インヤンガイに落ちた世界計の欠片を脳に所持した状態で保護されたキサ・アデルは力のコントロールが出来ると司書から判断されて再帰属が決定した。 ロストレイルが地下にある駅に到着し、地上にあがると太陽の眩しい日差しが出迎える。「キサは、インヤンガイに帰りたい」 駅から一歩出てキサは目を眇める。「キサは、待ってる人がいる」 一歩、また進んでキサは呟く。「……けど私は」 キサは護衛であるロストナンバーたちの和やかな笑顔や呼びかけに突如足を止め、逆方向に走り出した。 誰も彼女を止めることは出来なかった。 どこをどう走ったのかは覚えていない。建物の密集した路地のなかで息を乱したキサは立ち尽くし、胸の上に光る小さな鍵のついたアクセサリーを握りしめた。「私は、まだ消えたくない。みんなといたい。私は……私は、私は……私は、……!」 ――見つけ、タ 不気味な囁きがキサを飲み込んだ。 彼女を探して、ようやく追いついたロストナンバーが見たのは昏い路地に佇む少女だった。その瞳は妖しく輝き、口元ににっと笑みを浮かぶ。「すばらシい、これほどノ力とは! ワタシの所有する記録、すべてヲ使っテ、今度こそ! 星を手に入れヨウ、イヴ! 今度こそ、星にだって手が届ク! 死者だって蘇ル、この落ちてきた星の知識と力を使っテ!」 めきぃと音をたてて少女の内側から出現したのは薄い紫色の化け物――チャイ=ブレ? と誰かが囁くが、こんなところにそんな化け物がいるはずがない。 だが、少女は完全に蚕じみた化け物に飲み込まれ、その姿は見えなくなっていた。 化け物は嘲笑う。それに合わせて空気は響き、割れ、何かが、 ――さぁ、死者の門を開キましょウ?★ ☆ ★ 緊急事態としてロストナンバーを集めた世界司書は深刻な顔で語った。「理由は不明だが再帰属するはずだったキサはインヤンガイにつくなり、逃亡した。その結果、インヤンガイのネット上で記憶を食べると言われるチャイ=ブレに似た化け物に捕まり、利用されている」 インヤンガイでたびたび起こった神隠し事件に関わっているチャイ=ブレに似た化け物は記憶を食らう。それは過去世界樹旅団がインヤンガイに放ったワームのデータを元に強欲な一部のインヤンガイの者たちが術と霊力によって作った劣化コピーだと推測されている。 その飼い主であるイヴという少女は大切な人を失って、死者を蘇らせようとした。霊力をエネルギーとするインヤンガイのサイバーシステムには悪霊が入り込むことからヒントを得て、魂のソフトウェア化を企んだのだ。しかし、それは失敗した。 飼い主であるイヴを亡くした化け物はたった一匹で暴走をはじめた。 己の持つ記憶を正しく使うことのできる世界計の欠片を所有するキサを襲った。 キサの所有する欠片は力を与え、吸収し、生み出すこと。「化け物はキサの欠片から知識と力を得て、自分の所有する死者のデータ……インヤンガイに死者を復活させた。これはすぐに鎮圧する必要がある」☆ ★ ☆ 五大非合法組織・黒耀重工――煉獄のように過激、完璧な武器 狂声――誘惑 怒声――喝采 銃声――合図 花咲くような可憐な歌声が街のなかに零れ落ちる。 唄によって零れる花びらは透明に透け、細く長いタワー型のビル、街が生活するためのエネルギーを土地の霊力から引き上げる霊発力ビルを包んだ ――外部の干渉を断ち切るための結界だ。通常、結界は街がなにかのトラブルに見舞われて閉鎖する際に使われるものだが……それを作り上げた人物はビルの前にあるさらにやや小ぶりの建物の屋上にいた。黒い着物で喪に服している彼女は泥のように光のない目で見つめて歌終わるとパンッと手を叩いて結界を完成させた。「まぁエバったら、あんなに火を使って大丈夫かしら? それにフォンと坊やも喧嘩しないといいけれど……あら、無線で連絡だわ。はい、こちら、煉火、ええ、無事にキサとあれは結界で覆いました。あれがキサを消化するのは夜明けよ。それまで待ってちょうだい、ええ、フォン、あなたも気を付けて……それで、あなたは、どちら様かしら?」「あのぉ~、僕はキサとあの化け物を守る煉火さまの援護をするようにっと、いわれたんですけどぉ~。あ、僕は暁闇の言霊使いで恭一郎といいます。ボスから煉火さまの命令は聞くように言われてますけど……あなたが、煉火さま、ですか?」 無線を終えた煉火の背後からスーツ姿に頼りない顔をした恭一郎は確信が持てないという顔で小首を傾げる。「ふふ、戦いになるとつい本性が出てしまうの。いけないことね、エバやフォンには嫌われているから気を付けているんだけど……あら、私はボスというけど、黒耀はもともと夫のものなの。彼が死んだから、それを私が仮にまとめていたにすぎないのよ」「はぁ、けど、結界師だったんですね。あれ、けど結界師って基本的に個では動かないものじゃ?」「ええ。本当はね。私はちょっと、壊れているといってもいいわね。人間にも、母にも、女にもなることができなかった……まぁ、結界を作れるから、護ったりするには適任とフォンとエバが私にここを任せてくれたの。それに応えなくっちゃいけないわね。準備は万全よ。さぁ、ここにやってくるお客様をお出迎えしましょうか、ねぇ、レディ・メンデン」 恭一郎がびくりと震えて振り返ると煉獄に絶え間なく燃え続ける炎のように強烈な赤の軍服に身を包んだ咎狗の筆頭レディ・メイデンが立っていた。長い金髪が風に揺れる。「長距離の敵は私に任せろ。すべて、撃ち殺す。私と、鶺鴒が」 レディ・メイデンの肩にとまっていた白い鶺鴒が宙に舞い、その姿をライフルに変えて彼女の手のなかにおさまる。 咎狗筆頭メイデン専用の変身武器でメインはライフルに変わるが、接近戦のためにレイピアにも変わるという優れた武器だ。「よろしくお願い致します。メイデン。私は目に見える範囲ならなんとでもなれるんだけど、結界はね、どうも見えないと力がブレてしまうの。恭一郎さん、それじゃあ、ここの目隠しをお願い」「はい! ……隠、隠、隠、隠! 遠い目に闇、近い目には空、見えることなし、見えることなし、見えることなし! この声の届くまま、言の力が届く範囲、すべて! ……ええっと、僕たちの姿、敵にはちょっとみえづらくしましたぁ。たぶん、近づいたり、僕が死ぬときれちゃいますけどぉ~、言霊の援護は任せてくださぁい……ああ、せっかくですし、ちょっと『呪』を用意しましょう」 恭一朗がにこりと笑うと、その舌から黒い蝶が飛ぶ。それは一羽、二羽……大量に増えた呪の蝶だ。 言霊によって生まれた呪の蝶は一匹ではたいした効力はないだろうが、手足を痺れさせ、己の抱える絶望が刺激され、蝶に触れれば触れるだけ肉体ではなく心を蝕んでゆくことだろう。 その蝶は空に飛び、結界と、さらには結界に包まれているタワーそのものを真黒く染めるほどに飛んでいく。「ふん、言霊とはやらしいな。しかし、上等だ。接近する敵は私が撃ち落とす」 メイデンの背を恭一郎はうっとりと見つめる。「強い女性って素敵だなぁ~。僕の趣味としては若くて、高飛車がいいと思っていたけど、お二人みたいな年齢の人もって、あれ? もう一人、鳳凰連合から助っ人がきてませんでしったけ?」 恭一朗の言葉に煉火が微笑む。「彼はいいのよ、別に大切な役割があるから……けど、あの化け物のなかにいるキサは今頃、どんな夢を見ているのかしらね。幸せな夢かしら? 不幸な夢かしら? あんな力を体内に宿したばかりに狂ってしまって……通常の方法でも死ねない、だから、食われて消化されて、化け物の一部になってしまう」「ええっと、お伺いしますが、それってキサちゃんには当然、痛みがあるのですよね? 化け物の胎内にいても意識はあるわけですし、つまり、消化して消える瞬間まであの子はこの世界の成り行きを見届け、激痛を味わうことに?」「そうよ。あの子がしたことの結果よ。けど、まだ化け物はキサの消化に忙しくて、まともに戦えない。難しいでしょうけど、取り出すことも、キサ自身が帰りたいと思えばね、けど、あの子は化け物のなかで、すべてを見せられているはずだから、さぞ、自分を責めているでしょうね」 恭一郎が不安げな顔を、メイデンは険しい顔のまま前を見る。「ふふ。けど感謝しているの。私は奪うしか出来なかったから、だから失敗ばかりしたわ。けど、これがまやかしだとしても嬉しいのよ。フォンとエバに頼られて。私は、貪欲だから」 喪を脱ぎ捨て、いつの間にか黒いスーツ姿になった煉火はにぃと笑った。「さぁ、誰から業火に焼かれたい? この神曲煉火の炎に」 ★ インヤンガイの地上は蟻の巣のように広がる建物群が広がるが、その下には別の顔がある。 それは、どこまでも通じる最も移動に適した――腐った水と錆びついた鉄の香りのする下水道だ。 神曲煉火が目に見える範囲でなくては結界がブレると口にしたように、表向き完璧である結界だが、地下に張られたものは透明度が高く、触れれば通りぬけることも出来そうだ。 そして、そんな弱点を煉火が放置するはずもなかった。 透明な結界の前に白いチャイナ服に両手は獣の爪のように鋭い、鉄で出来ている化け物が立っていた。 その化け物――男の首元からぴ、ぴ、ぴ……その首元から零れるタイマー音。「……あと少しで爆発か。敵が来ればよし、来なければ街一つ……地下に設置したすべての爆弾が爆ぜて、この街は終わる」 ふっと男は口元をほころばせた。「フォン隊長、今度こそ、ご命令を遂行します。このカンが」 きしゃあああ、音をたてて鉄の爪を出して男――鳳凰連合のカンは笑う。★ ☆ ★ 化け物はまどろむ。その透明な腹のなかで少女が眠っていた。世界計の破片によって肉体は半永久的に治癒されるが、丸みのある頬がちりちりと焼け付いて、血が流れる――世界計の破片による回復が、化け物の消化に追いついていない。 ――キサはインヤンガイに帰りたかった ――そのために努力した ――世界計の破片はいらない ねぇ、じゃあ、キサ――願望によって生まれた私は? キサはママみたいになりたかったと願った――だから肉体も、そして心も、願望によって生まれた。 人と関わり合い、笑って、楽しくて、叱られて 化け物の肉体がじわりじわりと実体化するのに少女は飲み込まれる。その血の流れる頬に小さな涙を落ちた――私は、ただ、ただ、みんなと、いたかっただけなの。!お願い!イベントシナリオ群『星屑の祈り』は同じ時系列の出来事となります。同一のキャラクターでの、複数のシナリオへのエントリーはご遠慮下さい。抽選後のご参加については、重複しなければ問題ありません。
ジャック・ハート、ジューン、百田十三はロストレイル内で相談し、協力を結ぶことにした。 百田はロストレイル内で護法符を作り出し、それをジャック、ジューンに渡すと自分の体には精神符を五枚ほど貼って精神抵抗を強めた。 百田はインヤンガイに到着するとすぐに式神を召喚した。戦いのなかでいつ減っても新しいものを召喚できるようにと高速で詠唱を口にしながら目的の建物に向けて駆け出していく。それを守るのはメイド服を揺らすジューン。 「本件を特記事項β10、クリーチャーによる殺傷事件に該当すると認定。リミッターオフ、クリーチャーに対する殺傷コード解除、事件解決優先コードA2、A7。保安部提出記録収集開始」 桜色の唇から開始の言葉が紡がれる。 彼女の手には辺り一面を破壊出来る威力を有した爆弾が二つ、大きなカバンのなかにぱんぱんに詰められている。 「大丈夫ですか? 百田様」 百田は静かに頷き、小さな声で式神を維持する呪を口にする。ジューンはそれに目を眇めて言葉を続けた。 「この地がクリーチャーに蹂躙されたのは世界計の仕業。人よりも劣化イグジストの方が願いを叶いやすいゆえ迷わず選んで憑りついた。百田様からいただいたメール、確認しております。魍魎皮剥ぎの話も興味深く拝見しました。私は出来るがきりお手伝いさせていただきます」 今回の騒動に対して以前から交流があった百田からメールを受けたジューンはこのもっとも危険な依頼を受けることにした。それは百田のインヤンガイでの活躍もいくつか耳にし、今回の依頼のための作戦についてもあれこれと指示をくれたのが大きい。 それに二人にはとっては頼もしい能力者のジャックがいる。 ジャックはインヤンガイにつくと敵の攻撃と黒蝶を警戒して、自分、そして二人を一mのサイコシールドに包み込んだ。 「オイ、そろそろつくぜ、ジューン、テメェは俺が支配してんだわってンな?」 「はい。ジャック様」 「ハン、俺が霊力使えねえッてンなら、電気人形のジューン、お前を使えるのは雌犬じゃねェ、俺だッ」 完全電子機器制御でジャックはジューンの行動を把握していた。 「ヨシ、結界内でもシールドは張れる。いいゼ十三。俺がぶっ殺したいのはフェイを殺した奴だ」 三人は結界の前で泳ぐ無数の黒蝶のなかに突撃した。 百田の雹王及び炎王召喚が結界を、火燕を大量召喚して黒蝶を攻撃、ジューンは雷撃を放つ。 そうして開いた穴にジャックは飛び込み、さらにバリアーを張って二人が入れるように手伝った。 結界内にはいると、百田は幻虎と鳳王によって空中移動をする。ジューンは百田に助けられ、ジャックは加速と浮遊による空中固定をして百田の移動を助けた。 空中には多くの黒蝶がいた。 そのなかに突っ込むにはジャックのシードルと百田の式神の守りではあまりにも心持たなかった。 「あ、ああ!」 ジューンは機械であるがそのシステムを黒蝶は蝕んでいく。空中に飛行能力がない彼女はあまりにも無防備であった。 「く、なんということだ」 黒蝶は囁いて、すべてを飲み込んでいく。 ジャックの雷撃と式神で反撃するが、それすら黒蝶は飲み込むほど大きかった。あまりにも三人は目立ちすぎ、無防備すぎた。 強化、 強化、 強化!! 静寂のなかに高らかに言霊使いの声が響き、蝶がさらなる力を持って襲い掛かる。 「お前たちは風に揺れる木の葉のように頼りなく、柔らかな風船のように脆く崩れる、脆く壊れる,脆く堕ちる!」 言霊は声が届けば効果がある。三人の微妙なバランスを奪うには十分な力を発揮した。 次の瞬間、三人の左胸を的確に狙った弾丸が弱まったシードルを打ち抜いた。さらに式神を何発にも及ぶ弾丸が木端微塵にした。 とっぷり、大量の黒蝶に絶望を与えられながら、三人は落下した。 ★ ☆ ★ ロウ ユエは唄を聞いたきがして小首を傾げた。 今のは、誰だ? 風が吹いて白髪を揺れるのに思案を打ち切る。キサが逃げたと聞いたとき疑問が浮かんだが、それを悠長に考えている時間はない。 ロストレイルを降りた際に隆樹とは一緒になったが彼は地下を行くと口にしたのにユエは地上から行くことを選んだ。 地下は未知数すぎる、それならば地上にいる敵を倒しながら進むほうが自分には合っている。 出来ればキサのいる場所で再会できればいいと口にすると隆樹は肩を竦めた。 「可能性は多いほうがいい」 その通りだ。 ユエは己を起点に痕跡消去展開維持して進みだす。警戒するのは言霊使いと黒蝶だ。 言霊使いのボスには以前、手ひどい裏切りを受けただけに一番警戒していた。 慎重にユエはキサのいる建物まで進むと強制変異を発動した。すべてを化石化することで監視カメラから敵に自分の情報が行くことを妨害するためだ。 ぱんっと爆発音。 「!」 咄嗟にギアの剣を出して意識を集中する。 空 間 転 移 ! 銃弾はユエに触れる寸前でまるで鏡のなかを通ったかのように撥ねかえって、狙撃者を倒す。 ユエははっと背後からの気配に振り返った。 「……蝶の主か」 ユエの前にスーツ姿のおどおどとした優男が立っていた。 「ええっと、そうなんですけど、え、狙われてます? うーん、戦闘、苦手なのになぁ。煉火さんは別の用事でいっちゃったしな」 緊張のない男にユエは目を眇めた。 「……君のボスに会った事が有る。見た目に騙されると痛い目を見る典型的人物だったな」 「ボスですか、それは、大変でしたね。では、気はすすみませんが、お相手しますね……私の腕は鋼の如く、脚は疾風のごとく……っ、強化、強化、強化!!」 恭一郎が口から発する腹の底から声が空気を振動させるのにユエは素早く斬りかかる。 ユエに恭一郎は素早く飛び、間合いを詰めてきた。 がつん! 剣と恭一郎の拳がぶつかりあう。 ユエの剣は月光の如く淡い光を放ちながら闇のなかで踊るように流れる動きにたいして恭一郎は言霊で強化した肉体で撃ち返し、叩き、蹴る。 二人の目にもとまらぬ攻防戦は闇のなかにいくつもの火花を散らす。 一撃、一撃の重みに剣が揺れ、ついに恭一郎の拳に大きく上へと飛んで腹部に隙が出来たのにユエは咄嗟に剣を捨てた。その行動に恭一郎は瞠目した。 「はああああ!」 素手を伸ばしてユエは殴りかかった。その細見で想像できない怪力が恭一郎の肩を抉った。 「っ!」 「言霊で強化していないところ以外は弱いということか」 吹き飛ばされた恭一郎は大量の血を流しながら抉れた己の肉体を一瞥し、言葉を紡ぐ。 「否定、否定、傷を否定する。その存在そのものを否定する!」 傷が黒い曇によって消えていくのにユエは目を眇めて、加速と風の強化をつけて目にもとまらぬ速さで恭一郎の前に飛び出した。 「!」 恭一郎が声をあげる前に、その顔に手刀を叩きこむ。 ぐしゃりと手のなかにいやな感触がしたがユエは顔色一つ変えなかった。 蝶がゆらゆらと空中に頼りなく揺れて儚くも消えていくが、数羽はしぶとく残ったまま漂っている。言霊は主がいなくなっても残った言葉の残滓からなかなか消えてはくれないようだ。 しかし、それが結界内にいるのもどんどん減っているのはわかる。 隆樹も侵入に成功したようだとユエは悟ると、すぐにギアを掴んで走り出した。 「結界を抜ける必要があるが……煉火はどこだ」 ウガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンンンンンンンンンンンンン! なにか、ひどく不吉なもの悲鳴にユエは震え上がり、意識を乗っ取られるようにして立ち尽くしていた。 それはどれくらいのことか。 「私の名を呼んだのはあなた?」 いつの間にか目の前に黒い女が佇んでいた。 「次に業火に焼かれるのはあなたなの? せっかく眠っていたのに、たたき起こして、かわいそうに」 「お前が、煉火」 ユエの言葉に、煉火は静かに小首を傾げて微笑んだ。 ★ ☆ ★ ヴェンニフ 隆樹は地下を進んでいた。 インヤンガイに到着し、街に入ったあとすぐに力がどれほど抑えられているのか確認した。 未知の敵だけに慎重になる必要があった。 幸いにも精神能力に対する威圧はあるが、それ以外はとくにない。ロストレイルを出たときユエとはキサを見つけ次第ノートで連絡をとると約束してある。 「いいな」 『わかってますよ』 影龍は気軽に請け負ったが、いまいち信用できないと黒い泥のような目で睨む。 キサについては勝手をしたのを考えれば一発ぶん殴ってやりたいと思う。それにヴェンニフが反応した。 『クラってもユルサレますよね?』 「やめておけ。何が起こるか分からん。傲慢だがどんな世界も護るって決めてるんだ」 ここまでの力を有している存在を喰らった場合自分もそうだが世界に対する影響を考えると空恐ろしいものがある。 『イグジスト、なれるかもしれませんよ?』 意地の悪い誘惑にヴェンニフがにちゃあと裂けた口で笑う。まるでなにもかも飲み込むような口だ。 「それじゃ、駄目なんだ」 自分の力で、イグジスト化しないと。 地下の暗がりは敵もそうだが、自分たちの、とくにヴェンニフの力は味方をしてくれるはずだ。分裂してヴェンニフが先行するあとを隆樹はついていく。 鼻を覆いたくなる臭い道。 そのなかをヴェンニフは揺れる闇の龍となって進み、それと出会った。 「あれは」 鋭い二腕の牙を持つ獣が獲物を見つけると猛然襲い掛かってきた。 「!」 ヴェンニフが口を開いて襲い掛かるのをそれは引き裂く。影龍のヴェンニフにはさしたるダメージはならないのに隆樹自身はここに潜る際に考えた最短ルートを辿ることだけを考えて影を足につけ、それで横壁に足をつけ駆けていく。 振り返ったカンが隆樹を狙う。 「ヴェンニフ!」 カンの背後からヴェンニフが再び襲い掛かるのに隆樹は天井に足をつけ、そのまま駆けようとして目の前にカンがいた。 「!」 カンの爪は隆樹の胸を突き刺そうとするのに両腕を盾にして防御すると、もう片方の牙が器用に隆樹を掴み、空中で体を捻ってヴェンニフの開いた口のなかに放り投げた。 『…このままクラッていいですか?』 「おい」 『冗談ですよ』 ぺっとヴェンニフは隆樹を吐き捨てる。 「超高速3次元軌道鬼ごっこってところか」 だが、幸いにも、これで先に行く道を手に入れた隆樹はカンとの睨みあいをすぐさまに放棄して、背を向けて走り出した。 それをカンは追いかけるのにヴェンニフが飛びかかった。 隆樹はとにかく走った。最短ルートはすでに頭の中にある。何度もロストレイルに乗っているとき、シュミレーションした。 ヴェンニフが声をあげ、カンも吼える。 人、というよりも完全な獣の殺し合いだ。 唸り声をあげてヴェンニフは顎からどろりとした己の影の血ともいえるものを放つ。それはじわじわと地下の影を飲み込んで、ヴェンニフの一部となっていく。 ヴェンニフが傷を負うことを躊躇わず、あえてカンの攻撃を受け続けたのはこのためだ。 それは侵食、もとい食事。 カンは気が付くと後ろにさがり、じりっと腰を低くするが、そのときにはなにもかも手遅れだった。 どろり、どろり、どろり。 影がすべてを闇に包み込む。 にちゃあああああああああああああああああああ! 『 貴 様 が 鬼 だ と 思 っ て い た ら 大 間 違 い だ !』 黒い影がすべてを飲み込んだ。 隆樹はようやく梯子のあるところまでくると、背後からヴェンニフの気配がしてみると、身体に巻き付いてきた。 『聞いてくださいよ、爆弾、仕掛けてあったんですよ』 ヴェンニフの満足げなげっぷを隆樹は無視して上にあがり、手で蓋を押しのけて飛び出した。 さわり、さわりと蝶が踊る。 『これはクラってもいいですよね?』 「好きにしろ」 ヴェンニフは嬉しげに口を開いた。 その間に隆樹は深呼吸して失った魔力の回復をはかる。蝶を食べつつもヴェンニフがビル内の影に同調し、キサの場所を探すはず、 ウガアアアアアアアアアアアアアアアアアアアンンンンンンンンンンンンン! 眠っていた獣が悲鳴をあげ、ビルが大きく揺れた。 ★ ☆ ★ 百田の護符によって三人は無事であった。それでも無傷とはいえないがジャックは自己回復を、ジューンは 「私の体内融合炉は非常時のコロニー電源を兼ねていますので高速回復可能です」 百田は鍛えた巨体をややひきずりながら式神を使って、建物のなかにいる化け物を見つけることに成功した。 「行くゾ!」 「はい。ジャック様、必要でしたらどうぞ」 ジューンは恭しく出したのは自分の荷物――爆弾だ。 「イグジスト相手の体内を露出させるためにこの程度は必要と考えます。先ほどの衝撃でも無事でした」 「テメェが持ってろ」 「よろしいのですか?」 「ああ」 ジャックは加速でジェーン、傷ついた百田を庇って移動した。 ビルの奥。 霊力エネルギーを集めるためのタンク。そこに化け物は眠っていた。 「貴女がそこに居る限り、陰陽街で人が殺され続けます。貴女の大事なムシアメもエクもマスカダインも理沙子もハワードも。それが嫌なら自力で出ていらっしゃい。貴女ならできます」 「キサ、出てきてくれ。これ以上お前が世界を苦しめるな。お前は自分で出て来れる!」 ジューンは手刀を放つのにジャックは距離をとってゲイル、ライトニングを放って援護するなかで百田の太い声が響く。 百田はジャックの背後に控えていたが、傍らには式神がいた。もしキサが自分たちの声に応えなければ、それはもうただの世界の敵として殺すしかない。式神をキサにふづけて首を式神で斬り落とす覚悟だ。 「いきます!」 タンクを破壊し、そのなかの化け物に接近したジューンが手刀で作った傷に爆弾を叩きこむと素早く逃げ ――馬鹿な人たちね いつの間にいたのか、黒い女が部屋のなかにいた。 彼女は片手に化け物に埋め込まれた爆弾を持つと大きく振りかぶると投げた。ジャック、ジェーン、百田が慌てて逃げようとすると見えない壁によって阻まれた。 それも結界は三人と爆弾を包んで、小さな透明な箱となる。 「御返しするわよ」 三人を巻き込んで爆弾が爆発する。 結界のなかが紅蓮は燃える。 百田が咄嗟に式神の氷によって相殺を狙おうとしたが無駄だった。ジューンは爆弾を二つ、もってきていた。その一つをまだ持っていたことがさらなる炎を呼んだ。 爆破の紅蓮はまるで煉獄の炎のように、三人を舐め、焦がした。 己らで持ってきた炎から必死にわが身を守ることしかやりようがない三人に煉火は冷やかな視線を向けた。 「やっぱり、お強いからこの程度では死なないわね? 結界はそのままにしておくから、せいぜい、御頑張りなさいな」 煉火はため息をついた。 「あら、困ったわね。先ほどの攻撃で起きてしまったわ」 眠っていた化け物は口を開いて声をあげた。 世界の敵が目覚めてしまった。 ★ ☆ ★ ユエは煉火と向き合い、剣を構えた。 「業火に焼かれるのは御免被りたいな」 「まぁ、人をまるで炎のように言うのね」 煉火は微笑んだ。 「私は、確かに煉獄だけど、炎をもってきたのはあなたたちよ。私はそれを利用しただけ。あなたはお強いのかしら? 見せてちょうだい」 煉火が笑って間合いを詰めるのにユエが剣を振り下ろした。 ぱんと煉火は片手で剣を叩いて軌道を変えた隙をついて懐に潜り込むと、掌打でユエを撃つ。ただの打撃だと思ったが、それは骨を振動させて、胎内で凹んだ骨が肺を圧迫し、呼吸を苦しくさせた。 「っ」 ユエの隙をついて煉火は片足をあげて回し蹴りを放つのに剣を盾として脂汗を滲ませながらユエは防御すると、あいている片腕を伸ばして煉火の体を掴もうと試みた。煉火はバックステップを踏んで距離をとる。 体の痛みが強烈に押し寄せてくるがユエは笑った。 「強烈な挨拶だ」 「やせ我慢なさらなくていいのに」 煉火が唇を釣り上げる。 「お辛いでしょうに、己の体が与えるダメージって、あなたたちみたいな特殊な人にはわりと有効なのよね」 「っ」 「まだ、がんばるの?」 「キサを、助けにきた」 低く、掠れた声でユエは吐き捨てると拳を握りしめて自分を打った。体内でごきっと骨の砕ける音がする。 「っ!」 血を吐いて、ようやくまともに呼吸が出来たのにユエは荒い息を整える。 「まぁ、自分を傷つけて回復するなんて、素敵ね」 「っ」 加速と治癒を合わせて高速に砕けた骨を回復するがそれでも激しい痛みが伴うことに変わりはないが、ユエは痛みを一切無視して低く構えると踏み出した。 加速した状態での拳の一撃は、煉火を打つことはなかった。 結界だ。 煉火は素早く足払いするとユエの首を掴んで地面に叩き付けた。 「!」 ユエにのしかかった煉火はさらに笑みを深くした。 「ごめんなさいな。私も、負けられない理由があるのよ」 「それは、こちらもだ!」 ユエは煉火の肩を掴んで力の限り引き裂いた。煉火の肉体から血肉が飛ぶ。それに煉火は楽しそうに声をあげて、ユエの首を絞める力を増した。 「く、おおおおおおおおおお!」 ユエは声をあげ、全身の力のまま煉火の顔を目指して拳を叩きこむ。拳が結界に弾かれたが、それに抗い、力を増してぎりぎりと拳を押す。手の皮が結界との摩擦に切れ、血が飛ぶ。 そのとき、みしっと結界が音をたてて割れ、手が届いた。 ユエの頭が真っ白になる。それほどの強烈な力が内側から生み出され、煉火を叩きつぶしていた。 「っ、はぁはぁ」 ユエは気が付くと蹲っていた。見ると横に女の死体があるを発見し、煉火を倒したのだと理解するとすぐに己の肉体に回復を施して、立ち上がる。 結界は消えた。 「キサが……ノートに、連絡がきているな」 ふらふらとユエは歩き出す。 ★ ☆ ★ 隆樹がたどり着いたとき、そこは地獄と化していた。 無遠慮な業火が化け物を包み込み、吼えさせる。傍らには倒れているジューン、百田、ジャック。 うがぁああああああああああああンンンンンンンンンンンンンンン! 化け物は完全に目覚めて声をあげているのに隆樹は舌打ちした。これでは化け物に近づいての攻撃は危険すぎる。 「厄介だな」 いつでも最高にして最強の一撃を放てるようにと片腕に魔力を溜め、ギアを握りしめているが金色の目をしたチャイ=ブレを彷彿させる化け物は全身から怒気を滲ませ、隆樹を睨みつける。 『近づけませんね』 「このでかさなら、隙をついて一撃いれれば勝機はあるんだが」 ノートに連絡をいれたが、ユエは来るだろうか。 燃える炎のなか、隆樹は油断なく化け物と睨みあっていた。化け物はその巨体ゆえに動けないようだが、下手に近づけば喰われ、そうしたら最後、死ぬことになると本能的にわかる。 「隆樹!」 「ユエ」 背後からの呼ぶ声にちらりと横目を向けると血に染まったユエが近づいてきた。 「大参事だな」 「ああ」 「あれのなかにキサはいるんだな?」 「たぶん」 二人は短い会話を交わす。 「……呼びかける」 「本気か?」 「キサとは面識がある。少しは通じるかもしれない」 「僕が、その間に取り出す役目か」 「ああ。頼む」 ユエは短く言い返し、隆樹の背後からゆっくりと前に出た。化け物が唸り声をあげて、紫色の触手を伸ばしてくれるのに剣で防ぐ。 この化け物の痛みはキサも感じているのだろうか? 飲み込まれたというならば、そうだろう。 「キサ!」 ユエは声をあげた。出来るだけ化け物を傷つけないようにと、化け物の攻撃を避けて距離を詰めていく。 「キサ! ……迎えに、きたぞ。俺達と帰ろう」 ユエは剣をおろして、手を伸ばして、笑った。 その笑みの優しさに化け物が一瞬だけ動きをとめたのに隆樹が高く飛び、化け物の上に乗ることに成功する。 「……キサ! 成長した今ならわかるだろ。その破片はお前にはいらないってこと。拒絶しろ、いらないと思え。僕が、ヴェンニフが抜き取ってやる。それが、お前にも、この世界の為にも良いってこと、理解してるんだろ。強く思え。破片は要らない、と!」 隆樹の放った渾身の一撃は黒い影を散らしながら化け物を乱暴に突き、そこからヴェンニフがなかに侵入していく。 ヴェンニフはキサを見つけ出した。 あたたかな化け物の胃袋のなかで十六歳の少女は半分溶け出していた。それを影龍は優しく包み込む。まるで揺り籠のなかの赤ん坊を抱くように。 いや ひどいこと、したわ。 私、ひどい、ことを 影が少女の脳に伸びて、破片に触れようとした瞬間激しい抵抗にあった。 ――声が聞こえたでしょう? 少女は迷う。まだ迷っている。 私は、みんなといたかった。消えたくない、私は……苦悩に満ちた声が繰り返す。 私はキサの願望から生まれた。私は生み出す力だから、キサのために生まれた。キサの望みを叶える。 けど、 生み出した仮想人格が自我を持ち始めての最初の主張。 こんなこと望んでいなかった。 誰かが傷ついた 世界がひどいことになってしまった 自分勝手な望みを抱いた化け物に利用されてしまった ――このままだと、外にいる人たちは死にますよ 影龍は容赦なく語る。 ――出ましょう 少女は肉体から抵抗の力を抜いた。 影の揺り籠はゆらり、ゆらり、そして大きく揺れて、その勢いで化け物の胎内から飛び出した。 うがぁああああああああああああああああああンンンンンンンンンンンンンン! キサを奪われた化け物は最後の抵抗とばかりに叫びあげて体を左右に振って暴れるのにユエが踏み出してギアの剣による強烈な一撃を叩きこみ、隆樹はヴェンニフを腕に戻し、キサを抱いてその場から離れた。 「……っ」 キサはぐったりとしたまま隆樹の腕に抱かれていた。 世界計の破片を宿していたとしても、その力は無限ではない。奪われ続けた生命力と、化け物を通して受けた激しい激痛はキサを蝕み、死人のような顔色にした。もしこの状態で攻撃を受ければ世界計を有していてもキサは容易く死ぬことになるだろう。 「キサ!」 駆け寄ったユエにキサは虚ろな視線を向ける。 「私、私ね、ひどいことしたの。ひどいことを、私は自分が消えたくなかった。だから、逃げた。キサの望みを否定した、そんなこと、私はしちゃいけないのに、私は、キサのためにいるのに、けど、けど、もっといたかった、みんなと」 ユエは目を細める。 「私は、得て失うことが怖い」 それはユエがターミナルでキサに聞かれて、強さを語ったときの帰り道にたまたま耳にした彼女の独り言。 「なら俺が願う。お前の力は生み出すものなのだろう? それで器を作れないのか? 屁理屈だろうがなんだろうが、今のキサを生かすように出来るんじゃないのか」 「おい」 隆樹が顔を顰めて止めた。 「俺たちが言われたのは破片を持ち帰ることだ」 ユエが言い返す。 「ちげえだろう? そりゃあ」 自己回復したジャックが起き上がった。 「オイ、針が欲しいならくれてやるゼ、隆樹。コイツの頭からぶちぬいてやればいい。こんなことになったのはコイツのせいだろう? たったら責任とるべきだゼ。インヤンガイにこいつの名前を広めて、こうなったってナ!」 ジャックはにっと笑うとすでに煉火の結界の力が消えた状態なのをいいことにキサの背後に転移して、雷撃をためた拳をおろそうとしてきたのにユエがキサを抱いて後ろに下がった。 「邪魔ならてめぇを転移さりゃあいいか?」 「っ、破片を奪うにしても、まだキサは選んでいない。それに責としても、身勝手な咎めを我々が彼女に課すのは違うだろう」 「ユエ、いいよ、もう。私がしたことは許されないもの。ジャック、原因はキサじゃない。欲にまみれた力の塊である私のせい、キサじゃない。そこを間違えないで。私は、私で責任をとる」 キサはジャックに言い返すと、はぁと息を吐いて弱弱しくユエの腕にしがみつく。 「ユエ、ユエ、あのね、嬉しかった。迎えにきてくれたの。ねぇ、わがまま、さいごの、お願い、キサじゃなくて、私のこと、迷惑かけたけど、覚えていて、くれないかな。私はキサに人生を返す。命を返す、それが私のとれる責任で、消えることが義務。けど、ユエ、覚えていて、お願い、ターミナルの日々、楽しかったから、誰か、一人でいいの、そしたら、満足だから……ひどいこと、いっぱいして、ごめんなさい、傷いっぱい、作らせて、ごめん、なさい、……嫌ってもいいよ、けど、おぼえ、いて、私のことを、お願い、おねがい、ごめんなさい」 キサは嗚咽を漏らしながらユエの腕のなかで光となる。それは二つに別れて、破片と、そして赤ん坊になった。 その赤ん坊の頭上には真理数が浮かんでいた。 「キサ」 ユエは腕のなかの赤ん坊を見る。 「破片も回収できたな」 隆樹が呟く。その横にはジャックがフンと鼻を鳴らした。 ユエは破片とキサを抱いて建物から仲間たちと外に出ると、朝日が眩しさに目を細めているとそこに駆けつけてくる影を見つけた。 「あれは……エダム?」 ターミナルにいるロストナンバーの一人だ。今回の事件である街区に行ったはずだが。 「キサ殿は無事ですかな? 他にも駆けつけたい者が何人か、ノートから連絡がきてましたが……儂が一番のようですな」 エダムの言葉にユエは赤ん坊を抱く手に力をこめる。ほら、こうして心配している者がいるじゃないか。ターミナルでの日々は無駄じゃない、作った絆も。 「ここにいる」 ユエが差し出した赤ん坊をエダムはそっと抱きしめる。そしてすべてを悟った顔をして、こわごわと腕を伸ばして赤ん坊を大切そうに抱きしめた。 「……っ、帰れるのですな。大丈夫、どんな姿になっても儂や、仲間と過ごした時間がなくなる訳ではない。寂しがるな」 エダムの言葉にユエはゆるく頷いて、手の中の破片に目を落とす。 「そうだ、なくなるわけじゃない。お前の残した気持ちも、思い出も」 朝日がすべてを照らす。 長い、夜が明けた。
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