その日のインヤンガイは、雨が降っていた。 霧雨に近い柔らかな雨粒が、地面に音もなく落ちていた。 ぱしゃ、ぱしゃ、と足音が響く。 歩いているのは、派手な格好をした女性。友人と遊んだ帰り道で、小雨だからとそのまま濡れて帰ることにしたのだ。 傘を買おうかと迷ったが、まあいいや、とそのまま家路についていた。 ふと、ひどい腐臭がするのに気付いた。近くで、生ゴミでも放置してあるのかもしれない。 女性はハンカチを口元に当て、歩を進める。 その少し後ろから、ぱしゃ、ぱしゃ、と音が聞こえた。 誰かがついてきているのだ、とすぐに気付く。同じ方向に帰っているのかとも思ったが、女性の歩く速度にぴったりとついてきていた。 ぱしゃ、ぱしゃ。ぱしゃぱしゃ。 ぱしゃ、ぱしゃ。ぱしゃぱしゃぱしゃ。 女性はいつしか、早歩きになっていた。家に一刻も早く帰りたかった。家にさえ帰れば、この気持ち悪い現象も収まると思ったからだ。 ぱしゃぱしゃぱしゃぱしゃ。 ぱしゃぱしゃぱしゃぱしゃぱしゃ。 女性は、ついに走り出す。家まであと少しだ。 もちろん、後ろのものも走り出す。あと少しならば、捉えてやろうといわんばかりに。「あと、少し」 女性がドアノブに手を伸ばした瞬間、ずうん、という感覚が体中を襲った。 何が起きたかは分からない。ただ、そう、ただ。 赤い雨が降っていた。「あ」 女性は何かを言おうとし、その場に倒れこんだ。 そうして、二度と動くことはなかった。「以上が、今回の事件のあらましだよ」 薬屋であり、探偵でもあるアヤメがいう。「恐らくは、暴霊の仕業だね。同じような連続殺人がちょっと前まであってさ。その犯人は、警察から逃げている途中で行方不明になってしまってさ。持病の心臓でもいかれちゃったんじゃないかって話だよ」 アヤメはそう言い、ふう、と煙管の煙を吐き出す。「事件はこういう小雨の日に起こる。今日もきっと、起こるだろうねぇ」 窓の外を見れば、なるほど、小雨が降っている。「ともかく、早く捕えた方がいいですね」 相沢 優が言うと、隣に居たオペラ=E・レアードと、氏家ミチルも大きく頷く。 店から出て、辺りを散策する。すると、曲がり角から小走りで女性が現れた。「あ、あの、私」 真っ青な顔をした女性は、三人に話しかけ、怯えたように辺りを見回す。「落ち着け。何があった?」 オペラの問いに、女性は震えながら後ろを指差す。 何もいない。居ないように見える。 しかし。「変な臭いがするッスね」 ミチルが眉間に皺を寄せ、告げた。※このシナリオは、ナラゴニア襲来以前の出来事として扱います。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>相沢優(ctcn6216)オペラ=E・レアード(cdup5616)氏家ミチル(cdte4998)=========
ばん、と薬屋の扉が開かれる。 「探偵さん、この人にタオルや着替えや暖かい飲み物を、ガイシャス!」 ミチルの言葉に、アヤメは面食らいながらも「はいはい」と動く。 ミチルの後ろに、オペラに寄り添われた女性を見たからだ。 「犯人は見たのかい?」 タオルを渡しながら尋ねると、三人は一様に首を振った。 「でも、近いところにはいるようです。俺達がいるのが分かって、身を潜めたみたいですけど」 優はそう言い、女性を見る。女性はガタガタと小刻みに震えたまま、口を開こうともしない。 女性の手をオペラは取り、優しく包み込んで歌う。女性はオペラの歌に耳を傾け、徐々に落ち着いてゆく。 「大丈夫か?」 オペラの問いに、女性は頷く。そこに、ふわふわと湯気が昇るお茶を、ミチルが差し出す。 「これで、あったまると良いッスよ」 お茶の入った湯飲みを両手で持ち、女性はようやく「あたたかい」と口にした。 「一体、何があったのか教えてくれるか?」 オペラの問いに、女性は頷く。 「家に、帰ろうと思ってたんです。雨が降ってきたから、ちょっと小走りで。そして気付いたら、なんだか、私の歩く速度と同じように、足音が後ろから聞こえて」 女性はそこまで言って、ぎゅっと湯飲みを握り締めた。 「ちょっと前までは、かなり離れていたんです。だから気にしなくて。でも、だんだん距離が縮まってきて。後ろを振り返ってみても、誰もいなくて」 がたがたと、小刻みに震えだす。 「そうして走っていたら、あなたたちに、会って」 「大体、他の事件も似たような感じだね。目撃者はなし。一人でいるところを狙われたのだろう、という話だ」 アヤメの言葉に、女性はぎゅっと自らを抱きしめる。 「俺達がきたから、姿を消したのかもしれないね」 優はそういってから、セクタンを出し、窓から放った。 ミネルヴァの眼を使用し、辺りの地理の確認をするためだ。 「人殺し……特に楽しむための殺人は、大嫌いッス。しかも悪趣味。腹立つなー!」 ミチルが歯痒そうに言う。 「そうだな、決して許されない」 オペラの言葉に、ミチルは怒りを宿しつつ「そうッスよ!」と頷く。 「殺された人たちは、スゲー怖かった筈ッス。帰りたい場所や会いたい人、明日の予定とか全部ぶち壊しにしたんスよ。奴は逃がさないッス!」 「アヤメさん、亡くなったといわれる連続殺人犯のターゲットは皆、女性だったんですか?」 優の問いに、アヤメは「そうだねぇ」と言いながら、ぱらぱらとファイルをめくる。 「ああ、皆女性だ。殺人に使用された武器は、手、またはロープ。首を絞めるのがお好みのようだ」 「つまり、殺害手口は絞殺か」 忌々しそうに、吐き捨てるようにオペラが言う。 「暴霊は、腐った亡骸だと思うんだよね」 「確かに、変な臭いがしたッスから」 「間違いないだろうな」 三人とも、顔を合わせて頷く。 「ただ、臭いを覚えて追いかけるっていうのも、難しそうッスよね。独特の匂いだと、薄れても嗅ぎつける自身があるんスけど」 「雨が降ってる上に、他にも腐っているものもあるだろうからな」 「そうッスよね。なら、囮で誘い出すってどうスか? 例えば、相沢くんとか」 「俺?」 「あー嘘嘘」 慌てて訂正するミチルに、まじめな顔でオペラが「そうだな」と頷く。 「ターゲットが女性である以上、優では駄目だろうな」 「流石に、暴霊にばれるんじゃないかな。既に、彼女がターゲットとして狙っているわけだから」 優の言葉に、ぴくり、と女性が震える。 「大丈夫、貴方は我々が必ず護る」 優しく、力強くオペラが言う。 「絶対に助ける。けれど、貴方の力がないと、暴霊をどうにかすることもできないんだ。だから、協力してくれないか? ええと」 「……リンカです」 「では、リンカさん。力を貸してください」 リンカは戸惑ったように皆を見る。そうして皆の真剣な表情を見て、ゆっくりと頷く。 「では、作戦を確認しよう。人気のない路地を利用して、リンカに歩いて貰おう」 「私、一人で、ですか?」 「大丈夫ッス。少し離れたところから、尾行するッスから!」 「私も、近くのビルから見張っておこう。もしかしたら、水溜りの足音で方向が分かるかもしれないしな」 「最終的に、廃ビルにおびき寄せたらいいかと思うだけど」 優はそう言い、小さく「あ」と言う。 「よさそうな廃ビルを見つけたよ。アヤメさん、地図ありますか?」 アヤメは頷き、この近辺の地図を広げる。そのうちの一つを、優は指差す。 狭い路地を抜けた先にある、建物だ。 「相手の方が地理に詳しいだろうけど」 「私、ここに向かえばいいんですね」 ごくり、とリンカが喉を鳴らす。顔が青ざめている。 「……私は、ここにいる」 廃ビル近くの建物を、オペラが指差す。 「後ろからは、自分が行くッスよ!」 にかっとミチルが笑いかける。 「この廃ビルには、俺が隠れておくよ」 優が言うと、リンカはこっくりと頷いた。 少しだけ、青くはない顔色で。 ミチルの応援歌によって、能力アップを図ってから、作戦は決行された。 リンカは人気のない道を通って、優が隠れている廃ビルへと向かう。 近くのビルの屋上からは、オペラが見守っている。 後ろからは、ミチルがついていく。 頭上からは、優のセクタンが飛びながら追いかけている。 それだけ護られていると分かっていても、リンカの足取りは重い。 ――ぱしゃ、ぱしゃ。 重い足取りのまま、リンカは廃ビルへと向かう。本当は、家に真っ直ぐ帰りたい。だが、それでは何も終わらない。 終わらせるために、廃ビルへと向かうのだ。あの人たちを、信じて。 ――ぱしゃ、ぱしゃぱしゃ。 リンカは、はっと気付く。 足音が、多い。 「……来たか」 小さく、ビルの屋上からオペラが漏らす。姿はまだ見えないが、水音が聞こえる。 「この匂いッス」 くんくん、とミチルが匂いをかぎながら言う。臭い。が、そうも言ってはいられない。 独特とは言いがたいため、撒かれたら追いかけるのは難しいかもしれない。だが、今こうして辺りに漂うのは、間違いなく敵の撒き散らす腐臭。 「……出たようだね」 ノートで知らされた優は、セクタンを通じて辺りを確認する。まだ姿はない。しかし確実に近づいているはずだ。 先程命を奪い損ねた、相手だから。 「あと少しで、ビルに」 リンカは呟く。それが力を与えたのか、リンカの足取りが少し力強くなる。 ――ぱしゃぱしゃ。 ――ぱしゃぱしゃぱしゃ。 近づいていた。 足音が、近い。 あと少しで、廃ビルに着くというのに。 ――ぱしゃぱしゃぱしゃぱしゃ! 「ひっ」 背後から迫り来る足音に堪らず、小さくリンカが悲鳴を上げる。 もつれそうになる足で、走り出す。するとそれを待っていたと言わんばかりに、それは現れた。 巨大な体躯の、腐乱死体である。 「させるか!」 リンカに襲いかかろうとした瞬間、オペラはベルを鳴らす。途端、リンカの前に硝子の盾が張られ、暴霊からの攻撃は弾かれてしまう。 「逃がさないッスよ!」 人の気配を感じ、再び気配を消そうとした暴霊を、ミチルは全速力で走って追いかける。更に現れた人の存在に、暴霊は慌てたように走り出す。 「おんなぁ……おんなあぁぁぁぁ!」 暴霊は叫びつつ、リンカの方へと向かっていく。リンカはその場に蹲ってしまう。 「死して尚、人の命を悪戯に奪うのか!」 オペラは言い、ビルから飛び降りる。硝子の細剣を創り出し、暴霊の攻撃を弾き返す。 「フレーフレー! ご・み・ば・こ!」 ミチルの応援が響くと同時に、ゴミ箱が暴霊の方へと体当たりしてゆく。ミチルの応援によって、仮の命を与えられたのだ。 「今のうちッス、オペラさん!」 「了解だ」 オペラは頷き、リンカをつれて、優の待つ廃ビルの上階へと飛んでいく。 「おんなぁ、どこに、どこおおおおおお」 暴霊は、リンカを追いかけて廃ビルへと走ってゆく。 「おんなぁぁぁぁ、うごぐ、なぁぁぁぁ」 「……いらっしゃい」 暴霊は、廃ビルに足を踏み入れた瞬間、動けなくなった。 足を踏み出し、屋上へと向かいたいのに、出口も入り口もなくなった。何もない、空間へと閉じ込められたのだ。 「おんなぁ、おんなぁ、この手、ぐへ、手ででででで」 「できないし、させないよ」 ごんごん、と暴霊は防御壁を殴りつける。が、開かない。 「相沢くん、応援するッス!」 ミチルは応援歌を歌う。 「増幅させよう」 屋上から、オペラがパイプオルガンで伴奏をつける。 美しいメロディが、力強い歌が、剣を持つ優の身体に力を与える。 「行くぞ!」 優は言い、地を蹴る。動きを良く見つつ、剣で手足を切りつけていくものの、暴霊にダメージがるようには思えぬ。 痛覚が存在しないのだ。 「優、心臓だ! 暴霊が生前の質を残しているのなら、心臓が弱いのではないか?」 オペラの助言に、優は心臓に向かって剣を振るう。 「くそ、案外早いな」 優の剣を、するりと暴霊は避けていく。 「あの、オペラさん。私を連れて行ってくれませんか?」 ビルの屋上から、リンカが言う。オペラは頷くと、共に一階へと行く。 優と、ミチルと、暴霊がいる一階へ。 「リンカさん、どうして来たッスか?」 ミチルの問いに、リンカは震えながら笑う。 「私に、できる、こと、は、これ……なので」 三人ははっとして暴霊を見る。 リンカを見た途端、暴霊の動きが単純化したのだ。すなわち、リンカだけを見、リンカだけに向かっていくのだ。 「その勇気、無駄にはせん!」 オペラは言い、無数の硝子の矢を生成し、弾幕を張って射出する。 「おおお、おお、おんん、なぁぁぁぁぁぁ!」 無数の矢は、暴霊の身体にいくつもの穴を開けた。もちろん、心臓にも。 それでもリンカへと、暴霊は向かう。よろよろとよろめきながら。 「いい加減に、しろ!」 「いい加減に、するッスよ!」 優とミチルが同時に叫び、応援歌に乗せて優は剣を振るった。 見事、心臓に剣が突き刺さる……! 「う、うおおお、おおおお」 暴霊が唸る。唸り、叫ぶ。リンカへと、動かぬ手を動かして。 「何が貴方を、そんなに駆り立てる? 雨、か?」 オペラは静かに言った後、パイプオルガンの伴奏と共に、奇跡を起こす歌を歌う。すると、次第に雨が止んでいった。 晴れ間まで、見せて。 「あ、あああ、ひか、ひかり、ひかりぃいいい!!!」 暴霊は大きく叫ぶ。叫んで、叫んで、叫んで……やがて動かなくなった。 「……終わった、かな?」 優は言い、防御壁を解除する。 「そう、みたいッス」 つんつん、とそこら辺に落ちていた棒でミチルはつつく。が、動く様子はない。 「ようやく、終わったんだろうな」 オペラは小さく溜息をついて、言う。 「ありがとう、リンカさん」 優の言葉に、リンカは糸が切れたようにその場に崩れ、大声で泣き出した。 雨上がりの空に、響き渡るような声で。 その後、亡骸はアヤメから警察へと渡った。 あれから、女性ばかりを狙った犯行も行われていないらしい。 「大変な目に遭ったねぇ」 アヤメが言うと、リンカは「いいえ」と笑った。 「優さんと、ミチルさんと、オペラさんを、信じていましたから」 「そうかい」 アヤメは笑い、煙管に火をつけた。 ゆらりと揺れる紫煙の向こうに、虹がかかっていた。 <晴れた空を見上げつつ・了>
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