カルツェールは、世界図書館の書架をぶらぶらと歩いていた。 そこに、きょろきょろと並ぶ本たちを見つめる少女がいるのを見つけた。 カナリアである。 右足が不自由だと聞き、治してやった。ついでに、覚醒前にやられ、ガラガラになってしまった声も治してやろうと言ったら、きっぱりと断られてしまった。 (何故だ) どうしても、理解できぬ事だった。 普通なら、体の悪い所を全て治して欲しいと思うだろう。事実、悪かった右足を治してやったら、カナリアは少しだけ嬉しそうな様子を示した。 それなのに、喉は頑として首を縦には振らなかった。 (不可解である) カナリアは、カルツェールにとって興味の対象となった。 そして今、その興味の対象は目の前にいる。カルツェールは早速、カナリアに声をかけた。 「何をしておる?」 問うと、カナリアはガラガラの声で、小さく答える。 「本、探してる」 「何と言う本だ?」 「世界の、本」 カナリアは答え、本探しを再開する。 見れば、世界の写真集を手にしたりしている。 「……おまえの、故郷の世界か?」 カルツェールが尋ねると、カナリアはこくん、と頷いた。 全く同じ世界の資料があるとは思えぬ。似た世界でもよいのだろう。 「どんな世界だ?」 「炭鉱があった。黒い石を、運んでて」 カナリアはぽつりぽつりと呟くように言い、少しだけ表情を沈ませる。 (全く不可解だ) 故郷の資料を探すくらいだから、ホームシックにかかっているのだろう、と思っていた。ならば故郷を語る表情は、懐かしんだり寂しそうにしていたりするものだろう。 しかし、カナリアの表情は暗い。浮かんでいるのは、寂しさとは言いがたい。 暗さの元になっているのは、寂しさと言うよりは悲しみ。 それがどうしてかは、分からない。カナリアも、そのことについては口にしなかったからだ。 結局、カナリアとカルツェールの二人がかりで探したが、資料を見つけることは出来なかった。 「無かったか」 カルツェールが言うと、カナリアは頷く。閉館時間を告げる放送が、図書館内に響いている。 「それじゃあ」 カナリアはそう言い、走り出した。 「……分からん」 カルツェールは呟き、首を捻る。 カナリアは、ほっとしたような表情をしていたからだった。 「○月○日。晴れ。 世界図書館の書架にて、幼女を見かけた。 故郷に似た世界の資料を探しているというので、手伝う。 結局見つからなかったが、幼女は少し安堵していた。不可解だ」 図書館のロビーで、司書と話すカナリアを見つけた。明るい表情で、司書との話を楽しんでいるようだ。 (あのような表情もできるのではないか) ふむ、と観察していると、司書がポケットから何かを取り出し、カナリアに手渡していた。 嬉しそうにカナリアは受け取り、大事そうに握り締める。 棒つきの飴だ。 司書は時計をちらりと見やった後、カナリアに手を振ってその場を離れた。仕事に戻るのであろう。 カルツェールはポケットをまさぐり、飴やキャラメルの入った瓶を取り出す。色とりどりの包装紙にくるまれた、可愛らしい飴やキャラメルである。 (低血糖予防が、このようなところで役に立つとはな) カルツェールは、飴やキャラメルを常時携帯していた。辛党なので、不本意ではあるのだが。 瓶の中から一つ飴を取り出し、司書に手を振っているカナリアに近づく。 「飴、好きなのか?」 カルツェールが尋ねると、カナリアはそれには答えずに、ただ振り返った。 カナリアの返答を待たず、カルツェールは飴を差し出す。 「ほれ、やろう」 ずい、と飴を差し出すカルツェールに、カナリアはむっとした表情を見せる。 「いらない」 「何だと?」 想像外の答えに、カルツェールは思わずカナリアを見つめる。カナリアは司書からもらった棒つきの飴を、ぎゅっと大事そうに持っている。 「別に、何という事は無い。ただの飴だ」 「いらない」 再び、きっぱりとカナリアは言い放つ。そうして、くるりと踵を返してカルツェールから離れてしまった。 「……分からん」 飴を差し出したポーズのまま、カルツェールはぽつりと呟いた。 「○月△日。曇り。 図書館ロビーにて、司書と話す幼女を見かける。 司書から飴を貰ってご機嫌になったので、飴を渡そうと試みる。 しかし、不機嫌に断られた。相変わらず不可解である」 世界図書館、書架。 カルツェールはカナリアと調べ物をしていた。 今度は、カナリアの故郷に似た世界に神がいるかどうかを、調べているのだ。 「色んなものに、神様が宿ると言っていたの」 カナリアは、ぽつりぽつりと話す。 カナリアの故郷では、万物に神が宿るとされていたらしい。生贄の風習もあったとか。 しかし、生贄を出しても天災が治まらないことはままあったのだという。 「神様って、いるの?」 カナリアは、カルツェールに尋ねる。 神が居るかどうかは、疑問だ。本当にいるかどうか、分からない。 何となく怖い、とカナリアは思う。得体の知れないものだから、怖い。 もしいないのなら、いないものをみんなして信じていたのが、怖い。 だから知る事が、何となく怖い。 そんなカナリアの心中を知る事無く、カルツェールは考え込む。 (神様、か) 故郷では、神に最も近づいた男、といわれていた。 だがしかし、神の存否は証明することができなかった。 (我輩にとっての神とは) カルツェールは、唇を軽く噛む。 神とする存在は別にあるというのに、存在を否定する事まではできなかった。 神とはつまり、苛立ちすら覚える対象。 「……ふはははは!」 カルツェールは笑い出す。 「何を言う。この我輩こそが、神であるぞ!」 「……嘘」 笑いながら言うカルツェールに、カナリアはきっぱりと言い放つ。 「な、なぜだ?」 「……何となく」 ぐぬう、とカルツェールは唸る。 (不可解である) カナリアは何事も無かったように、再び資料を探し出す。 「そ、そういえば」 カルツェールは、気を取り直して口を開く。 「先日、何故飴を受け取らなかったのだ?」 「飴?」 「司書からの飴は、受け取っておったのに。我輩の飴は、何故受け取らん?」 そこまで言うと、カナリアは思い当たったように「ああ」と頷く。 「我輩の飴が、気に入らなかったのか?」 カナリアは暫く考えた後、口をそっと開く。 「何となく」 「ぐぬう……!」 唸るカルツェールを気にする事は無く、カナリアは本を探し出す。 結局、また閉館を知らせる声を響かせる頃まで探したものの、見つけることは出来なかった。 「見つからず、残念であったな」 カルツェールが声をかけると、カナリアは首を横に振る。 やはりどことなく、ほっとした表情だ。 まるで、見つからなくてよかった、とも言わんばかりに。 カルツェールはポケットをまさぐり、再びあの飴やキャラメルの入った瓶を取り出す。その中から、黄色の包装紙にくるまれた小さな飴を取り出し、差し出す。 「やろう」 カナリアは少し考えた後、それを受け取る。あまり嬉しそうには見えなかったが、じっと飴を見つめている。 「今回は、受け取るんだな。それなら、好きなのか?」 カルツェールが尋ねると、カナリアは飴を握り締めながら答える。 「……何となく」 「……そうか」 カナリアは、ぺこっと小さく頭を下げ、飴を握ったまま小走りにかけていく。 「全く……やはり、不可解である」 カナリアの後姿を見送りながら、カルツェールは小さく呟く。 「○月×日。曇りのち晴れ。 書架で、幼女とまた調べ物をする。 神の存在の有無を問われる。幼女曰く、故郷は万物に神が宿るとされ、生贄の風習もあった。しかし、生贄を出しても天災が治まらぬことがままあった。 本当に神が居るかどうか、疑問なのだという。 我輩にとっての神とは、朧。しかし、存在否定までには至らなかった。苛立つ対象である。 結局、本は見つからず。結論も出ず。 帰りに飴をやる。黄色の包装紙の飴である。 ようやく受け取った。何となく、だそうだ……」 「……やはり、不可解である」 カルツェールは、ノートにそう書き記す。 カナリアの観察記録を行っているノートだ。 「神、か」 カルツェールはカナリアを思い返す。 思い出す限り、カナリアは不思議な言動をしていた。理解できぬ事ばかり。 だからこそ、興味が尽きない。もっと知りたいと思う。 カルツェールは「ふむ」と呟き、記録の最後に付け加える。 今後も観察を継続する、と。 <観察記録を書き終え・了>
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