扉を開けた瞬間。 グラリとした一瞬の暗転。 慌てて目を瞬くと、ぶわりと、 宙を泳ぐ魚の群れが迫る。 銀のウロコが煌めいた途端に魚は体をすり抜け。 丸いクラゲが笑うように周囲で円を描いた。 深海魚がぬらりと、 長い体で足元をすり抜ける。 周囲が深い青に染まっていく。 引き込まれる。 引き込まれる。 海に。 魚たちがぐるぐると。 歌を歌っている。「おや、君は男の子を真っ二つにしちゃったお嬢さんかな?」――ザッ、と。 魚と青が身を引いた。 明るい店内。 壁は一面木棚でその上には大小の瓶や紙辺――と、体の透けた魚たち。 ところ狭しと地面に置かれた、皮や骨、石、古びた本。樽、瓶…… 声は正面のカウンタの中。 カウンタの上も床と同様に雑多な様子だが、その声の主の上、 狭い店内にカウンタに牙を剥くように固定された、巨大な竜の骨に驚く。「魚たちが悪さをしてすまなかったね」 その骨の頭を撫でながら、声の主は怪しげに口許をあげた。「失礼ミスタ。ステキなフリークスを作りだしてくれるお店はここかしら?」 スカートの裾をつまみ小さなお辞儀をしたのは、真っ赤な髪の少女。 店主へ笑顔を向けた後、周囲で踊る小鬼の幻影達にも微笑む。「フリークスを生み出すというのは本分ではないな……勿論キメラくらいはウチにもいるけどね……ふぁぁ」 言いながら博物屋は大きなあくびをした。「まぁミスタ。お話中にあくびは失礼じゃなくて?」「いやはやごもっとも。大変失礼しましたレディ。 良かったら私の話相手になって貰えませんか? ええちょっと退屈でしてね」 博物屋はそう言ってカウンターの前の席を手で進めると、傍らのアルコールランプに火をつけた。上には葉の入った透明なポットが載っている。「今お茶をお出しします。しかしそうだな、お茶が“逃げない”ようにしっかり見張っていて貰いたい」「まぁ。ミスタのお店のお茶は足が生えているの?」「さて、どうだったでしょうか。何にせよ注意するにこしたことは無いですよ?」 そう言って博物屋が手に持ったポットを高く掲げながらお茶をカップへと注ぎこむと、カップの中で沢山の植物が芽吹き、葉と根をつかって赤子が這いずるかのように外へと身を乗り出し、あふれ出ていった。「ははは、言わんこっちゃない」 博物屋はそのまま、半分も外へ“中身”が逃げたお茶をメアリベルに差し出す。「見張っていても逃げてしまったわ」「そういうこともあるね」 メアリベルは仕方なくそのままカップを受け取ると、カウンターにそっと置いた。いよいよ勢いよく、植物はカップの壁を登り降り、喜ぶように跳ねまわる。そしてそのまま駆けだすと、カウンターの崖に気づかずにそのまま地面へ落下した。――ギュゥ…… 床には植物たちの死体がカップ一杯分つもり、メアリベルはため息をつく。「楽しんでいただけた?」 博物屋は自分の分のお茶をすすり微笑んだ。 平和な昼下がり。 妖しい店。 魔法使いと、 殺人鬼の少女。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>メアリベル(ctbv7210)博物屋(cfxp9484)=========
――これから始まる狂ったお茶会 ――メアリは迷子のアリス ――ミスタはさしずめ帽子屋さん 「私のほうが狂っている?」 ――ご不満だったかしら? 「いやいや光栄」 【そう言って博物屋はガラクタの山から帽子を取り出すとひとふりでしゃんとさせて、気取った様子で自らの頭に帽子を載せた。浮かれて歌を口ずさみながら】 「お茶会をしよう お高いカップを出したのは おととい 弟が買って来たお菓子 大人しい愛しい君と 音 音 音楽 そう音楽をかけて」 【古めかしい蓄音器からはティーパーティに似つかわしいような音楽は流れなかったが、博物屋は気にしなかった。クッキーの大皿。ネズミとウサギを準備して。全員にお茶を配った】 ――ミスタは何故この商売を始めたの? 「帽子屋? 君がそう望んだから」 ――ごめんなさい。違うわミスタ。このお店のことよ 「そうか失敬。役に入り込んでいた」 ――皆に喜んでほしくて? ――趣味と実益を兼ねて? 「ただの趣味。対して儲かりもしないし。しなくても死んだりしないし」 ……ミスタはチシャ猫みたいに笑う。 ――それは良いことね。 ……メアリもすまして答えたの。だってアリスならきっとそうしたでしょう? ――メアリが会いたいのはジャバウォッキー 「鏡の国のアリスに出てくる?」 ――ふふ 違うわ ――あれはジャバウォック ――メアリが逢いたいのはジャバウォッキー ――でもそれがどんな姿カタチをしてるかだぁれも ――メアリだって知らないの 「ふーん」 ……ミスタは驚いた顔もしないで興味深げにメアリの顔を見ていた。 【博物屋は背もたれに凭れかかって腹の上で手を組んだ。あまり行儀の良い行いではなかったが、足も組んだ】 ――おっかない怪物かもしれない ――誰もがうっとりする綺麗な天使かもしれない ――でもだれもそれを知らない ――難しい注文だけど できる? 「そうだね。少し時間がかかるかも」 【メアリは満足げに息を吐いた。博物屋はクッキーに手を伸ばし格子柄のひとつを口に運ぶ】 ――試すような真似をしてごめんなさいね ――お茶のお代わりを頂ける? 「喜んで」 【博物屋が持った金属のポットはいつの間にかティーコゼーを被っていた。熱い赤い紅茶がメアリのカップに注がれる】 ……メアリはそれを逃げないように注意深く見詰めてた。今度は上手くできたみたい。 【お茶はカップの中に留まり艶やかな表面を誇るようにメアリに見せた】 「誰も知らないジャバウォッキーを呼び出すには、まず私たちがジャバウォッキーを知らなきゃならないよ」 ――まぁ 「つまり“私たちの知っているジャバウォッキー”になってしまう。君がもし“誰も知らないジャバウォッキー”を大切にしているなら、この話はやめたほうがいい」 ……メアリはこの説明が良く分かった。だから少しだけ考えた。椅子の前で足が三回揺れたくらい。 ――でも“私たちだけのジャバウォッキー”なのね? 「そうだね。少なくとも今は。いやもう少しだけ未来までは」 【メアリの足はその話を聞いてもう3回だけ揺れた。いや4回目と同時に頷いた】 ――構わないわ。 「そう! じゃあまず歌を作ろうか。お茶会の途中に紙とペンを出すのは失礼だから。 クッキーで記録しよう」 【博物屋はもう一枚皿を取り出して、クッキーの皿の隣に置いた】 「最初はこう。 炙り火にてストーヴ じりじりに菓子を焼きし刻」 【慎重に一枚一枚クッキーを見つめ、そのなかの一枚をまた慎重に、チェスの駒をさすかのように皿に移す】 ――あらミスタ。それじゃクッキーの歌そのままだわ 「確かに。では 春めいて振る舞い霧の如くそよぐ」 ――全てミステリアスで そうネズミのよう ……メアリはクッキーじゃなくてネズミを手に取り、皿に置いた。ミスタの顔をのぞきこんだけど、おかしそうに肩を揺らしただけだった。 「うめき声は音楽。調子はずれは鶉に及ばぬ」 【博物屋は蓄音器を指差したので、メアリは頷いた】 ――ジャバウォッキーは用心しないといけない 「ぎょろりとした瞳 銀に光る指で」 【皿の上にはティースプーン】 ――じゃぶじゃぶ注ぐお茶には注意しないと。夢にも 「狂った帽子屋の傍にも寄ってはいけない」 ……ミスタはそう言うとクッキーを三枚だけ追加で並べてから、イスを少しだけ下げた。 ――こんなものかしら? 「上々だね。“わたしたちのジャバウォッキー”の完成だ」 【皿のクッキー、ネズミ、それからティースプーンは動きだし、まとまり溶け合い、ひとつの生き物の形を成す。いやそれは生物と呼んでいいのか……霧のようにそよいで、ときおり鼠色にけぶり、鳴き声は蓄音器の上げる悲鳴の様】 ――ミスタのことを避けてる。 「狂った帽子屋には寄らないから」 ――帽子を脱いだらどうかしら? 「おやいかんね、狂った帽子屋だけでなく、殺人嫌いにも寄らないらしい。スペリングがいい加減だったかな」 ――まぁミスタは殺人鬼はお嫌い? 「あんまりね」 【銀の指のジャバウォッキーはキィキィと歌いながらゆっくりとメアリの周りを回った。他の店の中に居た幻影達も。いつの間にかメアリの周りを回り出す。ゆっくりとした渦。煌めく鱗。 春の気配。 花 】 ――此処は埋葬された記憶の宝庫 ――この子たちは死んでいるけど 生きている ――メアリも同じ ――生きてるけど死んでるの ――常に忘却と隣り合わせの名もなき歌 ――メアリが消えたらミスタの魔法で甦らせてくれる? ――でもそれには誰かが憶えていてくれなきゃ ――だからメアリの事覚えていてくれる? ――会いたいって願ってくれる? 「赤い髪、光る斧。殺人鬼の君」 【メアリは寂しげに微笑んだ。幻影達に囲まれて、博物屋の顔がメアリからは見えない】 ――何故猫が蝙蝠を食べるかご存知? ――有名な謎かけよ 「蝙蝠は猫を食べないの? ではなかったっけ。蝙蝠と猫は似ているからね」 ――メアリがマザーグースを殺すのは ――ずっとメアリのまんまでいたいから ――そしてそのうち ――マザーグースがメアリを殺すの ――それはそういう運命なの 「マザーグースと君は似ているから」 ――そのものだわ 「君がそう思うなら、そう」 【いよいよ渦が大きくなってきて、メアリは目を閉じた。ゆっくりと夢の端を掴むように。そして生まれた歌をもう一度だけそらんじた】 炙り火にてストーヴ じりじりに菓子を焼きし刻 春めいて振る舞い霧の如くそよぐ 全てミステリアスで ネズミのよう うめき声は音楽。調子はずれは鶉に及ばぬ 『ジャバウォッキーは用心しないといけない ぎょろりとした瞳 銀に光る指で じゃぶじゃぶ注ぐお茶には注意しないと。夢にも 狂った帽子屋の傍にも寄ってはいけない』 ――さようならジャバウォッキー ――ヒトの心から生まれた怪物 ――すぐに消えちゃう幻でもアナタに会えて楽しかった 【メアリの閉じた目の裏にも周囲の幻の生き物たちが映った。渦巻き移ろい】 ……床も椅子も無くなってしまったみたい 【そして赤い紅茶が降って来る。メアリの赤い髪と混ざり合って、幻影たちをかき混ぜる】 ……銀のスプーンもあるし ……甘い焼き菓子の香り ……全てが夢 ……メアリも夢? …… 「お嬢さん起きて。ほら、菓子が焼けた。お茶にしよう」 メアリは散らかったカウンタの上で目を覚ました。良い香りのするクッキー。紅茶。 蓄音器は鳴っていない。幻影たちも、今は棚の上を涼しげに泳ぐばかり 「ジャバウォッキーの夢を見たの」 「ああ、お嬢さんに真っ二つにされる前に逃げたね。『狂ったアリスには注意』と教えておいたから」 「あら、注意するのは『狂った帽子屋』ではなかった?」 「そうだったっけ。覚えているのは私と君だけだから、確認のしようがないね」 そらりと言ったミスタにちょっとだけ怒った顔をして見せたら、笑って肩をすくめていた。私はミスタのそういうところ嫌いじゃないな。 真っ赤なお茶にちょっとだけキス。 そしてミスタにもお別れのしるしのキス。 「バイバイ、ミスタ 次会う時まで メアリの事忘れないでね」 「猫は蝙蝠を切らないけど、君は猫も蝙蝠も切る」 博物屋はそう言って右手を振った。 「約束破ったら 斧で四十二回叩き斬るよ」 「わたしのことも切る」 ミスタはニコニコ笑っていた。 素敵なお店。 さようなら。 (終)
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