15年前に神隠しにあった女五の宮様の行方を存じております――。 それは一種の賭けだった。 一人、夢浮橋を訪れた夢幻の宮は、勝手知ったるこの世界で左大臣邸を目指した。 もとより身分の高い彼女は往来を独り歩きすることなど殆ど無く、牛車に揺られて街に出ることすら少なかった。だがこの都で身分の高い者が屋敷を設ける場所は限られているし、左大臣邸といえば一条のお屋敷という別名があるほどだ。姫宮として大切にされるだけではなく香術師として働くことが多かった彼女は、この世界の普通の姫らしからぬ知識と度胸も持ち合わせていた。 彼女は旅装で左大臣邸を訪ね、先ごろ知り合いになった藤原鷹頼(ふじわらのたかより)を頼ったのだ。 そして告げた。「15年前に神隠しにあった女五の宮様の行方を存じております――。帝には、そう申し上げれば分かるはずです。お願い致します」 案の定、鷹頼は不審さを顔に出して隠さなかった。この時点でおかしなことを言う不届き者として夢幻の宮を捕まえることもできた。それでも彼が夢幻の宮を捕縛しなかったのは、うっすらと昔の幼い頃の記憶に『女五の宮』と呼ばれる女性の存在があったからだ。(そういえば、いつ頃からかお会いすることができなくなった気がする) 神隠しにあった姫宮がいたなどという話は聞いていない。いや、そんな話が大人たちの間で流れていたとしても幼い鷹頼には理解できなかっただろう。 何より扇の向こうのこの女性の面影が幼い頃の記憶に残る『女五の宮』に似ていて。だから話に出すくらいならと思ったのだ。 *-*-* そんな彼の判断のお陰で、夢幻の宮はこの『暁王朝』で一番尊ばれるべき人物の前に出ることができたのだった。「まさか本人だとは思わなかったが……久しいな、女五の宮」「……お久しゅうございます」 頭をあげるように言われてその顔を見せた夢幻の宮に、今上帝は驚いたように声を掛けた。「私は老けたが、お前はあの頃と変わらぬな。女人とはそういうものか」「……」 確かに目の前の兄、一の宮――いや、今上帝は重ねた年月相応に顔にも年を刻んでいる。だが夢幻の宮は18のままだ。女性は親兄弟にすらそれほど顔を見せない世界ゆえに『若く見える』と認識されたのだろう。「女五の宮が神隠しにあったなど、知る者はほんの僅かだ。お前の指揮していた研究に携わる者達にも、女五の宮――夢幻の宮は急な事故で身罷ったと伝えてある」「そしてそれが広く伝わらないようになさったのですね。男宮でしたら隠すのに限度があるでしょうけれど、降嫁するくらいしか使い道のない女宮であれば、人々も深く追求しないでしょうから……とくにわたくしは、香術師としての研究の方に時間を割いておりましたゆえ」「その聡明な所、嫌いではないぞ」「……」 くつくつと笑う兄その人の態度には反応を示さず、夢幻の宮は口を閉じていた。「15年間どこにいた……と聞くのは今更野暮か。鷹頼から聞いているが、先日陰陽師を名乗る者達と共にいたらしいな。だが陰陽寮からそのような者達を派遣した事実はない」「……あの方達は、私が神隠しにあった先で出逢った、大切な仲間にございます」「ほう……家臣ではなく仲間、と」「そのとおりでございます」 一段高い所に座す今上帝は、面白そうに夢幻の宮を見ながら口を開く。「神隠しから戻ってきて、私に接触までして何が目的だ? 目的があるのだろう?」「……いまのわたくしはこの世界について15年分の知識がありませぬ。その補完と、わたくしの仲間の当面の間の庇護をお願いしたく……」「ほう……自分の立場の復帰ではなく、か?」「……、……」 立場の復帰。姫宮としての立場と、香術師としての研究者の立場。後者は彼女の覚醒理由にも触れる。そのためか、彼女は歪めるように表情を崩した。「……はい。わたくしたちはこの世界に今までとは違った変化が起きていることを存じております。先の戦の集結からこちら、怨霊や物怪が暴れまわる事件が頻発していると伺いました。このままでは帝としての貴方様の御代に陰りが出るとも限りません」 今上帝の在位になってから不穏な変化が訪れたとなれば、それを理由に廃位を望む声も上がりかねない。それは今上帝自身も危惧していることだった。「陰陽師と香術師達に調査はさせているが……調伏にかかる時間のほうが圧倒的に多い。確かに人員不足でもある」「ならば、お手伝いさせてくださいませ」「……いいだろう、だが条件がある」 条件、と口の中で繰り返した後、夢幻の宮は「なんでございましょう」と兄を見据える。「まず、お前が、その仲間が信頼に足るか調べさせてもらう」「……」 当たり前といえば当たり前だ。15年ぶりに戻ってきた妹、そしてその仲間。いきなり信用しろというのは無理というもの。夢幻の宮は頷き、説明を促す。「裏で私への謀反を企んでいる者がいる。其の者を探しだすのに協力してほしい。なに、そんな難しいことではない。陰陽師が作った特殊な札がある。これをその者の家の中に張ってくるのだ。ついでに家の者と親交を深めて、なにか情報を聞き出すのもいいだろう」「御札でございますか……」「貼れば透明になるという。だが人がよく通ったり集まったりする場所に貼るのが良いという。要するに邪な気配などを感知する札だ」 屋敷に潜入する口実としては、下働きや女房としての推薦状は用意してもらえるという。また、方違えの為に宿を借りたいという場合も、仮の身分の保証はしてもらえるという。他に潜入する口実を思いつくなら、よほどとっぴなものでなければ協力してもらえるだろう。 潜入したら札を貼るとともに、邸内の人達と親睦を深めて情報収集が求められる。(「確かに潜入先の人々と親交を深めておけば、のちのちの拠点となるかも知れませぬ」) そう考えて、夢幻の宮は了承を示した。否、この世界で彼女の持つツテを使えるようにするには、断る事はできなかったのだ。「ところで……その潜入先とはどこでございましょうか?」「今のところは『右大臣邸』『左大臣邸』『中務卿宮邸』だ」「……やはり後宮絡みではないのですか?」 有力貴族はこぞって自分の娘を入内(じゅだい)させて、帝の目にとまるようにと仕向ける。その娘が生んだ子供が男児であるならば、いずれその子供は帝になるかもしれないからだ。だから現時点で後宮争いで優位にある貴族は候補から除けるものと考えた夢幻の宮だったが……。「どうやら、私が冷我国(れいがこく)の姫を娶ったことが皆、気に食わないらしくてな」「……なるほど」 敗戦国である冷我国の姫君を、モノのように扱って自分の後宮に入れたという話は、先日鷹頼がしていた。おおかた帝はその姫にご執心なのだろう。「冷我国の姫だけを優遇しているわけではないぞ。他の姫の元にも通っているがな……」 考えを読まれたのか、兄はそう言うが歯切れが悪い。恐らくその姫のもとに通うのが『いろいろな意味で』愉しいのだろう。「かしこまりました……協力してくださる仲間を募ってみますので、後ほどまたお目通りをお願い致します」 夢幻の宮は礼儀正しく頭を下げて、兄の前を辞した。 *-*-*「というわけなのです。夢浮橋における今後の活動の利便性を上げるためにも、ぜひご協力お願いいたしたく……」 ターミナルに戻った夢幻の宮は、世界司書の紫上緋穂を介してロストナンバーたちを集めていた。 今回の任務は指定の屋敷に潜入し、5枚の札を張ることと、邸内の人と仲良くなり、色々と話を聞き出すこと。「帝からの依頼は、帝に対して敵意を持っている者を確かめる手伝いをすることですが、私からも一つお願いがございます」 夢幻の宮はまっすぐにロストナンバーたちを見つめる。「できるだけ、邸内の人と仲良くなってきてくださいませ。よき縁を築ければ、今後何かと協力していただけることもあるやも知れません」 この先何があるかわからない、頼れる場所が多いのはいいことだ。 少人数での潜入となるが、上手く行けば後々のための効果が期待できるだろう。※注意※「桃花に紛れる」の3本は同一時間に起こった出来事です。同じPCでの同時参加(抽選エントリー含む)はご遠慮ください。
中務卿宮邸はさすがに帝の弟宮の屋敷だけあって、それなりの大きさと威厳は保ってた、 品の良い設えの屋敷からは、どことなく高貴さがにじみ出ている感じである。 *-*-* 狩衣一度着てみたかったある、と方違えを志望したチャンは着てみたかったというだけあって、なかなかに狩衣姿が似合っていた。網代車から降りると案内役の女房に早速色目を使ってみたりして。北の方や嫁入り前の姫君に手を出しては面倒なことになるが、女房達だったら……。 「女房の綺麗なおねーさんたちなら、たくさんうわさ話が耳に入る思うね。チャン、噂話好きね。もちろん、綺麗なおねーさんの方が好きあるけど。綺麗なおねーさん達に話し相手になってほしいある」 「それでは私などより若い女房をお集めいたしましょうか」 「待つある。おねーさんも十分若いある。何を言うあるか、おねーさんにも話し相手になってほしいある」 チャンが腕をそっとつかんで、前を歩く女房を引き止める仕草をする。小さく声を上げて引き止められた女房は、振り返った所に待っていたチャンの真摯な瞳に射抜かれて――。 「と、とりあえずお部屋にご案内を……」 頬を染めてしまったのを隠すように空いている片袖で顔を隠したので、チャンもするりと手を離して後についていく。 (チャン思うね。都に怪異が起こり始めた時期は冷我国の姫の入内と一致してる。冷我国の姫になんらかの呪がかかってるってのは考えすぎあるね?) 後宮に入るべくやってきた姫であれば、女房達は面識がないだろうが、女が集まれば噂話に花が咲くというもの。殿上人を通わせている女房がいれば、それなりの噂を聞きだせるかもしれない。 (戦勝国への献上品と見せかけてその実都を転覆させる為の憑代だったりしないあるかね……) 考えすぎだろうか、けれども完全にその可能性を払拭できない以上、疑ってしかるべきだ。 「それでは、こちらの室をお使いください。なにかご不便がございましたら、この藤浪にお申し付けくださいませ」 案内役の女房、藤浪は丁寧に礼をする。そしてお話し相手に他にも女房を連れて参りますね、と微笑んだ。 「本日はもうお一方方違えのお客さまがいらっしゃるので行き届かない面もあるかと思いますが、精一杯お世話させて頂きますので」 そう告げ、一度藤浪は下がっていった。もう一人の方違えの人物をチャンは知っている。だから女房達は忙しいだろうし、その方が隙ができて他の人物と接触する機会もあるだろう、冠の位置を正しながら思う。 (キャロンは上手くやっているあるかね……心配はいらなそうあるが) そう、もう一人の方違えの客とは、リーリス・キャロンであった。 同じ方違えでこの屋敷に世話になるとはいえさすがに顔を合わせることはないようにされているだろうが、気になるといえば気になる。 「チャン様、お茶とお茶菓子をお持ちいたしました。移動でお疲れでしょう。あとは数人の女房をお話し相手に連れて参りました」 と、考えを中断したのは藤浪が几帳の向こうから声をかけてきたからだ。 「待ってましたある~!」 明るい声でチャンが答えると、藤浪を始めとした数人の女房がくすくすと笑いながら入ってきた。 *-*-* 「悪気はないのよ?」 リーリスは牛車の中で一人、小さく呟いた。 「リーリス、新しい世界に凄く興味があったの」 そう、だからこの依頼に立候補してみた。別に悪意があってのことではない。夢幻の宮が作ろうとしているこの世界とのパイプを壊すつもりもない。 (でもね、この札が本当に言われた通りの物なら貼っても役に立たないわ) リーリスは衵姿の懐に手を入れて預かった五枚の札に触れる。悪意を感知するものだという説明だったが……。 (だってたかが人間の悪意と冥族じゃ比べものにならないもの) そうなのだ。リーリスは冥族である。ただの人間に比べればその邪気や悪意は比べようもないほどで。だからこの札が教えられた通りのものであるなら、リーリスの存在で札が上手く機能しない、または中務卿宮邸に大きな悪意が存在すると判断されてしまうかもしれないのだ。 (今回の依頼は、きっとロストナンバーの忠誠確認を含んでいるのでしょう? それに左大臣と中務卿宮は今上帝のシンパだと思うわ) リーリスの読み通りだとしたら、ロストナンバーの敵意が感知されてしまうのも、中務卿宮の屋敷で悪意が感知されてしまうのも良くはない。 (で、この札の本当の効力だけど……) 懐から一枚、札を取り出して眺める。受け取った時にすでに能力は大体把握しているが、改めて。 (これは邪気感知というより『目』ね。たぶん、守護のための魔封じの結界も兼ねていると思うのだけれど、多分これは陰陽師の『目』) 札に残る魔力や霊力を察知して出した結論がそれだ。一応、自分の邪気で札が機能しなかった場合のことも考えてある。 「到着しました」 と、車の外から声を掛けられて、リーリスは急いで札を懐にしまった。 「はぁい」 甘い声で返事をして、派遣してもらったお付きの家司が差し出した手をとって牛車へと降りる。 「いらっしゃいませ、お待ちしておりました」 何人かの女房に出迎えられたリーリスは、深々と礼をした。 「浅井の娘でございます。暫くの間、よろしくお願い致しまする」 浅井というのは今上帝が用意してくれた貴族の家で、リーリスはそこの娘として方違えに来たことになっていた。 「程なくお方さまがご挨拶に参ります。今しばらくお待ち下さいませ」 通されたのはどうやら姫君達と同じ対らしく、リーリスと近い年頃の少女の声が庭の向こうから聞こえてきた。 (きっと、チャンが潜入しているから空いている対がなかったのね……さすがに見知らぬ若い男と少女同士を同じ対に泊まらせられないという心遣いかしら) そんなことを考えていると、幾つもの衣摺れの音が聞こえて、几帳の向こうから声を掛けられた。 「失礼致します。お方さまが参られました」 その声にあわせてリーリスが深く頭を下げていると、するするという衣擦れの音が間近に聞こえる。そして思ったより近くに、その気配は腰を下ろした。 「お顔をお上げください。璃々姫とお呼びするよう宮様から仰せつかっております。そのようにお呼びしてよろしいですか?」 硬い声だ。しかし刺のようなものは感じられず、むしろ北の方は緊張しているように思えた。 (一度に二人、方違えで滞在することになったから、指示に忙しくて緊張しているのかしら……いえ、違うわね、なにか心配事があるみたいな) 「はい。突然の申し出を快く受けていただき、嬉しく思っております。短い間ではございますが、ご迷惑おかけしないように努めますので、よろしくお願い致します」 「まあ……まだお若いのにご丁寧なご挨拶を有難うございます」 ふっと北の方の表情が緩んだ。娘を見るような表情で笑む。少しばかり緊張が解けたようで、リーリスの好感度も上がったようだ。 「うちには娘が三人おりまして……一番下はまだ赤子にございますが、上の二人はこの対におりますゆえ、よろしければ話し相手にでも」 「まぁ、それはぜひお会いしたいです」 リーリスもにっこり微笑み、和やかな空気で北の方との対面は終わった。 *-*-* 「あー、それはアナタがいけないあるね。女というのは……」 女房達が噂話を終えて去っていった後、なぜかチャンの室の高欄の下、庭には中務卿宮家に仕える男たちが集まっていた。中には息子の乳兄弟までまじっている。 そして繰り広げられているのは御悩み相談室。恋文の書き方から閨での悩みまで、チャンの指導は実践で使用出来るテクニックばかりだ。 おおー! とかわぁー! とか野太い声が上がっていて、ちょっと女房達は近づきがたそうにして渡殿からその様子を眺めている。だって内容が内容なんだもの。 「すげぇ、早速今夜からためしてみるぜ!」 「今夜は若様はお通いになられるかなぁ……」 チャンの指導に自信を取り戻す男たちの中で、乳兄弟の男だけが悩むような声を上げた。聞けば若君の通っている女のに仕える女房の所に通っているので、若君と一緒でなくては行きづらいのだとか。 「俺がなんだ?」 「!?」 「若!」 人垣の後方から掛けられた声に、家臣たちは驚いて頭を下げる。中にはそのままそそくさと逃げてしまった者もいるくらいだ。 「俺の噂をしてたんだろ?」 中務卿宮の長男は長身で、無駄な肉のついていない均整のとれた身体をしていた。顔も悪くはない。これで歌を詠むのがうまくて話が上手ければモテることだろう。 (将来有望あるね) 何が将来有望であるのか。そんなことを思いながら頭の先から足の先まで値踏みするように長男を見たチャン。 「先ほど父上がお帰りになって、お前達を探していたぞ」 男たちに声をかけた後、すっと視線を動かした長男と目が合った。 「ああ、例のお客さまですね。長男の砌と申します」 立ったままではあるがしっかり礼をした砌に対し、チャンも礼を返して。そして恋愛指南をしていた旨告げると、砌は面白そうに表情を変えた。 「ああ、それはもっと早く来ればよかったかな?」 「今からでも遅くないあるよー。チャンさんの御悩み相談室はいつでもウエルカムある。その前に、中務卿宮がお帰りになったのならご挨拶しておきたいある」 「では、ご案内いたしましょうか」 砌は靴を脱いで階を登ると、嫌な顔一つせずにチャンを促してくれた。 *-*-* 「璃々姫、璃々姫、一緒に貝覆いして遊ばない? それともすごろくの方がいい?」 北の方の勧めで二の姫、柚姫の所に顔を出すと、年の近い姫がよほど珍しいのか柚姫はすぐにリーリスと打ち解けたので、魅了をするまでもなかった。 「どちらでもいいわ。楽しそうだもの。ねえ、姉姫様は一緒に遊ばないの?」 「お姉さまは……気分が塞いでしまっているの。ここの所ずっと」 しゅんとしてしまった柚姫。リーリスはそっと彼女の頭を撫でた。 「それは柚姫も心配よね……。私、手慰みに薬師のまね事をしていたのだけれど、気鬱に効く薬草というのもあるのよ」 「本当? お姉さま元気になる?」 「ええ、きっと」 リーリスが微笑むと、柚姫は「お願い!」と懇願し、女房達に必要な物を用意させた。リーリスはそれらしく見えるように薬草を煎じていく。 通常だったら初対面の子供の作った得体のしれない薬を姫様に飲ませるなんて……となるだろう。だが魅了済みの女房達はリーリスに好意的だ。薬と白湯の乗った盆を女房に持たせて姉姫の休んでいる室に柚姫と向かうまで、何の邪魔も入らなかった。 姉姫である露姫は線の細い、今にも折れてしまいそうな華奢な少女だった。確かに沈んだ表情をしている。精神感応してみれば、悩みがあるようだ。自己紹介をして薬を飲ませた後、リーリスはさり気なく口を開く。 「何かお悩みがあるようにお見受けしますが……」 「……」 「恋のお悩み、でしょうか」 「!」 ばっと顔を上げた露姫。リーリスと、彼女の隣で柚姫が心配そうに自分を見ているのに気がついてか、露姫は苦笑してみせた。 「……顔に出てしまっている?」 ここだけの話にしてね、と彼女が話したのは秘めたる恋。よく屋敷に招かれるとある受領を偶然垣間見、そして心奪われてしまったのだと。 身分の違いから、到底敵う恋ではないこと。優秀な父親は自分を東宮妃にするべく動いているらしいということ。思いつめていたら、動くのすら辛くなってしまったこと。 「それはお辛いでしょうね……」 リーリスはそっと露姫の手をとって精気付与を行う。すると少しずつ露姫の頬に赤みが差してきた。 「ありがとう、お薬のおかげかしら、それとも話を聞いてもらったからかしら、少し楽になったみたい」 「少しでもお役に立てれば嬉しいです」 リーリスが露姫の手をとったまま微笑むと、柚姫も何かしたいと思ったのか、彼女は背後から露姫をぎゅっと抱きしめた。 「あたしもいるよ」 「ふふ、そうね」 露姫が小さく笑った。 *-*-* チャンの前で中務卿宮は寝台に俯せになっていた。チャンはそんな彼の背中に乗るようにして、腰のあたりをぎゅっと押したりして。 「うっ……」 「腰も背中もガチガチあるねー。こってるあるねー」 「痛いが、気持ちいいな」 一時期マッサージ師を目指して勉強していたチャンのテクニックは、中務卿宮のこった身体をほぐしていく。ギアの眼鏡を装着したチャンは、マッサージをしながら中務卿宮を始めとした近くの者達の隠し事を探っていた。 (ほうほう、中務卿宮は娘を東宮妃にしたいあるね。あの女房は……あの男を通わせているあるか。今夜大変あるね) 隠し事を暴きながらも口は止めない。身体が安らいでいる時のほうがぽろっと本音がこぼれがちだ。 「物怪うようよで今上帝の御代も物騒ね。中務卿宮は心当たりないあるネ?」 「む……?」 「ああ、中傷とかそういうんじゃないから誤解なしある! 純粋に心配しているある」 背中のこりをほぐしながら誤解されぬように告げて。 「そうだな……兄上はあれでいて少し強引なところもあるから、反感を買っていないといえば嘘になるだろう。っ……痛。自分の御代が危ぶまれているのに、どこか楽しそうでもある」 「楽しそう、あるか。今上帝、変わったお人あるかね。そういえば、冷我国の姫君は美人あるか? 中務卿宮はお会いしたね?」 「御簾越しにお姿を拝見したことはあるな。おとなしそうな方だという印象だが、女房の代返でのやり取りだったもので、実際はわからん」 謎につつまれた冷我国の姫君。チャンはやっぱりそこが気になっていた。 「チャン世情に疎くて恥ずかしいけど、冷我国ってそもそもどこにあるどんな国ね? ここと同じような生活様式で、陰陽師沢山いたあるか?」 「この暁王朝よりも、もう少し原始的な生活をしている国だ。ずっと西にあるのだが……」 話に聞けば、冷我国とはどちらかと言えば壱番世界の平安時代よりも飛鳥・奈良時代に近いようである。また、暁王朝のように国の上層部が壱番世界の現代のような技術を持っているということは無さそうだった――判明していないだけかもしれないが。 陰陽師とは言わないらしいが、同じような術を使う法師がたくさんいるようである。 「なるほどある。勉強になったある……中務卿宮?」 返答がない。どうやらチャンのマッサージが気持ちよくて眠りに落ちてしまったようであった。 *-*-* 屋敷の怪我人や病人は下働きの者であってもリーリスは精気付与回った。その分、信頼を得られたのである。その上屋敷内を移動しながら札を貼ることが出来た。しかし玄関から五角形に設置された札は、リーリスの邪気に反応してしまっているようだ。ついでにどこぞの寺から賜ったのか、寺の名前の入っていない札をすべて塵化。 そして。屋敷のものがおおかた寝入った後、リーリスはそっと室を抜けだして玄関へと移動した。貼り付けて透明になった札を見つめ――そして屋敷内に貼った全ての札を塵化させる! 「――!」 「映像が途切れたぞ」 「も、申し訳ありません。札が……」 その瞬間の御所。ゆるりと椅子に座って陰陽師の表示する映像を見ていた今上帝は、中務卿宮邸の映像が途切れたことに気がついた。担当の陰陽師は慌てて式神を操り、札を破壊したと思しき対象を襲わせる。 だが。 「な、なに!? 式神が……」 陰陽師の放った式神はすべて塵化で喰らわれ、術は破られる。 ぽたり……陰陽師の口の端から鮮血が滴った。逆凪だ。破られた術は自分へと返ってくる。術者はそのリスクを背負って術を行使しているのだ。 「申し訳……ありません……」 相手の力が強すぎた。逆凪に対する対処はしてあったはず。なのに今回は相手の力が強すぎて、その対処を上回ったのだ。新たに防御をする暇すら与えられず、その陰陽師は侵食されていく。 膝をつき、そそのまま俯せに倒れこんだ陰陽師。 「事切れたか」 何事もなかったかのように今上帝は呟いた。 (最後に映った少女は確か、夢幻の宮が連れてきた『ロストナンバー』とか言ったな……) ククク、クククと今上帝の口から笑みが漏れる。その場にいた残る二人の陰陽師は、慣れているのか黙したままだ。 「面白い。ロストナンバーとやらの力を示したというわけか」 ロストナンバーすべてが同じ力を持っているわけではないことは今上帝も説明を受けて理解している。だが、中にはこうして陰陽師を殺害してなお余りある力を持つものもいるというわけだ。 「嫌いではないぞ、その大胆な行動……」 ククク、クククと笑い声が部屋に響き渡った。 【了】
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