目前にあるのは、水平線。それはどんなに手を伸ばしても届かぬほどに遠く、どんなに左右目を凝らしても果てが見えぬほどに終わりがない。快晴の空と穏やかな海という爽快な景色の中で、風と共に訪れるのは潮の芳香である。 「いやー、やっぱり旅行っていいよなー! 」 ターミナルの商店街でツヴァイが奇跡のような確率で引き当てた特賞、ブルーインブルーリゾート宿泊二名一組様ご招待チケット。主催者がどのようなコネで船やら何やらを確保したのかはともかく、突然舞い降りた幸運に浮かれきったその足でツヴァイはコレットをこのリゾート旅行へと誘ったのである。 「いい天気でよかったわ。どんなところに着くのか、楽しみね」 嬉しそうに微笑むコレットの様子に、ツヴァイの頬も思わずゆるむ。やはり彼女を誘ってよかった、と彼女に気づかれないように右腕で小さくガッツポーズを作った。 「ツ、ツヴァイ殿……この船……桶などは、積んでおらぬ、か……」 そこまではよかったのだ。そこまでは、何の問題もなかった。ツヴァイは弱りきったか細い声の主の方へ振り返る。すると視界にはいるのは、手で口を押さえ、蒼白な顔色の時光であった。 「桶など使わず、直接海へ吐けばいいだろう。どうせ魚の餌になるだけだ」 傍らで船の操舵をしつつ、そう言い放ったのは、ツヴァイの双子の兄であるアインスだ。リゾートへ向けてようやく盛り上がりかけていたツヴァイの眉がひきつる。 ツヴァイがこの旅行のパートナーとして誘ったのはコレット一人だけであった。二人っきりで過ごす気満々だったというのに、アインスはさも当然と言わんばかりに同行を決め、時光もそれに便乗して付いてくることになってしまったのである。どうしてこうなった。 「……ところでよ、兄貴と時光は宿どうすんだ? ペア旅行だし、確実に二人の部屋ないぜ」 今回、アインスと時光は二人に無理矢理同行するかたちでやってきている。何も手続きの方法も分からなかったので追加の予約などはまったくしていない。 「何を言っている。君と時光は野宿をすればいいだろう」 「俺がチケット当てたのに、野宿組!? おいそれはちょっと冗談じゃねーぞ!?」 二人きりでなくてただでさえ不満なのにとツヴァイが食ってかかり、「コレットを野宿させる訳にはいかないだろう」とアインスが軽くあしらう。そんな限りなく一方的で且つ不毛な雰囲気の漂う兄弟喧嘩を尻目に、コレットは船の縁から身を乗り出してゲッソリとしている時光の背を甲斐甲斐しく撫でていた。 「か、かたじけない……」 「ううん、気にしなくていいよ」 一行が港で船を借りる際、目的の島に到着するまで港からほぼ一日かかると現地の人間から聞いていた。つまり時光の地獄はこれからまだ半日以上終わることがないのである。朦朧とした思考の中、ふいにそのことを思い出した時光はただでさえふらつく頭の痛みが増すような心持ちとなった。 さらにその夜、ツヴァイが主催した怪談トークフェスティバル(仮)は船酔いで眠りにつけずにいた時光にさらなるダメージを与え、怪談を聞くまいとする時光と悪ノリ全開で彼を追いかけるツヴァイで真夜中の甲板は大騒ぎとなったのだ。その翌朝の時光がどれほど屍のごとく憔悴しきっていたのかは語るまでもない。 「ぶーちゃんかーみつっくーポチーの尻尾ーっ♪ ぶっつ切ーり尻尾でポチお怒りーのファイナルピッグブレイクアタックグレーイトゥッ!!!」 「意味不明のつまらん歌を歌うな」 「グェッ!?」 夜が明けてから数刻経った頃、操舵中のアインスの容赦ない鉄拳を脇腹に受けて悶えるツヴァイという平和なのかどうかよく分からない光景をよそに、時光の看病をしていたコレットは真っ青な海の先に一つの島を発見した。 「あ、あれ! ねぇ、目的地ってあの島、かな?」 指差したその島は、山が大陸から一座だけ切り離され、そのまま海上を漂っているような形をしていた。森林に覆われた山を広い砂浜が囲っているのが、遠目からでも確認することができる。 「ああ。どうやら、あの島のようだな」 地図を確認したアインスが頷くと、それまで鉄拳のダメージを引きずり蹲っていたツヴァイが目を輝かせてコレットの方へと駆け寄る。 「ついに来たか! どれどれどの島っ?」 「うん、あれだよ、ほら、あそこの――」 「し、島……やっと、島……」 時光もまた青白い顔のまま、島の姿を一目見ようと甲板を這っていく。その様は、地獄に垂れた蜘蛛の糸にすがる亡者のように見えなくもなかった。 「わ、すごい! 砂浜、まっ白ね」 「本当だ、スゲー綺麗だな。他に人もいないっぽいし、俺達貸し切りなんじゃね!」 船を無人の波止場で接岸し、一行はついに島へと上陸した。彼らの降り立った波止場の傍らは一面の砂浜となっている。きめの細かい白の砂粒が日の光を反射してキラキラと輝き、透き通った青緑色の波は穏やかにその砂面を撫でていく。もう少し陸地へ上った先には、瑞々しい緑の木々に大きな赤い花が幾つも咲いているのが見える。熱帯的な風貌の木々にはさまざまな種類の木の実がなっているようだった。 「おお、これはなんとも美しき地にござるな」 そう感嘆を漏らす時光の顔には、いくらか血色が戻ってきているようだ。まだ多少足下がふらついているようではあるが、ようやく苦しみから解放されたという喜びと目的地に到着した興奮で船酔いからの回復が促進されているのかもしれない。 「それで、ツヴァイ。宿はどこだ? チケットはお前が持っているだろう」 「ん? あー、そうだったそうだった! まずは荷物置いてこねーとな」 アインスに促され、ツヴァイはごそごそと持参した鞄を漁る。そこから掌ほどの大きさのチケットを取り出すと、文章の中から宿の記述を求めて視線を這わせた。 出発日時、集合場所、船の貸し出し、目的地の島の名前、島の特徴、滞在期間予定、帰還日時、船の返却、順番に項目を辿っていくが、何故か宿泊に関する項目は見あたらない。 「あっれ、おかしいな」 「まったく、使えんやつめ……それを貸せ」 ツヴァイからチケットを受け取り、アインスも同様にチケットの項目をたどっていく。が、やはりそこに宿の項目らしきものはない。怪訝な表情を浮かべながら、今度はチケットの文にきっちり目を通していく。すると、島の特徴の項の最後あたりに、ある文章が書かれていた。 「――この島はブルーインブルーの数ある無人島の中でも美しいことで有名です。大自然に囲まれたこの地で、自給自足のサバイバル生活を楽しみましょう」 「無人、島? え、ちょっと、サバイバルだって!?」 ツヴァイの素っ頓狂な叫びに、それまで島の景色に夢中になっていたコレットと時光が首を傾げつつ振り返る。 「えっと、どうかしたの?」 「サバイバル、とはどういうことでござるか?」 宿と食事の記述は一切なし、その代わりに出たキーワードが「無人島」「自給自足」「サバイバル」。それが何を意味しているのか、理解するのは至極簡単である。一言で表すならつまり、「宿と食事は自分達でなんとかしてね!」だ。 「……ツヴァイ、貴様……」 「いやいやいや、悪いの俺じゃないだろコレ! まぁ、そこに気づいてなかったのは確かに悪いかもしれないけど、っつーか兄貴と時光は勝手に付いてきただけだろ!?」 兄弟の言い争いはその後しばらく続き、事態をようやく理解できたコレットが「じゃあ、ご飯の準備みんなで頑張らないとだよね?」といそいそと使えそうな道具を時光と共に船に取りに行こうとした頃、ようやく収束を迎えたのだった。 ひとまず波止場を拠点に決め、一行は食料の調達を行うことにした。船に積んであった食料は今日の昼の分までしかなく、夕食には到底足りない。よって、ここはチケットの指示通りに無人島サバイバルライフを満喫することにしたのである。昼食をとり終えた彼らは、早速夕食確保のための役割分担を行った。 「よっし、大量に獣でも魚でも獲りまくってうまい飯にありついてやるぜ!」 「それは心強い! ……不甲斐ない拙者の分も、頼んだでござる」 まだ体調が充分に回復していない時光は、コレットと共に波止場の近くで焚き火に使う火やかまどを作るための石を集めることになっていた。簡単な台所は船の中にもあったのだが、せっかくキャンプをするなら本格的にやった方が盛り上がるだろうと、外で調理を行うことにしたのである。 苦笑しながら「任せとけ」と時光に応えるツヴァイの傍を、少し大きめの籠を抱えたコレットが通過していく。先程みんなで船から釣り道具や刃物などを引っ張り出したとき一緒に発見したあの籠に、枝や石を纏めて入れるつもりなのだろう。コレットと一緒に枝拾いができるなら、自分も船酔いになればよかったという邪な感情をツヴァイが抱いたのはここだけの話である。 「いつまでそこに突っ立っているつもりだ、さっさと出発するぞ」 釣り道具やサバイバルナイフ、ロープなど、狩に使えそうな道具の支度を終え、アインスとツヴァイの狩組はすでに準備万端である。にも拘らず、紅一点である少女にいつまでもデレデレと視線を向けている弟に対してアインスが苛立ちを隠すことはなかった。刺々しい声色に促され、ツヴァイは渋々兄と共に出発する。 薪に使うならば、塩の付着のない枝を集めるのが好ましい。よって薪拾いは浜辺から山へ続く林の中の方へ向かう必要があった。時光とコレットの二人は熱帯の植物が鬱蒼と茂る中、歩きやすい獣道を辿って進んでいく。途中途中で手ごろな枝を拾いながら十分程歩いたところで、二人はいくらか林が拓けた場所に到着した。 「ちょうど良い。この辺りで枝を探すでござる」 「うん。じゃあ、私はこっちを探すわね」 にこりと微笑み、早速コレットは自分で指さした方向の地面を探し始める。その愛らしい表情に心臓を高鳴らせつつ、時光もまた適当なところにしゃがんで枝を拾いだす。 乾燥していて且つ太さのちょうどいいものを探しながら、時光はちらりとコレットへ、本人に気づかれぬよう視線を送る。しゃがんだ体勢で一生懸命、この枝はどうだろうこっちはどうだろうと一本一本の枝を見比べながら持参した籠に入れていく彼女の姿に、思わず頬がゆるむ。このとき初めて、時光はここまでの交通手段が船だったことに感謝の念を起こしかけていた。 「あ、時光さん、あれ!」 「え、な、なんでござるか?」 内心でそんなことを考えていたところでコレットが急に声をあげたため、時光の心臓が跳ね上がった。しかし幸いにも、彼の声が動揺で若干震えていたことにコレットは気づかなかったようだ。立ち上がって、時光の方を振り返りつつある樹木をめいっぱい腕を伸ばし指さしている。 時光が急ぎ駆け寄り、彼女が指している樹木に注目すると、そこには赤い色をした身の柔らかそうな木の実がいくつもなっていた。 「あの実、もしかしたら食べられるかしらって……でも、ちょっと高いところになってるから、届かないかな……」 確かによく熟れていて一見しただけでも美味しそうに見えるその実は、時光がめいっぱい腕を伸ばしても届きそうにない位置になっている。しかし、いくらかしょんぼりしたコレットの様子を見て、あっさり諦めるという選択肢は時光の中で真っ先に消去された。 「おお、そうだ」 幸いにも、名案はすぐに浮かんだ。簡単なことである。一人がめいっぱい腕を伸ばして届かないならば、二人で協力してやればいいのだ。 「拙者がコレット殿を肩車するでござる。さすれば、きっと木の実に手が届くでござるよ」 「え、でも、えっと。わたし……その、ちょっと重いかも、しれないよ?」 「なんのなんの、コレット殿を持ち上げるくらい、軽いものでござるよ」 早速、時光はコレットの両脚を肩に乗せると、立ちあがってみせる。一気に目線の位置が高くなったコレットは、「わぁっ」と感嘆の声を上げた。先程まで見上げていた赤い果実が、今は彼女の目の前にある。掌サイズの実を手の届く限りもいでは時光に手渡し、時光はそれを籠に入れていく。その作業の最中、時光は今自分がコレットとぴったり密着していることに気がついた。木の実を採るためと考えついてやったのはいいが、ふとそのことに思い至ってしまうとどうにも気まずいような心持ちになる。時光が耳まで紅潮させつつ一定の作業を繰り返していると、ふいに木の実をもぐコレットの手が止まった。 「あんまり採ったら、この辺りの動物さん達が困っちゃうかしら?」 「で、ではそろそろ枝拾いに戻るでござるか」 コレットがバランスを崩して落ちないよう、時光はゆっくりと慎重にしゃがむ。彼女のぬくもりが肩から離れていくのを感じ、若干名残惜しいと思ってしまう自分を内心で叱咤しつつ、時光はコレットに笑いかけた。 「では、あともう少し枝を拾ったら、暗くなる前に浜へ戻るでござる」 「うん。あともうちょっと、頑張りましょ」 一方、食料調達のため狩に向かったアインスとツヴァイは、小動物を捉えるための簡単な落とし穴などの罠を仕掛けながら林の中を進んでいた。 「えーっと、これで罠は十カ所くらいか。二匹か三匹くらい引っかかってくれっといいなー!」 穴を掘りまくったり罠用の枝や葉を集めまくったりで強張った身体を解すように、大きく伸びをしながらツヴァイは期待を膨らませていた。 「時間的に言って、夕食までに一匹でもかかれば奇跡だと思うが」 そこへアインスの冷静なツッコミが加えられ、瞬間的にツヴァイの眉間に皺がよる。 「なんだよ、希望抱くくらい良いだろ! うっかり屋のウサギが沢山住んでる島だったら五匹はいける!」 「仮にこの島にウサギが住んでいたとしても、それほどまでに野生本能が低下していたならとっくに他の動物に狩りつくされているだろうな」 正論尽くしの返しに、ツヴァイは言葉を詰まらせた。ぐうの音も出なくなった弟を横目に、アインスは空を見上げてみる。日の傾き具合からして、まだ罠を仕掛ける時間はあるようだ。だが、回収の手間や確実性を考慮すると、そろそろ罠を増やすよりも直接獲物を捕らえに行った方がいいかもしれない。 「浜へ戻るぞ」 促す言葉に、ツヴァイは「えー」と言わんばかりに口を尖らせ抗議する。 「なんだよ、まだ一匹も食材ゲットできてないのに戻んのか」 「浜には貝もあるし、魚もいるだろう。何のために釣り道具を持ってきたと思っているんだ?」 「……まあ、ナイフ一本で小動物追いかけまわすのはキツイだろうけど。でも俺としてはもうちょっとこう、熱帯のジャングルでスリルを味わいたいというか」 「お前はコレットを飢えさせるつもりか? どうしてもというなら、私は一人で食材を確保してくるが」 その台詞で、ツヴァイはハッとした。ここで自分がアインスより食材を圧倒的なまでに大量確保できれば、コレットに良いところを見せられる。裏を返せば、こんなところでグダグダしていたらそのおいしいチャンスをアインスに奪われてしまうのだ。 「いや、戻ろうぜ。コレットと時光がせっかく頑張ってキャンプの準備してくれても、食うもんがなきゃ意味ないもんな」 一瞬、兄弟の間に火花が散ったようだった。そして次の瞬間、ツヴァイはダッシュで林の中を駆け出す。浜に早く着けば、その分だけ獲物を手に入れるチャンスは増えるのだ。なら、ここでまったり散策している暇はない。アインスも反射的に弟の後を追う、いや、抜き去ろうと追いかける。 「何を急いでいる、焦らなくともまだ時間はあるぞ」 「なら何で兄貴も全力疾走してんだよ!」 「それは可愛い弟とはぐれないために決まっているだろう」 「白々しいにも程があるだろその台詞ッ!! 俺のことはいいから兄貴は後からゆっくり来いよ!」 言い争いながら二人は疾走する。周囲の小動物や鳥達が、走り抜ける彼らの勢いに慄くようにして逃げ去っていく。 「お前がそうするというなら、そうしなくもないが」 「それ俺が止まっても突っ走ってく気満々だろ」 「私がそんなセコいことをすると思うのか!」 「するね! 今の言い方はする確率90パーセン――、あれ?」 言いかけたところで、彼らの視界が急に眩しくなる。どうやら林を抜けたらしいが、目前にあるのは浜辺ではない。水があるのは同じだが、おそらく海水ではないだろう。そこにあったのは、湖だった。青々とした草の原に囲まれ、大きな湖が音も静かに広がっている。 「来るときには、ここは通らなかったな」 「すげーな! 底が見えるくらい透明だぜ。魚も沢山泳いで、……」 思いがけず辿り着いた湖への感動は、「魚」の一言によってかき消える。なんと言っても、浜辺まで戻らなくても釣りができるのだ。浮かれている場合ではない。ツヴァイは素早く釣り道具を取り出し、罠を仕掛ける過程で採取していた餌用の幼虫をいそいそと針につける。 「あえて、海釣りより湖での釣りを選ぶ気か」 「……ビーチで淡水魚食べて何が悪い」 沈黙。言われてみれば、確かに潮の香りのする砂浜で淡水の魚を食べるのは妙な違和感があるような気がしなくもない。 「それでも俺は釣ってやる、釣ってやるさめざせ大漁!」 若干の躊躇いをかなぐり捨て、ツヴァイは釣竿を振るう。ぽちゃん、とウキが水面を揺らす。すると、一分も経たないうちにウキが沈んで、ツヴァイの持つ竿に引っ張られる感触を伝えた。 「おおっ!?」 予想以上の食いつきの早さに戸惑いつつ釣り糸を引き上げると、やや小ぶりではあるものの食料とするには充分なサイズの魚がかかっていた。 「いける。これはいけるぜ!」 一匹目ゲットのスピードの異常な早さに、ツヴァイは興奮を抑えきれない。このペースで釣っていけば、ジャンクヘブンへ船で戻る際の食料を含めても充分な量が確保できるだろう。「俺すげぇ!」とツヴァイがはしゃいでいると、すぐ脇で何度も水がバシャバシャと激しく叩かれているような音が聞こえた。 見ると、いつのまに釣りを始めていたのか、アインスはツヴァイの釣り上げたそれより一回り程大きな魚のかかった釣竿を手にしている。釣り針から魚を外すその表情に浮かんでいるのは、勝ち誇ったような笑みだ。 無言の睨みあいが、数十秒もの間続く。それから同時に竿を振りあげ、二つのウキがまた同時に水面を揺らした。 夕方、それぞれ大量の魚を籠に入れたアインスとツヴァイが浜辺に戻り、かまどを完成させ火を起こす準備をしていた時光とコレットがそれを迎えた。結局罠にウサギどころか小動物一匹ひっかかることはなかった。しかし釣り対決はどこまでも互角の状態で白熱し、入れ食い状態が続いたことで当初の予想を超えた成果を出すことができたのだ。 「わぁ、二人ともすっごく沢山捕まえたのね!」 「これだけあれば帰りの船でも魚三昧でござるな」 感嘆するコレットと時光の反応に、ツヴァイはやや疲れ気味ではあったが満足げに胸を張る。 「まぁな! 下手したら旅行土産ってことでターミナルのみんなに配れるかもしれないぜ?」 「おや、その果物はどうしたんだい?」 コレットが赤い果物の入った籠を運ぼうとしていたのを、さりげなく代わりつつアインスが尋ねる。 「これはね、枝拾いしてたら見つけて……皆で食べたら美味しいかな、って」 はにかむように微笑むコレットに、「確かに、それは美味しいだろうな」とアインスもまた最上の笑みを返す。 「ところでアインス殿。これから火を起こすゆえ、『まっち』を貸してもらえぬでござるか?」 「……ああ。少し待っていてくれるか」 コレットに接近した直後に空気を壊され、いくらか脱力した様子でアインスは籠を運ぶ。それを見て、ツヴァイはこっそり心の中で「時光グッジョブ!」と呟いていた。 夕食はアインスとツヴァイが釣ってきた魚を、船に少し残っていた野菜と調味料でソテーしたものだ。コレットの手料理に男三人は笑顔で舌鼓を打ち、さらにデザートとして出てきた例の赤い果物のあまりに甘くジューシーな味に四人とも驚きの声をあげた。 夕食の片付けを終えると、四人は焚き火を囲んで談笑を楽しんだ。今日枝拾いの最中に見つけた綺麗な花の話や、釣り対決の経緯などを話し続けていたが、いつのまにか時光だけはうとうとと眠りこんでしまっていた。 「あーあ、時光寝ちまったのかよ。まだまだ夜はこれからだってのに」 「昨夜も眠れていなかったのだから、仕方ないだろう」 「毛布か何か、持ってきた方がいいよね」 そう言ってコレットが立ちあがると、自分が手伝おうと言わんばかりにアインスとツヴァイも共に立ちあがる。互いに「自分が行くからお前は待ってろ」と言いかけるが、コレットが口元に一本立てた人差し指をあて、時光の方を目線で示したことによって兄弟喧嘩はすぐに鎮静化した。 三人で取りに行った毛布を、寝ている時光にコレットがそっとかけてやる。それから、近くで騒いで起こすのは悪い、と三人は焚き火から離れ、穏やかな夜の浜で静かにさざめく波打ち際に向かった。 真黒い海。一見するとそれは底の見えない闇そのもので、言い知れぬ不安を感じさせるようだ。しかし、少し視線を上に向ければ、同じように黒い色をした空にまんべんなく砂金を散らしたような星々が輝いている。 「すげー……」 ツヴァイが思わず漏らした言葉に、二人も同意する。しばらくそうして三人並んで星空を眺めていたが、ふと視線を降ろしたコレットが「あっ」と声を上げた。 「海にも星がある……!」 それは、夜空の星が海にも映り込んだのだろう。波で不安定に出たり消えたりを繰り返しているが、よく見ると確かに真黒い海にもいくつもの星が散らばっていた。パッと見たときには不気味に思えた海が、今彼らの目には神秘的に映っている。 コレットは海に降りてきた星々を掴もうとするように手を伸ばしつつ、引いては返す波の内へ足を入れた。膝の辺りまで海につかり、軽く屈んで星を両手で掬おうとしてみる。屈んだことで服の裾に海水が染みていくが、それを気にした風はない。 「おーい、コレット!」 「あまり服を濡らすと、風邪を引いてしまうぞ」 ツヴァイとアインスが、彼女を追って同様に夜の海へ足を踏み入れてきていた。コレットは彼らの方へ振り返ると、その手で掬った星空を二人に向けて放ってみせる。 「うわ、冷てっ!」 「コ、コレット?」 驚いた様子の二人に、コレットは楽しげにくすくすと笑う。そんな彼女に、兄弟は少しの間呆けたような表情を浮かべていた。しかしツヴァイはすぐにニッと笑うと、コレットがしたように海を手で掬って彼女の方へ軽く散らす。 「きゃあっ」 「へへ、お返しお返し」 両手を腰にやり、楽しげにしているツヴァイの顔へ向け、真横から海水が浴びせかけられた。 「レディに何をしているんだ、貴様は」 「なんだよ、ちょっとした遊びじゃねーか!」 そうして兄弟間の水のかけ合いが始まり、そこへコレットがさっきの仕返しとばかりにツヴァイの背後から水をかけ、追いかけっこへと発展したりと、三人は疲れきるまでずっとそこではしゃぎまわっていた。 「うう、何故拙者はすぐに寝てしまったのか……」 翌朝、びしょ濡れの三人から、昨晩の盛り上がりの一部始終を聞いた時光はがっくりと肩を落とした。 「しょうがないって。また四人でさ、どっかに遊びに行こうぜ」 船に荷物を運びこみ終えたツヴァイが、慰めるように時光の肩を軽く叩く。今回の旅行は当初二人きりの予定だったという経緯もあって、ツヴァイにとってははじめ不満もあったようだが、それも今はどこ吹く風といった様子だ。 「今度は、船の移動がないといいね」 コレットは、濡れた服をいつまでも着ていては体調を崩してしまうだろうことで、今は時光の上着を借りて羽織っていた。 「では、そろそろ帰るぞ」 四人は、名残惜しげにしながらも船へ乗りこむ。約一名、必要以上に足取りが重いのは、これからまた一日近く船酔いに悩まされることへの恐れゆえだろう。 そうして、船はジャンクヘブンへ向かう。その帰路もまた、彼らにとってはかけがえのない思い出の一つになっていくだろう。 【完】
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