人が行きかうターミナルの駅前のカフェにスーツをきっちりと着こなしたヴィンセント・コールは先ほど司書に依頼された内容に思いを馳せた。「なにか考えることでもあるのかな?」 「ミズ・アマリリス……そうですね、私の故郷である壱番世界の風習を思い出したんです」「ほぉ」 男装の麗人のアマリリス・リーゼンブルグが興味を惹かれたように眼を悪戯ぽく細めた。「わぁ☆ 私も、そのお話きになりますぅ☆」「ミスタ、どんなお話なの?」 冒険者スタイルの川原撫子とフリルの可愛らしいドレスのメアリベルが楽しげに問いかける。テオ・カルカーデも興味深々な眼をしているのでヴィンセントは先ほど挨拶したばかりの仲間たちに向けて説明をはじめた。「イギリスにあるサヴォイというホテルに木彫りの猫キャスパーがいるんです。彼は壱番世界で不吉とされる『13人の晩餐会』を回避する為に存在します」 昔、13人目の客が非業の死を遂げて以来、どうしても都合がつかずに13人となったときキャスパーは14人目の客として晩餐会に出席する役目を担っているという。「確かに☆ この依頼と少しだけ似たところがありますねぇ☆」「ふふ、本当! けど、このキャスパーみたいに愛されて命が宿ったのかしら?」「夜に歩く猫ですもんねぇ」 今回、五人が受けた依頼はヴォロスの貴族の家に代々伝わる猫の像にまつわる竜刻とそれにまつわる事件解決だ。 一族の祖が愛し、また祖を心から愛したといわれる猫の像は腕のよい職人が作った品で知らなければ本物の猫と間違うほどの素晴らしい一品だ。 祖は子らに猫の像を大切にするように告げ、猫の像は晩餐のときは人と同じ席を与えるようにした。一族の名はガブリエル家。現在の当主はノエル・ガブリエルという元女優だ。結婚して引退後は夫と彼の両親と一緒に屋敷のある田舎で暮らしていた。つい先日、夫が馬車の事故で死亡して財産を求めて兄弟、長男のノイッシュ、三男のオスカーが訪れた。 ノイッシュは長男でありながら放蕩癖が強く父親から勘当されていた。またオスカーは作家になると言い家を出て都会に行ったが結局、失敗して定期的に金をせびりにくる厄介者。 夫も両親も常々彼らを嫌っていたが、ノエルだけは彼らに金を渡していた。そのことでノエルは生前夫とぎくしゃくしていることが何度かあった。 二人は葬式が終わると早々に一族の専属弁護士であるオルドラがいたのをいいことに、自分たちの財産について主張しはじめたのだ。 さらに子どもがいないノエルには家を出ていくように口汚く罵るような言葉を投げたのだ。 その場は義父母がノエルの味方で息子たちを諌めてくれた。 晩餐のとき。 一族のしきたりでいつものように居間の暖炉の上に置いてある猫の像をテーブルに置こうとしたがオスカーとノイッシュは大の猫嫌いで嫌がったのに人間だけが席につくこととなった。 そして、次の日、ノイッシュは自室で倒れて死んでいた。その傍らには猫の像がぽつんと置かれていた。 さらにメイドたちのなかには夜中にりんりんと猫の像につけられている鈴が鳴る音を廊下で聞いたと言う者までいたのだ。「問題は、ミスタ・ノイッシュは密室で死んでいたことと彼を殺すことは時間的に人間には無理だと思われることです」「確か、弁護士が諍いを聞いていたんだったな?」 アマリリスが言う。「真夜中までオスカーとノイッシュが激しく怒鳴っているのを隣にいるのを聞いたと主張している」「けど、そのあと、メイドがミスタ・ノイッシュが出歩くのを目撃しているのよね?」 メアリベルが小首を傾げた。「けど夜中にどこにいこうとしていたのかしら?」「それはもう本人が死んだらからわからないですよねぇ」 その数分後には自室に戻るメイドがノイッシュは自室から出ていく姿が目撃していた。声をかけましたらほっておいてくれって怒られてしまったというのだ。「彼の行動はそのあとミズ・ノエルが証言していますが、財産のことで話をして引き取ってもらったそうです。朝に死体が発見された」「あのぉ☆ 気になったんですけど、その死体の第一発見者はだれですかぁ?」「ミズ・ノエルです。彼女は毎朝誰よりもはやく起きるのです。そして彼女は居間に猫の像がないことに気が付いて急いで探したそうです。各部屋をまわり、なかなかミスタ・ノイッシュが起きてこないので全員で部屋に向かい、ドアをノックし、開かないと彼女がいうのにスペアキーをとりに行って部屋のなかを見ると……ちなみにマスターキーは部屋のなか、ミスタ・ノイッシュの手のなかで発見されました」 全員が押し黙る。「司書は言いました。このままでは、次なる犠牲者が出てしまう。そして、そのとき、猫の眼は暴走する、と」=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ヴィンセント・コール(cups1688)アマリリス・リーゼンブルグ(cbfm8372)メアリベル(ctbv7210)テオ・カルカーデ(czmn2343)川原 撫子(cuee7619)=========
錆びた鉄に蔦が絡みついた門をくぐれば、緑豊かな庭が現れ、その先に黙って死んでゆく老人のような古い屋敷が静かに佇んでいた。 探偵だとヴィンセント・コールが出迎えた執事に名乗ると、職務に忠実な彼は胡乱な目で五人を見回したあと、広間に案内された。 「何かに飼われ愛される生き物など私の故郷にはいなかったので興味深いです」 テオ・カルカーデは咲き始めたハイビスカス色の瞳を細めて楽しそうに笑い、居間にあるものを無遠慮に眺めまわした。猫に纏わるものがいくも置かれていることがテオの興味をそそった。 「猫ちゃんって可愛いですぅよぉ☆私ぁ好きですぅ☆」 川原撫子がにっこりと微笑む。 「今回はヴォロスなので封印のタグ借りてきましたぁ☆とりあえず貼らせて貰っちゃいましょお☆」 「かわいいお嬢さんと私も同じ意見だ。事前に対策しておくに越したことはない」 「かわいいなんてぇ、照れまぁす☆」 撫子相手にアマリリス・リーゼンブルグは甘い微笑を浮かべる。メアリベルは大好きなミスタ・ハンプと手をつないで楽しそうにきょろきょろと室内を見回す。 「変ね。とっても変! 猫が人なんて殺せるのかしら? メアリ、思うんだけど、犯人はずばりミセス・ノエルね! だって、司書から聞いた話から考えると一番怪しいもの!」 とろりと溶けだしたイチゴ味のキャンディを頬張った甘い声でメアリベルは笑う。 「それは、どうでしょうか」 セクタンを片腕に抱いてヴィンセントはやんわりと告げた。 「真相を知るためにわれわれは来たわけですから、先入観を持ったまま調査するのはあまりよくないかもしれませんよ」 「けど、おかしいわ。疑問だわ。何故ミセスは義理の兄弟にお金を渡してたの? 彼等は一族中の嫌われ者。血の繋がらないミセスだけが優しくしてたなんて変」 メリアベルの鋭い指摘にヴィンセントは口を噤んだ。 司書から事件のあらましを聞いたとき、この兄弟には好意が持てないと感じた。とはいえ死んでもいいものできない。 依頼を受けたのは、もしこの犯行が大切なものを守るならばもっと別の形で守る事が出来たのではないのかという疑問、そして犯人は生きて償ってほしいという願いのためだ。愛憎に苦しんだ者を知っているからこそなおのこと。 アマリリスは頼もしい微笑みでメアリベルを一瞥する。 「ふふ、可愛い赤毛のお嬢さん、私の推理とは少し違うようだ。私は単純に怪しいとしたらオスカーだと思っている」 「あら、彼って猫嫌いでしょ?」 「そう、だからそれを調べたいと思っている」 「ふぅん。じゃあ、メアリと勝負よ。メアリの推理が正しいか!」 「望むところだ。もし私が正しかったら、そうだな。今度ゆっくりデートしよう」 「素敵! メアリ、負けないから!」 ぎぃと音をたてて扉が開くと、黒色の地味なドレスに身を包ませたノエルが現れた。 元女優だけあって思わず息を飲むほどの美貌、背筋を伸ばした立ち姿は凛とした気高い花のようだ。彼女の瞳は何かに挑むように五人を見つめ、優雅に頭をさげた。 「ごきげんよう。探偵さま、事件を調査してくださると聞きましたわ」 「トラブルの解決にきました」 テオは楽しげに笑うのにノエルは静かに頷いた。 「使用人たちにはみなさまのことを伝えておきますわ。なにかあればいつでもおっしゃってください。犯人を捕まえるために協力は惜しみません」 メアリベルが犯人だと指摘した、最も怪しいはずのノエルは驚くほど堂々と五人への協力を承諾した。 「あの、だったら、これをおねがいしまぁす☆」 撫子はおずおずと差し出したのは封印タグだ。 「猫ちゃんがこれからもこの家を守護できるようにお守りですぅ☆是非つけさせてくださいぃ☆」 「でしたら私が、あの子への感謝をこめて貼る役目をしてもよろしいかしら?」 「えっ☆ そ、それはぁ」 ノエルを怪しんでいる、ましてや竜刻に直接貼りたいなどと言えずに撫子が困っているとアマリリスが助け舟を出した。 「美しい人、探偵道具に興味が? 探偵のすることは秘密だからこそ面白いものですよ」 「あら、秘密はあばくから甘いのでしょ? 探偵さん」 アマリリスが手をとって親愛のキスをしようとするが、ノエルはあっさりと振った。 「冗談ですわ。お好きに貼ってください。ただし、私も見ていてかまいませんか?」 「もちろんですぅ☆」 アマリリスに感謝のウィンクを撫子は飛ばした。 「私個人でご協力できることはあるでしょうか? もしないのでしたらみなさまのお部屋のご用意をいたしますわ。お父様やお母様にもみなさんのことをお伝えに行かなくては」 「えっとぉ普段はマスターキーとスペアキーは何方が管理してますぅ?」 「マスターキーですか?」 「はぁい☆」 「マスターキーは一本だけですわ。スペアキーも」 「誰でも持ち出せるんですか?」 「管理状況を教えてもらえますか? できれば、その管理している場所もみてみたいです」 ヴィンセントの質問にテオもくわわったのにノエルは頷いた。 「キーは執事に管理させております。もし、直接キーの管理しているのを見たいのでしたらご案内しますわ」 「ありがとうございます。あと猫の像と死体を調べる許可もいただきたいのですが」 ヴィンセントの申し出にノエルは微笑んだ。 「どうぞ。好きなだけ」 「猫、好きですか?」 猫の像をまず見たいという全員の申し出に、その部屋に案内するノエルにテオは気さくに話しかけた。 ノエルは前だけを見つめたままそっけなく答えた。 「ええ、好きよ。気ままで、自由で」 テオはじっとノエルの反応を見、ふぅんと微笑んだ。 通された部屋の暖炉の上、猫の置物は存在した。 アマリリスはこっそりと魔力を調べたが、とくにこれといった危険性は感じないことを目配せでヴィンセントに教える。 「ではぁ、失礼してぇ☆」 撫子は猫の眼にそっと封印タグを張り付けようとした。 「目につけるの」 「え、えっとぉ、そうでぇす。このお札は眼に貼るとぉいいんですよぉ」 苦しい言い訳をする撫子にノエルは一瞬だけ困惑した顔をしたが、 「そうですか」 と引き下がった。 「一つ提案なんだが、この眼を譲ってもらうことは出来ないだろうか? もちろん、この調査で我々が貴女の満足いく働きが出来た場合に限るという条件つきで」 アマリリスの提案にノエルは考えるように小首を傾げた。 「ゆっくり考えもらってかまわない。では噂の実物も見れたことだ。これからは効率のことも考えて別れて調査しよう。私とテオはキーについて調べる。猫のことは頼んだ」 「ええ。任せてください。くれぐれも、よろしくお願いします」 ヴィンセントが言葉をアマリリスは正しく理解して頷いた。 ロストレイル内でヴィンセントは全員に「推理や憶測については仲間内のみで話したほうがいい」と提案したのだ。 アマリリスは微笑んでテオと一緒に部屋を去っていった。 テオ、アマリリスはノエルに連れられてキーを管理している執事の部屋に訪れた。 キーは古い鉄の輪に束にされ、鍵のかかる執務机の二番目の引き出しのなかに保管されている。 「客室すべてにマスターキー、スペアキーが一本ずつ存在します。スペアキーは用もなく出すことはありません。そもそもこの引き出しの鍵は大旦那さまが持っております」 執事は淡々と答えるのにテオは眼を瞬かせた。 「大旦那さまは体調が悪く、部屋から滅多に出られません。また鍵についてはノエル様が」 「義父は引き出しのキーを金庫に保管しているの。それを開けるためには四ケタの暗証番号が必要ですが、私は当然知っています。ただし、義父の許可なく取り出すことは出来ません。事件のあったときは義父がキーをとってくれたの」 これでいいかしらとノエルは小首を傾げた。アマリリスは満足したと伝えると、次に犯行現場である部屋に向かった。 「一つ聞きたい。あなたはどうして兄弟たちに金を?」 前を歩くノエルにアマリリスは気さくに声をかけた。 「ああ、私としたことがいささか無遠慮だったかな? 殿方の前で言いづらいのであれば二人きりで話さないか? 美しい人」 「いいえ。お気遣いは結構です。私は孤児で、とても貧しいなか、己の美貌と才能で女優になったの。決してきれいなことだけをしてきたわけではないわ」 それがなにを言わんとするかアマリリスは察して気遣わしげな視線を向けた。 「あなたの良人は、そのことを」 ノエルは振り返ると微笑んだ。 「あの人ははじめて私の舞台を見て、一目で好きになったと口にしてくれたんです」 その言葉だけを信じるなら夫婦仲は良好と思えるが、ノエルが女優になる前にどのような汚れ仕事をしてきたのかを夫が本当に知っていたのかの疑問がアマリリスのなかに残った。 「あなたの良人の部屋を見せてもらうことは出来るだろうか?」 「……鍵をお渡ししましょう」 アマリリスはじっとノエルの姿を見つめて、彼女のなかのなにかを探ろうとした。 「あら、お連れの方」 「テオ? どうした」 気が付くと横を歩いていたはずのテオがいないのにアマリリスは振り返った。 テオは一メートルほど後ろのあたたかな陽射しの窓辺で何かを探している様子だったが、アマリリスの視線にすぐに笑顔で駆け寄ってきた。 ヴィンセントと撫子は猫の像の調査をしていた。これが終わり次第、テオとアマリリスに合流する予定になっている。 「あれぇ☆ そういえば、メアリベルちゃんはぁ?」 甘い御菓子と素敵なもので作られた女の子のメアリベルは猫のように気まぐれだ。 「うーん☆ お互いにあとで調査報告したらいいですよねぇ☆ けど、この事件って変ですよねぇ? これを猫の祟りにする必要も死体がマスターキーを持つ必要もないですぅ☆猫のせいにしたかった方、密室にしたかった方が犯人ですよねぇ? だからこの猫ちゃんもっと調べましょぉ☆」 「そうですね、ミスタ・テオも気にしていた、像の損傷具合を確認しましょう」 優雅に寝そべっている猫の像は緻密で、その細い髭、長い睫毛ひとつひとつが今にも動き出しそうなほどしっかりと作られている。 触れると、ざらりとした石の感触がヴィンセントの紙切れの手を冷やかに愛撫した。試しに髭に触れるがやはり石で、目の箇所だけ特別に竜刻がはめ込まれているようだ。 「猫の像は出来るだけ目につくところに置いておきましょう。調査に行くのでセクタンを置いていこうと思いますが」 「はぁい☆ じゃあ、壱号を監視役につけましょぉ☆ よろしくねぇ」 壱号はきりっと手をあげて猫の像の左側に、ガラハッドは右側ちょこんと腰かける。ロボット、猫、鳥の摩訶不思議な置物が出来上がった。 「触れた感じ、とてもかたいようです。髭や睫毛にいたるまで、……ん」 「どうかしましたぁ?」 「睫毛のところが、少し、欠けているようですね」 「なんでぇ、そんなところが? あ、わかりましたぁ☆ 事件が起きたとき床に落ちたからですよねぇ」 撫子の言葉にヴィンセントは思案するように眉根を寄せて黙る。 「この猫ちゃん、お名前はないんでしょぉかぁ? 愛されてるのに名前がないのは不思議ですぅ☆それと置き場も調べさせてくださぁい☆」 撫子が置物を手にとるとずっしりと重い。そっと猫の置物の裏を覗きこんでそれを見つけた。 【最愛のノエル 私の愛をキティに託そう。キティがあなたを守りぬくように祈っている】 「これは……かなり新しいもののようですね」 「はぁい☆ この猫ちゃん、キティっていうんですねぇ☆ ノエルって、ノエルさんのことですかぁ?」 「そのようですね。けれど、これを彫った方は……?」 二人は顔を見合わせて、このメッセージを残した人物に考えを巡らせた。 「ミズ・ノエルを最愛というのは」 「亡くなった旦那様ですかぁ☆」 ヴィンセントは今回の事件の犯人についてまだはっきりと口にしないがノエルだと考えていた。 彼女が兄弟たちを支援していたのはいつか家族仲が取り戻せると信じているからではないのか。しかし、夫が亡くなった今、強欲な兄弟たちでは家が潰れかねない。家を守るための犯行、ノエルが主犯で、他の義父母、弁護士が共犯であるのではと思ったが、これを見ると亡くなった夫が事件に関わっている可能性も浮上してきた。 「うーん、うーん、やっぱり竜刻のことでしょおかぁ?」 「ミズ・アマリリスが魔力は感じられないとおっしゃいましたが、気になりますね。とにかく次の調査に行きましょう」 犯行現場の部屋でヴィンセント達は先に調査していたテオと合流した。 テオは既に部屋の調査を、アマリリスは近くの部屋などで掃除しているメイドたちを甘い言葉で虜にして情報収入に精を出していた。 「わかったのは鍵になにかしら細工をした形跡はまったくないってことです」 鍵の構造上、糸などのトリックによって密室にしたのかと考えて確認したが、そうした細工のあとはなかった。 さらにアマリリスにテオは頼んで使用人たちから事件直後の各人の振る舞いをテオは聞きだしていた。 「一同に驚いていたそうです。死体に近づいた人はいないみたいですね。それで死体はマスターキーをかなり強く握っていたようです。それで考えたんですが、このドア、とても重いんです」 「重い?」 「一度、出てみてもらえますか?」 ヴィンセントと撫子はテオの指示で、一度外に出た。ヴィンセントが閉まった扉のドアノブに手を置くとすぐに顔をしかめた。 「どうしたんですかぁ」 「開かないんです」 「私も協力しまぁす☆ えーい☆」 どかっと音をたててドアが開いたのにテオは眼を丸めたがすぐににっと笑った。 「鍵をかけたり、それ以外で特別なことはしてませんよ。この屋敷は随分古くてドアが開きづらいみたいですね」 「つまり」 「密室ではない密室を作ることは可能だってことです。もちろん、ドアを開かないというふりをする必要はありますが」 テオはのんびりした足取りで部屋のなかを進んでいく。 「部屋のなかを調べて気になる点が二つ。一つ目はメイドが口にしていたこの方の上着が部屋からなくなっているんです。かわりにクローゼットのなかからこんな布が見つかりました」 ずいっと差し出されたのは黒い布きれだった。ヴィンセントと撫子はまじまじとそれを見つめる。 「それに屋敷のあちこちに小さなひっかきあとがあるんです」 「ひっかきあと?」 ヴィンセントが不審な顔で聞き返す。そこでドアのノック音にヴィンセントが振り返るとアマリリスが入り口に立っていた。 「メイドに聞いてきたが、どうやら事件の日、ノエルは黒のドレスを身に着けていたそうだ。先ほど話題になっている上着だがメイドたちは誰も見ていないと口にしている」 「誰かが持ち出した?」 とヴィンセントは当然の疑問を口にする。 さらにアマリリスはノエルの事故死した夫の部屋を探索したことを告げた。 「夫婦仲はとても円満だ。ただ夫婦には子どもが出来ないということで使用人たちもそうだが義父母はとてもやきもきしていたようだな。 彼の部屋は整理整頓されていた。気になるのは事故死する少し前からなにやら熱心に調べものをしていたということだ」 「調べものですかぁ☆」 撫子はうーんと唸り上げた。 「あと事件の日の兄弟喧嘩について気になって聞いてみたんだが、かなり大きな声での言い合いだったからよく覚えていた。オスカーが部屋にきたノイッシュをかなり一方的に怒鳴り散らしていたそうだ」 「一方的に?」 ヴィンセントの問いにアマリリスは頷く。 「そうだ。一時間ほどの長い言い合いだったのが印象的だったそうだ。それにこの二人は家を追い出された共通点からかなり親密な付き合いがあるのにこうも派手な言い合いをしているのを訝しく思ったそうだ。それに普段ならば言い返すだろうノイッシュが黙っていたこともとても印象的だったと……まぁ遺産相続のことがあってピリピリしていたせいだろうと思ったそうだが、あとで確認するとこの時間帯にメイドは自室から出ていくノイッシュに声をかけて叱られている」 「それって」 撫子が幽霊を見たように顔を恐怖に青白くした。 「殺された彼の本物に偽物がいたようだ」 死体は腐敗のことを考慮し、屋敷の地下に保管されていた。 昼間でもランプで照らさなくては足元すら見えない、暗い石壁の道を進んだ先、湿った空気が充満した部屋の中央の石の上に死亡したノイッシュの身体は横になっていた。 「んー」 テオはまじまじと死体を見ているとひょいと腕をあげて、ぽんと叩いた。 「!?」 「なっ」 「叩いちゃいましたぁ☆」 「こうして固さや反応を見て調べるんですよ」 三人の驚きを無視してテオは飄々とした態度を崩さず死体を調べにかかる。 「頭にたんこぶのあとがありますよ」 「それが死因ですか?」 とヴィンセントがテオの後ろから覗き込む。 「あと指を見てください」 ランプで照らすと小さな針が突き刺したような跡が人差し指に残っていた。 Pussycat, pussycat 囁くようにメアリベルは歌う。子猫ちゃん、私の可愛い子猫ちゃん! ミスタ・ハンプと手をとってメアリベルはスキップを踏んで静かな廊下を進む。 どうしてみんなこんな簡単なことがわからないのかしら? 死んだミスタ・ノイッシュは猫の像を売ろうとしたのよ! メイドたちが言葉を濁すのはそのため。 死んだのは夜じゃないわ、朝! ミセス・ノエルは嘘つき! 歌が終わるとメアリベルの姿が赤毛の子猫に変貌する。 にゃあ! かわいく鳴いてメアリベルはすたすたと歩く。 かわいい子猫 愛しい子猫 これなら誰も気にしない! 猫は自由気まま! メアリベルは尻尾をたてて悪戯大好きな子猫のステップを踏む。 好き勝手をしても猫を咎める人なんていない。 ノエルの部屋のドアが開いているのにするりっと身を滑らせる。この姿でノエルの本音を聞きだすつもりだ。 けど メアリは犯人を裁かない。楽しければどうでもいいの! にゃあ 甘えた声で子猫が鳴くとソファに腰かけていたノエルは微笑んだ。メアリベルはすかさずその膝の上に飛び乗って甘えた。 「あらあら、お友達? きれいな赤毛ね」 ノエルは眼を細めると赤毛を優しい手つきで撫でた。 「そうだわ。あなたにこれをあげる」 ノエルは自分のつけていたマゼンダ色のリボンを子猫の尻尾をそっと巻いた。 「夫からの贈り物なの。あなたの赤毛に合うわ」 にゃあん! 子猫が喜ぶのにノエルもまた嬉しそうに微笑んだ。 「これは夫が最後の舞台に絶対つけてほしいと言われたのよ。だからあなたにあげるわ」 ドアがノックされてノエルは顔をあげる。ヴィンセントが遠慮がちに顔を見せると感じのいい笑みを浮かべてソファに座るように誘った。 「調査は順調に進んでいて?」 「おかげさまで。昼間の調査はそろそろ打ち切って、夜にも調査をしようと思います」 「コールさん? 素敵な苗字ね」 ヴィンセントは小さく微笑んだ。 「私自身、祖がどのような気持ちでこの苗字を名乗ったかはわかりませんが好ましく思っています」 「誰があなたの名を呼ぶのかしら? あなたは、この事件の犯人が生きたまま捕まってほしい?」 「死ぬことは逃避です」 強い口調でヴィンセントが言い返すとノエルは笑った。 「では生きるとは?」 ヴィンセントは沈黙する。ノエルはメアリベルの毛を撫でる。 「あなたは生きて償いをさせたいようだけど、具体的にそれがなんなのかわかっていて?」 「私は……愛憎に苦しんだ人間を知っています。生きることはそれを抱えても進むことです」 「生きるとは戦いよ」 ノエルは背筋を伸ばして立ちあがった。 「あなたの鳥は、かっこいいお名前ね」 「騎士の名前からいただきました」 「男はみんなナイト気取り、それを受けとる女の気持ちなんて考えもしない」 「ミス・ノエル」 ノエルはヴィンセントの腕にメアリベルをそっと抱かせた。 「亡くなった旦那さまはあなたを愛していたと思います」 猫の像に書かれたメッセージをノエルは知っているのだろうかとヴィンセントは考える。 ノエルは窓に近づいて外を眺めた。 「あなたを呼ぶのは誰かしら? 騎士気取りさん」 ヴィンセントは沈黙する。ノエルもまた沈黙する。 メイドたちの明るい歓声にアマリリスは微笑んだ。 全員での調査を切り上げたが、個人的に気になることがあっておしゃべりなメイドたちを中心に口説きつつも情報収集を再開したのだ。話をするなら可愛い人、きれいな人が良いに決まっている。 「亡くなった旦那様は調べものをしていたのよね」 「ときどき猫の像のところに歩いていったわ」 メイドたちはきゃきゃと語る。 前主人は使用人たちに人気だったようだ。物静かで、滅多に怒鳴らない。身体が弱いこともありほとんど屋敷から出ることもない彼は知識を愛し、美しいものを愛でた。 ノエルを娶ったあとはとても幸せそうだったが、夫婦に子どもが出来ないことは頭痛の種だった。 「そういえば、ノイッシュさまとオスカーさまは何度もノエルさまに詰め寄っていたわ」 「そうそう、やっぱりな、とか、お前のせいだとか」 「けど旦那さまは跡継ぎが出来ないことをあまり気にしてなかったわ。このお家が代々猫を飼っているのは、もともと御世継さまがなかなか出来ない慰めのためだったそうだし。ただご兄弟さまが借金が苦しくなったのか何度もお越しになっていたのと、ノエル様が彼らにお金をこっそりとあげているのを知って、とても悲しげだったわ……事故のときなんて、ご兄弟にわざわざ会い行ったせいなの。なにか大切なお話があるとかで、けどその帰りに事故にあわれて、なんてかわいそうな旦那さま」 メイドたちにはお礼に花を渡してアマリリスはオスカーの部屋に訪れた。 オスカーは昼間からだというのに酒を飲んで、酔っ払っていた。 それが目の前の恐怖からの逃避にアマリリスには見えた。 「やぁ、君はどんな作品を書いていたのかな?」 「そんなことお前には関係ないはずだ。用がないなら出ていってくれないか」 「夢が破れて、すべて終わたのか? まだやることはあるんじゃないのか?」 アマリリスの言葉に逆上したオスカーは酒瓶を投げつけた。アマリリスはひょいと避けるのにオスカーは怒鳴り散らした。 「お前になにがわかる。知った口を叩くな! 私は、私はノエル、ノエルだけのために書いたんだ! あの女! 私が見つけたのに! あいつを騙してまんまんとこの家をのっとりやがって!」 「騙した?」 酔ったせいで口が軽くなっていたことを自覚したオスカーはすぐに目を逸らした。アマリリスはついと視線を自分の足元にやった。 「最後の質問だ。猫は嫌いか?」 「なっ、ひいいいい、死んだはずだ!」 オスカーはアマリリスの足元にいる猫を見て悲鳴をあげて後ずさり、足をもつれさせて倒れると、失神してしまった。 「猫が嫌いなようだな」 幻覚を消したアマリリスはオスカーの言葉が気になって失礼ながら机を物色することめに決めた。書いては破いた作品たち、そこに一作だけ残っていた――「ノエル」 「これになにかヒントがあるのか?」 ノエルが犯人なら今夜、なにかするだろうと撫子は早速仮眠をとる。テオはやることがあるとキッチンから拝借した魚を持ってふらふらと屋敷の探索に出かけてしまった。 ヴィンセントとアマリリス、それに子猫のメアリベルは事件の情報を繋ぎ合わせはじめた。とはいえ子猫は鳴いて毛づくろいに忙しい。 「調べ結果、ひとつの、あまり不愉快な憶測が持ち上がった」 「というと?」 「ノエルは二人の男に脅されていたのだと思う。オスカーに会ったが彼の書いた「ノエル」という作品……あまり気持ちのいいものではなかった」 「拝見します」 ヴィンセントは原稿を読み始めてすぐに顔を強張らせた。 美しい女「ノエル」は娼婦から女優へ、さらに貴族の男性と恋に落ちる。しかし、彼女には子どもが出来ないのは、彼女が身体を売り続けた罪のせい――。 「オスカーはノエルに並々ならぬ激しい執着を抱いているようだった。ふられたからこそノエルの秘密を握り、彼女を脅すことにしたようだ。ノエルは私に昔、なにをしていたのか隠そうとはしなかった。けれどそれはもっと別の、そう、子どもが産めない身体であることを隠すためだったのかもしれない」 「これが」 「子どもが産めないとわかれば、彼女はこの家から追い出されてしまう可能性が高い。この原稿以外はっきりとした証拠はないが、あの二人は都会にいて、女優をしていたノエルを知っている。この真実を屋敷の人間たちが聞いたらどちらを信じたか、それに調べられてはノエル自身が困ることになったのかもしれない。真実、夫婦には子どもがいない……それに部屋を探索して発見した布はノエルの服と仮定するとあの夜にあったことはだいたい想像が出来る」 ここからは不愉快な想像だが、とアマリリスは前置きした。 「あの二人とて馬鹿ではないからノエルを呼び出すのにアリバイを作ろうと考えたんだ。それがあの激しい言い合いだ。弁護士の話では一方的な、それも激しいものだったそうじゃないか、つまり、聞かせるためにわざとやったのさ。あたかも二人はそこにいるように見せかけた。 脅されたノエルはノイッシュの部屋に訪れた。もしかしたら、この原稿を処分したかったのかもしれない」 ちぎれた布は何があったのか語っている。 「待ってください。それではメイドが聞いた鈴の音の関係は?」 「実はそこがわからないんだが、そうしてアリバイを作ったノイッシュはノエルを部屋に閉じ込めた。そして猫の像をとってきた。 メイドが見たというノイッシュの後ろ姿はノエルだったのじゃないのかと思う。この屋敷はかなり古く、夜はかなり暗いからよほど近くによらなくては顔がわからない。メイドは背中と衣服だけでノイッシュだと思ったそうだ。彼女は閉じ込められ、さらにノイッシュの上着を使う必要に迫られたのかは……口にしたくない」 アマリリスは不愉快げに吐き捨てた。 部屋に訪れ、襲われて部屋に閉じ込められたノエルにノイッシュはまんまんと盗んだ猫の像を見せつけた。これを売るなど口にしたのかもしれない。 それに逆上したノエルは一瞬の隙をついて彼を殺し、上着を奪った。 ノエルが上着を奪ったのは、そうでないと外に出られなかったからだ。――ヴィンセントも薄らと理由は理解した。ノイッシュは力を使ってノエルの服を奪い取り、びりびり破き、裸となったノエルを部屋に監禁したのだ。その挙句に猫の像を盗み、見せつけた……吐き気を覚えるほどの嫌悪感が込み上げてくる。 上着を盗んで逃げるノエルに暗がりの廊下を歩いて声をかけてきたメイドを叱りつけたのは元女優であるノエルの声真似だった。 「しかし、死因は本当に頭を打ったせいでしょうか? ノイッシュの頭にはたんこぶが出来てましたが」 「そうだな。指の先にある傷も気になる」 ヴィンセントは考えるように目を細めると唇を指で撫でた。 【最愛のノエル 私の愛をキティに託そう。キティがあなたを守りぬくように祈っている】 メッセージが一つの真実を告げているのだとヴィンセントはようやく気が付いた。 「ヴィンセント?」 「すいません。ノエルの夫の部屋はどこですか? 確認したいことがあるんです」 ヴィンセントが立ち上がったとき、ノックが彼の動きを止めた。 「お客様、晩餐の時間です」 メイドが恭しく頭を下げた。 子猫のメリアベル以外が席についた。 余った一席を使用人たちは訝しがったが、ノエルは何も言わず、猫の置物と壱号、ガラハッドをその席に置いた。 つつかなく、晩餐は進む。 「気になっていたんですけど」 テオが切り出した。 「どうしてノエルさんは黙っているんですか」 「なんのことですか」 「本物の猫がいることを」 ノエルは顔を歪めるとオスカーは怪訝な顔をした。 「日当たりのいい場所やクッションなどを探すと、猫の毛があったんです。思えば、猫の像の置物があるくらいですし、その猫の子がいないはずないですよね? それで、探したんです」 にゃあ。 オスカーが顔を強張らせた。 「猫は死んだと聞いたぞ!」 「それが嘘だったわけです。ほら、ここに!」 テオが持ち上げた猫にオスカーは驚愕の悲鳴をあげた隙をついてノエルは素早く立ち上がった。 「いけません」 ヴィンセントがギアを握り、ノエルの前に立ちふさがる。 「あなたに人を殺してほしくありません」 ノエルは沈黙する。口元に作り上げられた笑みに彼女の叫びも囁き、そして拒絶も存在した。 見つめ合ったのは一瞬。 ノエルはヴィンセントに背を向けて高らかに笑った。 「はじめから、ばれるとは思っていたのよ。だから最後にこの男も殺しておこうと思っていたのにキティを見つけられてしまうのは誤算だわ、お見事ね、探偵さんたち!」 「この屋敷の使用人は猫がいても不審がりませんでした。それに猫相手には本音が出るみたいですね。可愛い赤毛の子猫にお友達と言っていましたよね」 テオの言葉にノエルは大げさに肩を竦めた。 「ああ、あの赤毛の子猫はあなたたちの仲間だったの? 誤算だわ。もっと利口なやり方を考えるべきだったわ。けれど猫は隠していられないもの」 にゃあ テオの腕にいる猫にノエルは近づくと優しく抱き上げた。 「ノイッシュさんは部屋に生きた猫がいたのに驚いて転倒したんですね?」 「そうよ。けどトドメをさしたのは私。猫の像の睫毛に毒を塗っておいたの。貪欲な人が罠にかかって死ぬようにね。あの人は猫の像を盗むことはわかっていたもの。気絶しる隙に毒を塗ったら、案の定! この子は私を守っただけ。ありがとう。キティ」 「キティちゃんですかぁ☆ 像の子と同じ名前ですぅ☆」 「代々その名なの。像のキティは基本的に名前で呼ばないようにしているのは、この子が自分のことだと思って姿を出してしまっては困るから」 ノエルは生きたキティを床に置くと微笑んだ。 「さぁ、探偵さんたち、報酬として猫の眼をもっていって。これがあるから争うならば、なくなったほうがいいもの」 「お前、勝手に! この売女めっ! よくもよくもぉ!」 オスカーが声をあげて殴りかかろうとするのに子猫のメリアベルが飛び出してその足をももつれさせ、撫子の怒りのアッパーが飛んだ。 「女性ぃ、手をあげる男性は最低ですぅ☆」 にゃあ。メリアベルは可愛らしく鳴いた。 ヴィセントがノエルを見つめる。 その視線に気が付いたノエルはゆっくりと振り返り、優雅な微笑を浮かべ、スカートの端を掴んで頭をさげた。
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