駅前広場の噴水前で配られていたそのチラシの文面を目にしたとき、ティリクティアは己の両手が微かに震えるのを感じた。『来店者数2000人突破記念・期間限定! 90分間全メニュー食べ放題!』 これが武者震いでなくて何と言うのか。 開催しているのはここ最近ターミナルにおけるグルメ界隈では評判のレストラン。壱番世界やブルーインブルー、インヤンガイにヴォロス、果てはモフトピアまで、様々な世界の料理を食材から再現し、シェフ自己流のアレンジも加わって前菜もメインディッシュもデザートも絶品だとか。「全メニュー……ということは、甘いデザートも好きなだけ食べられるのね!」 未だ幼く小さな体に似合わず、ティリクティアの胃袋は甘味とあらば底無し沼の如く飲み込んでいく底力を秘めている。人気レストランの絶品デザートを90分もの間食べ放題と聞けば、居ても立ってもいられない。「でも、一人っきりで行くのもちょっと寂しいわよね……誰か誘える人は、」 ターミナルの街角でチラシを真剣な面持ちで見つめる少女はその呟きの途中で、そうだわ! と声を上げる。こういった食べ放題のイベントに最適な人物を自分は知っているじゃないかと。「湯木なら、食べ放題と聞けば喜ぶんじゃないかしら」 四六時中食べ物を口に入れ続けているあの食いしん坊司書ならきっと一緒に行くと言ってくれるだろう。そうと決まれば早速と、ティリクティアはチラシを折りたたんで世界図書館へ向かおうと歩き出す。 しかし数歩いったところで、不意に脳裏に甦った映像がその足の動きをふつりと止めた。 山の中を逃げる人喰い鬼と一人の女。それを捕えて、そして、鬼が守ろうとした女に、穏やかな眠りについた彼女に、自分は手にした拳銃の引き金を引いた。 それはあくまで封じられた記憶の中の話だけれど、しかし確かにあったことだ。そして、その記憶の中へ仲間たちと共に入ったときに、ティリクティアは湯木自身も覚えていない彼の「過去」を見た。鬼だった湯木と、湯木という名の女の過去を。(湯木がいつも何か食べてるのは――『本来食べるべきもの』を食べていないから、なのよね) ティリクティアは俯き、折りたたんだチラシをじっと見る。どれだけ美味しいものを口にしても、湯木の飢えが癒されることはない。それを癒す方法を、自分は知っているけれども。(でも、それは……過去の二人のためにも、決してしてはいけないことだわ) しばらくの間、そこでしばし考え込む。誘ってもいいのだろうか。どれほど美味な料理を並び立てても、彼の砂漠のような飢えの前には一滴の水にすら成りえないというのに。 そっと顔を上げて、ターミナルの中央部にある世界図書館の方向を見やる。しばしそのまま見つめてから、左右に首を振って、再び足を踏み出した。(飢えを満たすことはできないかもしれないけど、でも、細やかな時間を楽しさで満たすことはできるもの、ね)「行く」 司書室で卓袱台の上に大量に盛られた栗を剥いていた湯木本人は、ティリクティアの誘いを受けるとたった二文字で即答した。そわそわと栗の皮を片付けると、店に着くまでの間に食べる用らしい食パン一斤と予備にもう一斤を取り出して適当な紙袋に詰めている。「ん。これで準備万端じゃ」「じゃあ、早速出発しましょ! 美味しい料理、いーっぱい食べるんだから!」「おう」 相変わらず言葉少なな司書だったが、それでもその淡泊な表情に僅かにも喜びの色が浮かんでいることに、ティリクティアは安心したように自身もまた笑みを浮かべたのだった。=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>ティリクティア(curp9866)湯木(cpvw7802)=========
レストランに到着した二人は、麗らかな明かりの差し込む窓際の席へと案内された。食べ放題コースを二人分と頼み、ティリクティアは早速メニューを開く。 「メニューがすごく豊富なのね、デザートのページもすごく沢山あるわ!」 「ほうじゃの。ティアは最初に何を頼むんじゃ?」 湯木に尋ねられ、ティリクティアはそうねと悩む仕草をしながらページを捲る。可愛らしくも繊細な盛り付けのされたデザートの写真が幾つも並んでいるページについ目が釘付けになってしまいそうだが、デザートとはメインの食事の後に楽しむものだというある意味儀式的な思考が働く。 「やっぱりまずは前菜からね。このサンドイッチにしようかしら」 「ほうか。なら、早速注文するかの」 湯木がウェイトレスを呼び、ティリクティアの指したサンドイッチを注文する。それからメニューページの先頭を開き、一番最初に書かれているサラダを指差した。 「ここから」 ページを数枚捲り、その一番最後に書かれている料理をまた指差す。 「ここまで」 それまでにこにこと営業スマイルを浮かべていたウェイトレスが一瞬にして明らかに引き攣った表情になったが、湯木が特に気にする素振りはない。彼女が慌てて厨房へと駆け込んでいく後姿に、ティリクティアはふふっと笑いを溢す。 「出てくるのが楽しみね!」 「ん。ここん料理は美味いゆうて評判じゃけぇの。待ちきれんくなりそうじゃ」 「そういえば、ここのお向かいのケーキ屋さんも美味しいのよ」 「ほう? ほうじゃ、ケーキといや最近新しくできた店は知っとるかの」 「あ、世界図書館の前の大通りのところのよね? もちろん、オープンした日に行ってきたわ」 「さすがティアじゃ。そこがもうすぐクリスマスセールやるらしくての」 「本当!? それは見逃せないわね!」 それからしばらくターミナルの美味しい料理店の話で盛り上がっていると、ティリクティアが頼んだサンドイッチと湯木の注文した料理が順番に運ばれてきた。いろんな種類のサラダや白身魚のカルパッチョやポテトフライ等の前菜系で机の上はあっという間に賑やかになっていく。 「じゃぁ、早速いただきましょ」 「おう」 二人はそれぞれ料理を前にして気合いを入れているようである。食べ放題は、最初の料理が来てからの90分間。すでに戦いは始まっているのだ。 「「いただきます」」 ティリクティアがサンドイッチの最後の一欠けを飲みこみながら湯木を見ると、湯木はすでにサラダ系の皿を一通り片付けてしまっていた。チーズのフライをひょいひょいと口に運んでいくのを眺めながらにこりと微笑み、「それ、一つもらってもいいかしら?」と尋ねる。頷き差し出された皿からフライを一つフォークで刺し、ソースをつけて口に運ぶ。カリカリの衣を齧ると中からとろりとチーズが溢れ、甘めのソースに絡まり口の中で風味が広がる。 「美味しい!」 「ん、ティア。次頼まんのか?」 「あ、そうだったわ。時間制限があるんだし、どんどん頼まなくちゃ!」 すみません、とティリクティアは先と同じウェイトレスを呼び止める。ウェイトレスは先はサンドイッチしか頼んでいなかった女の子の方が注文するならと、油断していたのだろう。またニコニコと明るい営業スマイルでやってくる。 「えーっと、そうね……この際、もうデザートの方に移っちゃおうかしら」 メニュー表のデザートのページを開き、どれにしようと考えかける。しかし間もなく、ふっと良いことを思いついたというような表情を見せると、ティリクティアはデザートのページの先頭にあった苺のショートケーキを指差した。 「ここから」 ページを捲り、一番最後に書かれているパフェを指差す。 「ここまで」 お願いね、と明るく愛らしい笑顔をウェイトレスに向けながらパタンとメニューを閉じる。注文を受けたウェイトレスの表情は、案の定再び強張ったものへとなっていた。 大きな苺がちょこんとのったショートケーキ、濃厚なチョコレートをたっぷり使ったチョコレートケーキ、かぼちゃを丁寧に裏ごしして作っられたかぼちゃプリン、これまた大きな栗が飾り付けられたモンブラン、夢のように美しく盛り付けのされたバナナチョコレートパフェ、瑞々しさ抜群のフルーツたっぷりパンケーキ、外はさっくり中はとろりと美味しく焼かれたアップルパイ、二種の甘さの組み合わせが心地よい白玉クリームぜんざい、柔らかな食感にメイプルシロップが惜しみなくかかったデニッシュ、季節のフルーツがたっぷり添えられたワッフル、ほのかな甘さと苦みのバランスが絶妙なティラミス、ヨーグルトや各種フルーツのフレーバーが揃ったなめらかなジェラード、ミルクの味が深く味わえるソフトクリーム、濃厚ながら爽やかな酸味のチーズケーキ、コーヒーの香りがしっかりと味わえるコーヒーゼリー、表面がカリカリにキャラメリゼされて香ばしいカタラーナ、甘く味付けされた林檎を生クリームがしっかりと引き立てているクレープ、つるんとしたのど越しのわらび餅、フルーティな酸味のフランボワーズ、クリームチーズとラズベリーソースの相性が抜群のクレームダンジュ、ぷるぷるした食感の楽しいパンナコッタ、大きな硝子の器に三人分の量は詰め込まれた立派なジャンボパフェ、何層もフルーツやクリームの重ねられたミルフィーユ、香ばしくフルーツの風味が味わえるシブースト、ナッツ入りのクリームがたっぷり詰まったズコット、焼き菓子とはまた異なる香ばしさの黒ゴマババロア、レモンの風味をほのかに感じるレアチーズケーキ、無糖クリームとの相性抜群のふわふわのシフォンケーキ、卵の味をしっかりと活かしたカスタードプリンを贅沢に包んだプリンロール、一口頬張れば苺の味と香りがいっぱいに広がる苺スフレ、しっとりとした生地にフルーツが彩り豊かにのったタルト……エトセトラ、エトセトラ。 机上の半分がスイーツ類で埋まった頃、二人のテーブルは店内で注目の的になっていた。ティリクティアと湯木の食べ終わった皿がすでにテーブルの脇にて山と積まれ、尚も料理が立て続けに運ばれてくるのだから、当然といえば当然である。しかもそれを平らげているのが長身とはいえ痩せた体型の男と見るからに年端のいかぬ愛らしい少女であるとなれば尚のことだろう。食事中、あるいは注文の品を待っている最中である他の客の視線が二人の席に集中しているだけでなく、接客の合間のウェイターやウェイトレスや厨房からこっそりと顔を出したコックも驚愕の表情を浮かべてその席を見つめていた。また席が窓際だったこともあり、偶然通りかかった人達まで思わず足を止めてその様を凝視してしまう程の有様である。 「ねぇ、湯木。このパンケーキとそのお魚、ちょっと交換してもらってもいいかしら」 「おう。もちろんじゃ。こっちのクリームパスタも美味いが、食うかの?」 「じゃぁ遠慮なく! あ、そうだわさっき食べたモフトピア産の蜂蜜を使ったアイスもとっても美味しかったのよ。おかわりしようと思うんだけど、湯木も食べる?」 「ん。じゃぁ頼むかの」 周囲の驚愕をよそに二人はあくまでも和やかに、純粋に料理を楽しんでいた。また新しくやってきた皿に目を輝かせつつ、ティリクティアはオレンジババロアを自分の方へ引き寄せる。 「ここの料理は美味しいから、いくらでも食べられるわね」 ティリクティアが幸福そうにまた一口、ババロアののったスプーンを口に運ぶ。 「ほうじゃの。時間的にも、もう少しいけそうじゃ」 ちらと時計を見てから、湯木はウェイトレスに追加分をオーダーする。「ティアはどうする」と尋ねられ、ティリクティアもまた気に入ったデザートを幾つも注文した。まだ食べるんだ……というレストラン内の空気など当然二人にはまったく伝わってなどいない。 店員たちが入れ替わり立ち代わり空いた皿を回収し、また新しい料理を運んでくる。それを、ティリクティアも湯木も一つ一つきちんと味わって食べていた。 依然としてペースを落とすことなく、黙々と皿を空けていく湯木の様子をティリクティアは嬉しそうな顔で眺めている。 (やっぱり、誘ってよかった) 食べるのが大好きな人と美味しいものをいっぱい食べられる。それはやっぱり幸せなことだと、思う。 「ねぇ、湯木」 ティリクティアが話しかけると、湯木は食事の手を一旦止めた。顔をあげて何だろうと首を傾げているのにティリクティアはまた笑みを浮かべる。 「湯木は今、幸せ?」 「ほうじゃの。食いたいもん好きなだけ食えるしのう」 そうよね、とティリクティアは満足げに頷く。しかしそれから少し考えて、訊いていいのだろうかとしばし躊躇ってからやっと口を開いた。 「でも、あの……湯木は、お腹いっぱいになったこと、ないのよね」 「ん、まぁ、それはないの。腹は今も空いとる」 「辛くは、ない……?」 表情の変化が極端に少ない湯木は見た目では今何を感じているのか、何を考えているのかといったことがほとんど読み取ることができない。だからつい、ティリクティアは尋ねたくなったのだ。 「辛い、と思うことはあまりないの。空腹やない状態を経験しとらんせいかもしれんが、それよりも、」 「それよりも?」 「辛いと思う暇もないくらい、楽しいと思う方が多い。今もほうじゃ。友人と一緒に、好きなもんを好きなだけ食うてその話でも盛り上がる。ティアは楽しくないかの?」 「ううん、楽しいわ! とっても!」 ティリクティアは笑顔で答えた。心配に思っていたことに答えが出てホッとしたと同時に、自分が感じていた幸福を相手もちゃんと感じていてくれたことが嬉しく感じる。 「ん。なら、よかった」 頷いた湯木の表情は、珍しく微かに微笑んでいた。 「前見た時より、笑うの上手になってる」 「んん……ほうかの」 「あ、今度は照れたわ!」 珍しいものを発見したときのようにティリクティアははしゃぐ。大量の料理を次々消費してく二人を囲む視線はずっと驚愕と戦慄に満ちていたが、あくまで楽しげに談笑をする様にその視線は幾らか微笑ましいものへと変わっていくのだった。 会計を済ませた二人はお店の人達に「ごちそうさま」と伝えて、名残惜しげにレストランを後にする。店のオーナーと思しき人が真っ青な顔をして立ち尽くしていたが、そのことにはティリクティアも湯木も気づいてはいなかった。 「ん……」 司書室を出るときに持ってきたパン入りの紙袋がすでに空になってしまっていたのか、湯木がそれを軽く振ってから折りたたんでズボンのポケットにしまっている。ティリクティアはそれを見て、くすりと笑った。それから持ってきていた荷物――ぽんぽんに膨らんだ肩掛けの鞄から大きな紙の袋を取り出し、湯木に差し出す。 「はい。これだけあれば、司書室に戻るまでもつかしら」 受け取った袋を湯木が開けると、そこにはクッキーがいっぱいに詰まっている。その中にはほんの少し形が歪んでいるものもあり、それがティリクティアの手製のものであるということはすぐに分かるものだった。 「美味しくできてたらいいんだけど」 ふむ、と湯木は一つを取り出して早速それを口に入れた。もぐもぐと口を動かし、飲みこむ。 「ん。うまい」 「本当? よかった!」 ティリクティアがぱっと表情を明るくすると、湯木は「ありがとう、ティア」と彼女の頭を撫でた。ティリクティアは今度は少しはにかんだ顔をした。手が頭から離れると、湯木の顔を見上げる。 「あのね、湯木。私には湯木の空腹は決して満たせないけれど……今日は付き合ってくれて本当に嬉しかったわ。ありがとう、また誘うわね」 「ん。わしも楽しかった。ティアが誘ってくれよったこと、感謝しとる。クッキーも、ありがたく頂くけぇの。また、一緒に美味い店行こう」 そうしてまた一言二言交わし、二人はそれぞれに帰路につく。90分という限られた幸福の時間が終わった後でも、ゆっくりターミナルの通りを歩いていくティリクティアの心は温かな幸福で満たされていた。 【完】
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