白い日傘の持ち手をくるくると回して、0世界での出来事を、コレット・ネロは思い出す。 自然と浮かび上がる笑顔。 言い出す前はどきどきして、大丈夫かなと不安な気持ちもあったけれど、言葉にして訊ねてみれば、返ってきたのは嬉しさの伴った、快い返事だった。 (「よかった」) ほっと、胸を撫で下ろす。 やりたい事があったけれど、それはアインスとツヴァイがいないと出来ないことだったから。 コレットの心が軽く、ジャンクヘヴンに向かう。 +++ ――君の願いは全て叶えてあげたいと思う。 そう思うようになったのは、いつのことだろうか。 他の女性の願いは請われれば、叶えようと行動はする。 自分より弱い者を守るのは、国の皇子として自然と身についたものであったせいもある。 行動にして示すのは同じようにみえても、コレットに対する行動には思いが伴っている。 私の特殊能力が、人の思考を読みとり、また、心の声を伝えることができるからでもない。 そういった能力を持っている分、気持ちを伝えるときには、他の人が行うプロセスを経て伝えたいと思う。 大丈夫かなと気弱な君が、口にするまでの少し不安げな表情が、私たちの答えで、ふわりと花開くように笑顔へと変わる様は、ただ純粋に嬉しかった。 +++ コレットに話し掛けられるのも、何処かに行こうとおねだりされるのも、ただ純粋に嬉しい。 兄妹であるせいか、たいていは兄のアインスも一緒だが、そういう状況にも慣れた。 元の世界に居たときに比べて、少しは成長したとは思う。 ここには元の世界の者で一緒に居るのは、殆どアインスだけだったし、大人げない態度で接したりするのはなくなった。 ……と思う。 長年の反射っていうのは、なかなか無くならないものだし。 そもそもアインスが俺に対して苛めるから、つい乗ってしまうんだ。 それも一種の兄弟親交と考えればいいのかもしれないけれど、いつかは超えて見せたい。 ついでに、というかこっちの方が重要だが、俺の方を選んでくれればと願う。 今はまだ、アインスと一緒にいることが多いけれど、アインスと競争というとかはなしで、ただそう思う。 +++ 青く透き通る水。 陽に照らされて反射する白い砂。 活気のある港。 市には人がたくさん行き交い、活気に満ちている。 ジャンクヘヴンの市街へと出てきて、人気のない通りから、海の見える場所へと出た。 日陰から陽の当たる場所へと出た反動で、軽く背伸びをして、身体をほぐす。 ひんやりとした肌を刺すのは、石畳を照りつけ続ける陽光。 「日傘をさしたほうが良いみたい」 そういって、コレットは持参した白いレースの透ける様が美しい日傘をさした。 「これは帽子もあったほうがいいか?」 「そうだな。市場でいいのがあれば手に入れようぜ」 ツヴァイが、掌で風を送ろうとぱたぱたと動かす。 「それは焼け石に水だと思うが」 「気分だよ、気分」 「あまりだらしのない姿を見せてくれるなよ」 アインスが言えば、ツヴァイはあおっていたその手を止めて、下ろす。 今日は、コレットの希望を聞いたアインスとツヴァイが希望を叶えるべく、3人はジャンクヘヴンへとやってきた。 コレットの希望は、ジャンクヘヴンの市場で売られているものが欲しいという内容だったから。 2人は、コレットがどんな品を買いたいと考えているのかは知らなかったが、一緒に出かけられるということだけで、十分楽しみだったし、何よりこの行為は、所謂デートと同じではなかろうか。 そう考えれば、俄然気分も上昇した。 「行きましょう?」 涼やかな姿で海を眺めていたコレットが、くるりと日傘を回して、2人へと振り返る。 「はい」 「ああ」 姫をエスコートするのは、2人の皇子。 コレットを真ん中に、歩き出した。 +++ 木箱に詰まっている果実や野菜、そして乾物。 網目の細やかな籠には、香辛料が山盛りだ。 重さを量る計量器は、分銅を使うレトロなものだったり、天幕から吊り下げた一般的な計量器だったり、手秤といった加減で済ます店もあり、まさにさまざま。 飲料水は果実を絞った果実水や、炭酸水に果実を加えたものが、一般的だ。 時間が早ければ絞りたての牛乳や山羊乳なども扱っているらしかったが、それは気温が上がる前までの限定的な店だった。 基本的に水は煮沸してあるのが安全で、茶葉で煮出したものを提供している店もある。 店へと呼び込む賑やかな掛け声や値段交渉する人、商品である魚介類を捌いている人、見ているだけでも飽きない光景だ。 「ツヴァイ、コレットを頼む」 アインスがツヴァイの耳元に話し掛ける。 人が行き交う中で、話し声も大きめに出さなければ、聞き取るのが難しいときがある。 いまは、1人だけに分かれば良かったから、耳元に顔を近づけて話すことにしたのだった。 「どこ行くんだよ?」 任せられたってことは、しばらくはこの場を離れるということだ。 耳元から顔を放し、 「後で分かる」 「わかったよ」 ツヴァイはアインスに片手をふって見送り、少し先にある店先で熱心に並んでいる商品を眺めているコレットの元に急いだ。 傍に立つと、影がコレットの上に落ちる。 コレットはツヴァイを見上げ、 「アインスさんは、どこに行ったの?」 「ちょっと用があるんだそうだ」 「そうなの」 「大丈夫だ。心配するなって」 「待ち合わせ場所は、決めたのかしら?」 「ん? あ、ああ。大丈夫。アインスからテレパスで何処にいるか、俺に飛んでくるしな」 「それなら安心ね」 「コレットは何を買ったんだ?」 「内緒、です」 はにかむような笑みを浮かべて、コレットはいう。 「ジャンクヘヴンにまで来て買い物するってことは、けっこう特別なものなんだろうな」 「そうなの。特別な物なの」 いくつかの店で品物を手にしていたから、望む品を手に入れることができたのだろう。 「重いだろ? 持つぜ」 「えっ、でも」 荷物持ちのために来て貰った訳ではないですから、と暗に伝えるコレットに、ツヴァイは明るく笑う。 「そんなの気にすんなって。重いのは俺に任せておけよ。まだ何か買いたい物があれば、買っていくといいぜ。荷物持ちにはちょうどいい男が2人もいるしな、存分に買い物すると良い」 女性の買い物は長くて選ぶのも長くかかるのを理解しているので、どこまでも付き合うつもりだった。 「では、荷物お願いしますね」 籐の籠の内側は布が敷かれて、持ち手にはスカーフが結ばれた女の子らしい籠だったが、気にすることもなく、ツヴァイは手にした。 籠の中には茶色の包装紙や、紙袋に入っている品がいくつか収められており、簡易包装の物ばかりだとわかる。 贈り物ではなく、何かの材料らしかった。 買い物に付き合ってはいるが、折角買い物を楽しんで居るのだからと、なるべく購入している品について見ないようにしていた。 ツヴァイは、意外にも料理は得意で、材料を見れば、何を料理するためのものなのか分かる場合があるからだ。 ジャンクヘヴン特有のスパイスなどもあるだろうし、材料の全てが理解できるわけではなかったが、わざわざ推測する必要はないだろうと考えていた。 「この帽子、どうですか?」 「布製よりは、編んである方が良いか?」 「アインスさんとツヴァイさんの瞳の色に合わせるのはどうかな」 「兄貴の分も買っておくか」 目元に日差しが入ってこない程度に抑えられ、互いの瞳の色のラインに錨の形のボタンのついた帽子を買った。 早速、ツヴァイが被り、コレットの買い物について歩く。 それから、幾件かの店を回り、必要な物を買い終えたとコレットがいうころ、アインスから連絡が入ったのだった。 +++ アインスが集合場所に指定した場所にコレットとツヴァイが到着したころには、空は傾きかけていた。 生ぬるいだけだった潮風も、気温が下がったせいか、肌に心地良い。 最初は海風特有の少し肌にぺったりとつくような感覚には慣れなかったが、数時間滞在する内に慣れてしまった。 「結局、何の用だったんだ?」 「あれだ」 そういって、アインスが示したのは、遊覧船。 しっかりとした豪華な造りの船で、装飾も施されており、帆柱も3本ある。 「夜景を眺めるのに良いと考えた」 2人から離れて1人で行ったのは、もしかして運行している本数が少なくて、一緒に行って無駄足に終わっては、市場で買い物を楽しんでいたのに、途中離脱は悪いと思ったからだった。 乗船チケットの販売所で聞いてみれば、夜も運行しているとのことで、それならと星も綺麗に見える夜の遊覧船で楽しもうと。 「そろそろ出航の時間が近づいている。行こう」 アインスは、チケットを手渡し、乗船手続きをしようという。 「大きな船ですね」 コレットは船を見上げて、船上から漏れる光や、潮風に乗って聞こえる話し声を耳にして、楽しそうに笑顔をみせる。 「中では、ダンスや料理も楽しめる」 「それはいいな」 すっかり乗り気になっているツヴァイ。 「でも、良いの?」 遠慮がちにチケットを手にして、アインスをコレットは見つめる。 「折角の機会だから、キミと夜の海を堪能したい」 「アインスさんが、そう言ってくださるのなら……」 アインスに言われ、乗船するのを少し躊躇っていたコレットは、乗船することを決めた。 「どうぞ手を」 遊覧船に移るときに、海へ落ちないようにと、アインスがコレットに手を差し伸べた。 「あ、ありがとうございます」 一瞬、手を差しだすのを躊躇うが、 「海に落ちてしまったら、風邪を引いてしまうからね。コレットなら、人魚のように綺麗だと思うけれど」 「落ちるのは困るかな」 慌ててアインスの手に自身の手を重ねる。 「急がなくても大丈夫だ」 くすりと口元に笑みを刻んで、アインスは優しげな眼差しをコレットに向けた。 「はい」 先に歩き出したツヴァイの後を、コレットとアインスがついていく。 乗船手続きをして、しばらくしてから、遊覧船は出港した。 +++ すっかり夜空に変わり、船上は煌々と灯りで照らされ、動く社交場となっている。 小さな立食用のテーブルには、数人の男女がグラスを手に談笑をしている。 船上であるせいか、低めの高さの舞台上では、緩やかな曲調の音楽が奏でられ、思い思いのかたちのダンスを踊っている。 乗船してからは、遠のく街並みを、コレットはきらきらとした眼差しで眺め、船内を少し探検した後、「少し、席を離れますね」と言って、会場を出て行った。 手には、昼間市場で買い集めた品の入った籠を持っていた。 時間はまだまだあったから、帰ってきてから一緒に楽しめばいい。 それに、コレットが楽しそうにしているのを見るのは、遊覧船のチケットを購入した甲斐があるというものだ。 ついていこうかと声をかけたら、「アインスさんとツヴァイさんには、こちらで待っていて頂きたいのです」と言ったので、2人して待っている。 兄弟2人で。 少し離れると言っていたから、そろそろかとツヴァイはそわそわと気になり、コレットが出て行った方向へと目をやる。 何かあってはと思うからだ。 「なんだろうな」 「コレットの用事のことか?」 「ああ」 「楽しみに待っていればいいだろう。待つのも楽しい時間のひとつだ」 「1人にして大丈夫なのかよ。危ないだろ。探しにいくぜ」 「コレットがここで待っていて欲しいと言っただろう?」 「心配じゃないのかよ」 「そうは言っていない」 「だったら、何だよ」 「コレットだ」 アインスはグラスを通りがかったボーイのトレイに乗せ、ツヴァイへと視線を向けた。 「コレット、何処に……」 「これをおふたりに差し上げたくて」 コレットはリボンが結ばれた2つの包みを、アインスとツヴァイに差しだす。 「ジャンクヘヴンの市場で、おいしいココアパウダーが売っているって聞いたから、買いに来たかったの。2人にバレンタインデーのチョコレートを作って渡したかったから」 市場で無事に見つけ、あとは作って渡すだけだったのだが、船内にミニキッチンがあると聞いたので、それならと、少し離れてチョコレート作成に勤しむことにしたのだった。 「ありがとう」 「ありがとうな。開けてもかまわないか?」 「はい。気に入って頂けるといいのだけれど……」 箱に力を込めて仕舞わないように、丁寧に扱いつつ、リボンを解く。 「美味しそうだ」 「頂こう」 アインはひとつ摘んで口へと運ぶ。 「甘過ぎなくていいな」 「この炭酸水とも合うぜ」 ツヴァイは、コレットにも勧める。 「味見くらいしかしてないんだろ? 美味いぜ」 「そういって頂けると嬉しいわ」 アインスとツヴァイは互いのグラスを近づけ、喉を潤した。 +++ コレット手製のチョコレートを味わったあと、アインスとツヴァイはコレットをダンスに誘う。 ダンスホールではムードのある曲が奏でられ、曲調に合わせてゆっくりと踊る。 コレットはアインスとツヴァイと交互に交代しながら、身体を動かして楽しんだ。 身体を動かせば、空腹になって来る。 「腹が減ったな」 「抜かりなく予約してある。行こうか」 コレットへと優しい眼差しを向ける。 「ええ」 「お勧めの料理ってなんだろうな」 「魚介類だろう、ここは」 席へ案内され、料理がサーヴされてから、コレットは口を開いた。 「私がプレゼントしに来たのに、プレゼントされちゃったね」 コレットはアインスとツヴァイに微笑んだ。 「気にすることはない。私がそうしたいと思っただけだ」 「遠慮することないぜ」 2人の気さくな言葉。 料理が並び、食欲の刺激される香りに、食が進む。 絶妙なタイミングで運ばれてくる料理を味わったあとは、夜風にあたりに出て行く。 「綺麗ね」 「そうだな」 空に散らばる小さな光が綺麗に見える。 街の方へみやれば、少しずつ灯りは大きくなっていた。 港へと戻っているのだろう。 楽しい遊覧船でのクルージングはそろそろ終わりに近づいていた。 「少し寂しい気持ちになるね」 コレットは船の作る海水の筋を見送る。 「また来ればいい」 「そうだぜ。これるのだから、来たいと思ったら、来ればいい。次ぎも一緒に来ような」 アインスとツヴァイの温かな言葉に頷いたコレットだった。
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