クリエイター玉響(weph3172)
管理番号1351-14838 オファー日2012-01-18(水) 22:00

オファーPC 相沢 優(ctcn6216)コンダクター 男 17歳 大学生
ゲストPC1 ヴィヴァーシュ・ソレイユ(cndy5127) ツーリスト 男 27歳 精霊術師
ゲストPC2 ファルファレロ・ロッソ(cntx1799) コンダクター 男 27歳 マフィア

<ノベル>

 灰色に霞む空の下を、鮮やかな薄青が飛んでいく。
 先行して森の中を往かせた己のセクタンをしばらく見送った後、相沢 優は振り返ると同行する二人に笑いかけた。
「行きましょう」
「ええ」
 銀糸の髪を揺らし、繊細な美貌のヴィヴァーシュ・ソレイユが静かに頷く。彼らの前に広がる深緑の森を――彼らをいざなっているかのような、迷宮を一度視界に収める。
 その傍らで、ファルファレロ・ロッソは不機嫌さを隠そうともせずに頭上を見上げた。優の呼び掛けにも応えず、ただ今にも泣き出しそうな空模様だけを見詰めている。
「ファルファレロさん?」
「……何でもねえよ」
 催促にも似た問いかけに応え、ひとつ舌を打つ。
 先を行く二人を追って、森の迷宮へと一歩足を踏み出した。

 光が翳る。
 厚い雲に覆われながらも羅紗のように降り注いでいたはずの陽射しさえ、その森は立ち入る事を許そうとしない。ただただ静謐の中で、内へ内へと沈んでいくかのような――まるで、エメラルドグリーンの湖底を思わせる景色だ、と優は思う。
 この森の何処かに、竜刻が隠されているのだ、と司書はそう語った。
 広大なるヴォロスの大地の果て、人の手も届かない未開の地。ただ現地のドワーフがひっそりと暮らす森の奥、彼らの言葉で『水底』と呼ばれている迷宮がある、と。
 自然物で覆い尽くされていながら、何処か整然と、人の手によって設えられた不自然さを残す場所だ。季節を問わず繁る葉は落ちる事も知らず、光を遮り森を闇の底に沈める。その地に息衝く者もない。
 耳を貫くほどの静寂に、息をするだけで肺が押し潰されるようだ。
 セクタンの視界を追って、優が二人を先導する。
 三人の間に会話はほとんどない。
 静謐を好むヴィヴァーシュは穏やかに、何処か充足感すら見られる面持ちで歩みを進める。ファルファレロは憮然とした顔を隠そうともせずに、ただ彼らの背後を歩いていくだけだった。
「……ほんっと、たりィ依頼だな」
 ややあって、沈黙に耐えきれなくなったかファルファレロが言葉を漏らす。嘆息と共に路の先を眺め、水底の森の果てが見えない事を悟ると、肩を竦めて両手を上げた。
「だから俺は嫌だって言ったじゃねェか。辺境の竜刻回収なんざ、女も居ねえし戦い甲斐もねえ」
 なァ? と隣のヴィヴァーシュに同意を求めれば、銀糸の精霊術師は足を止め、怜悧な美貌の中で緑の瞳を瞬きさせた。
「……私は、この雰囲気は嫌いではありませんが」
 唐突な問いへの戸惑い、それさえもない、冷徹で静かな声音。陶器のように整った貌が、淡々と彼を見詰める。
 こう言う輩には何を言っても無駄だ、とファルファレロは再び溜息を零し、髪を掻き混ぜた。依頼内容も退屈ならば、同行者も退屈な、どうしようもない旅だ、と吐き棄てるように思う。
 そんな二人を眺めながら、ああそうだ、とふと優が声を零した。
「竜刻の傍には、それを護る番人がいるそうで――」
 その言葉は、しかし皆まで語られることなく遮られる。
 肌を指す冷たい湿気。何処からか忍び寄って来ていたのか、淡い霧が三人を覆う。青と、緑と、紅と、様々な色彩を伴って、最終的には白く透き通る、不思議な色彩の霧だった。

 僅かな光さえもが、ふと途絶えて。

 そして、全ての感覚が遮断された。

 ◇

 引き摺る余韻を首を振って振り払う。
「みんな、は……」
 呼び掛けるが応えはない。どうやらはぐれてしまったらしいと悟る。
 視界が霞む。眩暈かと軽く目を擦るが、それが払拭される気配はなく、そこでようやく優は気が付いた。
 霧だ。淡い青の霧が、彼を取り囲んでいる。
 周囲を見渡してみても、整然と並んだ木々が数多の道を示しているだけ。先程まではその先に僅かながら景色が視認できたのだが、今や深い霧に覆われてそれも不可能なようだった。己がどちらから来たのかさえ、判然としない。《ミネルヴァの眼》で見廻ってみても、やはり周囲は霧に閉ざされていて現在地さえ特定できない。
 途方に暮れながらも、トラベラーズノートを手に取る。
 臙脂色の表紙を開き、霧を吸って幾分か潤んだ紙面に文字を書き連ね、はぐれた二人の顔を思い浮かべた。
 せめて、無事であってほしいと。
 瞼を閉ざし、ただそれだけを祈る。

 ◇

 甘い翡翠の色に、視界を閉ざされている。
 冷ややかな空気と静かな霧に覆われて、柔らかな眠りの海をたゆたっているような、そんな浮遊感がヴィヴァーシュを包む。
 この迷宮が『水底』と呼ばれる、その真の意味を正しく理解して、彼は覆い尽くす霧によく似た色の瞳を細めた。
 何処までも静謐な世界。
 居心地は、悪くない。
 緑の深い景色は彼に安堵を与え、静寂は彼に安穏を与える。
 ――ふと目を凝らせば、うっすらとだが、霧の奥に道が見えた。
 左と右、二又に別れて森の口が開いている。
 まるで訪れるものを試すかのような、明らかに誰かの手で整えられた路だ。自然によってできたこの迷宮も、かつては誰かの意志によって創られたものだったのだろうか、と、状況にそぐわない推察を抱く。

 左の方が緑の色が濃いように見えて、ヴィヴァーシュは暫し考え込んだ後、右の道を選んだ。

 ◇

 開いていたノートを閉じる。
 退屈な同行者の無事は確認できた。ファルファレロは眼鏡の奥の目を細め、彼を覆う淡い色の霧を睨む。臙脂色の帳面に、霧が落ちる。
 凝縮され、水に戻ったそれらは、鮮やかなまでの紅色をしていた。血の赤に似た、しかし透明な色彩。細やかな粒に分けられて、空中に漂い、彼の視界を閉ざす霧は、淡く薄められた薄紅色。
 とても自然のものとは思えない色彩の霧に、眉を顰める。その向こう側を見通そうと目を細めるも、やはり薄紅色が無情に立ち込めるだけだった。
「バンビーナ」
 名を呼べば、青く小さな相棒は一言だけ鳴いて答えた。肩から飛び立って、ゆらゆらと不安定な軌道を取りながらも霧の向こう側へ消えていく。
 この深い霧の中だ、どこまで通用するかも判らないが、少なくとも何もしないよりはマシだろう。
「……ったく、やっぱり怠ィ依頼だぜ」
 血の霧に閉ざされた森を見上げ、ファルファレロは再びそう吐き棄てた。

 ◇

 ふわり、と、何かが浮き上がる感覚だけがあった。

 細かな水の粒子がたゆたう霧の中で、泡のような光が浮かぶ。立ち尽くす優の足元から、静かに、音もなく。次から次へと立ち昇り、彼を覆い尽くす。
 光の泡は次第に波へと形を変え、優の眼前の青い霧に映像を投射する。

 沈み始めた陽の色で、土手が赤く染まる。どこか牧歌的な景色に、優は知らず目を細めて微笑ましく眺める。
 夕陽の影のように塗り潰されて、三人の子供たちが、学校からの帰り道を共に歩んでいる。幼い彼らは道端の花ひとつにさえ心奪われ、足元の蟻一匹にさえ心くすぐられる。何の変哲もない路地も、彼らは大切な絨毯を踏み締めるようにゆっくりと、時間をかけて歩いていた。
「楓(かえで)、奏(かなで)!」
 はたと我に返った優が声をかけるが、霧の生み出した幻影は彼の呼び掛けには答えない。
 目の前の幼い少年たちは、幼い好奇心のままに駆けていく。楽しげに笑みを交わし、彼らにしか聴こえないほどの小さな声で秘密の会話を交わす。何処にでもあるような、可愛らしい子供たちの姿。
 それら全てが、今の優にとっては取り返しのつかない過去だった。
 甘い痛みを伴う、棘が密かに突き刺さる。

 淡青色の霧が、一度深く優の視界を閉ざす。ひととき幻影を遮って、映画のシーンが切り替わるように、再び違う情景を映し出した。
 優によく似た少年――かつての己が、或る家の門扉の前で立ち尽くしている。
 槍に似た尖りを幾つも幾つも携えた門は刺々しく、重々しく閉ざされている。まるで何人の立ち入りも許さぬと声高に叫んでいるように、幼い彼には思えた。今も覚えている、その瞬間の絶望を。
 門柱に目を向けても、そこに見慣れた名はない。不和を抱えながらも確かに彼らが“家庭”を築いていた証である表札は、もう何処にもなかった。
「……」
 幼い彼の背を見詰めながら、優もまた立ち尽くしている。
 無人かどうかを確かめる言葉さえ、口に登らなかった。
 ――そもそも、あんな事を言った後で、今更何を言えばよかったのか?
 それは今の彼にも判らない。あの日自分はどうすればよかったのか、何度も何度も、記憶が映画のフィルムであったならそれこそ擦り切れるまで繰り返し、思考したものだが、最早何処に正解が在るのかさえ判らなかった。
 無自覚のままに傷つけて、知らない内に断ち切れてしまった絆。
 その瞬間を追い掛ける度、胸を絶望が覆う。

 ああ、それでも。
 それでも、彼女はゆるしてくれたのだ。

 彼の行方は今も知れない。
 けれど、その姿を思い描く時、優の心を占めるのは最早絶望ばかりではない。顔を見て、謝りたいと、確かに自分はそう決意した。
「……大丈夫」
 首を振る。
 淡い青の、縹(はなだ)色の霧が、彼の動きに合わせて細かく揺すれる。先程までは確かに恐れを抱いていたはずのその色彩も、今はただ美しく思える。まるであの日の空のように。
 ――あの日、春の風と共に固く心を閉ざしていた氷の檻が溶けて、そして向き合う事を畏れてはならないと、そう決めたはずではないのか。
「もう、逃げないって、決めたんだ」
 笑みさえ浮かべて、自分に語りかける。
 胸の奥に燈るのは、絶望の切先ではなく、確かな光。

 幻影が掻き消える。
 《ミネルヴァの眼》に導かれるままに、優は駆け出した。

 ◇

 それは、いつの日に見た光景か。
 或いは、彼が歩むはずだった道程か。

 緑の隻眼を愕然と瞠るヴィヴァーシュの眼前で、翡翠色の霧は穏やかにうねりながらひとつの光景を描き出す。
 かつて彼が居城としていた光の末裔の城。
 その、執務室に、何故かヴィヴァーシュが佇んでいる。細い腕に幾束もの書類を抱え、デスクに背を向けて書棚から必要な書籍を探そうと手を伸ばす。今の彼と違う、傷もなく開いた両目は真摯に、書棚の文字を追っていた。その双肩には何か、目に見えない重責が圧し掛かっているようにも見えて。
 当惑に瞳が揺れる。
 彼が城で暮らしていた頃、執務室を利用していたのは兄のはずなのに、どうしてそこに自分が居るのだと、疑問ばかりが募る。吐き出す先もないまま、ヴィヴァーシュの胸を闇によく似た色の感情が充たしていく。唇を噛んで意識を手放さぬよう堪えた。
 窓の外には、月のない夜が広がっている。空に雲はない。新月の濃い闇が、カーテンの隙間から室内を窺っている。
 闇の濃い夜は嫌いだ。
 まるで捕って食われてしまいそうな心地になる。“あの日”彼の兄を喰らい、彼をも喰らおうとした古の精霊が居ないと判っている異世界でさえ、沁み込んだ恐怖は拭えないままだ。
 まして、故郷の執務室から見える空を覆う闇には、彼の精霊の力が充ちている。月の光による監視を掻い潜って、今にも城の全てを覆い尽くさんと蠢いている。
 隻眼が疼く。
 目の前の幻影もまた、同じように右目を抑えてうずくまる。
 闇が啼いている。
 足りぬと、あれしきの光では足りぬと、ヴィヴァーシュを求めて夜闇がうねっている。精霊の火に気圧されて、窓から内側へ忍び込むことはできなくとも、ただ外側から求める声をかけることは出来る。――そして、その呼び声に彼が抗いきれぬとも、恐らくソレは知っていた。
 幻影の己がデスクに手を就く。現実の己もまた、眩暈に身を揺るがせた。
 それでも、と歯噛みする。
 闇の誘惑を受け容れる事は出来ないと、幻影の己は強く窓の外を睨めつけた。
 その姿に、かつての兄の面影が重なる。
「……ああ」
 ――そこに居るのは、自分ではなかったはずなのに。
 自分であってはならなかったはずなのに。
 ゆるやかに、絶望が霧の姿を伴って彼を覆い尽くす。翡翠色が、やさしく語りかける。もう、何も見なくていいと。
 自分一人であれば、闇はそれで充たされただろう。初めからその筈だったのだ。生け贄となるのは自分だけで、兄は今も城主を務めていた筈。それでよかったのに、と唇を噛む。普段の彼にはない当惑を見せながら、ヴィヴァーシュは翡翠の霧に覆われる。
 もう、何も見なくていいと。そう誘われるままにゆるゆると、瞼を閉じる。翡翠の色からも逃げて、視界を閉ざした闇の中に逃避して、そうして初めて安堵を覚える。
 もう、居ないのだ。
 あんなにも愛し、愛してくれた兄は、何処にも――。

「――ヴィーさん!」

 視界が弾けた。
 声がする。明瞭で、穏やかな、聞き慣れた声音。聴き慣れた呼び名。
 隻眼を開けば、視界に忍び込んでくるのはやはり変わらぬ翡翠の色で、しかし先程よりもその色は薄い。周囲の景色をうっすらと目視できる程に。
 その頭上に、薄青の色があった。
「あなたは……」
 そっと手を伸ばせば、不安定に滞空していた彼はゆっくりとその腕に添って降りてくる。オウルフォームのセクタン。それが誰のものかはわからないが、彼にとっては構わなかった。右も左もわからぬ霧の中で仲間との確かな繋がりが出来た。ただ、それだけで。

 こちらへと、駆けてくる足音が聴こえる。
 その主が誰であるかを明確に察して、ヴィヴァーシュは僅かに唇を緩めてそれを待ち侘びた。

 ◇

 血の色の霧が、深く立ち込める。
 その合間を切り裂くように、何かが彼へと投げつけられた。

「!?」
 思わず受け止めようと構えるが、それは彼に届く前に霧散して消える。――霧の創り出した幻影だ。そう悟って、肩を竦める。
 しかし、投げつけられたものの姿だけは確かに目にしていた。
 ワイングラス。次いで、硝子の灰皿。
 当たれば鬱血だけでは済まない、鋭利さを秘めた鈍器。顔を顰め、霧の向こうを見透かそうと目を細める。
 そこに何が待ち受けているか、彼には見当がついていた。
 紅の霧が、凝縮されて血色の光景を描き出す。
 荒れ果てたキッチン。蹲る黒髪の少年。手に酒瓶を下げ、覚束ない足取りで歩き廻る、やつれた髪の女。――忘れようとも忘れられない、その顔。
 背を向ける少年の頭上を飛び越えて、女は幻影を視る彼自身へと視線を向けた。そして、唇を開く。
『ファルファレロ』
 その名、それ自体が罪の証。
 幼い彼が生まれながらに背負わされた、存在そのものへの弾劾。
 女はそれを、確かめるように何度も口に上らせた。傍目には我が子をいとおしむ母親の貌をして、しかし声音は男の不義理を罵る女のそれ。ファルファレロ、と彼を呼ぶことそれ自体が、女の怒りを、自我を保ち続ける縁(よすが)とさえなっていたのだろう。
「や、めろ」
 声が掠れる。喉を通る風がひゅ、と鳴る。呼吸さえままならない動揺の中、ファルファレロは一歩、二歩と霧の幻影から逃げるように遠ざかった。
 ゆらりと増幅する女の影。逃げる彼へ追いすがるように、その暗い昏い深淵のような目を向けた。
『逃げるのね、悪魔の子』
「やめろ」
『あたしにこんな不幸を押しつけておきながら?』
「……やめろ」
『殺人鬼(ファルファレロ)。あたしの――』
「――やめろッ!!」
 思わず、両の指先に力を籠めていた。
 銃火が爆ぜ、鉛がばらまかれる。霧を抜け、樹に、大地に、ぬかるみに突き刺さって高い音を立てる。その内の一つが女の幻影を掠め、憎らしいその面影が陽炎のように揺らいだ。
 血によく似た濃い色の霧が、瞬間銃弾の吐き出される風に掻き消える。
 だが、それだけだ。
 霧は晴れない。薄まった色彩の元に、後から後から周囲の紅が集う。ファルファレロを覆うように。悪魔の子を逃がすまいと。
『ファルファレロ』
 女は飽きることなく、彼の名を呼ぶ。彼の罪を糾弾する。
 その響きは、絶対だった。
「……あァ、」
 呻き、瞼を閉ざす。俯いた拍子に、自然と眼鏡が顔から滑り落ちた。
 瞳を開けていても、そこに広がるのは血の色の霧と血の色の過去。
 ならば、何も見る必要など無い。単純にして抗い難い選択に、彼は大人しく従った。
 手足が浮き上がる感覚。するり、と何かが手首に巻き付いて、それに続くように幾つもの――女の指にも似た、細く長い何かがファルファレロを捉えていく。
 もう、何も見ないでいい。
 閉ざした裸の目を、指に似た何かが覆い尽くす。
『ファルファレロ』
 母親が彼を呼ぶ声がする。答える術もなく、項垂れる。

『大丈夫。怖くない。私がいるから』

 ふと、幼い少女の声が、彼の鼓膜を揺るがした。
 瞳を開く。視界は暗緑色の何かに覆われていて、しかしその耳には確かに声が残っている。ファルファレロの、ただ一人の娘の声が。
 あの、跳ねっ返りのじゃじゃ馬のような娘は、己のこの姿を視て何と言うだろうか。過去から逃げる己を視て笑うだろうか、それとも憐れむだろうか?
「……ハッ、どっちもごめんだ」
 唇を曲げる。
 自嘲にも安堵にも似た奇妙な色を浮かべて、0世界で彼の帰りを待つ娘の姿を思い浮かべる。紅の幻影よりも確かに、その姿を描き出せる。
 帰るべき場所ならそこに在る。――こんな所で、燻ぶっている暇などないのだ。
「退けよ。触んじゃねぇ」
 女たちの指――蔦に巻き付かれながらもまっすぐに伸ばした右腕。白銀の銃身が閃く。ファウスト、と愛しい女を呼ぶようにその名を口にする。
 銃口の先を白い光が滑って、五芒星の魔法陣が描かれる。その中央を潜り、銃弾が吐き出された。
 視界を塞ぐ霧を透かして、紫電纏う銃弾は集い踊る蔦へまっすぐに飛び込んでいく。
 瞬間、鈍い音とともに、絡みつく緑の腕(かいな)が身悶え、銃弾の飛び込んだ先から次々と焦げ落ちていく。
 異臭が鼻を突く。
 ファルファレロを捕らえていた蔦は煤と灰だけを残して地面に落ちた。体重を支えていたものが無くなり、背中から落ちようとするのを身を捻って体勢を整える。

 その背中に、声が掛けられた。

 ◇

「ファルファレロさん! よかった、御無事で」
「遅いじゃねえか」
 眼鏡を拾い、振り返る彼の眼に映るのは、晴れ始めた霧の中を駆けてくる二人の姿。ヴィヴァーシュが風の精霊を操れば、先程まで立ち込め視界を塞いでいた色彩の霧は跡形もなく払われる。
「……この霧、何だったんでしょう」
 優が疑問を口に登らせるが、それに答えるほどの理解を誰も得られていなかった。ただ肩を竦めて、霧の晴れた周囲を見遣る。
「あれを」
 ヴィヴァーシュの指し示す方向へ、二人は目を向けた。
 小さな泉の中、蔓でできた籠の中に収められ、沈められた小さな石が見える。指の先ほどの煌めきが、泡のようにふらふらと揺れている。
 覆う森と同じエメラルドグリーンの色彩をし、水底で鮮やかに輝くそれが彼らの探す“竜刻”であると、三人は確信した。駆け寄ろうとして、ふと足を止める。
 何かの起こる予兆。
 ファルファレロの五感が、それを捉えた。拳銃の弾倉を確認して、一歩引いて身構える。ちらと目を向ければ、ヴィヴァーシュもまた森に充ちる精霊の行方を探っていた。優だけがかすかに首を傾げ、しかし二人に合わせトラベルギアを手に取る。
 そして、三人の見守る中で――それは、立ち上がった。
 波の立つ音さえなかった。ただ静かに、泉の水が生き物のように持ち上がる。彼らよりも僅かに高い、人に似た姿を取って、ゆらゆらと揺れながら佇む。
 女だ。
 長い髪を雨のように滴らせ、ドレスのように広がる裾を波打たせた、華奢な女がそこにいる。色のない女の胎内で、左胸に納められた蔦の籠と緑の竜刻だけが鼓動のように煌めいていた。
 美しい、と思うが、しかしそれ以外に何もない。まさしく泉のような、透徹した女。
《どうして、往くの》
 風が震える。
 女は優の構える剣に目もくれず、ファルファレロの向ける銃口にも動じない。緩やかに首を傾げる。
《――此処ならば、苦しまずに居られるのに》
 水の女は囁く。声にすらならない、微かな響きを伴って。しかし、ロストナンバーの耳は確かにそれを聴いた。
 あくまでも慈悲だと、女は言うのだ。
 竜刻の護るこの森の中で、静かに眠りに就けば、何を畏れる必要もないのだと。
「……それでも、俺たちは今を生きていくんだ」
 優が首を横に振る。女は無垢に、ただ無邪気に訪う者を慮っているだけだということが痛いほどに感ぜられて、しかし彼にはそれを認めることは出来なかった。
《もう、何も見なくていいのに》
「――それでも!」
「放っておけ。どうせ話は通じやしねえ」
 声を荒げる優を押し留め、ファルファレロが一歩進み出る。
 ぐ、と、引き金に掛ける指の力を強くすれば、水の女の纏う空気が変質した。無垢で寛容な湖の色から、冷えた氷の温度へと。
 女の足元から、泉から高く水が迸る。天をも穿ちそうなほどに高く、長い蛇龍の形を取って、鋭い水は三人の旅人たちを狙う。
「火炎地獄(インフェルノ)!」
 叫びと共に、引き金を引く。
 銃口を覆うように魔法陣が宙を滑り、その中央を潜るようにして銃弾が放たれた。まっすぐに、吸い込まれるように熱を帯びた鉛は女の操る水龍へと飛び込んで行く。地獄の焔が燃え上がって、質量のある水を物ともせずに蒸発させた。
 その隣を抜けて、剣を手にした優が飛び出した。
 女の操る水礫を避け、低く屈む。駆け抜ける。一筋の弾丸のように鋭く、息を吐いた。
 ヴィヴァーシュの操る風が、優の頭上を駆け抜けていく。彼を襲う飛沫を受け止め、弾き返した。その後を追って、氷の銃弾が女へと突き刺さる。
 戸惑う女が、足元から凍っていく。最早水流を操るための腕も、声を放つための唇も、冷たい氷の奥に閉ざされた。ただかなしむような顔だけが、冷えた白い色を晒してそこに残る。

 剣を掲げる。高く、まっすぐに。
 木々の切れ間から射し込む光が、古びた刀身を鮮やかに照らし出した。
 強い意思を燈した瞳を、すっと瞼の奥に閉ざす。柄を握る手に力を籠め、掲げた刃を振り降ろした。

 鈴の散るような、高く美しい音が響き渡る。

 氷は砕け、破片となって水底の森に散った。
 羅紗の陽射しに照らされて、かつて女であった欠片が透いた色の光を放つ。
 その合間に零れ落ちた、エメラルドグリーンの光をヴィヴァーシュの手が拾い上げる。鼓動のように柔らかく煌めき続ける竜刻は、ロストナンバーの手の中にあってもやはり慈悲深い光を落とすだけだった。


 <了>

クリエイターコメント三名様、大変お待たせいたしました。オファー、ありがとうございました!

迷宮と番人の設定に悩みましたが、光も射さないほどに深い水底をモチーフにいたしました。途中の霧の色はそれぞれPC様や過去ノベルのイメージに合わせてあります。
また、お三方はあまり会話が多くなさそうな(勝手な)イメージがありましたので、掛け合いは控え目にさせていただいております。饒舌なファルファレロ様と寡黙なヴィヴァーシュ様の間を取り持つのは大変そうですね。

今回は素敵な物語をお任せいただき、ありがとうございました。
それでは、御縁がありましたら、また違う物語をお聞かせくださいませ。
公開日時2012-03-19(月) 21:40

 

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