2月――壱番世界の日本では女の子がそわそわしだす季節。男の子も別の意味でそわそわするかもしれない。 1月の下旬のお正月気分が抜ける頃から、街のディスプレイも商品陳列も、ソレ専用になっていくのだ。 バレンタインデー 普段は内気な女性も、思い切って思いを伝える日――いや、草食系男子、肉食系女子とか流行っているから、普段から女性も押せ押せかもしれないけど! その日、世界図書館のホールの隅の方にいくつか椅子が置かれていた。そしてその椅子に座って話し込んでいるのは銀髪の少女二人。緩いウェーブとストレートという違いはあれど、遠くから見れば二人はまるで姉妹のように見えた。「壱番世界では、バレンタインデーはチョコを送るんでしょ? 近年は義理チョコの他に友チョコとか感謝チョコとか世話チョコとかもあるらしいね?」「緋穂様、一番重要な『本命チョコ』をお忘れですね」「あ、忘れてたよー。だって私には本命渡す相手なんていないし?」 とりあえず、突っ込むところはそこでいいのだろうか。壱番世界の日本外出身のそこの彼女。 そう、女子同士トークに花を咲かせていたのは、ウエーブの方は世界司書の紫上緋穂(しのかみひすい)。ストレートの方はコンダクターのユリアナ・エイジェルステット。「ところで、女性からチョコを渡すというのは日本の風習なので、海外では男性からプレゼントを送ったり、男女どちらからでもプレゼントを贈り合ったりするのですよ」 やはりちゃんとつっこまずにはいられなかったようである。だが。「ああ、逆チョコとかもあるしね?」 緋穂は根本的に日本のことしか理解していないようである。「チョコにこだわるのは日本だけのようですけれどね」 製菓会社の陰謀とかいう噂はとりあえず飲み込んで、ユリアナは苦笑する。何十年もコンダクターをやっていれば日本に滞在していたこともあるので、ある程度の知識はある。「ところで、バレンタインがどうかしたのですか?」 図書館に入ってきたユリアナを待ち受けるかのようにして捕まえて、緋穂はこへと連れてきたのだ。そして出たのがバレンタインの話題である。本命チョコを渡したい意中の相手がいるわけでもないならば――。「壱番世界のイベント好きとしては、やっぱり抑えておきたいかなぁって。ちょっと忙しくてクリスマスは逃しちゃったからね」「ああ、なるほど……。で、何をするのですか?」 ユリアナの柔らかい問いかけに、緋穂はわくわくした気持ちを隠さず、キラキラの瞳を向けて。「うん、チョコレート作りをしようかと思って。私、デコとか好きだし、デコチョコ作ってみたいなぁって」 でねでね、とずいと身体を乗り出した緋穂の話はまだ続く。「わたしあまり料理とかしないから、一人だとちょっと心細いなぁって。だから一緒に作ってくれる人、探そうと思うんだけど、チョコ作りだけじゃ寂しいかなぁって」「……えと、ということは、私は料理の指導に呼ばれたわけではないのですね?」 ユリアナが小さく小首を傾げると、さらっと音を立てて髪が数房動いた。キラリと光に反射して、銀糸が輝く。「勿論他に誰もいなければお願いするつもりだけど、でもせっかく声をかけるなら、興味をひくことがたくさんあったほうがいいじゃない?」「と、いいますと……」「わたしはチョコ作り。ユリアナさんにはプリザーブドフラワーを使ったアレンジメントとか、布で作るコサージュの指導をお願いしたくて」「アレンジメントですか……コサージュなら大丈夫ですが、アレンジメントはあまり経験が……」「大丈夫大丈夫、手芸と同じだよ。ビーズとかニードルとか使うものもあるでしょ? あと、スイーツアクセとかはシリコンとか使うじゃない? センスが大事なのは変わらないから」 それなら、とユリアナは頷いた。昔から、手作業は大好きなのだ。「プリザだったら枯れないし、ドライフラワーみたいにしわしわにもならないしね。実際にない色も作れちゃう。布のコサージュはそれこそ色々な素材や模様で作れるでしょう?」「ええ。胸元につけるだけでなく、ヘアアクセサリにつけたり、鞄のワンポイントにしたり、使い方も様々です」「だからね、そういうの貰ったら、貰った人は嬉しいと思うんだ。作るのは比較的簡単かもしれないけど、手作りの品ってすごい思いがこもると思うし。布とかは、ユリアナさんの持っているハギレとかを譲ってもらえれば嬉しいんだけど、プリザ用の花はうちの温室で摘んで、アレンジするだけにしておくから」 ……温室? 『うちの』? 聞き返してみれば「そう、うちの温室」と何事もなかったかのように答える緋穂。「場所はうちでいいよね。リビングと繋がった広めのキッチンがあるから」 よく聞いてみれば、緋穂は広めの3LDKの二階建て一軒家に一人で住んでいるのだという。 一階は広めのキッチンとダイニング、そして繋がった20畳のリビングとバストイレ洗面所。2階には部屋が3つとトイレと洗面所。おまけに小さな庭と、温室があるのだとか。「え……本当にお一人なんですか?」「うん」 一人でそんな家に住んで、寂しくないのだろうか――ふとユリアナの胸をそんな思いがよぎったが、今はそれを聞いてはいけない気がして、「では他の方にも声をかけましょう」と笑顔で椅子から立ち上がった。「うん!」 無邪気に笑う緋穂の笑顔は、本当に嬉しそうだ――。
●時間を楽しみたくて それぞれが地図を手に、その家を訪れた。ファミリーサイズの一戸建ては意外とすぐに見つかり(庭に温室がある家なんてそんなにごろごろとあるわけではない)、時間の多少の差はあったが五人のロストナンバーはそれぞれその扉を叩いた。 「ここでプリザーブドフラワーを作れるッて聞いたンだが……合ってるかい、お嬢チャン?」 ただしジャック・ハートだけは叩いたのは扉ではなくリビングに面した窓であり、緋穂に「そーだよ。いらっしゃーい」と招き入れられるままに窓から家へと入ったのだが。 (紫上様とチョコ作りなんて素敵! 早速お宅拝見……) 次いで緋穂に促されてリビングへと足を踏み入れたのはサシャ・エルガシャ。ぴたりと足が、いや身体全体が硬直する。 「って、ロキ様!?」 「サシャ!?」 すでにリビングに隣接したキッチンで材料を広げていたのは、彼女の想い人――いや、恋人といっていいんじゃなかろうか――のMarcello・Kirsch――ロキその人だ。 (そ、そんな……本人とチョコ作りなんてサプライズが台無しに!?) サシャの表情が若干引きつる。ロキも材料の入った袋を手に固まっていることから、それぞれが同じ思いであることが察っせられる。 「だ、大丈夫よサシャ落ち着いてワタシやればできる子」 くるっと身体ごと振り返って口の中で呟く。ぐっと両の拳を握って自分に言い聞かせたところ、ほむ、と肩に触れる手が。 きっと大丈夫だから落ち着いて――何か言いたげな瞳で頷く緋穂から感情を読み取るようにして、サシャも頷いて覚悟を決めた。 「サシャさんとジャックさんはお久しぶりですね。他の方は、初めまして」 最後に到着した春秋 冬夏(csry1755)が顔見知りを見つけて笑む。やはり見知った顔があると安心というか、嬉しい。 「あっ、チョコじゃないんですが、バラとスミレの砂糖漬けを飾ったハート型のエンジェルケーキ作ってきたので、良かったらお茶の時にでも」 「わぁ、ありがとう!」 これを作っていたら少し遅くなってしまって、と笑った冬夏からケーキの入った箱を受け取り、緋穂もまた無邪気な笑みを返す。 「お菓子作り、お好きなのですか?」 冷蔵庫へと運ばれていくケーキの箱をチラリと見て、神園 理沙が冬夏に尋ねる。 「うん。でもレシピ通りに材料を計るというよりも、勘で作っちゃうんだけどね。お姉さんは?」 「お菓子は何度か作ったことがありますけれど、わからないこともあるとおもいますので、その時は教えてもらおうかと」 「そっか。上手くできるといいね!」 冬夏の言葉に心を暖かくして、理沙は「はい」と微笑む。 「じゃ、はじめよっかー」 緋穂の明るい声が響き、それぞれがキッチンとリビングに別れて制作に入ることとなった。 ●料理に想いのエッセンスを 広いキッチンは真ん中に、料理教室やレストランの厨房のようなステンレス風の作業台があり、そこは四人がそれぞれの材料を広げても十分な広さがあった。 チョコ作りを始めるのは理沙とロキ、サシャに緋穂。それぞれ作ろうとしているものは明確に決まっているようで、黙々と作業が始まる。ちなみにサシャは少しでもサプライズ感を大事にしたいのか、ロキから一番離れた位置で作業を始めていた。 (さ、ロキ様に渡すチョコを作ろ) さすがに料理は慣れているからか、サシャの手際はとても良い。硬いチョコもざくざくと刻み、温度計を使って湯煎によるテンパリングにも余念がない。 甘さ控えめのチョコを型に流し込む。あっという間に冷やすだけになりそうだ。 「ええっ!? もうできたの!?」 隣で漸く湯煎を始めた緋穂がサシャの手元を見て驚きの声を上げた。 「仕上げにオレンジピールを入れれば、後は冷やすだけですっ。あ、終わったら器具も洗っておくので必要だったら使ってくださいね」 「うん。さすがだねー。でも、なんか私のチョコ、サシャさんのみたいに綺麗な色にならないんだけどー」 ぐにぐにとゴムベラで溶かしたチョコを混ぜる緋穂。お湯が入り込まないようにだけは注意しているが、ツヤが出ないのだ。 「ああ、それなら温度計を使ってください。コツがあるんですよ」 サシャは自分のチョコレートを冷蔵庫に入れると、緋穂の後ろに立ってテンパリングについて指導をはじめる。それがどうにか落ち着いた所で、緋穂が小さな声で囁いた。 「勿論、本命だよね? サシャさんにとってロキさんってどんな人?」 「ええっ!?」 「私も、聞いていてもいいですか?」 やっぱりチョコレート作りといえば切り離せないのはノロケ話。緋穂の反対の隣でチョコレートケーキ用の材料を混ぜ合わせていた理沙が話を聞きつけ、ボウルを抱えて距離を詰める。 「え、えっとね、出会ったのはドバイだったの。出会いは勿論のこと、ターミナルでの初デート、モフトピアでの運動会……どのロキ様もすごくかっこよかったんだから!」 照れながらも饒舌になったサシャの手は、布巾で洗ったボウルを磨き続けている。ステンレスのボウルは無意味なまでにピカピカしていった。 「でも、時々不安になる」 「不安ですか?」 小声で問い返した理沙の言葉にサシャはこくん、と頷いて。 「ワタシ200年近く生きてるのにドジでおっちょこちょいで、あの人には釣り合わないんじゃないかって……」 しゅん。ボウルを磨く手を止めてため息をつくと、心なしかボウルが曇ったような気がした。 「私が偉そうに言うことじゃないかもしれないけど……釣り合っている釣り合っていないって誰が決めるのかしら?」 チョコレートを混ぜ込んだ生地をケーキ型に入れつつ、理沙が不思議そうに言葉を紡ぐ。 「当事者以外から見て釣り合っていないように見えたとしても、その人達には関係ないことよね? それに本人達がお互いを必要としていて、想い合っているなら、想いが釣り合っているなら、何をもってして釣り合っていないって評するのかしら?」 互いの想い以外に必要なものはあるのでしょうか? ――それははきっと、理沙自身が心に持っていることなのかもしれない。理沙の家族は職業柄ちょっと特殊で、普通の女子高生である彼女はある意味他の家族とは違う。だがそれでも彼女は『家族』なのだ。他人が一般人と芸能人と線を引いても、彼女達は互いを家族だと思っている。だから。 「互いの想い以外に、気にしなくてはいけないものなどない、ってことかなぁ?」 チョコを型に流し入れながら緋穂が漠然と口にする。実際は周囲の人々のこととか避けて通れないものはあるけれど、それでも一番重要なのは互いが互いを思う想いが釣り合うこと、そういうことなのだろう。 「そう……ですね」 眼から鱗が落ちたような気分でサシャは笑みを浮かべて。 「でも、不安になってしまうのも恋の醍醐味ですしょうから」 「大丈夫です、そこらへんはわかっていますからっ!」 不安になったことを責めているわけではないのですよ、と理沙。サシャが頷けば、安堵が広がって。 「ワタシ、花束を作ろうと思うんてすけど、神園様もいかがですか? ケーキはオーブンに入れてしまえば焼きあがるまで時間ができるでしょうから」 「そうですね、じゃあ私もお花をもらおうかしら」 オーブンを設定して、理沙とサシャは一足先にリビングへと連れ立って行った。 *-*-* まさか、彼女と一緒になるとは思わなかったな――胸の内で苦笑を浮かべつつ、ロキは作業台に広げた色とりどりの製菓用チョコレートを刻んでいく。近年は刻まないでそのまま湯煎できるタイプや電子レンジで溶かすタイプもあるようだが、変わった色となるとやはり自分で刻まなれけばならないものが多い。 変わった所では紫芋パウダーを持ってきていた。ターミナルの店で当然のように売られていたセクタンの金型を使って、セクタンチョコを作る予定だ。 だが、渡す相手にここで遭遇してしまうことになったのは計算外で……どうしようかとおもったがそれは相手も同じようで、彼女は自分と離れた位置で作業を始めている。ちょっと寂しいような、けれども彼女の気持ちもわかるからちょっと安心したような、複雑な気持ちが胸を占めて、苦笑が漏れたのだった。 沢山の種類のチョコを大量に刻むのは結構労力がいる。男性であるからして女性ほどに力作業とは思わなかったが、それでも量が多い。大量なのは作るのが本命チョコだけではないからで。読み書き計算と地理を教えている孤児院の子供達のおやつ用だ。バレンタインの歴史を教えた後、おやつにチョコを配るのである。子供達の喜ぶ顔が眼に浮かぶようだ。 それに、緋穂にも後で友チョコを贈ろうとも考えている。 「……ん?」 あらかたチョコを刻み終えて顔を上げると、女子三人が調理台の隅に固まって何やらここそと話をしている。 (まあ、女子同士話したいことがあるのだ――) 「出会いは勿論のこと、ターミナルでの初デート、モフトピアでの運動会……どのロキ様もすごくかっこよかったんだから!」 「なっ……!?」 女子の話の邪魔をしないようにと湯煎を始めたロキの耳に飛び込んできたのは、愛しいサシャの声。動揺のために思わず声を上げてしまったが、零れたお湯を布巾で拭き取りながらチラリと彼女達の様子を伺う。 どうやらロキに聞こえているとは思っていないようで、彼女達はそのまま話を続けていた。 (聞こえているんだけど、な……) なんとなく居心地の悪いような、こそばゆいような気分で作業を再開する。自分の彼女が自分の話をしているというのは、なんだか恥ずかしいけれど嬉しい。頬が赤くなっているのを誰も気づかなければいい――そんなことを思いつつ手だけはさくさくといつもの倍の速度で動かして。 彼女達の話をわざとではないとはいえ聞いてしまうのも申し訳なくて、作業に集中した結果、セクタンのヘルブリンディに手首を引かれるまで夢中になってしまっていた。 「もう食べちゃったのか?」 甘いもの好きのヘルブリンディには作っているものをつまみ食いしないようにと釘をさしてチョコの欠片を与えていたのだが、それはとっくに食べ終わってしまったらしい。 「仕方ないな……。ほら、これ」 最初に作っておいたロボットフォーム型のチョコレートは、冷蔵庫から出すと漸く固まった状態で。少し柔らかいかとも思ったが差し出されたチョコを器用に持って、ヘルブリンディはじっと見つめる。 (自分の姿と同じだとわかったのか?) 若干の沈黙の後、ぱくり、とチョコに噛み付いたヘルブリンディ。いつもより大事に食べ進めているような気がして、ロキの頬が緩んだ。 ●花が表す愛の形 リビングにはローテーブルが3つほど出されていて、その上に乗せられているものを見ればこの日のために追加で出されたテーブルだということがわかるだろう。一つにはラッピング用品が広げられていて、一つには裁縫セットと布が。もう一つにはプリザーブドフラワー用に加工された様々な花が並べられている。 「わぁー、すごい量だね。選り取り見取り!」 他の場所でチョコを作ってきたという冬夏は、まずはそのチョコをラッピングさせてもらうことにした。 「う~どれがいいかなぁ。この色もいいし、こっちのめずらしい包装紙もいいし。でも袋だとちょっと味気ないかな?」 「袋でも、口を止める時にちょっと工夫したり、リボンの止め方を工夫するとぐっと素敵になりますよ。濃い色の袋に入れた後一回り大きい半透明の袋に入れるだけでも、とても手が込んでいるように見えますから」 迷いに迷ってラッピンググッズの乗ったテーブルの前でブツブツつぶやいていた冬夏の横に、さっと人影が現れる。リビング側で手伝いを頼まれたユリアナだ。 「ユリアナさん、ご指導、お願いします!」 ぺこっと勢い良く頭を下げた冬夏に一瞬驚いて、そしてユリアナは「こちらこそ」と優しく微笑んだ。 「何色が良いでしょうか。やはりバレンタインといいますと、ピンクや赤、白などの甘い色が多くなりがちですが、他の色でも可愛い柄は沢山ありますし」 「そうですよねー。これだけあると、逆に迷っちゃいます」 包装紙や袋とリボンや留め具を組み合わせてはああでもないこうでもない、あっちのほうがいいかもしれないと繰り返す。面倒な作業に見えるかもしれないが、実はこれが意外と楽しくて。 最終的に冬夏が選んだのは、クリーム色の包装紙と濃い目のピンク色をした透け感のある、布のような包装紙。最初にチョコの入った箱をクリーム色の包装紙で包むのだが、不器用な冬夏には少し難易度が高い。上手く箱の大きさに合わせて折ったつもりが片方は箱より大きくて飛び出してしまい、反対は箱より小さくなったり。直そうとすれども一度紙についた跡は殆ど消えない。 「どうしよう……」 「大丈夫ですよ」 ため息を付いた冬夏の手を、ユリアナは優しく覆って。 「包装紙の予備はまだありますから、やり直したいと思ったらやり直されると良いです。お気の済むまで」 私もアドバイスはさせて頂きますから、と続けて。 「けれども一番重要なのは、見た目は買ったもののように綺麗にいかなくても、冬夏様が頑張ってご自身の手で包まれたということだと思います」 「そう、だよね」 冬夏は決してこういった作業が嫌いなわけではなくて。むしろ好きなのだが、気持ちに手がついてこないのだ。だから、心はたくさん込めてあると自慢できる。 「じゃあ、このままがいいな。こっちの包装紙の巻き方、教えてください!」 『このままでいい』ではなく『このままがいい』。決めた冬夏は濃いピンク色の包装紙を差し出して。 ユリアナの指導により、濃いピンクの包装紙は箱を包み、上の部分は袋を閉じるように波打って止められた。リボンを巻いて、花の形にしたリボンを留めて。濃いピンクの包装紙は単体では少しきついイメージがあったが、透けて見えるクリーム色が柔らかい色へと仕上げていた。 「有難うございます! あと、コサージュも作りたいんです!」 いいですか? と首を傾げる冬夏。ユリアナは勿論頷いて。 「では、あちらのテーブルから使いたい布を選んでくださいね。決まったら声をかけてください」 「はい!」 布も無地から柄物まで沢山だ。使う布を選別するまでには、まだ時間がかかりそうだった。 *-*-* 「で? どんな花がある? アマリリス、カトレア、カスミソウ、カーネーション赤、ジャスミン、チューリップの赤、白、紫、スズラン、デンファレ、斑のバラ、ライラック、スイトピー……あればソレで作りてェワ」 「……随分と沢山ですね」 目を白黒とさせながら、ジャックが何かの呪文のように一気に告げた花の有無を確認するユリアナ。そんな彼女を見て、ジャックは笑う。 「一応、ご要望のものは全部揃うと思います。緋穂様がご自身の温室と、ターミナルの花屋から色々なお花を仕入れられたそうですので」 その緋穂は今、キッチンでチョコ作りをしている。 「ン? 色は調合して好きに出来るンじゃねェのか?」 「ええとですね……プリザーブドフラワーは特殊な液に生花を漬け込んでおく都合上、すぐに色を変えて使えるようにするのは無理だそうです」 「成程……ここにあるのはその処理を事前にやってあるヤツってことか」 緋穂から聞いた説明を伝えるユリアナは上手く伝わるかびくびくしていたが、ジャックはすぐに事情を察して。ユリアナの差し出した花籠を手にする。中には特殊なウレタンの塊が入っていて、それに挿していくだけで簡単に花籠が作れる。 「花の色とサイズのバランスを考えて、配置をイメージしてください。挿し間違えても何度でも挿し直せますから。ウレタンの替えもありますし」 「あぁ成程……OKOK、大体分かった。手先は器用なンだヨ、俺ァ。イメージさえ出来りゃァ完璧だゼ」 一輪一輪花を見て、イメージ作りを行なっているジャックの横に、葉などの飾りを置いて、ユリアナは尋ねる。 「プリザーブドフラワー、お好きなのですか?」 「俺は生花が好きだ。枯れるのまで含めてナ」 「では、何故……?」 お相手の方がお好きなのですか、と濁された言葉の奥から聞こえて、ジャックは花から視線を逸らさずに答える。 「そりゃ生き物が嫌いな女に貢ぎに行くからだヨ。布で作ったら目にも止まらねェ。花であることに意味がある。投げ返されたりその場で捨てられりゃァ最高だゼ」 「……え?」 籠のラッピング用にと持ちだした巻きリボンを手にしたまま、ユリアナの動きが止まる。ジャックの言葉の意味がよく理解できなかったらしい。だから、座り込んで作業をする彼の上から降ってきた言葉はこの場としては救いで。 「ジャックさんって……マゾ?」 「誰がマゾだッ!」 間髪入れずに突っ込んで、声の主を振り向く。そこにはチョコレートが固まるのを待っている間にとキッチンから出てきた緋穂が立っていた。 「人嫌いからそこまでの反応引き出せれば最高だッて言ってンだヨ。そのまま脇に置かれる方が最悪だゼ……後で捨てるッて意味だからナ」 「あー、なるほどー」 頷いて、ジャックの隣にしゃがむ緋穂。 「でも、どっちにしろ捨てられるのかー。悲しくない?」 「うるせェ、大人の色恋にゃいろいろあンだヨ」 「なんでチョコにしないの?」 その問いに、ジャックは一瞬口を閉ざして。そして、ゆっくりと開く。 「……いくら好きでも、喰いモン目の前で捨てられると腹立つだろ」 なるほどねぇ~と感心したように呟く緋穂の横で、ジャックは手際よく花を生けていく。 「どうだ?」 「すごい! 初めてにしては上出来だよ」 自信たっぷりに示された花籠は、あれだけの種類の花を詰め込んだにもかかわらず不思議とごちゃごちゃした感じはなく。だが何かがあれば一気にその調和が崩れてしまいそうなそんな雰囲気で作られていた。ジャックは籠自体にはラッピングをせず、おもむろに取っ手を掴んで立ち上がった。 「さァて、麗しの茨姫に会いに行くか」 「もう行っちゃうの? お茶会の無理強いはしないけどさ」 来た時と同じように窓から帰ろうとするジャックの後ろに立った緋穂に尋ねられ。 「早く愛しのヴァネッサに会いたいもんでね」 「そっかー。うまくいくといいね」 「あぁ、ありがとナ。テメェらのバレンタインが善き日であることを祈っててやるゼ、ゲヒャヒャヒャヒャ」 笑って左手を上げて、ジャックは庭を通って家の敷地から出る。背後から「ヴァネッサって……えぇっ!?」なんて声も聞こえたが、ふっとひとつ笑みを浮かべた後に真顔に戻る。 「ヴァネッサ……アンタのシュミを否定する気はねェ。増やしてほしいだけなンだヨ、俺ァナ」 命無き物のみに情熱を傾ける人間は危うい。他者との交わりが煩わしいからこそ生きるのは楽しいのだ。 彼女がそれを理解するまで、後どれくらいかかるだろうか――。 *-*-* 「お邪魔しまーす」 冬夏がコサージュ用の布を探していると、キッチンからサシャと理沙が連れ立って出てきた。チョコ作りが一段落したらしい。 サシャは花の置かれている辺りに行き、迷わず選んだのは純白のカサブランカ。 「爽やかで気高いロキ様をイメージしたの。これにシンプルで清潔なコバルトブルーのリボンを巻いて贈ろうと思うの」 「あ、コバルトブルーのリボンなら、そのテーブルの奥にあったよ」 先ほどラッピング用品とにらめっこしていた冬夏が教えてあげると、サシャは「ありがとう!」と元気に告げて。 しゅるしゅると器用に飾り紙とセロファンで花を包み、リボンを巻いていく。枯れない花は枯れない想いの証。 「私はガラス瓶に飾らせてもらおうかしら」 理沙が選んだのはプリムラ・ジュリアンとプリムラ・オブコニカ。同じセイヨウサクラソウだがそれぞれ違いがある。渡す相手をイメージしたものだ。双子であっても、それぞれ違いがあるのをわかっていますから、そんな気持ちで。 「なんて書いたの?」 「わわっ!!」 真剣な表情でメッセージカードに何かを書き付けるサシャを、冬夏が後ろから覗き込んだ。サシャは慌ててカードを隠したが、相手が冬夏だとわかると照れた表情でカードを取り出して。 「は、恥ずかしいんだけど……」 『大好きなロキ様へ これからもよろしくね』 可愛らしい字でそう書かれているのを見て、冬夏はちらっとキッチンへと目を向ける。こちらの作業を邪魔しちゃ悪いと思っているのか、ロキはキッチンで早々に固まったチョコレートを型から取り出していた。量が多いものだから、固まったものから順に取り出して、また型にチョコを流しこまねば数が作りきれないのだ。 「ふふ、いいなー。らぶらぶ」 「そ、そんなっ……」 照れているサシャを微笑ましく思いながら、冬夏は布を手にユリアナの元へと向かった。「ユリアナさん」と声をかけて。 「この、青と白の布を重ねて髪と鞄用のを作りたいんです! それから、赤とか緑とか色んなのを。いいでしょうか?」 「勿論ですよ。では一緒に私も作りますから、真似してみてくださいね」 ユリアナが見本にと手にした赤い布には白い糸が使われている。どこをどう縫ったのかわかりやすくするためにであり、本来は同系色の糸で目立たぬように縫う。 花形に布を切り抜いてから縫い合わせるものから長方形の布を巻いてフワフワした花に仕立てるものまで、コサージュの作り方は色々あった。冬夏が挑戦したのは、その中でも比較的簡単そうな作り方だったのだが。 「う~、やっぱりこういう作業嫌いじゃないんですが苦手です。不器用だから、歪んじゃう」 「この歪みも、味になりますよ。手作りですから、歪みがあるのは当たり前ですから。一つ一つ表情が違うのが、良いところだと思いますよ」 確かに幾つか作ったコサージュは1つとして同じ形のものはない。 「でも、頑張って綺麗なのを作らなきゃ!」 しかしやっぱり作るならば綺麗なものを作りたいと想うのは、当然の心だろう。 *-*-* 「焼きあがったみたいだよ」 キッチンに残っていたロキに声をかけられ、理沙は小走りでキッチンへと戻った。見ればオーブンはすでに停止していて、焼き上がりを示す甘く香ばしい匂いが辺りに漂っている。 「上手くできているかしら……」 キッチンミトンをはめ、ケーキ型を取り出す。竹串を差して引きぬいても、何もついてこない。ということは中までで火が通っているという証拠。底を抜いてケーキクーラーの上に載せる。デコレーションをしたいが、粗熱が取れるまで待たねばならない。 「そろそろ固まったかな」 サシャと緋穂もキッチンに現れ、冷蔵庫の中を覗く。サシャは、子供達用のチョコをラッピングしているロキの視線が冷蔵庫に向かぬ間にチョコを取り出し、型から出す。 「上手くできたっ」 サシャの作ったチョコはテンパリングが成功していて、表面が美しく輝いている。店頭で売られているチョコのようだ。テンパリングは失敗してしまうと白くなったりして目も当てられなくなるから。 「紫上様はどうですか?」 「うん、私も上手く行ったみたい」 緋穂が作ったのは、ウエハースを真ん中に入れたチョコ。表面にはアラザンや砂糖菓子を使ってデコレーションが施されている。サシャの指導のおかげでテンパリングもバッチリだ。 「後はラッピングっ」 「じゃあ、私はケーキが冷めるのを待ちながら、お茶会の準備をしていますね」 「ラッピング終わったら私も手伝うから!」 サシャと緋穂はラッピングに取り掛かり、理沙はお茶会に使うカップやお皿などの食器をリビングへと運ぶことにした。 リビングでは、作業を終えた冬夏とユリアナがテーブルの上を片付けていてくれた。 ●お茶会は甘く 冬夏の作ってきたエンジェルケーキはお茶会のメインとして供され、上手く六人分に切り分けられた。柔らかく、クリームの甘さが程よいエンジェルケーキは紅茶や珈琲によく合う。他にもクッキーやスコーン、ゴーフレットやフィナンシェなども用意され、さながらスイーツパーティのようだった。 「私、恋ってまだしたことないんですが、皆さんはありますか?」 ハート型のクッキーをじーっと見つめて、そして皆の顔をぐるりと見つめたのは冬夏。やはり皆の視線が集まるのはロキとサシャだが、誰しもがこの二人の後に話をする自信と勇気がなかったので、自然と視線は逸れた。 「私は、聞く専門ですね。皆さんの恋愛のお話、聞いてみたいです」 「じゃあ、あのケーキは誰に上げるんですか?」 聞く専門だと宣言した理沙に、興味津々といった様子で冬夏が問う。理沙は「期待しても面白い話はありませんよ」と微笑んで。 「普段お世話になっているお屋敷の人たちに、チョコレートケーキをプレゼントしたいんです。屋敷の双子さんに助けられたことがあるんです」 穏やかな、だがしっかりとした声で理沙は語る。用意したプリザも、双子に上げるつもりだ。 「色々不安もありましたけど、賑やかで楽しく過ごせています。だから、感謝チョコを送りたいって思っています」 そのチョコレートケーキは、お茶会が終わる頃にはデコレーションできるくらいに冷めているだろう。 「なるほどっ。じゃあ緋穂さん……は」 口にして、冬夏は気がついて。思わず自分の口元に手を当てる。 「ごめんなさい!」 「え? あ、ああ……別に気にしなくていいのに」 世界司書である緋穂はロストメモリーだ。ロストメモリーになった時、記憶は封印されている。ロストメモリーの過去は触れてはいけない、触れる事はできないというのが一般的だ。 「というか、司書になってからのコイバナがあるかもしれないとかそういう考えはないの!? いや、特にないんだけどさ……」 自分で勢い込んでおいて落ち込んだようにがくりとうなだれる緋穂に、笑いが起きる。 「じゃあ、ユリアナさんは? ありますか?」 「えっ……」 まさか自分に振られるとは思っていなかったユリアナが、けほけほとむせる。一同の期待した視線が、彼女に集まって。 「あの……ロストナンバーになる前の話ですから…もう、150年以上前の話ですが……」 彼女が話したのは、戯曲や小説になりそうな話。疎まれた貴族令嬢に惚れた領民の話。その話は悲劇に終わったけれど、幸せだった時間は消えるものではなくて。テンプレのような恋愛話ではあるけれど、それを体験してきた人がいるのだから、真実味はありすぎる。 「ごめんなさい、あまり楽しい話ではなくて。やはり、ここはお二人の――」 ユリアナの言葉が止まる。それに倣ってロキとサシャを見た他の三人も、自然と黙って。 ユリアナの話で涙を浮かべたサシャに、ロキがハンカチを差し出していた。そのハンカチは、そのままそっと彼女の瞳に押し当てられて。 誰からともなく、音もなく席を立った。そのままキッチンへ移動し、そっと二人を見守る。 「ロキ様」 「ん?」 「よかったらこれ、受け取ってくださいませんか?」 ハンカチを退けたロキに差し出されたのは、綺麗にラッピングされた包みと花束。カサブランカの白が眩しい。 「ロキ様の事を想いながら作ったんです。お口に合うか不安だけど……」 「俺からも、これを」 ロキも先ほど包んだばかりの包みを差し出し、微笑む。 「いいんですか?」 「いいもなにも、サシャ用に作ったチョコだから」 彼が本命にと作ったのは、ポンポコフォームのセクタンチョコ。紫芋パウダーを混ぜたホワイトチョコやいちごチョコを使用していて、かなり手が込んでいるのだ。 お互いがお互いのプレゼントを胸に抱き、そして同時に感謝の言葉を告げる。 「ロバート卿が俺達をドバイに招待した……あの時がすべての始まりだった。ロビーで大荷物持って困ってる子がいるな、って」 「あの時からずっと、ロキ様はかっこいいです」 「清楚で素直で、笑顔が可愛くて……間違いなく好みのタイプだけど、俺にはもったいないなって当初思ったよ」 「そんなっ、勿体無いはワタシの方でっ……」 同じような想いを抱えていたのか――サシャの不安は吹き飛んで。代わりに嬉しさとこそばゆさがこみ上げる。 「あのね、ロキ様。お願いがあるんです」 「?」 自分にできることならば、出来る限り叶えてあげたい。ロキは心の中で頷いて。 「いつかロキ様のお嫁さんになりたい。その時はこんな風に素敵なブーケを持って腕を組んで歩きたいの」 「!?」 けれども告げられた言葉に、少しばかり驚いて、心拍数が上がっていく。 「それでね、二人一緒に年をとっていきたい」 告げるサシャの方も平静でいられるはずがなくて。受け入れてもらえるか、重たいと思われないかと心配で、締め付けられる胸が痛い。 (ロストナンバーである限り叶わないかもしれない夢だけど、夢を見るのは自由だよね?) 朱に染まった頬に触発されて、潤んだ瞳で彼を見つめる。 「大好きだよ、ロキ様」 囁くように告げられた愛の言葉を聞いて、様子を伺っていた四人は互いに顔を見合わせて、笑んだ。 ハッピーバレンタイン。 きっかけはなんであれ、物はなんであれ、愛情を伝える日。 愛の形は人それぞれで、他人には理解されない場合もあるけれど、それでも想いは大切なものだから。 色々な思いが、全て伝わるようにと願う日。 この日ばかりは、世界が愛で満ちますように。 【了】
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