ヴォロス某所。 そこは、深い深い森の中。その更に奥深くに、薔薇の茂みがあった。そのつぼみは、どれもこれも深い藍色をしている。(漸く、ここまで増やす事が出来た……) 痩せた男が、瞳を輝かせつつつぼみに触れる。ふと、顔を上げれば洞窟が見えた。この洞窟には魔術によって深い眠りについている人々が数多く眠っている。(皆、もうすぐだ。もうすぐ、病は治るよ) 昔、この周辺で奇病が発生した。それは、徐々に声が出なくなり、次に視覚や聴覚を失っていく。そして、最後には五感全てを失い、体が石になっていく、という物だった。 原因は、長い間分らなかったものの、15年たって漸く別の土地から流れてきた猛毒のキノコの胞子である事が分った。生き残った人々はそれらを殲滅し、特効薬を探した。 その特効薬となったのが、原因となったキノコが嫌う、藍色の薔薇だった。しかし、それを育てるには長い年月が必要だった。 その間にも多くの患者が死んでしまった。薬が判明してからは、治験者となると決めた者以外が魔法の眠りに付いた。こうしている間は病の進行が止まる事が分ったからだ。 ここまでくるのに、病の発生から50年経ってしまった。男は、家族を、友を救うため、何人もの戦友を失いながらも研究し続けていた。 そして、その成果が漸く現れたのだ……!「……っ」 男は、痛む咽喉を押さえながら薔薇を見た。彼もまた、病に犯されていた為、声を失っていた。研究の為にキノコを採取した際、感染した為だった。 彼は自分の体を検体とし、薬の効能を試していた。副作用で食事が取れない事もあったが、今ではどうにか聴力と視力を取り戻す事に成功していた。(漸く、皆の分が作れるぞ。私も、あと少しの間飲み続ければ声を取り戻せそうだ) 彼は一輪の花に手を伸ばす。そして、にっこりと微笑んだ。 ……その奥で、青白い光を放つつぼみがあることに気付かないまま……。******************** ――0世界・司書室「今回は、ヴォロスへ赴いていただきます。皆様には、暴走しそうな竜刻を回収していただきたいのです」 全長150cm程の、ミミズクのような世界司書が、集まったロストナンバー達にそういった。なんと、藍色の薔薇の一輪が、竜刻となっているらしい。「奇病の治療薬として育てていた薔薇の一輪で、他の薔薇より一回り小さいつぼみだから、直ぐに見つかると思います。 けれど、今回はちょっと手強いかもしれませんねぇ……」 世界司書はすこし心配そうな顔で呟きながら『導きの書』を捲る。 そもそも、その薔薇は治療薬として育てられたものである。研究者達としては、1輪とも無駄にはしたくないだろう。たとえそれが竜刻になったとしても。「暴走するかもしれない、と解れば考えるかもしれません。けれども、研究者の1人、アルスさんは人一倍思いいれが強いようで説得が必要でしょう」 また、沢山の薔薇がもうじき咲くらしく、そうなれば新鮮なうちに摘み、天日干ししなくてはならない。 唯でさえ人手が足りないようで、生き残った研究員たちは近くの村から応援を頼もうとしているようだが、人の集まりが悪い。新たに罹る人がいなくなったとはいえ、奇病が怖いと思う者も未だ多いようだ。「なるべくですが、薬を作るのを手伝ってください。彼らだけでは恐らくかなりの時間が掛かってしまうでしょう」 製薬の心得がある人がいると、さらに心強い、と付け加え、ミミズクは『導きの書』を閉ざす。「もし、見過ごしてしまえば魔法で眠っている人々を含め、70人から80人もの人が暴走の犠牲になります。あたり一面が焦土と化すでしょう。 病が治る事を夢見ている人たちの為にも、彼らの為に命を懸けてきた人たちの為にも、宜しくお願いします」======注意※このシナリオは、ナラゴニア襲来以前の出来事として扱います。======
起:花園の竜刻 「これは……」 コンダクターの老紳士、ジョヴァンニ・コルレオーネは眼前の光景に目を見張った。青々と生い茂る薔薇の葉に、藍色の蕾がいくつもついている。壱番世界ではお目にかかれないような光景に、彼は息を飲んだ。 彼を初めとする6人のロストナンバーたちは、問題の竜刻がある森へとやってきた。そして、奇病の特効薬となる薔薇を見たのだが……藍色の薔薇は、確かにインパクトがあった。 「オレとしちゃ奇病の原因より、コレの出所の方が気になるんだが」 肩をすくめたのは小柄な豹の獣人。ツーリストのマフ・タークスだ。竜刻が原因でこのような色なのならば、皮肉なような気がしたからだ。 「そこの辺りも研究員から話を聞いてみようゼ。今は、説得が先ダ」 いつになく真面目な顔で答えるのは緑色の瞳を細めたジャック・ハート。彼はバンダナで口元を覆いながらそっとあたりを見渡し、妙に静かな事に違和感を覚える。が、研究員たちも病を患っている事を思い出せば、ありえることだな、と納得した。 「まずは、収穫の応援として入らないか?」 白い髪を揺らしつつ提案したのはハクア・クロスフォード。その方が研究員たちもとっつきやすいのではないだろうか、と考えたようで、他の面々もそれに賛成する。 話し合いながら歩を進めるうちに、研究所へ到着した。ここの更に奥には、薬の完成を夢見ている者たちがいるのだ。 「同じ病が私たちの故郷でも……というのも考えたんですが、ダメですよね」 「私は、嘘をつきたくはないわ」 聖衣の裾で涙を拭う仕草をしつつヴィエリ・サルヴァティーニが呟けば、金色のツインテールを揺らしてセリカ・カミシロが首を振る。彼女は長年努力を重ねてきた研究員たちに対し、正直に竜刻の事を話したい、と思っている。 「そうじゃな、ハクア君にコンタクトを頼もうかの?」 ジョヴァンニの言葉に、ハクアは頷く。一行は気を引き締めて研究所のドアを叩くのであった。 「旅の方でしょうに、ありがとうございます。皆様は、そちらの方のお弟子さんですか?」 掠れた声で、研究員が礼を述べ、問いかける。どうやら彼はジョヴァンニを医者か竜刻使い、他のメンバーをその弟子だと思ったらしい。それをやんわりと否定すると彼は申し訳ありません、と苦笑した。 彼の話によると、病の影響を受けていないのは最近外部から研究に来た2人だけで、視力を失っている者が3人おり、彼らを含め殆どの研究員が声を失っている、という。 「私は、辛うじて、話す事ができます。が……」 途中で何度も咳を繰り返すため、セリカが止める。苦しげにぜぇぜぇと呼吸する姿を見ていられなかったからだ。彼女は筆談しましょう、と提案し、彼も頷いた。ヴィエリが紙と筆を用意し、それに研究員は説明を書いてくれた。 彼の説明によれば、薔薇の収穫は明日の日の出前から行われる、という。しかし、人手が足りず、困っているのだそうな。 (竜刻の回収も大事だが、そっちも気になるナ) ジャックがふむ、と顎をひと撫でしているとジョヴァンニが小さく呟く。 (そっちについては考えがある。まずは、アルス殿と話をせねば) そうだな、とジャックは彼の言葉に頷き、ハクアに合図を送る。そして、「責任者と話したい」と聞けば、研究員は「アルスさんですね」と返し、研究所の奥へと一行を案内した。 6人が研究所の奥へと通されると、より広い薔薇の茂みがあった。その奥深くで、一人の男が薔薇の蕾の様子を見ている。研究員が筆談で話しかけると、彼は一つ頷いて6人の前にやってきた。彼は、とても丁寧な字で 『ようこそ、おいでくださいました。この度は収穫の手伝いに来て下さり、誠にありがとうございます。私が、責任者のアルスです』 と返してくれた。一行もそれぞれ挨拶をする。 「製薬の心得がある者もいますので、少しは力になれるかと思います」 ヴィエリの言葉に、アルスは表情を和ませる。厳しそうな銀の瞳が、僅かにだが優しく見えた。 『そうですね。研究についても説明しておきましょう。皆さん、こちらにどうぞ』 と、アルスは紙に記す。一行は案内されるがままに部屋に戻り、製薬所らしき部屋の前を通って資料室へと案内された。 アルスによって提示された資料は、薔薇のサンプルや薬の作り方、果ては治験の結果などのグラフやらレポートなどいくつもあった。すべてを読みこなすには時間がかかる、との事でレジュメをもらったが、それだけでも並々ならぬ苦労が伺えた。研究について資料を見たかったマフとしては願ったり叶ったりであり、熱心に読み込んでいく。 「天日干しした後に磨り潰して、シロップと混ぜるのか」 『ええ。それもシロカエデの樹液を使わないと効果が発揮されません。あと、ハッカを混ぜる事によって喉のつかえと副作用を抑えることが判明しました』 彼の問うにアルスが嬉しそうな顔で答える。彼曰く吐き気などの副作用が出、それを抑える方法を探すのに苦労したという。その話を聞き、セリカはより表情を厳しくする。 (どうにかして、患者さん達を治せたら……) どうやらかなり感情移入しているらしい。僅かに焦っているように思えたジャックはそっと彼女の肩に手を置き、そっと囁く。 「!」 「そんなに焦んなヨ。俺様たちがいるんだからよ」 セリカの様子に気づいたのだろう、ハクアもひとつ頷く。よく見ると僅かに微笑んだように見えた。それに少し安堵したのか、彼女の体から少し力が抜けたように見えた。 一方、ジョヴァンニはちらり、と竜刻があるという薔薇の茂みに目をやった。暴走まで、あと数日の時間がある、と司書は言っていたが早く回収しておいた方がいいだろう。 (問題は、説得に入るタイミングじゃな) 彼がちらり、とマフとヴィエリをみやると二人もまたそれを考えていたらしい。そして、何か思いついたのだろう、ヴィエリが顔を上げた。 「アルスさん、あっちの方も行ってみたいのですが……」 『そろそろ収穫が出来そうなんです。是非、見てください。仕事はここから始めますから』 アルスは笑顔で応じ、一行を案内する。問題の竜刻に近づく中、一行は僅かに緊張の高まりを覚えた。 森に抱かれた青き薔薇の園。その幻想的な風景に一同は思わず息を呑む。確かに、入口にも藍色の蕾をつけた薔薇はあったのだが……。 「見事な薔薇じゃ。……努力の結晶じゃの」 ジョヴァンニがため息混じりに言う。その傍で、セリカが何かを見つけた。茂みの奥で小さな蕾が僅かに光ったように思えたのだ。 (見つけた。多分、あれが竜刻……) (本当ですか?!) ヴィエリと顔を見合わせている間にも、ハクアがアルスの傍に趣いた。 『何でしょう?』 「俺は魔法が使えるのだが……先ほどから、強い力を感じる。恐らく、竜刻の物だ。それも、暴走しそうな……」 その言葉に、アルスの表情が凍る。探しても良いか、と問うと彼は息を飲み、ゆっくりと頷いた。それは、あたかも自分自身を落ち着かせようとしているようにも見えた。 6人で手分けして探し、探り当てたのはジャックだった。他の蕾よりも一回り小さく、開くまで時間がかかるほど固く結んでいた。 「ここに、ありました」 ヴィエリがアルスを案内し、それを見せる。と、彼は目を見開き、やがて泣きそうな瞳で薔薇を見つめた。 『これが、竜刻に……』 震えた手で花に触れ、アルスが唇を噛む。6人は目線を合わせ、そのまま説得に移ることにした。 承:努力と命を守る為に。 花に触れたまま、アルスは瞳を閉じた。色々と考え込んでいるのかもしれない。重い空気の中、最初に口を開いたのは、ジャックだった。 「ソイツを放っておくと、ここら一帯が崩壊しかねねェ」 「そうなりゃ、テメェらの長年の苦労が一瞬で消し飛ぶぜ。……そうなるのは、嫌だろう?」 マフが真剣な声色で付け加えるが、アルスは静かに首を振る。何故だろう、その顔に浮かんだのは、悲しみでも怒りでもなく、焦りだった。彼は書く事も忘れて声の出ない口を開き、その唇からセリカが翻訳する。 『確かに、水泡に帰すのは嫌です。けれども、薬にしてしまえば』 「薬にする前に暴走すれば、全て終わりだ」 マフが静かに否定し、アルスが厳しい目を向ける。このままではすぐに行動に出るかもしれない、と緊張が走る。 「色々な要因が重なって本来竜刻にならないモンがそうなっちまう事が、極々たまにあンだよ」 いつになく内心で緊張したジャックが、蕾を見つめながら説明する。そこで薬にした所で暴走しないとも限らない、と付け加えてジョヴァンニが静かに口を開いた。 「眠っている奥方や、息子さんがいる、と聞いた。病が癒えた家族までもが、それで命を落としたら君は自分を許せるのかね」 「……」 アルスは静かに顔を上げ、迷うような目で薔薇と6人を見比べる。流石に、家族のことを言われると、頑なになりかけた心も揺らぐようだ。 「皆、貴方がたの苦労を、多少なりとも感じているの。ずっと研究し続けて漸く光を見つけたという事も」 「短い時間で何がわかる、と仰りたいでしょう。でも、貴方の手や、研究員の皆さんの姿からも、伝わってきますよ」 セリカが切実な表情で思いを伝え、ヴィエリが穏やかに言う。特にセリカは病気の辛さの片鱗を知っている為か、どこか必死さが伺える。彼女の思いも、仲間たちやアルスの思いも感じつつ彼は「私たちの研究成果ですが」と言葉を続けた。 「これほど力を発している場合、暴走は免れません。ですから、どうか回収させていただけませんか?」 『暴走しそうな竜刻を、どうするんです?』 アルスが不思議そうに首を傾げるが、それに対してはハクアが『封印のタグ』を見せる。彼はそれを見せつつ説明した。 「これを使って、封印を施す。そうすれば暴走しない。薬にする事は出来ないが、ここを守る事ができる」 「先にこのタグを付けさせてもらい、最後にこの蕾を摘む、という事も出来ますね」 ヴィエリが頷きながら呟き、アルスは少し考えながら6人を見やる。ほんの少しの時間でのやり取りではあるが、アルスは6人の言葉を信じようとし始めていた。 「勿論、タダでとは言わねェ。代わりにアンタらの花の精製を手伝う。直径100mの間だけだが、アンタとアンタの仲間に一時的に視覚と発語の能力を貸す。動きのサポートもするゼ」 ジャックの言葉に頷き、セリカがアルスの手を握る。彼女も読唇術が得意な為、通訳ができるし、何より天日干しなどの労働も進んでやる所存だ。 「オレとヴィエリも製薬の心得があるから、ちょっとは手伝える筈だ。入る時にこいつが言った事は嘘じゃない」 と、マフがハクアを見つつ答え、ハクアも「ああ」と返す。そして、ジョヴァンニも少し考えている事があるらしく、アルスにそれを話した。 「それに、多数を生かす為に少数を間引くのが自然界の理ではないのかね。育成の際、そうして来ているであろう?」 『あ……』 重みのあるジョヴァンニの声にも、アルスが顔を上げる。確かに、薔薇が蕾をつけた頃、生育が悪い物を彼や仲間で積んだ事を覚えていた。僅かに、張り詰めていた空気が解けたような感覚が、セリカにはありありと感じられた。 「今、その病が治ったからって、終わりじゃないわ。何かの拍子で病原体が復活するかもしれないじゃない。……だから、未来に希望を残すため、これからも薔薇を育て続けて欲しいの」 セリカがアルスの手を握ったまま、そっと言う。そう、アルス達の子孫や大切な人達が苦しまないように、と彼女が竜刻の件を抜かしたとしても思っていた事を。嘘偽りない言葉に揺り動かされたのか、アルスの目には光るものがあった。 「竜刻を摘んだとしても、薬に影響はないだろう。それは、それはお前達の研究が示しているだろう。眠っている命と、お前たちの命の為に、決断してくれ」 「アンタ達が重ねた苦労を無駄にしない為にも、頼む」 ハクアとジャックの言葉に合わせ、全員が頭を下げる。それを呆然と見つめていたアルスであったが……彼はやがて、徐に頭を下げた。 『……皆さんならば、託せるでしょう。お願いします』 アルスの許可を貰い、先に竜刻へ封印のタグを施す。こうすれば、もう暴走する事はない。帰りに摘むのを忘れなければいいだけだ。 ジャックはセリカに通訳を頼みながら、そっとアルスへこう言った。 「実は、俺たちはそういう竜刻に暴走の予言が出た時だけ、それを封印するために回収してんだヨ」 ?くさいと思うかもしれねェが……と付け加えつつ様子を見ると、アルスは信用したらしく、そうでしたか、と頷いた。 『そのような方々がいらっしゃったのですね。初めて知りました』 それはそうかもしれない、とセリカは思った。自分たち世界図書館以外でこういった事をしている者を、彼女自身も見た事はない。 「そういえば、何処へ行くのだろう?」 ジョヴァンニがあたりを見渡しつつ呟き、ヴィエリも首を傾げる。説得後、自分についてくるように、とアルスは歩き出し、6人は案内されるままついて行っているのだが、かれこれ10分以上歩いている。 「ん? あれは……?」 最初に気付いたのは、マフだった。彼の視線の先に、重たそうな石の扉がある。その前で、アルスは立ち止まった。 『ここが、魔法の眠りについている者たちがいる部屋です。室温や湿度も常に過ごしやすい温度に保たれています』 彼の説明に、全員が息を飲む。もし、封印のタグが間に合わなければ、ここに眠る者全てが眠ったまま死んでいたのだ。 『貴方がたのお陰で、彼らの命も救われました。……薬が出来上がり次第、目覚めさせる所存です。ぜひ、立ち会って頂けませんか?』 アルスの問いに、全員が笑顔で頷いた。特にジョヴァンニは可能であれば立会いたいと思っていたので、その申し出はとても嬉しかった。 その日は収穫の準備を手伝い、宿舎の一角に泊まらせて貰う事にした。アルスは事情を他の研究員達に話し、全員が竜刻の回収に応じてくれた。また、旅人たちの手伝いが得られた事を心から感謝し、その日は細やかではあったが歓迎の宴が執り行われた。 「あれ? ジョヴァンニさん、どこへ行くの?」 食事の後、宿舎へ戻る途中にセリカがジョヴァンニを呼び止めた。彼は声の出る研究員と共に森を出ようとしていたのだ。 「ちょっと、考えている事があるのじゃよ。待っておれ、セリカさん」 夜は冷えるから、戻りなさい、とジョヴァンニはセリカに微笑んで歩いていく。彼女が仲間たちの所に戻ると、他のメンバーがジョヴァンニ達の行き先を教えてくれた。それに少し心配になりつつ帰りを待つセリカなのだった。 転:森に響く花摘み歌 夜の帳の中、ジョヴァンニは研究員と森を抜け、近隣の村々を安行していた。最初、村の人々は森から現れた二人を警戒していたものの、ジョヴァンニたちが健康である事を知ると、目を見開いた。 「この通り、儂はピンピンしておる。もう、病は新たに発生しておらぬのじゃろう? 向こうでも、酷い事にはなっておらぬ」 そう言いつつ、研究員が薔薇の鉢植えを取り出す。これは青い薔薇の事を知らせる為だった。ジョヴァンニは病の誤解や偏見を解き、収穫に協力してくれるように村の人々へ依頼をするため出かけていたのである。 「これが、収穫対象の薔薇です。漸く、特効薬となる薔薇が育ちました。明日にも収穫ができます。どうか、協力願えませんでしょうか? 勿論、お礼はさせていただきます」 「収穫を手伝えば、分け前が貰えるぞい。病が再流行した時の対策には、悪い手ではないと思うがのぅ」 備えあれば憂いなし、というじゃろ? とジョヴァンニが付け加えれば研究員も頷く。安行の話をした際、アルスは村々へも薬の配布を考えている事を話していた。嘘ではない。 2人の話に、人々はあれこれと顔を見合わせて話し合う。それを沈めたのは、ジョヴァンニとさほど変わらぬ歳であろう、老紳士であった。 「我々は、長い間誤解していたようだな。近隣の村々へ行くならば若い衆に伴わせよう。そして、私からも書簡を書く。これを見せれば、他の村の村長たちも、協力してくれるに違いない」 ジョヴァンニ達が最初に向かった村は、周囲の村のまとめ役だったようだ。彼の書簡のおかげもあり、2人の安行は概ね成功した。 ――翌日。 太陽が昇る前に起床した一行は、研究員たちと共に食事を取ると作業の準備にとりかかった。その準備が終わる頃にはジョヴァンニが回った村の人々が手伝いに来ていた。 「来てくれて、本当にありがとう」 アルスと共にジョヴァンニが彼らを出迎える。そして、今から行う作業について説明をし始めた。 「これなら、収穫も早く終わりそうだナ」 「そうね」 ジャックは集まった人々を見ながら満足げに頷くと、早速予め話していた場所に陣取り、力を発動し始めた。彼は研究員と自分を精神感応で繋ぎ、作業のサポートに回ることにしていたのだ。セリカもこっちの作業を手伝う。 「それじゃあ、私たちはこっちを手伝いましょうか、ハクアさん、マフさん」 「話によると、結構広いようだからな」 「それなら、ちゃっちゃとはじめるか」 ヴィエリとハクアがついて行ったのは、より広い薔薇の茂みだ。応援に来てくれた村の人々と共に薔薇を摘む為である。 太陽が登り始める頃、藍色の蕾が少しずつ膨らみ、開き始めた。この状態でて早く、丁寧に収穫し、天日干しをしなければならない。ジャックの念話のおかげか、研究員たちは久々の会話を楽しみながらもスムーズに薔薇の収穫を行っていた。 その間、ジャックは全神経を集中させ、視界や動作のサポートに専念していた。彼のサポートが及ばない『死角』は、セリカが対応して動く。 (今んトコ、順調みたいだナ) ジャックがあたりの様子を見ていると、脳裏にいくつもの歌声が聞こえてくる。その優しくも賑やかな声が、とても心地よかった。 花を摘め、摘め 籠いっぱいに 摘まねばならぬ コノノの薬 花を摘め、摘め 籠いっぱいに 風が走って 冬呼ぶ前に セリカも習ったのだろう、彼女の優しい声も混じって聞こえる。そして、それはもう一方の場所からも聞こえてきていた。 「これは何という歌なんだ?」 興味を持ったマフが問うと、村娘はくすくす笑って 「この辺りの花摘み歌です。本当は花茶を作るための収穫時に歌うんですどね」 と答えてくれた。近隣の村々では、この時期に咲く花を積んで茶を作っているという。それを思い出して、研究員たちや村の人々は歌いだしたのだろう。それを心地よさそうに手を動かしながら、ヴィエリも歌いだしていた。 (しかし……) そんな彼を、ハクアはちらりと見る。聖職者のような(実質、神父である)ヴィエリがちょっと気になっていたのだ。 しばらくして、ある程度花を摘み終わると天日干しの作業に映る。研究員たちが前々日から用意していた天日干し用の台に、村の人々が摘んだ花を万遍なく広げる。ハクアの提案で、交代しつつ休憩をとることにし、まずは研究員たちと村人の半分が休憩することにした。 「お疲れ様」 ジョヴァンニが、ジャックと疲れた様子の人々を出迎える。ジョヴァンニがお茶を注ぎ、渡すと皆喜んで飲んでくれた。 「っと、俺様はもう一働きすっかナ?」 「おや? 先ほど能力を使っていたようじゃが……大丈夫か?」 お茶を飲み干すなり席を立つジャックに、ジョヴァンニが声をかける。が、彼はにっ、といつものように不敵な笑みをこぼす。 「俺ァハートのジャックだ。これぐらい軽いゼ」 そういい、手を振って出て行くジャックを、研究員たちや村人たち、ジョヴァンニは頼もしく思えるのだった。 「こんな感じでいいのかしら?」 「そうそう、手際がいいねぇ、お嬢ちゃん」 日頃花茶作りで天日干しに慣れている村の人々は、手際よく花を広げていく。セリカは方法を習うと同じように棚いっぱいに花を広げた。顔を上げると、戻ってきたジャックや他の仲間たちも思いっきり体を伸ばし、花を広げている。 「おーい、棚が足りないぞ!」 「研究員から材料のありかを聞いてきます!」 村人の言葉に、ヴィエリが反応して動く。しばらくすると、男性陣が何人か動いて新たな棚をすぐに組み立てていった。 みんなが作業をしている中、ハクアはこっそり薔薇の茂みへと戻っていた。そこにはまだ固く結んだ蕾がいくつもある。それに……治療が続く限り、薬は必要になるのだ。 「このあたりでいいか」 あたりを見渡し、そう呟いているとアルスがやってきた。彼は蕾の様子が気になってここへ来たらしい。 『ハクアさん、どうしたのですか?』 地面にそう書いて問いかけるアルスに、ハクアはゆっくり答える。 「俺の血は、大地や炎……『そういったモノ』に力を与える。これで、この土地の花がよく育てば、とおもってな」 『……よろしいのですか?』 申し訳なさそうに問うアルスに、ハクアは1つ頷く。彼はアルスに事情を話すと、茂みの奥へと行き、僅かに血を地面に落とした。 天日干しを交代で行い、日が暮れる頃には花を全て回収した。ここからは製薬の心得のあるマフとヴィエリが大活躍した。この2人と村から派遣された薬師と研究員たちで薔薇の花を乳鉢ですり潰したり、混ぜ合わせる材料を測ったりと大忙しである。また、研究員たちを精神感応で繋いだジャックも、サポートの為に働いた。 また、薬に必要なシロカエデの蜜を大きな鍋で煮たり、ハッカの根の選別を行ったり、といった作業をセリカやハクアで手伝い、ジョヴァンニもまた次の日に収穫できそうな薔薇に印をつけたりと奮戦した。 (流石に、辛いですか……) 作業を手伝っている中、ヴィエリがちらり、とみると研究員の一人が苦しげに咳をし続けていた。そんな彼女に、ヴィエリはそっと、聖痕の力を解放する。すると、ぜぃぜぃ言っていた彼女の呼吸が、少しずつ楽になっていくのがわかった。 「?!」 彼女は驚いているようだったが、近くにいたヴィエリは静かに作業を続けていた。彼の聖痕の力があれば、恐らくこの難病は完全に治すことができるだろう。しかし、ヴィエリは、彼らの努力を踏みにじるような事はしたくなかった。 (ま、主の教えでも救済はケースバイケース! とありますからね) そんな事を内心でつぶやいていると、ジャックから「ホントかヨ?」というような視線が飛んできた。苦笑しつつもヴィエリは首を回し、ある程度作業が済んだらお茶を用意しよう、と考えた。 こうして、頑張った甲斐もあり、ある程度の量ができた頃には真夜中になっていた。研究員たちとロストナンバー達は村人たちに頭を下げ、後日薬を持って行くことを約束した。その後、アルス達研究員が薬を飲み、次の朝、効果があれば……眠っている者を起こす事が決まった。 結:長い時を超えての再会 ――翌日。 「どう……?」 セリカが恐る恐るアルスたちに問いかける。他の面々も様々な思いで研究員たちの様子を伺う。と、最初に口を開いたのは、アルスだった。 「……どう、にか……話せそう、です」 彼の言葉に、思わずロストナンバー達も顔を輝かせる。特に、セリカは青い瞳に涙が浮かんでいた。 薬を飲んだ他の研究員にも効果があり、耳が聞こえない者は誰もいなくなっていた。まだ薬を飲み続ける必要はあるが、良い進歩である。 (諦めなければ、叶う願いもあるのね) 勇気を分けて貰った彼女は、視力や聴力を失っても尚、長い年月をかけて研究し続けていた研究員達に改めて尊敬の念を抱いた。 それから暫くして、魔法の眠りについていた患者を起こすことが決まった。研究員達の話し合いにより、薬は完成した、と決断付られたからである。それに、ジョヴァンニたちも立ち会う事にした。 深く閉ざされていた扉が開き、魔法が解かれる。長い間、眠りならが薬の完成を待っていた人々は研究員達やロストナンバー達に助けられて外に出る。 「いよいよ、だナ」 ジャック達が見守る中、目覚めた人々も薬を飲んでいく。効果が出るまでに時間はかかるが、目覚めた者達は研究員達との再開や薬の完成を心から喜んでいるようだった。セリカが思わず涙ぐみ、それを見たハクアはそっと彼女にハンカチを差し出した。 「どうやら、幸せな目覚めになったようですね」 人々の幸せが自分の幸せとなるヴィエリは、人々の様子に表情を穏やかに緩めた。その傍ら、一人の少年が戸惑うようにアルスを見上げている。どうやら、この少年がアルスの息子らしい。傍らの母親らしき女性は覚悟していたらしく、アルスに深々と頭を下げていた。 「闘病の過程で光を失ったアルス君にとって、君達こそが暗闇を照らす光だったのじゃよ」 傍らにジョヴァンニが現れ、少年と女性に笑いかける。「自分にとって、妻がそうであったように」と付け加えた上で、彼は静かに頷いた。 「最高の夫を、最高の父親をもった事を、誇りに思うがよい」 少年が、その言葉に力強く頷く、女性もまた涙を流して微笑んだ。他の人々の中にも研究員に家族がいるのか、ジョヴァンニの言葉は強く胸を打ったようだった。 周りの人々が思ったより冷静である、と感じたハクアは、筆談で眠っていた人々に聞いてみる。 『もう少し、うろたえる者とか出るかと心配していたが、落ち着いているようでよかった』 『私たちも、魔法の眠りにつく際、覚悟していましたから』 一人の若者の答えに、大人たちは目で頷く。その患者たちの姿にも、セリカは改めて心の強さを感じた。 (もし、自分だったら……ここまで辛抱強く待てたかしら? 研究員達を信じられたかしら?) 彼女は思った。アルス達も、眠っていた人々も、強く信頼し合っている。だからこそ患者たちは眠って待つことを選び、アルス達も研究を続けられたのではないか、と。 ロストナンバー達は、薬の完成と、人々の病の治療が進むこと、家族や親友の再会を心から喜ぶのだった。 その頃、マフだけは病原となったキノコについて調べていた。彼は、再発を危惧していたのである。 (ずっと後からでも、土が洗浄されてない箇所から再発されちゃシャレにならんからな) 研究員たちの資料などを元に読み解くものの、キノコ発生についてはまだ謎が残っているらしい。その上、キノコは全滅が確認されている、と資料にもあった。それに不安を覚えるマフだったが、時間がない。彼は口惜しく思いながらも資料室をあとにした。 こうして、ロストナンバー達は帰路につく事になった。竜刻を回収し、「お礼と友情の証」として、藍色の薔薇の鉢植えを貰って。 「急ごう。ロストレイルが来る時間まであと少しだ」 ハクアはそういいながらちらり、と森を振り返る。恐らく、人々は薬を飲みながら治療に専念し、空白を埋めるかのように生きていくだろう。そしてまた、日常が修復されていく、と。その温かいその後を思い描きながら、6人は停留所へと急ぐのであった。 (終)
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