公然の秘密、という言葉がある。表向きは秘密とされているが、実際には広く知れ渡っている事柄を指す。秘密とはこの世で最も脆いもののひとつ、それを打ち明け共有出来る友を持つ者は幸いである。胸に抱えた秘密の重さは人に話してしまえば軽くなるものだし、更には罪悪感を連帯所有することで深まる絆もあるだろう。 ……さて。あなたはそんな、誰かに打ち明けたくてたまらない秘密を抱えてはいないだろうか?それなら、ターミナルの裏路地の更に奥、人目を避けるように存在する『告解室』に足を運んでみるといい。 告解室、とは誰が呼び始めたかその部屋の通称だ。表に屋号の書かれた看板は無く、傍目には何の為の施設か分からない。 ただ一言、開けるのを少し躊躇う重厚なオーク材のドアに、こんな言葉が掲げられているだけ。『二人の秘密は神の秘密、三人の秘密は万人の秘密。それでも重荷を捨てたい方を歓迎します』 覚悟を決めて中に入れば、壁にぽつんとつけられた格子窓、それからふかふかの1人掛けソファがあなたを待っている。壁の向こうで聞き耳を立てているのがどんな人物かは分からない。ただ黙って聴いてもらうのもいいだろう、くだらないと笑い飛ばしてもらってもいいだろう。 この部屋で確かなことは一つ。ここで打ち明けられた秘密が部屋の外に漏れることはない、ということ。 さあ、準備が出来たなら深呼吸をして。重荷を少し、ここに置いていくといい。
一人がけの、ベルベットのソファ。 猫足の小さなサイドテーブル。 自分は使わないであろう、氷水の入った水差しとグラス。 すりガラスの窓に、壁につけられた格子窓。 流杉にとっては見覚えのない風景。だが、記憶の何処かにこの部屋と一致する何かが、確かに在る。 「……ここに以前、黒猫の亡霊が訪れていないかな」 「さあ」 「そう」 格子窓の向こうからの返事は、首を縦にも横にも(実際は見えないけれど)振らないようなもので。特に確かな答えを期待していたわけではない流杉もさらっと受け流してソファに浅く腰掛ける。 「彼が話していた部屋によく似ているものだから、つい」 「そうか。お喋りなご友人がいるのだね」 「……そうだね、とても話し好きだ」 その彼から『こんな部屋があった』と聞いた時、流杉がふと思い出したのは数少ない友人の顔だった。何故なのかは分からないし、きっと分かる日も来ないだろう。 「言う宛ての無い話だからね。……これも、秘密かな」 「君がそうだと思うのなら」 「……そう」 ◆ それとは知らずに、壱番世界に居たことがあるんだ。世界図書館に名前を連ねて、パスホルダーを貰ってから知ったから……もう随分になる。そこで出来た友人の話をしたい。彼には悪いことをしたから……懺悔みたいなものかな。 彼に会ったのは、何処の国かは分からないけど深い森の中だった。恥ずかしい話だけど、行き倒れてしまって。これはそろそろ死ぬかなと思って目を閉じたんだけど、次に目を開けた時は、古い、ほとんど廃屋のような小屋の中で薄い毛布をかけられていたよ。 うん、彼がしてくれたんだ。 僕を小屋に運び入れて、夜露で濡れた服を乾かして、簡素ではあったけど寝床を仕立てて寝かせてくれた。 彼が言うには、あの小屋は食堂らしい。まぁ言われてみれば台所みたいな設備もあったし、火はいつでも熾していた。僕がそこを去るまで、お客は……誰一人として来なかったけれど。 目を覚まして、彼から言われたんだ。 『食事を出すよ、食堂だから。目を覚ましたばかりなら、スープがいいね』 でも僕はそれを最初、断った。 持論なんだ。 友達以外の誰かから出された飲み物・汁物は飲まないって。 何の理由もなくそうするなら彼が怒っても仕方ないけれど、僕の命に関わることだから。旅を始めてすぐの頃、飲み物に毒を盛られて大変な目に合ったことがあってね。それ以来、避けるようにしている……勿論、今も。 ところが彼も折れなかった。 『なら、僕が友人になるよ。だからスープをどうぞ』 ってね。 自分からそんなことを言う人間を簡単に信用出来ると思う? けど、彼の目は真剣だった。どうしても口を付けない僕に、半ば怒りながら言うんだ。 『僕が拾わなければ君はとっくに死んでいたんだ。一度死んだと思うなら、今更スープを飲むくらいなんてことは無い』 この言葉にひどく納得してしまった。じゃあ彼の言葉通り、一度死んだと思って一杯だけスープを貰ったんだ。それでも長年の癖は忘れられなくて、毒は入ってないよねとつい口にしてしまったけれど。 彼が爪を立てた手で僕の頭を鷲掴みにしてくれたけど、もう怒ってはいなかった。たぶんあの時から、僕と彼は友人になったんじゃないかな。 そうだ、彼は真理数を失っていた。その時はヒトの頭上に数字が浮かんで見えることのほうが不思議だったから、彼のほうが普通なんじゃないかと思ったものだけど。そういえば……たまに鍋の前で首をひねっていて、小皿に少しだけ中身のスープを取って差し出してくるんだ。味見しろってこと。通うたび、味見をさせられる。おかしいね、僕はお客のはずなんだけど。 あの世界を去るまで、何度『食堂』に通ったかな。 最後に行ったときも、また来るよと何気なく約束して、そこから随分時間が経ってしまった。話の最初に戻るけど、あの世界が壱番世界だと知って、つまり行けるようになって……食堂を探し当てたけど、彼はもういなくなっていた。 約束を破ってしまったんだ。 でも、僕は彼を忘れてない。だから消失はしていないんじゃないか、そう思う。噂をすれば影、って壱番世界の言葉でもあるから、口にしてみたけど……この部屋じゃ意味、無いかな。 彼から貰ったティーカップは、今も博物館に保管してある。いつかまた使いたい品物だけど、展示しているんだ。もしかしたら、何かの目印になるかもしれないし。もしもう一度彼と出会う機会があるなら、あのカップで彼が淹れた紅茶を飲みたい、かな。 ……生きる理由にするのは、くだらないことかもしれないけど。 ◆ 「くだらないことかもしれないけど」 淡々と、だが時折楽しげに語る流杉は、この部屋にひとつずつ、言葉で『彼』の欠片を落としては、また言葉によって拾い上げているようにも見えた。 「寄す処というのはそういうものだろう、ひどく些細に見えるが、替えは無い」 「そうなのかな」 点々と過ごしてきた自分には、まだよく分からないと流杉はこぼすが。 「そのカップに、他のご友人が紅茶を淹れても意味は無いだろう?」 「……そうだね」 もしもまた出会えたら。 今度は何も言わず、友情の証を飲み干そう。
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