 赤は、いやだ。炎は、いやだ。故郷の森が燃えたあの時の恐怖が蘇る。 足がすくみ上がる。もう、走れない。 こわいくるしいもういやだだれかたすけて――。 ひらり、俯きそうになったニワトコの視界を赤以外のものが掠めた。はっと顔を上げる。 「霞子……さん」 水をたたえたような彼女の上衣。遠目ではあるが、しっかりと捉えることが出来た。 見間違え? そんなはずはない。 ニワトコはすくみあがった足を引きずるようにして、動けと叩いて鼓舞するようにして、前へと進む。 愛しいあの人の元に――。 ごうっ!! 「!?」 だが、あと少しで手が届く、そう思った瞬間、二人を隔てたのは炎の壁。思わず手を引っ込めてしまったのは、本能的な恐怖から。 炎の壁が揺らぐたび、その向こうで彼女が口元に手を当てて不安そうにしているのが見える。 珍しく、今にも泣きそうな彼女。自らの恐怖ではなく、きっと炎が苦手なニワトコを思って泣きそうになっているのだと思うと、胸が締め付けられる。 「霞子さんっ」 呼びかけても、炎のごうと舞う音にかき消されて、彼女には届かない。 「っ……!」 手を伸ばそうと思っても、チロチロと舞う火の粉が怖くて。 「やめて……」 彼女の姿が炎にかき消され、段々と見えなくなる。 「霞子さぁぁぁぁんっ!!」 涙が、弾けるように零れた。 *-*-* ヨソギには大好きな女の子の友達がいた。彼女はヨソギの人生を照らしてくれた、暖かくて優しい炎だった。 恥ずかしくて彼女に気持ちを伝えることはできなかったけれど……。 (ボク、あの鉱石採掘が終わったら今度こそ勇気を出して伝えるんだ……そう、思ってたのに……) 海獣に襲われたあの時、何もできないヨソギを庇った彼女の姿が今でも脳裏から消えない。 (ボクは伝える事が出来なかった。ボクのせいでマグロちゃんは居なくなってしまった) 今までずっと彼女の分まで生きて生きて沢山頑張って、少しでも良い武器を作って、少しでもこんな思いをする人が減らせるようにする事が、唯一の償いだと思っていたけれど。 (だけど……本当にそうなんだろうか……? それで本当にマグロちゃんは許してくれるのだろうか……?) 彼女のことを忘れたことはない。けれども今になってこんなにも強く強く思い出すのは、やはりこの森について詳しく聞いたからだろうか。 俯きつつ皆についていくようにして歩いていたはずのヨソギは、ふと自分以外の足音がしないことに気がついて顔を上げた。 「!?」 その時の衝撃は言葉に表すことができない。 彼女のことを強く強く思っていたからだろうか。 ヨソギの目の前に現れたのは、ヨソギの記憶と幾分違わぬ彼女の姿。 つぶらな瞳にすべすべの身体。可愛らしい笑顔。 「マグロちゃん……? 本当に……」 うまく言葉が出てこない。何から告げるべきか、混乱した頭と心では順序立てができなくて。 「嬉しいよ。ずっと会いたかったよ」 出てきたのは素直な気持ち。会いたかった、逢いたかった、あいたかった――。 「ごめんね……今までずーっと伝えたかったよ。ごめんね……」 涙の溜まった瞳を手で拭き取る。一秒でも長く彼女の姿を見ていたいのに、涙は邪魔だ。 「……ねぇ?ボク、ずっと頑張ったよ。キミの為に沢山頑張ったよ。ボク……間違っていなかったよね……?」 間違っていたなんて言わないでほしい。他の誰でもない彼女に、自分の頑張りを認めて貰いたい。 縋るようにヨソギは彼女を見つめて。 「許して……お願い……」 懇願するように、下草に膝をついた。 涙が、止まらない。 *-*-* 「何よ……テオに会えるかと思ったのに」 拗ねたように呟いたのは、リーリス。 リーリスにも、『特別』な感情を体験したことがあった。けれどもその相手と会ったのは『前の』リーリス。 時間をかけて情報のすり合わせをしても、絶望を宿した黒い瞳の持ち主という知識しかない。 「……見てみたかったのにな」 同行者の三人は、とある瞬間から立ったまま動きを止めていた。 人形と違うのは、時折声を上げること、涙をながすこと。 自身への失望にも似た思いを抱きながら、リーリスは残念そうに呟いて。 知識としてしか知らない嘗ての愛情、今手元に囲おうとしている再帰属に必要な愛しい仕掛け達。 どれも愛とは認定されないらしい。 そして興味と憎悪で出来上がっているリーリスは、恐怖とも無縁だった。 未知への興味、チャイ=ブレと弱い自分への憎悪。 消滅すら興味と憎悪で済むリーリスは、恐怖に打ち震えている同行者を見て舌打ちした。 「ねぇお兄さん、目覚められそう? 起きられないならこの幻覚を消してあげる」 リーリスは精神感応でまずはヨソギへと呼び掛ける。だが彼の心の中は長い間求めていた相手に再会できた嬉しさと罪悪感でいっぱいで、リーリスの呼びかけに応えやしない。 いや、呼びかけに応えられぬほどに、ヨソギはどっぷりと幻影の罠にはまっているのだ。 幻影を、本物だと思っている。 「目の前で樹になられても困るのよね、リーリス」 ため息を付いてリーリスはヨソギと波長を合わせる。精神的に同調し、ヨソギの見ている幻覚と彼の心を覗く。 (なるほど。行方不明になった相手との再会、ね) 「マグロちゃん……」 (マグロ……?) ヨソギの呟きを耳に留め、リーリスはヨソギの見ている幻影をしっかりと見つめる。どこかで見た覚えがあった。 いつどこで見たのかは思い出せない。けれどもターミナルで見かけたのは確かだ。 (会いたいならターミナルでいくらでも会えるのに……おかしいわね) その疑問は、心を重ねているからしてすぐに氷解した。ヨソギはマグロがターミナルで生きていると知らないのだ。 (会うならやっぱり、幻影より本物がいいわよね? 本物が生きてターミナルにいるって知ったらどうなっちゃうのかしら?) それは親切心というより純粋な興味だったかもしれない。 リーリスの口の端がニヤリとつり上がった。 *-*-* 『ニワトコ様……』 炎の壁に遮られて涙を流していたニワトコの脳裏に響いたのは、大切な大切な彼女が自分を呼ぶ声。 次々と思い出すのは、彼女の笑顔と繋いだ手の温もり、安堵。 そうだ、自分は誓ったのではないか。 この手を離さないと。 「霞子さんっ……」 涙はもう、出てこない。代わりに湧きでたのは、勇気と深い愛情。 自分の身が燃えるのも厭わず、炎の中に飛び込む勇気。 恐怖を触り払い、炎の中を駆ける。 彼女の手を掴むために。 誓いを守るために。 *-*-* 「本当にすまない……済まなかった」 跪いたまま繰り返し詫びるのはイルファーン。 「君には復讐の権利がある。いっそこのまま……」 そのまま、自らを差し出そうとしたイルファーンの脳裏に走ったのは、雷鳴のような衝撃。 (違う、これは幻だ) 強く目を閉じる。思い出すのは愛しい彼女の顔。 「スレイマン……勝手かもしれないが、今ここで死ぬわけにはいかない。こんな僕を愛してくれる彼女を哀しませたくないんだ」 彼女の隣へ帰るという強い意志。 彼女を悲しませたくないという強い願い。 スレイマンにすまないと思うのも本心だ。だが、『今』のイルファーンには時間を共有してくれる大切な人がいて。 だから、こんな所で囚われているわけにはいかないのだ。 ざっ……風が吹いて、スレイマンの幻影を消し去っていった。 *-*-* 「ねぇお兄さん、そんな幻で満足?」 リーリスは今にもマグロの幻影と抱擁を交わしそうなヨソギの心に直接話しかけた。ヨソギの動きがぴくりと止まる。 「幻影? だってもうマグロちゃんはいないんだ。せめて幻影で……」 「彼女、生きているわよ?」 「え……」 ヨソギは目の前の彼女を凝視し、一歩距離をとる。そしてどこからともなく響いてくる声を探して顔を上げた。 「彼女はターミナルにいるわ。嘘だと思うなら、現実に戻って確かめてみたら?」 「マグロちゃんが……生きている?」 疑うわけではないがにわかに信じられぬののも事実。 けれどもそれが本当だとしたら、確かめてみたい。そんな気持ちが湧いてきた。 「あ……」 すると不思議と目の前の彼女の姿が細かい砂のようになって崩れていったではないか。 「生きてる……」 ヨソギは、今一度希望を噛み締めるように呟いた。 *-*-* ニワトコとイルファーンは自力で目覚めることができた。しかし彼らが目覚めた時、ヨソギはまだ幻影から目覚めていなかった。彼の側で、リーリスが何事か囁いている。 「七代ヨソギはまだ……?」 「ううん、リーリスがたくさん呼びかけて上げたから、多分もうすぐ目覚めるんじゃない?」 イルファーンの問いにリーリスは自分は呼びかけただけだというていを装って軽く答える。 「きみは一番最初に目が覚めたんだね」 「ええ。リーリスよく分かんないけど、精神世界って思い込みだからじゃない? リーリスまだ幼いし」 ニワトコの問いも軽くかわして。自分が何も見なかったと説明する必要も義理も、リーリスにはなかった。 「ん……あれ、ボク……」 「あ、目が覚めたみたい」 幻影から脱出したヨソギは、自分の周りに集まった仲間達を見て今の状況を把握した。自分以外は既に幻影から解放されていたらしい。 「ごめんね、待たせちゃって」 「いや、無事に幻影から解放されてよかった」 森の奥へ向かおう、続けるイルファーンにニワトコもリーリスもついて森の奥へと足を進める。 最後尾で歩きはじめたヨソギの表情は、森に入る前より断然明るかった。 (生きてる……) 希望が、見えたのだから。 *-*-* もはや彼らに幻影は効かない。 森の深部で奇妙に捻くれた樹は、四人を待ち構えていた。 静かな森に佇む大樹。捻くれたその姿は他の樹と一線を画していて、威厳を纏っているというか、浮いているというか。 なんとも言い表しがたい雰囲気を醸し出していた。 それはこの木が竜刻を抱いているからかもしれない。 (ぼくは愛する人と種族が違うけど、もし自分が伝説の恋人たちと同じ立場だったらどうするだろう……もし自分が樹の立場であったなら?) 似たような話を聞いたことがあったなぁと思いつつも、ニワトコは樹を見上げる。樹木として、樹の側の思いも考えたかった。 大樹は静かだ。直接危害を加えようとはしていないからだろう。恐らく樹に、竜刻に危害を加えようとすれば、躊躇いなく大樹は攻撃をしてくるはずだ。 「誰かをずっと恨み続けるのは、哀しいし辛いことだと思う。だって、そのままである限り、誰にも祝福されないままだから」 優しく、ニワトコが樹に言葉をかける。 「樹に取り込まれたのは、きっと新しい命として生まれてくるためなんじゃないかな。樹は朽ちても、そこから新しい芽が出るもの」 「ああ、僕もそう思う」 イルファーンは一歩前へと出て、自身の胸に手を当てて。美しい声で樹に語りかける。 「僕には君達の気持ちが痛い程わかる。恋人はヒトで僕は精霊、種族も住む世界も違う。でも互いを恋い慕う気持ちはどうにもならない」 「ボクも、人を思う気持ちはわかるよぉ」 ヨソギは先程、痛いほどに思い募らせたばかりだ。彼女とは友達以上恋人未満であったが、自身の思いの強さは変わらぬだろう。 言葉を重ねる三人を、後方からリーリスは不思議な気持ちで見ていた。知識としてある愛情、目の前の彼らはそれをきちんと抱いている。リーリスにとっては不可解な存在でもあった。 知識としてしか愛を持たぬリーリスが説得に加わっても効果は薄いだろうと思われる。だから説得には参加せず、それを見ている事を選んだ。否、最初から説得に加わる気はなかったのかもしれない。 イルファーンがゆっくりと足を進める。ひたりとその美しい掌を幹にあてて、生命力を注ぎ込む。 ざわりざわり、樹が抗うかのように枝葉を揺らす。やめてほしいこのままでいたい、そんな声が聞こえてくるようだ。けれどもイルファーンは生命力を注ぎ込むのをやめない。この木を本来在るべき姿に戻し二人の魂を解放するんだ、と。 「来世で結ばれるのが君達の望みなんだろう? 此処に囚われていてはそれも叶わない」 言葉で、流しこむ生命力で、イルファーンは樹に、樹の中の二人の魂に訴えかける。 樹が枝を大きくしならせた。それは狙い過たずイルファーンめがけて振り下ろされた。衣服とともに肌が裂け、血が流れ出す。 何度も何度も鞭打つように、樹は枝を振り下ろすのをやめない。けれどもイルファーンもまた、生命力を注ぎ込むのをやめなかった。 「……!!」 その様子は見ているだけで痛々しかった。ニワトコはたまらなくなって、駆けた。イルファーンのように生命力を注ぎ込むことはできないけれど、彼を守って訴えかけることはできるはずだ。 「いつまでもそこにいないで、出ておいで、……っ!」 ニワトコがイルファーンを庇ったことで、枝葉の鞭はニワトコを打ち据えた。口の端から漏れそうになる悲鳴を彼は堪えて。 「おひさまも、大地も、ぼくらも、みんな、祝福しているから……」 だいじょうぶだよ、優しい響きが樹へと、その中へと伝わる。 「ボクはさっき助けてもらいましたぁ。だから、今度はボクが助ける番ですねぇ」 思い切ってヨソギも樹へと駆け出す。ニワトコと二人でイルファーンを庇うように立って。 樹の攻撃は痛い。けれどもここで怯えているだけでは、彼女と再開した時に笑われてしまいそうだから。ヨソギは痛みに目を閉じるが悲鳴は飲み込んで。 「もう少しだ……」 イルファーンの呟きとほぼ同時に、樹が振り下ろそうとしていた枝葉を止めた。 ピクンと痙攣するように枝葉を揺らし、幹を震わせる。 「離れよう」 枝葉を見上げたイルファーンは、あるものを発見してニワトコとヨソギと共に樹から離れた。待っていたリーリスの元へ戻ったその時。 ぽん……ぽん、ぽんぽんっ! 弾けるように、樹に花が咲きはじめた。そう、先ほどイルファーンが見つけたのは蕾。急激な生命力の流れによって刺激された樹が、たまらずに蕾を成し、更に頑なに閉じていた蕾を開いたのだ。 「わぁ……」 薄青色の花が、次々と木々を彩っていく。その光景に誰からともなくため息が漏れた。 壱番世界では、青い花の花言葉は『不可能』だなんていうけれど、同時に『奇跡』『神の祝福』『永遠の幸福』ともいう。 樹は、この瞬間を待っていたのかもしれない。 二人を理解して、祝福してくれる者が現れる日を。 この、青い花を咲かせられる日が来ることを。 「あ、あれ……」 ヨソギが樹を指した。よく見ると、ゆっくりではあるが捻くれていた幹が動いているではないか。 捻くれを治すように、ゆっくりと、ゆっくりと樹は動いて――やがて、二本に分かれた幹を持つ、青い花を咲かせる大樹の姿になった。いや、戻ったというのがふさわしいだろうか。 「竜刻だ」 捻くれることで隠していたのか、それまで一つになった幹があった空間に浮かんでいるのは紛れもなく竜刻だった。イルファーンが歩み寄り、それを手に取る。 「竜刻を回収してしまえば、きっともう、誰も幻覚を見ることはないんじゃない?」 「そうだね」 「今まで樹になった人たちも戻ればいいんですけどねぇ」 今まで樹になった人たちがどうなるか、彼らが戻ることが幸せなのかはわからないけれど、もう誰も樹になってほしくない、それが皆の思い。 「これで二人の魂は、解放されたのだろう」 青い花を見上げ、呟くイルファーン。 次に生まれてくる時は、誰からも祝福される恋人同士となれることを祈って。 綺麗な青い花を名残惜しいと思いながら、誰からともなく来た道を戻る。 わざと最後尾を選んだリーリスは、三人の背中が小さくなってから樹の幹に手を触れた。 「お前には普通の木以上の情報が蓄えられてるもの……ふふっ」 妖艶に呟いて、樹を塵化で喰らう。 さらさらさらと消えゆく大樹。あっという間にそこには不自然な空間が出来上がった。 「ごちそうさま」 ぺろりと唇を舐めて、リーリスは小走りで三人の背中を追いかける。 「あっ!」 と、振り返ったニワトコが声を上げた。けれどもリーリスが力を使ったことに気づいたわけではなかったようだ。 「樹が……」 「無くなっているね」 足を止めたヨソギとイルファーンも目を丸くして、遠くなったその場所を見た。 「きっと、あの樹は竜刻の力で維持されていたのかもしれないね」 「ああ、その可能性はあるね」 もう誰も木にならないように、水の精霊の力を借りて森自体を湖に沈めることを考えていたイルファーンだったが、その必要はなかったようだ。 大樹が竜刻という支えをなくして程なく朽ち果てる運命だったのか、その可能性は高いが真実はわからない。 ただ、樹を喰らったリーリスのみは、その真実に気がついたのかもしれなかった。 「二人を守る役目、お疲れ様」 ニワトコは樹に向けて労いの言葉を述べる。 樹のあったその場所には、いずれ新しい芽が生えることだろう。 この森で幻覚に惑わされる者も、樹となってしまう者も、もう二度と出ることはないだろう。 緑の下草に散った数枚の青い花びらだけが、この地に残った祝福の証だ。 【了】
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