空港から一歩外に踏み出すと、むわ、という熱気がコレット・ネロとオルグ・ラルヴァローグを包み込んだ。 「暑いね、お兄ちゃん」 ぱたぱた、と手をひらひらと振りながら、コレットは言う。 「暑いな、確かに」 オルグも、ふさふさの鬣を撫でながら言う。 自慢の毛並みも、今は少しだけ困ってしまう。 「お兄ちゃん、大丈夫?」 オルグの困ったような表情に気付き、コレットが尋ねる。オルグは小さく笑みを漏らし、ぽふ、とコレットの頭を撫でる。 「大丈夫だ。さあ、行くぜ」 「うん」 タクシー乗り場から、タクシーに乗り込む。 「やんばるの森へ、行ってくれ」 二人を乗せたタクシーが、ゆっくりと進み始めた。暫く車に揺れていると、コレットが小さく欠伸をした。 「寝ていてもいいんだぜ、コレット」 「でも」 「大丈夫、着いたら起こしてやるから」 な、とオルグが言う。コレットは「それじゃあ」と言って、そっと目を閉じる。飛行機の移動が、思いのほか疲れたのであろう。 ラジオから、明るい音楽流れてきた。心地よい空間と音に、オルグもいつしか眠り始めるのだった。 タクシー運転手から「着きましたよ」と告げられ、オルグとコレットは目を開けた。 料金を払い、荷物を持って外に出る。また、むわ、とした空気に包まれる。 「……お兄ちゃんも、寝ちゃってたんだね」 「……ああ。気持ちよかったからな」 ぼんやりとした頭で二人はいい、顔を見合わせて笑い合う。ようやく、頭が冴えてきた。 「さあ、行くか」 オルグはそう言い、目の前に広がる森を見つめる。青々として、見るからに涼しそうだ。 二人は揃って、亜熱帯の森へと足を踏み入れる。照葉樹林の森は、風が吹くたびにさわさわと心地よい音を生み出す。むわっとする熱気も、涼しいものへと変えてしまう。 「綺麗だね」 コレットが、森の中を見回しながら言う。 「ああ。……あ、そこ、気をつけるんだぞ」 オルグは足元に広がる木の根を見て注意を促す。コレットは「うん」と頷き、それをひょいと跨いでいく。 「あ、あれ。ヤンバルクイナじゃない?」 コレットが頭の上の鳥に気付き、指差す。確かに、くちばしが赤い。 「本当だ。綺麗だな」 「それに、可愛い」 ほわ、とコレットが笑う。オルグは嬉しそうなコレットを見て、自らも笑みを浮かべた。 「ここにしか居ない鳥みたいだな。得した気分だ」 「うん。歩くのは大変だけど、やっぱり歩いてよかった」 二人が話していると、ヤンバルクイナが木の枝から飛び立った。 「もっと見てたかったな」 名残惜しそうなコレットに、オルグは「まあまあ」と宥める。 「まだまだ先は長いんだぜ。また見ることができるだろうさ」 「それもそうだね」 「こういうのも、縁だからな」 オルグはそういうと、また歩き始める。それにコレットも続いていく。 「大分歩いてきたが、疲れてはないか?」 「まだ大丈夫。景色も綺麗だし、疲れを感じないの」 「それは良かった」 頷き、歩く。そうして二人の目の前に、巨大な木が現れた。 樹齢130年の、イタジイの老木だ。 「……凄い」 その堂々とした佇まいに、コレットはそれだけ漏らして立ち尽くす。 「ああ、凄い」 オルグも、それだけ口にした。 青々と茂る、無数の葉。ざわざわと風に触れる木の葉。きらきらと漏れる光。 大きく広がり伸びる枝から枝に、鳥たちが飛び交う。 言葉にする必要は何もなく、ただそこにある。 二人は呆然とイタジイの老木を見つめた後、静かに顔を見合わせた。 「……そろそろ、行くか」 「……うん」 ゆっくりと、二人は揃って歩き始める。ずっと見ていたいような気持ちに駆られたが、ずっといるわけにもいかない。 しばし無言で、二人はもくもくと歩いた。イタジイの老木が、頭に焼き付いて離れない。 「あ」 もくもくと歩いていると、先にオルグが声を出した。 森を抜けたのだ。 「わあ」 目の前に、真っ青な海が広がっていた。 マリンブルーという言葉がぴったりはまる、美しい海。 「凄い……本当に綺麗!」 コレットは思わず駆け出す。 「コレット、急に走ると危ないぜ」 オルグも慌ててコレットを追いかける。 「ねぇ、お兄ちゃん。海に潜ろう。綺麗な魚が見たいわ」 興奮気味に言うコレットに、オルグは顔をほころばせつつ頷く。 そうして、数十分後。二人は水着に着替えて海へと向かった。コレットは、水着の上にボレロを羽織っている。 オルグに、気を使わせないために。 「じゃあ、行くぜ」 オルグがいい、コレットは頷く。 二人は同時に、綺麗な海へと潜った。透明度が高い為、太陽の光がきらきらと海中に降り注ぐ。 亜熱帯気候である為、海の中を泳ぐ魚は極彩色。ひらひらと優雅に海中を舞っている。 コレットはそっと魚に手を伸ばす。魚達は、コレットの指をひらりと交わし、また海中を泳ぐ。 オルグも、同じように手を伸ばす。ゆらゆらと水中を毛並みが揺れ、珊瑚礁と間違えた魚たちが体を休める。 思わず渋い顔をするオルグに、コレットは笑みを漏らした。 十分に満喫した後、二人は海から上がり、砂浜に座る。 「疲れたか? コレット」 「ううん、まだ平気。もっと遊びたいわ」 にこっと笑って立ち上がるコレットだが、どこか疲労の色が見える。 「じゃあ、のんびり海岸でも歩くか」 オルグはそう言いながら立ち上がり、コレットに向かって手を差し伸べる。 「うん!」 コレットは、にっこりと笑いながらその手を取った。 砂浜を、ざくざく音をさせながら二人で歩く。 「見ろ、コレット。蟹がいるぜ」 「あ、本当」 ちょこちょこと歩く蟹を見つけ、二人は足を止める。 「こっちには、綺麗な貝がある」 コレットはそう言いながら、貝殻を手に取る。きらり、と光に反射して光っている。 「お土産にすればいい」 「うん。……じゃあ、こっちはお兄ちゃんのね」 二つ貝殻を取り、一つをオルグに手渡す。 「俺の?」 「私達の、思い出となるように」 「……そうだな、有難う」 コレットの頭の中に、いつか別れる日が来る覚悟がいつもある。それが、すぐなのかずっと先なのかは分からない。 だが、だからこそ一つ一つの思い出を大事にしたかった。 「お兄ちゃん、あの」 コレットが何か言おうとしたその時、カシャ、と言うシャッター音が響いた。見れば、旅行者達が美しい海をバックに写真を撮っている。 「私、カメラ持ってきているの。撮ってもらおう、お兄ちゃん」 コレットはそう言って、持ってきたカメラを手に、旅行者達へ話しかける。二つ返事で了承され、オルグとのツーショットを撮って貰った。 「写真、印刷したら渡すね」 「ああ。楽しみにしてるぜ」 オルグがそういったところで、グー、というお腹の音が響いた。思わず二人は顔を見合わせて笑い合う。 「着替えて、メシでも食うか」 「うん、賛成」 二人はそう言って、まず水着を着替えた。そうして、近くにあった食事処へと向かう。 「お兄ちゃん、何頼む?」 「そうだな……やっぱり、沖縄と言ったらゴーヤーチャンプルーじゃないか?」 「それもそうだね。お兄ちゃん、苦いのは大丈夫なんだ」 「おう。コレットも、大丈夫みたいだな」 「うん。あ、それと、ソーキそばも食べたいな」 「だったら、サーターアンダギーも注文しようぜ」 二人はわいわい言いながら、食べたいものを注文していく。 「沖縄、食い尽くす勢いで食べてやるぜ!」 意気込むオルグに、コレットは笑う。 「私も、負けないように食べないとね」 「そうだぜ、コレット。一緒に食べまくろうぜ」 「うん!」 良い匂いのする食事たちが運ばれてくるまで、二人は沖縄食い尽くしの意気込みを語り合うのだった。 食事処を出て、暫くゆったりと海岸を歩く。徐々に、日が暮れてきてしまった。 「もう、日が沈むんだね」 コレットが、赤くなりかけた太陽を見つめながらぽつりと言う。 「時間、あっという間だったな」 オルグは頷く。マリンブルーの海が、徐々に赤く染められていく。 「お兄ちゃん」 コレットはそう言って、じっとオルグの眼を見つめる。 「私、昼間に言いかけたことがあるの」 「ああ」 オルグは、思い当たる。 貝殻を拾った時の事だ、と。 「私ね、お兄ちゃんの事が大好きだよ」 コレットは静かに微笑む。 頭の中から離れない、いつか来る別れ。こうして一緒にいるオルグとも、いつかは別れが訪れる。 だからこそ、伝えたかった。大好きだと、目を見て言いたかった。自分の事を忘れないでいて欲しかったから。 「もし、離れ離れになっても……私の事、忘れないでくれたら……嬉しいの」 かすかに震えている手の中には、昼間拾った貝殻がある。 まるで、それがオルグとの繋がりのように。 オルグはゆっくりとコレットに近づき、ぽん、と優しく頭を撫でた。 「俺は忘れないぜ、コレットの事」 「本当?」 「忘れるわけ、ないだろう?」 ぽんぽん、とコレットの頭を撫でてやる。 「こうして一緒に沖縄に来て、森を歩いて、老木を見て、海に潜った。こんなに盛りだくさんの事を、やったんだぜ?」 「沖縄料理を、食べ尽くそうとしたしね」 「そうそう。そして、こうしてお土産だってある」 オルグはそう言って、ポケットから貝殻を取り出す。コレットがくれた、きらりと光を反射する貝殻だ。 「……えへへ」 それを見て、コレットは笑って貝殻をぎゅっと握り締めた。 胸の奥が暖かく、くすぐったい。 貝殻を持つ手から、震えも消えてしまった。 「じゃあ、帰るか。この風景を、しっかりと焼き付けてな」 オルグはそう言い、貝殻をポケットにしまいなおしてから、手をコレットに差し出す。 「うん……!」 コレットは、差し出された手をぎゅっと握り返した。 強く、強く、ぎゅっと。 今日と言うこの日を、刻み付けるかのように。 <温かな光に包まれつつ・了>
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