ハーケズヤ家の昼下がり。 その日の言いつけに従って少し早い午後のお茶を供し、それを下げれば夕食の支度までサボりの時間を確保済みというハーケズヤ家のメイド、ハイユ・ティップラルが、当座の主であるシュマイト・ハーケズヤに向かって、本ッ当ーーーにどうでもいいことを聞いたのが、そもそもの始まりであった。 「ねーねーお嬢、すっごいくだらないこと聞いていい?」 「どうした、ある意味で無駄にハードルを上げてくる前置きだな」 「いいじゃない、で、聞いていいのダメなの」 「構わん。キミにとっては下らないかもしれんが、わたしにとっては興味深い事由かもしれんからな」 「わお、お嬢ってばさすが寛大。じゃあさじゃあさ、お嬢があたしの服着たら……正味なハナシ、何センチくらい余ると思う?」 __カッチーン!!! ……この瞬間、シュマイトはハイユのまこと下らなくも巧妙な罠に、ものの見事にハマってしまったわけで。 「ほう、そんなものを測りたい、否、わたしに予測させたいと? 確かに……下らんな」 「お嬢、目が座ってる」 わざとしゃがみこみ、椅子に座るシュマイトに上目遣いでにやにや笑うハイユに、いつもは冷静なシュマイトもさすがに一言言ってやりたくなったようで。少しぬるくなったアールグレイティーのカップをかちりとソーサーに置き、シュマイトはハイユを軽く睨む。 「しかしキミこそわたしの服など着られまいて。こういう言い方は良くないと分かっているが、上背ばかり高くても色々と不便なのではないか?」 「そーお? お嬢と同じ服なんて余裕よ、何なら交換してみる?」 ムキになったシュマイトの言葉ににやりと口角を上げ、ハイユはすっくと立ち上がってみせる。常々シュマイトが感じている身長差がいっそうはっきりとシュマイトの目に映り、シュマイトはすっかりハイユの口車に乗せられてしまっていた。売り言葉に買い言葉、交換してみる?の一言にシュマイトが返す言葉は勿論。 「そこまで言うのならつきあおうではないか、服を脱ぎ給え」 「やだお嬢ったら大胆♪」 ちょっぴり頭に血の上ってしまったシュマイトは気づくよしもなかった、ハイユが本当に『何センチくらい余る』か見たがったのは裾じゃあないということに。 ◆ __Side S. さすがに今着ているものを生着替えで交換するのはごにょごにょ、とハイユが気を遣ってか、洗濯を終えてクローゼットにかけてあった予備のメイド服を鏡の前で身体に当てて見つつ、シュマイトは複雑な溜息をついた。 「……全く、ハイユにも困ったものだ」 ハウスキーピングの腕は悪くないどころか超一流(本気を出せば)なのは、このシワひとつないメイド服や、整頓・掃除の行き届いた自室の様子を見れば分かる。メイドとして主である自分を信用・信頼してくれていることだって、この0世界に来て以来幾度も感じている。ハイユのおちゃらけた言動のおかげでなかなか面と向かって言葉にする機会は少ないが、こう見えてシュマイトはハイユにきちんと感謝しているのだ。 理詰めでものを考えがちな自分がそれでも感情的になってしまい戸惑うとき、ハイユのいい意味で適当な振る舞いにはっとさせられることだってあったはずだ。180度異なる人間だからこそお互いに尊重出来る、それがシュマイトとハイユの関係のようにも思える。 とはいえ、今日のこの遊びはさすがに悪ふざけが過ぎているかもしれない。鏡に映るのはあからさまに裾を引きずっているメイド服と、まるで母親の服をこっそり持ちだして遊ぶ子供のようなシュマイトの姿(もちろんあまり楽しそうな表情ではない)。 だがハイユの挑発に乗ってしまったのは未熟な自分であるとかぶりを振って、シュマイトはしぶしぶ自分の服を脱ぎだした。 「……そういえば、ハイユもわたしの服は洗ったものを持ちだしたのだったか」 ◆ __Side H. ちゃんと洗濯したものを着せるというのを口実に、シュマイトが今着ている『シュマイトサイズの服』を受け取らなかったハイユはなかなかに策士であった。この日の為にリリイ・ハムレットにオーダーしておいた自分サイズのいわばシュマイトコスプレ服をクローゼットの奥から出し、にんまりと悪い笑み。 「いやー、立ち上がった瞬間の顔だけでもお腹いっぱいになりそうだった」 プフークスクス。そんな擬音が聞こえてきそうなハイユの表情はとても主人を敬う使用人には見えないが、これはこれでハイユからシュマイトへの愛情表現なのかもしれない。……いや、やっぱりただただからかってにやにやしたいだけ……それも……愛……? とにかく。 「まぁぶっちゃけ、お嬢の服ってウェストだけはぴったりなんよね」 それ以外はお察し、という独り言を呟きつつ、ハイユはオフホワイトのパンツに脚を通した。ブーツインスタイルが映えるように細身に作られたそれは、普段メイド服のスカートに隠されたハイユの官能的な太腿からヒップにかけてのラインをいやでも強調してみせる。ぱつんと張ったふくらはぎや腿の生地と、膝の裏に寄った皺の対比は肌を露出せずとも十二分にセクシャルな美しさを演出していた。 シャツとジレのボタンを留め、襟を立ててタイをしゅるりと巻き……ふと、ハイユは主を思い出す。ただ一人認め仕えたほんとうの主を。 「……御館様は、タイ結ぶの巧かったな」 きゅ、とタイの結び目を整える。 シュマイトを……お嬢をからかって遊ぶののに、深刻な理由なんてない。ないけど、ちょっかいを出したくなる。 「何でだろうね」 気づいているのかいないのか、ふと頭をよぎった記憶の欠片を捕まえて、仕舞いなおして。燕尾のジャケットを着てくるりとターンを決めたハイユは、相変わらず愉しげに笑っていた。 ◆ というわけで、ついにご対面の時間。 「お嬢ー、開けるよ」 「……ああ」 シュマイトの自室。扉を隔ててうきうきとノックするハイユと、浮かないシュマイトの声。すべてハイユの手のひらの上なのだから、当然といえば当然だろう。 「じゃっじゃじゃーん! どうよ、ほれほれ」 「なっ……!?」 シュマイトの目が一瞬点になり、すぐまたかっと見開かれてわなわな震え出すのも仕方あるまい。シュマイトはワンピースの裾どころかエプロンまで床にてろんと引きずり、ワンピースの袖も捲って留めなければ手が半分隠れてしまい、極めつけはぶかぶかと空いた胸部分……という姿。エプロンが支えもなくだらりと垂れ下がる様子は事情を知らない第三者が居たら色々な意味で直視出来ない。しかもウェスト部分だけはしっかりぴったりなのがさらなる物悲しさを誘っている。 そんなシュマイトに対するハイユはリリイに頼むほどの用意周到さ。帽子や手袋に至るまできっちり仕立ててもらったおかげで、どこからどう見ても完璧なコスプレである。 「ひ、卑怯だぞハイユ! わたしの服と言ったのは嘘だったのか!?」 「やだなあ、お嬢ったら。確かにお嬢と同じ服って言ったけど、お嬢と同じ"デザイン"の服ってことよ?」 してやったり! という顔でタネ明かしをするハイユに、シュマイトは自分が着ているメイド服の裾をつまんで猛然と反論する。 「しかし! わたしはキミの服を着たではないか!」 「それはお嬢が自分からそう言ったんじゃん、服脱げってさー。あたし何も言ってないのに」 「ぐぬぬ……」 からかわれている、遊ばれている。わかっていてもシュマイトがつい歯噛みしてしまうのは、生来の負けず嫌いがたたってのことなのだ。ついムキになってしまうシュマイトの性格をハイユもよくよくわかっているだけに、こうした遊びには事欠かないらしい。 「あっはっは、でもお嬢かわいーよ。メイド服似合う似合う」 「もう何も言わないでくれないか……」 敗北を認め、不服そうな顔ながらもハイユの着ているコスプレ服をしげしげと眺めるシュマイト。 「……しかしよくこんなものを仕立ててきたな。リリイも半笑いだったろう」 「コスプレするって言ったら割とノリノリだったよ……うお、キツっ」 __ぷちん! ぱつん!
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