天高く――「ふぃ~。食った食ったー」 牛肥ゆる秋? 一軒の食堂から出てきたゴンザレス・サーロインは満たされた表情で腹をさすると、楊枝を咥えた口許を綻ばせた。「やっぱ肉はステーキに限るな! 500gサーロイン、なかなかの強敵だったぜ」 それは共食いのような気がするのだが、本人は至って気にしていない様子である。「そんじゃ、食後の運動にでも――」「あらあらあら。まあまあまあ」 近づいてくる声に振り返ると、そこには腰の曲がった老婆の姿があった。「牛さんじゃないの。こないだはどうもね」「だからオレは牛じゃ……もういいや」 鈴木 花子。見知った顔である。彼女の農園を手伝ったのは三ヵ月程前だったか。時の流れが止まったこの0世界では何の変化も無いが、四季のある土地なら季節も変わっている時間である。「そうそう。また人を募集しているのよ。良かったら牛さんも来て頂戴ね。はい、これチラシ」 荷物を探ったかと思えば、カラフルな文字の綴られたコピー用紙を手渡してくる。顔の前まで持ってきて、ゴンザレスは文面に目を走らせた。・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・ 今年もこの季節がやって参りました! 『鈴木果樹園』名物、『ビッグアップル』の収穫をお手伝いして下さる方を募集しています。山登りが得意なあなた、体力に自信があるあなた、旬の味覚をターミナルに届ける喜びを味わってみませんか? またその他にも、果樹園の繁忙期という事で人手が足りていません。個々人の能力に合わせたお仕事をご用意しますので、お気軽にお尋ね下さい。 各種保険、手当完備。高待遇を実現します。 詳しくは下記までご連絡を。あなたのエントリーを待ってます☆ 代表:鈴木 花子・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・~・(☆ はデフォなのかよ……) まあ、それはいいとして。「そんなにデカいのか? このリンゴ」「えぇ。100kgは下らないわね」 マヂですか。「私は『裏山』って呼んでいるのだけれども、果樹園の裏手に変な山があってねぇ……」 彼女の話によると、そこに自生する果物は何でも異常に大きいそうだ。そういう風にチェンバーが調整されているのか、それともイレギュラーな結果なのかは分からないが。「その頂上に一本だけ生えている林檎の樹が『ビッグアップル』なの。収穫しないと、落ちた実が果樹園まで転がってきて危ないのよねぇ」 そんな裏事情がありつつも、味は悪くないので、名物という事にしてちゃっかり商売しているらしい。「考えておいて頂戴ね。それじゃあ」 にこやかに会釈すると、花子はのんびりとした足取りで去っていった。 残されたゴンザレスはボリボリと頭を掻き、「俺の得意分野は殴り合いなんだがなぁ」 そういえば、王妃様お手製のアップルパイは美味かったなぁ――ふと郷愁の念に駆られるのだった。
0世界。 ターミナルの一角。 とあるチェンバー内にて。 長閑な田舎の風景に似つかわしくない轟音が響き渡っていた。 女心と秋の空。天候が急変するのかと、垂れ下がった葡萄の房を手にした鋏で切り離していた一人の女性が空を仰ぎ見るも、薄い雲に彩られた青のキャンバスはそれこそ一枚の絵画のように微動だにしない。 一向に鳴り止まぬ音を不思議に思いながらも、自分の仕事に支障が無いなら気にしない事にしようと心に決めた、楽観主義の女であった。 注意深く耳を澄ませば、その音がこの果樹園の裏手に位置する山から届き、微かな地響きと共に徐々に大きなものになっている事にも気がついただろうに―― ●巨大果物注意警報、発令中! 秋の野山は冬を前に、豊穣の実りと生命の活気に満ち溢れ―― ドドドドドドドドッ そんな事などどこ吹く風で騒々しく山道を駆け降りる一団があった。 「いやはや、大変な事態になってしまいましたね」 「全くだねぇ」 言葉とは裏腹に和やかな表情で言葉を交わすテオ・カルカーデとルゼ・ハーベルソンのすぐ隣から、こちらは場の空気にマッチした日和坂 綾の悲鳴が上がる。 「大ピンチに何でそんなに余裕があるの!? ――冬夏、花子さん、大丈夫!?」 「あ、あんまり、大丈夫じゃ、ないかも、しれませんっ」 「あらあらあらあら」 息を切らせながらも転ばずに済んでいるのは、本気で生命の危機を感じているからだろうか。春秋 冬夏の様子を見て、鈴木 花子は目を丸くする。 「ハッハッハァ! 鍛え方が足りねぇんじゃねぇかァ、お嬢ちゃん!」 「そ、そんなこと、言われたって――あう!」 妙に楽しそうなジャック・ハートの方を向いた刹那、冬夏の足がもつれてしまう。 その両脇を、綾とゴンザレス・サーロインが左右から抱え上げた。 「あっぶな~い!」 「ギリギリセーフって奴か?」 「はわわわわわっ」 激しい縦揺れに目を回しそうになる冬夏を見下ろした後、一行を先導するように空を飛んでいたベルゼ・フェアグリッドは背後を見遣る。 「逃げるのはいいんだけどよ、このままじゃラチが明かねェんじゃねェか?」 斜面の後方には、周辺の雑草や木々を薙ぎ倒しながら迫り来る巨大な物体が無数に存在していた。 陽光に黒光りする痛々しい棘の数々。海辺であれば高級食材として名高いウニを連想したかもしれないが、ここは潮の香り一つしない山の中である。となれば、答えは一つしかない。 栗である。しかも、その大きさが普通ではない。まるで運動会の玉転がしで使われる大玉のようだ。そんな物騒な物がダース単位で転がってきている。追いつかれたらどうなるかはあまり考えたくないところだ。 「非常に申し上げにくいのですが、このままでは潰されるのも時間の問題ですかね」 テオが指摘するまでもなく、彼我の距離が徐々に詰まっているのには全員が気づいていた。向こうが重力を味方に速度を増してきているのに対し、こちらはバランスを崩さないスピードを維持しなければならない。嗚呼、二足歩行の何たる不便な事か。 「ばーちゃん、大丈夫か?」 「流石に疲れてきちゃったかしらねぇ。ほっほっほ」 心配顔のベルゼに答える花子だが、その走りは軽快なものである。リズム良く右左、右左と、もんぺをはいた足を前に出している。 一方、いよいよ追い込まれた表情の綾は酸素欠乏気味の頭をフル回転させ、皆に告げる。 「えぇっと、それじゃあ……いっせーのせで横に避ける?」 ルゼが爽やかに微笑んだ。 「うん、それでいいんじゃないかな」 「だからどうして余裕ありまくりなんですかー!?」 「で、でも、このままだと果樹園が……」 冬夏の瞳に、いくつかの小屋と整理された畑が組み合わさった敷地が映る。確かにこのままでは直撃コースだ。 と、花子が口を開いた。 「大丈夫よ。毎年の事だから、いくらかは対策がしてあるし」 「ほ、本当ですかぁ?」 にっこりと頷かれては、信じるより他無い。 「それじゃあ、いっせーの――せっ!!」 綾の声を合図に、八人のロストナンバー達は二手に分かれて左右の茂みへと飛び込んだ。 大の字になって接する大地を地響きが揺らしていく。 そこからプカプカと空中に浮かんで一気に高度を上げたジャックは、麓の光景に思わず感嘆の声を上げた。 「ヒュ~、ありゃ凄ぇナ」 怒り狂った猪の群れの如く一直線に果樹園に突き進んだ毬栗であったが、敷地の一歩手前まで来たかと思うと、突如として口を開いた堀の中に吸い込まれていったのだった。 すると果樹園の中から次々と人間が現れ、歓声を上げながら黒い塊に群がっていった。その手には鋸やハンマーといった工具の数々。硬い物同士のぶつかる音が響き、見る見る内に解体作業が進んでいく。「今夜は栗ご飯かしらね」と花子が漏らした。 「人間って逞しいなぁ」 とはルゼの談。 「さて、それじゃあ私達は改めてビッグアップルを目指しましょうか」 花子の言葉に、一同の視線が山の頂上へと向く。数分前には山の中腹辺りにいたのだが…… 「な、なあ、ばーちゃん。やっぱり飛んで行かねェか?」 うんざりした様子のベルゼにしかし、花子は首を横に振り、 「皆で一緒に行くのが楽しいんじゃない?」 ……実は飛行機が苦手だなんて言えなかった。 「今度こそ無事に登頂できると良いのですが」 口ではそう言いながらも、テオの顔はさらなる騒動を期待しているように見えなくもない。 (まあ、楽しければそれで良いといったところでしょうか) そんな事を思いながら、山を登り始めた時の事を思い出していた。 「よし、俺が山頂までばーちゃん送ってくゼ、案内頼むぞ!」 果樹園を出発した一行が裏山に差し掛かるや否や、そう言って張り切るベルゼだったが、 「他にも飛べない子がいるじゃないの。皆を運ぶつもり?」 花子は首を横に振って、やんわりと断ったのだった。 「それに、ベルゼちゃん一人に負担を押し付けるような真似は駄目よ。皆で仲良く登りましょう?」 そんなわけで、彼は時折思い出したように地面に降りたりしながら、一行の周囲をふわふわと漂っていた。 (飛んでった方が手っ取り早ェと思うんだけどなぁ……) 暇を持て余すように頭の後ろで腕を組んだところで、視線を感じた。 「何ダ?」 首だけを巡らして視線の主を見ると、黒い髪には珍しい青い瞳の少女がじっとこちらを凝視していた。 僅かに開いたベルゼの口許から、研ぎ澄まされた牙がギラリと光を放つ。 「い、いえ、何でもないです!」 ささっと視線を逸らす冬夏に首を傾げながらも、再び前に集中するベルゼ。 一方の冬夏はといえば。 (もこもこしてるけど触っちゃ駄目かな? 抱き着いたら気持ち良さそう。……でも怖そうだし……) 「だから何だよ!?」 「な、何でもないですぅ!」 そんなやり取りに苦笑いを浮かべながら、綾は取り成すように口を開いた。 「ま、まあまあ。折角のいい天気だし、のんびり行こうよ。――ね? ルゼさん」 「そうだね。今日は沢山働いて、帰ったら皆で焼肉でも食べようじゃないか。牛の肩ロースなんて格別だよ」 水を向けられて穏やかに言葉を返す青年の瞳が白黒の物体を捉える。刹那、大きな背中はビクリと震えてこちらを振り返った。 「な、何でこっち見てやがる」 「いや、別に他意は無いんだけれどもね。――そうそう。焼肉にレモン汁を掛けると美味しいんだよ、ゴンザレス君」 「それがどうしたよ!?」 「他意は無いんだ、他意は」 こちらはこちらで、似ているようでそうでもない人間模様が? 助けを求めて周りを見れば―― 「ヒャ~ヒャヒャヒャ! まあ俺サマに任せとけっテ!」 軽快な足取りで跳ねるように進むジャック。 「……………………」 飛び交う声に耳を澄ましながら、「こんな愉快な状況を収めてしまっては勿体無い」とでも言いたげな満面の笑みで沈黙を守るテオ。 孤立無援の四面楚歌に頭を抱えそうになった綾だったが、ふと小鼻をひくつかせると顔をしかめてみせた。 「な、なに、この臭い!?」 悲鳴じみた叫びに視線が集まる。そして間も無く、他の者達もそれぞれに不快な表情を浮かべるのだった。 「あれですよ、あれ」 「熟し切ったどころの騒ぎじゃねぇな」 共に鼻声のテオとゴンザレスが指差す一角を見れば、橙色の水溜りが広がっていた。って、橙色? ベルゼはその正体を一瞬にして見破る。しかしこれは…… 「いくら俺でも無理だぜ」 秋の代表的な果物の一つ、柿だ。いつ木から落ちたのかは知らないが、完全に腐敗してしまっているようだ。よく見れば虫がたかっているのも確認できるだろうが、わざわざ気分を害する必要も無い。 漂ってくる強烈な臭いが、ロストナンバー達の感覚を鈍らせてしまったのか。 「ん? これは……」 船の揺れのような振動にルゼが顔を上げる。 「アン?」 ジャックも森の奥から届く重低音を鼓膜に感じ、先程とは一転して鋭い視線を向けた。 ……ゴゴゴゴゴゴゴゴゴ…… 間を置かずして、緑の茂みが割れて黒の軍団が姿を現す! 「「う゛え゛あ゛ろええぇぇぇぇぇぇっ!?」」 ●ビッグアップルへの挑戦 「……うん。今思い出しても絶対ムリ! 私はただの武闘派女子高生なんだから、危険度MAXを振り切ったトラブルには戦術的撤退って言うか転進って言うか、とにかく逃げないと!」 毬栗の集団に追われる事になった経緯を振り返り、綾は改めて身体をぶるっと震わせた。武闘派女子高生という時点で十二分に特殊な気もするが、それはさて置き。 「ふわぁ~、大きいですね~」 冬夏が痛そうなくらいに首を曲げて、頭上の光景に見入っている。見渡せば、他の面々も似たり寄ったりの姿勢だ。 全員の視線の先にででん、と鎮座しているのは、真っ赤に熟した巨大な林檎だ。 幸いにも、二度目の登山ではさしたるアクシデントも無く、一行は裏山の頂上へと到達していた。 雨空に広げた傘のように枝葉を伸ばす林檎の巨木には事前に聞いた話の通り、一人では抱えるのも難しそうな林檎の果実がいくつも実っている。巨大化の影響か、その数は通常の林檎のそれよりずっと少ないようだ。 「ベルゼちゃん、どう?」 花子に問い掛けられ、果実の一つ一つを飛んで見て回っていたベルゼが親指を立てた。 「文句無しの出来だゼ。もう落としていいかぁ?」 ジャキン、と獣の指から延びる爪にはテオが待ったを掛ける。 「しばしお待ちを。先程ルゼさんと相談しましてね」 「そのまま落とすとどこに転がってっちゃうか分からないから、準備させてくれ。――はい、そこの肉体派のお二人」 綾とゴンザレスの手にシャベルが放られる。二人は思わず顔を見合わせると、今度はルゼの方を見て目を点にした。 「「は?」」 対して、彼は微笑みすら浮かべてウインク一つ。 「それでやる事と言ったら一つしかないだろう? 」 十数分後。 「こ……こんなもんかな?」 「な、なかなかやるじゃねぇか、お嬢ちゃん……」 背中合わせに座り込んだ綾とゴンザレス。その周囲にはいくつもの浅い窪みが穿たれていた。 しゃがみ込んで何やら作業を行っていたテオが顔を上げる。 「ネットの準備も整いました。大丈夫でしょう」 「それじゃあ、俺も行くかな」 ルゼは腰から抜き放ったサバイバルナイフの柄を口許に咥え込んだかと思うと、やおら靴を脱いで裸足になり、 「ジャック、しばらく忙しくなると思うから頑張ってくれよ」 と声を掛け、船のマストに上がる要領でするすると林檎の木を登っていってしまった。 その背中を見送るジャックは、自信満々に胸を張る。 「おう! 心配ご無用って奴だゼ?」 実は、これから何をするのかいまいちよく分かっていなかったのだが。そこを気にしないのが彼の性格である。 ルゼが自分と同じ高さまで上がって来るのを見届けたベルゼは、待ちかねた様子で爪の備わった手を一閃させた。 「キシシシシシッ」 枝葉の間を縫うように突風が駆け抜け、一つ、また一つとビッグアップルが地面へと自由落下を始める。 待ち受けるは、両手を天にかざした無頼漢、ジャック。 「イくぜオラアァァァッ!」 不可視の力に空間が軋む音を発し、果実は重力に反した動きを見せた。地面と接した瞬間に小さな地震規模の揺れを起こすものの、果実そのものには傷一つ至らずに済む。 そこへ駆け寄る二つの影。彼等はそれぞれに別のビッグアップルへと取りつくと、両手両足を踏ん張って全身の筋肉に力を込めた。 「ええぇぇぇい!」 「どりゃあぁぁぁっっ!」 綾とゴンザレスによって転がされた果実は、さながらグリーン上のゴルフボールのように窪みへと導かれ、再び小さな揺れと共にその動きを止めていった。中には勢い余って窪みを通り過ぎようとする果実もあったが、それを助けるのがテオの張ったネットの役割である。 「上手くいったようで良かったですね」 とか言っている本人は、見物の傍ら読書中なわけだが。 「こっちもいくぞー!」 ルゼも樹上で器用にバランスを取りながら、肉厚の刃を図太いヘタへと食い込ませる。一つ切り落とせば、枝から枝へと飛び移って次の実へ。壱番世界の人間が目撃したら、天狗にでも間違われるのではないかという動きだ。 「オラオラァ! もっとコいやオラァ!」 「バカ、煽るんじゃねぇよ!」 「こっちはもう大忙しだってばぁ!」 下は下で、最高テンションのジャックとゴンザレス、そして綾のやり取りがかしましく。 「ゲヒャヒャヒャヒャヒャ! 熱くなってきやがったぜェ!」 「す、凄い事になってきましたね……」 目の前の光景に思わず後退りする冬夏は、ちらりと隣の花子を見て視線で訴え掛ける。「私達は何もしないでいいんですか?」と。 花子はにこりと笑うと、こう言った。 「山を降りる前に休憩が必要でしょうし、お茶の準備でもしましょうか?」 「は、はい!」 ●秋の夜長は温かく 「おや、ここにいらっしゃいましたか」 開いたドアの隙間から顔だけをのぞかせたテオは目当ての人物を見つけると、室内へと身体を滑り込ませた。 「アン? どうしたァ?」 後ろ手にドアを閉める彼に声を掛けたのはジャックだ。その隣では花子が、甘い匂いを放つ鍋を前に何やら調理中であった。 テオは片手に提げていた包みを顔の横まで持ってきて左右に揺らす。 「果樹園の方で面白い果物を頂きましたので、お裾分けを」 「お、そいつはイイな。花子センセイの講義にパンク寸前だったところだゼ」 「あらあら。わたしの教え方で音を上げていたら、立派な菓子職人にはなれないわよ?」 「そりゃそうだ。なるつもりもねぇしナ」 笑い合う二人の横からのぞき込めば、透明な溶液に沈む黄色い塊――栗のようだが、丸ごとではなく賽の目状に切ってあるところ見ると、例の巨大栗だろうか? 「さて。これで十日間煮込めば完成よ」 「十日!?」 さらっと放たれた言葉に、ジャックの意識が遠くなる。 「あら。いい人にプレゼントするんでしょう? それくらい楽勝よね?」 「おや、そうなんですか。それは私も詳しく聞きたいですね」 「あー、いや、そいつはだな……」 にこにこと満面の笑みな二人の追及をかわすのには苦労した。「分量を覚えれば料理の腕なんて関係無いわよ。どちらかと言えば理科の実験みたいなものだから」という花子の言葉に油断した結果がこれだ。店で注文すればポンと出てくるマロングラッセがこんなに手の掛かる物だったとは。 「そういや、他の奴等はどうしてんダ?」 「ルゼさんはワイン蔵のお手伝い、春秋さんがジャム工房に出向いていて、ベルゼさんはパトロールを兼ねたお散歩中です。日和坂さんとゴンザレスさんは仮眠室に」 最後には思わず納得してしまった。地面に落としたビッグアップルを背負ったり抱えたりして果樹園まで持ち帰る作業に関しては、二人の力によるところが大きかったからだ。力尽きていても誰も文句は言わないだろう。 「……ところでヨ」 「はい?」 せっせと手を動かしながらも、ジャックは隣のテオに半眼を向けた。一見すると短い竹のようなこの果物、中心の赤い部分が食用可能で、とても美味らしいと説明を受けたのだが…… 「どこまでイっても緑だゼ?」 「奇遇ですね。こちらもです」 数分後。ほんの僅かな芯の部分のみを手にした三人は、乾いた笑いを浮かべるしかなかった。 その物語は、たった一人の少年によって生み出された。 永劫の平和を約束されたはずの世界はしかし、徐々に苦しみと悲しみに染まっていく。 光の陰には必ず闇がつきまとうものなのか、それともどうしようもない現実がそうさせたのか。全てを知るのは、空想を携え世界に抗う少年の心のみ。 光と闇、現実と妄想が混ざり合い、世界は切なさだけを残して今日も夢を見る―― 「『クローズド・ガーデン』ですかぁ……」 ベルゼの説明を頷きながら聞いていた冬夏は、ほう、と溜め息を漏らした。頬がほんのり上気しているのは、部屋に暖房が入っているからだけではないだろう。 「その本、ターミナルで読めますか?」 「キシシッ。無理だな。まだ途中みたいだからなぁ。その登場人物はちょくちょく見れるかもしれねェけど」 「???」 本なのに「見れる」? 首を傾げる冬夏だったが、控えめなノックの音に慌てて腰を上げた。席を離れようとして早速自分の座っていた椅子に蹴躓き、ベルゼが苦笑いしながら支えてやる。 「大丈夫かよ?」 「あ、はい!」 (やっぱりもこもこ……) 思わず緩みそうになる口許を不格好に引き締めつつ、扉に向かう。 現れたのは、盆を手にした花子だった。 「おやつには遅い時間だけれども、ベルゼちゃんが楽しみにしていたみたいだから持って来たわ」 「待ってたぜ、ハナコばーちゃん!!」 匂いだけで分かったのか、ベルゼも駆け足で寄って来た。盆の上に予想通りの品を発見し、真っ赤な舌を出して舌なめずりしてみせる。黒い獣毛で覆われた腕を伸ばそうとするのを、花子の白い手が遮った。 「ちゃんと席に着いてからね」 二人が先程まで話し込んでいた樫のテーブルの上に、出来立てのアップルパイを載せた皿とティーカップが人数分。最後に据えられた背の高いティーポットが、注ぎ口から紅茶の芳醇な香りを漂わせる。 白熱色の灯りが柔らかく照らし出す部屋の中で、三人はしばし極上の甘味に舌鼓を打つのだった。 「……キシシ……もう食えねぇ……」 「……むにゃむにゃ……もこもこ……」 机に突っ伏したまま寝息を立てる二人に、花子はそっと毛布を掛けてやる。暖房は効いているが、万が一にも風邪を引いては大変だ。 「……おやすみなさい」 灯りの消えた部屋の中、扉の隙間から差し込む細い光がゆっくりと狭まり―― パタン 夜の闇は静かに眠りの時を包み込んだ。。 「あ゛ー、まさか夢の中でも林檎を運ぶ事になるなんて……」 「おまえさんもかよ。ちっとも休めた気がしねぇんだよなぁ」 「え、ゴンザレスさんも!?」 香ばしい臭いを放つ落ち葉の山から視線を外し、綾は肩をほぐしているゴンザレスの顔を驚いた表情で見上げた。 彼は目線だけを綾の方へ向け、 「何だよ。不満か?」 「う、ううん! そんな事はないですけど……」 「綾さん、焼けたみたいですよ」 どう返したものか困ったところへ来たのは、冬夏の助け船だった。 「ホント!? やったー!」 喜色満面の表情で振り向く様は、そんな事など関係無い本気さを感じさせるものだったが。 「ほれ、火傷すんじゃねぇゼ」 いそいそと軍手をはめる綾の手のひらに、落ち葉の山を割って現れた銀色の包みが飛び込んできた。「わっわっわっ」とお手玉する綾を見てゲラゲラ笑っているのはジャックだ。今日は昼間からウイスキーの瓶を傍らに、随分とご機嫌な様子である。肴は―― ジュー 「って、ホントに肉焼いてやがる!?」 「男に二言は無いと言うからね」 バーベキューセットから顔を上げたルゼが笑った。澱み無い仕草が一瞬カッコ良く見えたのは―― ジュー うん、気のせいに違いない。 「でも、お米には合うかも……」 横目でちらりと見ながらも、綾は目の前の包みを開いた。次の瞬間、両手を大きく突き上げる。 「バンザーイ!」 美しいまでの飴色に、絶妙の割合で入った焦げ目。湯気と共に立ち昇るは、熟成された醤油の濃厚な香り。完璧だ。完璧過ぎる。 出来上がった焼きおにぎりに勢い良くかぶりつく横では、ジャックが立て続けに念力で取り出したアルミホイルの包みを、花子と冬夏が手分けして開けていた。 「冬夏ちゃんのジャガイモも美味しく焼けたみたいね」 「わっ、本当ですか?」 遠赤外線効果でじっくりと焼かれたサツマイモやジャガイモは、見た目には非常に鮮やかな色を発しながらも、二つに割れば辺りに漂う甘い香りが、芯まで火が通っている事を示している。 お好みで、サツマイモには塩を、ジャガイモにはバターを添えて召し上がれ。 「……………………」 楽しそうな様子をじーっと凝視しているベルゼの肩を、テオが軽く叩いた。 「大丈夫ですよ。あなたの分もしっかりありますから」 「そうそう。ベルゼさんにはこれ!」 綾から放られた包みを慌てて受け取って開くと、大好物である林檎の匂いと、それに混じる甘い香りが溢れてきた。 「芯をくり抜いて、レーズンと砂糖とバターを詰めてあるんだ。私の大好物なの! ベルゼさんもどうかなって思って」 「キシシッ、美味そうじゃねェか」 「甘味の足りない方はこちらに。完成したばかりのジャムを用意していますから」 その中には過日、冬夏やテオが製造を手伝った物も混じっている。テオは早速自分で、ワインを混ぜて作ってみたベリージャムを紅茶に溶かしていた。 ――と。 「あ。ベルゼさん、林檎の欠片がほっぺたについてる」 綾が手を伸ばすと、つまんだ破片をそのまま自分の口に入れた。 「ナ――!?」 「うん、やっぱり美味しい! ――あれ、どうしたの?」 綾にしてみれば何気無い行動だったのだろうが、一方のベルゼはと言えば、 「……固まってる」 つんつん、とベルゼをつついていた冬夏が、今度は綾に向かって珍しく恨めしそうな視線を向けた。 「え? 冬夏までどうしたの?」 「いやー、甘酸っぱいですね。林檎だけに」 「全く全く」 テオと共にしみじみと頷いたルゼは、ふっ、と目を周囲の光景に向けた。 どこからともなく漂ってくる金木犀の香り。目に鮮やかな紅葉は寒さを増す空気の中でより一層美しさを際立たせ、見るからに温かそうな落ち葉の絨毯の上で人々はくつろぐ。 「うん、こういうのも悪くないな」 そんな台詞が、自然と口をついて出た。 「このメンバーで異世界を冒険するのも面白そうだ」 「ほへ、はんへ――」 挙手した綾だったが、慌てて顔を逸らしてもごもごやっている。状況は心の中だけで察してやって欲しい。だって女の子だもん。 では、改めまして。 「それ、賛成です!」 「うんうん。その時は頼りにさせて貰うよ、肉食系のお嬢さん」 何食わぬ顔で告げられた一言に、綾はぎょっとして仰け反る。 「な、何ですかそれわ!?」 「噂でそう聞いたんだけど」 「ど、どこでですかー!?」 笑い声が広がる中、不意に眠気を覚えた冬夏は瞳を閉じてまどろみを愉しんだ。初めて訪れた場所なのに、どこか懐かしさを感じる不思議な雰囲気。脳裏には床に伏せっている祖母の顔が浮かんでいた。 (おばあちゃん……) ドォォーーーーーンッ 「え!? な、なに!?」 いい気分になっていたのに台無しだ。少しばかり怒りを覚えながらも瞳を開くと、全員の視線は一点に集中していた。 「大砲の音にも似ていたけど……そんなわけないか」 反射的に真剣なものになっていたルゼの目元が和らぐ。自分達と同じように焚き火を囲んでいた場所のようだが……? 「あぁ、栗を焼いているのね」 「栗ってまさか……」 冬夏の想像を肯定するように、花子はこっくりと頷いた。 「傍にいるとあんな風に弾けて危険なのだけれども、美味しいから皆やめないのよね」 「ほぅ、美味しいのですか」 テオの目が妖しく光った。 「丁度あそこに、未使用の栗があるなァ?」 そう口にするや否や、ジャックは最早見慣れた力を使って巨大な栗を悠々と宙に浮かばせていた。駄目だ、完全に酔っている。 「え? え? え?」 困惑する冬夏の手を取り、綾とベルゼが駆け出す。 「冬夏、早く避難しないと!」 「キシシッ、美味いモンの確保も忘れちゃいけねぇ!」 ベルゼのもう一方の手は、しっかりと花子を導いていた。 ずしん、と落とされた巨大栗の周りに落ち葉が集められ、先程まで囲んでいた焚き火を火種に一気に炎が勢いを増した。そして―― この後何が起こったのかは、その場にいた者達だけの思い出話である。 (了)
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