クリエイター玉響(weph3172)
管理番号1351-22588 オファー日2013-03-02(土) 20:25

オファーPC リンシン・ウー(cvfh5218)ツーリスト 女 21歳 忘れられた貴妃/人質

<ノベル>

 フィルムが回り始める、乾いた音が響き渡る。
 映画の始まりを告げる光が銀幕を照らし出しても、情景は中々映される事がなかった。
 ただ、闇の如き漆黒のノイズだけが、画面上を覆い尽くして蠢いている。

『 眞成薄命久尋思 』

 何処からか、謳う声が聴こえる。
 高く、何処か幼いその響きは、忘れられた花蝶宮の貴妃のものだ。

『 夢見君王覺後疑 』

 宵闇に似た黒いノイズが取り払われ、銀幕は物悲しい情景を映しだした。
 水流れる庭園の傍らで、二人の男女が向かい合って座している。

『 火照西宮知夜飮 』

 玉杯の中に浮かぶ、薄紅色の花弁ごと酒を飲み乾して、男は女の謳う姿をただ見守っていた。庭園に咲く花を愛でるかのような、穏やかな貌で。

『 分明複道奉恩時 』

 ――やはり、そなたの声は美しい。

 軽やかに手を叩いて、愛しい夫が彼女の歌声を賛美する。
 快活な笑み。愛しいものを見る、柔らかな眼差し。闇の中で尚輝いて彼女の目を惹く、漆黒の髪。風に躍る、銀を散らせた群青の結い紐。そのひとつひとつに心躍らせて、貴妃は咲き綻ぶ花のように笑みを浮かべた。

 たった二人だけの、密やかな夜宴は続く。

 噫。

 この が、永劫醒めなければいいのに――。

《 淋星 》

 漆黒のノイズが退いて、銀幕は極彩色の紗を纏う。

 柔らかな寝台の上で目覚めた娘の視界には、緻密な彫刻の施された天井ばかりが広がっていた。
 虚空へと伸ばしかけた指先を仰いだまま、娘はふ、と儚い笑みを刷く。
 また、優しい夢を見ていたようだ。
 現実では一度たりとも向けられた覚えのない、穏やかな笑みで彼女に触れる皇帝の姿が、瞼を閉じれば直にでも蘇る。
 このまま夢の余韻に浸っていたいと乞い願う指先を降ろして、寝台から身を起こせば、彼女の鼓膜にふと、騒がしい音が届いた。普段から帝の使いでさえも寄り付かないはずのこの後宮に、いったい何が、と首を傾げる。
 急いで女官を呼び、身支度を整え庭へと出る。
 極彩色に飾られた自室を抜け、蝶の翅の形をした回廊を横切れば、水と緑に溢れた花蝶宮の庭園が姿を見せる――筈だったが、その日ばかりは違った様相を呈していた。
 湧き出す水の如く、淡く銀幕に掛かる薄青のノイズ。
 淡いヴェールの向こうで、庭園を埋め尽くすばかりの花が、咲いていた。
 小振りな菊の花にも、池中から離れて咲く睡蓮の花にも見える。薄紅を纏った白い花弁が、遠き春のあえかな香りを思い起こさせた。
 淡い春の色彩が、庭園の花畑はおろか、泉や小川の水面にも揺れながら浮かんでいる。だが、それではまだ足りぬとばかり、宦官の指示の下薄紅の花が次から次へと運びこまれていた。あれだけの量があれば、庭園のみならず、この花蝶宮全てを埋め尽くすほどになるだろう。
 一色に覆い尽くされた庭を前に、貴妃はしばし言葉を喪い、立ち尽くしていた。一体これは何の騒ぎだろう。彼女に付く女官たちもまた、戸惑った貌をしている。
 花と蝶の彫刻が為された柱に手を添えて佇む彼女に、庭園を慌ただしく行き来する宦官の一人が気が付いた。

「リンシン様」

 名を呼ばれ、池中に咲く花のような淡い笑みで以って応える。
 応対する宦官の様子がどこか余所余所しい事にも気が付かず、リンシンは女官の詰み取ってくれた花を一輪手にとって、優雅な仕種でその香りを楽しんだ。造花などではない。生きた花の香がする。

「改装?」

「はい。陛下の御命令でして」

 宦官の口から紡がれたその名に、不意打ちのように胸が高鳴る。恋焦がれてやまない、けれど決して振り向いてくれることのない、憎くも愛しい夫の名。

「ジンヤン様が……? どうして、今更」

「詳しくは私どもにも判り兼ねます。ただ、来る日に合わせ、この宮で宴を執り行う故と」

 ――貴妃さまの為に、と。
 明らかに取ってつけたようなその最後の言葉の意図にも気付かず、映画の中のリンシンはどうしようもなく心をざわめかせた。
 広い劇場でただ一人、銀幕を見つめる観客であるリンシン・ウーは、かつての己の無邪気で愚かな様を目にし、懐かしげに紅玉の瞳を細めた。

「そう。この国には、そんな風習があるのね」

「――はい」

 擡げた拱手で表情を巧みに隠し、宦官は思わせぶりな、憐みとも取れる視線を一度、背を向けた貴妃へと向けた。それにも気付かずに、リンシンは浮ついた足取りで蝶の翅の回廊を往く。
 何にせよ、皇帝がこの宮を訪れてくれるのであれば、この宮で宴を催してくれるのであれば、それは彼女にとって至上の喜びだった。

 ◇

 そして、待ち侘びた宴の日が訪れる。

 皇帝からの贈り物の数々で身を飾り、彼の訪れを心弾ませて待つリンシンは、女官からいつものように与えられた顔布も進んで受け取った。薄く滑らかな絹で紅玉の瞳を隠し、宮を埋め尽くす花と同じ薄紅の長衣を纏った娘は蝶の回廊を足早に抜ける。その頭上で、やはり皇帝より賜った紅玉の簪がしゃらりと繊細な音を立てて揺れていた。
 逸る気を抑えきれず、駆けるように長い回廊を歩いた先、皇帝のやってくるであろう角にて足を止め、彼女はその訪れを待った。

 いつだったか、無理を押して後宮を訪れた彼に見(まみ)えた時と同じ。
 結い上げられた黒髪に、鋭い光を宿した獰猛な瞳。
 此方へと歩んでくる凛々しい姿を前に、貴妃は初々しい娘のように惚け、しかし宮への訪れを歓迎しようと一歩、彼へ足を進めた。
 その途端、鋭く、気高い眼差しが注がれる。
 ただそれだけで、容易くリンシンの心は歓喜に波打つのだ。
 ――たとえその先に、心ない言葉が待つと判っていても。

「退がれ。そなたの出迎えなど求めておらぬ」

「――も、うしわけ、ありません」

 その声の、あまりの冷たさに、返す言葉が喉奥で閊えてしまう。
 顔布を下げていた御蔭で、この惨めな面を見られずに済んだのは、不幸中の幸いと言えただろうか。顔を俯けたまま、非情な夫が立ち去るのを待つ。
 回廊の隅で項垂れる貴妃を振り返り、帝はもう一度、冷酷な言葉を与えた。

「今宵の宴にそなたの席はない」

 人の気配が去って、ようやくリンシンは面を上げる。
 最早そこに、焦がれてやまない夫の姿はない。ふらつく身体を支える者もなく、おぼつかない足取りのまま、花に埋もれる庭園へと足を踏み入れた。淡い薄紅の色彩と、甘い春の香りとが彼女の心を慰める。
 ひとつ、ふたつ、戯れに花を摘み取る。
 一面の薄紅色の海に、小さな漆黒の穴が空く。摘み取った花を束ねて胸に抱いていきながら、リンシンはそっと、花の海に膝を着いた。溢れんばかりの柔らかな香が、一層強く鼻孔を突く。
 目眩がするほどの色彩の中で、ざらり、と生き物めいてうねる、漆黒のノイズ。
 花畑の下に隠されるようにして、何かが埋められたような真新しい掘り返された跡が遺されている。その場所から、滲み出るように漆黒が画面を侵蝕しているのだ。
 ふと、リンシンはその跡に気が付いて、ゆっくりとその指先を伸ばした。無邪気な少女の面(おもて)で、首を傾げながら、控え目に地面を掻き分ける。こんな風に、手を穢すようなことをしても、彼女を咎めてくれる人はいない。沁み着いた諦念に幽かに口許を緩めながら、リンシンは無心に土を払う。その度に次から次へと漆黒が沁み出てくるが、映画の中の娘はそれに気づかない。
 画面は切り変わり、広い花蝶宮が薄紅の花に埋もれる様が鳥瞰で映し出される。リンシンが蹲っているであろう場所から、じわりと湧いて出た漆黒が、宮全体を覆い尽くしていく。

 宮の中央に設えられた祭壇の中、一心に祈祷を捧げる術師の背後に佇むジンヤンの姿が映り込む。
 『宴』とは名ばかりの、それは『儀式』だった。
 花蝶宮全てを贄に、一層の栄華を手にする為の。
 ざらり、と画面を侵蝕する漆黒のノイズの中で、鋭い美貌にいびつな笑みを浮かべて、男は術の完遂を待ち侘びている。

「さあ」

 振り返れば、リンシンを呑み込んで咲き誇る、薄紅の花蝶宮が広がっている。
 噫、と、銀幕の外で見守るリンシンだけが、その眼差しに息を呑んだ。
 今更、気が付いた。

「最期くらいは私の役に立ってみせよ、貴妃」

 ――漆黒のノイズは、あの方の御髪の色。

 初めて逢い見えた時、群青の結い紐がほどけて翻った、美しい闇色の髪。毅然として、冷ややかな、秋の夜の帳のような。
 銀幕を這う漆黒の奥で、男は高い哄笑を上げた。――全て、《運命の美女》さえも己の駒に過ぎぬと、そう思いあがった男の笑い声が音響越しに木霊する。

「――?」

 何も知らぬリンシンが一瞬の予兆に貌を上げた瞬間、それは始まった。

 胎動。

 蝶の形をした宮、その全てを呑み込み崩落させるような、巨大な震動。
 紅の花弁が舞い散る中、亀裂のような漆黒が幾重にも走る。

 ノイズが銀幕を覆い隠して、愛しい男の哄笑さえも、リンシンの目の前から姿を消した。

 ◇

 《覚醒》のフィルムは動きを止めて、誰も居ない劇場に灯りが燈る。

 たったひとり、客席に取り残されたリンシンだけが、孤独ですらある静謐の中息衝いていた。
 映写室からの扉を潜り、黒のフィルムを片手に抱えた映写技師が、彼女に声を掛けようとして、ふと動きを止めた。

「――私、は」

 茫然と、最早色彩を映さぬ銀幕を見据えて娘は声を上げる。簪の飾りが、しゃらりと音を立てて輝いた。
 映写技師はその後姿を見つめたまま、逡巡するように息を吸い、しかし声に為せず吐く事を繰り返すリンシンの次の言葉を待っていた。
「……私は、ジンヤン様のお力になれたのかしら」
 凛と見開かれたままの紅玉の瞳が、薄く淡い膜を張る。零れ落ちる事のない涙を湛え、彼女はもう届かぬ夢へと追い縋るように、虚空へ手を伸べた。
 絢爛豪華で、惨憺たる彼の儀式は成功を収めたのかと、彼女は気にかけているようだった。――しかし、その答えを知る者はこの世界には存在しない。
 虚空へ伸べた掌をそっと握り、諦念の息と共に瞳を伏せる。
「ジンヤン様はあんなにも、私を厭っていたのね」
 彼女の命を犠牲にする事も厭わぬほどに。
 ――否、それどころか、リンシンを葬る理由として最も都合が良かったからこそ、彼の儀式は行われたのかもしれない。
 あの日土を掘り返して見つけたのは、リンシンにとっては用途の判らぬモノであったが、恐らくはあれが儀式に使われた呪具だったのだろう。一面の花は全て、妃の目を誤魔化すカムフラージュだったのか。
「気付かなかったなんて、バカね。……いえ、気付きたくなかっただけなのかもしれないわ」
 彼女を世界から放逐したのは、他ならぬ愛しい夫だったのだ。
「宮への訪れが長い間なかった時点で、もうわかっていたことなのに」
 映画の中の日々を覚えている。
 癒されぬ孤独に心を冷やした昼を、叶う事のない甘い夢に胸を高鳴らせた夜を、覚えている。
「それでも私、ジンヤンが好きだったの」
 それは過去形。
 最早ただの夢に過ぎぬと自覚した、憐れな少女の回想。
 痛みを伴う、けれど先へ進むための独白を静かに聞き届けて、映写技師はそっと、彼女に声を掛ける。
「……では、このフィルムは、君には必要ないかな」
 男が軽く掲げたその手の中には、宵闇の帳に似た色をした漆黒のフィルム缶が遺されていた。彼女を厭うた男と、ひとときの夢の姿が記された、リンシンの《覚醒》の映像が。
 リンシンはそれを一瞥し、映写技師の予想とは反対に、首を横に振る。
「いいえ、頂けるかしら」
 そっと、惧れを籠めて差し出された華奢な指先に、男は僅かな瞠目を見せた後、黒のフィルムを手渡した。
 花と舞う蝶に似た、柔らかな笑みで貴妃はフィルムを胸に抱く。
「……あんな内容でも、ジンヤンとの唯一の思い出が形になったフィルムだもの」
 淡い膜を張っていた瞳から、静かに一条、透いた雫が零れ落ちる。
「大事にするわ」
「――ああ。そうしてくれると、私も嬉しい」
 リンシンの心を汲み取ってか、映写技師はいつもの言葉は口にしなかった。
 代わりとばかりに、感謝の念を籠めて深く頭を下げる。

 繊細な金糸の髪を靡かせて、忘れられた貴妃は劇場の扉を潜る。
 長く囚われ続けていた、妄執にも似た恋心から解き放たれた軽やかさが彼女の背中を押す。たったひとつの思い出を胸に抱き、眼前に広がる街並みに、少女は無邪気な面持ちで足を向けた。

 <了>

クリエイターコメントリンシン・ウー様

【シネマ・ヴェリテ】への御来訪、ありがとうございました。
黒――《覚醒》のフィルムをお届けいたします。

細かい部分はお任せ頂けると言う事で、儀式のモチーフとして、宮の名にも使われている『花』を選ばせていただきました。
尚、タイトルと、冒頭で謳っていただいたものは王昌齢の詩を元にしております。

今回は素敵な映像の断片をお任せいただき、ありがとうございました。
それでは、御縁がありましたら、また階層世界のどこかでお会いしましょう。
公開日時2013-06-24(月) 21:40

 

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