イラスト/Jack。(iham4799)

クリエイター阿瀬 春(wxft9376)
管理番号1147-22626 オファー日2013-03-04(月) 17:02

オファーPC 霧花(cvdp5863)ツーリスト 女 20歳 花魁

<ノベル>

 ぼうやりとした十六夜月が、風鳴く空に浮いている。
 胃の腑に留まる酒精を熱い息に変えて吐き出せば、仰いだ月が白く濁った。酒気帯びて濁った月を、ひとひら、薄紅色した花弁が過ぎる。
 花冷え、と言うのだろう。空で春に霞む星々からは、悩ましげな吐息のような風が降りてくる。草鞋を踏み出す度に擦れあって音立てる、砂利堤防の下からは、静かに這い寄り縋りつく女の指先のような冷気が、踊る川音と共に上ってくる。
 冷気を振り払うように踏み出した一歩が、思いがけずよろけた。過ぎた酒に足すくわれ、春の地面に膝を突く。
 無精髭の頬歪め、笑みと息を吐き出す。酒精に滲む己の視界を嘲笑い、膝に手を置いて立ち上がれば、視界を掠めるは堤防の脇に今は盛りと花咲く菜花に雪柳。生温かな花の呼気が酒に鈍った鼻と喉に忍び込む。
 花の香に喉の渇きを呼び覚まされて、唾液を飲む。
 もたげた視線の先、金色に群広がる菜花よりも、真白にさざめく雪柳よりも、春の夜彩るどの花よりも艶やかに、桜が薄紅色を咲かせていた。十六夜の星月夜よりも華やかに密やかに、満開の一本桜が幾千の花弁を春風に震わせる。月の光集めて、花弁が舞い踊る。
 満開の桜の樹の下、花魁が立っている。
 月と花と酒に霞む眼に力を籠める。そんなはずはない、と無意識に頭を横に振る。
(花魁)
 昔、この辺境の地より遥かに遠い都の御免色里で、花魁というものを一度きり、見たことがある。
 色里に通ずるただひとつの大橋を渡り、大門を潜り、見返りの柳を足早に過ぎ、故郷では見たこともないほどの人込みに半ば驚き半ば浮かれ、格子の向こうに並ぶ着飾った女郎たちの華やかさと化粧の匂いに酔った。これが都か、これが色里か、逸り浮かれる胸を抱えて通りを歩いた。格子の向こうから流し目くれる女郎に胸を昂らせた。
 その浮かれた道の途、
『おいらん』
『おいらんだァ』
 花魁と呼ばれる女を、見た。
 見た、と言うよりは、覗いた、と言った方が正しいのかもしれない。
 花魁道中に群がる大勢の男たちの肩や頭の隙から、ほんの一瞬、その白い横顔を、見た。
 日傘差し掛けられた結い髪には何十もの簪、長い睫毛に縁取られた夢見るような眸、紅差した柔らかな唇、豪奢な着物から伸びた白いうなじ、歩を援ける男衆の肩に掛けられた細い指。
 色里に数千から居る女たちの、――否、この世の女たちの頂点に君臨する女の中の女を見たと、そう思った。
 もちろん、花魁を買える金などない。
 色里では地位も名誉も関係はない。金さえあれば、少なくとも女が買える。けれど、辺境の地から一生に一度の思いで都への旅に出てきた田舎者のどこにそんな金があろう。
 掠め見た花魁の姿を一生の宝のように胸に抱え、故郷に戻り細々と暮らして、もう何年を経たか。散る桜を幾度見たか。
 舞い散る桜のその下に、夢見続けてきた女が立っている。
 幾重にも纏った鮮やかな着物に帯、結い上げた艶やかな黒髪を飾る簪、儚げな白いうなじ、頬に落ちる長い睫毛の影、この地の粗野な女たちの唇に見たことのない鮮やかな紅、着物の奥に隠されてさえ分かる柔らかそうな肩や胸、袖から覗く白く細い指、
(花魁だァ)
 吐き出す息が熱を帯びる。帯びて、冷える。
(……否、そんなはずは)
 そんなはずはない、ともう一度首を横に振る。緑深く、泥臭い故郷の春の匂いを吸い込む。
(こんなところに、)
 そうだ、と腹の底で醒めた己が喚く。
 そうだ、大門の外に花魁が出られるはずがない。
 そうだ、共も連れず、たった一人で花魁が居るはずがない。
 そうだ、酔ったせいだ。
 そうだ、狐狸に化かされているのだ。
 腹に渦巻く疑念は、けれど、
(花魁だァ)
 そのたったひとつの言葉に霧散する。それでも、腹の底に重石のごとく残る本能にも近い感情が男の足を竦ませた。
(花魁だァ)
 心を埋める言葉はそれに尽きる。ただ、怖かった。目前に立っているものは、男の知る『女』ではなく、『花魁』だった。触れられざるもの、触れてはならぬもの。
 桜の下に立つ花魁は、あの日垣間見、強烈な憧れを刷り込まれたあの花魁よりも恐ろしく美しかった。佇んでいるだけで春のぼうやりとした空気が淡い光を帯びる。睫毛がゆるりと上がるだけで花散らしの風が甘い香りを含む。夜空よりも深い闇色の眸が己を映しただけで心の臓が熱く跳ねる。まろい肩が舞のように動き、ひどく艶かしい白い指先が向けられる。
(あれは、人か)
 その呟きが最後の抵抗。
 あの日、己に向けられるわけもなかった漆黒の眸が真直ぐに向けられている。あの日、触れられるはずもないと諦めた白い手が、――否、あの日見た花魁よりも柔らかで温かそうな女の手が、己に差し伸べられている。確かな肉感で以って己の前に立っている。
 鮮やかな紅ひかれた唇が、すう、と開く。桃色の可愛らしい舌先がちろちろと揺れる。
(あれは、女だ)
 草履の足が自然と大股に踏み出す。
(あれは、)
 花魁は、己に手を差し伸べている。濡れたような眸で己を見つめ、唇を開いて己を呼んでいる。
(あれは、おれの女だ)



 白い光が瞼を通り越し、目を刺す。
 眼の奥が痛むほどの眩い光に顔が歪む。掌で額を押さえ、痛む眼をこじ開ければ、朝の光が桜の花弁と共に顔と身体を打った。
 喉がひどく渇いていた。酒精による倦怠感が起き上がろうとする身体を苛んだ。
(夢でも見たか)
 うんざりと溜息吐いて、ひびわれた唇を水気のない舌先で舐めて、気付いた。唇に、不思議に甘い香りが残っている。
(あの女の、味)
 己の身体を確かめる。着物の帯も襟も、下帯すらもだらしなくほどけている。己の身体のあちこちに、桜の花弁よりも色濃い、女の唇の痕が残っている。
 桜の下、見回しても女の姿は無い。
 不意に叫びだしたいほどの渇望が腹の底から湧いた。
「何処だ」
 怒りにも近く、己の身体に残る女の痕を爪立てて掴む。
「何処だ、霧花」
 情事の最中、女はそう名乗っていた。
 女の名を口にした途端、眼が覚めるように思った。
 あの女をもう一度抱きたい。
 あの柔らかな肢体に指を手を舌を、己の身体を、這わせたい。
「霧花ァ!」
 女を呼んで、立ち上がる。はだけた着物のまま、劣情のまま、駆け出す。



 寝食も忘れ、ひたすらに駆けた。駆ければ駆けるほど、霧花花魁への、あの女の身体への劣情が募った。
 春の花を蹴散らす。道行く人間を突き飛ばす。あの女以外の女は女ではない。あの女以外の者が何を言おうと、どれだけ顔顰めようと構わない。あの女をもう一度抱きたい。もう一度、もう一度だけ、抱きたい。
「霧花ァ」
 息が切れれば、腹が減れば、睡魔に襲われれば、女を呼んだ。それだけで身体が動いた。
 名を呼ぶ度、姿見せぬ女への更なる熱が心に渦巻いた。肢体を思い描く度、狂おしいほどの熱望に身が悶えた。
 そうしてどれだけ駆けた後か、
 ――気付けば、あの日、これが一生に一度と思って立った大門の前に再度立っていた。
 どこをどれだけ、どう駆けたのかも覚えていない。あの日訪れた御免色里ではないのかもしれない。けれどそれはもうどうでも良かった。
 花魁はこの大門の向こうに居る。
 花魁である霧花はきっとこの色里の廓の何れかに居るはず。否、居なくてはならない。あの女の男である己が訪ねてきたのだから、必ず此の色里の廓に居て、あの夜、桜の下でしたように手を差し伸べなくてはならない。
 大門をくぐる。
 通りを行く浮かれた男たちが奇異の眼を向けてくるが、そんなことはどうでもいい。色里に群集うどの男たちより早く、霧花を見つけなければ。
 通りに並ぶ廓の店先には、商品である遊女たちが紅色格子の向こうにずらりと並ぶ。
「霧花」
 噎せ返るほどの化粧と香の匂いの前に身を投げ出す。様々の衣装で身を飾った遊女たちが嬌声をあげる。
「霧花ァ」
 女の名を呼び、居並ぶ遊女たちの顔を幾つもの格子越しに確かめる。この廓には居ない、次の廓にもその次の廓にも居ない。あの女の名も、あの女の顔も、あの女の身体も、どの廓にも見当たらない。
「霧花ァ」
 あの女が恋しかった。あの女の身体が抱きたかった。これほどまでに求めているにも関わらず、あの女は何故現れぬのだろう。何故あの日のように手を差し伸べてくれぬ、名を呼んでくれぬ。
「霧花ァ」
 もう幾度呼んだも知れない女の名を、嗄れた喉から吐き出す。吐き出して、そうすれば自然と身体が動いた。長く駆けて疲れきった足に力が満ちた。
 霧花を何千回と呼び続けた果て、もう何軒めとも知れぬ廓が目に付いた。いつか暮れて赤い空の下、軒先に吊り下げられた提灯に、揃いの法被着た男衆たちが次々と火を入れている。紅に彩られた格子の向こう、着飾った遊女たちが座している。
 ここに居るに違いない、不意にそう思った。迷いのない足取りで明々と提灯の火揺れる廓に近付く。格子の向こうの遊女たちが客求めて笑みを深くしようとして、ふとその化粧の顔を揃いに揃って曇らせる。それは別にどうでも良い。霧花以外の女に用はない。
「旦那、金はあるんですかい」
 格子の前で客引きしていた男衆の一人が険しい顔で袖を引く。それも別にどうでも良い。
「霧花を出せ」
 吐き捨てると同時、懐に呑んでいた小刀で男衆の腹を刺す。怪訝そうな顔のまま、男衆が蹲る。
 そこからは、早かった。
「霧花を出せ」
 喚き、己を取り押さえようと群がる男衆を幾人か刺して後、至極あっさりと後ろから羽交い絞めにされた。怒り狂った男衆たちに袋叩きに遭った。
「この色狂いが」
 罵られ、馬鹿でかい包丁のような刀を向けられた。
 右の肩口に刃が押し当てられたまでは、覚えている。



 赤い川が流れている。
 重たい瞼を持ち上げれば、視界はどこまでも朱に染まっていた。
 頬に当たるのは川原の石か。血の臭いに混じって、どこか生臭い春の川の臭いがする。桜の、香りとも呼べぬ気配がする。
 腕がなかった。
 足がなかった。
 赤い川は、己の切断された四肢から溢れ出す血だと悟る。色に狂った己はみせしめに四肢を断たれ川原に打ち棄てられたのだと、今に至って恐ろしく冷えた頭で判断する。此処が女に狂った己の死に処なのだろう。
 ――おいらん
 ――おいらんだァ
 遠く遠く、いつか聞いた声が聞こえる。
 女神に対するものに近い、畏怖と憧れを含んだ声。いつか触れられたい、声を掛けられたい。いつか、抱いてみたい。
(ちがう、)
 ぼうやりと霞んでくる視界の中には、滔々と流れる川の向こう側の桜の下、嫣然と笑む霧花が映っている。求める女をやっと見つけても、けれど心は騒がなかった。
(ちがう、)
 女の笑みは此方に向けられていない。差し伸ばされる手は此方には向けられていない。
 恐ろしく華美で恐ろしく淫靡な花魁衣装に誘われ、火に酔う虫のように、ふらふらと桜の下の霧花に近付いていくのは、立派な刀を佩いた侍。
(あれは、)
 死の縁に追いやられて、眼は澄んだ。
 あの女に触れてはならなかった。
 あの女の声を聞いてはならなかった。
 あの柔らかで滑らかな肌に触れたために、優しく心地よく、欲望掻き立てるあの声を言葉を耳にしたために、今がある。
 今ならば、あの女に狂わされていたことが分かる。あの女の正体さえ、分かる気がする。
(あの女は、鬼だ)
 桜の下には、美しい鬼がいる。艶やかに微笑み、男に手を差し伸べている。
 抗う術なく誘われた侍は、欲望剥き出した下卑た笑みで桜の下に歩み寄る。躊躇うことなく鬼の手を取る。互いに互いの着物の帯に襟に手を掛ける。
 舞い散る桜の花弁に塗れ、獣のそれにも似た、激しい痴態が繰り広げられる。
 眼を覆う手は切り取られ、身体背ける足は断たれ、逃げ出すことは出来ない。一度抱き、もう一度どうあっても抱きたいと強く願った女が他の男に抱かれる様を、見続ける他にない。
「霧花ァ」
 切ない吐息が零れた。女の名が、女への劣情と共に噴き出した。
「霧花ァ」
 鬼と分かっていて、それでも、
(ああ、それでも、)
 もう一度抱きたいと願う。抱かれたいと願う。
「霧花ァ」
 女の名を呼び続けるまま、女が他の男に抱かれる様を眼に映すまま、死の深淵に真っ逆さま、沈む。


クリエイターコメント お待たせいたしました。
 物語を、お届けにあがりました。
 霧花さまの物語となっておりますでしょうか。

 少しでも、お聞かせくださいましたお話に近づけておりましたら、望まれた物語となっておりましたら幸いです。

 おはなし、聞かせてくださいましてありがとうございました。
公開日時2013-03-15(金) 22:30

 

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