ターミナルの一画に、『ジ・グローブ』という小さな看板のかかった店がある。 気まぐれに開いたり閉まったりしていて営業時間は判然としない。いつ行っても店には誰もおらず、ただ机の上に白黒のまだらの猫が眠っているだけだ。 猫を起こさぬように呼び鈴を鳴らせば、ようやく奥から店の女主人が姿を見せるだろう。 彼女がリリイ・ハムレット――「仕立屋リリイ」と呼ばれる女だ。 彼女はターミナルの住人の注文を受けて望みの服を仕立てる。驚異的な仕事の速さで、あっという間につくってしまうし、デザインを彼女に任せても必ず趣味のいい、着るものにふさわしいものを仕上げてくれる。ターミナルに暮らす人々にとって、なつかしい故郷の世界を思わせる服や、世界図書館の依頼で赴く異世界に溶け込むための服をつくってくれるリリイの店は、今やなくてはならないものになっていた。 そして、その日も、リリイの店に新たな客が訪れる。 新しい注文か、あるいは、仕上がりを受け取りに来たのだろう。 白黒のまだらの猫――リリイの飼猫・オセロが眠そうに薄目で客を見た。●ご案内このソロシナリオは、参加ＰＣさんがリリイに服を発注したというシチュエーションで、ノベルでは「服が仕立て上がったという連絡を受けて店に行き、試着してみた場面」が描写されます。リリイは完璧にイメージどおりの服を仕立ててくれたはずです。このソロシナリオに参加する方は、プレイングで、・依頼した服はどんなものか・試着してみた反応や感想を必ず書いて下さい。！注意！魔法的な特殊な効能のある服をつくることはできません。
「受け取りのお客様。来ないわね、オセロ？」 『ジ・グローブ』の店主リリイはテーブルで紅茶を啜りながら、そっと自身の飼い猫に話かけた。 オセロはするりと、リリイの見つめるトルソーの足元を歩く。 黒を基調としたゴシック風のドレス。 ゴシック風ではあるが、袖は無く胸元も大きく開いている。首の細いリボンとレースでできたチョーカーが胸元を印象的に見せていた。 膝上丈のパニエの入ったスカートは大きく膨らみ、レースが薔薇の花弁のように華やかさを添える。片側にだけあしらわれた数本のリボンはスカートより長くなっており、膝あたりで揺れるような仕組みだ。 「今までは特に人目を気にする事なく、自分の趣味に合わせて古風なお洋服を好んで着ておりましたのですわ。……ですが、このままでは０世界のファッション事情に乗り遅れて「ファッションに疎い女」のレッテルを貼られてしまうのですわ。これは何とかしないといけないのですわ」 依頼人である死の魔女は蒸気することのないはずの肌を染め（ているような気がした）輝くことの無いはずの瞳を煌めかせ（ているような気もした）切々とリリイに語ったのだ。 リリイはピンときた。彼女は恋をしているのだ。 「自分の趣味というのも大事だわ。でもそうね、貴方の趣味を“今”と合わせてみましょうか」 そう言ってドレスの注文を受けたリリイだったが、受け取りの約束の時間になっても依頼人が現れないのだ。 リリイは首を傾げながら二杯めの紅茶を注ぎ、材料の在庫表に目を落とした。 「申し訳ありませんわ、リリイさん！ 予定の時間を大幅に過ぎてしまったのですわ」 紅茶のポットがすっかり空になった頃。死の魔女は紫色の肌をさらに暗くして店内に駆けこんできた。 「まぁ、どうしたの？ 何かトラブルがあったのではなくて？」 リリイの言葉に死の魔女は苦々しげに口を引き結んで、後ろでに静かに店のドアをしめた。 「実は……今日は私の体に大問題が発生してしまいまして……」 そう言って、バッと服の胸元をはだけると、そこには荒く包帯の巻かれた肋骨がちらり。 「まぁ……」 リリイは軽く立ちくらみを起こしそうになったが、踏みとどまった。 「今日の為に露出の高い衣装に合わせた体を作っていたのですの。ええ、私は所謂ゾンビに類するものですから、頭以外は自由に取り換えが効くのですわ！ でもそう、ちょっとウッカリ加工に失敗してしまって、体がこの通り……」 するすると服を脱いでいくと肉はほとんどこそげ落ち、内臓すら見当たらず、ほとんど骨だけの状態の体が露わになる。包帯でデコルテと肋骨周りはなんとなく誤魔化せているものの、なんせ腹周りがなにもない。 「この体では、せっかくリリイさんに作って頂いたドレスを着る事ができないのですわ。実はこの後、このドレスを着て愛しの殿方にお会いするつもりだったのですが……これでは嫌われてしまいますわ」 両手で顔を覆う死の魔女に、リリイは考えた。そしてキッパリと告げた。 「今こそ貴方らしさをファッションに取り入れるべき時だわ！」 ――ギーコーギーコーギーコー 『ジ・グローブ』の店内にはかつて聞こえたことの無いような音が響き渡っている。 「このトルソーは中が空洞になっているの。だから、半分に割れば貴方の体がすっぽり入るはずだわ」 ドレスから覗く長い足の片方は横にしたトルソーの腰のあたりを踏みつけている。ノコギリが既に首から脇の下までを綺麗に両断していた。 「腕と足はこちらから選べばよろしいのですね。まぁ、よりどりみどりですわ！」 死の魔女は倉庫のマネキンの中から好みの手足を物色している。 リリイの持つマネキンやトルソーは様々な素材が使われていて、表面に絵が描かれていたり、表面の布地に刺繍やリボンが飾られていたり、それぞれがとても美しい。 なるべくドレスの美しさを損なわないモノが……でもそう、片腕だけあっちの黒地に白い蝶の模様なんてどうかしら。それとも生きているような美しい肌色のあちらの腕も……。 「ふふ……」 先ほどまではトラブルで慌てていた死の魔女だったが、だんだん楽しくなってきた。 オシャレは楽しいものだ。 「あの方はどんな腕が好みかしら？」 死の魔女はニコニコとしながらマネキンの腕を外した。 「胴体のベースは接着剤で止めて、布で包んで……繋ぎ目は敢えて赤い糸で大きめにステッチをしたわ。あと左胸の上に黒い糸で薔薇の刺繍をいれてみたの。どうかしら？」 「ええ、とてもセクシーですわ！ こちらの黒い左腕から繋がるようになっているのですわね。私の体自体がドレスになったようですわ」 「足は表面が石膏質のモノを選んだでしょう？ 滑らかでとても良いのだけど、ひび割れ易いから注意をするのよ」 「承知していますわ」 リリイはそっと死の魔女の腕に手を添えると、曲がり具合を確かめた。 「間接部分は油を差しておいたけれど、動きはどう？」 「もちろん普段通りとはいきませんけれど、いいかんじだと思いますわ」 鏡の前に立つ死の魔女はデザインされた人形のように美しかった。トルソーで覆われて上半身が固定されているので、いつもより姿勢も良いくらいだ。 「ふぅ……」 リリイは満足げに息を吐いた。完璧だ。ここまでの全身コーディネートはそうそう無い。普段ひかないノコギリを引いた腕が既に痛みに悲鳴をあげていた。明日は筋肉痛だろう。 「自信を持っていってらっしゃい。とても綺麗よ」 「ありがとうリリイさん！ 私行って来ます！！」 ガッシリと体育会系な抱擁を交わしてから、死の魔女は軽やかに（でも慎重な足取りで）店を後にしていった。美しいモデル体型に店の外に歩いていた人々からも黄色い悲鳴があがる。 良い仕事をした。 リリイは思った。 ――でもちょっと固かったわね。 リリイは思ったけど、気付かなかったことにした。 （終）
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