桜吹雪のなかに、一は立っていた。 ここは――どこだろう? まだ、赤の王の体内に、いるのだろうか? 親しい誰かの呼びかけが、聞こえてくる。 + +「ほらぁ。ぼーっとしてんなよ」 鰍の飄々とした声が、一を現実に引き戻す。軽妙な仕草で、ひょいと目の前に差し出されたのは、見事な飴細工。 あきれ返るほど精巧なそれは、極小サイズの『赤の王』だった。「こんなもの、なめてかかれ」 と、笑う鰍に、「無駄に器用ですね」 受け取るなり、口に放り込む。ぱっくん。ぼりぼり。噛み砕く。「次はこれだな」 白のスーツのノーブルな男性像だが、しかしその人物には毛髪がない。つるっと光った頭部に、一は盛大に吹き出した。「あははははは!」 べきっ。 こちらも二つ折りにして、頬張る。「……ぐやしひけろ、甘くて、美味しひれす」「そりゃあ、飴だから」 + + 赤の王との決戦から、少しだけ、経った。 思うところの多い一は、何かとふさぎがちだったのだが、そんな彼女を、鰍は、祭りの屋台を手伝えと言って連れ出したのだ。 おそらく、一を励まそうと思ってのことなのだろう。鰍はそうは言わないけれど。 東京近郊、鰍の住居にほど近い町の神社で、毎年行われる春の祭。小さいが歴史の古い社で、祭神は木花咲耶姫であるらしい。春祭りの季節には、境内も参道も満開の桜で埋め尽くされる。 この町がつつましやかな集落であった時代から、五穀豊穣を願って行われた祭りは、伝統を守ろうと気負うこともないままに、連綿と続いてきたのだと鰍は言う。 古すぎて謂れさえもわからぬ山車は、「巫女の舞」というからくり人形をそなえている。しかし、山車はしずしずと町なかを進むだけであり、観光客などがくるわけでもない、地元のささやかな祭祀だ。 それでも、桜並木に沿って数々の屋台が並び、ひとびとが楽しげに行き交うさまは、春のまつり特有の華やぎとにぎやかさに満ちているのだった。「働けば気も紛れるだろ? 働け」「はいっ! 一一 一、働きます!」 飴細工の屋台は、まだ設営の途中だった。ひときわ枝振りの良い桜の大木の下に店を構えるべく、鰍の指示のもと、一は作業にかかる。「ひと段落ついたら、他の屋台を見てみようか」「甘いもの食べたらしょっぱいものが欲しくなりました。たこ焼きとか焼きそばとか焼きトウモロコシの匂いがたまりません」「わかったわかった。何でもお兄さんが奢ってやるから、たくさん楽しもうぜ」=========!注意!企画シナリオは、便宜上、参加枠数が「999」になっていますが、実際には特定の参加予定者のために運営されています。この企画シナリオは下記のキャラクターが参加予定です。他の方のご参加はご遠慮下さい。万一、参加予定でない方のご参加があった場合は、参加がキャンセル(チケットは返却されます)になる場合があります。<参加予定者>一一 一(cexe9619)鰍(cnvx4116)=========
蒼天だが、風は強い。 満開の桜は激しく枝を揺らしている。振りこぼれた花びらは、くるりくるりと、神楽のように舞い踊った。 「こりゃ、今日中に散りそうだな。今年の桜は早かったからなぁ」 視界を遮るほどの桜吹雪の間をぬいながら、屋台の設営は続く。 「次は何をすればいいですか」 腕まくりをし指示を仰ぐ一に、鰍は、そうだなぁ、と、一瞬手を止め、破顔する。 「そこで見てろ。後は俺がやる」 「え。何でも言いつけてくださいよ。力仕事だってへっちゃらですよ?」 「飴は重いの」 「んー。じゃあ、サンプル用の飴細工作るの、お手伝いします」 「飴細工はお前には二百年早い」 「長ッ!? 何も鰍さんレベルの職人芸を極めようってんじゃないですよ。ヘタウマとか素朴な魅力とか、そーゆー親しみやすさの演出をですね」 「はいはい。一さんには親しみやすい看板娘をお願いしますよ。もうじき開店するから、客引きと売り子と、お子様とかお子様とかお子様とかのお相手を頼む」 「お子様限定の看板娘ッ?」 さりげなく冗談めかして、鰍は、一に什器を持たせることも、飴を扱うことも避けさせる。 店の規模は小さく簡単にまとめたつもりだったが、なにしろ飴細工に要する一連の荷物ときたら、海外巡業に出かけた飴細工師が税関で不審に思われて足止めをくらったエピソードがあるくらいには、重いのだ。 そして、飴は熱い。熱いうちに手早く成形しなければならない。出来映えがヘタなのはまったく問題なく微笑ましいくらいだが、火を使うため、火傷の心配がある。 「そんなわけで看板娘。ディスプレイ用の飴細工のネタを出すことは許す」 「ちぇーーっ。おじさんのけち」 鰍の配慮はよくわかったので、一は文句を言いながらも、素直に従った。 「じゃあ、デフォルトセクタンときつねとふくろうとドングリとたぬきとロボとくらげとわんこを並べてください」 「……難しいな」 「えええ。意外。簡単過ぎるって言われると思った」 「いや、みんな、それなりに何とかなるとは思うが。わんこが難しいんだよ」 「ますます意外。作りやすそうですけど」 「肉球が、よくよく見ると花びらの形って知ってたか。それの再現がな」 「なにそれ可愛い」 「だろ?」 「見たい見たい実物。こっそり見せてくださいよ。ホリさーん」 「いや、ホリさんはフォックスフォームにしかなんないから!」 + + 藍染めの幟に「飴細工」と書いてあるだけのシンプルな屋台は、三年前の秋、ターミナルで出店したときのものとさして変わらない。 使う道具は、和バサミひとつ。 風の強い日は飴が固まりやすい。気候の設定がなされているターミナルとは勝手が違う。鰍の作業はふだん以上に猛スピードであった。 「はいはーい。よってらっしゃい見てらっしゃい。見て楽しく食べて美味しい飴細工ですよー。可愛い動物からごっつい合体ロボ、RPGでおなじみのドラゴンまで何でもござれ。ピンク髪のおじちゃんが繰り広げる匠の技をとくとごろうじろ」 一の軽快な呼び込みに、わらわらと子どもたちが集まって来た。 各フォームのセクタン飴を興味深げに見てから、思い思いのクリエイティブなご発注をなさる。 「わー。かわいい。ねえねえ、おじちゃん。くまさんもつくれる?」 「うさちゃんつくって」 「あたし、猫ちゃんがいいー!」 「リスー!」 「シマウマー!」 「ユニコーン!」 「スフィンクス」 「超時空戦艦ヤマダ」 「『銀河合体・きらめきの機関車』の運転手!」 「『魔女っ子戦隊・プラチナムオーキッド』の主人公の蘭香ちゃんの第二期変身バージョン!」 「ほう……、飴細工とは珍しい。こういった技術も、なかなか見かけなくなったものだが」 子どもたちの輪のうしろで、品の良い老紳士が、ふと立ち止まった。 「九種の動物の一部からなるという、中国の旧い龍をたのもうか。駱駝の頭、鹿の角、牛の耳、蛇の首、貝の腹、魚の鱗、鷹の爪、鬼の目、虎の足」 (ちょっと待てー! なんだこのこだわりのオファーは!) (辞退不可ですよ鰍さん。画廊街の人気絵師さんになったつもりで受諾してください!) + + 子どもたちはそれぞれのご発注品を手に、歓声を上げながら駆けていく。 老紳士はたいそうご満悦な表情で飴を眺め、鰍の名前を聞いた。 客足の途切れを見て、小遣いを持たされ、休憩に出してもらった一は、ひととおり食べ物屋を制覇したようだった。 「いやー、やっぱ屋台の華は焼き物ですよねー」 「おいこら、飴細工屋台の看板娘!」 「見てくださいこの戦利品。鰍さんの分も買ってきましたよ。たこ焼き、焼きそば、お好み焼き、焼き鳥、串焼き、イカ焼き」 「がっつり系のラインナップだな」 呆れ顔の鰍をよそに、一は旺盛な食欲を見せ、片っ端から頬張っている。 「はぐはぐ。うまうま」 「そんなに食ってると太るぞー」 「働いて消費しますよ。それに私、若いですし!」 + + 今度は、いったん店を閉めて、ふたりで歩いてみることにした。 陽は西の方に沈みかけ、桜並木は黄金いろに染まりつつある。 屋台の店が途切れかけたあたりで、にぎやかなお花見を楽しんでいる男性たちを見かけた。御座を何枚か敷き詰め、車座になって、気の置けないやりとりに興じている。 どうやら、神輿を担いでいた地元の男性たちであるらしい。春の日射しはさほど強くないにしても、何時間も担ぎ続けた男たちの顔と腕はすでに褐色だった。 しかし彼らは、勲章のように焼けた膚を誇り合いながら、七輪のうえでスルメなどを炙っている。香ばしい匂いを立て、くるんと湾曲したスルメは、豪快に裂かれて配られていく。 御座の上に置かれた重箱には、有志の差し入れらしき、素朴な稲荷寿司と、色鮮やかな手まり寿司。酒宴は進んでいるようで、飲み干された一升瓶が整然と並んでいる。陽気な会話の応酬が続いているが、まったく場は乱れていない。 まるで、この酒宴さえ、此花昨夜姫への奉納であるかのようだ。 目礼して行き過ぎようとしたふたりは、気さくに呼び止められた。 「お、飴細工屋の兄ちゃんと嬢ちゃんじゃないか」 「休憩中かい? おい、そこ、詰めろ」 「嬢ちゃんは俺の隣な」 「おいおい、叱られるぞ」 「ほら、座って座って」 「飲むだろ、兄ちゃん?」 鰍の前に、ぐい、と、湯呑みが差し出される。とくとくと、酒が注がれた。 慌てて固辞する。 「いやぁ。まだ屋台の営業は終わってないんで」 「お堅いこった。まぁ、娘さんの前で酔っぱらうわけにもいかんわなぁ」 「………娘?」 鰍の顔が、微妙に引きつる。 「若い父ちゃんでいいなぁ、お嬢ちゃん」 「はい! 父が16のときの子です!」 「……おい、一」 一はひとしきり――笑った。はしゃいだ。 何かから、逃避するかのように。 + + 宴席に混ぜてもらった礼を延べ、ふたりは神社に向かった。 「感謝の心を忘れたら日本人じゃないからな」 というのが、鰍の弁である。 水舎で手を洗い、口をゆすぎ、拝殿の前に立つ。 鈴を鳴らし、参拝しようとして、一は戸惑う。 ……何を祈ればいいのだろう。 ダイアナが安らかであるように? 赤の王との戦いでその死を見届けた、グレイズのこと? それとも、あの囚人の……、いや。 世界群のすべてが平和であるように、祈った。 何を祈ったんだ、と、鰍に問われ、一は言葉を濁しながら境内を見回す。 「え、ええっと。ここの祭神て木花咲耶姫でしたっけね」 謂れがしるされた立て札を見つけ、小走りに駆け寄る。 天孫ニニギノミコトは、木花咲耶姫と姉の岩長姫を同時に娶ったが、醜い姉姫だけを送り返したこと、一夜で身ごもった木花咲耶姫は、ニニギノミコトに不貞を疑われ、身の潔白を証明するため、産屋に火を放ち、その中で出産したこと、岩長姫はひとり寂しく富士山の山頂で暮らしていたが、姉を心配した木花咲耶姫は、溶岩の流れる富士山へ登ろうとし、どこからともなく現れた白馬が、それを助けたことなど―― 謂れというよりは、日本神話のエピソードである。 「私、ニニギノミコトってちょっとどうかと思いますよ」 とりあえずはそれが、神社参拝の感想であった。 + + 「で」 屋台に戻る道のりの途中、鰍は歩みを遅くする。 「俺に何か、ぶつけたいことはないのか?」 「鰍さんに……? いえ、べつに?」 やだなぁ、何いってるんですか、と、一は、ぶつ真似をし、はぐらかす。 鰍が自分に手を差し伸べてくれていることは、わかる。 きっと彼ならば、信用できるとも思う。 それでも、ふたつの壁が、彼に頼ることを押しとどめているのだ。 ヒーローとは、人を助けるものだ。 それを志す自分は、助ける側の人間であるべきだ。 ――だから、他人に頼っちゃいけない。 それは独りよがりな正義感に過ぎないのだと、最近自覚したし、痛感もした。 それでも、壁は容易には消えない。 鰍が本当に自分の父親であれば、甘えられただろう。感情を吐露することも、容易だったろう。 だが、そうではない。 私はこの頼もしい優しさを持つひとの、娘などではないのだ。 甘えるわけには、いかない……。 「お前、俺がそんなに心の狭い人間に見えんの?」 一のこころを読んだように、鰍が空を見上げる。 桜が舞う。 だって。だって私は。 甘え方なんて、わからない。 「女の子ひとり抱えられないほど、頼りないかよ?」 俺だけじゃねぇぞ、と、鰍は言う。 一の周りのひとびとは皆、彼女を心配している。 一が頼ってくれないことに気を揉んでいる、と。 「難しいなら、何も一人に頼らなくてもいいんだ。少しずつ預ければいい」 誰だってそれくらいの器はある。 人は、そうしてできている。 「あはは、だって私、馬鹿ですもん」 鰍から目を逸らす。つとめて明るく言う。 「KYですし!」 「まあな」 「勝手ですし!」 「そうだな」 「我儘ですし」 「若いからな」 「すぐ、暴走するし」 「性格は変えようがないもんな」 「……弱い、し」 声は少しずつ、震えていく。 だめだ。もう、だめだ。 壁が―― 「お前は独りじゃねえんだよ、一」 ――幾らでも受け止めてやるから、ぶつけに来い! 壁が、崩れた。 「む、むこう向いててくださいッ」 顔を見られないようにしながら、鰍の服の端を掴む。 声を殺し、泣き続けた。 「……絶対、振り返っちゃ、駄目」 そうだ。 私もまた、囚人だった。 正義という名の、鉄仮面の。 今、その仮面が、音を立てて割れる。 泣きながら、思い出す。 かつて自分を助けてくれた、警官の言葉を。 もう、大丈夫。 よく頑張ったね。 人間ってのはね、自分のためだけに生きていると、自分が折れた時にどうしようもなくなるんだ。 ――自分一人で立っているわけじゃないからね。 私は、何のために頑張りたいの? 一の脳裏を、さまざまなひとびとの顔がよぎる。 それは、ことあるごとに自分を助けてくれた、優しい旅人たちの顔だ。 ……自分を助けてくれる、ひとたち。 この優しいひとたちを、私は助けたい。 それが、一の、素直なこころの声だった。 たしかに今、それを聞いた。 一の頭に、鰍の大きな手が置かれる。 「シンプルに考えろ。ヒーローになりたくて、何が悪い。自分が正義と思うものを貫いて、何が悪いんだよ」 ――たとえば。 たおやかな花の姫が、燃え盛る炎をものともしない女であるように。 姉姫に逢いたいがためだけに、烈火の富士山のいただきへ、白馬で駆け上っていくように。 ――Fin.
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