「御機嫌よう。欠けた月の美しい夜ですね」 唐突なノックと共に応えも待たずに窓を開けたのは、見知らぬ男だった。シュルト家の一人娘にして跡取りであるアルフィラは即座に手許にあった長剣を取り上げ、相手の喉元に突きつけた。「誰の許しを得て入ってきたのです」「それは勿論、シィザさんです」 怯えた様子もなければ反省した風もなく、にっこりと笑って答える男の出した名前には覚えがある。彼女が一週間後に婿として迎える相手だ、真実彼が寄越したなら信頼の置ける人物だろう。けれど目の前の男にはとても警戒を解く気にはなれず、疑るように目を眇めた。「彼からそんな話は聞いていません。そもそも、このような時間に淑女の部屋に忍び込んでくるとは言語道断。斬って捨てられたくなければ出て行きなさい」 本気を示すように剣先を押しつけながらの警告にも、男は笑みを深めるだけで引く気を見せない。「成る程、聞きしに勝る用心深さですね。これは好都合」 ここであなたが死んだら大騒ぎになりますねとどこか嬉しそうに語尾を上げられ、彼女は躊躇わず剣を突き出した。 先に殺意を仄めかしたのは相手だ、性質の悪い冗談だったとしても深夜に不躾な訪問をした時点で死は覚悟しておくべきだ。本気で殺しても構わないと思っていたのに、喉に押し当てていた剣先は何故か空を切った。 思わず目を瞠って咄嗟に気配がするほうへと視線を巡らせると、彼女の右手を押さえながら男が至近距離でにこりと笑いかけてきた。「その躊躇のなさも、大変結構。こんな時間にあなたが部屋に招き入れる相手は限られている、という事ですよね」 言うなり素早く彼女の顎を捕まえた男は無理やり口を開かせると、懐から出した小瓶から一滴、何かを垂らした。振り払って後ろに逃れたものの、何の匂いも味もしない液体は吐き出す間もなく体内に取り込まれた。「なに、を……っ」 飲ませたのかと最後まで問い切れず、アルフィラはその場に倒れ込むようにして膝を突いた。毛足の長い絨毯が禍して、きっと部屋の外まで物音は聞こえていないだろう。「制限時間は約一日。その間に解毒剤を飲まなければ、せっかく用意された花嫁衣裳が無駄になってしまいますね」 さて、これは誰に預けましょうかと、ひどく楽しげにした男は倒れ込みながらも睨みつける彼女を見下ろして喉の奥で笑った。「あなたが死ねば、シィザさんはさぞや嘆き悲しむでしょうね。勿論、あなたのお父様も。せっかく和解したシュルトとライエルも、再び憎み合い殺し合う──。一音に満ちた森も心地よかったですが、この海もまたいい音色に染まりそうです」 どこかうっとりしたように語る男に、そんな事はさせないと声にできないまま吐き捨てた。握った剣を頼りに身体を起こそうとするのに、どうしても起き上がれない。 男は嬉しそうに口の端を緩め、彼女の傍らにしゃがんで持っていた分厚い本を開いた。「大丈夫、すべて私の思うままに進みますよ。あなたは静かに目を閉じて、安らかにお眠りなさい」 犯人はカゥズ君のほうがよさそうですね、と不吉な言葉に反論するだけの力も入らず、アルフィラは男が言うまま目を閉じるしかなかった。「ブルーインブルーで、少年を保護してもらえませんか」 相変わらず唐突に姿を見せた世界司書は、けれどいつになく神妙そうな顔で導きの書に目を落としている。ロストナンバーの保護? と誰かの問いかけに、ゆっくりと首を振って口を開く。「以前海神祭で訪れた島から少し離れた場所に、中央の一部分だけ繋がった瓢箪のような形の島がありまして。西側をシュルト家が、東側をライエル家が治めています。有りがちな事に昔は死者が出るほどの抗争も繰り広げていたそうですが、今は互いよりも海賊に備えるべく静かに均衡を保っています」 そしてお約束な事に、と溜め息交じりの司書の言葉に、聞いていた一人がひょっとしてと目を輝かせた。「いがみ合う両家の娘と息子が、禁断の恋に落ちた……!」「……まぁ、禁断ではありませんが」 やる気なく首肯した司書は、愁眉を解かないまま頁を捲った。「艱難辛苦を乗り越えたシュルトの一人娘とライエルの長男は、一週間後に結婚する予定でした」 予定、と不安げな呟きに、司書は小さく溜め息をつく。「アルフィラ嬢が何者かに毒を盛られて、意識不明の重態です」「っ、犯人は、」「今のところ不明、です。彼女は用心深い性格の上、剣の使い手でもありました。屋敷を警備していた誰も、見知らぬ人間は見ていないと証言しています。彼女が部屋に戻ったのは夕食を終えてから、そんな時間に部屋に入れる人物はごく少数。そこからシュルト家の関係者を除外すれば、容疑者は二人」 因みにシュルト家当主の取調べは苛烈で、容赦ない尋問をされた上での除外だそうです、とどうでもよさそうに付け加えてから続ける。「一番の容疑者は、婚約者のシィザ=ライエル。けれど彼がアルフィラ嬢を愛していたのは誰もが知る事実です、婿入りする決意までした彼に動機は見当たりません。それに事件当夜、シュルト家当主と話をしていたというアリバイがあるので除外していいでしょう」「残る一人は?」 何気ない誰かの問いかけに遣りきれなさそうな溜め息をついた司書は、重そうに口を開いた。「婚約者の弟、兄に代わって跡継ぎに指名されたカゥズ=ライエル。まだ十才の少年ですが、彼ならば部屋に招き入れられるでしょう。そして事件が発覚して以降、屋敷から姿が消えたそうです」「そんな少年が、どうして兄の婚約者を殺すんだ?」「この結婚に一番反対していたのが、このカゥズ少年です。今までは気楽に育てられていた分、取り戻すように跡継ぎとしての教育が始まるでしょう。兄は今まで敵と教えられてきた相手の家に入り、まず滅多と会えなくなるとなれば反対する気持ちは分からないではありません」 それでも、と珍しく司書は感情的に僅かばかり声を揺らした。「私にはあの少年が、殺したいほど相手を憎んでいたとは思えません」 まるで会った事でもあるかのような口振りに、ひょっとしてと誰かが問いかける。「海神祭で、会った少年……?」「──ええ、兄から貰った鈴を壊して泣いていた彼です」 言い難そうに答えてから、司書は個人的見解でしたと小さく頭を振って話を続ける。「もし過ちを犯したのなら償わなければなりません、けれどそれは正当な判断を下せる誰かに任せるべきです。シュルトの一族はすっかり犯人を決めつけ、見つけるなり処断をと息巻いています。反対にライエルの一族は、言い掛かりから跡取りを守れと敵愾心だけで動いています。どちらもカゥズ=ライエルからまともに話を聞きもせず、殺すか保護と称して監禁するだけでしょう」 希望があるとすれば一つ、と司書は導きの書から顔を上げないまま指を立てた。「シィザ=ライエル、彼ならば弟と婚約者の為、必ず事実を明らかにしようとしてくれるでしょう。ただ、今の彼はシュルトに軟禁されています。まだ生死の境を彷徨っている婚約者の側から離れる事も考えられず、弟を探しには出られません」 そこで今回の依頼ですと視線を上げた司書に、ようやく納得したように周りにいた何人かが頷いた。「両家のどちらかが少年を見つけた場合、真相は明らかにされず両家の間に決定的な溝ができるのは必至です。下手をすれば収まっていた抗争まで巻き起こりかねない……、その前にあなた方で保護し、シィザ=ライエルの元に届けてもらえませんか」 いつも漂わせているやる気のなさを潜めた司書は、どうか宜しくお願いしますといつになく神妙に深く頭を下げた。
「頭からミステリーが零れる~」 まるで出て行こうとする文章を押し留めようとばかり、両手で頭を押さえながら日和坂綾が嘆いた。どうやら読み耽っていたのはミステリーらしく、今回の依頼に備えて読んでいたのだろう。 「何か参考になる事でもあった?」 日和坂の向かいに座っていたヘルウェンディ・ブルックリンが問いかけると、頭を押さえたまま日和坂は照れたように笑った。 「犯行動機の大半は金か愛憎。そこに突発的な事故が絡んできたらさあ大変! とは思ったかなー」 参考になる? と頼りない尋ねに答え難いわとブルックリンが苦笑を返すと、何を言っているのかしらと日和坂の隣に座っていた幸せの魔女が口を開いた。 「唯一犯行が可能、動機も十分。カゥズ少年が犯人なのは確定的に明らかじゃないの。こんなキナ臭い依頼、さっさと終わらせて帰りましょう」 犯人探しの必要もないのだしと肩を竦めるように告げた幸せの魔女は、いつものように幸せそうな笑顔を浮かべるではなく僅かに眉根を寄せると声を低めた。 「それに何だか凄く気味が悪いわ、この依頼」 丁度真向かいに座っていたシーアールシー ゼロが小さすぎた言葉を尋ねたげに首を傾げると、気づいたらしい彼女は私の幸せは犯人を見つけ出す事よとあらぬ方向をびしっと指した。 そこに通路を挟んだ隣の席で趣味らしい読書に勤めていたテオ・カルカーデが、本を閉じながら顔を上げて会話に参加してきた。 「大事な鈴を壊してただ泣いて蹲るような子供が人殺しですか」 さっぱり理解できませんと肩を竦めたカルカーデだが、だからこそと笑みを深めた。 「その少年の内面は、とても気になりますね」 「ひょっとして二人とも、カゥズが犯人だと思ってるのね」 意外、と軽く眉を跳ね上げてブルックリンが腕を組むと、幸せの魔女があらと目を瞬かせてどこか遠くを見据えていた視線を下ろした。 「それじゃあ貴方は、カゥズくんが犯人じゃないと思っているのね。どうして?」 あれだけ証拠が揃っているのにと何だかわざとらしく聞き返した幸せの魔女に、ブルックリンはそんなの決まってるわと胸を張った。 「女の勘よ!」 これ以上ないほど自信たっぷりな断言に、幸せの魔女は楽しそうにすると声にして笑い出した。別に変な事は言ってないわよ!? と反論したげなブルックリンに、私もカゥズくんを信じるかなと日和坂が同意を見せた。 「私はカゥズくんに会ったコトないけど、司書さんに遊んで貰ったコトはあるから……司書さんの印象を信じる」 だから彼はやってないと断言した日和坂にカルカーデは面白そうに頷いて目を細めると、皆の話をふんふんと聞いていたゼロを見てきた。 「それでは、貴方のご意見は?」 犯人はカゥズ少年だと思いますかと尋ねられ、ゼロはうーんと首を傾げて依頼を聞いた時から考えていた事を披露する。 「毒を飲ませたということは、一時の衝動などではなく計画に基づく犯行であるということなのです。まだ特定もできないような毒物をカゥズさんが調達したとするのは不自然なのです」 だからきっと犯人はカゥズさんではないのですと結論づけると、全員がまじまじと眺めてくる視線がくすぐったい。間違った事を言っただろうかと身動ぎしながら考えていると、成る程と頷いたカルカーデは軽く自分の顎先に手を当てた。 「確かに毒の入手経路は重要ですね。普通に考えて、十才の少年が欲しいと望んだだけで手に入れられる物でもないでしょうし」 「でもその子の家、島の半分を治めてるのよね? しかも敵対する相手がいるなら毒の一つや二つ、常備してるんじゃないかしら。いいえ、きっとしてるわ。だって毒の収集なんて、いかにも金持ちの趣味じゃない」 だから今回もそうよと握り拳で主張する幸せの魔女に、その発想はなかったのですと拍手を送る。けれどちょっと待ってと手を上げたブルックリンが、複雑そうな顔で問いかける。 「毒はカゥズの家にあったと仮定して、よ。どうして殺そうとまで思い至ったの?」 「何か知ってはいけない事を知ってしまった、とか? それが原因でアルフィラさんを殺害して──まだ死んでないけど──、見つかるのを恐れて身を隠してる、と。私の推理ではそんなとこね」 これで決まりとぱんと手を鳴らして話を切り上げようとする幸せの魔女に、日和坂がそうかなぁと眉根を寄せて反論する。 「毒物の特定って、まだされてないんだよね? カゥズくんの家にあった毒なら、シィズさんだって知ってるんじゃないかな。カゥズくんが疑われてるなら尚更その毒じゃないかって疑うだろうし、そしたらもう特定されてると思うよ」 だから家にはなかったんじゃないかなと日和坂の言葉に、幸せの魔女はちょっと黙って考えた後に指を立てた。 「父親の、内緒のコレクションなのよ。その毒が使われたとすると跡取りの身が危ういから、隠してるのね」 ほら完璧と笑顔になる幸せの魔女に、質問なのですとゼロは手を上げてから発言する。 「計画の目的が殺害ならば、とどめを刺していないのは不自然なのです。カゥズさんが犯人だとして、どうして殺さずに逃げたのでしょう?」 「そうよね。思ったより毒の効き目が薄かったのだとしても、毒を飲ませた後ならいくらでも止めの刺しようはあったはずだわ」 「刺そうとした時に誰かに見つかりそうになって、慌てて逃げただけでしょう」 「殺そうと思っていたけど、実際に倒れた相手を見て怖くなったのかもしれません」 どこまでも推測の域は出ませんけどねと肩を竦めたカルカーデは持っていた本を仕舞うと、さて、と鞄の上に置いていた帽子を取り上げて被った。 「そろそろブルーインブルーに着きそうですよ。貴方たちは、まずどこに向かわれますか?」 「彼は両家から追われる立場でどっちの縄張りにも近付きたくない。島の中心へ行くのは必然よ」 まずはそこに向かうわと宣言したブルックリンが視線を向けてくるので、ゼロは島の東側に向かうのですと答える。 「この年齢の男の子は、どこかに秘密の隠れ場所を持つことがよくあるそうなのです。カゥズさんの遊び友達に聞くのです」 ゼロの外見年齢なら無理なく入り込めるのですと説明すると、そういう手もあるわねと何度か頷いたブルックリンが日和坂を見た。 「えーと、私は司書さんがカゥズくんと会った島に行こうかな」 司書さんを信じるところから始めるんだしと意気込んだ日和坂に、それも楽しそうねぇと幸せの魔女が呑気に笑った。 「でもそんな必死に探さなくても、簡単よ。私の『幸せの魔法』をもってすれば探し当てられないものは無いわ。犯人を探し当てる幸せ、それを追い求めれば犯人は必ず私の前に現れる」 だからさっさと片付けて帰りましょうと繰り返す幸せの魔女に、ゼロはふと気になってカルカーデを見上げた。 「テオさんは、どこに行くのです?」 「私は情報収集、ですかね。シュルト家に医者として赴きます」 「医者? 貴方、お医者さんだったの?」 へえと感心を滲ませてブルックリンが見ると、カルカーデはにっこりと笑顔になって言う。 「医者の真似事は得意です」 「って、それってお医者さんじゃないってことなんじゃ……?」 「まぁまぁ、あまり深く追求はしないほうがいいですよ」 知らぬが花とも言いますしね、と意味ありげに微笑を深めたカルカーデは鞄を持ち上げると、それではお先にと軽く帽子を持ち上げて挨拶を残すとさっさと歩いて行った。 「さーてと、ここにカゥズくんがいてくれたらいいんだけどねぇ」 頑張って探すぞー! と手を振り上げる日和坂に、幸せの魔女はやる気なく頑張ってーと声援を送る。気が抜ける~と恨めしそうに振り返られるが、逃げた子供の心境にさっぱり見当もつかない彼女には後をついていく以外の選択肢がない。 「さっきは幸せの魔法で、ぱぱっと見つけるって言ってなかった?」 それはどうなっちゃったのと軽く眉根を寄せられるが、あらあらおほほと笑って誤魔化した幸せの魔女は魔法が示す先を辿るように少し遠い海を眺める。 ここは日和坂が望んだように、司書がカゥズ少年と会った島、だ。先ほど別れたシーアールシーやブルックリンがいる瓢箪型の島からは離れている。目を凝らせば海の先に薄っすらと窺える程度の距離だが、子供の足で来られるような場所だろうか。 彼女の幸せの魔法は、間違いなくこの事件の犯人を感知している。それが示しているのは、瓢箪型の島のほうだ。本来であれば日和坂も引っ張ってあちらに向かうべきなのだろうが、何となく幸せな感じを受けない。 (何だかカゥズくんとはまったく別のものを感知しているような気がするわ……、一体何なのかしら) 不審を覚えて呟くものの、幸せな気配が薄いなら特に興味もない。もやっとする気持ちの悪い感覚に身を浸しているのはまったくもって趣味ではない、それなら張り切る日和坂と一緒に行動するほうがよっぽど幸せだ。 じとっとした目で懲りずに眺めてくる日和坂に振り返った彼女は、そんなことよりと無理やり話題を変えた。 「とりあえず探すんでしょう? どこから探すのかしら」 「んー、まずはカゥズくんが最初に泣いてた浜辺に出発!」 こうしていてもしょうがないと思ったのか、手を振り上げて歩き出す日和坂に少し笑ってついて行く。 「綾さんはカゥズくんを信じてるのよね? なら、どうして彼はここに逃げたと思うの?」 「ひょっとしたら、犯人に会ってるからじゃないかなって」 「犯人に」 あくまでも別に犯人がいると想定しての話だが、殺人犯と出くわしたなら幼い少年は逃げたくなるもの、なんだろう、きっと。ふぅんとあまり興味も持てないまま相槌を打つが、日和坂は気にした様子もなく話を続ける。 「もしもカゥズくんが、ずっとお兄ちゃんと居たいって願ったのを聞いてたら。犯人はこう言ったかもしれない。『キミの願いを叶えてあげた。お姉さんはもうすぐ死ぬ。だからお兄さんはキミのところに帰ってくるよ』。そう言われて十才の子が平静でいられるかな?」 鈴が壊れただけで泣いちゃうほど気弱な優しい子なんでしょと心配そうに言う日和坂に、幸せの魔女の感想としてはやっぱり「ふぅん」だ。けれど頭から零れそうになるほど頑張ってミステリーを読んだ日和坂の言葉を遮る気にはならなくて、それでと先を促す。 「私が犯人ならダメ押しするな。キミに二つの薬をあげる。一つはお姉さんを殺す毒で一つは解毒剤。キミが使いたいように使っていいんだよ、って」 「カゥズくんは毒と解毒剤の両方を持ってるの? それなら解毒剤を持って行けばいいのに。犯人じゃないと証明する上に、お兄さんにも感謝される。幸せになれるのに」 どうしてそうしないのかしらと肩を竦めると、犯人じゃない証明になるかなぁと不安げに日和坂が眉根を寄せた。 「両方持ってたら、犯人と間違われそうじゃない? それに犯人が、カゥズくんの願いを叶える為に行動した、なんて言ってたらきっと怖くて出て行けないよ」 「でも犯人じゃないんでしょう? 代わりに誰かがやってくれたなら、別にカゥズくんの罪ではないじゃない」 あら、それならこの感知する先は実行犯かしらとぼんやり考えたまま尋ねると、日和坂は考え込むように唸る。 「それでもやっぱり自分のせい、って思っちゃうんじゃないかなぁ」 悪いのは確実に犯人のほうなんだけどね! とまるで犯人を目の前にしたかのようにファイティングポーズを取った日和坂は、けれど先にすべきを思い出したかのように頭を振った。 「とにかく今は、カゥズくん探し! キミの無実を信じてくれてる人がいるよって、伝えなくちゃ!」 ね、と笑顔で同意を求められても、やっぱりふぅんとしか思えないのだけれど。頑張る日和坂を見るのは悪くなくて、そうねと笑顔になった。 ヘルとシーアールシーはシュルト家に向かったカルカーデとは反対に、ライエル家の近くから島の中央を目指す事にして不審にならない程度に辺りを見回しながら急いでいた。 「思った以上に人通りがないわね」 「子供たちも遊んでいないのです。これでは場所を聞く事もできないのです……」 せっかく名案だったのにとしゅんと項垂れるシーアールシーをどう慰めるべきかと言葉を探していたヘルは、視界の端にさっと動いた物を見つけて振り返った。辺りは静まり返っていて、何もない。 軽く首を傾げ、どうかしたのです? と問いかけてくるシーアールシーに緩く首を振った。 「何でもないわ、急ぎましょう」 「はいなのです」 生真面目に頷くシーアールシーと連れ立って再び歩き出すと、やはり視界の端でさっと何かが動く。今度は顔をそちらに向けず、気配を探る。 「ヘルさん、」 「しっ」 少しだけ静かにしててと声なく伝え、真っ直ぐ向かうように指先だけで指示する。了解なのですとこちらも声なく頷いたシーアールシーが真っ直ぐ駆け出し、ヘルは左に曲がって駆け出した。 「あ!」 どうする、どっちを追いかけると小さな囁きを聞いて物陰に潜んだヘルは、どうやら彼女たちをつけていたらしい小さな尾行者の姿を認めて眉を顰めた。 (子供……?) 精々が十二才くらいの少年たちが三人、戸惑った顔で言い合っている。三人いるのだから一人ずつ追いかければいいのにと少しばかり呆れ、思いつかないほど慣れない様子の少年たちならと立ち上がって声をかけた。 「私たちに何か用?」 「っ、わあ!!」 出たーっとお化けか何かを見たような反応をして後退りする少年たちに、失礼なと憤然と腰に手を当てる。 「追いかけてたのはあんたたちでしょう。わざわざ何の用か聞いてあげてるんだから、答えなさい」 「だ、騙されないからなっ」 「お前たちだろう、シュルトのフィラを殺したのっ」 「す、すぐに大人も来るんだからなっ。俺たちなんて食っても美味くないんだからなーっ」 何やら人の話を聞く気もなく、色々間違って怯えている少年たちにヘルは軽く目を眇めた。 「アルフィラ嬢を殺そうとしたのは、カゥズじゃないの?」 わざとそう尋ねると、そんなはずない! と少年たちが食ってかかってくる。 「あんなへなちょこが、誰かを殺せるわけがないっ」 「シズ兄と違ってあんなだめだめな奴、そんなだ、だいそ、?」 「大それた事」 見かねてヘルが口を挟むと、それ! と指された。 「そんなことできるはずないんだ!」 「つまり皆、カゥズくんを信じているのです」 やっぱり友達はいいものなのですと戻ってきたシーアールシーが深く頷くと、友達じゃない! と全員が口を揃えた。 「あいつ、いっつも家ん中にいて出てこないし!」 「せっかく誘ってやっても遊びに来ないしっ」 仲間になんか入れてやんねぇと拗ねたように告げる少年たちに、シーアールシーは首を傾げた。 「それじゃあ、カゥズくんが今どこにいるか皆は知らないですか」 「……知らない」 微妙な間を置いて否定する少年たちに、ヘルはふぅんと意地悪く見えるように目を細めた。 「あんたたちがカゥズの居場所を教えるなら、あんたたちは見逃してあげるわ。言いなさい」 「っ、やっぱりお前たちが殺したんだ!」 「カゥズじゃない、……大人を呼んでこいっ」 早くと怒鳴られた一人がわたわたとその場を離れようとするのを、シーアールシーが行かせないのですと手を広げて立ち塞がる。突き飛ばせ! と後ろからの指示に少年が目を瞑って突っ込んでいくのを見て、危ないとヘルが声をかけようとした時にはシーアールシーの身体が倍くらいになって少年を跳ね返していた。 「あんまり大きくなりすぎると、人が集まってくるのです」 でも跳ね返すくらいはできるのですとえへんと胸を張るシーアールシーに、少年たちはわーっと大きな声を上げて頭を抱えた。 「じゃあ、答えてもらおうじゃない。カゥズはどこ」 「し、知らない知らないっ」 「ライエルの男は当主を売ったりしないんだっ」 だから知らないと頭を抱えている少年たちに、小さく苦笑したヘルは側にしゃがむと柔らかい声で言う。 「私もカゥズが人を殺したとは思ってない。それを証明する為にも、本人に会いたいの。ライエルにもシュルトにも渡さない、誓うわ」 「ゼロの秘密はもう見せたのです。もしゼロたちが嘘をついたなら、秘密をばらしてもいいのです」 約束するのですと元の大きさに戻ったゼロも一緒になってしゃがんで手を出すと、少年たちは恐る恐る顔を見合わせた。 テオが単独で乗り込んだシュルトの屋敷は、手入れの行き届いた広い庭と林のようにぐるりを取り囲む木々に守られるようにして建っていた。外観は瀟洒という言葉からは程遠いものの見る者を威圧するような重厚さを備え、侵入できそうな露台や足掛かりとなりそうな装飾など一切見当たらない。しかも造りとしては二階建てのようだが、二階の窓はどれも三階に当たるほどの高さに設置されている。 (この高さを、一人で自由に出入りできたんでしょうかね) 容疑者とされている少年は、敵と教えられていた相手の屋敷に正面から乗り込むほど度胸があるとも聞いていない。それなら窓から出入りしたと見るべきだろうが、この守りに徹した砦のように何の助けもない壁を上り下りしたのだろうか。 医者です、と笑顔の一点張りで押し通したテオはひどく訝しがられながらもどうにか被害者の部屋まで案内されたが、仮に他の面々が自力で乗り込む事になっていたなら幾らかは梃子摺りそうだ。 (まぁ、私ならこの窓まで飛ぶくらいはできますけどねぇ) 被害者から採取した血液から毒を特定すべく真面目に努めつつも、テオの目は窓の外を窺う。 主の趣味なのだろう、ずっしりとした庭木が屋敷の周りにも点在しているが防犯を考えてか窓の前には植わっていない。この部屋の窓から細い枝先は見えるが成人男性が飛び移れば簡単に折れてしまいそうな頼りなさでしかなく、かと言って小さな少年であれば窓から跳ぶのにちょっとした勇気がいるほど距離がある。 (兄の婚約者を殺すべく毒を用意し、誰にも見つからないよう機敏に壁か木を攀じ登り、明かりもなく足元も覚束ない夜の中を颯爽と駆け抜けて姿を消す──。聞いた少年の姿から想像するには、違和感がありすぎますね) うーんと思わず唸ったテオに、そんなに厄介な毒なのかと硬い声がかけられた。ふと我に返って振り返ったテオは、ベッドの側から離れようとしない男性──シィズを見てにこりと笑った。 「生憎と、私の知る毒ではないようです。残念ながら万能の解毒薬は所持していませんが、まあ毒の進行を遅らせることくらいは」 やってみますと請け負うと、しばらく黙った後に小さく頭を下げられる。 「ところで貴方は、この毒に心当たりはないのですか」 「どういう意味だ」 「いえ、ご存知なら手っ取り早いと思っただけで他意はないんですが」 早く毒の正体が知りたいだけでと肩を竦めると、じっとテオを見据えていたシィザは視線を外して緩く頭を振った。 「確か、弟さんが容疑者だとか。彼だと仮定して、どこから手に入れたかの見当も?」 「あいつは家族以外に知り合いはほとんどいない。臆病で、ちょっとでも怖いと思った相手には近づかない。最近も家に来る誰かが嫌だと、部屋から出てこなかった。買物の仕方も碌に知らない世間知らずだ、どうやって毒を入手したかなんて俺のほうが聞きたい」 「それはまた、随分な箱入りで」 思わず皮肉めいた言葉が洩れてしまったが、シィザは苦く笑ってそうだなとだけ答えて婚約者へと視線を変えた。痛ましそうに彼女を見つめ、何かを堪えるように拳を作っている横顔に問いかける。 「貴方も、弟さんが犯人だと?」 余計な事を言っては追い出されるとできるだけ口数を控えてきたが、どうしてもと尋ねたそれにシィザは眉間の皺を深めた。 「分からない」 「……分からない」 なぞるように繰り返したテオの言葉に、シィザは睨むように壁を見据えて固い声で続ける。 「疑惑も信用も、どちらも予断を生む。俺が知りたいのは事実だ。誰が……、アルフィラを殺そうとしたのか、だ」 淡々としたと表現するには、少しばかり揺れた声。けれど公正を保とうとして自分をそこに縫い止めている背中を眺め、テオはさり気なく広げていたトラベラーズノートに知り得た情報を書きつけながら問いを重ねる。 「彼がいそうな場所も分かりませんか」 「──それは医者に必要な情報か?」 「いなくなったという事は、何かを知っているかもしれない。もし犯人なら確実に毒を知っているでしょう? 彼女を助けるのに最も優先されるべき情報ではないですか。ああ、ですから見つけるなり処分なんて野蛮な真似はやめたほうがいいですよ」 永久に毒の正体が知れなくなりますからねと肩を竦めると、扉の側で見張るように立っていた男が慌てたように外に出て行った。どうやら本気でやる気だったらしい。 シィザはちらりと横目でそれを確かめて、少しだけほっとしたように息を吐いた。他の目がなくなった内にと、テオは気になっていたもう一つの疑問をぶつけた。 「貴方のご実家は、弟さんが泣きつけば匿うと思いますか」 「泣きつく前に匿うだろうが……、あいつにとって父親は怖い相手、だ」 自分からは近寄りもしないだろうと投げるようなシィザの答えに、テオは彼の実家こそが黒幕である可能性を消して再びペンを走らせるとノートを閉じた。 (後は他の方々に任せて、テオさんは真面目に毒の解析でもしますかね) カゥズが犯人でなければ、誰がこんな事を仕組んだのか。両家を憎み合わせたい何者か、若しくは被害者への怨恨かとつらつら考えを巡らせながら、慌しい空気を他所に作業に没頭し始めた。 無駄足も覚悟しながら探していた綾たちだが、向かっていた浜辺に着くとすぐにどこからか啜り泣きが聞こえてきた。夜の浜辺で聞こえるそれは正体を知らなければぞっともしたが、岩陰を覗いてそこに蹲る少年を見つけたなら安堵のほうが勝る。 「カゥズくん……?」 驚かせないようにと小さく声をかけると、すぐに誰? と顔を上げて聞き返される。 「良かった、見つけた! 心配したんだよ!」 胸を撫で下ろしながら側に寄ると、カゥズはまだ涙を溜めたまま分からなさそうに目を瞬かせる。 幸せの魔女がやっぱりこっちだったわねと複雑そうに呟いているのも気になったが、カゥズに視線を合わせて同じようにしゃがみ込み、にっこりと笑いかけた。 「キミの無実を信じてるヒトがいてね。私たちはそのヒトを信じてるからキミを助けに来たんだよ」 「無実……、?」 何の話とばかりに首を傾げられ、あらと幸せの魔女も不思議そうな声を出した。 「やっぱり貴方が犯人なの?」 「犯人……、あ、ごめんなさい、勝手に船を使って!」 でもちゃんと返すよと慌てて謝罪するカゥズに惚けている様子はなく、あれ? と綾は幸せの魔女を見上げた。 「船って、さっきゼロちゃんたちが知らせてくれたあれかな?」 トラベラーズノートにさっき入ったのは、少年たちが遊びに使っていた船がなくなっているという情報。島を出たならここだろうと確信する貴重な話ではあったが、綾たちが探しているのは勿論その事件の犯人ではない。幸せの魔女は、何を言っているのかしらと腰に手を当てた。 「私たちが探していたのは、アルフィラさん殺しの犯人よ」 船はどうでもいいわと肩を竦めながら告げられた言葉に、カゥズは瞬きを繰り返した後、後退りしようとして失敗したのか尻餅をついた。 「フィラ……、が、死んだの?」 「まだ死んでないって! 大丈夫、まだ生きてるから。でもね、毒を飲ませて殺そうとしたヒトはいるんだ。キミ、そのヒトに会ってない?」 「知らない、どうしてフィラが、……死んじゃうの?」 青褪めた顔で身を乗り出させるカゥズに、幸せの魔女はこのままならそうねとあっさり頷く。 「どんな毒かも分かってないし、解毒剤もないわ。……貴方が犯人じゃないの?」 改めて繰り返した幸せの魔女の言葉に、カゥズは千切れそうなくらい首を振った。 「知らない、だって僕、ほとんど会った事もないのにっ」 本当だよ、嘘じゃないよと必死に訴えてくるカゥズに、綾も大丈夫と頷いてそっと頭を撫でた。 「言ったでしょ、キミを信じてるヒトの依頼で私たちは助けに来たって」 「信じてる人……、誰?」 不安げに眉根を寄せたカゥズに、鈴を直してくれた人の一部と幸せの魔女が答える。聞いて顔を輝かせかけたカゥズは、何かを思い出したようにまたべそっと泣きそうになった。何かを守るようにぎゅっと握り締めているのを見つけて、そっと覗くと手からはみ出ているのは土鈴のようだった。 「それ、ひょっとして海神祭の鈴?」 「直ったんじゃなかったの?」 「直してもらったけど……、あいつが隠して。見つけたら、音が鳴らない……っ」 言うなりまた涙を落とすカゥズを慌てて慰めながら、聞きたい事が増えたと幸せの魔女と顔を見合わせる。 「あいつに隠されたって、誰の話?」 「家に……、いきなり来たんだ。皆、知らない人なのに普通に話してて。何か怖い、黒いの」 「黒いの。黒いヒト?」 「分厚い本を持ってて、笑顔だけど怖い。何で知らない人なのに、皆知ってたみたいに話すの?」 不安げに尋ねるカゥズの問いに返す言葉は持ち合わせないが、どうやらそれが犯人ではないかと見当をつける。 「そのヒトに、何か渡されなかった?」 「知らない。近寄らなかったから」 「でも、鈴を盗られたのよね?」 相手は近寄ってきたんじゃないと幸せの魔女の質問に、カゥズは鈴を握り締めながら小さく頷く。 「夕方いきなり部屋にいて、鈴を持ってったんだ。海神祭みたいに隠すから、探せって」 泣きながら説明するカゥズによれば、その後すぐに少年たちが隠している船を使ってこの島に渡り、今までずっと探していたらしい。そしてようやく見つけた鈴は、どれだけ振っても音が鳴らなくなっていた。 ひょっとしてと幸せの魔女と視線を交わした綾は、ちょっと見せてねと断って鈴を受け取った。中を覗けば、案の定何かが詰まっている。どうやって入れたのかは分からないが、鈴の大きさぴったりの小さな瓶らしい。 「これが解毒剤だと思う、けど……、どうやって取り出したらいいと思う!?」 「鈴を壊せばいいんじゃないかしら」 それを避けたいなと思っての尋ねに、さらりと返されて項垂れる間もなくカゥズが壊しちゃうの!? と泣きそうに反応する。無理だよね、嫌だよね、しないよと宥めながらもきっと鈴の中のそれだけがアルフィラを助ける術だろう。 「とりあえず……、一回皆と合流しようか」 思わず結論を先延ばしにした綾に、幸せの魔女もそれがいいわねと大きく頷いた。 緊急招集と日和坂からの連絡に、ゼロたちが急いで向かったのはシュルト家の一室だった。手引きしてくれたカルカーデの言を借りれば灯台下暗しで大丈夫らしいが、実際にカゥズを連れていた日和坂たちは大変だったのではないかな、とぼんやりと推測する。 けれど合流するなりそれより切羽詰った問題を突きつけられたせいで、詳しい経緯を尋ねる機会を失ってしまった。 「これは……、ものすごい難題なのです」 「というか、どうやってこれを中に入れたのよ」 繋ぎ目もないのにと出された鈴を検分しながらブルックリンが眉を顰めると、ひょいと覗き込んだカルカーデはあっさりと言う。 「中身を取り出したいなら、壊せばいいじゃないですか」 何をそんなに難しがっているのかと首を捻られ、それをしない手段を~と突っ込む日和坂にカルカーデは尚更不思議そうにしている。 「とりあえず確認だけど、これが解毒剤よね?」 「そのはずなのです。犯人の目的が島の全てを苦しめることだとすれば、アルフィラさんを狙った理由も分かるのです。彼女が死んだ後でカゥズさんが解毒剤を持っていたことが明らかになれば、関係者全てに最悪の行動を取らせられるのです」 その為にも彼は本物を持っている必要があると思うのですとできる限りカゥズには聞かせたくないと小声で説明すると、カルカーデはだから割って確かめればいいんじゃないですかと簡単そうに提案する。 「でもこれ、お兄さんとの大事な思い出の品なんだよ?」 できれば壊さない方向でと日和坂が噛み砕くが、カルカーデは分からなさそうに肩を竦める。ここに助かる手段があるんでしょうに、と鈴を持ち上げて中を覗く彼を見上げて、カゥズがようやく口を開いた。 「これを壊したら……、フィラは助かるの?」 「そうですね、多分」 絶対の保証はできませんがとどこまでも現実を教えるカルカーデに、カゥズはしばらく唇を噛んでいたがやがて思い切ったようにいいよと呟いた。 「壊していいよ……、あげる」 「カゥズくん」 いいのと心配そうに尋ねる日和坂に、カゥズは顎を引いた。それを見てふと口許を緩めたブルックリンは、さすが男の子ねと優しく頭を撫でた。 「私も今のパパと出会った頃、ママをとられちゃうのが嫌で意地悪したの。でも、ママがパパを愛してるってわかったから……ママが好きな人を好きになりたいって、家族になりたいって思ったの。貴方もそうでしょ?」 家族なら助けなくちゃねと微笑んだブルックリンに、カゥズは唇を噛んだまま俯いた。カーペットが僅かに濡れたけれど見ない振りをして視線を逸らしたゼロは、窓辺できつい顔をして外を睨んでいる幸せの魔女に気づいてはっとした。 「誰かに見つかったですか」 「いいえ、逆。見つけたわ」 私の魔法は絶対なのよとあまり幸せそうではない声で幸せの魔女が呟いた途端、鷹揚な拍手の音が聞こえてきた。 「邪魔が入る予想はしていましたが、さてもお早い解決ですねぇ」 もう少しでもっといい音が満ちたでしょうにと皮肉な声は聞こえてくるが、何故か姿は見えない。咄嗟に日和坂はカゥズを庇い、ブルックリンはギアの銃を取り出して気配がするほうに向けている。 「あんたが元凶ね? 愛し合う二人が引き裂かれるなんて絶対に間違ってる!」 「ええ、そうですね。私もそう思いますよ」 いけしゃあしゃあと答えた姿ない声は、だからこそと嬉しそうに続ける。 「最愛を失った者の悲哀は、見る者までも同じく震わせる」 そうでしょうと同意を求めてくる声に向かって、ブルックリンは躊躇なく銃を撃とうとしたが幸せの魔女に押さえられた。 「ここで銃声を響かせたら、きっと屋敷の者が皆集まってくるわ」 「っ、でも一発ぶち込んでやらなきゃ気がすまない!」 心配しなくても麻酔弾よと苛ついたように返したブルックリンは、けれどもう一度諌められる前に悔しげに銃を降ろした。 「撃たずにいてくれた御礼に、ここはこれで幕引きと致しましょう。列車の時間もある事ですし」 それではこれでと一礼したような空気の揺れは少し遠く、次の瞬間には気配も消えていた。 「何でしょうね、今のは」 不覚にも動けませんでしたと嫌そうに言うカルカーデは、どうやら実際に動きを封じられていたらしい。言われて見ればゼロも一歩も動けなかった、部屋の中には確実にいたはずなのに姿も見えなかったくらいだ、おかしな能力を持っていたのだろう。 「動けたら捕まえたのにーっ! 今のヒトが犯人だよね、そしたらカゥズくんの疑いをはっきり晴らせたのに!」 悔しいと地団太を踏む日和坂に、それならこれで足りるんじゃないですかとカルカーデが鳴らない鈴を揺らした。 「アルフィラさんが助かったなら、犯人は別にいると証言してくれるでしょう」 それが家族なんでしょう? とちらりとカゥズを見下ろしたカルカーデは、貴方たちはここにいてくださいねと言い置くとアルフィラを助けに部屋を出て行った。 ゼロは私の追求すべき幸せが、と窓辺で何やら呟いている幸せの魔女に近づき、すごいのですと笑いかけた。 「魔女さんは犯人を真っ先に見つけていたのです」 「まぁ、……それが私の幸せだもの」 そうね結果よければ全てよしよねと何故か嬉しそうににっこりとした幸せの魔女は、もうちょっとだけ静かにしてようねと口の前に指を立てている日和坂たちを見てゼロを見ると、ふふと嬉しそうに笑みを深めた。
このライターへメールを送る