黄色いMがトレードマークの、あのファーストフードチェーンの看板が明滅している。その前をスーツを着た女性と旅行鞄を持った老夫婦が颯爽とすれ違って行った。 交差点の真ん中にあるのは、細長い広告塔のようなビルだ。そこでは様々な広告がひしめきあっていて、誰でも知っているミネラルウォーターとハンドクリームの大きなロゴの入った看板がきらびやかに自己主張し競り合っていた。その隣りのパネルには、各企業の株価が川のように流れていく。 そこは世界の交差点。ニューヨークのタイムズスクエアと呼ばれる場所であった。 ビジネスマンや観光客でごった返す中、一人の青年が白々した空を見上げている。 アフロヘアー。アニマル柄のシャツに黒のロングコート。すらりと背が高く、その姿はこの街にあって全く違和感がない。いや、むしろ溶け込んでいる。「いつ来ても人でいっぱいやな」 ジル・アルカデルトである。 しかしその口から発せられるのは、オオサカベンだ。「ねー、クロナッツの店は? まだ?」 その言葉に呼応するように、ぴょこんと彼の髪の中から小さな顔が覗く。いたずら妖精のシェイムレス・ビィだ。 一見すると独りだが、彼らは二人連れだった。「誰かにちょっと道聞こう思うてんやけど。なかなかうまい人が見つからんのよ」 二人はぶつぶつと会話を交わしながら道を行く。たまに子供に頭を指差されるが、それはそれだ。大方、ジルのアフロヘアーがカッコイイとか、頭に乗せてる人形がクールだとか言われているに違いないからだ。 ──クロワッサンとドーナツがくっついたスイーツがあるんだって。 時をさかのぼること数日。ジルとビィの小旅行のきっかけは、そんな妖精のひと言だった。「クロワッサンとドーナツはくっつかんわ」「だって雑誌で見たもん!」 ビィは愛読しているタウン雑誌を、ジルの目の前に垂らす。ニューヨークレポーターなる女が美味そうにドーナツにかぶりついている写真が、ジルの鼻にぶつかる。「そりゃ壱番世界のアメリカや。ごちゃごちゃしてて忙しないところやで」「行きたい、行きたい、行きたいー!」 ジルの頭の上でバタバタと暴れるビィ。 彼女はどういうわけか、ジルのアフロのふわふわを気に入ってそこに住んでいた。そして住む時間が長くなるにつれ、“自宅”をどうやって動かすか、その術をも学んでいた。 雑誌をジルの顔の前に垂らし、指差し、恨めしそうにここだと呟く。 家主の心が折れるまで、そう時間はかからなかった。 そんなわけで休暇旅行がてらロストレイルに乗り、二人は大都会ニューヨークに足を踏み入れたのだった。 真昼間のタイムズスクエアだ。人に道を尋ね、ぶらぶら歩いていると、ほどなくして目指すスイーツの店にたどり着くことが出来た。 行列に並んで、そのクロナッツなるものを購入するジル。「クロワッサンのパイ生地で作ったドーナツ? ふんふんなるほど」「──わぁっ!」 頭の上のビィにカフェオレ味のクロナッツを手渡すと、彼女は歓声を上げてガブリとスイーツにかぶりついた。 甘いもの大好きなビィは大喜びだ。 おいしーい、とボロボロと欠片をごぼしながら何か彼女が言おうとした時。 ──ドンッ! 何の前触れもなく、ジルは後ろから突き飛ばされた。「!」 とはいえ彼はれっきとしたブレイクダンサーだ。バランスを保って倒れずに反転し体制を整える。 一体何が? と振り返るもつかの間、頭の上の妖精が悲鳴を上げた。「クロナッツが……!」 見れば、彼女の歯型のついたクロナッツが無残にも道路に転がっている。ジルの持っていた紙袋も落ちて、中身が道路に散乱してしまっている。今の衝撃で落としてしまったのだ。 そこへ反対側から自転車が走ってくる。グシャッ。見事にビィのクロナッツを踏んづけて走り去っていく。 もう3秒ルールとかそういう問題ではなかった。「ムガー!」 怒りの唸り声を上げるビィ。 ジルは転がったクロナッツから視線を反転させる。逃げ去っていくのは、グレーの服を着た若い男だ。「強盗よ! 捕まえて!」 後ろから追ってきた女が叫ぶ。真っ直ぐに逃げていく男を指差して。 ジルの身体が反応した。 頭の上に妖精を乗せたまま、ダッと駆け出す。 すると、向こうから猛スピードで角を曲がって一台の車が現れた。青い小型車だ。それは前につんのめるように急停車すると、走ってきた例の男に向かってドアを開いた。 一瞬のことだ。仲間かとジルが気付いた時、男はもう車に乗り込んでいる。「逃がすか!」 ジルはステップを踏むように走り込んだが、寸でのところで間に合わない。 キュルルッ。エンジンを唸らせて小型車は急発進した。車は都会の細い路地裏へと滑り込むように消えていく。「クロナッツの恨み……! 絶対掴まえてやるからね!」キイキイと喚くビィ。と、ジルに、「早く、あいつを追って!」 また買えばいいとか、そういう問題でもないらしい。ビィは食べかけていた美味しいスイーツを無駄にされた怒りでカンカンだ。「腹ごしらえ前の、ちょっとした運動やな。ダイエット代わりや」 ジルは苦笑しつつも、両手の指をしならせてニヤと笑う。 そして、通りすがりの青年が乗っている自転車を見つけ、意味ありげにそれに目を留めるのだった。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ジル・アルカデルト(cxda4936)シェイムレス・ビィ(cyvp1782)=========
強盗よ、捕まえてッ、と叫ぶ声。そして通りすがりの青年の乗っている自転車。 ジルの行動は早かった。 「事情を説明してるヒマはないで!」 映画のような台詞を吐いて、彼は自転車に迫った。「強盗や! ちょっと自転車借りるで、お代はこれなー!」 あっけに取られている青年の胸に財布を──それも豹柄のド派手なヤツをばすんと投げつけ、ジルは身体をスライドさせるように彼を押し出し、腰をしっかりとサドルに据える。 すなわち、青年の自転車を乗っ取ったのだった。 「後で返す! ──ホンマやで!」 あまりにスムーズな動きであったため、相手は全く言葉を発することができなかった。瞬く間に、ジルは自転車のペダルを踏み込み走り出していた。 「行け! アフロ!」 ジルのこんもりした頭には、まるで司令官のように小さな妖精が居座って、前をビッと指さしている。 青年はそれを見送りながら、何かの見間違いではないかと、さらに目を丸くするのだった。 * 「って、自転車!? もっと速いの無かったの!?」 「大丈夫や、どーんと任しとき!」 頭の上で騒ぐビィに言葉を返し、ジルは立ち漕ぎのままサングラスを掛け直す。 「スピードアップや!」 それは彼の身体能力を高めるトラベルギアだ。彼の足はどんどん力を増し自転車はスピードを加速度的に増していく。歩道を行く白いドレスの女性のスカートを巻き上げ、自転車は車道へと飛び出した。 キャハーッ、とビィが歓喜の声を上げる。 「行っくでぇーッ!」 ギャギャッ。見事なドリフトを決めながらジルは角の街灯を片手で掴む。自転車ごと身体が浮かせて、スピードを殺さずにそのまま角を曲がる。 ──ボスッ!! が、彼らはそこでいきなり、大きな段ボールに正面から突っ込んでいた。運悪く、角のファストファッション店が搬入作業中だったのだ。 しかし次の瞬間、段ボールを突き破ってカラフルな服の塊が飛び出し地面に着地、そのまま走り去っていった。 おおー、と歓声が上がる。 「びっくりした~」 真っ赤なセーターを顔からむしり取り、ビィが一息ついた。彼女はしっかりと爆走するジルのアフロにしがみつきながら前方を向く。世界的なファッションも彼らを止められないのだ。 「あそこ!」 「よっしゃ、見えたで!」 カラフルな服を道路に散乱させながら“脱皮”したジルも、前方を見据える。 遅れを取っていた二人はようやくビル街を逃げ去る強盗の車の姿を捉えたのだった。 一方、その強盗たちは、追っ手を撒いたつもりで信号で一時停車していたところだった。 「兄貴、やったな」 と、助手席で、ドーナツを落とした実行犯の方が被っていた覆面を脱ぎ捨てた。車を運転している年嵩の男も、ああと頷く。 あとは目立たないように走行して……などとバックミラーを見た瞬間、異様なものに二人は目を丸くする。 最初は黒いバイクかと思った。しかしそれは自転車だった。黒い塊が恐ろしいスピードで自転車を漕ぎこちらに一直線に向かって来ているのだ。 バッと黒い塊が顔を上げ、それがサングラスをかけたアフロ男だということが分かる。強盗! ドーナツ返せ! と叫んでいるではないか。 「なんだありゃ!?」 彼らの車は、タイヤを軋らせて急発進した。 交差点に進入してきた車を避けるため路肩に乗り上げ、隣接していた有名アミューズメント施設のショップの商品を撒き散らし風船を跳ね飛ばした。 突然のことに、買い物客が逃げまどい、悲鳴を上げる。 「危ないで!」 追いついたジルは、世界で最も有名な黒耳ネズミの特大ぬいぐるみが跳ね飛ばされ、こちらに飛んでくるのを見る。 ギュルッ、自転車を反転させ難なくそれをかわす。すると、強盗の車は道行く人を撥ねそうになりながら車道に戻ったところだった。 さらにネズミの仲間のアヒルが飛んでくると、すかさずビィがキャッチして、邪魔よッと引きちぎった。ドナルドぉ! と、通りすがりの男の子が悲痛に叫ぶ。 「待てッ」 構わず、ジルは車道を爆走した。ギアで身体能力を高めている彼の自転車は車と同等以上のスピードだ。 車がぐんぐん加速するのに合わせて、彼もピタリと後ろに付け速度を増していく。 「行っけぇー!」 あと5メートル、3メートル、2、1と間合いを詰めていくジル。ビィが飛び移る準備に入る。その時だ。 窓からニュッと顔を出したのは黒光りする銃口だった。 パンッ、パンッ。乾いた音をさせて、鉄の弾丸が自転車に向かって放たれていた。 慌てて頭を低くするも、ビィに当たりそうになってジルは思わず背を伸ばしてそれをかばった。 「危ない!」 弾丸がビィのすぐ隣りに当たり、衝撃に自転車がよろめいた。 「アフロ!」 「し、死なんいうても女の子を撃たせる訳にはいかんやろ……?」 うわ言のように言うジル。「うう、意識が遠のいて…… ん? なんや当たったんアフロ?」 と、自転車のハンドルが手から離れ、ジルは下を見る。 「おわっとぉ!?」 自転車の車輪が路肩に乗り上げてしまったのだ。車体は勢いを殺さぬまま、宙を舞った。 投げ出されるジルとビィ。しかし──。 「よっ、と」 ジルは空中でくるくると回転しながらビィの腕を掴み、浮いたままの自転車のハンドルを掴むと、また元のサドルへと腰を落ち着けた。 ドンッ、と見事に地面に着地し、何事も無かったかのように車を追いかける。 「に、人間じゃない……!」 恐怖に駆られた強盗は、アクセルをいっぱいに踏み込んだ。 その目前の交差点では、大型トレーラーが前を塞ぐように走り込んできたところだった。ロングラン中のミュージカルが全面に描かれている。セットを運ぶトレーラーだろう。 「くそっ!」 強盗の車は止まらず、信号を無視してその鼻先へと突っ込んだ。トレーラーのバンパーが接触して、車の後方の一部が派手に道に散乱する。それでも強引に、彼らの車は走り去っていった。 問題はジルたちの方だ。 「ぎゃわわ、ぶつかるー!」 「掴まってや!」 悲鳴を上げるビィを、ひょいと手を伸ばして自分のアフロに収納するジル。 彼は素早く自転車のハンドルを引き、地面に倒れ込むようにしてトレーラーの下へと滑り込んだ。 道端の人々が、アッと声を上げてその様子に注視する。 真横になって滑っていく自転車。 ギャーと妖精が喚き、ペダルが地面と擦れ火花が散る。 アフロの一部が焦げる。 その様子がジルにはスローモーションのように見えていた。 1、2、3──! タンッと左手を軽く地面に付いて、跳ね上がるように車体を起こし、他の車を避け交差点を滑るように抜けていく。それはまさに自転車と人とが一体となった動きだった。 「あわわ、な、何があったの?」 「くぐった」 見れば、強盗の車はあちこちの車と接触しながら、道を曲がっていくところだった。突き当たりに、大きな建物があったからだ。 色とりどりの旗に湾曲したモダンな建物が連なっている。どこかで見たことあるな、とジルは思ったが、そこが国際連合本部ビルだと知るのは、後日のことである。 強盗の車は川沿いの道へ回っていったらしい……とすると……? 「このビル突っ切るよ!」 二人の意見は一致した。ジルは寄ってくるガードマンを無視して、自転車で真っ直ぐその建物の中へと乱入していった。 「不審な自転車が!」 あまりのスピードにガードマンたちは全く追い付けない。 「……ビルさん、ビルさん。ビィのお願い聞いて!」 ビィは目前に迫る壁に向かって、お願いを始めていた。「自転車が通れるぐらいの穴を開けて、お願い!」 ──ニュッ。 かくして、自転車は壁の穴から押し入り、国際政治の舞台へと足を踏み入れたのだった。 悲鳴を上げるスーツ姿の人々はどこかの国の首相ご一行様だったのかもしれない。彼らを避け、ターバンの一団をやり過ごし廊下を真っ直ぐ突っ切っていく。 螺旋階段を難なく登り、向こう側の壁まで到達したところで、またビィがお願いをした。 ビルに空いた穴から、ひょいと外へ飛び出すジルの自転車。落下する先には小さなトラックが見えている。 どすん──! トラックの背で一回跳ね、地面に着地する自転車。他に車は無く、身の危険はない。 が、ジルが体制を整えるのもつかの間、対向車線を指差してビィが叫ぶ。 「いたよ、あそこ!」 向こうから例の強盗の車がこちらへ走って来るのが見えたのだ。 目が合って、二人の男が恐慌しているのが分かる。ありえねー! と主の御名を汚い言葉と共に叫んでいる。 ん? とジルは口に出す。 恐怖に駆られた強盗の車が対向車線をはみ出したのだ。自分たちをひき殺そうとでもする気か、どんどんスピードを上げている。 あれ? とビィも首をかしげる。 「こっちに……来とる?」 「よし、飛べ! アフロ!」 「無理やわ!」 悲鳴をあげるジル。彼のアフロを掴んだまま、チィッと舌打ちするビィ。そんなことをしている間にも、強盗の車はどんどん距離を縮め、彼らをひき殺そうと迫ってくる。 ビィは胸の前でパッと手を組んだ。 「自転車さん! お願い!」 迫る車のバンパーの目前で、ぽよんと自転車が跳ねた。その車のボンネットの上でもう一度ジャンプ。強盗たちの頭を超えて、自転車はそのまま宙を舞った。 「と、飛んでるー!」 顔を引きつらせる強盗たち。自転車はぐるりと空中を滑空して、眼下の車に鼻先を合わせた。 「……最初からこうしとれば良かったんでないの?」 「うるさい! 思いつかなかったの!」 そうこうするうちに相手は、また急発進して走り出した。 自転車はグライダーのようにスイーッと優雅に空を滑空する。道行く人が皆、驚いてこちらを指さしてもお構いなしだ。 「懲りないやっちゃ。……そうや!」 追いかけようとしてジルは、はたと気が付いた。 「ビィちゃん、車のタイヤかブレーキに止まれってお願い出来ひん? 中の人はちょいシェイクされるやろうけど」 「タイヤかブレーキ? あ、そっか!」 ビィはニヤッと笑う。いたずら妖精の面目躍如である。含み笑いを漏らしながら、いつもの台詞を口ずさみ始める。 「車さん車さん、ビィのお願い聞いて……」 車間距離にも気ィつけてや、とそっと口を挟むジル。ぴたりと自転車を背後に付けて二人は強盗の車に注目する。 「今や!」 ビタッ!! と、車のタイヤが動きを止めた。 前につんのめる車に、ドンッという大きな音。衝撃で吹き出したエアバッグに男たちが頭を突っ込んだのだ。 そこへ──。 ダンッ、と屋根に飛び乗るジルとビィ。 「ジルキーック!!」 「ビィボンバー!!」 運転席側と助手席側から、二人の見事な挟み撃ちが決まった──! 強盗たちは二人の見事な蹴りを食らって、お互いの頭をこっぴどく打ちつけた。同時ノックアウトである。 「思い知ったか!」 「ええか、食べもんの恨みを買うとこうなるんやで!」 決め台詞でとどめを刺し、ニカッと笑みを交わす二人。当然、返事は無いが、二人は満足だった。 とうとう甘いものの復讐を果たしたのだから。 アフロと妖精は満面の笑みを浮かべ、ボンネットの上でパパンッと手を打ち合ったのだった。 * パトカーのサイレンが後方へ向かう中、二人は悠々と自転車で元来た方へと戻っている。警察は彼らが縛り上げた強盗たちを捕まえに行くのだろう。 でも、彼らにはもう関係なかった。 「気分は清々したけど。でもさー」 ビィは強盗へ恨みを晴らしたものの、スイーツのことを思い出したらしい。口をとがらせてジルの髪を引っ張る。 「アフロってば、何でお金渡しちゃったのー? 新しいクロナッツ、どうやって買うのよー」 「フフフン、ビィちゃん」 ジルは途端にニヤニヤと笑い出すと、勿体ぶった仕草で手を懐に入れる。 「これ、何やと思う?」 取り出したのは男物の見慣れない財布である。アッ、とビィが声を上げた。 「迷惑料や♪ もらうモン、もらっとかんとな」 キャーッと歓喜の声を上げるビィ。偉いッ、チョー偉いッと言いながらアフロの頭を撫で回す。 そうして二人はのんびりとクロナッツの店へと向かうのだった。 「あ、ほらビィちゃん、自由の女神や」 「ほんとだー。頭にドーナツ被ってるね」 その後数週間。ニューヨークの街角では、アフロの上に妖精を乗せると自転車で空を飛ぶことができるという都市伝説が生まれ、まことしやかに囁かれ続けたのだという。 (了)
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