冷たい風の吹く季節だった。 冬ごもりを前にしたこの時期、ひとびとは今がかきいれ時と、各々の仕事に精をだす。 城下の露店には野菜を売る者、手作りの食器や織物を並べる者など、呼び合う声が絶えない。 ひとびとの暮らしの中心には、国王のおわす王城がそびえたつ。 白い石造りの城を取り囲むように、その城下街は在った。 街の周囲は石壁が張りめぐらされ、見張り台に立つ騎士が盗賊や魔物の襲撃に備えている。 石壁には大小複数の門が設けられ、旅人や行商に行く者は小門を通って街の外へ行く決まりだった。 ふいに、通りの良い声が響き、ファンファーレが鳴り響く。 「開門!」 「かいもーん!」 門のそばを歩いていた者たちが、何事かと振りかえる。 普段は開かれない大門が、騎士の手によってゆっくりと開かれていく。 門の向こうには馬にまたがった神聖騎士団が、整然と列を成して佇んでいた。 「神聖騎士団、帰還!」 「進めェ!」 号令とともに、一斉に騎馬の列が動きだす。 数ヶ月前、反乱を起こした辺境領主の鎮圧に向かった騎士たちだ。 無事任務を果たし、凱旋という運びらしい。 毅然と顔をあげて王城に向かう騎士たちを見やり、同じく門の向こうからやってきたばかりの旅人が、街の商人を前に口を開く。 「……鎮圧に向かった先で、魔物が出たって話だ」 「そりゃ、ここらだって魔物くらい出るぞ」 街の近くは常に騎士団が警戒しているため、魔物の被害にあうことは稀だ。 それでも時おり魔物の姿を見かけることがあれば、どの門もかたく閉ざされ、討伐隊が向かうこともある。 「そんな低級のヤツじゃねえ。上級のヤツだ」 「どういうことだ」と問う商人に、旅人は声をひそめる。 「今回の遠征は、『鎮圧』じゃなくて、『制圧』だったんじゃないかって話さ」 不穏な噂話をよそに、若い娘たちはどの騎士が好みかとささやき交わし、黄色い声とともに手を振っている。 青い鎧を身に着けた騎士たちは、この国の誇りであり、民衆の憧れの存在なのだ。 「なにを馬鹿なことを」 商人は店先から旅人を追い払うと、すぐにいつもどおり仕事に戻った。 ◆ ◆ ◆ その夜、騎士団宿舎にて。 「フェリース! おい、フェリス!」 どんどんと乱暴に扉を叩く音に、フェリックス・ノイアルベールは手をとめ、顔をあげた。 彼を『フェリス』という愛称で呼ぶ者は、騎士団には一人しかいない。 二才年上――二十四歳の同僚、アレフだ。 「開いてるぞ、アレフ」 手入れをしていた剣を鞘に収め、テーブルの上に置く。 「『フェリス』は女みたいだからやめろと、言っているだろう」 嘆息しながら、扉を開いた。 鮮やかな赤毛の男だった。 フェリックスを見るなり、「よう」と酒瓶を掲げる。 同室の者たちはそろって凱旋の宴に出かけており、他には誰も残っていない。 部屋の中を覗きこみ、テーブルの上に置かれた剣を見て天をあおぐ。 「部屋にこもって剣の手入れなんざ、仕事熱心にもほどがあるぜ」 そうして、別の手に持っていた二つのグラスを見せ、笑う。 「城下の女たちと飲む酒も美味いが、苦労を共にした戦友との酒も格別だからな」 「……おまえ、自分が気楽すぎると思ったことはないのか」 アレフを招きいれ、テーブルの上を片付ける。 「いつも言ってるだろ。人生、なにごとも楽しんでやるのが一番だ」 アレフは空いたテーブルに酒瓶とグラスを置き、早々に酒盛りをはじめる気らしい。 酒で満たしたグラスを無理やりフェリックスに持たせ、乾杯する。 「仕事と、美味い酒と、語りあえる友がいれば、たいていのことは何とかなるもんだ」 窓の外からは、務めを果たした騎士たちの笑いあう声が聞こえてくる。 城下の料理人や踊り子を招いて、盛大な宴が開かれているのだ。 数ヶ月に及ぶ遠征を終え、この宴を楽しむことで、多くの騎士たちが疲れを癒し、次の務めに向かって励む。 フェリックスは酒を味わいながら、アレフとの他愛ない会話を楽しんでいた。 アレフは年上で剣の腕も確かだったが、おごることなく、誰とでも対等に在ろうとする男だった。 飄々とした性格ではあるが面倒見が良く、多くの仲間から慕われている。 その男が、ふいに、神妙な表情を浮かべた。 「遠征中、妙な噂を聞いた。……覚えてるか。作戦中、魔物が現れたことがあっただろう」 「ああ」と、フェリックスは道中を思いかえす。 鎮圧にあたっていたおり、反乱を起こした辺境領主が呼び出したとされる魔物が出現したことがあったのだ。 魔物は反乱軍と騎士団の兵を前に、暴虐の限りを尽くした。 「あれは辺境領主が操っていたと聞かされた。だが、実際の動きを見てどう思った?」 「どう、と言われても。俺はなにも気づかなかった」 問いかけられ、フェリックスは口をつぐんだ。 彼は上からの情報を受け、それを鵜呑みにして動いていた。 すなわち、魔物の討伐は腕のある上位の騎士が受けもち、ほかの騎士は反乱軍兵士の鎮圧にあたるように、と――。 「あの魔物はな、反乱軍の兵だけを狙って攻撃していたんだ。上位騎士は、魔物に迫る反乱軍を蹴散らしていた」 「……おまえが、何を言おうとしているのかわからん」 フェリックスは混乱しかけていた。 魔物は反乱軍が呼び寄せたもののはずだ。 だが、そばで戦っていたアレフは、その魔物が反乱軍を攻撃していたという。 「王国は恐ろしい計画を実行しようとしている」 アレフはフェリックスを見据え、続ける。 「連中は地底界の悪魔と手を組み、世界を征服しようとしているんだ」 「世界征服?」 おもわず、聞きかえす。 はるか天空には、神々が住む天上界。 地の底には、悪魔が住む地底界があるという。 だがそれらは伝説として伝えられてきた話であり、実際に神や悪魔を目にした者はいない。 魔物は地底界を立証する存在として長年研究が進められていたが、未だその存在を証明するには至っていない。 そんな『わけのわからないもの』と王国が手を組もうとしているなど、こどもの語る幻想物語のようなものだ。 「……酔ってるのか?」 真顔で問い直され、アレフは勢いを落とした。 「いや、いい。今のは忘れてくれ」 立ちあがり、片手を挙げる。 「……たぶん、酔ってるんだ」 「部屋で寝る」と告げ、アレフは立ちあがり、部屋を去っていった。 アレフは軽口の多い男ではあるが、悪意をもってひとをだます男ではない。 ――きっと遠征の疲れで、酒がまわったのだろう。 そう思い、フェリックスもすぐにその話を忘れた。 アレフの姿が見えなくなったのは、それから数日後のことだった。 ◆ ◆ ◆ アレフの姿が見えなくなってすぐ、その行方を上位騎士に問いただした。 だが誰もがみな、「彼は自ら騎士団を脱退し、この地を去ったのだ」という。 彼の部屋も、同室の者にもあたったが、誰もその経緯を知らない。 ただこつぜんと、アレフの姿だけがなくなってしまったのだ。 (そんな、馬鹿な) 彼は上位騎士に次ぐ剣の腕前を持っていた。 すぐに昇格するだろうというのが、もっぱらの彼の評価だったのだ。 (『人生、なにごとも楽しんでやるのが一番』と豪語するような男が、自ら栄誉を手放して去るわけがない) 人生に不満があったとして、彼がフェリックスに語ったかどうかはわからない。 だがなにか事情があったにせよ、親友であるフェリックスに一言もなく去るなどとは考えられない。 あいつなら後で手紙をよこすだろうか。いや、そんな筆まめな男でもない。 なればこそ、去り際には一声かけていくのではないか。 釈然としないものを感じているうちに、数日前の会話を思いだす。 ――王国が世界征服を企んでいる。 (まさか、本当に……?) すぐさま、フェリックスは城下に向かうことに決めた。 騎士仲間と出会ってもわからないようフードを目深に被り、簡単に身支度を整える。 同室の者たちが寝静まったころを見計らい、宿舎を抜けだした。 夜の城下は城内とは反対に明かりにあふれていた。 商店こそ閉まっているものの、酒場や宿屋はこれからが稼ぎ時だ。 ひとの出入りが多い酒場の端に身を寄せ、フェリックスは周囲の会話に耳を傾けた。 その一角には街の商人が集まっていた。 ひとしきり売りあげの話が続いた後、一人の男が思い出したように告げる。 「凱旋の日に、変な旅人がいたろう」 「ああ。遠征は『制圧』だってうそぶいてたヤツだろ」 「とんでもねえ嘘をつくヤツもいたもんだ」と集まった商人たちが笑う。 「なんでも、不敬罪で騎士団にしょっぴかれたって話だ」 「打ち首だってよ」と続いた言葉に、場がしんと静まりかえる。 「……噂話でか?」 「その旅人だけじゃねえ。同じような噂をしてた騎士も、処刑されたって聞いたぜ」 「腕のいい、若いのが居ただろう。誰だっけな、赤毛の……」 慌てて、商人たちが声のトーンを落とす。 「口は災いのもと、か……。くわばら、くわばら」 もう、十分だ。 フェリックスは立ちあがり、酒場を後にする。 馬屋に立ち寄り、言い値で馬を買い求める。 フードを目深にかぶり、小門に立つ騎士と目を合わせないように通り抜ける。 「あんた、今から出るのか」 ふいに呼びかけられ、条件反射で頷く。 親しい間柄ではないとはいえ、騎士団で顔を見たことのある男だった。 声を出せば、気づかれてしまうかもしれない。 「夜道は危ないぜ。夜盗や魔物に気をつけな」 「行って良し」と声をかけられ、深く頭をさげる。 門を抜け、少ししてから、フェリックスは全速力で馬を走らせた。 手元のカンテラだけでは視界は悪いものの、街道沿いであれば悪路はないはずだ。 数日前、凱旋のためにたどった道を、ひた走る。 (確たる証拠は、どこにもない) だが親友は消え、おそらくは、殺されてしまった――。 フェリックスは朝までにわずかでも王都から離れようと、先を急いだ。 馬屋や門番に調べが入り、足がついたのだろう。 追っ手が蹄の跡を手がかりにしていると気づいてからは馬を手放し、森に入った。 それでも追ってくる猛犬を斬り捨て、川を渡り、洞窟を抜ける。 遠征先の地へ向かい、真実を探るつもりだったが、もはやどこをどう逃げたのかもわからなくなっていた。 やがて厳しい寒さに雪が舞うころには、追っ手の姿もなくなっていた。 だがフェリックスは用心に用心を重ね、人目を避け、ひたすらに逃げ続けた。 いつしか、なにもない荒野にたどり着いていた。 乾いた土地に、ぽつんと塔が建っている。 扉は木材が朽ち、ぼろぼろになって役割を成していなかった。 降りはじめた風雨をしのげればと、扉を打ち破り、中に入る。 すぐにカンテラに火を灯し、濡れたマントを脱ぎすてた。 周囲はカビとほこりに満ちており、人の気配はない。 「……無人の塔、か?」 暖炉を見つけ、煙突を覗きこむ。 風が吹き、きちんと空気が抜けることを確認してから、朽ちた扉を小さく割って、火をくべる。 身体に体温が戻った後は、塔の探索を行うことにした。 ひときわ大きな机の上には、三角錐の硝子瓶や、棒状の筒が並んでいる。 不可思議な道具や書物が多く、農家の家とは思えなかった。 書棚に残った本は虫に食われ穴だらけだったが、ほとんどが天上界や地底界など、伝説に関わる内容と知れた。 どうやらこの塔の主は魔術師で、異世界とこの世界を繋ぐ研究をしていたらしい。 腕の良い術師だったのだろう。 別の世界と通じることができた、という手記がいくつも見つかり、フェリックスは異世界の存在を、今ほど間近に感じたことは無かった。 ふいに、彼が出奔するに至った経緯を思いだす。 王国は地底界と手を組み、世界を支配しようとしていた。 「……やつらが悪魔と組むというなら、俺は神と……。いや、この世の全ての異世界と組む」 赤毛の親友の言葉が、懐かしく脳裏に響く。 ――人生、なにごとも楽しんでやるのが一番だ。 「美味い酒も、語りあえる友もいないが……。まあ、何とかなるだろう」 異世界の資料は山のようにある。 当面、暇をもてあますことはなさそうだ。 「目が覚めたら、周囲の探索にいってみるか」 フェリックスは新しく見出した仕事を前に、体を休めることにする。 ほこりまみれのベッドにその身を横たえ、静かに目を閉じた。 了
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