オープニング

■送信ののち

 葉緑の匂いを運ぶ風が吹く、ここは世界樹にほど近い場所に設えられた会議場だ。アーチ状のつる草が影を落とす長いテーブルの左右には、老若男女、人間のようなものもそうでないものも着席しているが、共通しているのはその表情めいたものがいずれも気楽とはかけ離れた位置にあることだった。
「本日は緊急の招集にも関わらず、集まって頂いて感謝する」
 テーブルの奥から上がった声は、少しばかり上ずってはいたが、滴るような気品に満ちていた。左右に並んだ視線が一斉に、最奥にたたずむ青年へと向けられる。……彼のすぐ右隣にいたドクタークランチだけは、腕を組んで椅子に深く身を沈めたまま、身動きしなかった。
「まだ到着していない者もいるようだが、時間が惜しい。原初の園丁、シルウァヌス・ラーラージュの名において会議の開始を宣言する。各自、ウッドパットを見て欲しい。協議の前に、現状を整理しよう。
 ……本日、私のウッドパッドにシャドウメモリを名乗る者からメールが届いた。送信されたウッドパッドの固有番号から、確かにこれがシャドウ・メモリのウッドパッドであると確認がとれた。送信世界は、最後にシャドウメモリが目撃された場所……地球の、日本だったか。内容は、銀猫伯爵の謀反を密告するものであるが、詳細については会って話したいと言っている」
 シルウァヌスは少し間をおいて、長い座を見回した。
「さて園丁諸子よ……我らはこれに対し、どのような対応をとるべきだろうか?」
「こんなもん、無視しちまえばいいんですよ!」
 園丁の一人がダンと拳を叩きつけながら身を乗り出す。
「シャドウ・メモリは確かに死んだ! 銀猫伯爵だけならともかく、水薙とシルバィもそう証言してるんだ、こんなもんでまかせでしかないですって!」
「しかし、このメールは実在している。シャドウ・メモリが死んでいるというところは同意見だが、誰かがこれを書いたこと自体は確かなのではないかね?」
 異形の園丁が気障な所作で「ん?」と指を閃かせる。寡婦のような黒尽くめの女が、そうねと一言。
「このメールの送信者は、あのクソ猫に近しい、されど我らの手足たりうる者なのではないかしら。背信の証拠をつかんだはいいものの、クソ猫に知られないよう伝えることができなくて、こんな手段をとったのではないかしら。早く迎えに行くべきかしら」
「っつーか、シャドウのウッドパッドってどうなってたんだ? 銀猫はシャドウを奪い返そうとしてたんだろう、そん時にウッドパッドは返してもらう約束だったのか?」
「報告書にはそんなこと書いてなかったと思うが」
「ならシャドウのパッド持ってんのは世界図書館じゃねーか。こりゃあ罠だ、間違いねえ」
「奴らはウッドパッドの使い方を知らないのでは?」
「はいはーい。銀猫伯爵にぃ、『謀反してますかぁ?』って聞いてみたらいいと思いまぁす」
「そんなのハンスから聞き出したんだろう」
「……ダガしゃど、うめもり、ナライキ、テイテモ、フシギデ、ハナトオ、モウガ」
「おい今の発言どこの馬鹿だ、殴るぞ」
「よくピンポイントでシルウァヌス様に送って来たな」
「あー、まあ確かにあいつ、殺しても死ななそうなアレではあるよな……」
「馬鹿じゃないですよぉー。事実確認を大事にしたい主義なんですぅー」
「送信履歴で一番名前がごっついからじゃね?」
「あー、眠いわー、実質三時間しか寝てないから眠いわー」
「どこまでが嘘かって話だよな。シャドウが生きてるのかそうでないのか、銀猫伯爵が謀反企ててるのかそうでないのか、送ってきたのはシャドウなのかそうでないのか」
「黙れうぜぇ語尾伸ばすな殺すぞ」
「あれ、シャドウって生き返ったとか聞いたけど」
「火事とかどんだけぶりだっけ?」
「お待ちなさいな、もしシャドウ・メモリの死が偽装なら、水薙ちゃんとシルバィちゃんも銀猫伯爵に寝返ってることになるではありませんか! おお、なんてこと! あたくし眩暈がしますわ!」
「めんどくせー、銀猫殺して終わりにしようぜー」
「シャドウメモリの幽霊?」
「仮に全部が真実だとして、シャドウ・メモリ様はずっと日本にいらしたのですよね? どうやって銀猫伯爵様の裏切りをお知りになったのでございましょう。ご存知でしたのに今まで沈黙を守っていらしたのでしたら、シャドウ様自身にも何かしらやましい所があるということになりませんこと?」
「すいませーん、紅茶とクッキーお代わりで」
「うえーん、こわいおじさんがいぢめるぅー」
「寝返っていると決まったわけではないのでは? 水薙もシルバィもついでに銀猫もまとめてシャドウに騙された可能性も」
「静粛に」
シルウァヌスが片手を上げる。がやがやと騒がしかったテーブルは、それだけですっと静まり返る。
「皆さんの意見はよくわかりました。事実であれ罠であれ、ウッドパッドがこの送信時刻においては日本にあり、それを使える者がその場にいたことは事実。看過はできません」
「では……」
「人員を派遣します。ウッドパッドの回収と、送信者から事情を聴いた上で、適切な対処ができる者が必要です」
「かしこまりました。では早速ナレンシフを手配しましょう」
「私がふさわしい人員を募りますかしら」
 数人の園丁がさっとテーブルを立ち上がり、シルウァヌスは鷹揚に頷く。
「誰か、報告書を再度確認したうえで、水薙とシルバィからウッドパッドの在処について聞き込みに行ってくれるものは?」
「俺が参ります」
「頼みました。……あなたはゴーストのことはご存知でしたね。こちらへ招集するよう言づけてください。この件は私が指揮を執ります。質問がなければ解散としますが」
「……一つ、良いだろうか」
 地を這うような低い声は、椅子に身を沈めたままのドクタークランチから発せられたものだ。猛禽じみた視線が直線の軌道でシルウァヌスを捉える。
「……銀猫伯爵はどうする気だね」
「――……彼は、」
 風が走る。木を揺らし、枝を震わせ、葉を打ちたなびかせるその風は、シルウァヌスとドクタークランチの間も等しく通りぬけ、
 それが過ぎ去った時、すでに双方の口は閉じられていた。
 


■翌日未明

 世界図書館が壱番世界の呼ぶ場所の、そこは湿地帯だった。夏めいて繁る桜の木と、沈み込む柔らかな苔の地面。小さく可憐な花々。そこここに湧いて出る池とも沼ともつかない水場。けもの道すら通じぬような山のくぼ地でなかったら、四季を問わず観光客に恵まれただろう。
 その土地の、わずかに開けた日当たりのよい場所へ、白い円盤が突き刺さっていた。ごくわずかな、しかし巨大な乗り物にとっては致命的な角度で、ナレンシフは地面を抉りこんでいる。
 数人の作業員がナレンシフの傾いた地面を調べていたが、やがて一人が諦めたように首を振り、少し離れた場所にいる二人の元へ小走りで駆け寄っていく。
「どうにゃのにゃあ?」
 二人並んだ片方、濃い色の猫耳を生やした少女が尖った声で尋ねる。片手で開いた古めかしい四ツ目綴じは先ほどから一ページも捲られておらず、たっぷりとしたチュニックの下の尻尾は、不機嫌さを示すようにばたばた左右に振られている。
「完全にぬかるみにはまってます。一見してただの草地でしたので油断しておりました」
「仕方にゃいにゃあ。吾輩がメールの送信者に話をつけてくるまでに、にゃんとかしておくにゃよ? ゼリーもそれでいいにゃ?」
 彼女の隣で無軌道にぷるぷるしていたそれが、ぐねんと嫌々するように身をよじった。ゼリーである。猫耳の少女の腰ほどの高さがあり、その頭らしきところに半ば沈むように黄金の冠が突き刺さっていたが、見た目だけなら確かにゼリーにそっくりである。
「ノ、ノ。私の名前はゼリーキングなのだよ、ハンドリィ嬢。あまねくゼリーの支配者にして父であり母、唯一絶対のゼリーという概念の体現、それが私、ゼリィィィィイッキンッグ!」
 手があったら頭上にばっと掲げていそうな震え方をするゼリーキングを見る猫耳少女、もといハンドリィの視線は冷ややかである。
「どうでもいいにゃ」
「何をカッカしてるんだい、ハンドリィ嬢。ゼリー食べるかい?」
「いらにゃい」
「スイカ味だよ?」
「だからにゃんにゃ!? 吾輩をどこかの虫男と同列に扱わにゃいで欲しいのにゃ!?」
「そ、そんなつもりはなかったのだが。悪かったよハンドリィ嬢、許しておくれ」
「シャー……」
「ほーら、しゃけの骨味だよー、これならお気に召してくれるだろうー?」
「フッシャー!!」
 野性をむき出しにして、ハンドリィは力任せにゼリーキングを薙ぎ払う。だがゼリーは、常人なら骨ごと挽き肉になりそうなその一撃を受けてもぼよん、と平然、その腕を跳ね飛ばしてみせた。
「ゼリー、イズ、無敵!!」
「にゃー! うっしゃい!! だからゼリーキングと一緒の仕事にゃんて嫌だったのにゃあ!! ……にゃー、もう、とりあえず、吾輩のワームにこのへんを探らせるから、お前はここでじっとしとくのにゃよ!?」
「うむ、レディに仕事を押し付けることは心苦しいが、なにせ私ときたらおいしいゼリーを提供するくらいしか能のないゼリーキングであるからな。全面的にお願いするのだよ」
「お前にゃにしに来たにゃ?」
「ハンドリィ嬢をお守りするため、あとおやつ係かな」
「いにゃいほうがましじゃあにゃいのかにゃあ」
 ハンドリィがしゃがみ込む。その足元には安っぽいゲージがあった。ゲージの中には哀れっぽくなくネズミが七匹、捕えられている。相変わらず四ツ目綴じを開いたまま、ハンドリィはベルトから七本の針を引き抜いた。その針がネズミに突き立てられ、次の瞬間、ゲージを破壊して苔むす湿地に降り立ったのは、醜悪な、しかしどこかネズミに似た面影を持つ七体のファージだった。ただしその大きさは、大型単車ほどもあったが。
「そうだにゃあ。とりあえず五分くらい走ってから戻ってこいにゃ。ただし人間がいたら殺してくるのにゃ」
「それだとシャドウも巻き込まれるのではないかね?」
 含んで言うゼリーキングを、ハンドリィは鼻で笑う。面白いジョークを聞いたという顔だった。
「あいつならちょっと吹っ飛ばされるくらい、きっと大丈夫だにゃあ? ……戻ってくるのが遅かった奴のところを調べればすぐに『誰か』とは会えるからにゃ。さあ、働くにゃ、あたいの子ネズミども! 役立たずはあたいが食っちまうにゃ!!」
 ハンドリィを中心に、七匹のファージは放射状にかけていった。
 沼地の鳥が突然現れた騒々しい乱入者に羽をばたつかせるが、ネズミ型のファージはハンドリィの言いつけを忠実に守り、まっすぐにその脇を走り抜けた。



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!注意!
企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。

この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。


<参加予定者>
チェガル フランチェスカ(cbnu9790)
リーリス・キャロン(chse2070)
ファルファレロ・ロッソ(cntx1799)
ゼノ・ソブレロ(cuvf2208)
ハーデ・ビラール(cfpn7524)

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品目企画シナリオ 管理番号1988
クリエイター錦木(wznf9181)
クリエイターコメント時系列?
気にするな!

前回に引き続き、ご指名下さりありがとうございます。
大一番の始まりです。気合を入れていきましょう。
さて今回のシナリオでは、前作のシナリオの成功を受けて、皆さんに有利な状況がいくつか発生しています。

①装備
装備品の変更追加、私物の持ち込み、セクタンの形態変更については、通常の依頼で扱うような物品であるならすべて準備できているという扱いになります。プレイングにさらっと、記述していただければそれでOKです。
これは前作のシナリオで、裏方に徹して準備を整えていたハーデさんの活躍によるものです。

②邪魔は入りません
今回のシナリオの実行中にウッドパッドの奪取がばれたり、静止部隊が送り込まれたり、また一般人が巻き込まれたりということは起こりません。ナレンシフの奪取にのみ、専念してくださって大丈夫です。
これは前作のシナリオで、世界図書館司書の意識をウッドパッドから引きはがしていたファルファレロさんの活躍と、前作のシナリオの大成功によるものです。

③ナレンシフと世界樹旅団員
ナレンシフはしばらくの間、飛行が不可能です。よほど長期戦を仕掛けない限り、ハンドリィとゼリーキングをどうにかしたり、しなかったりすることに専念できます。
これは前作のシナリオでの大成功の結果、時間的余裕が生まれ、ナレンシフが容易に飛び立てず、また着地するとしたらそこしかない、という土地を見つけることができたというアドバンテージです。
また皆さんは一日以上、先に戦場となる湿地帯へ到着していたことをお伝えいたします。そのことによる体力の低下なども一切ありません。


④捕捉
・ネズミ(大型単車並)が現在皆様のいるキャンプ地点までたどり着くのにかかる時間は、おおよそ三分です。
・皆様のいる地点から、ナレンシフの到着は確認できます。
・E・Jですが、前回OPの状態のままこのシナリオの舞台に運び込まれた場合、「しゃべる言葉の半分がノイズに覆われている」状態となります。
・「翌日未明」で描かれた情報は、現状未知の情報です。ですが皆様は一日以上先に現地入りし、またナレンシフの到着場所もわかっているのですから、彼らの情報を入手することは容易いのではないでしょうか。

プレイング期間と製作日数は目いっぱいとらせていただきました。
色々大変なことになっておりますが、皆様の武運と戦略をお祈りしております。

参加者
ゼノ・ソブレロ(cuvf2208)ツーリスト 男 18歳 (マッド)メカニック
チェガル フランチェスカ(cbnu9790)ツーリスト 女 18歳 獣竜人の冒険者
リーリス・キャロン(chse2070)ツーリスト その他 11歳 人喰い(吸精鬼)*/魔術師の卵
ファルファレロ・ロッソ(cntx1799)コンダクター 男 27歳 マフィア

ノベル

1.窮鼠
 ナレンシフから降りてきた二人組について組み立てた予想に基づき、チェガルはE・Jを水辺に転がし、そのスピーカーに無線機を取り付ける。と言っても縛るものがなかったので、向い合せに置いたという程度だが。手で合図を送れば、無線機からザーと砂嵐の音の後に、ファルファレロの声が聞こえてきた。
『聞こえてたら返事しろポンコツスクラップ』
『バッチリだぜぇヤンキー眼鏡ぇぇ』
「はいはい息するように罵り合わない。もう一度聞くけど、図書館側にはまだボクたちのことは知られてないんだよね?」
『今ん所はな。あいつだってとっくに目覚めてるはずなのにねぇ。おっそろしいお嬢ちゃんだこと!』
 スピーカーを震わせるE・Jの声に途切れ途切れの感はない。ここに来た当初の耳障りなノイズも嘘のように消えていた。ゼノはその辣腕を存分に振るってくれたようで、その音質はターミナルの時より明らかに向上している。
「ファルファレロの持ってる無線機からボクが合図したら、手はず通りに流してね。準備はできてる?」
『準備ってほどでもねぇが、まあお望みのものにはなってるはずだぜぇぇ』
 ゼノと二人がかりで設置した盗聴器と暗視カメラと偵察機、ファルファレロの飛ばしたオウルフォームセクタン・バンビーナから、チェガルたちは世界樹旅団の情報を得ることに成功していた。
 敵は二人、巨大なゼリーそのものの「ゼリーキング」と、猫耳の生えた少女「ハンドリィ」。相談の結果、チェガルはハンドリィを担当することになった。E・Jを戦場予定地に引っ張り出したのは、彼女への攪乱のためだ。本当ならE・Jの電波を無線機に直接送りたかったのだが、時間が足りずに実現できなかった。おそらくE・Jは壊されるだろうから、それまでに決着をつけなければならない。
「……しかし、猫耳で猫口調、ロリ。んー、基本萌えポイント押さえてるね。その上相方がゼリーとか、薄い本のネタができるよ?」
「知らねえよ」
 軽口をたたきつつ、罠を迂回してキャンプ地点まで戻る。振り返ってE・Jのある場所を確認するが、繁茂する下草のどこに彼がいるのか、もう判別は不可能だった。ナレンシフに向かって張った低い暗幕をくぐると、すでにパワードアーマーを装着したゼノの姿がある。リーリスの姿はない。彼女はナレンシフの影が落ちてきた頃、
「リーリス遊撃で偵察ね! 一人くらい居なくても平気よね」
 と言う言葉を残して白い鳩に変じ、飛び去って行った。現在はナレンシフの様子を窺っているはずだ。
 そのリーリスからノートを通じて連絡があったのは、カメラの向こうでハンドリィがネズミのファージを生み出し、それが七方へと解き放たれた後の事である。

『人を殺せない限り戻れないらしいから、鼠引きつけるだけ引きつけて罠に向かうね! 十分で戻らない方面を探しに行くって言ったから攪乱しちゃお♪ ゼノさん罠発動よろしく~♪ PS.リーリスは巻き込んでも大丈夫よ♪』

「……大丈夫ッスかね、これ? 確かにこれなら一網打尽にできるかもッスけど、途中で追いつかれたら大参事ッス」
「……でも、本人がやれるって信じたんだ。ボクたちが信じない訳にはいかないよ」
「捕まった所で煮ても焼いても食えねえリーリスが、やられっぱなしになってる訳もねえだろうがな」
 本心から言っているらしいファルファレロに、自身も履いている絶縁性のゴム長靴を渡しながら、チェガルがくすっと笑みを漏らす。
「経験者の言葉は違いますなあ?」
「ファンクーロ」
「瞬きするように悪態つくのはやめるッス。……そういうことなら俺も準備しない訳にはいかないッスね。あの速度ならそろそろ来てもおかしくないッスし、スイッチ入れるッスよ?」
 ゼノがカチカチとを操作し、暗幕の向こうでブーンと、機械の低いうなり声のような音が聞こえだす。予め、キャンプ地の周囲に張り巡らせておいた放電装置が起動したのだ。そこここに湧く池のような沼のような水たまりを利用したこともあって、かなり広範にバチバチと音が聞こえてくる。チェガルが前日から充電をしておいたこともあって、しばらくの間、ここに足を踏み入れたものを黒こげにする威力を発揮するはずだ。そしてその威力を知らしめる機会はすぐにやってきた。「ファルファレロおじさーん」と楽しげに声を張り、物凄い速度で空中をこちらに向かって飛翔する、背後に五匹のファージを従えたリーリスと共に。
 ファルファレロが暗幕を跳ねのけ前に出る。その指はトラベルギアの引き金にかかり、顔は舌舐めずりせんばかりに凶悪に笑っている。真珠色の犬歯がぎしっと音を立てるのをチェガルは聞いた。
「ハハッ、うじゃうじゃしやがって。おいリーリス、ネズミは後二匹いたはずだろうが!?」
「取りこぼしちゃったー。ごめんなさーい。でもこれくらいの方が完封には都合が良かったり?」
「舐めんな、何十匹いやがろうが俺のファウストから逃げられる訳ねえんだ、よっ!」
 リーリスがファルファレロの頭上を追い越すと同時、醜悪な生臭さのネズミの群れが猛然と、罠で埋め尽くされた地雷原の中へ突進してくる。その足元で水が跳ねたと同時、その背がビグンと弓なりにしなる。硬直したそれらへ向かって叩き込まれるのは、ファルファレロのトラベルギアから発射される弾丸だ。紫電がその全身を覆いつくし、ファージは老廃物と蛋白質の焦げる匂いを引いてどうと倒れる。
 チェガルがその腰に携えたグラディウスを抜刀、ファージの首めがけて全体重をかけて突き刺す。ゴム長靴のせいで走りづらいが、感電するより幾らもましだ。ゼノが「ファージは消毒ッスー!」と叫びながら火炎放射器を操り、リーリスがパチパチと場違いなほど和やかな拍手を送る。そう長い時間もかからず、ファージは動かなくなった。辺り一面に、例え難い異臭が蔓延している。
「皆お疲れ様ー。それじゃ猫とゼリー退治に出発、で良いのよね? 残ったファージって猫さんのところに戻ってるから、ちょっと面倒かしら?」
「ハッ、言っただろうが、溝鼠の一匹や二匹でビビるファウストと俺じゃ」
 ファルファレロの声が不自然に途切れ、全員の視線が集中する。彼の目はここではないどこかを見たまま、微動だにしない。徐々に険しくなる剣幕にはっとしたチェガルが盗聴器の受信機に耳を当て、リーリスも身体を寄せる。ゼノもアーマー内部のカメラに視線をやるが、そこには何も映ってはいなかった。
 画面を埋め尽くすのは、一面の砂嵐。
 スピーカーから聞こえてくるのは、無音。
 ……機材が破壊されている。背骨に氷柱を突っ込まれたような悪寒が全身を震わせ、口が無意味に開閉する。ファルファレロが見たものも、こうなのだろう。何も見えないという事実。敵が、こちらに気づいた。だがどうして? どのタイミングで? 今までは普通にしていたはずなのに?
 疑念の支配する場に、不意に影が差した。それは天上の雲の落とす濃い色ではなく、曇りガラスを透かしたようなごく薄い影だったけれど、こんなに嫌な曇り空をゼノは知らない。
「やあこんにちは、世界図書館の諸君」
 上から押しつけるように、下から這うように、あるいは自分たちと同じ目線から声は聞こえてきた。その頭上にちょこんといただいた黄金の冠が、太陽の光にきらめいている。その隣には人のようで人でないシルエット。淡いグリーンのゼラチン体からは、しゅわしゅわと炭酸のような細かな泡と、甘い匂い。
「ゼリー食べるかい?」
 見上げるほどに巨大な、王を冠するにふさわしい威容を持って、ゼリーキングは気さくとさえ言える態度でそう言った。根元はナレンシフの着陸した場所に繋がっている。その内部に何か小さなものが漂っていることに、この場の全員が気づいただろう。ゼリーの先端からぺいっと吐き出されたそれは、何か巨大な力で圧潰された基盤のようなものであり、砕かれたガラスレンズであり、ぐったりと動かない、ファルファレロのセクタンだった。
「それとも、鶏肉のにこごりをご所望だったかな?」
「……バッファンクーロ!」
 ファルファレロの掠れた呟きの意味はゼノには分からなかったけれど、きっとそれはこの場の全員の――ゼリーキング以外――心情を表しているに違いない。
 撃鉄が跳ねあがり、ゼリーキングの心太のように長い体の半ばに着弾。ゼリーが二つに裂ける。下半身はどぷりとナレンシフのある方向へ沈み、空中に取り残された半分は急速収縮、ゆるい台形となって四人の目の前へと自然落下。草むらに飛び込む影。着地地点にファルファレロがさらに弾丸を撃ち込み、ゼリーキングは「おっと」と声のような音を漏らして身体をくねらせ、白く冷たい蒸気を上げる着弾点を避けて地面に降り立った。
「てめぇ、よくもバンビーナを!!」
「怒鳴るなんて品がないなあ。君たちだってハンドリィ嬢のファージをほとんど殺してしまったくせに、……?」
 ふと言葉を切るゼリーキングに、ファルファレロが眉を顰める。ゼリーキングの身体が横に揺れていた。それはきっと人間なら首をかしげていた、と表現できたのだろうが、なにせ相手はゼリーだ、首も何もない、ただの寸胴体系である。
(もし驚いていたとして、何に対してだ?)
 視線の向きがわからないせいでどれがゼリーキングの興味を引いたのかわからない。思考をぶった切ったのは、上ずったリーリスの叫び声だった。
「……気を付けて! 猫さんの姿が見えないわ! どこかに隠れてるのかも!」
「もう遅いにゃ!」
 言い終わるか終らないかの刹那、草むらから影が飛び出した。影は低い姿勢からリーリスにとびかかり、そのほっそりとした首から脊椎を引っ張り出すべく腕を振りかぶり――尻尾と耳がぶわりと膨らんだかと思うと、ハンドリィはしなやかな身のこなしでリーリスから離れた。一瞬前までハンドリィがいた空間を、チェガルの雷が舐め焦がす。リーリスを庇うように一歩、前へ。グラディウスの肉厚の刃が、光る。
「躾けのなってない猫ちゃんだねぇ。……それ以上リーリスに手出しはさせないよ? 今度はボクと遊ぼうよ。猫じゃらしもあるしさ?」
 グラディウスの刃先をゆらゆら、光に揺らめかせチェガルは嗤う。ハンドリィの瞳孔がギュッと絞られ、その五爪が一層鋭さを増す。
「……いい度胸にゃあ。吾輩を怒らせて、ただで済むと思うにゃよ!?」
 縦長の瞳孔をぎゅっとしぼり、チェガルに突進するハンドリィ。その一撃を直に受ける危険性を前もって察知していたチェガルは盾を使って華麗に回避。「まずは追いかけっこだよ!」とその場を離れていく。ゼリーキングがああっと声を上げた。
「ハンドリィ嬢ってば、あんな見え見えの誘導に引っかかるなんて! おやつの時間までには帰ってくるんだよー!? うう、心配だなあ、ちゃんと聞こえてたかなぁ、私も行っていいかい?」
「良い訳ねえだろコラ余所見してんじゃねーぞグルテン野郎。てめぇの相手は俺と」
「ゼノ・ソブレロッス」
「……ゼリーあげるから通してくれない?」
「君、馬鹿ッスか?」
 ゼノが叫ぶと同時、パワードアーマー脚部格納庫からゼリーキングへ、何かが勢いよく射出された。

2.化け猫
「どうしたどうした! 大口叩いたくせにその程度とは笑わせるにゃあ!?」
  ハンドリィの攻撃をしのぎながら、チェガルはじりじりと後退を余儀なくさせれていた。盾で受け流したおかげで致命傷は避けられているが、一撃一撃が重く、通常の戦いの倍の体力が持っていかれる。しかしその横顔に憔悴の色はなく、むしろ嘲るような笑みが浮かんでいた。
「君こそ、もうちょっとまともな戦い方はできないの? それじゃあ野蛮人以下だ……!」
 確かにハンドリィのパワーは強力だが、戦闘技術は高くない。しなやかな身のこなしと素早い動きは野生の獣を狩ることには長けているだろうが、二足歩行する剣士相手の戦闘には向いているとは言い難いように思う。
 加えて、その動きが一瞬だけ止まる時が何回かあった。そんなとき大抵ハンドリィは苦しげに顔を歪めていて……おそらくリーリスが何かしているのだ。だが油断する気はない。ハンドリィがファージを生み出す際に広げていた古い四ツ目綴じの本が気がかりだった。現在あの本は、ハンドリィの腰に下げられている。世界司書がしているそれほど頑丈そうではないけれど、本を固定するポーチのついた珍しい形のベルトだ。そんなものを常備しているからには、やはりあの本は何か、特別なものに違いない。確信があった。チェガルがベルトに向かって攻撃すると、ハンドリィは必ず避けるか、そうでなければ身体を張ってまで止めようとする。何かの魔術書なのか、それ以外の何かなのか。……思考は背後から聞こえてきた轟音に強制中断させられる。振り返ると、全身の毛を逆立てたハンドリィが、巨木をねじ切っていた。あ、これ絶対、盾、手放しちゃダメだ。内心で冷や汗を垂らしながらハンドリィに向き直る。逃げるのを止めたチェガルに、ハンドリィがにやりと笑う。
「吾輩の圧倒的な力の前には無力だと、ようやく悟ったかにゃあ? でももう許さにゃいのにゃ!」
「いや、圧倒的って言う割に、君未だにボクに一撃も入れてないよね?」
「うにゃっ!?」
 ハンドリィの尻尾がばふっと膨らむ。図星だったらしい。頭上ではリーリスがぐっと笑いをこらえる気配。
「何か可哀そうになってきちゃったからホラ、盾なんてポイしてあげるよ~」ことさらに煽るように言って、チェガルは地面に片膝をつく。盾から腕を抜き、そのまま腰に下げてあった無線機を手に取る。盾が視界を遮っているからこの動作はハンドリィには伝わらない。「ほら、おいで? 一緒に楽しく遊ぼうよ? 疲れておねむになっちゃったなら、責任もって送ってあげるよ」スイッチを押し込む。これで伝わったはずだ……昼寝してるとかはなしだよ、E・J。
「お前っ……にゃかす、絶対ににゃかす!!」
 ハンドリィは一瞬、鳴きそうに顔を歪めたが、次に現れたのは今まで以上の殺気だった。一瞬にして距離が詰められ、その五指には凶悪な五爪が光る。速い。渾身の力の込められただろう一撃が振りかぶられるのが、妙にスローモーションに見えた。
 ……あれもしかしてE・J仕事してない? ふざけんな脳みそぶっとぶだろこれ。やばい、死ぬ。最低でも死ぬ。どんな超スピードを出したのかリーリスがハンドリィの脚にかじりついていたが、チェガルの脳みそがごっそりやられるのが一瞬だけど速そうだ。あのラジカセ来世では覚えてろよ! くそう、せめて一撃だけでも入れてやるわ!!
「……っしょおがああああ!!」
 半ば自棄になって振り回したグラディウスはきっと、ハンドリィに受け止められるか、途中で制御を失って(その理由は考えたくはない)手からボロッと零れるのだと思っていた。
 しかし結末はどうだろう。チェガルに死をもたらすはず手はびくりと強張り、頭を狙っていたはずの腕が下がる。抉られたのは、頭ではなく肩の肉。爪先のひっかかった骨が皮膚から剥がれる感触に、視界が真紅に爆ぜた。
 碌に狙いも付けていないグラディウスは、刃ではなく鎬でハンドリィの腰を強かに打ち据える。横からぶっ飛んできたリーリスの力も相まって、二人はもつれあうように横転。その回転が終わった時、ハンドリィの両手は、いつの間にか自身の身体に押し当てられていた。その髪の間から生えた猫耳を押さえつけるように、猫耳を閉じるように。うにゃあ、うにゃあと苦しげな声が、聞こえる。リーリスはどこにいった?
『どうだいチェガルちゃああああん、猫にしか聞こえない高周波の威力ってどんな感じいぃぃぃぃ?』
 どこかの草むら、E・Jの合成音ボイスがふってくる。千切れかけた腕から無線機が落ちた。のろのろとそちらに顔を向ける。
「……高周波?」
『人間には聞こえないから安心安全騒音対策もバッチシだろぉ? 僕様頑張っちゃった! で、見えてないし良く聞こえてこないんだけど効果はどんなもんよ?』
「……あとで壊す」
『何で!?』
「ボクが、ど、れだけ焦ったと思ってんだ。でも修、理したゼノに悪い、から、ターミナルにある方、壊してやる」
「うぅ……攪乱とは卑怯にゃ……」
 よろよろと、ハンドリィが起き上がる。痛めたのだろう、片手は耳に当て、もう片方は脇腹に添えられている。しかし闘志は失っておらず、ギラリと冷たい殺意が宿っていた。
「……でも、次で仕留めるにゃっふん!?」
 口上は間抜けな悲鳴に消える。その頭上にどぷり振ってきたのは、ゼリーだった。

3.ゼリーキング
 左脚部格納庫からは圧縮燃料、同右格納庫からは液体窒素がそれぞれ射出。左肩に装着したキャノンがそれぞれのタンクを打ち抜いて、冷気と熱風が同時にゼリーキングへと殺到。
「ほうっ!?」
 ゼリーキングが液体燃料の奔流を避けようと横転、液体窒素の流れる大地に転げ落ちる。白く濁る底面。更にゼノが追撃の液体窒素放射装置を作動。それらが到達する瞬間、ゼリーキングがぐにゃりとその形を変える。台形の巨大な盾を作り、跳躍する勢いで自分と切り離す。きれいなゼリー型に凍ったそれを見て、ゼリーキングはなぜか嬉しそうだった。
「フフフ、冷ゼリーとはわかってるじゃないか。ぬるいゼリーなんて私への冒涜だからね。液体窒素とは少々乱暴だが……さあ、遠慮はいらない、召し上がりたまえ」
「いや、無理っす。あやしすぎるんで」
「だぁれがてめぇなんか食うかよ気持ち悪い」
「せっかく凍らせられたのに!? ……はああんよめたぞ、君たち、半分溶けかけたところを美味しくいただく気だな!」
「……もうそういうことでいいから、さっさと凍っとけ」
 面倒くさそうに吐き捨てて、打ち込まれるギアの弾丸。ゼノもその軌道上に先回りするように、針のように鋭い液体窒素を打ち込んでいくが、ゼリーキングはゼリーにあるまじき速度でそれを回避していく。その色は青みがかった葡萄色に変わっていた。
「残念だ。私もできればゆっくりじっくり君たちに私と言う存在を味わってほしいのだが、今の私の仕事はハンドリィ嬢をお守りすることなのだ。しかし私は何と言ってもゼリーキング、この二つを両立させる良い案を思いついたので実行しようと思う」
「……それは、俺たちをさっさと殺して、先に行くってことッスか?」
「なんて物騒なことを言うんだい!? 私はゼリーだよ、人なんか殺せるわけがないじゃないか! 私はただ、君たちに素早く私を味わってもらおうと思っているだけだ!」
 言うが早いか、再びゼリーキングは二つに分裂した。根元ではつながっているので、何メートルもある巨大なVの字に変形したと言うのが正しいだろう。二つの巨大なゼリーの柱が、ゼノとファルファレロめがけて倒れ込む。ゼリーの表面が浪打ち、その表面からいくつもの触手じみたゼリーの腕が発生! その奔流を最初に受け止めたのはゼノだった。機械が引き倒され、再び一本になったゼリーが垂直に襲いかかる。狭いスーツの中にアラームが響き、緊急防衛プログラムが作動。二本のアームが襲い来るゼリー質のハンマーを支え、背中が地面を抉る。計器に表示された数字は……百キロを余裕でオーバー! たしかにゼリーは巨大だが、それにしたってそこまでの重さがあるとは思えない。アーマーがぎっしぎしに軋む音が不吉に過ぎる!
「こ、こいつ、ただのゼリーじゃねえッス! 密度がありえないッス!?」
「その通り、私の名はゼリーキング! あまねくゼリーの頂点にして源泉! 超越平行的ゼリー存在!!」
「うっせえ! 食い物は食い物らしく冷蔵庫で震えりゃいいんだよ!」
 四方から襲いかかる細長いゼリーの群れに、ファルファレロの愛銃は休む暇なく弾丸を吐き出し続けていた。ある一本は凍らせ、ある一本は溶かす。しかしゼリーキングはそれらを本体から切り離し、それ以上の凍結も溶解も遮断。溶けたゼリーはべちょりとファルファレロを濡らしてその動きを阻害し、氷結した重たいゼリーが頭上から槍のように降り注ぐ。
 ゼリーは次第に薄く、その形を広くしていた。辺り一面に固まる前のあたたかいゼリーが海のようにとぷとぷと広がり、物理的法則を無視して坂を駆けあがり、暗幕を引き倒す。
 ファルファレロの指先が強張る。長時間の連射にさしもの彼も疲労が限界に達していた。その一瞬のすきをついて、地面低く這わせていた一本のゼリーが凶悪な質量を伴って足首から這い上がり、その身体を地面へ捩じり伏せる。ゼリーがクッションになったおかげで痛みはないが、代わりに指と銃の間にゼリーが入り込み、強引に手放させる。全身の毛穴から噴き出る冷や汗。
「てめぇ! 何の、ッグ、がふっ!」
 悪態を吐こうとした口へ、ゼリーが突き込まれる。ふざけるなと言う思いで歯を立てる。食いちぎってやろうと思った。だがゼリーはあっけなく砕け、口の中に場違いなまでに芳醇な白ワインの風味が広がる。
「やっぱりフルコースだよね、こういうのは。白ワインのゼリー好きかい?」
「……ッけんな、っぶぁ!?」
「食事中に喋ってはいけないよ。さて次は前菜だ。シーフードのジュレ好きかい?」
 今から嫌いになりそうだと、悪態は心の中だけでしかつけない。ただの今まで白ワインの香りを口中に振舞っていたゼリーキングは、今や悪趣味なまでの生臭さを伴ってファルファレロの口どころか喉の奥までをみっしりと埋めていた。声が出せない。気管がつぶれて呼吸がままならない。「次はスープ? サラダだっけ? 間を取ってトマトゼリーにしよう」異物を追い出そうと食道がうねるが、圧倒的な質量はただの蠕動運動など意にも介さず、ゼリーはファルファレロの中に深く深く入り込んでいく。
「ファルファレロ君! ダメッス! 気をしっかり持ってください!」
 迸るゼノの絶叫。滲む視界に、ゼリーの海に横たわるアーマーの姿があった。バケツに頭を押し付けるように、ゼリーの柱がアーマーをずぶずぶと押し込んでいく。ボルトと金属が擦れる音がここまで聞こえてきた。胃を内側から撫でられる感触に、狂いそうだ。
「大変です、ゼリーキング様!」
 その勢いを止めたのは、突如乱入してきた一人のナレンシフの乗組員だった。

4.リーリスとゼリー
「大変です、ゼリーキング様! ハンドリィ様が苦戦しています! どうかあなたの究極防御でお助けてあげてください!」
「え? 何? 何だって? うわあ本当だ! もし死んだら賞味期限七回分祟られてしまう!」
「こいつらは私が縛っておきますので、どうかあなたはハンドリィ様を!!」
「うむ、心得た! だがそれは君もだよ、名も知らぬ親愛なる友よ!」
 返事をする間もなく、作業員姿の頭上にゼリーの奔流が降り注ぐ。同時に少し離れた所から「次で仕留めるにゃっふん!?」と間抜けな声が聞こえてきた。奔流はやがて彼を包む壁となり、空洞の円柱となる。乗組員はその内部を最初は軽く、次に地面を揺らすほど強く殴りつけるが、破れる気配は一切ない。
「……どういうことです?」
「言葉通りだよ、我が親愛なる友人、ではない方」
「……気づいてたの?」
 作業員の姿が水面のように揺らぐ。次の瞬間そこに立っていたのは、まぎれもなくリーリスだった。唇が噛みしめられている。鳩だった時に観察していた記憶を頼りに、精神感応でリーリスを彼だと思うよう操作したはずなのに。
「興味深い体験だったよ。自立意志を持ち集団に属するゼリーにはこんなことが起きるのだと、良い勉強になった。キングの私ではあるが、もう少し油断していたら完璧に騙されていただろう」
「じゃあどうして?」
 ずるずる、気絶したらしいハンドリィを内側に閉じ込めて、ゼリーの腕が引き戻される。
「その答えは君自身が言っただろう? 私は仲間を助けただけさ。あっているならそれでよし、違ったらそれはそれで究極防御の檻に敵を閉じ込められてラッキーだ」
「……答えになってないわ」
「ふむ? まあ、しいて言うなら、私は油断していなかったからね」
「……もう一つ聞かせて。……あなた、私に<魅了>されないの?」
「良くわからないが、ゼリーとは人々を魅了する存在であって、その逆はないのではないか?」
 ファルファレロの喉に押し付けられていたゼリーが、口元から分離する。そのままゼリーはゼリーキングの身体に吸い込まれるように戻っていき、ひっくり返ってげえげえとやるファルファレロの背を、同じく解放されたゼノが視線だけはピリピリと尖ったまま優しく撫でさすった。
「そういう訳で世界図書館諸子はこの人質が目に入ったら、速やかに武装解除してこっちに来なさい。そこの眼鏡の君、君はもうたらふく食べたからいいだろう? 他のところにいる仲間を一つところに集めてきてくれ。いや、実は船が不幸な事故でしばらく出向不可能でね。船の整備が終わるまでゼリーパーティでもして楽しもうじゃないか! まあお友達でワインゼリーを作りたいというなら、協力するに吝かではないが」
 足元から響く鈍い音に、リーリスは視線を下げる。右の足首から先が、何か重たいもので潰されたように真っ平らになっていた。金箔を叩くように、トレーに流し込む水のように。一瞬で粉みじんに粉砕された骨だから、皮膚を傷つけることもない。ただその瑞々しい弾性だけがいたましい健気さで薄く、広がっていた。
「おっといけない、これではお友達の丸ごとゼリーではないか!」
 草陰でとびかかる機会をうかがっていたチェガルが、静かな動きで進み出る。それを見てかは定かではないが、ゼリーキングは機嫌よさそうにプルプルと震えてリーリスを見下ろした。その身体の中に、いつの間に奪ったのか、見覚えのある木の板がぷかぷかと浮かんでいる。
「仲間を大事にするって良いことだ。君もそう思うだろう?」

クリエイターコメント お疲れ様でした。
 今回のシナリオ結果について補足いたしますと、元々、ゼリーキングとハンドリィは常より多めの警戒心を持ってこの場に挑んでおりました。この時点で二人がゴーストの生存を告げられていたかどうかにかかわらず、死んだと思われていた人物が、敵に奪われたはずの手段で、突飛な連絡をしてくることは、非常に不可解で意図が読めない事態だと彼らは受け止めていたのです。
 そして七方へ放ったファージがほぼ全滅と言う事態になり、自分たちを呼んだのがシャドウではなく、その誰かたちは自分たちと自分たちの帰宅手段(ナレンシフ)を囲んでおり、相手は世界図書館しか考えられず、その上しばらくこの場から脱出できない、という状況が、彼らの警戒心を最大まで引き上げたのです。
 ナレンシフがしばらく飛行不能でなく、またシルウァヌスからウッドパッドの回収を命じられていなければ、ネズミがほとんど帰ってこなかった時点で二人は帰っていたでしょう。

<リーリスさん>
 お疲れさまでした。
 ネズミを一網打尽にするという点では大変、効果的な策でした。その作戦がハンドリィとゼリーキングに及ぼす影響にお気づき頂けなかったのは残念です。しかし、結果的に未知の情報だらけとなってしまったゼリーキングを積極的に罠にはめにいったその行動は、WRとして大変ありがたく、感謝の気持ちでいっぱいです。今回のシナリオ内での負傷と待遇は決してペナルティなどではなく、リーリスさんの気概への返答、名誉の負傷としてとらえていただければ幸いです。
 ちなみにと言う程でもないですが、魅了が通じなかったのは警戒心もありましたが、ゼリーキングとハンドリィが戦闘をしていた時、残ったファージたちがナレンシフの警護をしており、またゼリーキングの下半身もナレンシフの方にあったという理由もあります。七方に走らせたネズミがほぼ全滅した→自分たちは囲まれている→敵を発見したが彼らと戦っている間に船が襲われるかもしれない→護衛を置いておこう→あれこいつファージ護衛にもせずホイホイ出歩いて……あれ? という心理がそうさせました。ゼリーと言う概念に魅了と言う概念を注入できれば、ゼリーキングを魅了することも不可能ではないと思います。

<ファルファレロさん>
 お疲れ様でした。
 興味深いプレイングでした。この作戦が無事に成功していたら大変面白いことになったとは思いますが、その前段階で躓いていましたので今回はこのような描写をさせていただきます。プレイングは詳しくご記入いただくと一層のご活躍が期待できることをお伝えします。

<チェガルさん>
 お疲れ様でした。
 ハンドリィの猫っぽさを利用した策、お見事です。敵の能力を正確に把握した上で、効果的な立ち回りとE・Jの利用を選択しておられました。罠は警戒心に引っかかって失敗させようか少し迷いましたが、リーリスさんと二人がかりだったということと、ハンドリィとの戦い方が見事だったのでボーナス的に勝利です。

<ゼノさん>
 お疲れ様でした。
 凍らせたり熱したりと言う攻撃方法自体は、そう非効率ではありませんでした。ゼラチンは熱に溶けるし(実際ゼリーキングはゼノさんが燃焼と冷凍の同時攻撃を行った際、まだ冷凍の方が良いという判断をしています、その程度には苦手です)凍らせゼリーというワードはゼリーキングにとって心躍る響きなのです。ゼリーキングの攻撃をどう防ぐかまで考察されていたらパーフェクトでした。

○ゼリーキングについて
 実は、掲示板でのご相談の中で、彼の持つ能力についてはほぼすべて出そろっていました。その中には、作戦に組み込めば確実にゼリーキングを足止めできるものもあったのですが、実際のプレイングには、ゼリーキングの有していたそれら能力への警戒も対策も記述がなかったため、アドバンテージとはなりえませんでした。
 彼の正体、と言う程でもないですが、これはOPにある通りです。彼は「ゼリーと言う概念の体現」、人格と呼べるものを得た、物質的ゼリー概念です。

 ナレンシフの奪取ですが、全員が戦闘に勝利して追い払って奪取というご計画でしたので、その戦闘が二人を決定的に追い詰めるには至らなかった以上、さし上げることはかないませんでした。WRとしては、十分な戦闘時間を確保できるという意味での「しばらく立ち去れない」という状況設定だったのですが、こういう形で裏目に出るとは思いませんでした。

 プレイングの化学変化による状況の変化は、PLにもPCにも、予想できないことです。しかし「メールの内容に、敵は完全に騙されたのか?」と警戒することは、この状況にいるものとして、不自然ではない範囲だったと考えております。

長くなりましたが、こんな結果もあるということで、これはこれでご堪能いただければWRとしてはありがたい限りです。
この度はご参加いただきありがとうございました。
公開日時2012-08-01(水) 21:30

 

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