鉄を引き千切る共鳴と轟音が鼓膜を貫き、夜明けと見紛う爆炎が目を焼いた。 火に急きたてられて慌てる突風――否、衝撃はやけに熱く、荒野の様相を呈していた頭髪は刹那の暇で湿原となり、しかし一方で飽くなき焦爛は固唾を飲んだ喉をも忽ち干上がらせる。おまけに燃える血と鉄の煙にすえた加齢臭が混ざって、正直息さえまともに出来そうにない。「メイッ……――ゲホッゲホッ!」 だが、俺は叫んだ。「メイ、返事をしろ! メエェーィイ!」 枯れた声を振り絞って、あいつの名を何度も呼んだ。無駄と知りながら。 灰燼と化して尚燃え盛る瓦礫。散り散りとなったミラーガラスは二度と元には戻らない。今の俺達と、同じように…………?「……………………モウ?」 擦れて今にも消えそうなそれは、確かにあいつの。 ――違う! 俺は俺を力場で覆い、灼熱の煉獄を突き進む。「メイ!」「………………モウ……」 床のタイルが小気味良く潰れる。 ――未だ間に合う筈だ。お前が呼ぶ限り。 コンクリートが砕け散り、鉄杭が弾け飛んで罅割れた壁を瓦解させた。 火の手は俺の前を避けて霞み、灯篭の中そっくりなフロアの片隅にへたり込む、――あいつの姿がやっと見えた。 ――償わねばならない。今すぐに。 俺は集中を解き、相棒と――メイと向き合った。 常ならば下座に構える俺が見下ろされるところだが、今日は逆だ。「……遅かったネ」 相棒はそう言うと、わなわなと震える唇の端を無理矢理に吊り上げた。「そうでもないさ」 軽口で答えはしたものの、その時の俺は、相棒が負った致命傷を数える事で頭が一杯だった。右腕は吹き飛び、脇腹は抉れて薔薇色のドレスを更に紅く染め上げていた。あれ程自慢げに曝け出していた脚は二本とも潰され――先刻の爆発に巻き込まれたのだろう――半ば以上炭化している。ご自慢の長い黒髪は方々が焦げて縮れており、見る影も無い。 でも、それでも、メイは美しいと思った。美しかった。「いいザマだな。お前にはお似合いだ」「……私も今そう思ってたとこヨ」 俺の憎まれ口に血と火傷で死化粧した相棒がにやつく。 この年になっても、熱くなった目頭を誤魔化せる程、俺は器用じゃなかった。相棒の姿が滲んで広がる理由が少しばかり早い老眼の兆候か、先刻より左眼に走る激痛ゆえか、それともアル中か糖尿病か、周囲が熱いせいなのか――泣いているからなのか、俺には解からなかった。 もう堪え切れなかった。尚も笑みを絶やさぬメイに俺は手を伸ばした。が――「フフ…………先、いってるヨ……相、ぼ、っ――――」 ――相棒は、崩れ落ちた。 俺が触れる直前。 俺の目の前で。 動かなくなった。 永遠に笑ったまま。 永久に笑わなくなった。「…………またな。相棒」 ――ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ―― 入れ替わりに不愉快極まりない下衆の哄笑がこのフロアに、このビルに、通りに区画に街に国に世界に! 無限の声量で共鳴し、輪唱した。 左眼の痛みは増すばかりだ。奴が――”飽くなき宵の僭主”が近くに居るからか。「……貴様」 それともこれは、俺の、俺の怒りか。 邪魔だ。火も、床も、壁も天井もこの建物も全部、全部、全部!「貴様アアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアアア!!!!!!」 俺の何かが、壊れた。俺の絶叫は俺の身体から俺の力を全方位に止め処なく氾濫させた。火も、床も、壁も天井もこの建物もメイの身体も忽ちの内にバラバラに分解して土埃さえ一分の例外無く血の夕焼けに無数の飛礫が放射され――、 ※ ※ ※ ※ ※ 今、壺中天を媒介にした、あるネットゲームがブームとなっている。 内容は、『魔族の襲来と時を同じくして”力”に目覚めた十七歳の男女が、年頃の葛藤と制御しきれぬ”力”に翻弄され、苦しみながらも、世界を守るべく戦うという――いわゆる超能力物である。 ありがちな内容ながら、参加者の年齢問わず十七歳に扮して悩み、戦うというところが好評を博し、接続率は同時期にリリースされた競合タイトルより頭ひとつ抜きん出るにいたった。以後も順調にユーザーを獲得していたのだが……。「なんかね、よく判らない事になってるみたい。よく判んないんだけど」 それはどうやら、旅人達への依頼らしかった。 世界司書のガラは導きの書と旅人達を交互に見ながら、斜め読みしているとしか思えない適当くさい端折り方でその癖冗長に説明する。「ええと……なんか色々書いてあるんだけど、とにかく遊んでみないと解決できないんだって。というわけで。探偵さんのとこに行ってちょちょいと遊んで楽しくバシっと解決して来て下さいよう」 ※ ※ ※ ※ ※「強制的に四十親仁にされるとか無理ゲーすぎヨ。知り合いがくれた改造コードで女のままログインしたら、いきなりボスキャラに狙い撃ちされてアカBANネ。たまに働こうとしたらコノザマヨ。付き合いきれないヨ」 ふーっと溜息混じりの紫煙を吐くのは、某探偵事務所所属の女性。 本来ならば二人いる筈の探偵事務所は、手狭なのにどこかゆとりを感じる。 件のゲームに原因不明のバグが発生し、更には一部参加者が接続したまま帰らぬ人となっている――そのような報を受けた彼女は相棒共々バグの究明と死亡原因の調査に乗り出し、まずは実際に遊んでみたのだという。「だけどモウは帰らなかったネ。頑張りすぎたのヨ」 彼女はチート行為が原因で早々に撃退された(上に永久追放となった)ものの、その後もゲーム内に留まっていた相棒は、知らぬ間――おそらく彼女が締め出されてさほど経たぬうち――に、息絶えていた。ログによると、彼もまたボスNPCに撃退されたものとみられるが、詳細は不明である。「結局ナニも解からなかったヨ。でも楽しんで死んだんだからモウも本望ネ。そんな事よりロストナンバー達、オナカ空いてない? ゴハンおごってヨ」
力尽くで押し込まれたか押し上げられたか、地割れ一歩手前の長い皹が段差を付け、あまつさえ一度焼け溶けて凝固し直したアスファルトの上には、拉げた道路標識や潰れた信号機と、色とりどりの硝子片、地滑りの如く崩れた後に粉砕されたような格好で雪崩た瓦礫、折れた街路樹、降参した自動車、うつ伏せの自動販売機、ひとりでにからからと進むベビーカー――石と、鉄と、木と、布と、灰と――原型に拘りさえしなければ、本当に何でも揃っていて、故に何ひとつ無い。 そして、時折炭化した人型のオブジェが横たわり、凭れて、折り重なっていた。 埃っぽい乾いた風が、更に塵を舞い上げて。攫って。 街を覆う閑散とした空気を、赤味がかった灰色の積乱雲が助長する。 ヴィンセント・コールが心当たりの無い身の重さと共に――奇妙な事だが――従容たる心地を覚え、次いでカテドラルにも似た厳かで神々しい印象を受けたのは、物質文明下にて生まれ育ちそれを享受し続けて来た己にとり絶望的とも云える眼の前の情景が、恰も、誰もが思い描いた事のある終末の喇叭を吹き鳴らされた後の世界と重なるから……なのだろうか。さもなければ、己が内なる性を解き放つべき時を、場を、今こそ見出す事が出来た為だろうか。だが――、 「……!」 だが、歩む毎、何故か四肢と腹部に及ぶ震動を堪えて、通り沿いの割れたショウウィンドウの前に立った時、ヴィンセントの折り目正しく整然とした心は、一瞬にして、絶対者との戦いでぼろぼろになったこの街と、まるで同じになった。 「成る程」 そしてそれは、いつからか隣に居るシルクハットの紳士にとっても眉間の皺を寄せるべき事象であるらしかった。 「加齢が止まらなければこうなる可能性が有った訳か……――なんだかあの糞爺の面影が」 やや彫りは深くなったものの白く秀麗な面立ちと赤い眼。フロックコートに態々ステッキ迄携える几帳面ぶり――持ち前の白髪故、ともすれば老人に見紛う事もあろう――と、その口調から、彼が共に此の地へ訪れた内のひとりなのだろう事は考える迄も無い。 「ミスタ・ロウ。何か問題でも?」 「否、郷里に居る長老と似ている気がしたものでな……」 恐らくその長老なる人物と彼、ロウ ユエは折り合いが悪かったのだろう。 「白髪は増えようも無い――が、なんだか肩が痛むし目も霞むような……」 即ち肩凝りに著しい眼精疲労――否、老眼か。 「お察しします」 他に掛けるべき言葉が見付からない。何故ならヴィンセントもまた、眼の前に映し出された、遠回しに云えばロウ氏の隣に居る人物の、そのあまりの惨状に、不覚にも戦慄していたからだ。即ち四十歳のヴィンセントは――渋さが際立ち、気難しげな眼光は怜悧な印象を受ける。髪型は元のままではあったものの、前部にメッシュとも白髪ともつかぬ色の抜けた箇所がひと筋走り、何故かそれが厳格さをも演出していた。併し首から上は未だいい。問題は――、 「…………何だと」 ヴィンセントは亀裂によって別たれた、ジャケットの膨らみを凝視した。改めて下を見れば、当該の膨らみに遮られて足元が見えない。『腹が出ている』! 「馬鹿なっ!」 絶望の悲鳴。 同時に男の周囲で急速に温度が低下した。凍った水溜りを踏み拉くような音がアスファルトを、硝子を侵食し、白く濁らせてゆく。 現実への拒絶が、ヴィンセントに”力”を目覚めさせたのだ! そして皮肉な事に、それは更なる絶望へと彼を誘った。 「ああ、その……大丈夫か?」 ロウが気遣いげに腹を見て訊ねた。否、腕も脚も顎の辺りにも視線を巡らせて、険しい面持ちをしているではないか。自分に身に何かあったのか。 訝しんだヴィンセントは、やがて霜の晴れた硝子を再度見て、眼を見開いた。 「馬鹿な。今迄の健康管理は一体……!」 其処には、先程の肥満体が二割増の丸みを帯びて驚愕している。全身がだ。何と云う事だろう、ヴィンセントの力は使えば使う程に、つまり。 「…………」 ロウが溜息がてら、すっかり張り詰めた――つまり太った――肩にぽんと手を置く。 直後。 二人の背後で爆発よりは硬く質量を思わせる響きが続け様に三度あった。 「! 『奴ら』か」 「……いいえ」 それならば既に直接攻撃されている筈。何より左手が何の反応も示さない。 どうやら堆い瓦礫の小山の一部が吹き飛んだ拍子に出でた音である事は、振り向いた瞬間に把握できた。それも、内側から。 「ふう」 果たして空洞からひょろりと出て来たのは、着崩したシャツにタイを緩く締めたアルペンハットの男。だが猫背と縮れ毛、そして小洒落た眼鏡に見知った童顔の面影が窺える。青壮年――あまり馴染みの無いその言葉を独りで体現しているかのような、胡乱な姿だ。 「ミスタ・ナカツ」 ヴィンセントが名を喚んだ途端、仲津トオルは何処か安堵したような、それでいて人懐こい笑みを浮かべて此方へ近付いて来た。 「ああ……良かった、逸れたのかと思った」 「瓦礫の中に居たようだが」 「そうそう、気が付いたら生き埋めでさ。……まさか罠じゃないよね」 (”*石の中にいる!*”か) ギーグ、取分け往年のゲームフリークならば誰もが識る無慈悲なフレーズがヴィンセントの脳裏を過る。 「兎も角、ご無事で何よりです」 「うん。処で……」 トオルは、少なくともログイン前は紅一点だった筈の仲間の姿を求めて、きょろきょろと廃墟を見回した。二人も釣られて辺りを見渡す。 「見当たらない、な」 「近くには居ると思うのですが」 若干の誤差はあるもののほぼ同地点に三人揃っていたのだから、一人だけ遠くに飛ばされたとは考え難い。恰幅と威厳の所為で何処かの大企業のCEOにも見える男が、けれど普段通りの物腰で思案げな紳士に続き、言葉を添えた。 果たしてその見解は、次の瞬間彼らの頭上にあって尚鼓膜を劈く程の硝子片と石礫が砕けて飛散し更に少々聞くに堪えない野太くも女性的な悲鳴といった一連の騒音に因って――恐らくだが――的を射ている事が判った。 「百キロごえでメタボで軽やかとか意味わかりません~☆」 「そしてアメコミヒーローズを間違った方向に戯画チックにおっさん化したとしか思えないこの感性はなんですかぁ!? ユエの赤い双眸に映るバーコード禿が青々とした髭剃りの跡を頂く尻顎を引っ切り無しに上下させながら捲し立ててべそをかいていた。 「四十代ってチョイ悪系カッコオヤジやらダンディズムやらいっぱい居るのに~」 でっぷりしていて、好意的な表現をするなら脂の乗った男は、年頃の娘の仕草でセルロイド黒縁眼鏡の上から両目を押さえていた。しゃくりあげる度にタンクトップならぬランニングシャツを膨らませた腹と短パンの裾から狭そうにはみ出した太股がぷるぷる震える様が、複数の意味で実に痛ましいが、さておきせめて怒るか泣くかのどちらかにして欲しかった。 「性別関係なく四十親父になるとはまた愉快な不具合だな……」 想像してみて欲しい。第一次ベビーブーム世代の権化とも喚ぶべき存在が寝巻き代わりの下着姿で川原撫子の物真似をしている光景を。 「まあ、その……あまり気に病むな」 ユエは手を掛けようと……したのかどうか自分でも良く判らず結局引っ込めて、川原――敢えてファーストネームで喚びはすまい――に同情の念を向けた。 「……ぷっ」 だが、川原は、今度は何かに気付き笑い出していた。猫のように丸めていた両手をいつしか開き、指の隙間からヴィンセントの変わり果てた姿――にしても川原程ではないのだが――を覗き見てある種楽しんですらいたのだ。 ユエは彼女(失礼、彼)の目まぐるしい変化に内心戸惑ったが、何がその琴線に触れたのかは容易に想像がつき、傍らのCEOの方を、思わず見てしまった。 スーツの襟元を着難そうに広げていた男は訝しげに紳士を見返し、そして直ぐにユエの聲無き聲に合点がいったのか、僅かに鼻筋の片側を悔しげに歪めた。 「くっ……!」 「あっ、わ、違っ――笑ってないですぅ。落差が激しいなとか、ほんのちょっぴりしか思ってないですぅ、ひやぁ~~」 取り巻きの重役でも居れば肝を冷やしたであろう極めて厳しい面構えに、中間管理職の如き男は慌ててご機嫌取りを敢行する――そしてすかさず他の妙に洒落た二人へと話を振って誤魔化した。驚くべき渡世の技である。 「ってどうしてユエさんとトオルさんだけそんな素敵おじ様☆になっちゃってるんですか! ずるぅい~~!」 「はは、実はボク、渋カッコイイ歳になってから覚醒したかったんだよね」 トオルは悪びれる事無くへらへらと答える。それは彼がこの仕事に志願した動機そのものだった。当人なりに満足しているらしい。 「俺は別に……――」 ユエも何事か応えようと口を開きかけて止め、代わりにステッキで帽子のつばをくいっと上げた。紅眼は川原からぐるりと頭上を経てトオル、ヴィンセントに向けられ、そして――幾何学模様の刻まれた左手を隠すように押さえた。 「……来た」 「え?」 「――!」 次の瞬間、CEOは左手を、トオルと川原は左目をめいめいに押さえて顔を顰めた。遍く齎されたのは、ナイフで突き刺されたのと同じ、目覚めた者達でなければ耐えられぬ、けれど決して慣れもせぬ、鋭い激痛。何度も、何度も、壮年達の穢れた手を、或いは眼を、嘲るように穿つのだ。 「あだだだだ、左目、左目が痛いですぅ☆」 「しかも、これは……!」 「囲まれたな」 敵意。醜さの余り噎せ返る程剥き出されたそれは、四方から数多押し寄せる。耳障りな足音が犇く。ひとに似た形の、けれど到底相容れぬ忌むべき魔物ども。斜陽に染まる彼らの姿は、煉獄の炎に焼かれる咎人そのものだ。 「私とした事がこれ程の接近を許すとは」 ヴィンセントがやれやれと眉間を押さえ溜息を吐く。 「いいじゃないか。捜す手間が省けたと思えば」 ユエが外套をふわりと靡かせ一歩前へ口元を緩め乍ら進み出た。 「確かに」 ヴィンセントもふっと不敵且つ怜悧に微笑んで半身に身構える。 「こんなカッコ、記憶野の隅にも残しておけないですぅ☆ ちゃっちゃとボスを倒して酒かっ喰らって忘れますぅ☆」 川原がぷるんと腹を震わせてそれに続き、更にぼそりと付け加えた。 「……皆さんも忘れて下さいぃ」 じわじわと廃墟を侵食するようににじり寄る敵の動きは統率されたそれではないが、一方で皆あるひとつの、ある種純然たる明確な意思に導かれてもいるようだった。 俯くトオルも、左目を覆った侭、面を上げた。 「あー……痛いホント痛い」 四人の中で只独り、その口元からは、笑みが失せていた。 「ボクこの辺の才能ないかも」 虚ろの街に、宵が訪れる。 間欠泉の如く、醜悪な異形共が飛び上がり、滅びの笛に誘われた蝗の群れと為して覚醒者の元へ迫る。それらが通った後は砕かれ、削り取られて砂塵を伴い、常人ならばこの只中において一秒と眼を開けては居られまい。 「えぇい!」 収束する黒点の中央から金色の光明と共に灰色が爆ぜて、魔物を押し戻す。川原の生み出した石礫が奴らを叩き、貫いて弾き飛ばして打ち落としているのだ。それでも尚隙間を潜り抜けて迫る魔物に紳士がステッキを向けた途端、今度は目に視得ぬ圧力に押し潰され、宙にどす黒い花を無数に咲かせ、悉くは散った。 「フッこの程度か、他愛もない」 だが、魔族の攻勢は止む処かより激化した。第二陣と喚ぶには多過ぎる群れが無秩序に全方位――地中からも――より迫るのを、左手と左目が報せる。 「ミズ・カワラ!」 「はぁい☆」 バーコードを描いていた毛髪が今は真上に伸びて輝く川原の手元から、今度は空へ向かい夥しい石の弾幕が敷かれ、降り注ぐ魔物を吹き飛ばす。四人は其方へ一気に飛翔し、更にヴィンセントが前方に氷雪を槍や塊と為して放って開けた道の整備とばかり隙間を埋めようとする異形を蹴散らし、左右後方へトオルがステッキを通して念動力を薙ぎ払えば、彼らに触れる事の出来る侵略者は一体も居なかった。とは言え、 「少しばかり多いな」 言い乍ら、ユエはきっち眼を凝らす――覚醒者の周囲の異形が次々と発火した。 「むしろ増えてませんかぁ?」 川原も手を緩めず手堅く石礫を右へ左へと撃ち、敵を近付けまいとする。その言葉通り、敵を排除すればより多くの敵が先程から向かってくる。間違いなく戦闘前には見かけなかった姿の者も散見された。 「手数が要るね。なら――」 トオルがCEOに視線を送ると、彼は頷いた。 「――お受け致します。貴方の魂の咆哮を、どうぞ存分に」 「お言葉に甘えさせて貰うよ」 ヴィンセントとトオルの元へ、奇声と唾液を撒き散らした不潔な集団が飛び掛ってきた。やがて最前列の者共が後数メートル迄迫った瞬間、 辺りに氷獄の如き凍気が噴出した。 『!?』 魔族の群れは動きを止めざるを得なかった。何故ならば其処に、在る筈の無い者達が居並び、此方を見据えていたからだ。 それは獅子の群れ。牙や爪、尾と鬣でさえ総てを引き裂く鋭き氷像。 氷獅子を取り巻くは獰猛なる百獣。 それは騎士のレギオン。剣をを携えあらゆる敵を撃滅する雄々しき氷像。 氷騎士を取り巻くは勇猛たる千剣。 ヴィンセントとトオルが召喚した、頼もしき者達。 やがてCEOが太ましい腕を掲げ――厳かに振り下ろす。 「征け!」 聖なる白騎士団の内圧は邪なる赤き軍勢の外圧に向かい、飛散した。 戦いは、少なくとも見た目互角となった。 ヴィンセントが大気中の水分を徹底的に集め、凝縮させ形作ったレギオンは一騎当千の働きをみせたが、敵の数は万にも億にも達せんばかり膨れ上がり、執拗に覚醒者を攻め続ける。その間を潜り抜けてトオルの操る刃が猛獣が舞い踊って敵を断ち食い破り、更に周囲から川原が石礫を――因みに彼の能力はこれだけだった――隙無く飛ばし、絶えず確実に敵の数を減らす。ユエが重圧を全方位に放射して敵軍勢を潰して、或いは業火を以って焼き尽くす。その何れもが、何故か当人達の想定以上に大袈裟な出力をみせたが――それでも敵の攻勢は一層激化するばかりだ。 覚醒者達はその間巧みに宙を飛び回る。 集中する魔物の群れをすり抜けては超能力を惜しみも無く行使し、今の今迄無傷で戦い抜いていた。併し、そう長くはもたなかった。 「いやぁん!」 真っ先に悲鳴をあげたのは川原。みれば空中で頭頂を押さえ蹲っている。 「髪の毛が壊滅しますぅ」 確かに申し訳程度残されていた両側面の毛髪さえ疎らになりつつある。ならば前頭葉など最早バーコードとして何某かの情報を読み込むことさえ叶うまい。 ふと、むっとした暖気が戦場を撫でた。 「……やばい! 後ろ!」 「ふえ?」 トオルが叫んだ時、未だ川原の背後には何も迫ってはいなかったが――併し直後にそれは天から、遥か洛陽から、確実に川原の背中目掛け飛来した。真っ赤に燃え上がった火球は長い尾を引き、恐るべき速度で落ちて来る。 川原は暫しそれに目を奪われていたが、つい――其の場で蹲ってしまった。 「いけない!」 「きゃあぁぁぁぁ!」 最も近かったヴィンセントが飛翔する。 ――ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ―― 爆弾等生温い、紅い光は、刹那の静寂から一瞬で街を包んだ。 騎士も、獅子も、魔物も、ビル群も、総てが焼かれ、燃えて、時には溶けて、蒸発した。後に遺るのは終末の日の情景。火に捲かれた、ひとの世界。 灼熱の渦中で、地上に叩き落されたヴィンセントはあちこち焼け爛れ更にふた廻り程大柄になった――どうも攻撃を受けると太るらしい――体躯を重そうに引き摺り、荒い息で片膝を突く。川原は慌てて駆け寄った。 「ちょ、だ、大丈夫ですかぁ!」 「どう、と言う事は……痛っ! ……この程度で斃れる力など、無力にも劣る」 「ふえぇぇ…………すいませぇん」 「なんの……例え四肢を砕かれ、魂だけになろうとも喰らいつき、吼える。我らには未来と、守るべき物が待っているのです」 ヴィンセントは血糊を湛えた口元で精一杯の笑みを浮かべた。だが、ぱんぱんに膨れ上がっていたが為、川原にはそれが笑顔だと気付かれなかった。 其処へふたつの球――トオルとユエが翔け降りて、四人は身を寄せ合う。 紳士が変わり果てたCEOに手を翳して此の地獄の中ではあまりにも優しい、慈しみの輝きを齎す。忽ちの内に火傷が癒え、ヴィンセントに元の覇気が戻る。 「……有難う御座います。処で此の身体は」 「すまん」 ヴィンセントが言おうとした僅かな希望に、ユエは応える事ができぬ。傷は幾らでも癒せるが、スーツが破裂しそうな体型だけは、どうにも。 「皆、あれを」 トオルがとっくに日が落ちた筈の暗がりを見上げて言った。仲間達もそれに倣えば、地上数十メートルの処で、炎上する巨大な人型が腕を組んで覚醒者達を見下ろしていた。 ――おやおや、もう宜しいのかねー―― それは親しみと侮蔑と敵意を綯交ぜに話し掛けて来た。 聲すらも、燃え盛るように暑苦しく街中へ木霊していた。 「どうやら待たせてしまったらしい」 ユエが「ふん」と鼻を鳴らす。 ――気にする事は無い。我輩と卿等の仲だ―― 「光栄の至りです閣下。貴方にそう言って頂けるとは」 すっかり癒えたヴィンセントも立ち上がり、不敵に言い放つ。 同時に熱気を和らげる為、辺りに凍気を孕ませた。 「アンタが……傍迷惑な、ここのボス?」 川原が露骨に訝しんだ顔で眼鏡越しに、果てしなく尊大な存在を睨み付けた。 ――如何にも。我輩は遍く陽を落とし、宵へと導き支配する者―― 「”飽くなき宵の僭主”様ってワケだ」 トオルが肩を竦めておどけ気味に言った。 ――ようこそ、フォーティー。我輩の歓迎は楽しんでくれたかね―― 「うんざりする程ね」 ――それは良かった。思い残す事も無かろう。そろそろ―― 「往生せいやぁ!」 川原が石礫を撃つ。夥しい数、無限とも言えるそれらをたった一体の魔族に向けて――併しそれは僭主の眼前に起きた爆風で総て弾かれる――、 ――何っ―― 「偽りの光に惑え」 ――と見せ掛け爆風の向うから尚もより多くの石礫が僭主の全身に激流の如く打ち込まれた――それはこれ迄の百獣や千剣、ひいては仲間達の能力が増幅したかに見えた、トオルの幻術――僭主の見に次々と穴が空き、体液と炎が漏れ出すも、魔族の長に苦痛は見られぬ。 ――おのれ下郎!―― 僭主は巨腕を薙いで広域を爆炎で飲み込む。赤く燃える炎海はまさしく地に落ちた太陽そのものだった――がその時既にフォーティーは宙へ散っていた。 「そう言うな、”僭主”閣下。今度は俺達が持て成す番だ」 ユエが炎を念動力で散らし乍ら己の身の丈程もある灼熱の顔の前に向かう。 「――受け取れ」 ――小賢しい!―― 「!?」 ユエが力を発動する間際、僭主の目と口から炎が噴出した。紳士は火達磨と化して墜落し――トオルに抱き留められた。 「幾ら何でも無茶だ! どうして、こんな……」 「俺は……っ、此処迄のようだ」 「駄目だって! そうだ、自分で治療すれば」 「間に合わんさ……さよならだ」 「そんな!」 「先に、いってる――」 ユエの魂は、ステッキと共に灼熱の園へ落ちた。 ――ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ―― 「よくもぉ~!」 川原が文字通り怒髪天の様相で申し訳程度に残された頭髪を輝かせ、総ての力を解放した。生み出された石礫のみならず、辺りの瓦礫や崩れ掛けのビルさえもが宙に昇り、ありとあらゆる『石』と喚ぶべき物が、一気に僭主へ放たれる――僭主は腕を組んだ姿勢の侭垂直に昇ってこれを避け、代わりに川原の足元で爆発を起こした。 「ミズ・カワラー!」 「いやっ――」 光と爆風と衝撃が、その存在を消し飛ばした。ヴィンセントの、眼の前で。 「……」 「……………………」 瞬く間に、ふたりの仲間が、いなくなった。 ――ゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラゲラ―― 「五月蠅い」 トオルがユエを抱えて背を向けた侭、特に聲を張るでもなく言った。 ――……失礼、余りの歓迎振りに感極まってしまってなゲラゲラゲラゲラ―― 「五月蠅いって。うんざりって言ったろ」 トオルは、今度は少し荒れ気味に掠れた聲を出した。 「もうね、この力から逃げ続ける事にもキミらに付き合い続けることにも飽きたんだよ」 へらへらと不真面目を装う男の仮面は、魔族への憎悪を長らく覆ってきた。自らを弱者に位置づけ、正面きっての戦いを避けてきた。「何故俺が」と思い、力が疎ましくて堪らなかった。だが、それももう終わりだ。 ――どうするね―― 「終わらせてやる」 トオルは振り向き、精悍な面持ちで敵を見据えた。 ――ほう! その程度の力で我輩に抗うと? 殺すと? 卿もかね―― 僭主は首を廻し、ヴィンセントに話しかける。 「……私は騎士。王を守る為、屈する訳にはいかない。これが試練や運命ならば受け入れた上で戦い抜き、覆そう」 この地上の真なる王の為、ヴィンセントは戦い続けてきた。それは義務からではない。騎士としての自らに課した誇り高き使命――志命。 「私が証明してみせる、此の世に貴様の玉座は無いと」 ――ならば来るが良い。運命に翻弄されしフォーティーよ―― 「――はっ、確かに」 トオルが笑い飛ばした。自らのこれ迄を。憐れな同胞達の運命を。 そして球状の力場を形成し、翔ぶ。 「不惑のおっさんを働かせよーだなんて運命も意地が悪いねぇ!」 「否! 我々は運命の奴隷に非ず!」 ヴィンセントも上昇すると同時に無数の氷柱を放つ――多くは迎え火にあえなく溶けたが、一部は僭主の肩を、腿を、腹を突き刺す。 ――ぬるいわ―― 「やばっ」 魔族の長は傷を意に介さず振り向き様完璧にトオルの眼の前に巨大な掌を開いて爆発を起こす――爆発はトオルを破裂させると共に次々と周囲を爆ぜさせ、僭主の周りに幾つもの小太陽が発生した。 「ミスタ……くっ!」 ヴィンセントは辛うじて凍気を纏ってこれを凌ぐも、膨れ上がる五体が防ぎ切れて居ない事を示していた。決壊するのは時間の問題だ。 ――矢張り此の程度か。下らぬ―― 「そう言うな。此処からが見せ場なんだ」 ――!?―― つまらなそうな僭主の聲に芝居がかった紳士の聲が重なるや否や、その巨体に尖った巨石が打ち込まれ、続いて左腕が目に視得ぬ力にぐちゃりと潰された。 「いい加減消えて下さぁい☆」 ――莫迦な、貴様等っ―― 眼を見開き周囲を見回すも、誰も――ヴィンセントさえも居ない。 「余所見しない方がいいんじゃない? や、そもそも見得ない筈だけど」 そして軽薄そうな聲に伴い右腕も何らかの理力に持ち上げられ押さえ込まれた。最早原形を留めていない左腕もそれに倣わされ、僭主は咎人の如き貼り付けの姿勢を強要されて。 ――あがぁ!―― 身動きの出来ぬ巨体に全周囲から氷槍が打ち込まれ、悉くが貫通する。 「宵の果ては朝です。暗愚な夢を終わらせてやりましょう。我々なら……――否。我々だから可能なのです!」 穴だらけの巨体からはその都度火の手が上がるも、僭主はもがく事しかできぬ。 ――きさ、キサマら下賤な人間風情が、我輩を、王を―― 「未だ僭称するか下郎!」 「いい加減裁いちゃいましょぉ☆」 「賛成だ」 「そうだね。じゃあ」 姿無きフォーティーの会話は魔族の長を苛立たせ、恐れさせた。が、徐に彼の眼の前に四人の壮年が姿を顕した。 ――そう、か。そうか、キサマがっ―― 「『偽りの光に惑え』――最初に言ったよね」 僭主はトオルの顔を見て瞬時に悟った。恐らくはユエの突撃から既に、己が術中に嵌められていた事を。だが、総ては手遅れだ。 「少しは楽しんでくれた?」 トオルはにやけていたが、矢張りその目は笑う者のそれでは無かった。否、誰も笑っている者等居はしなかった。フォーティーは一様に手を翳し、只意識を集中させて、 ―― お の れ ―― 氷雪と、石礫と、ふたつの理力とが――総ての力が、放出され。 何もかもが、ひかりにつつまれた。 ※ ※ ※ ※ ※ 「えぇ~、あの剣とか動物さん達も幻だったんですかぁ~?」 「あと斬り傷に血飛沫なんかもね」 「全然気が付きませんでしたぁ☆」 川原――もう撫子と喚んで差し支えあるまい――が壺中天の機材の前で頓狂な聲を発した。トオルが使っていた能力の内、念動力以外は悉くがまやかしだと識らされて驚いたのは、ユエも同様だった。 「道理で戦力の割に敵の減りがいまいちな訳だ」 「見た目派手にやった方がボスキャラ誘えるんじゃないかと思って」 「成る程な」 結果、その目論見は功を奏した訳だ。 「併し、皆あれで結構楽しんでいたようだな」 「!!」 ユエの何気ない言葉に撫子は硬直したが、トオルは平然としていた。 「確かに面白かったけどボクなんか未だ未だ。それよりも」 トオルは手を振ってヴィンセントに視線を送る。きっとあの台詞の数々を脳裏で反芻し乍ら。 「職務を全うしたに過ぎません。ああしたものであっても、仕事――」 「――皆さぁん、勝利のお祝いに今から飲みに行きませんかぁ☆」 素っ気無く応えるヴィンセントの言葉尻に撫子の明るい聲が重なる。ユエとトオルの目には、彼女は何処か焦っているように感じられた。 「必要なら物理的手段に訴えてましてぇ、皆さんの記憶消去ですぅ☆」 トオルとユエは顔を見合わせ、納得した。 「どぉですかぁ? ヴィンセントさんもぉ☆」 「……お供致します」 ヴィンセントは暫し沈思してから、その提案に乗る事にした。但し、 「私はお茶で」 彼がその後、健康管理により一層注力するようになった事は言う迄も無い。
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