十月も終わろうかという日の午後。 八重垣邸の日本庭園は赤や黄色に色づき、一面、鮮やかな季節の彩りに満ちていた。 その庭の東屋に、設楽一意と八重垣真姫の二人の姿がある。 テーブルには入れたてのお茶とお菓子。 温かい日差しが降りそそぎ、今日は絶好の茶会日和だ。 「ずいぶん涼しくなりましたね。こうして外でお茶を飲むのも、そろそろ最後でしょうか」 風に揺られ、はらはらと舞う落ち葉に手を伸べながら、真姫がつぶやく。 真姫は生成色のカーディガンを羽織り、襟元や袖口、裾にフリルを重ねたワンピースに身を包んでいる。 両サイドを編みこんだ長い黒髪が肩から流れ落ちる様子は、可憐なお嬢さまそのものだ。 「そうだな。この寒い中、わざわざ外で茶を飲んで、風邪でもひかせたら俺が大目玉だ」 真姫が手ずから作ったというクッキーを頬ばり、一意がいたずらっぽく笑う。 「大丈夫ですよ。お茶会は私が好きでやっていることですし、健康管理と護衛は別ですから」 そうして、一意の前へクッキーの皿を押しやる。 「どんどん、食べてくださいね」 最愛の恋人が作ったクッキーだ。 言われずとも、食い逃すつもりはない。 しかし、自分ばかり食べているというのは、どうにも気まずい。 「せっかく作ったんだ。自分も食べたらどうだ」 反対にすすめるものの、「私は、作るときにたくさん味見しましたから」と言って断られてしまう。 不可思議な力をもって生まれた真姫は、その力をもつがゆえに、あらゆる者に狙われて生きてきた。 高校卒業後は身の安全を守るために進学をあきらめ、多くの時間をこの八重垣邸で過ごしている。 警護として側についている一意と一緒に外出することもあったが、それも誘われて行くという程度だ。 年頃の少女めいた楽しみをもてない分、真姫は家でできることは何でもやりたがった。 料理や、菓子作りもそのひとつだ。 少し前までは紅茶の淹れ方に凝っていたようだが、それをマスターした今は、紅茶に合うクッキーを作るのが楽しいらしい。 「次はパンケーキに挑戦してみようと思うんです。うまくできたら、また食べてくださいね、一意さん」 「わかった。楽しみにしてるぜ」 手作りはありがたいが、この調子でお菓子を食べていたら太りそうだ。と、一瞬ぜいたくな悩みが脳裏をよぎる。 東屋の周囲には、一意の喚び出した白うさぎの式神であふれていた。 そのうちの一匹を抱きあげ、真姫が不思議そうにうさぎの顔を見つめる。 可愛らしい姿をしたうさぎだが、要事にはこれらが全て、真姫を守るための重要な切り札となる。 額に札を貼り付けたうさぎは、ひくひくと鼻を震わせ、真姫に顔を寄せた。 ふと、疑問に思う。 「どうして、一意さんはうさぎの式神を扱うんですか?」 ――ゴフッ 思わず、飲んでいた紅茶を吹きだした。 げほごほと咳きこみながら、差しだされたハンカチで顔をぬぐう。 「……どうしてって。まあ、式神なんてものは、要はなんでも良いんだ」 「童話に出てくる魔女は、猫を連れていることが多いですよね。昔話でお共にするのは、犬が多いですし」 「式神はペットじゃないぜ」 「それはわかりますけど」と、やはり不思議そうに腕の中のうさぎを見つめる。 「……別に、大した理由じゃない」 依頼によってはうさぎ以外の式神も使ってきたし、これまで聞かれたことがなかったので、誰かに理由を話したことはない。 真姫はそれ以上なにも言わなかったが、言葉にはせずとも、向けられる瞳が雄弁にその心情を物語っている。 しばらく黙殺しようと抵抗していた一意だったが、ついに真姫の視線に負け、かつての記憶を語りはじめた。 ◆ ◆ ◆ 学生時代、退魔の術を学んでいた一意にはひとりの師匠がいた。 弟子として師事していたころから成長した今なお、一意を『坊主』と呼ぶ女だ。 古臭いアパートのひと部屋を自室兼事務所としており、一意はそこでバイトがてら簡単な退魔の仕事を請け負っていたことがある。 事務所とはいっても女性の部屋だ。入室するのがためらわれる――と思ったのは、一番最初だけだった。 部屋の床には足の踏み場などなかった。 かろうじてベッドが置かれていたために寝る場所だけは確保されていたが、時おり仕事の資料がベッド上を占拠すると、女はがらくたの上に倒れて寝ていたものだ。 四六時中タバコを吸っており、ヤニ臭さばかりが記憶に残る。かと思えば、仕事の時はパンツスーツ姿できっちりとキメてくる(クライアントの前では鉄壁の『できるオンナ』を演じていた)。 出会ってから今日まで見た目がほとんど変わらないので、年齢は不明だ。 一度面と向かって歳を尋ねたことがあったが、 「ぴったり当てたら正解って言ってやるよ。ただし、外したらしばらくバイト代抜きな」 と言われ、多めに見積もって告げたところぶん殴られた。 三ヶ月ほどノーギャラで仕事をさせられたのは苦い思い出だ。 それはともかく、式神の話だ。 弟子入りし、まだ間もないころのこと。 「『まじない』をやるからには、式神くらい使えないと話にならん。坊主、なんか一体喚びだしてみな」 急に振られたひとことに、一意は眉根を寄せた。 「いきなり出せって言われても、出せねえよ」 「『出せません』、だ」 叱責とともに缶ビールが飛び、一意の額にヒットする。 「もったいない。坊主は顔は良いんだ。言葉遣いを直すだけで、そこそこ客の信用をもぎ取れるようになるぞ」 女は目上の者に対する言葉遣いにうるさかった。特に、客の前での振る舞いには厳しく注意が飛んだ。 今現在、一意がTPOに応じた対応をできているのは、この師の徹底的な指導のたまものと言って良い。 「式神ってのは自分の『念』のカタマリみたいなもんだ。きっちり形を与えてやれば、それだけ丈夫にできあがる」 そう言って、師は吸っていたタバコの煙を一羽の梟に変えてみせた。 胸元には、式神の証である赤い呪術文字が描かれている。 「やってみな」 缶ビールが当たり赤くはれあがった額を押さえ、一意は式神の姿をイメージする。 だが、やれと言われて容易くできるほど、退魔道は甘くない。 一時間が経過するころには、『猫のようなもの』や『犬とおもしきもの』や『ペンギンのようなもの』が事務所内をよたよたと徘徊していた。 どれも輪郭があいまいで、できの悪いぬいぐるみのようだ。 「おい坊主。なんだこの生き物は」 師はそれらを見て、三十分は爆笑し続けた。 ちなみにペンギンのようなものは鳥をイメージした式神だったが、鳥の種類さえ固めきれなかった結果が、この無念の造形である。 「いいかげん笑うのをやめろ!」 弟子の叫びに、女はようやく身体を起こす。 先ほど生みだした梟の式神がひとっ飛びし、一意の『式神もどき』を消し去っていく。 いびつな式神たちは、あっという間に霧散して消えた。 「こういうのは、日ごろどれだけ周囲を観察してるかがモノをいうんだ。犬猫がダメなら、なにが良いだろうね……。ほかに、好きな動物はいないのかい?」 問われて、一意は押し黙った。 (……好きな動物は、いるには、いる。が……) それをこの師の前で出したら、一生笑われそうな気がして、先ほどから避けていたのだ。 しばらく沈黙していたものの、このまま式神を出せなければそれこそ笑いものだ。 一意は改めて集中すると、もう一度、式神のイメージを思い描いた。 そして現れたのが――、 「おやまあ。上出来じゃないか!」 額には赤い呪術文字の描かれた札。 白くほっこりとした毛並み。 ぱたぱたと動く長い耳。 ルビーを思わせるつぶらな瞳。 ふわふわの短いしっぽ。 師の手には、首根っこをつかまれて哀れな表情を浮かべる白いうさぎの姿があった。 じっくり観察された後、ぽすんと頭の上に乗せられる。 「これなら及第点だ。細かいところまでよくできてる。……しっかし、坊主とうさぎねえ」 仏頂面の弟子と式神を、交互に見比べる。 そうして、師はたっぷり一時間、爆笑し続けたのだった。 ◆ ◆ ◆ 「要するに、一番最初に出した式神がうさぎだったってだけだ。うさぎは古来より神典にも登場する由緒ただしい獣なのであって」 「つまり一意さんは、うさぎがお好きなんですね」 ひとしきり語り終えた一意に対し、そう結論付けた真姫が満面の笑みを浮かべる。 「………………。まあ、犬か猫かって聞かれたら、うさぎっていう程度には」 知り合いにうさぎを飼っている人間がいたため、偶然触れる機会があったのだ。 動物にはそれほど興味があったわけではないのだが、触れてみると愛着が沸くものだ。 けたたましく鳴くわけでなく、警戒もせず無邪気にすり寄ってくる姿に、すっかりほだされてしまった。 いらい、好きな動物といえば真っ先に『うさぎ』を挙げる。 「どうせ似合わないって言うんだろ」 「そんなことありません。うさぎ、可愛いですよね。私も大好きです」 自分のことはあまり多くを語りたがらない一意の素顔を知ることができたと、真姫は上機嫌のようだ。 にこにこと微笑む少女の視線が、今は痛い。 一意は冷めた紅茶を一気に飲み干し、再びクッキーに手を伸ばした。 数日後の朝。 出会いがしら、真姫に小さな箱を手渡された。 「おはようございます。これは、一意さんに。プレゼントです」 「プレゼント?」 まさか警護対象者から贈り物をもらえるとは思ってもみない。 「開けても良いのか?」 「はい。もちろんです!」 丁寧に包みを解いて箱を開けると、中から現れたのは臙脂色のネクタイだった。 ワンポイントに白いうさぎの刺繍が入っている。 先日の話を聞いて選んだのだろう。 真姫の健気さに感激しつつ、思わず、吹きだした。 「これは、俺には可愛すぎないか?」 「そんなことないです! 大丈夫です。一意さんなら、絶対似合います」 拳を握って力説する姿が愛らしい。 よくよく見れば落ち着いた色合いで、スーツに合わせても違和感はない。 刺繍も丁寧に仕立てられたもので、タグを見る限りでは、どこかのブランドもののようだ。 なにより、真姫が選んでくれたとあれば嬉しさもひとしおだ。 「ありがとうな。大切に使わせてもらうぜ」 試しに巻いてみせると、真姫は満足げに微笑んだ。 「一意さん、ぜひ、お父さまにも見ていただいてください」 「……って、なんで八重垣氏にまで!」 「そのネクタイは、お父さまと一緒に選んだものなんです。注文してくださったのも、お父さまなんですよ」 八重垣氏は生真面目が服を着たような男だ。 愛娘たっての願いと聞いて協力したのだろうが、面と向かってなんと言われるかを考えると、気のせいか胃が痛む。 「おかしいな……。俺はオカルト関連のなんでも屋で、ここには警護に来ているはずで……」 「お父さまも、きっと似合っていると言ってくださいます」 「いや、それはないと思うぞ……」 どのみち、朝一番は八重垣氏にその日の予定を伝えるのが日課となっている。 このまま真姫とともに朝食をとりに行くしかない。 一意は覚悟を決め、弾むように廊下を歩く真姫の背を追った。 了
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