0世界のどこかにある、小さな食堂。しかも看板も小さい。しかし、そこからはなんとも言えない美味しそうな匂いが漂ってくる。そう、そこがカレーとスープの店『とろとろ』である。 ここでは壱番世界でいうカレーやスープが楽しめる。オーソドックスな物からちょっと珍しい物まで、店主のエルフらしい男が作ってくれる、という。但し、この男は壱番世界を若干誤解している可能性が高い。また、どんな物かさえ教えてくれれば貴方の世界の料理(あるいはそれに近い物)も作ってくれるだろう。「よぅ、いらっしゃい」 ドアを開けると、この店主――名をグラウゼ・シオンという――が笑顔で出迎えてくれる。彼はよっぽどの事が無い限り怒る事は無いので安心してこの店を訪ねてみると良い。貴方の要望に答え、とても美味しい物を作ってくれる。迷っているならば思い切って『君だけのカレー』を選んでみてはいかがだろうか?この場合、貴方の気分や体調に合わせてスパイスを調合し、具をチョイスしてカレーを作ってくれる。辛さの希望もちゃんと聞いてくれるので安心されたし。 さぁ、貴方もほっこりほかほか、とろとろなご飯タイムを。
ある日、グラウゼ・シオンが普段通りに店を開けると……、ツインテールの少女が早速入店した。そこまではよいのだが、彼女は入店するなり壁に身を寄せた。それも慣れた様子で、すっ、と自然に、である。 (……普通に声をかけてもいいのかな) わずかに首をかしげていると、ややあって少女は人差し指を立てて唇に軽く当てた。どうやら、静かにして欲しい、というジェスチャーらしい。 (まぁ、そういうのならば) グラウゼが瞬きを1度してそれに答えると、少女は全身で気配を探るように瞳を閉ざした。 一見、今時の女子校生を思わせる姿でそんな行動をしているとまるで鬼ごっこをしているようにも、本気で追っ手から逃れようとしているようにも見え、グラウゼには判断が難しかった。 (それにしても、静かにしていてくて、か。……誰かに追われているのか?) そんな風に考えながら客……? であろう少女をちらり、と見る。そして、背を向けると、小さくため息をついた。 5分程経って、漸く少女はグラウゼの顔を見て、少しだけ目を丸くする。グラウゼは何事もなかったかのように、普段通り、優しい笑顔で出迎えた。 「よう、いらっしゃい。空いている所に座ってくれ」 「……よもや、司書様の店舗とは思いませんでしたが」 「ある意味趣味でやっている。ま、ツーリスト時代からこの店はやっているんだけどね」 グラウゼがそう言うと、スズは小さく笑いながら何事もなかったかのようにカウンター席へ座った。すかさず、グラウゼは水とメニューを置く。 「注文が決まったら呼んでくれ。メニューはこれだよ」 「ありがとうございます。……では、本日のおすすめをくださいませんか?」 スズは予め決めていてのか、メニューをあまり読まずにグラウゼへと返す。グラウゼは「あいよ」と楽しげに返事をすると、早速準備をはじめた。 しばらくして出てきたのは、スパイシーな香りとジューシーなひき肉が食欲をそそるキーマカレーだった。ひき肉の合間に野菜が見え隠れし、丁寧に伸ばされて焼かれたナンが実に香ばしそうな匂いを放つ。 「熱いから気をつけて食べてくれ、スズさん」 付け合せのサラダと麦茶をテーブルに置きながらグラウゼが言うと、サエグサ スズは「分かりましたか」と苦笑する。それに対し、グラウゼは「君の声は覚えている」と小さく微笑んだ。 「いかにも、サエグサ スズでございます。依頼の時は面頬を下ろしておりましたし、本日はこのように変装もしておりますが」 そして、上品に微笑み、丁寧にお辞儀を返すスズ。グラウゼはそんな彼女に微笑んで「なんとなくの勘なんだけどな」と苦笑する。 (思ったよりも、勘の鋭い方のようですね) スズはそんな事を思いながら、笑顔のまま司書の青い瞳を見た。 「司書様」 「グラウゼでいい」 スズの言葉を遮り、グラウゼが言う。それを受けてスズは「グラウゼ様」と言い直した上で再び口を開く。 「大変無粋な振る舞いをして、申し訳ありません。そう長くかからず終わります故」 「? 逃げているのか?」 「いえ、少々殺し合いをしておりますので」 その答えに、グラウゼが小さくため息をつく。特に驚いた様子もなくスズを見、僅かに瞳を細めた。 「少々、無視できないな、それは。第一ターミナルでそういう事は……」 グラウゼが呆れたようにそういう傍から、スズは少し警戒をする。そして、すぐ緊張を解くと、笑顔で手を合わせて「いただきます」と言った。 丁寧な仕草ではあるが、どこか機械的な雰囲気でナンをちぎり、カレーを食べ、水を飲む。その様子をグラウゼはコップを吹きながら見ていた。 「味はどうだい? 今日はちょっと香ばしさをメインにしたスパイスの配合をしているんだが」 「美味しいですね。引き肉の旨味が引き立っています」 スズは笑顔のまま言うが、目は冷たい光のままだ。グラウゼは水を飲むとそれとなく言った。 「どんな事情でそんな事をしているかはわからないけどさ。休戦ってできないのかい?」 彼の問いかけに、スズは「できません」と静かに答える。 「1年経ったら自分の世界に帰れ、その上目の前に自分を殺した相手がいる。ここでむざむざ彼奴を世界に返せばあちらの忍軍に利するばかりです。その場合……グラウゼ様は何が正解と思われますか?」 「と、言ってもな……」 グラウゼが困惑する様子を見つつも、スズは言葉を止めない。彼女は笑顔のまま、今日の予定を話すかの如く、自然に言い放った。 「殺し合いの最中にこの世界の法など意味がありません。我々はシノビで、主人の為に殺すことも死体を隠すことも忍務のうちなのです」 彼女曰くここで殺人鬼を放ち、匿った存在も暮らしていると聞いているそうで、『バレない罪は罪ではない』とも言った。どんなに取り繕おうとも、どんな場所であろうと、『世の暗部』は変わらない、と。 カレーを食べながら、あっさり言ってのける彼女に、グラウゼはもう一度ため息をついた。 「君の事情は、よく解ったよ。ただ、君を殺したという存在が俺の知り合いだとして。俺がその存在を匿ったり庇ったりしたら、君は俺を殺すのかい?」 そんな問いかけに、スズは僅かに瞳を細める。ぴたっ、と食事の手が止まり、辺りの空気が緊迫する。 「あくまで可能性の話だが」 スズはその言葉を吟味するように瞳を閉ざし……ややあって笑顔を浮かべる。 「もしそうなれば、その時判断します」 彼女は再び食べながら、軽やかに言葉を紡ぎ出す。その様子はやはり、他愛もない会話をするような感じで、グラウゼの表情がわずかに曇る。 「話を戻します。腐っても上忍、殺したと思ったのですが結局相討ちになりました。彼奴が私の素顔を知らぬ今が、最後の機会でしょうね」 「最後の、ねぇ……?」 グラウゼがそう言いながら、手早くドリンクの調合をする。口当たりが良いように、とよくかき混ぜたラッシーだ。スズの食事が終わるのを見計らい、そっとカウンターに置く。 「君たちには君たちの事情があるのは解った。けれども、関係のない人間を巻き込むのはやめてくれよ?」 「心得ています、グラウゼ様」 「それと……」 グラスを受け取り、ラッシーに口を付けるスズ。グラウゼは、僅かに口元を綻ばせて「美味しい」と呟いた少女に、努めて優しい声で語りかけた。 「俺は、世界司書だ。だから、全てのロストナンバーとはなるだけ平等に接したい。だから、たとえ君の仇であろうとも、その相手をかばうかもしれない。けれども、君を傷つけるような事もしたくはない」 グラウゼの言葉を、スズは静かに聞く。そうしながらも、吟味していく。……もし、そのような時が来たならば、自分はどう動くのか。答えはすぐに出た。そしてその時、自分がどうなるのかも、薄々見えてきた。それでも、彼女は微笑み続ける。 「後顧の憂いなく生き残ったならば、13号の帰還後、素顔でまたカレーを存分にいただきに参ります。ごちそうさまでした」 お騒がせしました、と一礼して立ち去る彼女に、グラウゼは「ああ」とだけ返す。そして……どこか悲しい瞳で呟いた。 「そうでもしないと、生きていけないのかい……お嬢さん」 (終)
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