オープニング

 照明が落とされた、暗いばかりの広大な空間。典型的なサーカスの仮設テントの観客席は、今日もまた当たり前のように満員だった。
 小高いステージの周囲は人、人人でびっしりと覆い尽くされ、そこに集う人々はざわざわと蠢いている。
 年齢から性別までさまざまな彼らには、しかし共通点があった。皆、一様に落ち着きが無いのだ。
 耳を澄まさずとも、そこかしこから奇妙な熱の篭った会話が聞こえてくる。

『ねぇ、わたくしこれで三度目になりますのよ』
『前回の……、はご覧になりましたか? あの……、はたまりませんでしたねぇ、まさかあんなに血が出るなんて!』
『この席からであれば、例の空中ブランコがよく見えるな』
『ああ楽しみ! 今日の目玉は何かしら!』

 ――やがて、何の前触れもなくステージ上にパッとライトが灯った。場内は水を打ったように静まり返る。
 眩いほどに照らし出されたステージの中央に現われたのは、一人のピエロだった。
 白く塗り潰された顔面に赤い付け鼻。三日月型の瞳は血の涙を流し、唇は耳朶近くまで裂けているという汚らしいフェイスペイントを施している。ステレオタイプに近いピエロだが、服装はシルクハットに燕尾服姿という独特なものだ。
 人々の好奇の眼差しを一身に受け止めながら、四方をぐるりと見渡したピエロは、
「レディースエンド、ジェントルマン! わたくしが当殺人サーカス『Es』の座長こと、『地獄の道化師』でございます!」
 帽子を脱ぐなり、恭しく一礼をした。
「このたびは遠路はるばるおいで下さり、誠にありがとうございます!」
 背格好は、一目見た限りでは成人男性を思わせる。だが流暢に口上を述べるその声は高いとも低いとも言えず、性別すらも曖昧な、酷く不可思議で独特な音色だ。手にした帽子をくるりと回し、ピエロは感極まったとばかりの大仰な仕草で胸を押さえる。
「既にご存じでしょうが、今宵お目にかけますのは、そんじょそこらのサーカスの、子供騙しの見世物とは比べものになりません。飼い慣らされた白い馬の曲芸、防護ネットの張り巡らされた綱渡り――もちろんそういった演目を否定するわけではございません。ただ、これらには致命的に足りないものがあるのです」
 両手を大きく拡げ、胸を張ったピエロは突如ケタケタと肩を揺らして笑い始める。
「スリルと興奮が足りない!」
 と、次の瞬間。舞台が暗転した。明かりが戻る頃にはいったいどのような仕組みなのか、巨大な装置が設置されている。ざわめく場内。直径一メートルほどはあるだろうその装置は円柱状で、筒の部分は透明になっている。そして、筒の底には鈍色に光るスクリュー羽根が気味の悪い重低音を響かせながら、高速で回転を続けている。その後ろからひょっこりと首を覗かせ、ピエロは演技掛かった調子で片耳を塞ぐ。
「おぉ、おぉ、うるさいなぁ、凄い音だ! さてさてみなさまこれが何であるかは? 言うまでもございませんね!」
 語る間にも、客席の喧噪は顕著に増して行く。皆、まるで何かを察したような異様などよめきがある。
「……ではこの一風変わった装置の中に、こんなものを入れてみるのはいかがでしょう」
 かくんと首を寝かせたピエロが、おもむろに指を打ち鳴らす。小気味良い音を合図に、ゆっくりと頭上から『何か』が降ってきた。
 発光しているような『何か』――一見白く見えるが、よくよく目を凝らしてみると肌色をしている事に気付くだろう。
 幾重にも垂れ下がるロープできつく拘束された身体が、華奢な四肢が、必死にもがいている。それは紛れもなく全裸の――。
「あっ、ママぁ! あそこにおんなのこがいる!」
 口をぽかんと開いたいたいけな子供が、場にそぐわぬソプラノで叫ぶ。

 場内の興奮が最高潮に達する中。少女の落下は止まらず、鋭利なスクリューめがけて少しずつ、しかし着実に吸い込まれていく。
 恐怖に瞠られ、涙ぐんだ瞳と、悲鳴を許されずに塞がれた口。
 ピエロの真っ赤な唇が不気味なほどに湾曲し、謳うように呟く。

「さあ、美しく哀れな少女の最期の踊りをお楽しみ下さい」


***


「あはっ、んひゃはははっ!! スゴいぃ~~人間ミキサー、見てみたいぃィ!」
 依頼の詳細を聞くなり、独り間違った方向にハッスルし出すイヴァン・アラーニャをよそに、他のロストナンバー達は神妙な表情をしていた。導きの書を閉じた世界司書戸羽に、スイート・ピーがちらりと視線を投げる。
「……聞けば聞くほど、やだなあ。そのコはやっぱり死んじゃったんだよね」
「胸の悪くなる話ですね」
「なんかもう、……物騒とかいうレベルじゃないすねぇ」
 ラス・アイシュメルとハギノが同意すると、言葉こそ発さぬものの夕凪の顔も不機嫌さを増した。戸羽は溜息を吐き、閉じた本で後頭部を掻く。
「ミキサーだからな。だがまあ、君達が上手く止めてくれさえすれば、これ以上の被害者は出さずに済む」
「お客さんに混じって潜入すべきかなぁ? 団員さんはどのくらいいるんだろう……」
 日和坂 綾の思案げな呟きに戸羽は返さず、口を噤んで窓を仰いだ。
 切り取られた空は、色鮮やかな夕焼け色に染まっている。
「暗くなってきたな。――詳しくは現地で聞いてくれ。そこに探偵が居る筈だ。健闘を祈る」


***


 今夜の『Es』はインヤンガイの北西で行なわれるとの噂だ。
 日が完全に暮れてしまう前に――血に飢えた殺戮サーカスを潰すべく、ロストレイルは出発する。





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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>
スイート・ピー(cmmv3920)
ハギノ(cvby1615)
夕凪(ccux3323)
ラス・アイシュメル(cbvh3637)
日和坂 綾(crvw8100)
イヴァン・アラーニャ(cevf1042)

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品目企画シナリオ 管理番号1707
クリエイターthink(wpep3459)
クリエイターコメント少しお久しぶりです。このたびは企画シナリオへのご指名まことに有難うございました。
とっても嬉しいです。それとキーワードがどれも心躍るもので驚きました!
言うまでもないことかもしれませんが、シリアスベースのシナリオです。

ロストナンバー達が現地で探偵から得た情報は以下。

・裏口から潜り込む事も可能だが警備が堅くリスクが高い。
・サーカスの正式な団員の数は座長を入れて6人程度。
・毎公演恒例の「空中ブランコ」で一番多くの生贄が使われる。
・座長は「開演時」と「終演時」にはステージにおり、あとは舞台袖に待機している。
・他団員もステージ上にいない時は舞台袖に待機している。

単純にサーカスを潰したいのか、それとも生贄も救いたいのかで流れが変わります。
仮に生贄全員の救出を望む場合は難易度が高そうです。
バトルシーンを格好良く書きたいのですが、
プレイングによっては救出に比重が行くかな? という雰囲気です。

それではどうぞ宜しくお願いいたします!

参加者
スイート・ピー(cmmv3920)ロストメモリー 女 15歳 少女娼婦
夕凪(ccux3323)ツーリスト 男 14歳 人造精神感応者
日和坂 綾(crvw8100)コンダクター 女 17歳 燃える炎の赤ジャージ大学生
ハギノ(cvby1615)ツーリスト 男 17歳 忍者
ラス・アイシュメル(cbvh3637)ツーリスト 男 25歳 呪言士(じゅごんし)
イヴァン・アラーニャ(cevf1042)コンダクター 男 29歳 道化師

ノベル

「殺人サーカス『Es』はみなさまのご来場を歓迎いたします!」
 予定通りに開場した『Es』の場内。開演を今か今かと待ち望む観客席の間を、先程から数人のピエロが練り歩いていた。目に痛い程にカラフルなピエロ達は、外した帽子を白い鳩に変えて空へ舞わせてみたり、花を出しては枯らしてみたり、滑稽な挙動で人々を笑わせてみたりと、それぞれがそれぞれの手法で時間を稼ぐ。その内の一人は、やたらとグラマーな女性だった。ピエロにしては身体のラインが強調されたタイトな衣装を身に纏い、長い足をしなやかに律動させ――鼻の下を伸ばして見上げてくる男性客の目前で歩みを止めると、小首を傾げてにこやかに微笑んだ。木編みの籠から色鮮やかなキャンディを掴み、その膝上へ悪戯にばらまく。
「はーいこれは入場記念のキャンディ。甘くてとっても美味しいよぉ」
「え、いいの?」
「もちろん! スイートからの特別プレゼントなんだから」
 手にした棒付きキャンディを見せ付けるように一舐めし、スイートは蠱惑的に囁く。特殊能力で大人の姿に化け、入り口から堂々と入場を果たした彼女の作戦は成功だった。ピエロに扮した服装にもメイクにも無理は無いと自負出来る。だが、まるで誘惑されたように包みを解こうとする様子に「あっ」と声を上げると、スイートは慌てて頬をつついて男の気を惹く。
「待って待って。あのねぇ、このキャンディはクライマックスの空中ブランコで食べてね? ドラッグが入ってて、そうすると興奮が十倍にも二十倍にもなるんだって」
 男は一瞬眉を上げたが、すぐに手元のキャンディを見下ろしてふぅんと頷く。興味深げな顔付きだ。
「そいつは面白そうだなぁ。ま、薬は使い慣れてる方だから上手く効けばいいけど」
「だいじょうぶ! きっと今までに経験した事が無いくらいの素敵な体験が出来るはずなんだから」
 手を打ち合わせ、満面の笑みで相槌を打ち、男に背を向けるなりスイートはほくそ笑む。
 (――安心して。泡を吹いて苦しむけど死ぬ事はないよ?)
「うひゃひゃひゃひゃひゃ!!!! ねーぇボクゥにもキャンディちょうだぁい、不思議な飴さん下さいなぁ」
「ッ!?」
 と、そんなスイートの横手から突如イヴァンが突進して来た。断りもなくスイートの籠に手を突っ込み、鷲掴みにしたキャンディ達を客席目掛けて大仰に振りまく。
「はぁいバラバラバラー!!」
「あー! イヴァンさんてば、地面にいっぱいおっこちちゃってるよー」
 途端に呆れ顔と化すスイートの顔には、けれどイヴァンを責める色は見えない。突然の到来物に沸く人々の様子を得意げに眺めるその首根っこを掴み、スイートは内緒話でもするように声を潜める。
「ねえ、イヴァンさんはこの後どうするの? スイートの考えてる作戦に協力してくれる?」
「ん? え? いひ、どうしよっかなぁ」
 二人が寄り添う様子は非常に目立つが、ピエロ同士ゆえに疑いの目を向ける者は居ない。
「ボクゥもまずは好きに動こうかなぁ。あ、でもねぇ、ここぞと言う時まで強行突破はしちゃやだよぉ」
 ピエロは一度舞台に立ったなら最後までピエロらしく演じきらなければならないと思うから――これはイヴァンの譲れない信条だった。スイートは頷き、
「うんうん、そこは大丈夫だよ。派手にやるのは空中ブランコの時! 他の仲間にもトラベラーズノートでちゃんと連絡取るからね」
「んはっ! やったー! ひゃはははっ!!」
 行きすぎた笑い声を上げたイヴァンは、ぴょんぴょんと垂直に飛び上がって喜ぶ。しかしそのうち急に大人しくなると、今はまだ暗い舞台袖の方向に視線を移して笑みを深めた。ほんの一瞬、その翠眼の内に憤怒の色が過ぎる。
「――頭のイかれたピエロはこの世に2人もいらない。ボクがいるもの」
「イヴァンさん……?」
 きょとんと目を丸めたスイートに、イヴァンはくるりと振り向く。何事も無かったかのようにニィッと口角を釣り上げ、
「あははァ、いっーてーきまーす!!」
「!?」
 腕をぶんぶんと振り乱し、おもむろに舞台袖目掛けてダッシュした。と思うと警備員の一人を捕まえ、『混ぜて混ぜてぇ、ボクゥもピエロの端くれだからさぁ、Esの狂気に参加したいのぉ!』などと拝み倒し平伏しての前代未聞の入団希望が始まる。頭を抱えた警備がイヴァンの首を鷲掴み、ずるずると裏口の方へ引き摺っていく――。
「……わあ。大丈夫かなぁ」
 言葉とは裏腹のおっとり加減で洩らしたスイートは、きょろきょろと周囲を見渡し、一度壁際に退いた。人目に付かぬようにトラベラーズノートを開き、すらすらと文字を書き綴ってはペン先を唇に宛がう。
「うーん。他のみんなも、上手くやってくれてるといいけどなぁ」

***

「――警備の数は5人だ。扉前に一定間隔で配置されてる。他には誰も……いねえな」
 夕凪は自らの特殊能力を遺憾なく発揮し、ぽつりと呟いた。その言葉を合図とするように、身を潜めていた日和坂、ハギノ、ラスが一斉に飛び出し、警備の虚を衝いて次々と叩きのめして行く。そうしてガラ空きになった裏口を蹴り開け、極めてスムーズに侵入を果たす。
 扉の先は、どうやら倉庫に当たる場所のようだった。小さな豆電球に心許なく照らされた小部屋の中には、ショーで使用されるのだろう機材の数々が雑多に転がっている。正面には他の部屋に続きそうな細い廊下がある。
「思いのほか上手く行ったね!」
「まだだ」
 ガッツポーズをした日和坂を尻目に、冷静に返した夕凪が踏み出す。見れば、見回りらしき警備の男が一人、丁度背を向けて走り出したところだ。
「おい、侵入者だ! 侵入者が――」
「うぜぇ」
 小柄な身体で素早く警備の前に回り込んだ夕凪が、その額に手を翳す。途端、喚いていた男の目付きが朦朧となり、呆気なく膝から崩れ落ちた。日和坂が駆け寄り、目を丸くする。
「わあ、夕凪さん凄い。中にもいたんだね」
「あ~、近場にゃもういねぇけどな」
 夕凪はぼそぼそと喋り、日和坂から視線を外す。
「つっても警戒は怠るんじゃねーぞ。……で、おれはこれから生贄のガキがどこにいんのか透視すっから暫く話かけんな」
「え? ええっ、ちょっと!」
 言うなり、くるりと背を向けた夕凪は腕を組んで黙ってしまった。目を閉じた途端に近寄りがたいオーラが立ち上る。日和坂は頬を掻き、
「も-、ちゃんと協力しなきゃ。……あ、」
 ふと、気付いたようにトラベラーズノートを開いた。
「スイートさんから連絡が来てる。えーと、観客席に紛れ込む事には成功したって。空中ブランコになるまで待機してるみたい。私達は……これからどうしよっか?」
 そこでぐるりと周囲を見渡すと、まずはハギノの姿が見えた。目が合うなり、無駄に爽やかな笑みを浮かべた忍者は肩を竦める。
「大暴れは皆さまにお任せしますですよ。や、もー僕なんか地味ーな忍者すからねぇ?」
「そう? まあ、この分だとパーッと暴れるのはブランコの時になりそう」
 頷き、ハギノは丁寧な一礼を向ける。そうして、
「了解。そいじゃ、一先ずお暇いたします」
 ドロン、と白い煙に包まれてどこかへ消えてしまった。
「――私は生贄として参加かな」
 姿を眩ましたハギノと入れ違いに、沈黙を続けていたラスが呟く。
「……生贄?」
 壁に凭れていた背を起こし、日和坂と対峙するように立つと肩を竦めた。
「観客を含めサーカスの全員を殺したいんですよ。ただ、簡単に殺すのでは面白くないので、一度上げて落とす演出をします」
 残忍な言葉を、しかしラスは滑らかに吐き出す。
「生贄が死ねばショーの興奮は最高潮に達する。その瞬間に能力を発揮して全員に復讐をしようかと。最期なんだから、忘れられない光景にしてあげなくちゃね」
「……そんな」
 笑みすら浮かべて言い切ったラスに、日和坂は愕然とした。ぎゅっと眉を寄せ、堪らず言い募る。
「座長さんと団員さんたちをぶっ倒すのはいいよ。私も賛成。でも、でもさ。……観客はなるべく助けたい。そりゃきっと、座長さんたちに同調して敵に回るかもしれないけど」
「なるべく助けたい? 観客だって同罪じゃないですか」
 ラスが怪訝も露に片眉を上げる。
「いや、それ以上だ。結局、サーカスに集う者は皆、己の欲望のために他人を殺し続けるような輩でしかない」
「そうかもしれないけど!」
 日和坂が声を張り上げ、大きく首を振る。
「ヒトは生きてる限り変わっていけるよ。……こんなサーカスにお客さんが集まるのはナンでだろうって考えてたけど、きっとみんな安心したいんだ。私はここで見ているからあそこで切り刻まれない。私より不幸なヒトはあそこに居る。私はまだ大丈夫、って。そういう不幸のコントロールをこのサーカスはしているんだと思う。だから、観客までまとめて倒す必要はないと思うんだよ」
 互いの主張がぶつかり合い、
「……恐怖でこの場所に縛り付けられた観客さんだって被害者じゃないかな?」
 シン、と場が静まり返る。
 やがて、ラスの顔から笑みが引いた。柔和な印象はそのままだが、欠片も笑わぬ瞳が日和坂を見る。
「――わからない。ボクにはわからないな」
 独白めいて吐き捨て、歩き出したラスが日和坂の傍を過ぎる。
「……ラスさん」
「ひとまず、これから先の私の行動は気にしないで下さい。例え死んでいるように見えたとしても、心配はいりません」
「……」
 ひらりと片手を挙げたラスは、そのまま暗い廊下の先へと消えて行った。二人の主張は交わらぬまま。
 拒絶するような背中を見送り、日和坂はまた思い悩むように頭を抱え、
「うーん……参ったなぁ、って」
 そこではたと挙動を止めた。
 気付けば、いつのまにか倉庫内には日和坂独りがぽつんと取り残された形になっている。慌てて四方を見渡しても、誰一人――というか居た筈の夕凪の姿すら見当たらない。
「あ、あれっ!? 夕凪さんどこ行ったの!?」

***

「レディースエンド、ジェントルマン! わたくしが『Es』の座長こと、『地獄の道化師』でございます!」
「おっと、始まったみたいすね」
 表が騒がしくなるのが分かる。わっと上がる歓声と熱気。ハギノは忍びらしく密やかに、且つ着実に行動を進めていた。物陰に身を潜めて窺う先の楽屋では、鎖に繋がれ項垂れる少女が一人。
 ステージからマイク越しの声が聞こえる。
「これから当サーカス随一のナイフ遣いと少女の乱舞をご覧に入れましょう! 無数に飛び交う刃の中で彼女は果たして生き延びる事が出来るのでしょうか!」
「……ふむ。刺殺か。バラバラ死体ならどうにか、っと」
 ハギノは瞑想するように目を閉じ、両手を組み合わせる――『分身の術』。
 ドロン、と音が立ち、生贄の少女と瓜二つの姿に化けた『もう一人のハギノ』が現われた。
「上手くやれよー、入れ替わる瞬間、本物の生贄さんには適当に死んだふりして貰って」
「ラジャ!」
 本体と分身がパン、と手を打ち合わせ、そこで別れる。忍び足で移動を続けるハギノは順調に舞台袖に到達し、今度は柱の影から様子を窺う。そこには巨大なクレーンを思わせる空中ブランコの装置があった。団員の男性がこちらに背を向ける形で動作チェックを行なっている。隙だらけだ。抜き足差し足で接近しかけた、瞬間。
「疑ってるのかい? なら証明しよう!」
(……ん?)
 聞き慣れた声が耳に触れた。動きを止めて眺めると、隅の空間にイヴァン、そしてそれを取り囲む団員の姿を見付ける。
(おや? イヴァンさん、もしかして囮作戦すかね?)
 イヴァンは何が可笑しいのかケタケタと大仰に笑い続けながら、不意に一人の団員の腕を鷲掴み、
「5歳の頃はアリを飽きずにアハッ指でねぇ~こう、プチプチッて」
 テーブルにつけさせたかと思うと、その甲の中心をナイフでズブリと貫いた。
(うわっ)
「ギャッ、ギャアアアアアアッ!!!!」
「ヒッ、お前仲間に何を……! わ、分かったわかったお前がイカれ野郎なのはよく分かったよ!! とっとと舞台に出て来い!」
「えっ、ほんとにぃ? アヒャヒャッ、やったぁ-!」
(……うわぁ……)
 無邪気に飛び跳ねるイヴァンが、意気揚々と目の前を駆けて行く。慌てて首を引っ込めたハギノの前を、続いて恰幅の良い団員が通り過ぎる。その手が握り締める鎖の先に繋がれているのは――ラスだ。
(うぇぇ??)
 まるで罪人のように首を引かれ、項垂れるラスの姿をチラと見て、横合いから近付くもう一人の団員が声を掛ける。
「ねーぇ、誰それ? 檻の中にはいなかったツラだね」
「おーなんでも探偵らしい。裏口から忍び込んでうろちょろしてるとこを捕まえてな。見目がいいから客にウケるだろうし、派手にぶっ殺せとの指示だ」
(……っひゃー……大丈夫なんすかね?)
 何かしら作戦があるのだろうとは思えど、若干不安になる。ハギノは仲間二人を気にしつつも、そっと空中ブランコに寄った。相変わらず背後がガラ空きの男のうなじへ、鋭い手刀を一発叩き込む。
「ぐぁっ!?」
「……ま、信じてやるしかないすね」
 ずるりと崩れ、気絶した男の身体を支える。そうして、耳元でひっそりと囁いた。
「ちょーっとだけ、お姿借りますよー? あ、お仕事はちゃんとやっときますから……ご心配なく」

***

「分かってるかもしれねぇが、あんたらこのままだと死ぬぜ」
 細い廊下を歩きながら、夕凪はテレパシーを行なっていた。時に人の気配がすれば、柱の影に隠れて様子を窺い、かいくぐるように進む。
「どこにいんだよ。……うん? 右? 左?」
 小声でぽそぽそと喋りながら目指すのは、生贄が閉じ込められている部屋だ。ほどなく現われた扉の前で立ち止まり、
「……ここか」
 ギ、と押し開くと、息を呑む音が聞こえた。部屋の中には巨大な檻しかない。そこに閉じ込められた幼い男女が一斉に振り向き、鉄格子に取り付くようにして助けを求めてくる。
「お兄ちゃん! 助けて! 助けて!!」
「あ~うるせぇ。にしても少ねぇな、5人しかいねーのか?」
 いかにも面倒くさげに鍵に手を掛けると、一番年長と思しき少年が頷く。
「……あとの3人は別の部屋にいると思う。僕達、空中ブランコで使われる予定だったんだ」
「そーかよ。売られたのか掻っ攫われたのか知らねーけどついてねーな」
「ぅ……」
 と、三つ編みの少女の顔がじわりと歪む。夕凪の言葉がスイッチとなったよう、わんわんと声を上げて泣き出した。
「ママぁ! なんでミラの事、助けに来てくれないのぉ!」
「ああ、ミラ……よしよし、泣かないの。仕方ないんだよ。もう、ママには会えないんだよ」
「うぇええ~ん!!」
(……チッ)
 柵から手を外し、頭を撫でるのはやはり年若い少女だ。まとめて売られた姉妹のようである。
(胸糞ワリーな。昔を思い出しちまうじゃねぇか)
 そのうち、パチン、と鍵が開いた。ピッキングなどお手の物な夕凪は素早く扉を開き、中の子供に嗾ける。
「おらおら後は好きにしろよ、逃げんならサポートしてやる。右へ向かって突っ走れ。今のところ裏口はガラ空きだからな」
「わぁ、ありがとう!!」
「やったぁ、お兄ちゃん、ありがとね!!」
「ほら、ミラ、行くよ!」
「ぐすっ、……うん……」
 躓きながらも手を取り合い、5人は一目散に外を目指して走り去り――それと入れ違いに、日和坂が飛び込んできた。全力疾走のお陰で息を切らした彼女は、膝に手をついて呼吸を整え、顔を上げるなりへらりと破顔する。
「ど、どこ行ったのかと、思ってた……子供達が出てったけど、無事みたいだね。他の部屋にも檻があったけど、中は空っぽだったよ」
「……残り3人はもう引き摺られてった後って訳か。ま、仕方ねぇな」
 気のない声を上げた夕凪は、一度開かれた扉の方向に目を向け、それから日和坂に視線を戻す。その目線が彼女の手元に落ちるなり、眠たげな面持ちが怪訝に歪む。
「? あんたそんな物騒なモン片手に走ってきたのかよ」
「ん? あ、ああこれ」
 日和坂は瞬き、物騒なモンこと大きな鉈をひょいと掲げて見せる。
「前、ファージ変異獣と戦った時使ったのを持って来たの。この方がテント切り裂きやすいかなって思ってさ」
「……んなまどろっこしい事はしねぇでいいと思うぜ。どーせ皆潰すんだ、頃合い見計らって正面から突っ込むのが一番いい」
「そっか」
 頷き、日和坂は得物を仕舞う。もともと正面突破で舞台に飛び込む作戦もありだとは思っていた。
「今の時間はプログラムのどの辺りだろうね」
 目を細め、日和坂は呟く。
「――獣の鳴き声が聞こえる気がする」

***

「きゃぁあっ!! ねぇ、あの子ほんとに死んだの?! 嘘じゃなくて?!」
「ああそうさ! だから言っただろう。とんでもないイカれサーカスだってさ!」
 飛来するナイフから逃げるために、飛び跳ね、転げ、伏してを繰り返していた生贄の少女は不意に躓き、容赦なく左胸を貫かれて倒れた。地面に伏した唇や傷口からはじわじわと血液が滲み、床面に気味の悪い水溜まりを形成して行く。ピクリとも動かぬ姿を見て、観客は気の触れたような奇声を上げて拳を突き上げる。少女はまるで見せしめのように放置された後、舞台の端へゴミ同然に放られた。
(んー、あれはフェイクかな)
 既にピエロメイクを解いたスイートは、その様子を観客席から観察していた。開きっぱなしのトラベラーズノートを一瞥すると、日和坂からの報告が来ている。『私と夕凪さんで空中ブランコ用の生贄5人を解放済。他の生贄3人は不明。ハギノさん、ラスさんは単独行動中』
(ハギノちゃんが忍者っぽくにんにん~って、してくれてるといいなあ)
 まったりと楽観視して、スイートは手にしたキャンディを一舐めする。と、どこからともなく激しい獣の咆吼が轟いた。空気を震わせるほどの鳴き声に観客はどよめき、スイートも他に倣ってステージに注目する。派手な衣装を身に纏った団員が奥から引き連れてきたのは、紛れもない、一頭のライオンだった。巨大な四肢で、ずん、ずん、と地を踏み、獣は血走った眼差しで周囲を射る。低い唸り声を垂れ流す口元からは鋭い牙が突き出し、涎が滴っている。
「あっはははぁ!! さてさてみなさま! こちらのライオン、クルーエルはぁ、実に3日の間エサを口にしておりません!」
(あれ?)
 舞台袖からマイクを片手に飛び出した男の出で立ちと、何よりその特徴的な声には聞き覚えがあった。――イヴァンだ。
「すごーい、イヴァンさんステージに上がっちゃってるー」
 スイートの呟きが聞こえた訳では無いのだろうが、イヴァンはそのタイミングでサッと客席を振り向く。
「なのでぇ、今ならどんな物でもぺろりと一呑みしてしまう筈ですよ! 例えばそう、こんな小さな――」
 言うと同時に、ぐいっと何かを引っ張る仕草。半泣きの小さな子供が、引き摺られるまま舞台に現われるが、
「――おこちゃま! ではちょっと見応えないのでぇ、おっきな人を与えてみましょうね!」
「えっ!? あっ、」
 その手は瞬く間に子供を離れ、獣の手綱を引く男に向いた。満面の笑みを浮かべたイヴァンが慈悲の欠片も見せずに肩を押す。意表を衝かれた男はぐらりと傾き――拘束が緩んだ拍子に自由になったライオンの口腔へ、一息で倒れ込む。鋭利な牙がガツン、と頭部を噛み砕き、続けざまにバリバリと骨を砕く鈍い音が鳴り響いた。悲鳴と歓声が渦を巻く。
「うわぁあああああ゛ッ!!」
「は、鼻から上が無い……!」
「脳味噌見えてるじゃねえか!!」
「いいぞぉ!! ガキ以外もたまにはオツだな!!」
「いひっ、ひひひひぃ! ありがとうございます、ありがとございますぅ~お次は空中ブランコでーす!」
 色めき立った観客達は、声を合図とするように一斉に懐を漁る。数多の手が開くものは、スイートが配った毒入りキャンディの包みだ。更なる高揚を追い求める人々の口に、キャンディは次々と放り込まれて行く。
 その間にステージ上は明滅し、空中ブランコの機械が二台、向かい合うように設置された。機械の直下にあたる地面には亀裂が走り、無数の刃が剣山のように覗く。落下すればひとたまりもないだろう。――だが、ブランコの頂に突き出されたのは、命綱を付けることを許されぬ生贄だ。何の疑いも無くキャンディを舐め出す人々を窺ったスイートの瞳が空を仰ぐなり、再び丸くなる。
(わ、ラスさんまであんなとこに)
「ぐぁああっ……!!」
 瞬間。いかにも楽しげにキャンディを舐めていた男の頬が強張り、奇声を上げて倒れた。『きゃぁっ!』『なんだ!?』――たちどころにどよめく観客席では、それを発端とするように次々と客達が悲鳴を上げ、崩れ落ちる。苦しげに咽を掻き毟る者や、唇から泡を噴いて呻く者達で、場内は騒然と化す。
「ナイスタイミング!」
 スイートは含み笑いをし、颯爽と立ち上がる。駆け出す先のステージでは、観客の異常に気付いた地獄の道化師と団員達が慌てたように姿を現わした。
「なんだこれは、何が起きた!?」
「と、とにかくショーを止める訳には行かない! 早くブランコ……、!? 何してる! 動かせ!!」
 もがき苦しむ観客達を呆然と見下ろした地獄の道化師が、聳え立つ機械を仰ぎ見――なぜかぴくりとも動かぬ様子を訝かって片眉を上げる。すると、影で待機していた団員が一人、ゆらりと姿を現わした。フリルシャツを着込んだ身体を折り曲げ、おもむろに辞儀を見せる。
「すみません団長、動かせません」
「……な、」
 思い掛けぬ一言に、唖然と口を開いた道化師からはおどける余裕など当に消え失せている。
「なんでかって?」
 ゆっくりと首を擡げた男の瞳が弓形に細まり、
「ある時は非情なサーカス団員。ある時はいたいけな少女、しかしてその正体は!」
 慣れた調子で両の手を組み合わせると、ドロン、と不思議な音が立ち、白い煙に包まれた男の容貌が変化した。変身を解いたハギノは人の悪い笑みを浮かべ、戯れに片目を閉じてのウィンク。
「どもども、ハギノですよっと。団長殿、僕の演技どーでした?」
「き、貴様!! まさかあの探偵とやらの仲間か! クソ――」
 逃げるようにジリ、と足を退いた地獄の道化師に追い打ちを掛けるよう、スイートがステージ上へとしなやかに駆け上がる。
「ねえねえ、どうしてこんな事するの? 痛くて怖いサーカスなんて楽しくないよ。スイート、もっと楽しいサーカスがいいなあ」
「……ぐ、……」
 じりじりと退いて行く道化師の両端で、険しい表情と化した団員達も各々ナイフを取り出す。道化師は不測の事態に表情を歪め、ほどなくいびつな笑いを唇に敷いた。
「……痛くて怖いサーカスは楽しくない? そんな事は無い! 楽しいからこそこんなに人が集い、多額の金が動いてるんだろう。お嬢ちゃん、それが分からないなら普通のサーカスに行けばいいんだよ」
「えーそんなのやだー! サーカスは、お客さんに夢を与えるトコロなの! こんなのはただの拷問ショーだよ!」
 道化師が舌打ち、やにわに頭上を振り仰ぐ。
「ごちゃごちゃうるせぇガキだな……おい! その男を殺れ! 突き落とせ!!」
「え!?」
 混乱の坩堝と化している観客席を一人、爆笑しながら眺めているイヴァンをよそに、スイートとハギノが揃って空中ブランコに注目する。と、道化師の怒号を合図にしたように、監視役の団員が生贄を――ラスの背中を、ドン、と突き出す。
「ッ、ラスさん……!!」
 止まった機械は動かず、向こう岸に渡るための棒もない。ぐらりと傾いたラスの身体は結果的に虚空を舞い、弾かれたように両腕を伸ばす二人の仲間の目と鼻の先で、堅い地面に叩き付けられた。轟音に紛れ、衝撃のあまりあらぬ方向に曲がった首骨がみしりと軋む。阿鼻叫喚が木霊する中、それを目撃した観客が戦き、いよいよ出入り口に殺到する。ケタケタと笑い声を上げる道化師は地獄の遣いそのものだ。
「ッハハハハハ!! 俺のショーを台無しにしてくれた報いだ! 一人残らず潰してや」
 だが――箍が外れた道化師の背筋に、悪寒にも似た感覚が駆け抜ける。
「……ぬほどの、……み……」
「!?」
 地を這うような声が鼓膜を舐める。慌てて耳を覆った道化師は、音の根源を探ろうと首を巡らせる。
「な、なんだ一体、この声は――」
「……死ぬほど、の、痛み、……」
「ま、まさか……」
 恐る恐る見下ろした先には――地に伏したままのラスの死体がある。だがおかしな事に、声は確かにそこから聞こえてくるのだ。ぐにゃりと拉げた首はそのまま、青白いラスの唇は小刻みに震えて呪詛を思わせる羅列を吐き出す。身体からは何か、得体の知れぬ黒い煙のようなものが立ち上り始める。やがて、虚ろに見開かれたままの眼球がぎょろりと動き、真っ直ぐに道化師を射貫いた。
「――死ぬほどの痛み。貴方も一度、味わってみなよ」
「ヒッ……!」
 呪魂が発動する。このサーカスで殺害された者達の怨念がラスの憎悪に煽られたよう、観客席へ、団員へ、そして地獄の道化師へと一斉に降り掛かった。暗灰色の煙が髑髏の形を取って口を開き、人々の身体を擦り抜けると、激しい怨嗟に耐えきれぬ者から呻き声を上げて息絶えて行く。苦悶に悶える団員の一人が、横合いからいきなりラスに殴りかかる。
「て、めぇ、この、死に損ないが……!!」
「っ、とお」
 二人の間に機敏に滑り込むハギノが、手甲でその一撃を止めて笑う。
「させないすよ! ちょっとやりすぎな気、しなくもないけど、仲間なんで」
 受け流すように弾き飛ばすと、立て続けにスイートが肉薄する。自らの手首を切り裂いた少女は、溢れる鮮血を払うように振りまき――その雫をピシャリと受けた男は、雄叫びを上げて致死に至る。
「ぐあっ……!」
「ふふ、スイートの血はね、猛毒なの。スイートは等身大の毒入りキャンディなの。――だからね、バイバイ」
 同刻。幽鬼のようにふらりと蘇生したラスが、追い詰めた先で息も絶え絶えに命乞いをする団員に凄絶な笑みを向ける。
「――癖になるかもよ。次があれば、ね?」
 その言葉を最後――彼が振り下ろす呪言の鎌に鋭く首を刈られ、男は血の泡を撒き散らして崩れた。

***

「なんだよあれ……!」
 たった一つの出入り口に息も絶え絶えに雪崩れ込んだ観客達は、驚愕の声を上げた。
 目前にまるで行く手を阻むように巨大な狼が立ちはだかっている。けれど、普通の狼では無いのだ。陽炎のように黒い輪郭を揺らめかせる「それ」は、サーカスのみならず、浅はかな観客をも滅ぼそうとするラスの呪言の塊だった。
「これじゃ出られねえ!」
「うう、こんなところ、来なければよかった……!」
「苦しい!! ねえこのまま私死ぬの!?」
「帰りたい! こんなに恐ろしい目はもうたくさん!!」
 怒号する者、すすり泣く者、そして――自らの愚行を後悔し、祈りを捧げる者までもが現れ始める。その時。
「――エンエン!」
 どこからともなく、快活な少女の声が響いた。それに遅れてごう、と風が唸り、炎を纏うセクタンが一匹、空を裂く。
「火炎属性ぷりーず! 狐火操り火炎乱舞! 燃やし尽くすよ!」
 声に従い、眩い炎が狼の腹に突っ込む。形無い狼は霧散するように消え失せ――それでも虚空を踊り続ける狐は、続いて天幕に火種を移す。赤々と燃え広がる炎はやがて、外へ繋がる出口を大きく切り拓いた。
「おおお……!!」
「ありがてえ!!」
 涙ぐむ一人を捉えた日和坂は、セクタンを操るままに頬を弛める。そうしてキッと行く先を睨み、
「悪夢は今ここで炎上して終わる。終わらせるっ! だからみんな家に帰って目を覚ませっ! ――でも、」
 怒濤の勢いで出口に突っ走る人波の中で、突如片脚を振り上げた。
「キミは駄目だーっ!!」
「ぎゃぁあっ!!」
 鉄板入りシューズでガツンと蹴り上げたのは、どさくさに紛れて逃げようとしていた団員の一人だった。背中に強烈な一撃を受けてダウンした女が、目を血走らせて振り向く。
「悪いけど、座長さんと団員さん! キミ達はぶっ倒すって決めてるんだよ!」
「うるさいわね、邪魔しないでっ!!」
 調教用の鞭を撓らせ、女は日和坂に躍り掛かる。が、咄嗟に目を瞑って顔を庇った日和坂に衝撃が訪れる事は無かった。そろそろと瞼を開くと――女は既に失神していた。垂直に引っぺがされ、盾と化した床板が少女を護ったのだ。目を瞬かせて振り向くと、相変わらず不服げな顔で佇む夕凪の姿がある。
「……あ、ありがとう」
「……」
 夕凪は応えず、ただフンと鼻を鳴らす。そうしてステージの方向に向き直り、拡げた掌を身前に翳す。
「こっちに逃げてこようとしてんのがあと二人いる」
「!」
 得意の読心を発揮した夕凪の呟きに、日和坂も表情を改めて腕を捲る。
「オーケイわかった! 行くよエンエン!!」

***

(はあ、はあ、はあ……! 畜生! 畜生!!)
 地獄の道化師は負傷した身体を引き摺るように、暗闇の中を駆けていた。もともと団結の強くなかった団員達は既に散り散りとなり、ステージ上で絶命した者の姿も目撃した。出入り口方向に逃げた団員も恐らく無事では無いだろう。噴き出す冷や汗で馴染みのピエロメイクは落ちている。シルクハットもどこかへ飛んだ。道化の仮面を剥ぎ取られた男は、もう金に狂った薄汚い人間でしかなかった。
「やっとっ、上客が、付き始めたってのに! ついてねえ! とにかくここから出て、また時期を窺って――」
「――さぁさぁお立ち会い!」
「!?」
 あと少しで裏口に達そうという所で、突如響いた声に息を呑む。反射的に立ち止まると、開け放たれた扉の影からゆらりとイヴァンが現われた。地獄の道化師とは異なり、未だ完璧なピエロの様相を保つままにやつく彼の片手には、大きなフラフープが握られている。
「地獄の道化師バーサスゥ、イかれた道化師はイヒッ! ボクの勝ちで幕引きさぁ!」
「っこんなところにまで……! 貴様そこをどけろ! 相手してる暇は無えんだよ!」
 見せ付けるように両腕を広げたイヴァンに、男は引っ繰り返った罵詈雑言を向ける。既に頭は働かず、動くにも辛い身体だが、かくなる上は実力行使で――震える手で隠しナイフを探ろうとすると、イヴァンの顔からスッと笑みが引き、翠瞳が冷たい光を称える。
「……キミはサーカスを屈辱した。その償いは道化師のボクが下してあげよう。この世にサヨナラは言ったかい?」
「……は、」
 得体の知れぬ怖気を感じて仰け反る。
「何を、訳わかんねぇこと……」
 その時だった。逃げ場を探すように揺れた男の視線を見逃さず、イヴァンがグンと腰を捻る。撓らせた腕の先から離れたフラフープは、瞬く間に鋭利な刃と化して標的の喉元に迫り、それに気付いた男が溢れんばかりに目を剥いて慟哭する。
「ヒッ……!?」
「あひゃひゃひゃひゃァ!!!!」
 死の間際に男が見たもの――それは笑みすら浮かべてこの状況を楽しむ、悪魔のようなイヴァンの笑顔だった。

***

 ――こうして、殺人サーカス『Es』は壊滅した。
 欲望に呑まれた多くの人間達の亡骸は、墓標と化した色鮮やかなテントの下に眠る。
 「次はもっと楽しいサーカスに招待してね」
 あまりにも純粋な願いを込めて、スイートは去り際に呟く。
 
 インヤンガイの界隈は、束の間の平穏を取り戻したのであった。

クリエイターコメント大変お時間をいただいてしまい申し訳ありませんでした。
トリッキーな動きをする方々ばかりで、とても描写が楽しかったです!

少しでもお楽しみいただければ幸いです。
ありがとうございました。
公開日時2012-03-30(金) 22:30

 

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