永久戦場・カンダータ 幾百年にも渡り尽き果てることのない外敵との戦いが全てを支配した世界。 生きる者達は己が生きるために武器を手にした。 それは鋼鉄と火薬だけではない。 それは、政治であり、法であり、組織であり、教育であり、文化であり、歴史であり、技術であり、文明と呼ばれる人の灯火、その全てである。 それらは与えたものは他ならぬデウス、神は己の糧に相応しい社会を創造した 餌として生きることを教え、餌として戦うことを教え、餌として死ぬことを教える。 ゆるやかな時の中で神は、怠惰の中に揺蕩っていた。 人の時間にして長くない時が過ぎ、カンダータにゴーリィと言う男が現れる。 理想都市ノアを中心とした体制を作った指導者として知られる男は、世界の真実に気づき神に挑み、そして敗れた。 その時、神は気づいてしまう。 希望を抱き絶望する心がいかに美味であるか。 それは求めずには居られない甘美な毒であった。 神は幾人もの天稟を持つものを育て上げ、意図的に配された手がかりから世界の真実に気づかせ、育った絶望を喰い、最後は誘引餌として仕立てる。 神は気づいて居なかった、そこに小さな綻びが生まれ始めたことを。 高い能力を持つ餌は、知らず知らずのうちに神の与えたものをゆっくりと書き換えていた。 其れは雨だれが石を穿つが如き、遅々たる変化、餌は餌でなく人になっていったことに神は気づけなかった。 再び長き時が流れ、カンダータに異邦人が訪れ、神は外の世界を知る。 予定にない従僕達の敗走、希望に沸き立つ餌達に、神は久しく感じなかった喜色を覚えた。 神は異邦人を希望の種に巨大な絶望を刈り取る絵空図を描く。 神の視点において、それは正しく進んでいた。 神は全知全能に程近く、其れ故、零知零能。 地上を旅した餌と異邦人は想像を超える希望を手に入れる、従僕共を指示する端末、全ての餌が真実に至る可能性。 神は初めて焦りと驚愕を知った。 動揺する神は人のように、稚拙に振る舞う。 地上を旅した餌を執拗に刈りたて、端末を追う。 その過程で偶然、異邦人を深く知った神は慢心し、恐ろしいまでに愚昧な行為に手を付ける。 ただ、静かに排除をする――幾度も繰り返した行為をできぬほどに神は甘い毒に侵されていた。 彼らをも絶望させるに足る軍勢、仕掛け、餌を異邦人共々喰らい尽くすことを望む。 かくして異邦人――ロストナンバーを巻き込んだ最後の晩餐は始まる。 小さな綻びが大きな穴になっていたことにも気づかず。 地上から伸びる輝きが、決して届かぬ宇宙に存在する居を揺るがす。 地上に降り注ぐ虹色の光、其の下には神の望む絶望はない。 喰らえぬもの喰らいきれぬものが近づいてくる。 万全過ぎる程に準備した従僕の壁が破壊され、喰らうことの叶わぬ希望が近づいて来る。 かくして神の歯車は狂い、彼は人の舞台に降りた。 受け入れがたき未知、デウスは宇宙に向けて吠える。 ――偶像の黄昏
『あいつは、なぜヒトの持つ希望や絶望に惹かれたのか』 地表から遥か高み、成層圏を超え外気圏に至るまで空間。 カンダータの全てを意のままに壟断しつづけた神――何者も触れることの許されない権能と原始的な欲、そしてデウスという秘名を持つもの――が住まう城が存在する。 そこは大気も存在せず、有害光線に晒される過酷な宇宙空間。 思索にふける男が存在を許されるのは、彼が力象から解き放たれた存在故。 機械の城の縁に座す揺らめく精神体は、アニメイラスト入りのパーカーを羽織った中年男性――自称・大魔導師ことティーロ・ベラドンナ 伴うはティーロの体を陽炎のように揺らす、数多の不可視の少女。 無垢な笑みを浮かべて使役者を見つめる少女達は、人が存在しないが故に穢れを知らなかった風の精霊達。 ティーロが彼女達の好気に応え頭を軽く撫ぜてやると、精霊達は童女のように嬌声を上げながらティーロの精神体をさらに大きく揺らした。 精霊と魔導師――強力な魔力を背景とした支配の関係 しかし、精霊は世界法則であると同時に意識ある存在。彼らは好悪の感情を持ち、当たり前であるが好むもの以外には本当の力を貸さない。 精霊は気まぐれで捉え処のないものばかりであるが、ティーロは自然体で精霊と触れ合うことができた。 その極意は単純であり難しい行為――胸襟を広げ誰とでも友になろうとする 精霊と戯れる魔導師が眼下を見つめる。 そこはカンダータ、彼女達の生まれた世界。 奇跡が開けた風穴、覗く土の色は徐々に消え、ソラから見えるカンダータは鋼鉄一色――マキーナの世界に戻る。 奇跡の渦中、自分と同じく人工衛星へ至ったのは二人。 マイペースで小さく巨大な幼女――シーアールシー・ゼロ おでん屋で飲み交わした友――コタロ・ムラタナ 『何故、オレはここに来てしまったのか』 二人と共に人工衛星内部に至る魔導師は自問する。 ‡ 自らに迷い続け、己を傷つけ続け、その先にようやく到来した安息を、幸せを掴もうとしている不器用な友人。 『俺はコタロを生かして返してやりたいのか?』 「ティーロ殿……ゼロ殿……衛星の破壊は可能か?」 自問する魔導師の答えは少しばかり遅れ、代わりに白い幼女が返答をする。 「コタロさん、ゼロは提案するのです。 ゼロは、竜星のテラーウラムをベースにしたゼロ特製謎爆弾を持ってきています」 ゼロのポケットから覗くものは壱番世界に於ける最凶の兵器ことテラーウラム型爆弾。 それは多段階式メガトン級熱核兵器、もっとありふれた言葉でいうならば水素爆弾。 「でも、これは最後の手段なのです。 ゼロは考えます。 デウスの死を確認しない状態での衛星の破壊はとっても危険なのです。 そんなことをすればデウスは、物語のお約束的に生き延びてしまい、ラストシーンで高笑いと共に再登場が約束されること間違いなし! とゼロは結論づけました。 ゼロは提案します。コタロさんはデウスを倒すことだけを考えるのです、難しいことはティーロさんがきっと考えてくれるのです」 (……まあ途中は兎も角、デウスを倒したことを確認しろってのは其の通りだよな) 「……了解した。されば……自分は確実にデウスを止める。ゼロ殿、ティーロ殿……援護……を頼む」 わかったような分からないような狐にでも摘まれた表情を浮かべたのは一瞬。 己の成すべきことを決めた友人の顔に迷いの文字は存在しない。 「……如何に手足が強大でも……マキーナの……そして多くの軍隊がそうであるように、司令塔を討てば……勝負は…………決する。 ……それが唯一の活路……道中のマキーナは極力無視し、デウスの首を狙う……!」 何時もに比べ、遥かに多く意志を伝えた言葉。 城の回廊を脇目もふらず、ただ敵の首魁目掛けて一心不乱に駆け抜ける一本の矢。 相変わらずの無謀をフォローするべく『姿消し』をかける魔導師の頬に苦笑が滲む。 (あいつは少女漫画ばかり読み過ぎだな、お約束を分かってねえ。 熱血アニメ合宿にでも連れて行くか? ゼロのやつも詳しそうだしな、戦勝記念はDVD上映会かね?) ‡ 城の回廊を駆ける三人、其の背後で天井が空き、落下する多数のマキーナ群が砲火を放つ。 咄嗟に巨大化して壁となったゼロの表面に大輪の花が咲く。 「ここはゼロにお任せなのです。おっきくなったゼロは無敵の壁なのです」 カンダータの軍施設であっても瞬時に崩壊するであろう高密度の砲撃。 「コタロさん、ティーロさん。ゼロはここでマキーナさんを足止めなのです」 無謬の存在であるゼロは銃弾の嵐を受け止めながらコタロとティーロに告げる。 『俺はゼロを助けて守ってやりたいのか?』 少しばかりの手助けをと幻覚をかけようかと尋ねるが、ゼロは首を左右に振った。 「ティーロさん、ありがとうなのです。 でもゼロはこのままで良いのです。ゼロは囮になってマキーナを惹きつけるのです。 ゼロはゼロのままがベストなのです。 さあ、お二人は後ろを振り返らず早く行くのです。 次に合うときは桜の見える丘……ではなくデウスさんの前で、なのです」 背中越しに敬礼をするゼロはどことなく楽しげにも見える。 (そりゃそうか、ゼロは俺の助けなんて必要としてないもんな。しかし、どこであんなネタ仕入れてんだ) ‡ 『カンダータの連中に感謝されたかったのか? ヒーローになりたかったのか?』 確かにカンダータの命運はオレ達の働きにかかっている。 デウスを討ち取って凱旋すれば、クドい軍隊式の歓待が待っているに違いない。 英雄と崇められ、皆が尊敬の眼差しでオレのことを見る。 ――オレにそんなヒロイズムが? ありえないな、考えてもみろよ。そんな気持ちがあるなら、サルーンでもっとやることがあったはずだ。 マルツィアの奴にだって、もうちっと協力的でよかったはずだ。 今だってそうだ、他の奴らみたいに必死で故郷に戻ることを考えているはずじゃねえのか……? 大魔導師が心に浮かべる苦笑と戸惑い。 己に纏わりつく少女達が困惑したようにくるくると主人の周りを飛び回る。 『何故、オレはここに来てしまったのか――たぶん死ぬであろうに』 コタロのためか? ゼロのためか? カンダータの連中のためか? 確かにそれもある、でもそれだけじゃない。 己の思い浮かべる理由を見つめ、突き詰めて考えていくと一つの答えが見えてくる。 オレは、この先に居る者が何なのか知りたいのかもしれない。 神なのか偽神なのか知らんが、その存在を理解したいんだ。 魔導師としての知識欲? カッコ良く言えばそうだ。 言葉尻なんてどうでもいい、オレは知りたいんだ。この奥に居るはずのデウスってのが何なのかを。 あいつは、何故ヒトの持つ希望や絶望に引かれるのか? それともヒトが絶望を――やつを欲したのか? だから奴が生まれたのか? オレはあいつのことが知りたい。全てから切り離された個としてのあいつに興味がある。 コタロは怒るかもしんねーけどさ、話す余地だってあんじゃねえのか? 友達にだってなれんじゃないのか? オレは何も知らないままってのは納得できねえんだ。 『オレは甘ちゃんか? それともオレは間抜けか? だったら、仕方ねえ。そんときゃ……死ぬんだろうな』 ‡ ‡ ゼロは、概念的に生きている存在であり他の何者も必要とせず、何者も寄せ付けない。 安寧という観念を己の基準とし、より多くのそれを得るために漠然と直感的に振る舞う。 それはある意味、デウスと呼ばれる存在と同様、一般的に神と言われる存在に近い。 ゼロが人工衛星に至った理由もやはり直感的だった。 世界を安寧に満ちた楽園にしたいと求めるゼロとは、完全に正反対の属性を持つカンダータの世界管理者。 絶望を好み、絶望を糧に、絶望を世界の法則とするために存在する神。デウスとの対峙は有意であるとゼロは考えていた。 マキーナを引きつけるためにコタロとティーロと別れたゼロ。 その周囲には、一種独特と言える異空間が広がっていた。 空間を構成する要素は、ゼロがポケットの中から取り出した巨大化した物体の数々。 ふかふかクッションが通路一杯に広がり、ふわふわの綿菓子がマキーナの視界を奪う 大きなホイップキャンデーが壁となってマキーナの進路を塞ぎ、ゼロ愛用の枕に布団が、飛び交う鋼鉄を柔らかく愛撫する。 巨大な絵の具が無機質な壁を鮮やかに彩り、けたたましい響く目覚まし時計の音がマキーナを呼び寄せ、砲火にほんのり焼けた柔らかマシュマロが甘い匂いを立て空腹を刺激する。 通路を通るためにマキーナが引き裂いた綿、クッションから飛び出す色とりどりの布切れが、ダストシュートから飛び出し、人工衛星の外殻にまとわりつき、ふわもこゆるかわな何かへと変容させていく。 カンダータの恐怖と戦慄、絶望の支配者たるデウスの人工衛星は、甘い香りと柔らかい色に包まれたモフトピア宛らのファンシーワールドへと様相を変えつつある。 「はっはっはっ、ここを通りたくば、このゼロを倒してからいくとよいわ、なのです」 甘い色に染まる空間の中で、演技かかった高笑い。 灯に誘われる羽虫のようにマキーナの群れが巨大化したゼロに惹かれ殺到する。 風を切る鋼鉄の刃、豪雨の如き砲弾、高速で迫るミサイル――致死の攻撃が如何に迫ろうとも、ゼロが、完全無謬の存在が、マキーナ如きが集ったところ傷つくことはない、精々―― 「ああん、ちょっと待つのです。そこは擽ったいから駄目なのです!」 触れた爪が擽らせることが精一杯。 粗忽なマキーナもゼロのポケットにポイ捨てされて始末された。 戦闘機械たるマキーナは、デウスという全体的指揮官の元に統制を持った軍隊。 ゼロは幾度となくカンダータ軍の援助を行っており、その能力はデウスの知るところ。 D型の砲撃を苦もなく受け止める無敵の壁が、囮として振る舞うならば最低限の監視をつけて捨て置くのが定石。 それは、潤沢な兵力と監視システムという耳目を持つデウスであれば容易に取りうる策である。 しかし、ゼロの周りには雲霞の如くマキーナが存在し、ゼロは囮としての役割を十全に果たしていた。 侮り――などではない。 ゼロの周りで微かに瞬く霧が、マキーナの体に、セキュリティ装置に、回線を張り巡らされた壁に埋まり消えていく。 ――無限ヴォイニッチキャノン それは名前の元となった手稿と同様に、意味がありげで無意味な情報の塊。 ゼロの演算能力をベースに超巨大化、圧縮を繰り返すことで生成される無限に等しい意味のある無意味情報群。 情報生命体といえるイグシストに嫌がらせするためにゼロが生み出した謎兵器。 霧状に散布された情報体は機器の扱える情報量を飽和させ、本来成すべき動きを消失させ異常を振りまく。 自動ドアが凄まじい勢いで開閉を繰り返し、エレベーターが貨物を振り回す。 防火シャッターがマキーナを轢き潰し、ダストシュートがマキーナを宇宙に放逐する。 監視カメラはクルクルと竹とんぼのように飛んでいき壁に激突し爆散した。 マキーナの城に広がる混乱の渦。 余りに不自然な状況を察したか、マキーナに到達する情報の質が変わる。 空間を流れる波長が電波からESPが生成するPSY波とにつれ、マキーナ達は統制を取り戻し、最低限の兵力を残しゼロから離れ始める。 しかし、それもまた読み筋とばかりにキラリとゼロの目に光が走った。 そそり立つ不可知的超無意味精神暗号謎障壁。その壁を通った情報は無茶苦茶に変換され、マキーナへ伝わるはずの指示はバベルの塔の如く崩壊する。 「極限エニグマシールドの前ではデウスさんのESPもただのツイッターに過ぎないのです。 マキーナさん達は知るといいのです。ゼロからは決して逃げられない……なのです」 ‡ ゼロは一つ疑問を持っていた。 デウスと呼ばれる存在を型どる余りに強大な力、ともすればイグシストすら超えるように思える。 ゼロは直感した。 デウスは世界計を所持している、あるいは――デウスは世界計そのものであると ゼロの直感は正鵠を射ていた。しかし、僅かに見落としが存在する。 デウスが世界計を支配するのであるのならば、あるいは世界計そのものであるのならば、何故デウスは希望を知らぬまま存在したのか。 世界計とはその世界を示す全て、知らぬことなど存在し得ない。 ‡ ‡ 『この戦いが終わったら、俺は、この世界で生きられるだろうか』 吶喊する己を塞ぐは、巨大な角を生やす未だ見えたことのないマキーナの群れ。 友の術で隠された己の孤影を捕らえる動きには僅かな遅滞が見て取れる。 ――……ッ! 圧縮された呼気が肺を潰し、引き絞られた筋が己の体を矢と変える。 軍靴が鋼鉄の床を弾き、疾駆する軍人の背中で間断のないマキーナの銃火が跳ねまわる。 追いすがる高密の弾丸、人が回避行動を続けるには通路は狭すぎる。 瞬く間に追い詰められた軍人。その表情に欠片も諦念はない。 コタロの精神は、戦人としての極みにあった。 光で捉えきれぬが故に生まれるマキーナ共の僅かな乱れがコマ落としのように見える。 マキーナが放つ銃火の射線が、壁に弾け跳ねまわる弾丸の動きが視える。 己が動くべき道が、成すべき行為が、砕け散るマキーナの姿すらハッキリと視えた。 火線がかき乱すは戦人の残滓のみ、轟音に紛れた舌打ちのような詠唱。 戦人の姿はマキーナの群れの中央に一瞬現れ、撒き散る陣符が発した爆轟と共に消える。 一群のマキーナを瞬く間に廃したコタロ。その視線はただ前のみを捉える。 (……T字路……どっちだ) 「コタロ、左だ」 浮かぶ疑問は、阿吽の呼気で友が埋める。 戦人は頷き、只管に前に、前に、前に―――― ‡ 駆けた時間は四半刻と極わずか。 眼前に異様を放つ巨大な扉、その気配が中にいる存在を知らしめている。 ――ここにデウスが存在する コタロ・ムラタナは大きく息をついた。 『デウスが、マキーナが、消えればカンダータは永久戦場では無くなる ――――そうなれば、兵は不要となり己の望む戦場は消え失せる』 ――其れで良いのか? コタロの脳裏で問う声 それはどこかで聞いた諭すような男の声。 『愚問! 答えは出ている』 コタロは寸分の迷いもなく喝破する。 既に知っていた、己を形作る全てが何であったかを。 『思えば俺は多くの混乱と遠回りと勘違い、そして迷いを繰り返してきた』 貧しく厳しい世界に生まれ、友と家族と過ごす当たり前の時間を過ごし、己の手でそれを失った。 死人となった己。覚醒し永らえたその身は、ただ死に場所を探しているだけの世捨人であった。 そんな己に何故だろうか友ができた。 「いよいよだなコタロ。大丈夫だ安心しろ、おまえはオレが必ず生かして返してやる」 「……信頼している」 傍らに轡を並べる友――ティーロ・ベラドンナ 最後の戦いを友と共に戦える……此れ以上に心強いことはない。 孤独と過去の虜であった己を愛してくれる人が現れた。 『コタロさんの口からデウスぶっ倒したお話聞けるのを楽しみに。こっちのマキーナ全部スクラップにして待ってます』 (ありがとう……撫子) ノートに刻まれていたメッセージ、自然と感謝の言葉が胸を突く。 彼女と再び会う、それ思うだけで己の心は強くあれた。 代償に過ぎなかった戦場は、何時しか己が本当に望むものを教えてくれた。 『妻のために、息子のために、父のために、同胞のために、輩のために ただ――大切な誰かのために』 彼らの生き様と死に様が、己の心を癒やし一番大切にしたかったものを思い出させた。 兵であることは己の誇り。 しかしその誇りの根幹は――自分の大切とするものを守りたいという情 カンダータの民達を、友を、愛しい人を守ることこそが己の望み。 その為に生き、その為に戦う。それこそが、それこそが俺の望んだ姿。 戦場が消えようとも先の世界で、この情が消える事は決してない。 己が発した言葉が浮かび、己が受けた言葉が浮かぶ。 走馬灯のように流れる光景の中に、ふと他愛もない思考が浮かぶ。 (そういえば……グスタフ達とは一度も酒を酌み交わせてないな――これが終わったら、今度こそ……) ――生き死に定か成らぬ戦闘を前に、俺は だが、それでいい。 苦笑を浮かべかけた己を諭す。 ――兵であり、武器であり、死人であり、友であり、恋人である ――死地を生き、戯言に怒り、情に戸惑い、酒に笑う その全てが己。 己を認め、ただ生きる。 それがただのコタロ・ムラタナ。 コタロは一歩踏み出し決意を言葉にする。 「……俺は戦う」 その言葉に乱れはない。 意を違えることはもはやない。 その言葉に迷いは無い。 覚悟はすでに決めていた。 金切り声のような奇怪な叫びと共に運命は大きく開け放たれる。 「俺はデウスを……必ず倒す」 ‡ ‡ 其が存在するは、硝子窓から差し込む星光だけが照らす薄暗く巨大な部屋。 世界の主たる其は、全ての中央に立ち、ただ虚空を見上げ佇む。 ――カチ――カチ――カチ――カチ 人であれば呼吸。 韻を刻むは、歯車と歯車が噛合、鋼鉄と鋼鉄が擦過する音。 其の音は身動ぎせず虚空を眺める世界の主から唯一生じたもの。 世界の主が見つめる虚空には、其れの知る世界が写る。 その世界は全ての存在が絶望に落ち、ただ貪る絶対者、すなわちデウスのみが存在する。 しかし、歪が生まれ其れの知らぬ現実が世界を侵食する、完全なはずの絶望の絵空図が崩れ去った。 万全過ぎる程に準備した使徒は突破され、喰らうことの叶わぬ『もの』が扉一つ隔てて存在する。 其は己の権能に疑いを持ったことなどなかった、其は完全であるはずであり想像しえぬことなど存在しない―― 其は認識できていない。 其を侵した甘美な毒『希望』その概念を其が知らなかった事実を。 其は全知全能には僅かに足りず、それ故、其は零知零能より僅かに知能を持っていた。 ――其の存在を神に非ず 理解し得ぬ概念は理解できぬ『感情』を呼び起こす。 カンダータで最も強靭で強力で異能を誇る神のようであったものが吠え声を上げた。 ‡ ‡ 扉の先は、磨き抜かれた鋼鉄の謁見場。 運動場程に開け放たれた央には、不可思議な機械が存在した。 それは、G型と呼ばれたマキーナより一回り大きな金属の肉体。 鈍く光る強靭な両脚と滑らかな尻尾は、壱番世界で言うところの恐竜の姿を思い起こさせるが、その巨躯に両腕は存在しない。 奇怪な風貌、その中でもとりわけの異様が其の面貌――張り付いた無表情に抜け落ちた眼窩に剥き出しになった歯――デスマスク。 その体からは機械が発する駆動音ではなく、生命の産む呼吸でもなく、時計を刻むような不思議なリズムだけが漏れている。 「これが……デウス……」 ぽつりと零れた言葉。乾きに喉が張り付き、掠れた音が時を刻む音に混じる。 其れの空虚な眼窩が己を見ている。深淵を覗くかのような暗黒の洞が心を千々に引き裂き、原始的な恐怖が肺腑を駆け巡り、決意に燃えた両脚が跪きそうに震える。 「…………化け物が」 膝を屈せぬように歯を食いしばり漏れた言葉は、奇しくも死の間際を見とった参謀の言葉に重なる。 あるいはコタロが一人でデウスと対峙したのであれば、彼と同じ運命を辿っただろう。 『コタロ、落ち着け飲まれるな。 アイツはお前の恐怖を刺激してんだ……コタロ、お前の決意は折れない。そうだろ?』 半透明の魔導師が喘ぐ肩に触れる。 精神に落ち着きをもたらす魔術が、それ以上に友の存在がコタロの恐怖を打ち消す。 ――カァアアアアアアア 突如、デウスの空洞のような口腔が開け放たれた。 吹き出すは空間の爆縮、圧縮された大気が爆散する。 視界が歪むほどの激しい叫び、空間を破砕した衝撃が部屋中を荒れ狂う。 一厘の隙間もなく荒れ狂う爆発の励起が魔導師が咄嗟に貼った障壁を粉々に粉砕。 咄嗟に懐から投げた符で衝撃を相殺したコタロの表情が驚愕に変わる。 デウスの巨躯が眼前にあった。 鋼鉄の両脚が可能としたのか空間を削りとったような無音接近。 脳の司令が神経を伝わるコンマ一秒がデウスの前では遅すぎる、コタロの体が激痛を訴える。 心臓の真下、コタロの下腹部を貫いたデウスの尾が宙で撓り鮮血と肉片をぶち撒ける。 間髪入れず、鎌首をもたげるデウスの尾。頭蓋に狙い定めたデウスの尾を刹那の間隙もなく鳴る弦の音、符の爆轟が弾き飛ばす。 刹那の交錯、幾重にも刻み込まれた戦人の切磋琢磨が脳の伝達すら超えて肉体を動かし薄皮一枚命をつなげる。 衝撃の伝達すら彼らの交錯を前には遅い。 ようやく伝わった衝撃がコタロの肉体を吹き飛ばす。 鋼鉄の床を軍靴が軍手が擦る、塞ぎきれない血をぶちまけながらも戦人は衝撃を殺し前に飛ぶ。 ――アァァアァアアアア デウスの口腔から漏れる不快な音声。 空間を割って現出した鉄の塊、マキーナ共が装備した生体ミサイル。 音速を四倍する高速飛翔体がコタロを焼滅させるべく舞い飛び、突如軌道を乱し壁に床に爆裂の花を咲かせる。 『誘導兵器っていうのか、そいつは使えないぜ。おまえさんの通信は全て精霊達に断ち切らせた』 魔導師の声に応えた精霊の少女達がデウスが発する無線を引き裂き、ミサイルを連れ去っていく。 (これくらいじゃ動揺もしねえか、いいじゃねえか丸裸にしてやるぜ) 表情を変えないにデウスに多少の焦燥を感じつつも矢継ぎ早に精霊に指示を出す魔導師。 一進一退。 爆炎が晴れた時、戦人と魔導師の前に節くれた物体が浮かんでいた。 それは一見すると遠隔操作された火器。しかし、その物体とデウスを繋ぐ情報が見えない。 『こいつ――命令されていないのか?』 ティーロの心に浮かぶ一寸の狼狽を埋めたのは精霊たちの悲鳴。 火器に視えた物体が己に纏わりつく精霊達を引き裂き、驟雨の砲撃が残る精霊達を千々に引き裂く。 その浮遊する火器はデウスの両腕――否、両腕という表現は正しくない。 壁一面から同様の物体が出現する、それは数多あるデウスの腕の一対。 銃弾の音が止む、軽く頬に触れるティーロ、そこにはチリチリとした痛みと結像の乱れがある。 (おいおい冗談じゃねえぜ、銃が精神体に攻撃できるだと……) 大丈夫だと思ったことが崩れ落ちる瞬間――滲む感情が絶望。魔導師を視界にあるデウスの眼窩が大きく膨れ上がる。 極度に強くなる酩酊にも似た感覚。抑え込めたのは精神を鍛え上げた魔導師であったから。 (隙を見せりゃ瞬く間に喰われる……全力でやんねえと話になんて成らねえ) 「コタロ、時間を稼げるか!? でかいやつをぶち込む」 有無をいわさぬ最大火力による消失、力が勝る相手に対する最大の戦術だが―― その判断は遅かった。 壁一面に出現したデウスの腕、毛一筋の隙も許さず肉体も精神も焼き払う砲撃が部屋を埋めた。 銃弾驟雨の如し、鉄の塊が視界を黒く染め上げ轟音を持って空間を蹂躙する。 防げるものなど存在せぬ、逃げれるものなど存在せぬ。 弾ける鋼鉄の重低音、其の中で無事で居られるは、唯一デウスのみ。 ――否、もう一人居た 「そう簡単には、ゼロがやらせはしないのです」 銃弾の嵐を繰り抜いたように浮かび上がる白。 コタロとティーロを庇う巨大な幼女が『いつの間にかそこにいた』 「コタロさん、ティーロさんお待たせしましたなのです。 ゼロはデウスさんとお話があるので、少し待っていて欲しいのです」 ‡ 其処には二つだけが存在した。 半分眠ったような陶然した笑み――アルカイック・スマイルを浮かべる女神が問う。 ――汝、如何にして発生す? 我、世界と共に存在する―― 虚空を眺める死の仮面――浮かべる表情は不思議と神性を帯びている。 ――汝、絶望以外を食むことは能わず? 我、其れ以外を食むに能わず、汝と同質也―― ――汝の被造物は汝を乗越えた故、彼らを祝福するを推奨 我、汝の言の葉を認めず、被造物は我が糧に過ぎず―― ――汝、遺す言の葉は? 無意味也、我に死は存在せじ―― ――汝は、世界計か 如何にも、我は汝が世界計と呼ぶもの、すなわちカンダータそのものである―― ――汝、我に帰属せよ 汝はカンダータに非ず、不可なり―― ‡ 刹那の問答、互いが相入れぬことを知る。 ゼロを起点に出現する無意味情報の霧――ヴォイニッチキャノン 唯一に等しいゼロの攻撃、如何なデウスとて無限情報に晒されて、己の全てを保ちきることはできない。 デウスに迫る光り瞬く霧は、デウスの周囲に突如現れた黒い霧に飲み込まれ消える。 それは情報の全てを虚に破棄する擬似ブラックホール。厳密かつ単純なルールは、情報の複雑性、量に囚われることはなく全てをゼロにする。 ――アァァアァアアアア 再び吠えるデウス、現出する弾雨が部屋を埋める。 ゼロはコタロとティーロの笠となって仁王立つ。 デウスの砲撃は止むことがなく、傷つかぬゼロと無限の砲撃は千日戦争の様相を呈する。 ゼロのスカートに匿われティーロの治癒を受けるコタロは状況に歯噛みしていた。 このままでは駄目なのだ。時間の経過はカンダータ兵の死を、デウスの勝利を呼ぶ。 己に状況を打開する策がない。焦燥が心を焼く。 死の仮面がニタリした笑み形作る――勝利の確信ではない デウスは感じ取った、己の糧が萌芽しようとしていることを。 銃弾の嵐に重なるように映像が大写しにされた――それは未だ死と破壊が席巻するカンダータの――ディナリアの戦場 其れはコタロの絶望に反応しより多くの絶望を与えるために最も望ましい『はず』の行為。 ‡ ‡ ――カンダータ地下 電撃を帯びた銃弾が、魔力迸る蜘蛛の糸が、炎熱を纏う式神が、龍亜人の咆哮が、鋼鉄の機銃が幾百のマキーナを灰燼と帰する。 野生児の弓が、蜘蛛の脚が、赤熱する鬼の呼気が、原子崩壊をする励起が、雷を纏う剣が幾百のマキーナを塵芥へと変える。 光条を吐く剣が、白色光の間を飛ぶ槍が、光の槌が、猛る樹木が、夥しい数の黒影が幾百ものマキーナを飲み込んだ。 しかし、いかにロストナンバーが戦おうとカンダータの兵が戦おうと、世界を埋めるはデウスの堕慧児。 一つ破壊すれば二つ現れ、十を滅すれば百現れる。 ターバンを巻いた精霊が生み出した風の障壁は徐々に範囲を狭め、守り結界を維持していた和装の女性の額は玉の汗。 朽木が砕けるようにカンダータの兵は倒れ、戦列は後退を続けている。 しかし、彼らの心は折れない――それは信じているから ‡ アマリリスが、ディナリアの兵士達と共に市街で戦っていた。 限界を遥か彼方に超えてるにも関わらずアマリリスの羽根は白く――眩しいまでの光を放っていた。 彼女一人の力ではない、それは彼女の背中を見る全ての人の思いが与えてくれる。 ――誰がために戦う それはこの地で生きる人々の為、そうしたいと望む自分自身の為。 初めは悔恨に憐憫に根ざしたものだったかも知れない。 幾度と触れ、彼らの強さを美しさを知り、次第に共にあることを望んだ。 「グスタフ、私はこの地に相応しいか?」 マキーナを一刀で両断した麗人の横顔は、この上無く涼やかで気高い。 「笑わせるな、俺達がお前さんを拒絶したことがあったか?」 是非を問うまでもない、彼女をかたどる真理数の瞬きとディナリアの将軍の言葉が全ての答えだ。 女将軍は大きく頷く――そう彼女が拒絶されたことなど一度たりともない 「私はアマリリス・リーゼンブルグ。 お前達と共に戦い、お前たちと共に生き、お前達と共に死ぬもの。 我が輩よ、信じて戦おう。共に戦った男が必ずデウスを倒す」 幽太郎がディナリア最前線で大量のマキーナと交戦していた。 装甲の表面で青白い光が幾つも踊った。 過放電した荷電粒子砲が電子機器をショートさせ、残された武器はプラズマトーチのみ。 周囲にはレーダーで捕捉するまでもない大量のマキーナ、斬っても斬っても押し寄せてくる敵。 磨き上げられた銀色の装甲はボコボコに凹み、稼働停止まで後僅か――絶望的な状況 「だけど……! 僕は仲間の事を信じて最後まで戦うよ。カンダータの兵士さん達を護る為に!」 戦闘モード――起動―― サブコンピュータが稼働し、幽太郎の感情が薄くなっていく。 次の目覚めはないかもしれない、それでも―― 「……だから! 絶対にデウスを倒してね! 僕、信じているよ!」 ‡ カンターダを形造る新たな運命の海練。 絶望の喇叭を幾度かき鳴らそうとも、希望の物語が何度でもそれを掻き消す。 ヴィクトルは焼け爛れた大地の上で最後の戦闘を挑んでいた。 (傷が深いな。だが死ぬわけには行かぬ、今は消え去りし仲間達の想い、絶やす訳には。 我が理想郷……其の地に至るまでは、我輩は消えぬ、消えぬぞ!) 天蓋を炙る焔の柱が再び上がり、周囲に居たマキーナが融解する。 流れた血、砕けた鱗を媒介にした決死の魔術―― 炎熱に歪む空間、掠れる視界は熱ばかりのせいではない。 「我輩を仕留めたくば、竜を数千この地に寄越すのだな」 嘯く瀕死の魔術師の周囲に大気を震わせ現出する新たなマキーナ――龍型 「くく、そうであろうよ。舐めるな擬物風情が、我輩を消すには足りぬ!」 龍ではない竜が張るは虚勢――その生命が風前に晒された灯火であることは誰の目にも明らか―― 揺らぐ視界薄く消える五感の中でヴィクトルの耳朶に汽笛の音が触れる。 幻聴――ではない。 次々と鳴るマキーナを破壊する爆音は、ヴィクトルの消え去りそうな五感を覚醒させる。 それは一本の雄々しき角――巨大なドリルを先端に空をかけるロストレイル号。 「牡牛座号だと!?」 驚愕の叫びをあげるヴィクトル。 眼前の地面をマキーナ毎削り飛ばし、カンダータに着陸する牡牛座号。 殺到するマキーナの群れを弾き飛ばすのは錬筋の波動。 「我が名はガルバリュート。 皆の者! デウスとやらに一泡ふかせてやろうぞ! みよ! この肉体鋼鉄如きに負けはせぬ」 愛槍・おふぅランスと一体化した錬筋術師が変態的軌道で朱い爆発の軌跡を描く。 「神とは実に身勝手なものよ。だからこそ人は抗うことを覚えたのである! カンダータの兵よ! 神が我々に知恵を与えたことがどういう結果をもたらすか、身をもって思い知らせてやろうぞ!」 意味も分からないまま粋だけを感じたカンダータの兵が鬨の声をあげる。 「これは……一体……如何なることだ」 突如現れた援軍、呆然と眺めながらヴィクトルは力を失い腰を着く。 「……ヴィクトル様、お労しい姿」 「ドミナか……これは」 ヴィクトルの爪が女から零れた液体に濡れる。 「お叱りは後ほどに……今は」 情動に揺れた声、微かに掠れた詠唱が始まり、ヴィクトルの傷が少しづつ塞がる。 「ウルサインデスヨ、感謝くらいしたらドーデス。あ、勘違いしないでくださいヨ。ボクは貴方を助けに来たワケじゃアリマセンヨ。貴女に死なれちゃドミナサンが悲しむだろーなーと思ってただけで! いつか「ドミナの手料理最高デース☆」って地雷踏み抜きやがれってんデス! リア獣め! なんて全ッ然思ってないデスからね!」 早口にまくし立てるKIRIN。 背中で交わされる光景は、気になってしょうがないが絶対に見たくなかった。 「って、さっきからごちゃごちゃ五月蝿いんじゃこの羽虫共がぁー」 照れと嫉妬を隠す難しいお年ごろはマキーナに全力で八つ当たりを開始する。 「ヴィクトル様、退避してください。ここは私達が」 愛しい人に癒やし終えたドミナもマキーナに向かう。 白犬シーファが奏でる竪琴と魔笛の合奏が響いた。 (あちらが絶対的な絶望を私たちに齎すと言うのであれば。私はその絶望をも挫く希望の旋律を奏でましょう。 けれど戦とは、やはり悲しいものね。こちらにとっては希望でも、あちらにとってはやはり、絶望でしかないのだから) ‡ 「火急に駆けつけてくれた諸君らに感謝する」 黒い肌の老紳士が蟹座号のモニターに写るロストレイル号に敬礼する。 『あのおっさん大したもんだな』 蟹座号の計器を使い戦況を分析しながらエイブラムは呟く。 いざ危機にあたって『当たり前』に気づくこと程、難しいことはない。 武器が足りなければ増やせばいい、兵が足りなければ呼べばいいのだ。 出撃したロストレイル号は四台、まだ八台も余っていた――そして、ロストナンバーも。 「アヴァロン、他のロストレイルにデータを流せ、援軍に状況詳細を知らせんだ」 「了解デス、エイブラム様」 「いいか、命懸けになんのは好きなやつに任せておけばいい。俺達は生き延びる努力をすんぜ」 ‡ カンダータの至る所から兵士たちの雄叫びが唱和する。 ――オールハイル・カンダータ ――オールハイル・カンダータ ――全てを捧げよ、友のため、子のため、愛する人のため 幾百の絶望を前にしようとも彼らが絶望に脚を屈することはない。 彼らは知っている己の命の価値を、希望が生み出した生の目的を。 ――カンダータに絶望は存在しない (なかなかの気概だね。僕はどうも、彼等を侮っていたようだ。 だがね一つ注文を付け加えようか。安易に死にに行くのは許さないよ。己が認めた人間に軽々と死なれるのは、使い魔にとって恥ずべきことだ) 「魔法局分隊、『戦の鍵束(ウォーロック)』へ告ぐ! 対軍隊戦用意、カンダータ軍や他のロストナンバーに遅れを取るな! この戦場は、我々魔法局が制圧する!」 姿は見えずとも魔力の波動は分かる、己の言葉は必ず聞こえる。 「では存分に戦おう、僕に続け我が主ブレイク!」 猫の獣人は光の矢となってマキーナの陣へ飛ぶ。 「レイドさん張り切ってるね、年のわりに若いよね? じゃあボクらももうひと頑張りしてみようかブラザー」 『石使イノ荒イ主様ダゼ』 「もう突っ込む気も失せた?」 肩をすくめ首を振るラド、もはや珍しい光景でも何でもない。 「ガーゴイル隊は……全滅? いやいやお嬢さん、それこそご冗談を。石悪魔の使役、召喚術専行の魔術師としての見解はですね」 誰も突っ込まないせいか、ブレイクのボケは駄々漏れ中だ。 「そこに瓦礫がある限り、全滅なんて有り得ないんですよ」 ブレイクの肌が黒色へと変じ、握りしめ突き出した拳から漏れる魔力の潮流。 砕け散ったマキーナの塊がブレイクの魔力に共鳴しゆっくりと立ち上がる。 ブレイクが不可視を力を引きずりあげるように両腕を上げ拳を開くと、大量の鋼鉄ガーゴイルが空へ舞い飛ぶ。 「絶望的な数には、絶望的な数を」 『「やっぱ戦争は数だよ兄貴」ダロ?』 「まだ突っ込めるじゃない、ラド」 センサーは自分の体が、今までカンダータになかったはずの樹木に受け止められていると知覚した。 私はそれをカンダータ兵の皆様が倒れぬよう支えて下さっていると感じた。 ――声が聞こえる 誰かの声、それは慣れ親しんだ声。 その声全てに聞き覚えがあった。もはや会えぬはずの人達の声。 自分を忌避しながら最後は仲間と認めてくれた人達、自分を崇拝するような目で見ていた不思議な人達。 笑い声と共に戦場の雄叫びが聞こえる。 ――戦っている、皆戦っている ――愛しい西戎軍第弐連隊の皆様が戦っている ――私はあの方々と共にこの地を護りたい カンダータの兵士達がジューンに手を延ばす。 死人であるはず彼らの手は温かく、構造材が剥き出しとなった自分の手も……温かい。 ゆっくりとジューンの体が再生する。 構造材の覆う肉は、生まれたばかりの赤子のような滑やかに構成され、焼け落ちたピンクの髪が漉いたばかりの御髪のように音を立てて揺れた。 機械の女神が晒す裸身を大きな布が包み、瞬く間にトレードマークと寸分たがわぬメイド服を編み上げる。 センサーは視界を取り戻し、エネルギーは完全に充填されていた。 語らずとも通じる言葉があった、しかしジューンは敢えてそれを言葉にした。 「私はこの地に全てを捧げます! 例え鉄屑一片となっても私はこの地を護りたい! どうか皆様と共に戦う力を私にお貸し下さい!」 カンダータ兵から声が上がる、その全てが彼女を認める言葉。 彼女は、己が知らずともずっとカンダータの兵士達の希望だった。 親指を立てるもの、囃し立てるもの、声援を駆けるもの、其の全てにジューンは敬礼する。 ――オールハイル、カンダータ! 希望の女神は叫び、全きの姿で立ち上がる。 彼女の姿は、ディナリアの兵士達を鼓舞する。 その頭上にはカンダータに生きるものの証が光っていた。 ‡ ‡ ――理解に能わず、其れは如何なる事か ――何故、絶望無き也や 「言ったはずなのです。デウスさんの作ったつもりの人達は、もうとっくにデウスさんを超えていたのです。思うようにならないのは当たり前なのです」 その時、デウスの中に生まれた感情が絶望、其の本能は己すら貪る。 その時、デウスの中に生まれた一瞬の虚、極一瞬の―― デウスの砲撃が止まり、宙空の映像だけが残っていた。 カンダータ地上の映像――重火器を構えた女が隣にいる兵士に話しかけている 「コタロさんとティーロさんにゼロちゃんまで居るんですよぉ☆ あっちが大丈夫なのは当たり前じゃないですかぁ☆ 愛してますし信じてますもん☆」 喉を張り裂けよとばかりの雄叫びがコタロの喉をつく。 轟音が鳴りデウスの背後に存在した鋼鉄の壁が、黒穴となっていた。 酸素が吸い上げられる凄まじい音、両脚を地面に食い込ませたデウスの体が大きく揺れる。 鏃如く飛んだコタロがデウスの肉体に掴みかかった。 「コタロォ!! 無茶だ!!」 「ティーロ殿!! 俺はティーロ殿の魔術を信じている!! 必ず生き残る!!」 デウスの鋼鉄の両爪が床を噛み、巨躯とコタロの肉体を支える。 凄まじい重力に押し付けられ震える腕動かし、コタロのボウガンがデウスの掴む床を破壊する。 ――覚悟を決めた時、己の体が主の命令に反することなどありえない。 支柱を失ったデウスはコタロの肉体と共に宇宙空間に吸い込まれた。 ‡ 人工衛星は引力に引かれ墜落しないよう凄まじい速度で移動をしている。 其の速度は壱番世界で言えば秒速七粁――音速の二十倍以上 慣性の法則に従い飛ばされるコタロとデウスは其の速度でもって大地めがけて落ちていく。 「いいかコタロ精霊達にお前を守らせる――ハッキリいうぜ、こんなこと試したことがねえ。どうなるかはわかんねえが、全力は尽くす」 ティーロの言葉が瞬く間に遠ざかっていった。 視界の全てが熱に焼けコタロの視界が赤に染まる。 大気圏との摩擦で服は全てはじけ飛び、コタロの薄皮一枚を守るのは精霊達の壁。 赤熱するデウスが離脱しようと足掻く。 (させん――) 零距離から鏃を連続で叩きつける、熱で融けだしたデウスの外殻が爆ぜ精密機械のような内部構造が剥き出しになる。 (――止めを) トラベルギアのボウガンが摩擦熱に負け融解した。 形だけを模したものに過ぎない――が、コタロが持っていた蒼国の全てが消えた。 (さす――) 泥濘に手を入れたような感触、液状化したデウスの体は凄まじい熱を持っている。 精霊に守らえた腕が臨界を超え炎を上げる。 コタロは激痛に一顧だにせず、デウスの内奥に手を突き入れ舌打ちを一つする。 デウスの内奥は世界計であると同時に機械であった、突き入れた拳がその存在をかき乱す。 偶然に過ぎないかもしれない、しかし機械を狂わせる彼の特質はこの時のために用意されていたのかも知れない。 呪符もなく発動した小さな魔力の爆発が、デウスの肉体をゆっくりと瓦解させた。 ‡ ‡ カンダータの空に流星が流れた。 それを初めに捉えたのは蟹座号で解析を続けていたエイブラム。 「大気圏に突入する物体を捕捉したぞ……おい、あいつ絶対阿呆だぜ。 Damm GOD! アヴァロン見てみろ、無謀が服着たイカした奴が地上への特急便に乗ってんぞ。 ハンバーグになる前に助けんぞ」 「イエス、エイブラム様。光子ネットを広げコタロ様を救出しマス」 空中に浮かんだ巨大なネットが流星を、コタロを待ち受ける。 既にマキーナの攻撃はなかった、それが意味するところは皆知っていた。 カンダータの車輌とロストレイル号は彼を迎えるためだけに地面を駆けた。 ‡ 「コタロさぁーん」 アヴァロンの肩を借りながら歩くコタロに飛びかかって抱きついたのは、言うまでもなく撫子。 続いてロストレイル号やカンダータの車輌から降りた人達が口々に彼に賞賛する。 「やってくれたな、コタロ。いや勿論、俺は信じてたぜ」 永く共に戦ったディナリアの将軍がコタロの背中を叩く。 跳ね上がるほどの痛みが今は心地よい。 「しかしあれだな、裸ってのはしまんねえなぁ。ほらこれを着ろよ、ちょうどいいサイズのはずだ」 グスタフから手渡されたのカンダータの軍服――幾つかの勲章と彼の名前が刻まれている。 火傷のせいか腕が震え、覚束ない指先。コタロはゆっくりとカンダータの軍服を着る。 着古したように、しっかりと馴染む装束。 「よく、似あってるぜ」 共に轡を並べた友が笑っていた。 「コタロさん、超☆カッコいいですぅ☆ 惚れなおしてしまいますぅ☆」 恋人も莞爾と笑みを浮かべる。 着替え終わったコタロの眼前には、一糸乱れぬカンダータ軍の隊列があった。 「コタロ、そしてロストナンバー達。 お前たちのお陰でカンダータは新しい道を歩める」 其の全てが己に熱いまなざしを向けていた。 見たことのある顔、見たことのない顔、よく知った顔が見える。 「全軍、我らの英雄に敬礼!」 軍靴が鳴り、其の全てが英雄を迎え入れる。 返礼しようとする腕は痛みに疼き、ゆっくりとしか持ち上がらない。 ヒンヤリとした手が携えられ、ニッコリと笑う彼女が涼風のように囁く。 「コタロさん、カッコいいですよ。愛してます」 彼女の手に支えられ、コタロはゆっくりと敬礼の形を取る。 それは永く覚えた蒼国のものではない。 大切なものを壊し朽ちていくだけだった己が、再び大切なものに囲まれることを許された。 ゆっくりと涙が滲む、歪んだ視界の先にもう会うことの叶わない遠い友の顔が見えた。 彼らは一言だけ――コタロに祝福と別れの言葉を送り消えていく。 「コタロさん、痛かったですぅ?」 心配気な撫子の声、彼女にあの人を重ねることももうない。 直立のまま滂沱するコタロ。 その真理数は、彼らと共に歩むためのものとなろうとしていた。 ‡ ‡ 「何をしているのです? コタロさんのところに行かなくてよいのですか?」 「……ん、ああ。ちょっとデウスの死体をな……よっと。流石というべきなのかね、完全には死んでないみてえなんだ」 地上に降り実体となったティーロが粉々になった世界計の核を見つめている。 「大変なのです、ここはゼロがポケットの中でテラーウラムを」 「……んなことする必要はねえよ。殆ど力はねえみたいだしな なんで、こいつは絶望だけだったんだろうなと思ってね……ゆっくり聞いてみたかったんだ。 希望ってのは絶望があるから生まれる、逆もそうだ。光と闇みたい必要不可欠なんだ」 ティーロが指輪を取り出し、デウスの世界計の核に触れるとデウスを型どっていた機械は崩れ落ちる。 「この世界以外にも、面白いトコ沢山あるぜ?」 指輪の中に話しかける魔導師、ゼロがティーロを静止することはなかった。 ティーロはそれでよいと確信している、それであればゼロが反対する理由はない。 ‡ ‡ ――理想都市ノア 打ち捨てられた施設の中に、精緻でそれでいて無骨な古い時計が居た。 『それ』は過去スレッドライナーに搭載されていた時計であり、今は忘れ去られ、ただ淡々と時を刻んでいる。 デウスは全知全能に程近かったが、十全ではなかった。 デウスは希望を知らず、人に敗れた。 カチと歯車が噛み合う音が鳴り奇妙な音、ともすれば歌姫の囀りのような――誰にも解することのできない言葉が時計から流れだす。 『それ』は絶望の中からこぼれ落ちたヒトカケ、デウスが知り得なかった希望。 『それ』は只管に声を上げ続けていた、其の声を聞けたのがエドマンドでありコタロだったのだろう。 『それ』の言葉が尽き、崩れ落ちた『それ』は塵芥となった。 微かな風が流れる、世界計であったものはノアを抜け、大地に抜け、そして―― カンダータの地上は白に染まりつつあった。
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