空の階段を一歩、また一歩。 すたすたすた! 青いドレスがふわふわ。 金髪をひらり、ひらり。 リーリス・キャロンは駆けていく。 赤い目玉がこぼれるほどに大きく見開いて見降ろすのはどろりと黒い池のような街はきらきらと輝いている。 まるで色鮮やかな宝石、もしくはただのゴミ屑たち。 ターミナルと一緒ね。 いろんなものが混ざり合い、一見共存しているようにみえて、それぞれが身勝手な自己主張をしてる。 リーリスは、そうね、みんな好きよ。 ふふふふ。 とぉっても大好き! リーリスは暇なとき、ロストレイルに乗ってインヤンガイに向かう。 チケットを手配する司書は魅了済みで、リーリスのお願いを実によく聞いてくれる。これだってただ観光に行っていると思い込んでいつも心配な顔をしつつも親しげに声をかけてくる。 「またおいしいものを食べてくるの? リーリスは好きだね」 「そうよ! うんとおいしいものを食べてくるの! だってインヤンガイって本当にいろんな食べ物があるんだもの! 一回じゃあ、全然、食べきれないの!」 「確かに、そうだけど……たまには別のところに食べにいけばいいのに」 司書の言葉にリーリスは眼を瞬かせて、ふふっと小鳥がさえずるような可愛らしい笑い声をあげる。 「リーリスはね、凝り性なの! 前にね、とってもおいしい包子を食べたの。けど、それってお肉のはいったやつで、だったらぁ、それ以外の具もあるでしょ? リーリス、全部食べてみたいの」 「へぇ」 まぁ、気を付けてね。司書の差し出したチケットを乱暴にひったくったリーリスは次には誤魔化すようににっこりと笑って頷く。 「もちろん! ぜぇんぶ、食べきるのはいつになるかわからないけど、リーリス、がんばるつもり!」 赤い目がきらきらと輝く。 そうよ、ぜぇんぶ食べきるの インヤンガイを! リーリス・キャロンは登録上魔術師の卵ということにしてあるが、その実は魅了の力を、可愛らしい見た目を使って他人を油断させ、上等の娼婦のような手管でたぶらかし、騙し、偽って、食べる冥族だ。 冥族は神族と違い、好き嫌いはしない。とくにリーリスは食べることの楽しみを知っていたが、覚醒してからますますその楽しみに溺れていった。 人の感情の豊かなこと! 怯えるだけの相手を塵に変えて食すことの味気無さに飽き飽きしていたリーリスにとって、恐怖以外の感情に触れたとき、まるで冷水を顔にかけられたような驚愕と子供のような好奇心から夢中になった。 白いキャンバスに赤を、次に青をたらして、好き勝手に筆を動かすと一度たりとも同じ色はない。 けど、結局最後にはいろんな色が濁って何もかも飲み込んで黒くなることをリーリスはよく知っている。 ロストレイルに乗り込んで、窓から景色を見る。代わり映えしない混沌。ときおり見える薄い稲妻のような輝きがリーリスをときめかせる。 「んふふふ」 足をひらひらとふって機嫌良く笑う。 リーリスにとってターミナルはいろんな種がいて面白可笑しい、とっても素敵な場所だ。チャイ=ブレの存在がなければ。 腹立しいことにターミナルで旅人登録すると問答無用でチャイ=ブレの支配下にはいることになるのだ。 はじめ、チャイ=ブレの存在がわからず、順々に従っていたがすぐに後悔と怒りが胸を焼いた。 あいつは、あいつは、絶対的な力でこの私を食らっている……! オニキスの指輪の正体を知ったとき、リーリスは力任せに壁に叩きつけた。胸を焼くほどの赤黒い叫びたい衝動が身を突き動かしたが、寸前のところでそれを飲み込んだのはひとえに高い自尊心ゆえだった。 気が付いたときオニキスの指輪は勝手に、リーリスの指におさまっていた。その黒々とした輝きがまるで自分を嘲笑っているようで塵に変えて破壊を試みたが結局どんなことをしてもトラベルギアは勝手に自己修復してリーリスの指で変わらない輝きを放っていた。 退治されることはバカらしい。 けど、飼いならされる犬になるなんて! 許しがたいのはチャイ=ブレは私を餌として、私の食事の邪魔をすること。 絶対的な強者の存在はリーリスを苛つかせた。 だから知恵をつけようと思ったの。知らないことはいっぱいあるもの。 図書館に通って本をいっぱいいっぱい読んだの。 司書とも仲良くして情報を手に入れて、依頼を引き受けて図書館の今の体制に不満を持ってそうな人や、自由になりたいって考えている人たちの心を読み取って、慎重に慎重を重ねて近づいていったわ。魅了の力で落ちた人、餌をちらつかせて陥落した人……気の遠くなるほどにゆっくりと、じわり、じわりと水が土にしみこむような努力を続けてきた。 その結果、出てきた結論は一つ。 チャイ=ブレから逃れるには再帰属することが一番の近道。 報告書を漁ると再帰属したところで力は失われない、つまりは好き放題できる。ただし、再帰属にはいくつもの条件があってたやすくない。けど、これしかない。 ロストレイルが音をたてて、ゆっくりと停止するとリーリスは外に飛びだして、元気よく駆けだしていく。駅から出るときらきらとした摩天楼。夜だ。リーリスはわくわくとする。この闇が大好き。 空へと飛んでいく。 ほぉら、きらきら! 「んふふふ!」 赤い目がしたたり落ちる血のように艶やかな色を帯びて輝く。 どんなときも眠らない世界、インヤンガイ。 この世界の地平線は? 真っ直ぐ飛び続けたらみつかるかな? 子供みたいに無邪気に考える。 赤、青、緑……いっぱいの灰色。 インヤンガイは街ごとに全然違う。栄えているところもあれば、朽ちて今にも消えてなくなりそうなところもある。 唯一同じなのは人と、灰色の建物がいっぱいなところ。 そういう点でどの街も同じにリーリスに見える。 これでもちゃんと本で勉強したんだから、文化とか、歴史とか。 世界図書館にある本を読んで得た知識はリーリスの故郷では決して手に入らないものばかりだった。この点では世界図書館に拾われたことも感謝している。 ブルーインブルーやヴォロスはともかく、インヤンガイはリーリスの感覚ではなかなかに考えられない文明と人間の生活があった。 リーリスの世界では人間の歴史は浅く、まだまだ遊牧的で災害である冥族に抗う術はなく諦念を抱き、神族に畏怖を抱いていた。 それに対してインヤンガイの人間の貪欲なこと! だからリーリスはこの世界がとっても気に入った。 インヤンガイを知るまでは、もし故郷に戻れたら人に知恵をいっぱい与えて、敵対できればいいと思っていた。 退屈は嫌いだもの。 リーリスは踊るように空中を飛行する。インヤンガイを見るたびにとっても楽しい考えが極上の酒を口に含んだときのようにリーリスを満たして酔わせていく。 けど、そんなめんどくさいことしなくても、いま、在るものを使えばいいんだってわかったの。 この輝きに満ちた世界の地平線まで更地になったらどうかな? そのとき、少しだけ生命力や、運の強い人たちは生き残るよね? どんなことを思うの? 真っ黒に満たされるのかな? それとも真っ赤なものに満たされるのかな? それとも、リーリスが思いつかないようなもの? 泳ぐように闇のなかをひらひらとリーリスは漂いながら空想に浸る。 赤い目はうっとりと輝く。 インヤンガイを食べるの。 ああ、おいしい。おいしい。おいしい! そうよ、リーリスは凝り性だもの。一つだけじゃ満足しないの。空の上からいろんな人の感情と暴霊たちを食らってもちっともおなかがいっぱいにならない。もっと、もっともっと! これだけじゃあ足りないわ。もっとおいしい味があるでしょ? リーリスに食べさせてよ? だからね、 ねぇ、キサ キサはリーリスと約束したよね? お友達になってって、それがだめならリーリスはキサがこの世界で誰よりも強くなれるようにうーんと手を尽くしてあげるから だからね リーリスの敵になってねって、 リーリスはいとしい幼子のことを思った。 損得勘定関係なく、その上自分が面倒事にあえて目を瞑って尽くしてあげたいと思っているキサはとっても特別な存在だ。 だって、約束だけで動いてあげるんだもの。 真っ白で、まだなにもない赤ちゃん。 リーリスは歓喜した。 この子を使えばきっともっと楽しくなる。インヤンガイを再帰属の場所として選んだ私の目に狂いはなかった! 知恵を与えよう。リーリスが持てる限りの知恵。 力を与えよう。リーリスが持てるだけの力。 そうしたらこの真っ白い赤ちゃんはきっと誰よりも強くなる。権力も、地位も、もともとの生まれがいいんだもの。少し触っただけで霊力が強いことはわかったから。難しいことなんてない、むしろ最高の条件がそろってる。 「約束よ、キサ。けどね、リーリス、わがままだから、もっともっといろんな味を食べたいの」 キサだけは殺さないであげる。だって守るって約束したもの。けど、それ以外はいいよね? だって子供が成長するのには長い時間が必要だ。その間にうーんといっぱい味わいたいの。 「世界図書館とか」 にちゃあとリーリスは世界を見下ろして笑う。 このインヤンガイを好きなだけ蹂躙して、食らって、満たされて。その先に待ち受けるのは飼っていた犬に手を噛まれて怒り狂うチャイ=ブレが世界図書館に命令するトレイインウォーへの幻想。 殺しあい、食らいあいたい。 あるとき、塵族を救おうと思った。それは前の私の記憶や思考のせい、一部の塵族を気にかけたりしてバカみたい。だって結局なにをしても塵族たちは死んでいった。 それで気が付いたの。 塵族なんてこの世には必要ないものだって。 食らうだけの存在にわざわざ貴重な力まであげて、私はなにをしていた? あぁ本当に無駄なことしちゃった! リーリスのなかにあったなにかは結局形になることもなく沈んでいった。かわりにはっきりと理解したのは己の存在理由だけ。 大きな屋敷を見上げたリーリスは、そっと窓からなかに侵入する。ゆりかごのなか白い布につつまれてすやすやと眠っている赤ん坊。その子の周りに溢れた木馬、ぬいぐるみ、きらきらと輝くがらがら……インヤンガイの街と同じように色に満ちている。けど、ここは灰色がないことがリーリスを喜ばせた。 「キサ」 リーリスはうっとりと微笑む。 「待っていてね? リーリスが、うんと世界を面白くしてあげるから。だってリーリスはキサと約束したもの。だから、キサ、キサも約束を守らなくちゃだめよ?」 ふわふわのほっぺたをつついてリーリスはくすくすと笑う。 うまくやるわ。 無害で幼い姿を使って、友となる者を増やして、世界といっぱい遊ぶ。 さぁ、まだよ。まだまだ! 「お楽しみはこれからよ!」
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