1.旅を終えて ロストレイルは、静かにディラックの空を走ってゆく。 何もない空の奇妙な――それでいてどこか妖しく美しい――光景にも、もうすっかり慣れっこだ。帰途の空をゆくロストレイル内部は快適で、温かな車内がほどよい疲労感に心地よい。 「なかなかに有意義な旅だったのだ。特にあの、大猫熊たちの一斉蜂起から戦い、勝利の踊りには感激せざるを得なかったのだ」 カンタレラは上機嫌だった。 隣のコンパートメント席のテーブルには、旅の成果が収められた箱が鎮座していて、それを見るたびに、一大スペクタクルといって過言ではない数々の出来事が思い出され、カンタレラに感嘆の呼気を吐かせる。 「うんうん、すごかったよね。俺は、天竺鼠と鬼天竺鼠の共演には思わず涙したよ」 テーブルをはさんだ向かいの席でにこにこ笑うのは蓮見沢 理比古、壱番世界の日本を拠点とするコンダクターである。学生にしか見えない外見をしているが、覚醒したのは三十路に入ってからだという。 「ああ、あれにはカンタレラも唸らせられたのだ。山猫たちの攻勢に差しのべられた手、『だが断る!』の中に込められた矜持と思いやりに感動しないものなどいないのだ」 「あー判る判る! なんか俺、彼らの独特の立ち姿を思い出すたびに『ゴゴゴゴゴ』っていう効果音が再生されるようになっちゃったもんね」 「初歩中の初歩なのだ。カンタレラは台詞の言い回しまで覚えているのだ」 「それはすごいね。俺はまだまだだなぁ」 カンタレラと理比古の会話は盛り上がる一方だ。 双方見事なまでにボケ体質なので、ツッコミ不在だと留まるところがない。 「なあ、そんな内容だったっけ、依頼って……?」 ふたりの会話に、この中では唯一のリアル学生・虎部 隆が首を傾げている。 「俺ら、管理者不在で危険な状態の竜刻を回収して、温泉入って美味いもん食って観光して帰って来ただけだよな……? そんな血湧き肉躍るようなこと、あったっけか」 今回の、緑深き地に眠る竜刻回収の旅には、どこか古きよき日本を思わせる温泉町での観光がセットされていて、依頼に参加した六人は、竜刻の眠るいにしえの森での絶景のほか、独特の雰囲気や美味な食事、身体を芯から温めてくれる温泉などを楽しみ、全体的につやつやになって帰途に就いたのである。 「――あれは温泉街の一角で上演していた歌劇の内容だ」 虚空が、ため息とともに、テーブルに茶や菓子を置く。 「動物使いの一座が来ていて、愛と憎しみと許しの一大叙事詩とかいうのを演ったらしい」 この、やたらと世話焼きな銀髪青眼の男は、旧名家の出身という理比古を幼少時より守護してきたしのびなのだそうだが、壱番世界の現代日本においてはなかなかに時代錯誤な話である。 「ああ、そういやあったな、ちょっとひなびた雰囲気のが。しかしあれだけ聞いてると、今回の依頼がスゲー激しい戦いだったみたいに思えちまうよなー。まあそりゃ深い森だったし、それなりにスリリングな旅ではあったけど。っていうかあのナントカネズミって何?」 「天竺鼠はモルモット、鬼天竺鼠はカピバラじゃなかったか」 「それで想像するとほのぼのシーンしか思い浮かばんわー。あ、このお茶うまい。これナニ?」 「向こうの特産品だそうだ。半発酵茶だから、青茶とか白茶の仲間だな」 「青茶って?」 「中国で盛んに飲まれているたぐいの茶だ」 「あ、ウーロン茶か。なるほど、確かに風味がちょっと似てる、ような」 「あと、こっちの焼き菓子も特産品だ、その茶とよく合うぞ」 茶を淹れ、ケーキとクッキーのあいのこのような素朴な焼き菓子を切り分けて供する虚空の手つきは明らかに熟練のそれだ。闇に潜むしのびというよりは家政婦といったほうがいい。 「あんたって理比古の護衛? 秘書? オカン?」 「……他にやるやつがいねぇんだから仕方ねぇだろ」 「おい虚空、オレ様にも茶のお代わり頼むわ」 ため息交じりの虚空に、尊大な、尾てい骨を直撃しそうな甘いハスキー・ヴォイスがかかる。 「そのくらい自分でやれ」 「人に淹れてもらうから美味いんじゃねェか」 からからと豪放に笑う大柄な男は石川 五右衛門、ツーリストだがもろもろあって蓮見沢家の客分である。壱番世界に滞在する際は、蓮見沢邸を拠点に、阿久津 刃の名で舞台俳優をしているのだそうだ。 手練れの気配を滲ませつつも、人好きのする、魅力的な男である。 「茶を自分で淹れるくらいしても罰は当たらねぇだろ。なんで俺ばっか働いてんだ」 「それ、アヤとかカンタレラ嬢ちゃんにも言えよ?」 「……あのふたりとお前じゃ立場とか質が違ぇだろが」 「知らねェな。ほれ、茶。ちょうどいい温度で頼むぜ?」 ひらひらと手を振る五右衛門の姿に苦虫を噛み潰したような顔をし、深々とため息をついてから、虚空は茶器に手を伸ばした。ついで、とばかりに、座席の隅で悠々とくつろいでいる男に声をかける。 「あんたもどうだ、もう一杯」 「いや……ああ、そうだね、ではお願いしよう」 男の、白い優美な指先がカップをゆったりと持ち上げる。 彼は那智・B・インゲルハイム、成り行きで今回の依頼に同行したという変わり者だ。なんでも、カンタレラと隆が気になって同行を申し出たという。 彼は、虚空が注いだやわらかな色の液体を細めた目で見つめ、ふっと笑みを浮かべた。質のいいスーツと眼鏡、スマートな立ち居振る舞いに理知的な眼差しもあって、そんな表情もひどく様になる男だ。 「温泉と言えば」 カップに口をつけながら、かすかに笑う。 「モフトピアに現れた温泉に、面白いものがあったらしいね」 那智が言ったとたん、理比古と談笑していたカンタレラと、茶菓子を咀嚼していた隆がびくっ、という妙な動きをした。 「オッドアイの湯、だったっけ……つかっていると、不思議な効果が表れたっていうじゃないか」 ねえ? と、那智は笑顔でカンタレラと隆へ視線を向けるが、 「な、なんのことであるか? カンタレラには、何が何やらさっぱりなのだ」 「だ……だよな? 俺も記憶にないわー」 ふたりはあさっての方向を見やるばかりだ。 那智の笑みが深くなる。 「ふふ、“運命を捻じ曲げる終末の裁定者”に、“指揮者(コンチェールノ・エステーラ)”だったかなぁ。ふたりとも、左目、もう大丈夫?」 あの日姿を現した真実(ほんとう)の自分について、どこから聞き及んだのかチクチクと突いてくる那智に、 「いや、うん、なんていうか……うん、大丈夫ダトオモウヨ?」 「う、うむ……記憶にはないが、カンタレラも大丈夫だとオモウノダ」 かくかくとした動きで頷く隆とカンタレラ。 あの時の出来事は、ふたりの胸に深くしまわれていたはずだったが、なぜその秘密を知られてしまっているのだろうか。 「天と地を巻き込んだ壮絶にして激烈な闘いの記録……私も、そのいっさいを目にしてみたいものだね」 脂汗っぽい何かをだらだら流すふたりと対照的に、那智はとてつもなく楽しそうだ。 「えっらいカタコトっぽくなってんぞふたりとも。しかし……いったい何の話だ、それ? すげぇ壮大な話みてぇだが、カンタレラはともかく、虎部はコンダクターだよな……?」 まったく事情の呑み込めていない虚空が眉をひそめるものの、その事情をひとさまに説明するには鉄の心臓が必要だ。それこそ、真実の自分が目覚めてしまうかもしれないし、下手をすれば吐血するかもしれない。ちゅうにの湯とは、かくも恐ろしき“終焉の眠る場所(デッドエンド・クレイドル)”だったのである。 「いやいや、うん、その、なんだ。特に大したことじゃないから、それについては今すぐ忘れるといいんじゃないかな!」 「まったくだ、何のことかはわからないが、カンタレラもそれを強く勧めたいのだ」 「眼ぇバチャバチャ泳いでんぞ、ふたりとも。……まあ、突っ込めば突っ込むほどダメージになるみてぇだな。武士の情けってことで口をつぐむわ」 「虚空の家は武士じゃなくて騎士だけどねー」 「言葉の綾に対する、重箱の隅をつつくツッコミ禁止! そもそも俺は武士でも騎士でもなくてお前のしのびだっつーの」 別方面からのボケともツッコミとも取れぬそれに、すでに何度目かも判らないため息をつき、虚空は新しい茶菓子を供した。それを面白そうに見ながら、五右衛門は懐から菓子箱を取り出す。 「アヤ、オレの買ってきた土産、いっしょに食おうぜ」 「ん? それ、家へのお土産じゃないの?」 「まあそうなんだけどよ、お前が一番喜ぶだろ。ってことは、どこで食っても同じさ」 理比古には甘いのが蓮見沢家に住まうものたちのさがである。 天真爛漫なこの青年に心を救われてきたものばかりなのだから当然ではあるのだが。 「カンタレラ嬢ちゃん、虎部、お前らも食わねェか? 水晶みてェな寒天菓の中に、干した果物だのなんだのであの町の風景をつくってあるんだ。箱庭みてェできれいだぜ?」 五右衛門が、“黒き歴史書(ブラック・ライブラリ)”を紐解かれた衝撃からか、どこか呆けている風情のふたりに声をかける。ふたりは、ゆるゆると顔を見合わせたあと、曖昧な笑みを浮かべてこちらの座席へと移動した。 大柄な五右衛門をはじめ、長身の理比古と健康な男子の隆、豊満な肢体を裾の長いワンピースに包んだカンタレラという四人が座るとコンパートメントタイプの座席は少々窮屈だが、理比古などはむしろ嬉しそうだ。 「俺はスノードームみたいって思ったな。どうやってつくるんだろ、これ。食べるのがもったいないよね」 「あー、確かにきれいだな。和菓子にもあるじゃん、こういうの。夏あたりの季節菓子でさ、金魚鉢みたいなデザインのやつが。あんなふうにつくるのかもな」 「壱番世界にもそんな美しいものがあるのか。一度、見てみたいのだ」 旅の充足感もあって、ほのぼのとした空気が車両内には流れる。 それらを、隣の座席から見守りつつ――カンタレラと隆を見る眼には、まだ面白がるような光が揺れていたが――優美な動作でカップを乾し、那智はゆったりと微笑んだ。 「さて、依頼も完遂したことだし、もうしばらくディラックの空の旅を楽しむとしようか」 「おうよ。そういや俺、帰ったら会合の準備しなきゃいけねぇんだよな……今回はウチが会場なんだ」 「頑張れ虚空、よっ、有能秘書!」 「応援だけじゃなく実際に手伝え!」 「えー? オレ様異世界人だしー?」 「あはは、五右衛門、なんだか可愛いな」 「かわいこぶられても何ひとつとして嬉しくねぇわ……!」 にぎやかな空気とともに、ロストレイルは旅人たちを0世界へと運んでゆく。 まさか、ここからさらにひと騒動あるなどと、誰が想像し得ただろうか。 ――いや、ある意味予想通りと言うべきなのかもしれないが。 2.予感と悪寒のラプソディ 「……退屈なのだ」 「うん、退屈だね」 だいたい、予想のつく流れだった。 一大スペクタクル叙事詩をいっしょに観た辺りからすっかり意気投合したふたりは、帰還の車内でも大いに盛り上がり、ツッコミ不在の会話を繰り広げては隆に微妙な表情をさせ、那智を笑わせ、虚空にため息をつかせた――ちなみに五右衛門は理比古のすることならたいてい全肯定するので問題ない――わけだが、会話のネタが尽きるとそわそわし始めた。 「やることねぇなら寝とけ。着いたら起こしてやるから」 ふたりの手持無沙汰はなんとなく理解できたものの、好き勝手されて被害を受けるのは自分、という自覚のある虚空が頼むから寝ててくれというニュアンスを込めて勧めるが、 「あ、そういえばあの竜刻、きれいだったよね」 「うむ、内側に光る花を抱いているようだったのだ」 「……もう一回、確かめてみたくない?」 「カンタレラも同じことを思ったのだ。やはり理比古とは気が合うのだ」 事態は、予想通り、もっともありがたくない方向へと転がってゆく。 正直、悪い予感しかしない。 「ちょ、待、おま……」 離れたテーブルで茶器の片づけをしていた虚空は、箱に手をかけようとするふたりを制止することが出来ない。 とっさに手が届きそうなのは五右衛門と那智だが、 「変にいじって怪我しねェようにな。まァいざとなりゃなんとかするさ、虚空が」 「確かにきれいなかたちをしていたからね。私は、あの竜刻の持つ力がどんなものなのか、ということに興味があるな。虚空くんがそれを実践してくれるのは歓迎だね」 「――お前らに俺をいたわろうって気持ちがないのはよっく判った!」 あてにならないことはすでに理解している。 一番判ってくれそうな隆はというと、残念ながらセクタンといっしょに心地よい昼寝の最中で、 「温泉はさー、やっぱ源泉かけ流しじゃないとさー……」 などという、平和な寝言までが聞かれる始末だ。 すでにいろいろなものを諦めた虚空が、せめて茶器が割れないようにときっちり片づけている間に、 「宝箱を開けるようでどきどきするのだ」 「プレゼントを開けるみたいな気持ちでもあるよね」 ふたりの天然系トラブルメーカーは、さくっと箱を開けてしまっていた。 きらきらとした光が、箱の中から舞い上がる。 「……きれいなのだ」 「ほんとだね。息を呑むって、こんな感じかな」 全長三十cmほどの、ひんやりとした風合いの水晶柱。 ざらりとした質感だが、透明度は高く、なぜか少し暖かい。 内部には、色とりどりの花、もしくは虹めいた鮮やかな光が瞬き、時とともにその色合いと表情を変える。 それは確かに、目を奪われるほど美しかった。 どことなく郷愁を誘われる、温度のある美しさだった。 「あんままじまじ見てなかったが、きれいなモンじゃねェか」 「強い、深い力の波動を感じるね。竜刻だから美しいのか、美しいものに竜刻が宿ったのか? 興味は尽きないな」 五右衛門と那智も素直に感嘆している。 その声で目覚めた隆が、竜刻からこぼれるやわらかい光に目を奪われ、それから年相応の顔でふわっと笑った。ちょっと寝惚けた声が、きれいだな、とつぶやいている。 ――そこで終われたら、ただの『少しいい話』で済んだのだが。 もちろん、そんなはずもなく。 「下のほうがどうなっているのか気になるのだ」 「だね。ちょっと持ち上げてみようか……――あ」 唐突に、声のトーンが変わった。 「ごめん、虚空」 「名指しで謝んな何した」 「うん、取れちゃった」 てへっ☆ とでも言いたそうな軽い調子で、持ち上げられた竜刻からは、封印のタグが外れて落ちている。カタカタカタ、と、竜刻が音を立て、震え始めた。見る間に、内部に抱かれた光が激しさを増してゆく。 「取れちゃったとか言ってる間にそれ付け直……」 「危ねェぞ、ふたりとも!」 五右衛門の鋭い警告。 瞬時に動いた彼が、両腕に理比古とカンタレラを抱え、跳び退るのと、 ぶわっ! 竜刻から、花びらのようなエネルギー波と、色とりどりの蛇があふれ出てきたのはほぼ同時だった。 光の中に、タグが隠れて見えなくなる。 「おわッ!?」 大きな口を開けた蛇に齧られかけ、隆はまだ寝こけているセクタンを引っ掴んで退避する。 あふれ出た蛇は全長二、三メートル。 竜刻の力をまとっているからか、燃える鬣を持っていたり、凍りつく息を吐いたり、風の刃で身体を覆っていたりした。蛇の眼には、どれも、神々しいほどの金の光がある。聖も邪もない、ただ向かい来るものを排除するだけの意思を持った光だ。 蛇たちからは、威嚇の呼気が絶えず漏れている。 「おやおや……自己防衛? 自己保存? そういう力を持っているのかな?」 荒事が得意なようには見えないのに、滑らかな体さばきで蛇の追撃をかわし、距離を取って那智が笑う。彼の表情に焦りはなく、ただ事態を面白がる色だけがあった。 「……で、これ、どうすんだ」 これがお約束ってやつか、と妙に感心しつつ隆が問うが、やるべきことは決まり切っている。隣の虚空は、はああああ、と盛大な呼気を吐き出し、がっくりと肩を落とした。 「車内で特殊能力は厳禁だし、ギアも危ねぇだろ。……ってことは、身ひとつであの蛇の群れをどうにかして、タグを回収しつつ再度封印しろってか。なんでこの『仕事』が今回の依頼で一番厄介なんだよ」 「ほかの車両の連中を巻き込むわけにもいかないしなぁ。向こうのエネルギーは無尽蔵、こっちは有限と来たら、さくっと終わらせるのが一番だ。連携して取り掛かろうぜ」 「……ありがとよ、虎部。今度なんか奢るわ……」 「いや別にあんたのせいってわけじゃ……まあうん、しのびの仕事って大変なんだな」 「三十年弱同じことやってりゃ慣れるけどな」 「慣れってか諦めっぽいのが涙を誘うんだが」 「やめてくれ、マジで心が折れる」 後方から、きれいな蛇なのだとか、虚空がんばれーとか、あの蛇食えねェのかなとか、のんき極まりない声が聞こえてくる。やらなきゃやられるシリアスモードなのは隆と虚空だけ、那智はあの蛇の中身がどうなっているか気になるなどと興味のほうを先行させるのみだ。 「まあ、こういうトラブルも面白いっちゃ面白いけどさ」 「大物だな、虎部……」 笑みを絶やさない隆に乾いた笑みを向け、ふたり同時に身構える。 3.「ここはオレ様に任せてお前は行け!」「……それ俺に生け贄になれってことだよな……?」 「ま、面倒なことは虚空に任せて、だ」 五右衛門のたくましい腕が、牙を剥き襲いかかる蛇たちを引きちぎり、粉々に砕く。任せんな手伝え! という怒声が前方から響いてくるが、聞こえないふりをした。 「尊い犠牲ってやつだな、うん」 シャアア、と、先端の割れた舌を覗かせ、蛇が威嚇の声を上げる。 にじみ出る攻撃的な気配が、五右衛門を行き過ぎることはない。 「オレの仕事は、アヤとカンタレラ嬢ちゃんを護ることだ。それ以外は知らねェが、生半な力でオレを超えられると思うな?」 にやりと笑い、拳で蛇の頭を叩き落とした。 くるりとターンし、斜めからの足技で蛇の身体を蹴り飛ばす。ごつい鉄板を仕込んだブーツに蹴飛ばされ、蛇はぐんにゃりと曲がって消えた。 「五右衛門、無理しちゃだめだよ? 俺もカンタレラも戦えるんだし」 「そうなのだ。ただ護られているだけというのは申し訳ないのだ」 背後からの声に、からからと笑う。 「ま、そういうな。護る役柄ってのをやってみてェだけさ」 口にくわえた煙草が白い煙を立ちのぼらせる。 飄々と対峙しつつ、眼の光は鋭い。 「さァて、この石川 五右衛門様の壁、超えられるもんなら超えてみやがれってんだ」 外連味たっぷりの口上めいたそれに、感情など持たないはずの蛇たちがわずかな躊躇を見せる。決して突破することは出来ないのだと、本能的に理解したのだろうか。 「ふむ……竜刻が生み出したエネルギーが実体化した、という認識でいいのかな、これは。疑似生命ではあるけれど、生命そのものではない、と。血液も骨格も内臓も存在しないようだね」 那智は、ただの探偵とは思えない――実際、ただの探偵ではないが、なかなか声高には言えない『ただものでなさ』である――身のこなしで蛇のあぎとをかわし、虚空が焼き菓子を切るのに使っていた何の変哲もないナイフ一本で、次々と蛇を解体していく。 「脳も存在しないのに、個体ごとに判断して向かってくる。高度な疑似生命だね。……疑似では、あまり面白くはないけれど」 逆手に持ったナイフを突き立て、一気に斬り裂く。 悲鳴すらなく、背開きにされた蛇が地面に落ち、びくびくと痙攣してから消えた。 竜刻は今も、カタカタと音を立てながら蛇と光を生み出し続けている。 「……昔は、あれを利用して都市の防衛なんかに使っていたのかもしれないね。竜刻を奪おうとする行為そのものが、都市を護る力になっていたのかも」 ナイフが那智の手の中で踊る。切っ先が鋭く光る。次の瞬間には、蛇の頭が無造作に転がり落ちて消える。 「やるじゃねェか、インゲルハイム。ただの優男じゃねェんだな」 「はは、褒め言葉と受け取っておくよ」 優美な、しかし無駄のない、骨や内臓や急所の位置を知り尽くした滑らかな動作で那智がナイフを閃かせるたび、蛇は虚ろな内側を開いて地に落ち、ゆっくりと消えていった。ヒュウ、と、五右衛門が口笛を吹き、彼の背後では諸悪の根源ふたりが無邪気に拍手を送っている。 「すごいのだ。那智は奇術師のようなのだ……たったあれだけの動きで、蛇がバラバラになっていくなんて」 「俺は板前さんみたいだなーって思っちゃった。達人は必要最低限の動作だけで目的を果たすんだなあ」 蛇たちは派手な立ち回りを繰り広げる五右衛門と那智をまず排除すべき異物と認定したらしく、彼らを執拗に狙い始めた。最前線で奮闘している隆と虚空は、ふたりがつくる隙に乗じて竜刻に近づく。 「タグの場所、覚えてるか?」 「たぶんな。アヤが蹴っ飛ばしてなきゃ、の話だが。……そっちに竜刻の回収、頼んでもいいか」 「おう、任せとけ。同時に合流して再封印、のほうがいいだろうからいっせーのーで行くぞ」 「了解。頼りにしてるぜ、相棒」 「わはは、そういうのも悪くないな!」 陽気に笑った隆が目線で合図。 頷きあうと同時に床を蹴り、隆は座席を飛び越えてコンパートメント席内部へ、虚空は床へ滑り込むように手を伸ばす。竜刻の放つ、物理的ですらある光に紛れて、小さなタグが床に落ちているのが見えた。 「あった!」 「よし、確保!」 隆の手が竜刻にかかると、蛇は急にターゲットを変え、彼に襲いかかろうとしたが、 「まァ待てや、な? もう少しオレ様と遊んで行こうぜ?」 「私との逢瀬を放り捨てていくなんて、つれないな」 五右衛門のゴツゴツとした拳が、那智の操るナイフが、蛇たちの方向転換を許さない。 「あだだだだだ、齧んな齧んな」 最後の悪あがきとでもいうように、数十cmの小蛇が何匹も隆に絡み付き、噛みつくものの、それは微々たる抵抗に過ぎなかった。 「虚空、パス!」 「おう!」 隆の手から虚空へと竜刻が渡る。 そして、タグが取り付けられた瞬間。 ぼふっ。 「うぉッ!?」 「んぎゃッ!?」 最後っ屁とでもいえばいいのだろうか。 この美しい竜刻にそんな単語を当てはめるなとお叱りの声を受けそうだが、ともあれ竜刻は小規模な爆発を起こし、隆と虚空を巻き込んだ。至近距離にいた虚空など、爆風を顔面に喰らっている。 「だ、大丈夫か……?」 ものの見事に吹っ飛んで引っ繰り返った虚空を、咳き込みながら恐る恐る覗き込む。手を貸して起こすものの、隆と同じく、もしくはそれ以上にあちこち焼け焦げた虚空の眼は遠くを見ていた。 「……とりあえず生きてるけど、このまま意識を失ってもいいかな……」 「気持ちは判るが寝るな、眠ったら死ぬぞー!」 「いや雪山じゃねぇから」 最後っ屁のおかげでふたりだけぼろぼろだ。 が、虚空の腕の中では、沈黙した竜刻が静かな光を放っている。蛇も、物理的な力さえ伴った光の波も、もうどこにも見えない。――ひとまず、ミッションコンプリートである。 「おお、よくやった虚空、褒めてやる。よっ、さすがは有能なしのび! ニクいねこの!」 「てめこの、今度佐井藤を家に招いて思いっきりもてなしてやるからな……!」 「バッ、やめろメシがまずくなる!?」 「ん? 直がどうしたって……?」 車両内がにぎやかさを増す。 騒ぎをわかっていてスルーしていたとしか思えないタイミングのよさで、隣の車両から車内販売のワゴンがやってくる。 「コーヒーをお願いできるかな、人数分」 店員へのオーダーのあと、スーツについた埃をはたき落とし、那智は、何ごともなかったかのようにゆったりと腰を下ろした。 焼け焦げ組が、慎重な手つきで竜刻を箱にしまいこむのを、諸悪の根源組がにこにこ笑いながら見ている。当人たちに悪気がなさそうなのがもっともタチの悪い話だ、と被害者たちは言ったかもしれないが、多様な好奇心によって存在するといって過言ではない那智にとっては大した問題でもない。 「まあ……うん、楽しかったね」 コーヒーを受け取り、一口すすってくすくすと笑う。 こういう、楽しいことが起きるから、異世界の旅はやめられないのだ。 「うむ、楽しかったのだ。あの蛇も光も、とてもきれいだったのだ」 「うんうん、こういうハプニングもいいよね、たまには」 砂糖とミルクをたっぷり入れて、やさしい味のカフェオレをつくりながら、カンタレラと理比古が似たような邪気のなさで笑う。諸悪の根源とはいえ、このふたりを面と向かって責められるものはこの場にはいない。 「ま、オレ様はアヤやカンタレラ嬢ちゃんがそうやって笑ってられンならなんでもいいわな」 五右衛門はコーヒーを片手に豪快に笑い、 「うん、なんかもう、何でもいい……」 「……ええと、その、なんだ。俺は呑めないけど、ヤケ酒くらいならつきあうから、な?」 ぐったりし始めた虚空を、隆が懸命に慰めている。 「虚空、おなか空いた。帰ったら晩ごはんにしてほしいなー、今日のメインは魚でよろしく! あ、カンタレラも食べにくる? 虚空のつくるごはん、ほんとにおいしいよ」 「む、そうか……では、相伴にあずからせてもらうのだ。しかし、迷惑ではないか?」 小首を傾げたカンタレラは、どこか童女めいて可愛らしい。 虚空はふっと曖昧な笑みを浮かべて遠くを見つめた。 「いや……うん、まあ、アヤが楽しそうだし、いいんじゃねぇかな……」 「つかあんたの貧乏くじ体質って、わりとあんた自身の所為でもあるのな」 やれやれと言わんばかりの隆のため息。 那智のくすくす笑いに、五右衛門の豪快な笑い声が重なり、カンタレラと理比古はそろって可愛らしく小首をかしげる。 そういうものを載せて、ロストレイルはディラックの空を滑ってゆく。
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