かち、こち、きゅるる。きん、こん、ぶるるん……。ざざっ、ぷしゅしゅっ、きゅ、きゅ、きゅ。 規則正しい金属音、不規則なエンジン音、それに混じって時折聞こえる手作業の音。フォッカーは磨き布とエアダスターを机に置いて、修理と仕上げの終わったアンティークのカメラを両手で掲げ満足そうに眺めた。 「んー、ぴかぴかにゃ」 今日はカメラの他に修理を頼まれているものは無い。時刻は大体15時を回ったところ、ちょうどお茶とおやつの時間だ。誰か来てくれないかなと喫茶店スペースに視線をやるが、そちらは変わらず静かなままだ。いつものことにゃ、と一人呟き、フォッカーは工具を仕舞うため席を立つ。すると。 からんころろん……。 「失礼いたします、フォッカーさんはいらっしゃいますでしょうか?」 「! いるにゃー! 今そっち行くにゃ!」 飛行帽から飛び出たフォッカーの耳が、喫茶店側への来客をしらせるお手製のベル音とどこか気弱そうな声を捉え、ぴこんと立ち上がる。仕舞いかけた工具もそっちのけでうきうきと喫茶店へ向かうと、そこにはやけに陰のある雰囲気を漂わせた聖職者風の男性、三日月灰人が彼なりの笑顔でもって佇んでいた。 「あっ、灰人にゃ!」 「ああ、よかった。ご不在でしたらどうしようかと……」 「? 心配するにゃ、おいらこの時間はだいたい工房にいるにゃ」 にこにこと応対するフォッカーの様子に心からの安堵を見せ、灰人は胸の前で十字を切った。心底不安そうだった表情にフォッカーは首を傾げる。灰人の極度のネガティブ思考では、フォッカーの返事があるまでのほんの数秒の間で、不慮の事故で大怪我を負って動けないのではないか、あるいは何か重大な事件に巻き込まれているのではないかと、傍から見れば馬鹿馬鹿しい想像が展開されていたらしい。 「ご無事でしたならばこれほど幸いなことはありません。主のお導きに感謝せねば!」 「そ、そりゃどうもにゃ……。まあまあ立ち話もなんだし、どうぞにゃ」 ◆ フォッカーが経営している修理屋兼喫茶店は、昼下がりの陽射しをうけて静かなぬくもりに包まれている。久しぶりのお客をもてなそうと、カウンター内側に設置された壱番世界のエスプレッソメーカーがごうごうと音を立てながらカプチーノを抽出中だ。たちまち店内にはいい香りが広がり、幸せなお茶の時間を想像させた。 「そうそう、クリスマスには素晴らしい贈り物をどうもありがとうございました。非常に助かっております」 「本当にゃ? よかったにゃ! 調子が悪いときはいつでも直すから言ってにゃー」 「ええ、勿論フォッカーさんにお願いしますよ」 牧師服の懐から精緻な銀細工の施された懐中時計を取り出し、灰人はにこにことそれを撫でた。過日行われたクリスマスのプレゼント交換会で、灰人はフォッカーの懐中時計を受け取ったのだそうだ。自分の品物が褒められると自分が褒められたようで嬉しい様子のフォッカーは胸を張る。 「そうそう、今日はお礼の他にお願いしたいことがいくつか……」 「どうしたのにゃ?」 お手製クッキーを山盛りにした籠とカプチーノふたつを載せたトレイを運ぶフォッカーがテーブルにつくのを見、灰人は脇に置いた手提げ袋から子供用の玩具をいくつか取り出した。使い込まれたそれらはどこかしらが壊れてしまっており、よく見ると不器用な修理の跡が見て取れる。 「孤児院の子供達の玩具なのですが、どうも私はこういったものの修理が苦手なようで……。フォッカーさんにお願い出来ればと」 「そういうことなら任せるにゃ!」 テーブルの上に二つ三つと置かれた玩具に目を輝かせ、フォッカーはにこにこと灰人の依頼を承諾する。今日のコーヒーブレイクはクッキーと玩具と笑顔がお茶請けだ。 ◆ 「しかしフォッカーさんの作られるものは、飛行機でもお菓子でもどこか懐かしさを感じますね」 「本当にゃ? それはおいらの故郷のお菓子にゃ!」 「そうだったのですか。かつて日曜日に教会で配っていたお菓子の味を思い出します」 「歴史が似ると食べ物も似るのかにゃ? ……」 出されたカプチーノを一口すすり、飛行機やプロペラ型の型抜きクッキーを一つつまんで、灰人はかつて妻が毎週焼いていたクッキーに思いを馳せて目を細めた。その様子にフォッカーもぱっと顔を輝かせるが、それで何かを思い出したように押し黙る。 「どうされましたか? あの、もしかして私何か失礼なことを……!?」 「ち、違うにゃ! 灰人のせいじゃないにゃ!」 青ざめる灰人を慌てて制し、フォッカーはぶんぶんと首を横に振った。 「そうじゃなくて……おいらの故郷、やっぱり壱番世界みたいに戦争が起きたらイヤだにゃ、って思ったにゃ」 しょんぼりとうなだれるフォッカー。ぺしょんと寝た耳が不安の大きさを物語っている。壱番世界とよく似た歴史を辿る自分の故郷が、同じようにならないか心配でたまらないのだとフォッカーは灰人に訴えた。 「なるほど……それは確かに心配なことでしょう。お気持ちお察しいたします」 自分の話の流れでこうなってしまったことに責任を感じたのか、灰人は若干申し訳なさそうにフォッカーの瞳を覗き込み、でもね、とつとめて優しく微笑みかけた。 「フォッカーさん、貴方には大切な方がいらっしゃいますか?」 「いるにゃ! だから戦争は怖いにゃ」 「ええ、その通りです。大切な人が本当にただの一人も居ない人なんて、きっと居ないでしょう?」 「そうだにゃ、うーん、きっと居ないにゃ」 「争いというのは、自分の大切な人やものを守ろうとして起こるものだと思います。勿論、欲をかいたり希望を見出せなかったりする哀しい人々が居るのも事実ではありますが……」 「……」 灰人の優しい語り口に、不安だったフォッカーも段々と興味深げに身を乗り出す。 「そういった悪魔の誘惑は私たちのすぐ傍にあります、そんなときは大切な方の笑顔を思い出しましょう。そしてそれを他の方にも伝えてあげればよいのです」 「じゃあ大切な人がいっぱいになったら戦争は起こんないにゃ?」 「そうですね、きっとそうだと思いますよ」 「よおし、おいら故郷に帰ったら皆に教えてやるにゃ!」 フォッカーは故郷の家族や友人を思い浮かべながら、灰人もまた身重の妻を思い出し、お互いにっこりと笑う。見失った故郷への道のりは遠い、けれどきっと大丈夫。 ◆ 「そういえば、フォッカーさんの大切な方というのはどんな方なのですか?」 「家族にゃ! 母ちゃんと兄ちゃんと姉ちゃんと、あと妹と弟にゃ」 何気ない質問への即答に、灰人はまなじりを下げる。 「私も故郷の家族が何より大事です、壱番世界に身重の妻と子供がおりまして……。きっともう産まれているんでしょうね、一体どんな子なのか」 「赤ちゃんにゃ!? いいにゃー! 男の子かにゃ? 女の子かにゃ」 故郷の弟妹を大事にするフォッカーが子供の話題で喜ばないわけは無い。目を輝かせて話の続きを催促する。 「きっと妻に似た可愛い女の子だと思うんですよ。勿論男の子でも嬉しいですが」 「そうだにゃー、おいらの妹も可愛いにゃ!」 「そうですよね、女の子ならやはり母親に似ていて欲しいものです。フォッカーさんの妹さんはどんな方なのです?」 「母ちゃんにそっくりにゃ、目が金色なのにゃ。大きくなったら絶対美人だにゃー」 「それは楽しみですねえ、女の子の成長は早いと言いますから、きっと殿方が放っておかない……ああっ! 私の娘もいずれはそうやって他の男性のものになってしまうのかもしれないなんて……」 まだ女の子だと決まったわけでもなく、仮にそうだったとしてもそんなことで悩まねばならないのは十数年ほど先のことだろう。灰人のネガティブ思考にフォッカーも苦笑いだが、妹可愛さと似たその気持ちはよく分かる。 「……す、すみません、取り乱したようです。そうだフォッカーさん、厚かましいお願いではあるのですが……玩具の修理ついでで結構です、ひとつ作っていただきたいものがありまして」 「おっ、どんと来いにゃ! 何を作ればいいにゃ?」 「いつ帰れるか分からない身分ですが、妻と子供に贈り物をしたいのです。委細はお任せしますので、どうかひとつ」 冷静さを取り戻した灰人が、ぽつりと漏らした言葉。灰人は壱番世界が滅びの運命から逃れるその日まで、故郷には帰らないと決めている。いつ帰れるか、という言葉はツーリストであるフォッカーの胸にも突き刺さった。 いつ帰れるか、いつ安心出来るのかなんて、世界計をどんなに見ても分からない。だからこそ、帰ったらああしようこうしようという希望を形にして持っておきたいのだろう。その気持ちがよく分かるフォッカーは、大きく頷いて灰人の依頼を快諾した。 「そういうことなら任せるにゃ! 出来上がったら持っていくにゃ」 「ありがとうございます……! その際は孤児院の子供達に会ってやっていただけるととても嬉しく思います。子供達、フォッカーさんの飛行機に興味津々なのですよ」 「勿論にゃ! おいらも楽しみにしてるにゃって伝えてにゃ!」 ◆ 喫茶店でのボーイズトーク(?)から二週間後。依頼されたものの他に、お手製の組み立て飛行機やゼンマイ仕掛けで踊るセクタン人形を色違いでたくさん揃えたフォッカーは自分用のプロペラ飛行機に乗って颯爽とエスポワール孤児院にあらわれた。聞き慣れないエンジン音にそわそわしていた孤児院の子供達は、飛行機が現れるやいなや大騒ぎ。その様子に気づいた灰人ははしゃぐ子供達を連れて正門まで出迎えに行く。 「こんにちはにゃ!」 「こんにちはーあ!」 声を揃えて元気よく挨拶を返す子供達を微笑ましく眺め、フォッカーは灰人に依頼の品物をあれこれ説明しながら手渡した。 「これは支えの糸が切れてたから付け直したにゃ、それから……」 「あっ、ボクのおもちゃ! 猫さんありがとう!!」 壊れた玩具をことのほか大事にしていたらしい一人の少年が、直って戻ってきたそれに気づいて喜びの声を上げた。フォッカーがただ遊びに来たわけではないのを知り、飛行機に群がっていた子供達はたちまちフォッカーの周りに集まりだす。さながら季節外れのサンタクロースのようだ。 「皆順番にゃ~。足りなかったらまた持ってくるにゃ!」 セクタン人形は女の子に、組み立て飛行機は男の子にとひとつずつ配るフォッカー。その様子をにこにこと見守りつつ、灰人は自分が依頼した品物にそわそわしている。 「足りないかと思ったら大丈夫だったにゃ。そうそう、灰人のもちゃんと……」 「ねえねえ猫さん! 飛行機乗ってみせてよー!」 玩具の入った手提げ袋とはまた別の鞄から白木の箱を取り出し……かけたところで子供達の邪魔が入ってしまった。 「あ、私のは後でで結構ですので……どうぞ子供達に」 「そうにゃ? ごめんにゃ、じゃあ後でゆっくりにゃ!」 灰人に依頼の品物を渡すのも、飛行機に乗ってみせるのも、どちらも楽しみにしていたフォッカーだったが、どちらかといえば飛行機にアンテナが傾いてしまったらしい。子供達にせがまれてちょっとだけそわそわし始めたフォッカーの様子に目を細め、灰人は笑って見送った。 「大空と飛行機は、男の子の永遠の浪漫ですねえ」 ◆ 「よーし、行くにゃ! 危ないから離れてるにゃっ!」 「はあーい!」 フォッカーの飛行機が唸りをあげて急上昇を始める。あっという間にチェンバーの空を駆け上がり、空中一回転やきりもみ回転をやすやすとやってのけた。地上で見ている子供達は大歓声をあげるが、灰人は十字架を握り締めたままおろおろ見ている。 「主よ、どうかフォッカーさんをお守りください……ああっまたそんな風にくるくる回るなんて! 落ちる! 落ちるううう!」 「せんせーうるさいよ!」 灰人の過剰な心配をよそにフォッカーは次々と曲乗りの芸を披露する。最後には華麗な操縦桿さばきで空中にハートマークを描いて地上に戻ってきた。 「猫さんすごーい!」 「ボクも乗りたいー!」 得意満面で飛行機を降りたフォッカーは大人気、自分も飛行機に乗りたいという子供達をなだめるのに大変なほどだ。 「この飛行機は大人用にゃ、みんなは乗れないけど先生なら乗れるにゃー」 「じゃあ先生乗ってー!」 「え、ええええ!? 無理無理無理です!!」 子供達の期待の眼差しがフォッカーから灰人に移るのを感じ、灰人はすっかり青ざめてぶんぶんと首を横に振る。ただでさえ飛行機は落ちそうな気がして乗れたものではないのに、目の前であんな曲乗りを見せられて不安にならない訳が無い。 「にゃははは! 大丈夫にゃ、おいらの腕は超一流にゃ! さあさあ先生どうぞにゃー」 フォッカーも子供達と一緒になって灰人を飛行機に乗せる気満々らしい。10分以上の押し問答の末、フォッカーの腕を信じた灰人は十字架を握り締めながらフォッカーの後ろ座席に収まっていた。 「じゃあ行くにゃよー」 「ううう……主よ、茨の道に足を踏み入れる子羊に祝福とご加護をお与えください……」 ぶぉ……ん……。 さっきよりも数段静かに、そしてゆっくりと飛行機が離陸する。思っていたほどの衝撃はなく、少しだけ安心した灰人は高度が落ち着くのを待ってそおっと外を眺めてみた。 「おお……」 チェンバーの中、つまり一応屋内とはいえ、魔法でコーティングされた空はどこまでも上っていけそうな気がした。天気のいい日は妻とテラスで昼食を食べていたこと、結婚式の日の晴れた空、お腹に子供が居ると知らされたそのときに雨が上がって虹が出ていたこと……空と妻にまつわる様々な思い出がよみがえり灰人の心を満たす。 「綺麗ですね……」 「チェンバーの空はいっつも同じだからあんまり好きじゃにゃいけど、こうやって飛行機に乗ってるときはいいもんにゃ」 「……ええ、空の青さを愛している人がかけた魔法なのでしょうね」 確かに、突風や積乱雲があるわけではないチェンバーの空はフォッカーにとって平和すぎるのかもしれない(もしあったとすれば今頃灰人が失神しているだろう)。しかし思い出を手繰るには充分な美しさだ。穏やかな風に吹かれながら、今度は孤児院の建物と地上で待つ子供達を眺める灰人。 「待ってる方がいるというのはいいものですね」 「そうだにゃ、誰かが待っててくれるからおいらたちは飛行機に乗るのかもにゃ」 ◆ しばし空中散歩を楽しみ、地上に戻った灰人の表情は空模様のように晴れ晴れと……はしていなかったようだ。初めての飛行機と大空を楽しんだのも束の間、下を見た瞬間に恐怖と乗り物酔いが同時に襲ってきたらしい。 「だ、大丈夫にゃ? なんか悪いことしたにゃ……」 「いえいえ……なにぶん初めての経験……ですので……ぉぇっ」 乗る前よりも顔面蒼白になってしまった灰人の背中をさすり、フォッカーはちょっと申し訳なさそうにしている。灰人は弱々しくも笑って立ち上がり、気にしないでくださいと付け加えた。 「あっ、忘れるとこだったにゃ! 贈り物渡すにゃ!」 フォッカーは慌てて子供達のところに走り、地上で預かってもらっていた自分の鞄から、今度は誰にも邪魔されずに白木の箱を取り出して灰人に手渡した。 「ご依頼の品物にゃ、どうぞ受け取ってにゃ」 「これは……?」 乗り物酔いも忘れ、そっと箱を空けて灰人は喜び半分、不思議さ半分のないまぜになった顔でフォッカーと贈り物を交互に見つめた。 贈り物は猫足のついた20センチ四方の箱で、正面らしき部分にフォッカーが灰人に贈った懐中時計と同じ模様の細工が施してある。その他には左側面に小さなハンドルがついているくらいで、何に使うものなのかさっぱり見当がつかない。 「平らなとこに置いて、ハンドルを手前に回すにゃ。そしたらわかるにゃ」 「はあ……」 灰人が言われるままにハンドルをきりきり回すと、ある一定のところで止まったハンドルがゆっくりと逆回転を始める。それと同時に聞いたことの無いメロディが箱の中から奏でられる。どうやらこれはオルゴールのようだ。 ぴんころりん、りりりるるらら……。 「素敵なメロディですねえ……」 「驚くのはこれからにゃ!」 その一言に、慌てて視線をフォッカーからオルゴールに移す灰人。 オルゴール箱の天板が少しずつ開き、なんと中から牧師服を着た人形とワンピースを着た人形があらわれた。牧師服の人形は眼鏡をかけており、顔立ちも灰人によく似ている。 そしてメロディの進行とともに人形は一度引っ込み、再び現れたのは同じく牧師服の人形と、赤ちゃんを抱いた女性の人形だった。 「アンジェ……!」 オルゴールの上で仲睦まじく寄り添う二人ともう一人の姿に、灰人は思わず涙ぐんでフォッカーに深々と頭を下げた。 「奥さんも赤ちゃんも、とっても愛されてるって思ったのにゃ。だから大きくなっても、愛されてたって分かるものがいいって思ったにゃ」 「ありがとうございます、ありがとうございます……」 旅の終わりはまだ見えない、だからこそ忘れたくない思いがあるし、忘れたくない人が居るのだ。形に出来ない愛情は形になり、更には希望として灰人の手元にある。いつかこのオルゴールを持って、愛する妻と子供のもとへ帰ってみせる。その思いを新たにし、灰人は何度も何度もオルゴールのハンドルを回していた。
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