オープニング

 §ターミナル

 無骨な親父が経営する屋台は、その変わった空気を好むものばかりが集まるせいか客足は少なくないが限られている。
 その日、横一列に座していたのは男二人と女一人。
 
 男の一人は常連客の無精髭、トレードマークのプリントシャツは新作アニメのマシンが描かれている。
 男の一人は常連となりつつある無口な青年、落ち窪んでいるとしかいいようのなかった隈は少し薄い。
 そして最後の一人は、ここ最近足繁く通うようになった女性、快活な声とオーバアクションが少し子供っぽい。
 
 三人は近況――殊に無口な青年がついに女に告白の言葉を捧げたことを肴におでんをつつき、親父お勧めの米酒を楽しんでいた。
 無精髭の男――ティーロ・ベラドンナは、アルコールが回っているせいか無口な青年――コタロ・ムラタナを同じような言葉でからかい続け、コタロはそんな言葉にいちいち慌てふためく。
 女――川原撫子は、そんな二人のようすがおかしいのか声を上げて笑ってみせる。


 酩酊の中で過ごす語らいは瞬く間に刻を喰む。
 おでんの具もなくなり、杯を埋めるのは上善とは言わずただの水。
 宴もたけなわな雰囲気の中、撫子は懐から三枚のチケットと紙束の資料を取り出すと間延びした声でお願いごとを舌にのせる。
「お二人にお願いがあるんですぅ☆ 私、運動能力ではお二人に劣るつもりはないんですけど、戦闘技能はすっごく劣っていると思うんですぅ☆ だから、お二人が依頼で戦うのを見学させていただきたくてぇ☆ エミリエさんにお願いしてぇ、依頼を貰って来ましたぁ☆」
 おねだりの内容はちょっと変わった依頼へのお誘い。
 資料に載っているのは極めてシンプルな竜刻回収依頼――ヴォロスにある廃棄された魔導研究所で竜刻回収、ガーディアンが存在すると目されるが危険性は低い――に同行して見学したいと願い出た。
 
 撫子の言葉に反応したコタロは彼女を見つめた、刹那程動きを止める。
 酔いが程よく回っているのだろう、撫子の浮かべた微笑はふにゃふにゃと柔らかく蕩けている。
 陶然とした撫子の表情に呆然と途切れた思考。
 間隙を埋めるように浮かんだ妄想を否定するために、彼女の言葉を反射的に拒否しようとする。
「……それは…………しかし……」
 思いの乗らない言葉は、常より遥かに小さく判然としない。
 僅かな距離を超えて酩酊した撫子の耳に震わす前に、横合いから決まったティーロのチョークスリーパーが霧散させる。
「ぐぁっ!? ティ、ティーロ殿?」
「いいんじゃねぇの? ぱっと見オレ達2人で充分こなせそうな依頼だしな」
 コタロの頭を軽く小突くティーロが紙束をばさばさと振って撫子に賛意を示す。
 既に真っ赤にできあがった中年の言葉、資料に目を通した様子のないティーロがほんとに依頼内容を把握しているかは怪しいところであるが――

『ったくコタロ先生よぉ、お前はどうしてそう朴念仁なんだよ? 彼女たってのお願いなんだろ? いい話じゃねえか、カッコイイところみせてやろうぜ、ほらお兄さんが手伝ってやるからよ、なあ!?』
 精霊術によるヒソヒソ話。
 酒臭い空気を伝達させられて、迷惑気な表情を見せる風の精霊のことは取り敢えず無視してティーロは、煮え切らないコタロに叱咤の声をかける。
『……しかし……ティーロ殿、戦場は見世物などでは…………如何なる危険が潜むともかぎら……ぐふ』
『あーうるせーよ、安全に決まってんだろうが。オレとお前でいくんだぞ? 余裕に決まってんだろうが』
 なおも否定しようとするコタロの首を決めながらティーロの放つレバーブローがコタロの反論を完全に沈黙させる。
「よし撫子、コタロはティーロ『お兄さん』が説得しておいたからな!」
「きゃーティーロさん素敵ですぅ☆」
 コタロをヘッドロックしたたまサムズアップしたティーロに撫子が飛び跳ねて喜びを示す。
「ただし、撫子。絶対危ないことに首突っ込むなよ。見学だぞ、見学、お前はすぐに見境無く飛び出すからな」
「はいですぅー☆ わかってますぅー☆」


 撫子の上げる歓声が、ティーロの上げる笑い声が朦朧とした意識を揺らす。
 いつも遠くに聞こえていたはずの笑いの輪の中に自分の居場所がある――


‡ ‡


 §ヴォロス

 街を出て街路を歩いて凡そ一日。
 湖畔の傍らにある廃墟が目的の魔導研究所。
 打ち捨てられた建屋はボロボロに崩れおそらく秘密であったであろう地下への入り口が露出していた。
 地下へ降りるための通路は内奥の光を照り返してぼんやりと輝く滑らかな金属に覆われ、反響する悲鳴が瞬く翠光を揺らしていた。

 悲鳴と光の元は地下の深奥、扉が開け放たれた地下ホールから漏れていた。
 地下ホールの入り口には透明な球体の中に封じられた八芒星のような物体が三つ浮遊し、鋼鉄の床には人の形をしたものが都合三つ。
 油を撒いた薪のように炎上するもの。
 胴体を唐竹割りに両断され大量の失血をしているもの。
 肌の色を毒々しいまでの紫に染めたもの。
 廃墟荒らしを生業とする山師風情のよくある末路、地上まで響き渡る彼らの悲鳴は奇っ怪なことに即死するほどの致命の傷を受けながらも絶えることはない。

 ホールの中央には翠色に輝く竜刻が埋め込まれた魔導機械。
 地下の光源となっている機械の傍らには一組の男女が座していた。
 阿鼻叫喚の光景に悲鳴も挙げず、恐れもせず、そもそも興味などないように互いだけを見つめている。

 短くない時間が過ぎ、蠢く人の成れの果てをホールに現れたのっぺりとした人型が連れ去っていく。
 地上に投棄された人はようやくモノ言わぬ肉の塊となることが許された。


 魔導研究所は確かに廃棄されていた、しかしそれは見捨てられたからではない。
 求める研究が完成した故、研究所としての意味を失っていた。





 湖面が反射する夕焼けが朱く地面を染める頃合い。
 研究所の惨状も知らぬ三人はキャンプ気分で談笑しながら野営の準備をしている。

「そういやよ、撫子、なんで戦闘の見学なんてしてーんだよ?」
 テントの杭を地面に打ちつけながら、ティーロは興味本位に問う。 
「それはぁ☆ 私、小器用なので、どの世界でも結構生きていけると思いますぅ☆ ヴォロスは大好きだけど、でも、だったらコタロさんが笑える世界にいきたいなって。それでちょっといろいろ勉強したかったんです」
 少し照れた笑みを浮かべながら応じた撫子の言葉はコタロの心に響く。
 (俺が……笑える…………そのために……)
「おいおいおい、聞きましたかコタロ先生? オレほんとにご一緒でよろしかったんでしょうかね? なんなら今からお暇させてもらってもいいっすよ?」
 胸を軽く小突く友人はニヤニヤ笑いを止めることがない。
「……すまない…………何と……言えば…………」
 望外の言葉に震える軍人が絞りだせたのは、ほんの数センテンス意味のない言葉だけだったが、友と彼女が浮かべる笑みは満足気なものに見えた。


‡ ‡


 ちょうど、三人が野営を始めた頃合い。
 撫子から頂いた相談の報酬で優雅なデザートタイムを楽しむエミリエは無造作においた導きの書から覗く三枚の紙片に気づいた。
「あれ? ヴォロス行きのチケットなんで三枚も余ってるんだろ? 最近の依頼だと……まあ、もう渡しちゃったしいいよね? あ、このお菓子すごくおいしー」
 お菓子がまずくなりそうな事態なんて忘却の彼方に捨て去ってエミリエは、余りチケットを破り捨てた。

=========
!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。

<参加予定者>
川原 撫子(cuee7619)
コタロ・ムラタナ(cxvf2951)
ティーロ・ベラドンナ(cfvp5305)
=========

品目企画シナリオ 管理番号2802
クリエイターKENT(wfsv4111)
クリエイターコメントすいません今回もですエミリエさん

なんかモヤモヤしている男を書くのが楽してしょうがない、日本マダオ(まるでだめなおとこ)党の党首ことWRのKENTです。

スーパーハードな戦闘がオファー内容でしたがOP時点では戦闘相手が登場していないのでクリコメで補足致します。
なお軍人さんにとっては目に見える敵なんかより今後の身の振り方を考えるほうがスーパーハードな気がしますが。

シナリオの開始時点は目的地近くで野営をしているところからになります。


以下OPの補足情報です

エミリエのくれた資料
<<研究所に関して>>
打ち捨てられたはずの研究所です。
地上層・地下層で構成される施設ですが地上部分は破壊されており、ほぼ見るものはありません。
地下には、簡易居住区画、研究記録と簡易実験設備、竜刻が埋め込まれた魔導機械が鎮座するホールが存在します。
施設は後述の従僕が徘徊して清掃などをしているため比較的清潔です、なお生ゴミは地上に投棄しているため研究所周辺は少し汚いです。
ホールにはガーディアンが存在し魔導機械を守っています。

※以下はPL情報になりますが、魔導研究所を調査すれば取得できる可能性がある情報でもあります
<<研究内容>>
擬似的な不老不死
研究成果の一つとして、ホールにいる間はいかなることがあっても死ぬことができなくなります。
但し、健康になったりするわけではないので死にかけだと死にかけのまま生き続けます。

<<従僕>>
形状:のっぺりとした人型
力が強く運搬能力に優れます、近接武器をもって侵入者に対して攻撃を行いますが鍛えたものにとって脅威にはなりえません。

<<ガーディアン>>
形状:
浮遊する三個の立体化されたオクトグラム
個々の大きさは人間の胴体ぐらい

特徴:
・三個のオクトグラムは個別の生物ではなく、三つで一つの生物を形成しています
・高速で移動することが可能な上、瞬間的に別のオクトグラムと位置を変更します
・極めて魔術的な存在であり自分の操る元素で傷つことがありません
・破壊された別のオクトグラムを再生します。再生にかかる時間は30秒
・近くにいる生命体を自動的に攻撃します

攻撃方法:
各オクトグラムは個別の攻撃方法を持っています
・オクトグラム1
火の元素を操ります
常に高熱を発しています、このオクトグラムの周囲は熱で揺らいでいます
レーザ状の高熱線を断続的に放出します

・オクトグラム2
空気の元素を操ります
周囲に常に強烈な気流を発生させています
致死ガスを生成し気流にのせ飛ばしてきます

・オクトグラム3
土の元素を操ります
表面が高速で動いており体当たりでいかなるものも切り裂きます
(高速振動剣+単分子剣みたいなものだと思ってください)
金属及び土を透過します

なおホール内にいる男女に戦闘能力はありません

以上です、よろしくお願いします。

参加者
川原 撫子(cuee7619)コンダクター 女 21歳 アルバイター兼冒険者見習い?
コタロ・ムラタナ(cxvf2951)ツーリスト 男 25歳 軍人
ティーロ・ベラドンナ(cfvp5305)ツーリスト 男 41歳 元宮廷魔導師

ノベル

 ヴォロスの山間。
 幾度か分け入ったものが居たのだろう、僅かに残った獣道に分け入る三人。
 軽口すら浮かべながら歩く彼らの間に流れている空気は、戦場に向かいながらも半ばピクニック気分すら感じさせる。
 先頭を歩く軍装の男、彼の振る山刀が草を、枝をかき分け、三種類の足音が石混じりの地面を刻み、硬質な音を立てている。

「風の色が違うな」 
 真ん中を歩いていた年嵩の男が突然、足を止めて呟き、耳心地の良いとも言えた地面と靴との擦過音に乱れが生じる。
 呟いた年嵩の男、態度と風体でだいぶ損をしている自称大魔術師ことティーロ・ベラドンナ。
 彼の表情からは、日頃浮かべた人を食った笑みは消えており、引き締められた口元は真剣さから来る緊張を匂わせている。
 風を良くし風を操るティーロの眼は、進む先に現れた不快と恐怖の色を身に纏う風の精霊を視ていた。
 風の精霊は好奇心が強いが、それ以上に臆病で極端に異常を恐れる――
「……コタロ」
 自分の動きを訝り振り返った友に意を伝えるには一言で十分。
 言下に含ませた緊張の色は自分の意図を友へ正確に伝える。
 友――軍装の男、コタロ・ムラタナはただ一つ首肯を返事とした。

 弛緩した空気はすでに霧散した。
 二人の間に流れる臨戦の緊張。

 (…………死臭が混じった…………にも関わらず……獣の気配はない……これは……)
 永く戦地に存在した兵の直感が激しい警鐘を鳴らす。
 山間で存在する死骸、腐肉を漁る獣すら集まらぬのは異常の関与を想定せざるを得ない。
 (…………危険は少ない……の……では……?)
「……エミリエめ、またか」
 先の古城の件といいエミリエは些か『仕事熱心』すぎる。
 苦笑混じりに零れたティーロの言葉はコタロの心情をも代弁していた。
 しかし、今回ばかりは冗談では済まぬ――
「コタロさん、ティーロさんどうしたんですぅ?」
 傍らの女、川原撫子は変じた二人の態度に状況が読めぬが故の不安を滲ませているように見えた。
 薄らと漂う臨死の気配を知覚するには、彼女自身が言うように経験が足りない。
 力に於いては一目を置いているが彼女はあくまでただの一般人……いや、守るべき人なのだ。
「コタロ、分かってんな?」
 友の忠言を聞くまでもなく――厳しい戦いの気配に微かに体が震えた





 (こういうところがぁ、コタロさんやティーロさんみたいに戦える人とぉ私の違いなんでしょうかぁ?)
 撫子は、張り詰めた緊張感を漂わせながら前方を歩く男二人を見つめ、ぼんやりと思い浮かべる。
 コタロとティーロ、熟達した戦闘技能を持つ二人の態度から由々しき状況が発生していることは流石に分かる。
 しかし、自分にはその由々しき状況を読む感覚がない……と思う。
 戦と呼べる場には幾度か居合わせ、かの永久戦場では戦うための訓練も受けた。
 しかし、彼らと同じ場所に近づいているとはとても思えなかった。
 薄っすらと感じているところ……それはおそらく自分は殺し合いをしたことがない。

 ――ぼすっ

 布に覆われた硬い体に突っ込む音。
 考えながら歩いていたのがよくなかった。
 足を止めていたコタロの背に思いっきり突っ込んでしまう。
「ごめんなさいですぅ☆ コタ……!?」
 口が続く言葉を紡げず金魚のようにパクパクと動く。

 何故コタロが足を止めていたのか――

 地面に転がる黒い塊、高熱に炙られ縮み炭化しきった物体。
 両断された肉体の間には腐れ肉を喰らう死出虫がびっしりと集り、もう一体毒々しい紫に染まった肉塊には虫すら寄り付かず人型を晒している。

 凄惨な有様を晒す三つの人であったもの。
 コタロの背越しに覗いた光景は撫子から言葉を奪い、死体を収めた眼は限界まで見開かれ、反射的にしがみついた指がコタロの服を引き千切らんばかりに握り締める。

 ――叫んだらだめ! 叫んだら敵が来る、しがみついていたらコタロさんが対処できない。落ち着け、落ち着くの、私!

 パニックに陥った思考は、自分を取り繕のに使う口調すら忘れさせているにも関わらず、どこか冷静な選択を強要する。
 あるいはそれこそ彼女が望んでいる危険を認識する感覚の発露かもしれない。

 動転に歪む視界の中で彼が心配げに自分を見つめている。

 心配されるのは嬉しい、しかしここで彼の足手まといになんてなりたくない。
 喉を出ようとする叫びを無理矢理に捻じ伏せ、しがみついた指を必死にゆっくりと一本づつ引き剥がす。
「酷い遺体を見たのはこれが初めてじゃないですぅ……それで山が嫌いになっちゃいましたけどぉ」
 荒れる心を奥歯で噛み締め、叫ばないと何度も自分に言い聞かせながら発した少し嗄れた声は、平静というよりは抑揚がなく平板。
 表面上の落ち着きを保とうとしてたところで、限界まで見開かれたままの両眼と共に彼女の異常を喧伝している。
「……遺体を確認するですぅ、何が起きたか分かるかも知れないですぅ……」
 一歩、二歩と体を揺らしながら吸い込まれるように死体に近づく――





 覚束ない足取りで死骸に近づき検分すると言いはじめた撫子に、流石に無理を感じずにはいられない。
 おかしなことが起こる前にと割って入ったティーロは撫子をコタロに押し付け、死骸とその周囲を調査し始めた。

 崩壊した建屋から覗く地下への入り口。付近に残る血痕はこの場での殺害、殊に頭頂からの両断を想定するには圧倒的に量が少ない。
 周囲の地面に点々と散った朱と炭化した小さな黒塊を考えれば導かれる答えは一つ、入り口付近から何者かが死骸を投げ捨てたのであろう。
 その視点で改めて死骸を観察すれば、毒殺された死骸も打ち身らしき凹みがある上に、何かによって力強く握られた跡が確認できる。
 (……魔術的な罠の可能性もないな、まっ、分かりきっちゃぁいたけどな、さてっと!)
 懐から胡乱な眼で見られる最たる原因であるラップケースを取り出すと、ぴっと音を立て中身を引き出し、小器用に刻むと宙に撒き散らす。
 風に煽られ宙に揺れるラップ欠片は、ゆっくりとだが確実な意志を持って地下の入り口へと流れ消える。
 ラップ欠片を触媒とした知覚術――魔術の目、魔術の耳と称される高度な術式。
 ティーロの得意とする術の一つなのだが、その所作が相まって評価は今ひとつ芳しくない。
 詰まらない記憶を振り払うように首を振り、ついで呪を風に吟じるとラップ欠片を核に三つの人型、精巧に作られた幻影が現出する。
 (ご挨拶にしちまうが……魔術的なガーディアンならまあいいか、あいつら機械みたいなもんだしな)





 足音や衣擦れに微かな息遣い、纏う気配までを完璧に模倣した幻影。
 幻影を通して見る地下施設、光源は乱れることなく煌々と通路を照らし、何者かが頻繁に清掃を行なっているのか床も壁も磨かれ清潔そのもの。
 (完全に生きた施設じゃねえか……くそったれが)
 ティーロの内心に湧き上がる罵りは、いい加減な司書への憤りと当てが外れたことへの微かな苛立ち。
 (血痕ぐらいあると思ったんだが、随分綺麗にしやがって。さて……ちと疲れるが過去視で追うか)

 ラップケースの角を額に押し当て、微かな痛みを魔力の焦点にティーロは術を唱える。
 幻影越しに見えた光景がビデオの巻き戻しのように遡る。
 僅かの時間の経過の後、その魔術的風景に映った光景は、巨大な鉄塊を携え荷物を三つばかり抱えた、のっぺりとした人型。 
 (従僕か、だが下手人はこいつじゃねえな……返り血がねえ)
 幻影の見ている過去の時間を固定し、荷物から零れ床を汚した血痕を手繰り、幻影を通路の先へと進める。
 (なるほど、普通の魔導研究所だな……部屋のほとんどは鍵がかかってるみたいだ、ん……ここは……?)
 血痕を追った先には開け放たれた扉が存在した。
 中を覗こうと幻覚を近づけると同時に、軽い衝撃がティーロを襲った。
 過去を見る視覚には存在しなかった現在の従僕、大上段から振り下ろされた鉄塊が幻影を文字通り霧散させる。
 (ちっ、油断したぜ……)
 被せていた幻影を失ったラップから見える光景は、複数の書棚のある研究室。
 内容を確認するための手は今失われてしまった。
 (後で直接調べるか。さて幻影はなくなっちまったが……ラップ欠片だけでいけるところまでいってみっかな)
 従僕はラップ欠片を敵と認識できないのか門番よろしく部屋の入口に直立不動。
 ティーロは部屋の反対側の扉、点々とする血痕の続く先へラップを導く。

 研究室を抜けたラップ欠片が、最後に到達したのは両開きの巨大な扉が開け放たれたホール。
 その扉をラップ欠片が潜った刹那。
 高熱が空気を灼く音と共にティーロの術が完全に途切れた。


‡ 


 ティーロが大仰に溜息をつき額の汗を拭った。
 大魔術師を標榜する友であっても、幻覚に探索という術の同時行使はきついのだろう。
「コタロ、撫子、こん中の様子は大体調べ終わったぜ。研究室らしい場所があった、まずはそこを調べて対策を練るぞ。部屋の奥に怪しいホールがあったがラップが灼かれて調べ切れなかった、恐らくは竜刻はそこにあんだろ。あと、ガーディアンらしき奴が彷徨いている……謂わいる従僕型ゴーレムで戦闘力は知れているが油断はするなよ」
 幾度となく轡を並べた友の偵察能力と戦術構築には絶対の信頼が置ける。
「じゃあ行くぜ、幻影を囮役に先行させる、俺と撫子が次に、コタロは殿を頼むぜ」





 己の姿を象る幻影に先導され地下へと降りる。
 日に照らされぬにも関わらず明るい通路、磨かれた床は確かに打ち捨てられたとは言い難い。
 (やはり……危険性は高い……この場で撫子を如何に守る……?)
 殿の己から見える彼女の姿、死骸を見たときの動揺は去っているように思える、しかし――
 (……帰還を促すべきではなかったか? 否……拒否されるか……)
 彼女は愚直なまでに真剣で少しばかり意固地だ。
 それが己のようなものと共にあるために向けられている。
 その心持ちが嬉しくないはずは無かった、しかしそれと同時に危ぶんでもいた。
 (……俺は……撫子から奪ってはいないか? 彼女らしさを……己と居ることが撫子という意志を……歪めていないか?)
 無論、変化が望ましいことは幾らでもあるだろうが……
 (……芯の強いはずの撫子が……動揺を隠せぬ……それは)
 己という存在が知らずの内に、撫子に無理な変化を強いているのではないか。

 戦場にあって戦場を忘れるらしからぬ思考。
 冷徹な兵士の心算が動いていれば、今の己の状況にこその危険性を説いたであろう。





 地下施設を歩くこと十数分。
 ティーロの偵察が内部構造を明らかにしていたため、探索は極めて容易なものとなった。
「そろそろ研究室だな、ガーディアンがいるから警戒を怠るなよ」
 言うやいなや消失する幻影、硬質が地面を叩き爆ぜる。
 振り下ろされた巨大な鉄塊が銅鑼のように床を弾く。
 幻影を掻き消し現れたのっぺりとした人型、それが自由と姿を保ったのは極僅かな刻。

 砕けちった散弾が如き石片は魔術師が振った腕に合わせ軌道を変じ壁を叩く。
 魔術師の口笛に乗って現れた不可視の精霊が人型の両手両足に大気の錠を掛け、無音で抜き打たれた魔術矢が人型の胴で轟と爆ぜた。
 着弾の衝撃に上体を踊るように揺らす巨躯は水流に呑まれ壁面に倒れ伏せる。
 重い音が地面を濡らした水に沈み、ブーツの音が床を鳴らし追いすがり、硬質の爪先が人型の肉を撃ちぬく。

 幾度と無く繰り返される打撃音、一々水音が跳ね気持ち悪い。
 戦場の狂躁に呑まれる新兵のように人型を蹴りつける撫子。
 不安に駆られたコタロが撫子の肩を強く掴み、人型から引き剥がす。
「平気……ですぅ……人じゃなければ今までだって殴れましたからぁ……」
 振り返る撫子の見せた表情は平静そのもの、先に見せた動揺の欠片も存在しなかった。

「ま、大丈夫ならいいけどよ、無理すんなよ」
 面食らったまま言葉を発せぬコタロにティーロがフォローを入れる。
「はいですぅ☆」

 ――人型でも人じゃなければ平気で暴力を振るうことができる
 ――それっておかしいですぅ?


‡ ‡


 研究室。

 難解な研究書を避け、挿絵の付いた本や施設手引書を中心に眼を通すコタロと撫子。
 最もそこからは読み取れる情報は、ティーロが既に見聞きしたものを除けば、トイレの場所や仮眠室のスケジュール表といった無意なものばかり。
「……こりゃ時間に関する魔術だな、それも時を止める類のだ」
 ティーロが机に寄りかかりながら斜め読みにしていた本を閉じ声を発する。
「……ティーロ殿、そうなのか?」
「ティーロさん物知りですぅ☆ 私が読んでも全然わかりませんでした☆」
「え、だってオレもできるし」
 感心の声は瞬く間に信じがたいという視線に変わる、ティーロは微苦笑を浮かべながらその術の仕組を簡単に説明した。

『時の進行による性質の変化の停止する空間を作る魔術。
 年をとることもなく、感情を変えることもなく、死に至ることもなくなる。
 不老不死の術の一つだが、外的要因による変化が固定されるため、大怪我を負うと死ぬこともできず永久に苦しむことになる』

「強力な魔術だが範囲は限定的だ。まあ、この魔導機械を使ってブーストしても建物を覆うのが限度じゃねえかな。そういえばコタロ、撫子、施設の防御について資料はあったか?」
 問われた二人は顔を見合わせ首を振り、その反応に魔術師は顎に手を当て唸る。
「流石に切り札は隠すか……術の中心はこの先だ。行くぜ、後はぶっつけ本番だ」


‡ ‡


 研究室の奥から至る施設の最奥。
 扉は開け放たれ、秘儀は曝け出されている。

 室内を視界に入れる分水嶺。
 魔術師が軽く腕を振ると、本日三度目の幻影が姿を現した。
「こいつらを囮に侵入する。敵さんの能力は、熱を使うことくらいしかわかってねえ。まずは『見る』いいな!」
 釣り餌たる魔術師の幻影が、扉を潜るや宙を朱に染める熱線が大気共に幻影の形を捻り貫く。
 大気そのものを灼く轟音、波打って広がる熱気が皮膚を舐め産毛がちりちりと焼けた。
「行くぞ!」
 魔術師が叫ぶ吶喊号令。
 それは身体を疾く走らせ、熱から身を守る風の加護となって軍人と女を包む。


 扉の奥は地下施設故天高の低いホール。
 視界に中央に存在する、巨大な機械、脚元に座し互いを見つめ合うローブを纏った男女。
 守護者たるは、宙を舞う赤、白、金、三色を纏う八芒の立体。 
 侵入者に思考の暇は与えられない。

 見敵必殺、それこそ八芒――ガーディアンに与えられた死命


 微かにぶれた白の八芒が放つは不可知の刃、真空の断層が空を切り裂き軍人を襲う。
 常人であれば知覚も許されぬ死線を軍人の掌底が凪ぐ。
 符の力を纏う拳で真空の刃を反らした勢いのまま旋回する体は金の八芒を狙い――

 ――背筋を走る泡立つ感覚

 咄嗟に体を後ろに飛ばした軍人の直感は、寸でのところで己を救う。
 真空の刃を弾いた掌が紫に爛れた。
 騒がしい攻撃は囮に過ぎず、本命は無味無臭の殺意。
「ティーロ殿! 風を!」
「任せろ」
 魔術師が切った印が一迅の旋風となり白の八芒が撒き散らす毒を浄化する。
 (なかなかヤバイガーディアンじゃねえか、まあ俺の眼は誤魔化せねえけどな)
「コタロ、撫子、気ぃをつけろ、こいつら魔術的に繋がってやがる、まとめてやらねえと再生されかれねえ。
 それに、こいつら純エネルギーの塊みたいなもんだ、同じ力をぶつけても効果はねえぞ」
 流れる魔力からガーディアンの特性を瞬時に捉えた魔術師が叫ぶ。
「ティーロさん! コタロさん! あの火なら私もギアできっと対処できますぅ!」
 火に対するなら水、短絡的ではあるが敵の特性を考えれば三人での戦闘は必須。
 撫子の声に、軍人が見せた逡巡は一瞬を超えることはない。
 赤の八芒星が放つ熱線が真空の防御膜を貫き迷いを霧散させる。

 地面を転がり熱線を躱す軍人、攻撃者たる赤い八芒星を大量の水流が捉える。
 宙に浮かぶ高熱を過たず撃ちぬいた水流は引き裂かれ、水圧を押しのけながら迫るは金の八芒。
 瞬時に位置を入れ替えていたそれは、水に濡れ煌めく刃となって迫る。
 捻った体は間一髪、鋼鉄の刃は服と薄皮一枚だけを切り裂き地面に沈み、地中から返す刀を放つ。
 二の太刀に慌てて飛び退りながらも、赤の八芒星を狙い再び水流を放つ――が、水流は白の八芒を濡らすのみ。

「こっちへ来るなぁ!!」
 引きつった声と共に遮二無二に放つ水流は、高速で飛翔する金の八芒星がその身で弾く。
 息が上がる、焦りが身を包む、無為な攻撃は体力より先に精神力を奪う。

「撫子……赤を」
 焦る心を宥めたのは、小さくともはっきりと響くコタロの言葉。
 再び赤の八芒星に水流が直撃、

 ――刹那

 轟音がホールの主となる。入れ替わった赤の八芒を中心に振動が、噴煙が巻き上がった。
 軍人の手の中で符が魔力を失い崩れ落ちる。
 入れ替わりの瞬間を捉え召喚した氷塊は、赤熱した赤の八芒に触れ強烈な水蒸気爆発を発生させた。
 己の弱所とする攻撃を入れ替わりによって防ぐ特性を逆手に取った戦術。
 白の八芒星が入れ替わらぬよう風術で足止めていたティーロが親指を立て合図を送っていた。





 ホールに満ちた水蒸気の噴煙が薄れる。

 中央にそびえる魔導機械は無傷のまま。
 白の八芒星は健在――その身で衝撃を吸収し庇ったのだろうローブ姿も無事。
 金の八芒星は、衝撃で吹き飛んでいたのか、壁に体を埋めていたが健在。
 しかして、爆心地の火の八芒星は粉々に砕け散った姿を晒していた。

「さて、チャンス到来だぜ、竜刻はおそらく機械の中だ。
 だが、魔導機械の操作方法は分かんねえ、あの衝撃で傷ひとつねえと破壊も難しいだろうな。
 撫子、いいか俺とコタロが残り二体を足止する、ロボタンで機械から竜刻を取り出すんだ」

 (……妥当な策だ)
 軍人は内心呟く。
 自分では魔術的な機械が壊せるか分からない、竜刻を取るとなればなおのこと。
 それ以上に、難敵を前に彼女を矢面に立たせるのは本意ではない。

「わかりましたですぅ☆ ちゃんと守って欲しいですぅ☆」
 一つ頷いた撫子が魔導機械めがけて駆けていく。

「……ティーロ殿、すまない」
「気にすんな。コタロ、白いやつを足止めしてくれないか」
 得手不得手を考えれば真逆な選択。
 しかし、友があえての言葉ならば疑問提示することもない。
「見てな、大魔術師様の力を見せてやんぜ」
 言葉と共にティーロは首飾りを引き千切った。





 精霊が呼び声に応じ、地面に散る礫を巻き上げ宙に浮かぶ金の八芒を打つ。
 入れ替わりをさせぬため、あえて効果のない攻撃で注意を引き付ける。
 己の体を風に混ぜ、連続で空間を渡り鋼の刃を躱す。
 断続的な爆音が響く、相棒は衝撃で毒に満ちた空気のみを散らしているのだろう。

「よぉ、すげえの作ったな。ここじゃ時が進まねえんだろ? 不老不死を望んだのか?」
 繰り返す転移故、あまたの方向から発せられる声の向ける先は己達を除いた人間。
 己の策を悟らせぬための言葉にローブ姿の男女は静かに呟いた。
『……私達はずっと今のまま一緒に居たいだけです』
 浮かぶ感情は感心ではなく嘲弄、誰もが一度は思い浮かべる願望を彼らは実現しているわけだ。
「“今”を止めるの無理さ。誰にもな。流れる時の中にあって初めて、“今”は存在し、そして輝く」
 無限に生きることこそ生の放棄に他ならぬ、時にすら触れる魔術師だからこその感覚。
「……輝きなんて必要ない……ただ二人の時間が永遠にあればいい」
 不死者と成り果てたものにその言葉は届かない。

 (……不変を望むものは居る、俺はそれを否定出来ない)
 コタロは思い浮かべる、不変を望み安息の地に消えた友の姿を。
 彼らの意志がそうなのであれば放置してもいいのではとちらと思い浮かべた。

 機械に取り付いていた撫子は、また異なる想いで彼らの言葉を聞いていた。
「貴方達が世界を拒絶するなら、世界だって貴方達を拒絶するんですぅ! 人を殺して保たれる世界は人に拒絶されるんですぅ!」
 静かに撫子を見つめる二人の表情に揺らぐところはない。
『……自衛です、世界から切り離されても私達は私達だけでいられる』

「平行線だな、まあいいさ。仕込みは終わった」
 風が抜ける音がティーロの口から吹き出す。
 転移しながら練り上げた儀式術の構成が六芒星の陣の頂点に置かれた魔導石――引き千切ったネックレスの飾り――と呼応し結界を形成する。
 空に響く引連れ音、結界の中に形成された凍りつく時間の檻が八芒星と男女が動きを止めた。
「持続時間は一分だ、十分過ぎる時間だろ」

「壱号、どうすれば竜刻は取り出せるの?」
 ティーロの声に頷く撫子が、ロボタンを潰れんばかりに押し付け問う。
 回答は単純、それによってこの機械が止まることが同時に分かったが一考だにせず、撫子は行動に移す。
 特定の順序でボタンを押すと機械は停止し竜刻が露出した。

 ――カチリ

 音を立て歯車が動く、ティーロの儀式が効力を失い時の流れに戻った八芒星が風解して消えた。
 二人の人間はお互いを見つめ、そのまま崩れ去る。
 術が切れれば時の重さが彼らを襲う。

「風はどこまでも吹くが、やがて止まる時がくる。時も同じさ。そういうもんだ」
 幾度か見た末路に大魔術師は呟いた。

‡ ‡


 正真正銘の廃墟となった研究所を後にする三人。
「いや、こんどこそエミリエ取っちめんぞ」
 友は某司書への怒りを撒き散らしている。
 その意見には同意しつつもコタロの感心は別にあった。
 
 塞ぎこんでいるように見える撫子の姿。
 思いもよらぬ死地、間接的にとはいえ止めすら刺させてしまった。
 己の視線に気づいたか撫子が相貌を崩し、おずおずと手を出す。
「ごめんなさい、コタロさん……手、繋いでも良いですか……」
 微かに震えている手を取ると強く握り返される。

 撫子が俺に笑って欲しいと願うのと同様に、俺も彼女に笑っていて欲しいと願っている。
 彼女に無理強いをしたくない、撫子は撫子らしくあって欲しい。
 彼女の気持ちは嬉しいが、焦った選択はしないで欲しいと願っている。
 どうか自分らしく自身のために生きて欲しい、それが自分の魅せられた人なのだから

 不器用なコタロがその言葉を紡ぐことは結局なかった。

クリエイターコメント誰も相手にしてくれなかった土のオクトグラムさんに皆様の温かいエールをお願いします。

何かおでんさんが無双している気がしますがきっと気のせいでしょう。
いや調査についてかっちり書いてたのがおでんさんだけだからですがね。
あまりに無双すると何故か情報量が減るという不思議。


締め切りまで時間もないので手短に

撫子さん
人間☓、人間っぽい物体○って感じでしょうか?

軍人さん
あなたはまごうことなきりあじゅうになってしまった

おでんさん
今回の魔法はGURPS当たりをイメージしました


最近何か忘れていると思ったら名前の略称付けてなかったんですね

それでは又の機会によろしくお願い致します
公開日時2013-08-19(月) 21:50

 

このライターへメールを送る

 

ページトップへ

螺旋特急ロストレイル

ユーザーログイン

これまでのあらすじ

初めての方はこちらから

ゲームマニュアル