ヘンリー&ロバートリゾートカンパニー立ち上げに際し、テストケースに選ばれたのは、美しいヴォロスの《仙薬の都ヴァイシャ》、通称『薬都』の《鏡の湖畔》だった。 花に満ちたヴィラでのひとときを、時に騒がしく、時にしんみりと、歓声を上げたりもしながら誰もが思い思いに過ごしている。 ここに流れる時間は、優しく、あたたかく、くすぐったい。 けれど、シルクに包まれるような心地よさでありながら、何故か少し切なくもある。 ゼシカ・ホーエンハイムは、大好きな魔法使いさんと大好きな郵便屋さんの手を握り、ハーブ園を巡っていた。 三人の楽しい旅行。 ワクワクするような時間。 けれど、これはどんなにどんなに望んでも、永遠には続かない。 いつかくる別れの時間の存在を、小さいながらもゼシカは感じていた。 それがとても哀しくて、とてもとても淋しくて。 ハーブ園から湖の方へと向かい、『湖畔で食べよう』と、ふたりが別々にゼシカのためにレストランなどからおいしいモノを取りに行ってくれている間も、胸の痛みはなかなか消えてくれなかった。 そんなときだ。 ベンチに腰掛けていたゼシカの目の前に、頭から水を滴らせた青年が釣り竿を手にやってくる。 それが誰か、すぐにピンときた。 急いでベンチから降りると、少しよろけながら、それでも一生懸命に駆け寄っていく。「こんにちはアリッサのパパさん! ゼシ、ゼシっていいます!」「やあ、こんにちは、ゼシくん」 ちいさな少女の目線に合わせるように、ヘンリー・ベイフルックはやわらかな笑みを浮かべると、すとんっと膝を折って屈み込んだ。「僕に何かご用かな?」 青い瞳がゼシカを見つめる。 青い瞳で、ゼシカは見つめ返す。「あのね、パパさんにおねがいがあるの。ゼシのパパがむかし行ったブルーインブルーのやかたに、パパさんといっしょに行きたいの」「ブルーインブルーの館……ああ、もしかしてあの白い石造りの?」 すぐに彼は合点がいったらしい。 ブルーインブルーの孤島に佇む白亜の館。 かつて、四人同時にロストナンバーがディアスポラされ、様々な不安と恐怖に駆られた彼らのために奔走した人々がいた。「あのたてものは、パパさんが作ったのよね……?」 確認するように首を傾げてみせれば、ヘンリーはこくりと頷きで返してくれる。「ほうこくしょをよんだわ。ゼシのパパね、アリッサのパパさんのこと、じぶんと同じようにおもってたの。アリッサのパパさんがのこしたお手紙と絵をみて泣いてたもの」「僕の手紙と絵……そうか、君のお父さんは僕のあの隠し部屋に辿りついていたんだったね」 100年の眠りから目覚めた建築家は、膨大な時間の中で起きた報告書を、相当の時間を掛けて読み続けているらしい。 だから、『ゼシのパパ』がどんな時間を過ごしたのかも分かってしまうのだろう。 優しい瞳が静かに揺れている。「ゼシね、パパさんが作ったやかたで、パパさんのお話をきかせてほしいの」 ゼシカはそんなヘンリーの服の袖をきゅっと掴み、必死に見上げ、願う。「だから、あのね…っ」「いいよ、ゼシカくん」 何とか気持ちを伝えようと言葉を詰まらせながらも話すゼシカに、ヘンリーは微笑んだ。「この旅行が終わったら、ブルーインブルーの、あの館へ僕と出かけよう」 ただし、ちゃんと大事な人にお出かけすることを知らせるんだよ? そう告げて。 ゼシカの小指に自分の小指を絡め、約束の指切りをした。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ゼシカ・ホーエンハイム(cahu8675)ヘンリー・ベイフルック(cvsy8059)=========
「きょうは、シスターのカッコウできたのよ」 頭巾を被り、小さな花束を抱えた修道女姿で待ち合わせ場所にやってきたゼシカに、様々な想いを見たのだろう。ヘンリーはただそっと微笑んだ。 「それじゃあ、いこうか?」 差し伸べられた手を取って乗り込んだロストレイルは、程なくしてブルーインブルーに向け出発した。 * 『ジェーンと僕の大切な一人娘、あの子の幸せを君に託す』 * 白亜の館は、二階へ続く中央階段に鮮やかな赤い絨毯、カットグラスがきらめく天井のシャンデリア、それから上下左右の壁に連なる扉でもってふたりを出迎えてくれた。 「さて、最初は応接間だったね?」 「うん」 小さな手に握られた子猫柄のメモ帳を見ながら、こくりとゼシカは頷く。 報告書から書き出した部屋の名前、ソレをそのままなぞっていけば、父の道を辿れるはずだ。 地図はいらない。ここには設計者がいてくれるから。 小さなゼシカの歩く速度に合わせて、彼はゆっくりと館内を進んでいく。 ひんやりとしたここには波の音以外にはなんの物音もしていず、不思議なくらい静かで、けれど不思議なくらい優しい空気に満ちている。 「なんだか、“ようこそ”“いらっしゃい”って言ってもらってるみたいね」 「ゼシカくんは屋敷の声が聞こえるのかな? そう感じてもらえるって設計者としてすごく嬉しいなぁ」 建築家の顔で、ヘンリーは嬉しそうに笑う。 「さあ、ここだね」 そうしていくつも並んでいる扉のひとつを、ヘンリーはすっと開け放った。 「わあ」 薔薇をモチーフとした壁紙と白いレースのクロスを掛けられた木製の丸テーブル、それからソファと、そこはまるでお姫様の部屋のようだった。 「なつかしいな」 目を細めて微笑む彼を、ゼシカは不思議そうに見上げる。 「アリッサのパパさん、パパさんはずっとここにはこれなかったの?」 「ここを建てたのはかなり最初の頃だから、……ふむ、僕の感覚だと十数年ぶり、でもこの館にとって僕は100年以上ぶりかな」 「ひゃくねん……?」 「僕はずっと眠っていたから、僕にとっては十数年ぶり、だけど、ね?」 「100年と10年って、なんだかふしぎね? ふしぎだけど、さいかいできたのね」 不思議…と繰り返しながら、ゼシカは周りを見回し、暖炉に近づく。確かここで燃やされた手紙の一部が見つかったはずだ。 “僕は戻れない。でも……” 「あのね、パパさんはどうしてこのヤカタをたてたの?」 「それはね、突然迷子になったみんなが安心して図書館からのお迎えを待てるように、だよ」 「まいごを?」 「そう。大好きな人をいきなり離ればなれになったらビックリするし、怖いだろうからね。だから安心できる場所を作っておきたくて」 ロストナンバーだけが引き寄せられる秘密の場所を、様々な世界に少しずつ―― 「パパさんはまいごのミカタなのね?」 「うん、そうかもしれない」 次に行くかい? そう問われて、ゼシカは再びメモ帳を見、こくりと頷いた。 踊り場にあるステンドグラスを経て、辿り着いたのはホテルのスイートルームをイメージさせる寝室だ。 「とってもとってもひろいベッドのおへやね?」 「そうだよ。絵本のような部屋を作っておきたくってね」 ふかふかのお姫様が寝るようなベッドも置かれていて、あちこち探索したくなるけれど、ゼシカの目当ては部屋に据えられたキャビネットだ。 そこに飾られた二枚の絵皿――ひとつには赤の女王とトランプの兵士のモチーフが、もうひとつには白の女王とポーンのモチーフが対になるようにして描かれているこれらが、隠し部屋へと続くギミックだ。 「……ふむ、ゼシカくんにはちょっと大変かな?」 「だいじょうぶよ」 傍にあったアンティークチェアがきっと足場になってくれる。 うんしょ、と自ら椅子を引いて、キャビネットの真下、赤の女王の絵皿が置かれた側にソレをセッティングする。 それでも背伸びをしなければ届くかどうかあやしかったが、何とかなりそうだ。 「パパさん、お願いします」 「それじゃ」 ヘンリーが白の女王が描かれた絵皿に手を掛ける。 「はい!」 呼吸を合わせて、タイミングを合わせて、ふたり一緒に、 「「せーの……っ」」 持ち上げられた瞬間――ゴトン、という物音と共に背後で壁が動いた。 振り返れば、波と水泡の文様を刻んだ鏡台がこちらに側面を見せている。そして動いた分だけ、壁にはぽっかりと口が開いていた。 「パパたちもここをとおったのね」 「絵皿を同時に持ち上げないと開かない仕組みにしたんだけど、まさか“偶然”気づかれることになるなんて」 ふふ、とヘンリーは嬉しそうに笑う。 「来るべくして来たんだろうね、ゼシカくんのパパたちは」 その部屋は、大量の本棚、大きな文机、製図板とあらゆるモノが狭い空間に凝縮されていて、まるで秘密基地のようだ。 そして、ゼシカは目当ての絵画を見つける。 「パパも、みたのね」 誰かの手によって被せられた白い布、ソレをするりと引き落とせば、安楽椅子に腰掛けた女性と、その腕に大切に抱かれ赤ん坊の姿が現れた。 「キレイ……」 穏やかな雰囲気をまとった幸せそうなふたりの姿にしばし見惚れる。 「……パパさんは、どんなきもちでこの絵をかいたの?」 「アリッサとジェーンが幸せでありますように、って。ただそれだけを祈って。エディには本当にたくさん助けてもらったよ」 「パパさん、このときのアリッサにはあえていないのね?」 「残念ながら、ね」 「さびしくなかった?」 「淋しかったよ」 「かえりたかった?」 「ジェーンやアリッサに会いたいって思っていたよ」 やわらかく、穏やかに、綴られていく言葉。 「でも、僕は護ると決めたからね。ジェーンとアリッサのいる世界を護るのに、必要なことは残らず全部やりきろうって決めていたんだ。ソレはきっと、ゼシカくんのパパと同じだよ」 「ゼシのパパも……」 ほわり、と胸の奥が温かくなる。 「パパさん、アリッサのママさんはどんなひと? どんなところをすきになったの?」 問いかけはすべて、ついに自分の父には聞くことのできなかったことばかりだ。 愛する人々と離ればなれの間、ヘンリーはどんな想いでいたのか。 どんなふうに家族のことを考えていたのか。 それを聞くことは、ゼシカにとって父の心を知るのに等しい。 「アリッサのママはとても本が好きでね、穏やかだけどすごくしっかりしていて、優しくて、一緒にいるとふんわりと心が温かくなって……初めて会ったときに僕はジェーンの全部をすっかり好きになってしまったんだよ」 そんな想いに答えるように、ヘンリーはなんのためらいも衒いもなく、優しい眼差しでひとつひとつにちゃんと答えてくれる。 返してくれる。 ソレはそのまま、ゼシカの中に父親からの言葉となって降りてくる。 「あのね」 だから、言葉にできる。 「ゼシのパパは“よわむし”で“なきむし“なの。でもとってもやさしくて、ゼシとママをあいしてくれたのよ」 たくさんの想いの中に自分はいるのだと確かに感じられる。 「たくさんたくさん、あいしてくれたのよ」 きゅうっと胸を締め付ける気持ちもあるけれど、涙があふれそうにもなるけれど、それでもゼシカは顔を上げて、笑うことができた。 見つめ合い、ふたりだけで共有する空気。 穏やかな時間。 その合間にふと入り込んできたのは、どこからともなく届く時計の、ボーンボーンという時知らせの音だった。 「そろそろお茶の時間だね」 自分の腕時計を確認したヘンリーがにっこりと笑う。 「行こうか」 「え、でもゼシはなんにも」 何も用意していない。飲み物の準備も、お菓子の準備も、お茶会ができるような準備は何もしていない。 ヘンリーだって、ほとんど手ぶらだ。 なのに、彼はゼシカを促し、大食堂へと向かうという。 * 『たとえ離れていても……こよなく愛する妻とまだ見ぬ愛しい我が子、二人の幸せを願わぬ日はありません』 * 「え」 ゼシカは何度も瞬きを繰り返す。 甘やかな香りが鼻先をくすぐった。 サンルームのガラスの向こう側に広がるのは、どこまでも澄んだ空の青と海の碧、果てのないブルーの中のブルーだった。 贅沢な紺碧を望む大食堂にはいくつもの長テーブルとイスが並んでいたが、そのひとつにだけ英国のアフタヌーンティ・セットが並んでいる。 「え、どうして?」 「ゼシカくんとここでお茶会をしたかったから、こっそりお願いしておいたんだ」 子供のように嬉しげに、まるで仕掛けたイタズラがしっかり成功した時のような無邪気な笑顔で、ヘンリーはゼシカを席までエスコートしてくれる。 「さあ、どうぞ」 思ったよりもずっとたくさんの時間を過ごしていたのかもしれない。 椅子に腰掛け、淹れたての紅茶に口をつけたら、ほうっと深い溜息がゼシカの唇からこぼれた。 ソレはそのまま、心の底に溜め込んでいた想いまでもこぼれさせる。 「ゼシはどうしたらいいんだろう……ゼシのパパはもういなくって、でもいまのゼシには魔法使いさんと郵便屋さんがいて……ずっとふたりといたいけど、でもふたりにもかぞくがいて」 ずっと一緒にいたい。 けれど、そのためには自分はずっと5才のまま、ずっとロストナンバーのままでいなくてはいけない、かもしれない。 ずっとずっと子供のまま、成長せずに―― 「パパさんはアリッサにどんな子に……ううん、どんな大人になってほしかった?」 自分のパパはどう思うんだろう、そう思いながらゼシカは問う。 「僕がアリッサに望むことはたったひとつ、“幸せになってほしい”、それだけ。アリッサが、自分はとても幸せだと心の底から思えているなら、ソレで十分」 ソレが親から子への、ヘンリーからアリッサへの、想い。 「しあわせに……」 「そう、幸せに」 繰り返される願いは、祈りにも等しい。 ゼシカはもう一度自分の中でヘンリーの言葉を繰り返し、そして、 「ヘンリーさん、もうアリッサをひとりにしないであげて」 大事なお願いを伝えるなら今しかないと決めて、 「アリッサ、パパが死んだとき、ゼシのことなぐめてくれたの。とってもやさしくていい子よ。きっとパパさんのねがいどおりにそだったんだわ」 たくさんの想いを込めて、告げる。 「だからね、これからはうんとかわいがってあげて」 精一杯、少し背伸びしながらヘンリーに願う。 そんな姿に、彼はやわらかく微笑んだ。 「アリッサがもしもソレを望むなら、ずっと傍にいてほしいって言うのなら、僕は必ずそれを叶えるよ」 でもね、と彼は続けた。 「アリッサは僕とジェーンの娘だからねぇ。きっと、みんなのチカラを借りながら、自分が決めた自分の道を突き進んでいっちゃうんじゃないかな? 今度は僕がお留守番かもしれない。だけど、ソレで良いかなとも思ってるんだ」 大人になるってきっとそういうことかもね、とも告げて、眩しげに目を細めて笑う。 その笑顔に、胸がまたきゅっとなる。 「……ゼシ、おっきくなりたい」 祈るように手を組んで、誓うように言葉にしていく。 「おねえさんになっておばさんになって、さいごはしわしわのおばあちゃんになって死にたい。生まれてきてよかったっておもいながら、バイバイってしたい」 大好きな人に囲まれて、大好きな人たちと、流れていくときの中で生きていきたい。 もしかするとソレは、いま傍にいてくれている大好きな人たちとお別れしてしまうことになるのだとしても。 永遠に止まった時間の中に子供のまま居続けることは、たぶんきっと、違う気がするから。 穏やかなティータイムが過ぎて、やがて旅は終わりに向かう。 帰り際、ずっと手にしていた小さな花束をゼシカは窓から海に投げた。 「パパへの……ううん、ずっとひとりぼっちでおるすばんしてたヤカタさんの、そのおもいに」 弔いと手向けの花を――送る。 「アリッサのパパさん、あのね」 少しだけ、おててを貸して。 そう告げようとした言葉が声になるその前に、ヘンリーの腕に抱き上げられ、抱き締められていた。 景色が変わる。 きっとこれから、いままで見ていたモノとは違うモノがどんどん自分の前に現れるのかもしれない。 そんな予感と共に、ゼシカはギュッとヘンリーに抱きついた。 ひとつの決意をした少女の周りはそれから少しずつ変化していくことになるけれど、ソレはまた別のお話。 END
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