星、星、星……暗く、どこまでも果てのないその空間に少女はペットと一緒にいた。 以前までは楽しいものに溢れかえっていたのに、いきなりいろんなものが失われてしまった。喪失のあと少女は気が付いた。 星に会いたい、と。 暗い画面にいくつも浮かぶホログラム。 すべて星が映ったもの。 そのひとつ、暗い闇に流れる星を少女とペットは飽きもせず見ていた。「ぶーたんは、これが好きよね。ふふ。……どうしてしゃべっちゃったのかしら」 ぶーぶーとブーたんは批難するような声をあげる。「二人で遊ぶっていったけど、二人だとつまらないもの。ううん、ぶーたんと一緒なのはいいのよ。けど、もう時間がないもの。またデータ、壊れちゃった」 暗い画面に浮かぶホログラムがひとつ、また形が壊れたのに少女は顔を歪める。「エネルギーが足りないの。ねぇブーたん、お願い。誰かを信じたって仕方ないもの。けど、ブーたんは別よ、お前は特別だもの。偉い人たちが作ったのよね? 一年くらい前にね、化け物が暴れた記録があってね、それを元にしてるんだって」 ぶーぶー。「そうよ、お前が言うみたいに、世界を変えましょう」 ぶーぶー。「お前の好きな世界に。けど、カケボシがいなくちゃいやよ。私の願いも叶えて、いいわね?」 ぶー。 ぱリんとまた一つ、暗闇のなか、ホログラムが壊れた。まるで魂が、軋むような音をたてて。 ★ ☆ ★ 司書室に黒猫にゃんこ――現在は黒い着物の二十歳過ぎの女性の姿である海猫が俯きがちな顔で依頼を受けたロストナンバーたちを出迎えた。「今回はね、カウベルさんにいろいろと協力していただいて、現地について調べたの……それで見つけたの、エルシオンという施設をね。その施設の探索をしてほしいの」 エルシオン、その名は壱番世界では死後の楽園を意味する言葉だ。 インヤンガイでは政府公認の犯罪者討伐部隊の咎狗が所有していた施設として名前としてひっかかった。 咎狗はすでに最近の災害によって壊滅していると以前の調査で結果が出ている。 問題は、その咎狗が関わっていたと思われる現実社会での神隠し、サイバー空間での人の記憶を消す化け物とそれを可愛がるイヴという少女。 つい先日、ある少女の失踪事件を調査した結果イヴが他人の身体を乗っ取って逃亡していたことが発覚した。 イヴの目的はカケボシの、魂をデータ化した上での復活。その際、ロストナンバーの一人は彼女が逃亡する間際にエルシオンという単語を聞いた。「カウベルさんは街の停電についての調査をしてくださるそうなの。それにはイヴさんやそのペットさんが関わっているようだから、私たちは現実で犯人を追いつめましょう? 気になるのは、施設そのものは既に崩壊した街【蒼ノ宮】にあるんだけど、僅かな霊力は集まっていて起動しているみたい」 崩壊した街って、基本的に閉鎖されるんじゃ? とロストナンバーが問うと海猫は微笑んだ。「そうよ。結界が張られているから転移なんかでなかにはいることは出来ないみたいだけど、結界そのものに手加減して攻撃すれば僅かだけど隙間が空くの。そのときなかにはいりなさい。ささいなものなら結界は閉鎖された街のなかにいる要石がすぐに元に戻してしまうから。結界そのものを壊すことはだめよ? 閉鎖されてるってことは、それだけ危険なのだから、いいわね? 私たちはインヤンガイを混乱に陥れたいわけではないの、世界のルールにお従いなさい、出来ないというならばチケットは渡せません」念をこめてロストナンバーたちに言い渡したあと海猫は目を細めて微笑んだ。「施設そのもの場所は私から地図をあげる。街のなかはそこまで危険ではないけど、今から着くと夜になるわね。ふふ、閉鎖された街だったらさぞ星がきれいに見えそうね。あら、ごめんなさい話が脱線してしまって、ええっと施設は……暴霊が集まっているみたいよ。もともと、この施設はなにか危険なことをしていたみたいね。施設のなかそのものもいくつか危険が潜んでいるみたい。だから自衛はきちんとすること。そして、施設のどこかにいるはずのイヴを見つけてちょうだい。イヴへの対応はあなたたちに任せるわ」 海猫はロストナンバーにチケットと地図を渡したあと、ふと何かに気が付いたように疑問を口にした。「けれど、この子、この街が崩壊してから一カ月……寝食はどうしていたのかしら? それに食べるということを知らなかったそうだけど……」※注意※・当シナリオは灰色冬々WRのシナリオ『【星屑の祈り】エレボス』と同時に起こったものといたします。PCの同時参加は御遠慮いただけますよう、どうぞよろしくお願いいたします。
静寂しか、そこにはなかった。 死人すら息をしないような夜闇にあるものといえば、空から零れ落ちる鈍色の星光だけ。 ロストレイルを降りてから星川は一度寄りたいところがあるとジューン、ジャック・ハート、マスカダイン・F・ 羽空から許可をとって、一時間ほど各自自由時間となった。 そして目的の閉鎖された街前で四人は落ち合った。 結界はジャックが積極的に攻撃役を買って出てくれたおかげで難なく入れて四人は静かな街のなか走って進む。幸いにも暴霊に遭遇することはなく、寄り道するような場所もないので施設を真っ直ぐに目指す。 「ここか」 雨風にくわえて何かあったのかひどく朽ち果ててしまっている建物の前で星川は息を飲んだ。 ほの暗く、見ただけで鳥肌が立つ、何か悪いものが封じられていると本能で感じ取ることのできる建物だ。時折、うーうーと風なのか、それとも哀れなる彷徨う魂なのかの寂しげな音が木霊する。 「俺はこの施設ははじめてなんだが、以前調査されたことがあるんだよな?」 「はい。私が同行していました」 とジューン。 「みなさんに私の持っている施設の見取り図などのデータをお渡しします。ノートに書き込んだのでよろしいでしょうか?」 ジューンはさっそくノートに自分の持っている施設の見取り図データを書き込んでいく。そうすることで全員が同じ情報を共有できるからだ。 「よし、じゃあ、これからどうする? 俺は、イヴに会いに行きたいって考えてるんだ。出来ればジューンさん、あなたに協力してほしい」 「了解しました」 「んー、じゃあ、ボクはジャックくんと一緒かなー。いいかなー? ねっ!」 「ハッ、勝手にしろヨ」 施設そのものの大きさを考えれば四人でまとまって動くよりも二チームに分けたほうが探索の効率がいいと、街のなかにはいってからずっと立体構造サーチ・生命体サーチを作動させていたジューンと透視・精神感応を使用して周囲に対する警戒を張り巡らせていたジャックの言葉にまず各々の目的のために二人一組に分かれることになった。 星川の目的はイヴのため施設の情報を持つジューンの存在がどうしても必要だ。たいしてマスカダインは施設のなかを巡りたいというので同じ目的のジャックと組むのが最適だった。 「この施設には咎狗の霊がいる可能性もありますのでお気をつけください」 ジューンは司書からの言葉を思い出して助言する。 「うん! みんなで協力し合ったほうがいいよね! 悪の組織はもうないんだよ! 目の前の寂しがりやの女の子を助けたいだけなんだから」 「そうだな」 マスカダインの言葉に星川は口元をほころばせた。 「だからね、エネルギーを与えるのは阻止してほしくないんだよね。破壊行動も出来れば避けたいんだ。もちろん、暴霊と戦うとなると仕方ないんだけどね」 「俺もこの施設に関するものを読んだよ……咎狗はなにか実験をしていた、そして、その成功例がイヴなんじゃないのか?」 顎に手をあてて星川は思案する。 核心はないが、浚ってきた人間に拷問をしていたのはその成功例のイヴに力を与えるためではないのか、と。 施設の入り口はまるで蜘蛛の巣のように粘りっけの強い悪意を持つ悪霊が何十体と存在した。施設に近づくととたんに襲い掛かる悪霊をジャックはカマイタチで切り裂き、近づいてきたものはジューンが雷撃で倒していった。 星川はマスカダインを背に庇いながら二人が取りこぼして迫ってくるのをギアの杖で突き刺して倒す。 「キリがない! なかまで突き抜けよう!」 星川の声に小競り合いをしながらなんとか建物のなかに全員が駆けていく。 そのときジューンは小さな声で呟いた。 「本件を特記事項β10、クリーチャーによる殺傷事件に該当すると認定。リミッターオフ、クリーチャーに対する殺傷コード解除、事件解決優先コードA2、A7。保安部提出記録収集開始」 それは誰にも、同行者の三人には聞こえることのない呟きだった。 施設のなかは外と同じく薄暗く、湿っていた。灯りをもっていないがずっと夜道を歩いていたので、暗闇に目は慣れていたので動くのになんら問題はない。 しかし不思議なのは悪霊が建物のなかまでは四人を追ってはこなかったことだ。なにか恐れるように唸っているだけだ。 「そだ。ジューンさん、機械に交渉してイヴちゃんに伝えられないかな? キミを助けてにきたんだって」 「それは難しいと思います」 「そう、なの」 しょんぼりとマスカダインは俯く。 「地上部に監視施設はあると思いますが、同タイプの施設ならば探すべきは地下だと考えます。前回も肉体と実験設備は地下にありました」 「そうか。地下に……俺たちは、地下をいくから二人はそれ以外を頼んでもいいのか」 「かまわないよー! ねぇジャックくん」 「アァ」 「ありがとう! ジューンさん、行こう」 「はい。ではお二人はご武運を」 星川はジューンに先導されて施設のなかへと進んでいく。 「うーん、ボクたちは地上だよね! そだ、同じような依頼を受けてる人たちがいるんだよね? 別の街らしいけどさ、ボク、その人たちにも連絡いれたいな!」 マスカダインがノートを開く間にジャックは施設内の電気の流れを読もうと試みたが、 「電気じゃねぇのか?」 電気の流れが読めないのだ。 インヤンガイは霊力をエネルギーにするという特性がある、つまりは電気器具類もすべて霊力で動かすということはなんら不思議ではない。 そして、いま、この施設を活動させているのは純粋な霊力だけで電気は存在しない。 「チッ」 ジャックは舌打ちした。 ここに来る前、ジャックは自分のためにマフィアに会いに行こうとした。 「面白れェナァ、テメェは。殺す相手にわざわざアポ取るバカがどこに居るンだヨ」 マフィアはこの件となんら関係ないことはすでに他の依頼でも証明されている、またインヤンガイには必要な存在だ。キサのことも含めて、彼らとは協力関係をとることが望ましいとされているにもかかわらず、彼は自分の目的のためだけにマフィアを崩壊しようとした。 結果、目的の相手に会う前にその部下によって簡単に撃退された。相手は深手を負わせたジャックに手当をしたうえで丁重に御引取を願った。 「この件についてはキサお嬢さまのこともありますので今回だけは穏便に済ませましょう。今後はもう少しお考えのある行動を期待しています」 マフィア側は今後のためにも世界図書館と争うことも、まして敵対することも望んではいない。そうしたことからジャックは見逃された。 電気を読むことは諦めたジャックは壁の中で電撃や鎌鼬等発生させ物理的に電子機器を殺していくことを考えた。 だが見る限り壁のなかは鉄ばかりで手ごたえのない。またしても舌打ちが漏れる。狙うならば機械類がある部屋だと考えに至ったジャックはノートに書かれている情報を頼りにそちらへと歩き出す。 「よし、こっちだナ」 「え、ジャックくん! どっちいくのー! うう、連絡とれないよー!」 出来れば似た依頼を受けた者同士情報交換を期待していたが、あちらはあちらで忙しいらしくこちらの連絡に気が付く余裕はないようで返事はない。 マスカダインは仕方なくジャックの背中を追いかけて、小首を傾げた。 「どこいくのー」 「ハッ、ヘイヘーイ、どうせ俺ァ破壊要員だからヨッ」 「ジューンさん、あんたは前にここに来たよな? 実験室のような所があると思うんだが」 「はい。こちらです」 星川はジューンの案内で地下にまでなんとかやってきた。幸いにも暴霊に会うことはなかったが不気味なほどに静かで、昏く、腹の底から不安が込み上げてきて心と体がぴりぴりとする。 イヴ、どこだ? 出会ったときに大口をたたいた手前、なににしても彼女に協力したいという気持ちがある。 「星川さま」 「あ、なんだ?」 「ここからはさらに手分けしてはいかがでしょうか? そのほうが効率はあがります。私は自分の身は自分で守れます。星川さまもです。さらにサーチした結果、この周囲に悪霊はいないと思われます、いかがでしょうか?」 ジューンの言葉に星川はしばらく迷ったが、頷いた。 「わかった。けど危険性が大きいから、数分おきにノートで連絡をとろう」 「承諾しました。それで星川さま、おっしゃっていた人一人が横になれそうな銀のカプセルのある位置ですが、私のデータではこちらだと思います」 ジューンはノートを開き、書き込んだ施設見取り図を指差す。それに星川は眼鏡越しに視線を向けて頷いた。それならばここから近い。 「ありがとう。ジューンさん、絶対に無理はしないように!」 「はい。星川さまも」 星川が駆けていくのをジューンは見送った。 「幸いにも攻撃しなくて済みました」 ジューンはそう告げると廊下を進み、行きついた部屋のドアをくぐった。施設の見取り図、それに自分の集めたデータから施設を破壊するのは四つのポイントがあると判断した。 その柱の一つに用意していた爆弾をセットする。 マスカダインの言は確かに理想的だろうが、ジューンのシステムは無慈悲な結論に達していた。 「私は人類の友になるために作られたアンドロイドです。人類の敵を見過ごすことは私の存在意義に関わります」 ジューンは結界を破壊するときは、わざわざメンバーの力を見るために黙っていたのだ。邪魔なら味方も動きを封じるために攻撃するつもりだ。 視られているのを感じて顔をあげた。 司書が言っていた監視カメラだ。 「逝くべきは貴女でしょう、イヴ。カケボシが死者の中に憩うているなら、貴女が死者になればいくらでもカケボシに会えますよ」 そう告げたあとジューンはひらりとスカートをひらめかせて飛び、拳に電撃を纏わせて監視カメラを叩き壊した。 じじぃ……監視カメラは音をたてて壊れ、砕け散り、床に無残な欠片が零れ落ちる。 「無駄な動きを省くためにも電磁波のほうがいいですね」 そうしてジューンは一人で爆弾をしかけるために進みはじめた。 冷たい壁に、ぬっと透明なそれはあらわれた。スライムみたいな見た目のそれは霊力が集まった滓だ。 ナメクジみたいにそれはじわじわっと爆弾に近づいてぬっと飲み込む――かちっと音をたてて爆弾は動かなくなる。 星川はようやくそこに辿りついた。 銀のカプセル。それにそっと触れる。 「イヴ、会いに来た。約束通り、君に協力するために」 この子には、優しく、接したいと思った。 「君の本体を救いたいんだ、イヴ、答えてくれ……会話してくれないなら、俺が直接、君に会いに行く。会ってくれ、君と話がしたいんだ」 施設のなかではきっとイヴに聞こえているはずだと星川は声をあげ、ポケットのなかにしまい込んだ携帯電話――平べったい画面のそれは壱番世界でいうところのスマホに酷似している。 以前世話になった探偵に頼んで、サイバー空間にアクセスできるものを作ってもらったのだ。それをケーブルで銀色のカプセルの近くにあった機械とつなぎ、深呼吸する。 「アクセス!」 そして星川の意識は落ちていく。 目覚めたとき見たのは暗闇だった。 「ここは」 果てしなく、どこまでも。どこまでも。続く暗闇。そこにぱっと光が現れた。 落ちていく光に星川は息を飲む。 「彗星?」 「そうよ。きれいでしょ?」 可憐な声がして星川は驚いて振り返った。 「きみは」 闇を淡く照らす月のように、昂然と輝く白いワンピース姿の少女がにこりと微笑む。雫のときとは全然違う。けれどこの子がイヴなのだと星川にはわかった。 イヴが腕をあげると、闇のなかに大きな光が散ってまるで彗星群のように落ちていく。 「きれいでしょ? 私にもこれくらいはできるのよ」 「イヴ」 「どうしてきたの」 「協力するっていっただろう?」 星川は優しく微笑んだ。 「考えたんだ。キミはカケボシの復活に失敗するのは……キミの好きだったカケボシは、キミの記憶の中にしかいないからじゃないか?」 イヴはきょとんと首を傾げる。 「前に言ったよな? この世界は全てデータで出来てるって。だったら今ここでの俺達の会話も例外じゃないよな? 話してくれないか、カケボシのことを、キミ達二人の、楽しかった思い出を……そして生まれたデータが、カケボシ復活の糧にならないだろうか?」 イヴはじっと星川を見つめる。 「あなた、本当にそれだけのためにきたの?」 「ああ」 自分の気持ちを託した視線を、疑われないように逸らさず、告げる。 「ふぅん」 イヴはじぃと星川を伺いみると、にっと笑って駆け寄ってきた。幼い子どもが甘えるように腕にしがみつく。 「そうね。カケボシはとっても素敵なのよ。オバケが嫌いで、けど人がいいの。困った人をほっておけなくてね」 「へぇ」 星川はイヴの朗らかな笑顔に口元を緩ませる。 「猫とか助けていたわ。ふふ」 「いいやつだな」 「うん。だからイヴがほしいっていったの。それでカケボシはここにきたの」 そこまで告げてイヴは唇を閉ざして俯いた。 「イヴのせいで」 「イヴ」 「カケボシ、消えちゃったの。ずっと、ずっといっしょにいてねっていっのたに、ここにはなにもないからカケボシいなくなっちゃったのぉ~」 ぐすぐすと泣き出すイヴに星川はそっと手を伸ばして、その涙を拭ってやった。 「イヴ、泣かないでくれ」 「会いたいの。とってとっても会いたいの! 私、カケボシのいうあんかけちゃーはん、わからないけど、わからないけど、あげられないけど、すきでいてほしかったの」 「イヴ、なぁ」 「もう時間がないの」 イヴはしゃくりあげて星川を見つめる。 「全部、終わり」 その言葉に星川は本能的な危険を覚えた。もしかして、イヴの肉体事態が危険な状況なのだろうか。 「イヴ、君の本体を助けるよ。だから安心してくれ」 「無理よ」 「無理じゃない。俺の仲間が」 「あなたの仲間、爆弾しかけたわよ」 星川は息を飲む。 「すぐに解除したけど、あなたの仲間で、別の人が暴れてるわよ。メインシステム、壊そうとしてる。爆弾そのものは止めたけど、そういうので火がついて、爆弾も引火しちゃう」 「そんなっ!」 星川は蒼白となった。 「はやく、止めないと、それに連絡を、ここはサイバー空間だったな。それだとノートも使えないのか」 混乱して焦れる星川を見つめてイヴは微笑む。 「あなたの仲間の人たちは私に死ねといったわ。けど私は死にたくない。生きて会いたかった。生きて、どんなことも受け入れて、進みたかったの。……あなたは私を生かそうとしてくれる、信用したのは、悪いことじゃなかったんだよね?」 「イヴ、俺は、俺は本当に君を助けたいし、協力したいって思ったんだ」 「ここの施設はね、不老不死なんかじゃないんだよ。うん。それを望んでいるのは一部のお金持ちの人なんだけど……本当の目的はデータよ」 「データ? それは」 「生きている人間の情報……いくつもある街を支配するマフィアのデータを集めていたの。そのデータをもとにコピーを作りたかったの」 「コピー?」 こくんとイヴは頷く。 「コピーを作ろうとしたの、クローンよ。イヴも誰かのクローンらしいけど……そういうデータをぶーたんがどんどん食べていっちゃったの。私の持ってるデータもぶーちゃんが……ぶーちゃんはね、以前、このインヤンガイに来た世界樹旅団っていう人たちが育てていた化け物のデータを元に私たちが作ったの」 「世界樹旅団が育ていたって、まさか……ワーム!」 一年前、世界樹旅団はインヤンガイの侵略を狙っていた。そのとき彼らは旅人のふりをしてインヤンガイの人間と世界図書館の不仲を招きながら一部の権力者と縁を作り、ワームを生育して放とうとした。 あのときのワームをなんとか倒したが…… 「つまり、あいつがチャイ=ブレに似ているのはそのせいなのか」 本物ではないインヤンガイの術によって作られた人工のワームといっていいのだろうか? あれがもし育ったらどうなる? 考えただけで動悸が早くなる。 「はやく、とめないと。イヴ、一緒にこの施設を出よう」 「無理よ」 「信用してくれないのか?」 「私、あなたと同じじゃないの。それでも、好きになってくれる? 連れて、いってくれる?」 イヴの姿が微かに揺れる。まるで陽炎のように。ぶれて、その姿が 「イヴ!」 ジャックは施設にあるメインシステム室を見つけ出すと早速カマイタチとライトニングを放った。 霊力で動いている機械は予想していた以上に脆く、悲鳴をあげて崩れて落ちていく。 「じ、ジャックくんだめだよ!」 マスカダインは慌てて止めに入る。 「俺たちの仕事は犯人を見つけて以後二度とあんな誘拐事件が起きねェようにすることだと思ったが……違ったか、アァ?」 「けど、けど、イヴちゃんは関係ないよね! それをしたのは別の人たちで、イヴちゃんは利用されていただけだよ! 組織だってないんだし!」 「この世界に優しい結末なンて欠片もねェンだヨ。この世界は俺にそれを思い知らせてくれた。郷に入れば郷に従えッてナ。テメェらもそろそろ身に沁みろヨ」 「そんなの、わからないじゃないか!」 破壊の音が轟き、火があがるのに照らされながらマスカダインはジャックを見つめた。 「テメェはちょっと寝てろヨ」 マスカダインはぎくりとすると、その前に素早く立ちふさがったのはジューンだった。 「テメェは」 「マスカダインさま、ここから撤退しましょう」 「けど」 「私はこの施設の完全破壊のため、爆弾をしかけました」 マスカダインは身をかたくする。 「そんな」 「この状態では、爆弾がすぐにでも爆発する危険性があります。私は星川さまを迎えにいきます。はやく撤退を」 ジューンの言葉が続かないうちにジャックが破壊した建物はあまりにも脆すぎて、火の粉を散らして天井が崩れる。 それに三人は巻き込まれて倒れた。 幸いにもなんとか吹っ飛ばされるだけで無事だったマスカダインはハッとした。 「だいじょうぶ?」 「ジューンさん?」 「違うよ。私はイヴ、この人、ロボットなんだもの。私に乗っ取れない機械類はいないのよ。この人には眠ってもらってるわ。先の暴れていた人も爆発で気絶しちゃったみたいね」 「そうなの。えっと、けど、どうしよう、爆弾が」 マスカダインが混乱するのにイヴは冷静に言い返した。 「爆弾そのものは解除したわ。けど危ないから逃げましょう。私が安全なところまで案内してあげる」 ジューンの体を乗っ取ったイヴはジャックを持ち上げ、マスカダインをもう片方の腕のなかに抱えて火のなかでも安全なところを的確に進む。 「あのね、イヴちゃん、覚醒しない?」 「なぁに、それ」 「覚醒ってボクたちと同じになるんだよ」 マスカダインはにこりと励ますように笑う。 「世界にはまだキミの会った事ない、色んな人が一杯いるんだ。キミの力になれる、いっしょに笑顔になれる人だって絶対いるんだ。全部壊しちゃったら仲間になれるみんなと会えなくなっちゃったら悲しいよ」 「その覚醒ってどうやってなるの」 マスカダインは口ごもる。 覚醒と一言にいうがそれは人それぞれだ。イヴが、どうやって覚醒するかなどわかるはずもない。 なにより覚醒は、その世界からの放逐を意味する。世界計の破片によって世界にいたまま覚醒したキサなどは例外として、ときどきターミナルに飛ばされる幸運な者もいるが、放逐されたものは異世界に飛ばされて命の危機に陥ることも、最悪保護が間に合わないということも珍しくはない。 そうした諸々のことマスカダインは見落としていた。 「それに無理よ、私はここから出られないの」 「え?」 「外に出たわ」 イヴは建物のなかから無事に出てくるとジャックとマスカタインを地面に優しくおろすと振り返った。 「星川さんは」 「大丈夫よ。私が助けてあげる」 「本当!」 「これで、終わりだもの」 それだけ呟いたイヴは目を伏せた。そしてジューンの体が地面にごろりと転がった。 「え、ええ? イヴちゃん?」 星川は強制的に現実世界に戻ってきた。頭が痛く、肌がちりちりと痛むのに怪訝な顔をしてみれば、火の粉が散っているのに息を飲む。 「イヴ! どこに……このなかなかのか! いますぐっ」 火に熱された鉄は触れると痛いほどだが、カプセルに星川は必死にしがみつき、ギアで中を傷つけないようにと注意しながらこじ開ける。 火に肌を焼かれ、手も焼けどだらけになって星川が見たのは、血まみれの死体だ。 「っ!」 吐き気を催すほどにひどい有様にこみあげてきた胃酸の苦みを必死に喉奥で胎内に押し戻す。 ――ちがうよ、それ 声がして顔をあげると、火のなかで白いものがふよふよと浮いていた。 「イヴなのか! 違うって、どういうことだ!」 白い玉はふわふわと浮いて、カプセルの置いてある部屋を通り抜けて横に移動するのに星川は急いであとを追いかけて、見た。 いくつもの機械に囲まれた、小さな、小さなむき出しの脳味噌。 「まさか、これが」 ――そうよ イヴは食べることを知らなかった。姿は変えられるものだと告げ、サイバー空間しか知らなかった。 イヴは実験によって生まれ、過酷な人体実験が繰り広げられて必要な形にされたのだ。 「っ」 星川は血まみれの拳を握りしめる。 ――なんで泣くの? 「キミが、可愛そうだからだ。イヴ」 利用されて、利用されつくしてこんな姿になって何も知らなくて、大切なものを手に入れたいと必死にあがいて。 ――……あのね、一つ聞いてもいい? 「なんだ」 ――こんな姿でも、カケボシ、イヴのこと、好きになってくれた、かな? イヴは、星川さんたちみたいな姿じゃないんだけど 「なったさ。カケボシはいいやつなんだろう? イヴがどんな姿でも、ちゃんと好きになってくれたさ」 星川の言葉にイヴである白い玉はふわふわと浮いた。 ――よかった。もうこの施設を霊を捕まえて維持するの限界だったから、それだけ知れれば十分よ 霊が施設に入れなかったのはイヴによってエネルギーとして利用されることを恐れたからだ。 「だめだ! だめだ、イヴ!」 ――けど、イヴの脳みそ、死んじゃうよ。もう維持できないの。この施設以外では。全部壊れちゃったし、星川さん、はやく逃げなくちゃだめだよ 「……俺は、諦めない。なにか方法があるはずだ。俺と君が助かる方法が……! そうだ。この世界では霊はサイバー空間にはいれるんだよな? だったらイヴも」 イヴが沈黙するのに星川はぎりっと下唇を噛みしめた。 「一緒に逃げよう! ……そうだ。ここから逃げるにはイヴの協力がないとだめだからな。俺を助けてくれ」 星川の必死の説得にイヴは迷うようだったが、差し出された携帯電話にゆっくりと触れてなかにはいっていった。 星川は紅蓮の炎が踊っているのにぎゅうと両手で携帯電話を抱きしめる。護るように、決して傷つかないように。 「っ、うおおおおおおおおお!」 命を燃やすような声をあげて、走り出した。生きるために。 最後の爆発音が轟いた。 マスカダインが見つめるなか、施設は黒い煙をあげる炎に包まれてしまった。 「そんな……あ! 星川くん」 暗闇に人影があらわれてマスカダインは声をあげた。 そこにはなんとか脱出した煤だらけの星川がいた。 「大丈夫だったのね!」 「ああ。あとイヴは」 星川は恐る恐る携帯電話を見つめる。 画面には [データなし] 無常な言葉に星川は下唇を噛みしめる。だめだったのか、やっぱり、無理だったのか。 そう思ったとき 画面に無数の数字の羅列が生まれた 「これは……イヴなのか? イヴの、欠片なのか」 彼女そのものは助けられなかったが、それでも星川の命がけの行動はイヴの欠片――イヴの魂の小さな欠片をソフトウェア化に成功した。 正確にはその大本だ。真っ白い魂の欠片。何も知らず、形ももっていない。それは星川が望んで形を与え、役目を与えて「人」にしてやらねばならないふわふわの真っ白い希望の光。 [データ名なし、――名前をつけますか?] 「名前は、……イヴ」 星川は優しく微笑んで名を与えた、希望に。
このライターへメールを送る