クリエイター阿瀬 春(wxft9376)
管理番号1147-23391 オファー日2013-05-27(月) 22:00

オファーPC リンシン・ウー(cvfh5218)ツーリスト 女 21歳 忘れられた貴妃/人質

<ノベル>

 慧国皇帝ジンヤンより貴妃リンシン・ウーには、後宮の離れが賜られた。
 花蝶宮と呼ばれるその宮は、翅広げる蝶の形を成している。翅に当たる部分には数多の部屋。
 隙間厭うように極彩色の装飾に覆われ尽くした自室を初めて出たのは、故国崔より慧国皇帝ジンヤンのもとに嫁いで幾日か経た後。旅の疲れ残る身体で、けれどリンシンは弾む足取りで全ての部屋を見て回った。
(慧皇帝さま。ジンヤンさま)
 私のお婿さま、と心で呟きかけて、思わず唇を指先で押さえる。心の中と言えども、そう呼んでしまうのは畏れ多い気がした。
(でも、いいかしら)
 だって本当のことだもの。
 リンシンは父である崔国王が揃えてくれた嫁入り道具の並ぶ部屋の格子扉をそっと閉める。
 ――おいたわしや、リンシンさま。
 嫁入りの輿の中で聞いた言葉が蘇る。見送ってくれた崔国の人々は口々にそう囁き交わしていた。
 齢十五の娘であっても、人々が言い交わしていた言葉の意味は解る。
 国護る為、大国慧の属国へと下った故郷の崔より忠誠の証として捧げられた崔国唯一の皇女。正妃に次ぐ貴妃の位を与えられるとは言え、人質同然の輿入れ。
 ――さぞお心細くあられよう、さぞ哀しまれて居られよう。
 崔国の城より出たことすらほとんどなかったリンシンにとって、輿で幾日も掛かる旅路を経て至る慧国は地の果てにも思われた。己が国にはもう二度と帰ること叶わぬと思い、輿の中で涙も零した。
(いいわよね)
 けれど今、リンシンの胸には故国滅ぼした大国慧皇帝ジンヤンへの恋心ばかりが占めている。
「我が夫、ジンヤン様」
 微細な花と蝶の彫刻施された柱に触れる。傍に控える慧国の女官に聞こえぬよう、そっと口にすれば、僅かに残る望郷の想いは吹き飛んだ。
 これから私は、愛しいジンヤン様の妻として生きるのだ。そう思えば、胸に温かな炎が灯った。
 蝶の翅を縁取る回廊に風が流れ込む。紅色長衣の袖が揺らぐ。花の香りと明るい陽差しに誘われ、リンシンは長衣よりも鮮やかに紅い瞳を中庭へと向ける。
 中庭は蝶の胴体部分に当たる。自然のもののように岩が配置され、樹が並び花咲き乱れ、青い水湛えた泉や小川、小さな滝までもがある。蝶の左翅に立つリンシンからは、右翅の建物の屋根がどうにか見えるほどの広大な、どこまでも整備された庭。
 庭と同じに、覗いたどの部屋も塵ひとつなく掃き清められ、備え付けられた豪奢な調度品は丁寧に磨きこまれていた。
 金糸の髪が風に惑う。陽に苛まれること知らぬ手が髪を押さえ、無垢な紅玉の眼が瞬く。
 貴妃という地位に相応しい住処を賜っているのだと思う。不自由のない生活を約束されているのだと思う。それなのに此処は、この宮は、
(何故こんなに寂しいのかしら)
 ふとそう思ってしまい、慌てて首を横に振る。そんなはずはない。私は、――故国が陥落した状況で不謹慎かもしれないけれど、私は恋しいジンヤン様のもとに嫁げて、幸せだ。
「ジンヤン様より使いの宦官が」
 離れた位置に控える女官が呼ぶ。
「……ジンヤン様」
 その瞬間、心に落ちた影は吹き飛んだ。流れ来る風に長衣の裾を舞わせ、リンシンは跳ねるように回廊を駆け出す。
「リンシン様、御髪を」
「お待たせするわけにはいかないわ」
 弾む声を、けれど女官はきつく制する。
「貴妃に相応しくあらせられませ」
 リンシンはぶたれたように頬を赤く染める。肩を落とし、頷く素直な貴妃の手を女官はそっと取る。身形を整える為の室に連れて行く。

 結い上げた髪には数多の簪。絹の衣に絹の帯、軽やかに透ける羽衣。蜻蛉の羽のように薄く、けれど視界を暗く覆う顔布被せられ、漸くジンヤンの使いの宦官に見える。
「貴妃様」
 貴人用の椅子に掛けるリンシンより遠く離れ、低頭する宦官の前には、絹に包まれた簪。
「皇帝よりの賜り物に御座います」
 リンシンは眼を輝かせる。
「皇帝はご多忙にあらせられます」
 贈り物が何の謝罪であろうと何であろうと構わなかった。ジンヤン様が私の為に、と思えば頬が熱くなった。胸が高鳴った。
「ご不自由をされておられませぬか」
 宦官の言葉を、皇帝の言葉と信じた。
「いいえ、いいえ、ジンヤン様がご健勝にあらせられますことが何よりに御座います」
 己の言葉が、表情が、皇帝に伝わると信じて、皇帝を想い言葉を紡いだ。顔布越しに晴れやかな笑みを浮かべた。
 宦官は床に額を擦りつけんばかりに頭を下げる。感謝の言葉とも退出の言葉ともつかぬ言葉を呟きながら、後退る。そのまま、逃げるように部屋を出て行く。
(皇帝付きの宦官というのはきっととても忙しいのね)
 ジンヤン様のご様子を聞きたかったのだけれど。リンシンはちょっと肩を落とす。
(でも、きっと近いうちにジンヤン様がお越しくださるわ)
 だってこんなに御気に掛けて頂いて、こんなに美しい宝物を下さるのだもの。
 リンシンはそう信じた。
 けれど何日経っても何日経っても、皇帝の訪れは無い。皇帝付きの宦官が、数日おきに謝罪の品抱えて足を運んでくるばかり。その宦官も、宝物を置くと逃げるように花蝶宮を去る。皇帝の近況を聞くことも出来ない。
 水のように滑らかな絹、花と蝶を織り込んだ豪奢な帯、宝珠を連ねた首飾りとそれと揃いの耳飾り。贈り物ばかりが手元に山となってゆく。
「どうしてかしら」
 皇帝から、世界から忘れ去られたような日々が続いたある朝、女官に髪を梳かれながらリンシンは悲しい息を吐き出す。ジンヤンに逢いたかった。ひと目で良い、せめて横顔だけでもいい。そう心底から思っていたから、
「三日後の宴に、貴妃さまも召喚されて御座いますよ」
 女官が何気なく言ったその言葉に飛び上がって喜んだ。貴妃さま、と窘められた。リンシンは肩は竦める。
「ごめんなさい、だって嬉しかったの」

 皇帝の御世を寿ぐ宴には、皇帝より贈られた衣を纏うた。結い上げた髪には皇帝より賜った簪を。白い耳朶に揺れる耳飾も、花のように淡く色づいた胸元飾る首飾りも、たおやかな腰締める帯も、身につけるものは全て、皇帝より贈られた品。
 ただ、初めて贈られた簪だけはどうしても使えなかった。あれだけは、あの方の手ずからこの髪に挿して頂きたいと願っていたから。
 貴妃として宴席に慎ましく座し、リンシンはそっと紅の眼を上げる。手を伸ばしても届かぬ、近いようで遠い距離に位置する玉座に、皇帝が堂々と座している。
 視界を覆う顔布が邪魔で堪らなかった。これさえなければ遮るものなくジンヤンさまの御顔を見詰められるのに。これでは、どれだけ華やかな宴の中にあっても、私一人だけ天幕の外にいるかのよう。これでは、ジンヤンさまが私に眼を向けられても、私の顔を見て頂くことも出来ない。
 どうしていつも顔布を被せられてしまうのだろう。臨席する他の妃たちは誰一人として顔布など被ってはいないのに。
 顔布の向こうでジンヤンが笑う。家臣に向かい話す。端正な仕種で盃を傾ける。そのどれもこれも、霞の奥にあるかのよう。
 リンシンは焦れる。どうしても直にこの眼でジンヤンさまを見たい。
(ちょっとだけ、ほんの少しだけ、)
 こっそりなら構わないわよね。
 そうっ、と顔布を持ち上げる。視界を覆っていた霞が晴れる。玉座の皇帝をはっきりと眼にして、思わず溜息を零す。
(すてき)
 結わえた黒髪、光宿した鋭い瞳、強い意志表す鼻と唇、戦振りも素晴らしいと聞く逞しい身体。
(ジンヤンさま)
 心の内の呼びかけが聞こえたかのように、ジンヤンが此方を向いた。初めて会った時のような鋭い眸が胸を貫く。顔布を下ろすことも忘れ、リンシンはジンヤンを見詰め続ける。
 ジンヤンは眉を寄せた。微笑み浮かべようとするリンシンを睨み据える。低く鋭く、言い放つ。
「退がれ、貴妃」
 短い言葉の内に、烈火の如き怒りが含まれていた。
 リンシンはぎくりと身を固める。息が詰まる。唇が、瞼が震える。申し開きも出来ず、逃げるように宴の場を離れる。
(はしたないことをしてしまったんだわ)
 恥ずかしい、と涙が頬を伝い落ちる。
 花蝶宮に戻り、帯を解くことも化粧を落とすことも忘れたまま、寝台に伏す。ジンヤンに怒られたことが悲しかった。恥ずかしかった。あの鋭い眼と言葉を思い出しただけで涙が止まらなかった。
 敷布を涙で濡らしながら思い出す。初めて眼が合ったその時、ジンヤンは父王に仕える臣を斬り伏せていた。
(どうして)
 どうしてあの時と同じ眼をされていたのだろう。
 あれではまるで、
(私が皇帝様の敵であるかのよう――)

 月明かりが静かに降り注ぐ。泉に落ちた月がゆらゆらと揺れる。月の隣には金の髪に紅の眼の少女――己の顔が写っている。何故こんなに雲が掛かったようなのだろう、と首を傾げて、気付いた。ああ、と嘆く。顔布があるせいだわ。
 花蝶宮に来てから毎夜のように聞いている木々のざわめきの音に、己が今立っているのは宮の中庭なのだと知る。
 水面に写る少女の隣に、美しい男の顔がふと現れた。リンシンは息を飲む。
「ジンヤン様」
 それは恋焦がれる男の顔。思わず泉に手を差し伸べる。幻であってもいい、その凛々しい肩に、頬に、触れたい。
 必死に伸ばす手を、背後から伸びた熱い手が掴む。
「リンシン」
 耳元で囁くように呼ばれ、振り返る。月を背負い、微笑む愛しい男がそこに居た。
「ジンヤン、様……?」
「これは要らぬ」
 大きな掌が肩を包む。顔を覆う布を無造作に剥ぐ。何も遮るものもなく、眼前に大好きな男が立っている。崩れそうな腰に逞しい腕が回る。抱き締めるように支えてくれる。リンシンは吐息を洩らす。瞳を閉ざし、ジンヤンの広い胸に頬を寄せる。

 皇帝の広い背中が遠ざかる。
 もう一度呼びかけようとして声が詰まった。息が出来ない。胸が締め付けられたように苦しい。
 私と眼が合ったはずなのに。私の声が聞こえたはずなのに。
「お戻りください」
 皇帝に影のようにつき従う宦官が、魔物を見たかのような表情をリンシンに向ける。
(だって、)
 だって何日も、何ヶ月も訪れがなかった。謝罪のどんな宝物も要らなかった。ただひと目でいい、ご本人にお会いしたかった。それだけのために女官に無理を言い、皇帝が後宮にお渡りになられる日を教えてもらった。皇帝が通られる廊下で待ち続けた。
 廊下の先に皇帝様が見えた時には胸が高鳴った。
 皇帝様のふと上げた眼に己の姿が映った時には嬉しすぎて目眩がした。
 それなのに。
 リンシンなど眼の端にも捉えていない様子で、皇帝は顔色ひとつ変なかった。リンシンの傍らを擦り抜ける際も、感情の欠片も面に出さなかった。別の妃が待つ宮へと姿を消した。
(ジンヤン、様)
 視界に暗い幕が掛かる。足がもつれて廊下に膝をつく。凍える廊下にうずくまってしまう。

 温かな掌が肩に触れた。 
 丸めた背中を伸ばす。氷のような廊下に伏せていた顔を上げれば、間近に皇帝ジンヤンの顔があった。どこまでも凛々しいその顔には、今は優しい笑みが浮かんでいる。
「よく待っていてくれた」
「ジンヤン様、……ジンヤン様」
 思わず皇帝の胸に縋りつこうとする己の手を、リンシンは必死に押さえる。そんなことをしてしまえば、きっとまたはしたないと叱られてしまう。
「何を躊躇う」
 俯けば、ジンヤンの大きな手が頬に触れた。
「そなたは我が妻であるのに」
 リンシンだけをその眼に映し、ジンヤンは快活に笑む。リンシンは、今度は躊躇うことなくその胸に飛び込む――



 どちらが夢か現か解らずに、リンシンはぼんやりと瞬きを繰り返す。辛く当たられた思い出が夢なのか、優しくされた思い出が夢なのか。
 眼の端に溜まっていた涙がぽろぽろと耳の後ろに伝い零れる。
 ――どちらが夢なのか、そんなことは解っている。
「……そうよね」
 彼との思い出なんて数えるほどもない。嫌なことが多かった。辛いことが多かった。けれど、けれど。ジンヤン様との思い出ならば、それすらも大切な思い出。
 視界が涙に霞む。
(会いたい)
「会いたい」
 零れる涙の雫の数だけ、繰り返す。



クリエイターコメント お待たせいたしました。
 プライベートノベルのお届けにあがりました。
 リンシンさまの寂しさ、少しでも描けておりますでしょうか。

 少しでもご満足いただけましたら、お楽しみいただけましたら幸いです。

 おはなし、聞かせてくださいましてありがとうございました。
 またいつか、お会いできましたら嬉しいです。
公開日時2013-06-04(火) 21:30

 

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